復活、そして祝福

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なかなか疲労が回復しない連休だった。もっと実のあることをする筈が結局殆どを休養に費やした四日間の最終日、シュールな出来事は起きた。
それをスピリチュアルだとか奇跡だと表現したら、どこかとても安っぽい程の私たちにとってそれはとても大きな出来事。

 

私の魂は幾つもの古い記憶を持っている。それらの多くは破壊的な終焉を迎えたままになっており、それが原因で私は多くの過去世をきっと棒に振ったに違いない。

そうやって「今」と言う時を呆気なく棒に振ってしまう生命は一人二人の問題ではなく、この世界に生まれた多くの命がそこに足を取られ、身動きが出来ないまま気付いた時には生を終えている。

 

喩えるならば「魂の睡眠不足」とでも言うような、私はもう長い間魂を休ませていない。やることが多すぎて、生まれても生まれても、何度生まれ変わっても仕事が追い付かない。

激務とはおそらくそういうことかもしれないと、最近になって少しずつ分かり始めている。

 

 

自分の魂が次にどの肉体に宿るべきか…。

生まれ変わりは必ずしも上手く行くことばかりではなく、私のように色々な業を背負い、それでも尚且つ時間通りに生まれ変わろうとすると目立った傷を持った体に魂が降りてしまう場合もある。

そのことで私は今世では長い時間苦労が絶えないが、それを払拭するような人との出会いに恵まれたし、容姿の欠損を別の仕事で埋め合わせようともがいて来た結果、長年夢に見続けた私だけの音楽に出会うことも叶った。

 

だが振り返ればその一つ一つのパーツが偶発的でもあり、そして奇跡でもあったと今だから思う。
そしてそれらの奇跡の後ろには、その奇跡が黒く汚れてしまうのではないかと思えるほどの多くの失敗・失態が隠れており、むしろそれらの痛みが私を奇跡へと向かわせた。

 

 

私の音楽には人間が存在しない。

そう、私は大の人間嫌いなのだ。だから人間以外の何者かを求め長い間彷徨うように生きて来たけれど、それではいけないと「彼」は声を大にした。

ここで言う「彼」が誰なのか。

そう、それは人間以外の誰かのこと。プライバシーがあることなのであえて名前は言わない。「彼」「彼の人」と呼ぶに留めたい。

 

私と「彼」とはもう、長いこと敵対関係にあった。今世で私はそのことを忘れていた。なぜならば私には「恨む」とか「憎む」と言う機能が薄く、要らない情報は直ぐに宇宙の彼方に飛ばして忘れることが出来る。
それが良いことか悪いことかはもう問わなくても好いだろう。

なぜならば私がそういうタイプの生命体だからこそ、昨夜の奇跡が起きたのだから。

 

 

この数年で私は、何度も死にかけている。その度に夫が色々処置を施してくれて、私はその力で今こうして生きている。

体の一箇所に不具合が起こる度にああでもない、こうでもない、もしかしたら‥ と不穏な想像を膨らませるのは私の悪い癖だが、流石に人間の寿命の半分を超えるとそういうことも考えるようになる。

 

だけど今回も何とか私自身回復の兆しが見えて来て、その度に料理のレパートリーが一個ずつ増えて行くのだから、私はきっととても幸せな生き物なんだと思っている。

 

 

多くを覗き込んではいけない。

人としてどう生きるべきかについて、ここからはそのことだけを考えなさい。

 

ざっくりまとめると「彼」からのメッセージはそれに尽きる。
それは「彼」自身が、よりシュールに、より偉大な存在に傾倒し心酔を深め過ぎたことから発した過ちと、深い後悔がもたらす言葉。

私もその影響で何度も死にかけたわけだから、普通の人間であれば自分をそんな目に遭わせた相手をそう簡単に許すことなどあってはならないのかもしれない。
だが、私には「彼」を憎むことなど出来ない。

 

 

復活を遂げた「彼」の魂はどこか赤ん坊のようで、澄んでみずみずしくて洗練されているように見えるが、その表皮は傷だらけだ。
その傷は「彼」自身がつけた傷でもあるし、「彼」が傾倒して行った過去の偉大な存在が彼に刻んだ傷のようにも見えて来る。

