この三年近く、ジョージア(旧 グルジア)のPopsに私はハマっている。
良い曲が多数あるのでSNS等に紹介したいのだけど、どうにもジョージア語が特殊言語感満載で、ようやくGoogle先生のお力を借りて翻訳してタイトルや歌詞を読み取るのが精いっぱいである。
原語紹介だと、演奏者その他のラインナップはこうなる。 ⇩
🎤 ვოკალი – ლაშა ნოზაძე
🎤 ბექ ვოკალი – მარიამ კიკვილაშვილი
🎤 ბექ ვოკალი – მარიამ დოლიძე
🥁 პერკუსია – ირაკლი მენაღარიშვილი
🎹 Keyboards, FX – ნიკა წერეთელი
🥁 დრამი – კაკი ჯაფარიძე
🎸 გიტარა – აჩიკო ციმაკურიძე
🎸 ბას გიტარა – პაკო კობალაძე
🎷 საქსოფონი – კახა ჯაგაშვილი
🎺 საყვირი – გიორგი გაბრიელაშვილი
これではほぼ解読不可能なので、一旦英語形式に翻訳してみるとこうなる。 ⇩
🎤 ვოკალი – ლაშა ნოზაძე
🎤 ბექ ვოკალი – მარიამ კიკვილაშვილი
🎤 ბექ ვოკალი – მარიამ დოლიძე
🥁 პერკუსია – ირაკლი მენაღარიშვილი
🎹 Keyboards, FX – ნიკა წერეთელი
🥁 დრამი – კაკი ჯაფარიძე
🎸 გიტარა – აჩიკო ციმაკურიძე
🎸 ბას გიტარა – პაკო კობალაძე
🎷 საქსოფონი – კახა ჯაგაშვილი
🎺 საყვირი – გიორგი გაბრიელაშვილი
⇧ これでようやく演奏者や参加者の名前だけは読み取ることが出来る状態。
タイトルの「REGGAEON」を調べてみたが「コレ」と言った確定的な意味は判然としないにせよ、おそらく「レゲトン」の意味ではないかと思われる。曲自体がレゲェなので、きっとそうだとう‥ と言う憶測にて。
日本人だからと言って全てのミュージシャンが「和」の音楽を演ってはいないように、多くの国々でも音と表現手法の多様化は今や当たり前なのだろう。
何を、どのスタイルを、誰が選択しても好し。それが作品として成り立つのであれば、借り物音楽上等である。その意味ではこの作品は、上質な借り物音楽、借り物スタイルとして成り立っている。
それにしても、日本の音楽界以外を見回して常に思うことは、中年から初老の表現者や楽器奏者を熟達者或いはプロとして容認して行く土壌がきちんと育っている点だ。
日本では先ずヴィジュアルが優先され、上手で優秀なミュージシャンであってもその容姿が若さを失った途端に、ナントカ山に追放されんばかりの扱いを受けるのが関の山だ。
勿論それは日本だけではないと思うが、日本はそれがある意味顕著な気がする。
音楽解説をもっとしたいのだけど、本当にジョージア語が全く分からず、歌詞翻訳も存在せず、ただただ楽曲的な優秀さを紹介するに留める他に方法が無いが、全く紹介すらも無いよりはマシだろう。
音楽は言語の壁を超えて行くべきだ。
出来れば、彼等の表情や響きからリスナーが率先して、テレパシー等のシュールな感覚で彼等の感性に突撃して行くことが望ましい。
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