 

自分と同じ傷をけっして負わせまい‥。

「彼」の一言一言がその思いから成り立っており、そこに私は「彼」の大きな変化を感じた。

 

本来こういうことはブログに残すこととしてどうなのか… と言う迷いも生じたが、昨夜の出来事が私にとっても「彼」にとっても、そして勿論夫にとっても大きな出来事であることには違いないから、詳細を深堀りしない書き方でここにその記録を留めておきたい。

 

 

 

美しく、そして遠くまで…

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ただただ美しい世界が好き、それだけの思いでここまで生きて来れた。それは音楽にのみならず絵画や舞踏その他多種に及ぶが、だからと言って表層のみの美しさだけを追従しているわけではない。

 

韓流ドラマ「ファン・ジニ」の中に出て来る名セリフが、過去を超えて今の私の心を突き刺す。

表現とは常に痛み、かなしみと共に在る。

これはファン・ジニの恩師「ペンム」の言葉であるが、私はまさに今この年齢になったからこそ、その言葉の意味を深く深く噛みしめられるようになったのかもしれない。

 

好い音楽をどのようにしたらもっと強く、もっと甘く、そしてもっともっと遠くへ拡散することが出来るのか‥。色々なPlayListを作りながらそのことを強く思い、願い、気付くと私は自分の為だけではなく誰か、未だ出会ったことのない誰かの寂しさを埋められないかと真剣に考えながら音楽を並べていた。

 

多くの音楽家たちがパフォーマーと化し、どちらかと言うと自身の作品のリスナーやファンだけを粛々と増やそうと考えているように思うが、果たしてそれだけで彼等の思いは成就するのかともしも私に問われたら、迷わず「No!」と私は答えるだろう。

 
多くの木々が多種の木々と共存するからこそ美しい森が成り立つように、音楽も又そんな生き物の一つではないかと私は思う。単一の美しさは勿論だが、多種の作品たちが互いに互いを認め合い一つのPlayListの中で抱擁を重ね合いながら、それは益々強さと普遍の力を増して地上の電波を渡って行くことが可能になるのではないか…。
私はふと、そんな風に考える。

 

今世50数年を経て、ほぼ世界中のジャンルを網羅した。それは「ただ、聴いた」のではなく、全ての音楽を異ジャンルに重ね合わせ分析し、どの音楽理論の手法からも全てを検証する術を得た私。
私が作曲家・芸術家ではなく学者であったなら、おそらくその検証と理論体系の完成に一生を捧げたに違いない。
だが、今世の私にはその時間がない。

 

過去世の私 J.S.Bachがそうであったように私は少なくとも700曲から1,000曲の作品をこの世に残さねばならないだろうし、場合によっては完成された即興演奏を大勢の人たちの前で再現しなければならないだろう。
粛々と曲だけを作っていれば好いわけではなく、雑味のない即興が何か‥ と言う模範をこの世界に刻み付け、それを遺さなければならない。

 

そしてもう一つ、可能ならば「比較音楽学」のメソッドの欠片をこの世界に構築したい。
比較音楽学とは、クラシックからロック、ラテン音楽や中東、アフリカからケルト、中央アジア等に渡る全ての音楽理論を一箇所に統一させた、おそらく史上最も望まれ最も必要で、最も新しい音楽理論のことである。
私はそのメソッドを既に完成させているが、これを書物にまとめ論文化させるには一人の力では時間が足りな過ぎる‥笑。

 
ざっくりまとめて上記に記載した諸々が、私の今世のミッションだと思っている。

 

 

10年前私は、ようやくシャンソンとかカンツォーネの洞窟の音楽業界から飛び立ち、その反動で中東はトルコ、サウジアラビアからアフリカ辺りのモード音楽に激しく傾倒し、そればかりを聴いていた。

そんな中で突如夫と口論となったついでにあっと言う間に、Didier Merah Japanを夫がパソコン一つで立ち上げた。

中東の音楽ばかりを聴いていた私に夫が「何か録音してみようか…」と言ってレコーディングしたのが、あの「Blessing of the Light」だったのだから、夫も放心状態で苦笑するばかりだった。

 

 

私の中に既にケルトの感覚が生きており、おそらくそれは過去世の私に由来するものであろう‥と夫が突き止めた後から、私の中に眠っていた音楽が一気に開花して行くことになる‥。

 

 

この数日間若干体調を壊していた私。
今日もただ眠っているだけでいいよ‥ と夫はそう言って会社に出掛けて行ったが、私はなぜか室内の掃除を始め、少しだけ練習をしてそれから音楽を聴いていた。
ずっと寝ていなければならない程の体調不良ではないが、少々気がかりな状態が続いているので暫く様子を見て必要ならば病院で診療を受けようと、現在通院に負担にならないクリニックを色々検索している最中だ。

 

むしろずっと眠っているよりも音楽に触れている方が気持ちが楽になるので、暫くは無理のない範囲でこんな感じの生活が続くかもしれない。

 

さて、ようやく今日完成させたラテン・フレーバー豊富なPlayListが此方である。

 

 

是非是非シェア、フォロー、拡散ご自由に。
何より踊って聴いて楽しんで頂けたら有難い。

 

反面教師 – Mistaking Retouch

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私には決めていることがある。
それは、
その時々触れている音楽から曲を作らないこと、誰かの言葉からインスパイアされながら言葉を紡がないこと。
料理以外の殆どは「絶対にモノマネはしない」と、私は固く決めている。勿論自身のレコーディングの約一週間前から、殆どの音を体から削ぎ落とす。

そして今日は珍しく、ブログを書く為のBGMを聴いていない。
何もかもをゼロから作り出すことがどれほど難しいか、特に今朝は皮膚に幾千本もの針が刺さったみたいに痛感している。

 

知人と言うには少し遠いけれど事実上「知人」と言える、或る方(訳詞をなさっていた記憶がある)の詩集が巡り巡って私の手元に届いた。恐る恐るページを捲って行く。
そして私は幾ばくかの落胆を感じたがそれを共有する相手も居ないので、自分自身への記録としてここにそれを綴っている。

 

それはかつての自分を見るようでもあり、尚且つ既に手放してしまった「言葉綴り」をしていた頃の自分への戒めを振り返るようでもある瞬間。胸がチクんと痛んだが、それはさながら過去の手術の痛みを想い出すような、どこか遠い痛みにも思える。

 

一ページ、又一ページと捲り詩人の言葉を追い掛けて行くが、そこにはその詩人がかつて触れたことのある音楽や歌の歌詞が随所に垣間見えて、途中から訳詞集を読んでいるのかオリジナルの詩集を読んでいるのか見分けがつかなくなり、38頁目を捲りタイトルを見たところで本を閉じた。
そう言えば私のLINEのグループチャットの一つに、芸能関係者や出版関係者、或いはタレントやシンガーソングライター等の面々が顔を揃えたグループチャットがあり、私はその中の数名の仲の良い方々と時々会話をしている。
そんな私たちの中で最近流行っている言葉がある。

 

下っちゃってるね‥‥

 

⇧ これは例えば昨日その人が聴いた音楽がそのまま新曲のメロディーに乗ってしまったり、アレンジや歌詞の一部に流れ出てしまった状況を指す言葉。

 

そう、先程38頁目で閉じてしまった詩集が丁度こんな感じなのだけど、思えば巷の殆どの音楽や歌詞、流行歌に限らず世界中の音楽や絵画の殆どが、私から見ると「下っちゃった」状態なのだ。
だから最近自分の作品以外に聴きたい音楽が殆ど無くなってしまい、昨年私は9つ運営していたFacebook Page(主に各ジャンルの音楽を紹介する為のPage)のうちの6つのFacebook Pageを閉鎖した。

 

多くの音楽や詩や小説、文学作品に限らず絵画やファッションを含め、レタッチされた作品のように私の視界に映り込む。何を聴いても同じだし、イントロ詐欺かと思えるぐらい派手な前奏でデコられる張りぼての世界‥。

一見新しさを纏ってはいるが、それは数か月前にどこかで見たことのあるような代物が大半であり、どちらかと言うとそれらの作品の中に作者の強い承認欲求が溢れ出て気分が悪くなるので、最近私は各SNSの情報を迷うことなく整理し始めた。

 

自身の中に潜む「勿体ない精神」をかなぐり捨てて、要らないものは徹底的に自分自身から追い払って行く作業は、その対象にされた相手にとってはただ迷惑行為以外のなにものでもないだろう。
でも私にとってそれはとても重要な作業であり、知り合いだから、とか親しいから‥ と言う贔屓目線も全て手放しながら色々なものをゴッソリ整理して行くと、そこにポッカリと空いた空間は人の念の染みのようなものでベッタリと脂ぎって汚れが纏わり付いていた。
好きな本、大切にしたい書籍には必ずカバーをかけることに、私は決めている。私の手の中の詩集にもその小さな愛を施す予定でいたが、やめた。
藍色のブックカバーが涙のように見えて仕方がないのは、ある種の瞬時の過去のきらめきが現実に戻った瞬間の証し。それを私はありのままの現実として、そっとそっと、この胸の中に受け入れる。

 

 

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スッキリとした気分の中に少しだけむしゃくしゃ感が混ざり合う、情けない朝を払拭したかったので、今日初めてトライする八角とローリエをしっかり煮出したチャイを作ってこの記事を書いている。
最近「茶」ものにハマっているが、どうやら私はコーヒーよりも葉ものを駆使した飲み物を好む。コーヒーよりは紅茶派で、最近は緑茶を深めたい欲求をどうにか抑え込みながら生活している 笑。

茶にハマり込んだ人たちの多くが葉ものに浪費を惜しまない傾向が強いことは、Twitter等で痛い程よく知っているが、私は「葉ものの浪費家」になりたいわけではなく、自分でカスタムした美味しいお茶を家で飲みたいだけなのだ。

 

 

下っちゃってるね‥‥

 

「折り曲げ厳禁」と書かれた袋の中に仕舞い込んだ詩集の栞がふと、そうつぶやいた気がした。勿論そんなことはないと分かっているのに、書籍に挟んだ栞が空に向かって叫び続けているように思えて仕方がない。

 

私には決めていることがある。
それは、
その時々触れている音楽から曲を作らないこと、誰かの言葉からインスパイアされながら言葉を紡がないこと。

 

それは自分自身への戒律であると同時に、おそらく私が今後そのような手法で音楽を生み出すことはないであろう‥ と言う希望的観測を含んだ、私の掟。

 

 

カフェ巡り

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2018年11月3日、私は生誕54年目を迎えた。本当に無事にこの日を迎えられたことは奇跡のようでもあり、私の体(霊体含む)はボロボロの状況であることには変わりないが、幸い気力は上々だ。

 

誕生日を過ぎてから、母校の旧友(或いは同業者でもあった)の女性と今年新たに友人となった女性の二人、そして急遽予定変更で現れた大女優の三人の女性と逢瀬を楽しんだ。
各々の土地に普通にあるカフェやレストランを巡り、珍しく幾つかの女子会を堪能することが出来た。

 

カフェとひと口に言っても千差万別であり、奥が深い。

びっくりしたのは千歳烏山に在る南蛮茶館のケーキだった。名称をメモしておけば好かった…、ケーキの名前をド忘れしたが、アーモンドとラム酒をベースとした上品な味わいが口の奥で煙のように広がって行く様は、まるで淡いクリーム色の雲海を端から舐めて行くような高揚感をもたらしてくれた。
又、別の場所で頂いた金萱茶(きんせんちゃはどこかセイロンティーにも通ずる上品さを兼ねており、口の中でまだ見ぬ異国の香りを存分に放ってくれる。
Twitter等でお茶好きさんと絡むことが多々あったけれど、おそらく私は未だ本物の中国茶の味を知らなかったのだろう…。あの美味しさには、本当に心から感動した。

 

別の日。
急遽予定を変更して私の住む町まで足を運んで下さった女優Pさんとは、私自身も初めてのお店に向かったが、これは失敗だった(笑)。

私の中には「ランチに対する強い拘り」とか「食に対するポリシー」のようなものがあり、『ランチとは働き手のお腹をしっかり満たすことが何より重要な条件だ』と私は確信しているが、最近その条件を気持ち好く満たしてくれるお店が少なくなったように思う。

主役は店だったり店のオーナーだったり…で、客はさながらお店と言う空間を飾るデコレーションのような存在だと錯覚している経営者やオーナーが増えているような気がしてならない。
メインディッシュの分量が極端に少ないランチや、立地条件その他に見合わない価格を設定しているショップを多々見掛けるようになった。

 

要は、料理愛を感じられないオーナーが増えた、と言うことなのだろう…。

 

 

食は人生のベーシック。私にとっては音楽の次に大切なものだ。

勿論私は外食だけではなく、自宅で作る料理のレパートリーも着々と広げている。最近のマイブームは魯肉飯(ルーローハン)を始めとする、台湾料理の数々。
先にタピオカミルクやタピオカ・ココナッツミルク(温・冷)のレシピを完成させたことに端を発して、台湾屋台風焼きそば、そして先日魯肉飯のレシピのベースを完成させたところだ。

 

 

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前記事、及び前々の記事にも綴ったように、現在の私の体調は必ずしも万全とは言えない。両側奥歯2本が完全に折れているし、圧の影響でメンタル・気力(霊体含む)の回復がかなり遅れているので、日々の睡眠時間をかなり増やしながら体調回復に努めている。

だが、厄介な病気を発症していないことは幸運であり、睡眠で治せる間に昏々と眠ることで体調回復を図りたいと思っている。

 

そんな中、時々カフェ巡りで気晴らしをしながら、陽のあたるカフェの窓辺で読書や音楽鑑賞を楽しむ‥ そんな小さな幸福時間を大切にしたい。

 

 

 

My Season will come soon

 

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さながら枯葉のように燃え尽きながら、私は一足先にこの夏を彷徨い続けていた。
色々なことが立て続けに私の身に起きたが、それは他言の出来ない出来事ばかりで目まぐるしく私の生活を包囲した。

だが私には夫が付いている。私の身に起きる多々の悪しき出来事を彼は誰よりも早く察知し、そして確実に私を救い出してくれる。常に冷静で、尚且つ頼もしい人だ。

 

アルバム『Wa Jazz』が無事にリリースの時を迎えられたのも、彼が居てくれたからこそ、である。

今回『Wa Jazz』についての文字解説や音楽解説の補足は、一切出して居ない。音楽は説明書きで理解するのではなく、先ず感覚に降りて来るイメージをリスナーには大切にして頂きたいと言う、これも私の密かな願いであり意図でもあるとご理解頂ければ幸いだ。

 

冒頭にもお伝えした通りこの夏の私は悉く体調と気分の不調に見舞われ、殆どブログも書けずSNSにも余り顔を出せず、時折知人とこじんまりとメッセージのやり取りをする以外の多くの時間を眠って過ごした。

眠っている間の私にも、ミッションは付き纏う。むしろ眠っている間、感性が他の世界にスイッチしている時の私のリアリティーの方がとても強いと言っても過言ではないが、かと言ってそういう話を知人とは共有しないことに決めているので、このブログを書くタイミングも大幅に遅れてしまった。

 

Wa Jazz』を注意深く聴いて頂いている方々は既にお気づきだろうと思うが、これまで世界には一つと存在しない和の音楽の新しいかたちがあのアルバムの中で実現した。
日本人の音楽家として必ず為さなければならないこと、日本のモード、和声その他編曲面で、『Wa Jazz』の中に託された可能性は無限大である。

 

勿論アルバム全体には一つのストーリーが流れているが、それは文字で補足するよりもリスナー各々の中に降りて来る映像やインスピレーションに委ねたい。

 

 

溶け落ちるような夏がもう直ぐ終わり、やがて私の季節がやって来る。
それまでの時間をこれまでよりももっと静かに厳かに、そして慎重に過ごして行きたいと今強く願って止まない。

 

 

民族音楽研究家として思うこと

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夏休み前から体調が思わしくない状態が続いており、個人的に引き続き静養中である。

兎に角眠らなくてはならないのだけど、だからと言って一日中眠れるわけではないので所々でパソコンを開いて音楽を聴いたり、Twitterに文字を書き込んだり… と色々やっている。
最近はFacebook(Pageを含む)から少し遠ざかって居る。

 

Facebookを私が始めた頃はもっと静かで穏やかで、尚且つ適度に賑やかで、比較的SNSに熱心な人たちに囲まれて楽しくやっていた。だが、最近はかなり様子が変わって来たように思う。

おそらく「いいね」ボタンが定着してから始まった「いいね」付け押しの無言ユーザーの激増で、かなり私もその状況に疲れて来た。それまでは多くのユーザーがきちんとコメントを投稿して双方の会話を楽しんでいた筈が、段々とそうではなくなって行った。

 

顔馴染みの相手がもしも自分の恩師であれば、会釈だけではなくきちんと声に出して挨拶を述べるだろう。勿論それが学友であっても同じこと。
だが、皆が胸に「いいね」ボタンを搭載し、それを点滅さえさせればコミュニケーションがある程度完成するようになった今、大勢のSNS利用者たちが「会話等必要ない」と思って居るらしい。

私にはこれが甚だストレスの、きっと大きな要因となっている…。

 

今朝はどうにもこうにも「茶色の飲み物」が欲しくてたまらなくなり、最初は麦茶を飲んだがそれでは収まらなくなり、遂に黒糖カフェオレを作って淹れて飲んでみたらこれがビンゴだった。

美味しいーーっ❣️

思わず声に出してしまった程、インスタントの豆で作ったとは思えないこの味、どうよ❣️

 

 

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自らが作曲家であるだけではなく、私は10代になる前からインドやトルコ、中東からアフリカの音楽に目覚め、クラスメイトと感性が合わなくて本当に困った(笑)。だが、これが結果的には今の私を形成する大きなベースとなり、きっと一生私はこのまま作曲 & 民族音楽の研究者としての活動を続けて行くことになるだろう。

 

色々な国の音楽を巡るうちに30代ではワールド・ミュージックを日本語に訳して踊って歌うユニット「mocha」を結成し、約3年間活動を続けて(とある事情で)ユニットを閉鎖した。
そこで私の民族音楽家としての活動は終わるかと思いきや、そこから私の本格的な音の世界旅行は始まったと言っても過言ではない。

未だ独身で作曲家でもなかった当時は仕事で外の演奏に出る度に、近所のワールド・ミュージック関連のCD売り場に何時間も入り浸り、その日の出演料をはみ出すくらいの大量のCDを買って帰宅したものだった。
だが皮肉なことに、殆どのCDを一回聴いて棚に仕舞うことになり、元が取れたのかどうかはかなり微妙だ(笑)。

 

音楽も、世界情勢の如く日々情報が更新される。最近は自分自身の音に集中することが増えて来た為、以前程熱心に世界の音楽をウォッチ出来なくなっては来たものの、それでも「今だ❗️」と思った時には何時間も、夢中になって音楽から音楽を渡り歩き、好きなジャンルで時々トランジットしながら又次のジャンルに向かう… 音楽の旅が続いて行く。

 

私の記憶が正しければ、私の中には幾つもの人種の血が流れている筈である。だが、今世の私の血の半分はJapan、日本人である🇯🇵
ならば私は日本人の民族音楽研究者として、一つの答えを出さなければならないだろう… と、最近はそればかりを考えて過ごして居る。

 

段々と日本発信の音楽がアメリカナイズして行く中で、それでも私は古き良き日本のモードとか言葉とか、日本人だけが持つ速度感覚等を模索しており、最近はなるべく穏やかな速度で生活することに注力して居る。

 

と、この記事を書いている間、私はついさっき作成した(主にアフリカ近隣諸国の音楽を集めた)PlayListを何故か聴いている(笑)。
これがなかなか好いコレクションになったので、是非このブログの読者の皆様にもシェア頂ければ有難い❤️

 

 

Dream of Falling

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何度も何度も繰り返し見る悪夢。それは雲の隙間から遥か遠くの地上に向かって、急降下する夢。
しかも私は誰か、何者かの手の中を完全に転がされている。

体は完全に宙に浮いたまま、もう直ぐ落下して行く迄の数分間雲の上で停止する。いっそこのまま気を失ってしまいたいと願うも虚しく、私は覚醒したまま空中からどこにあるかも分からない陸地を見据えてる。

夫曰くそれが、転生直前に目的の母体を決める最終決断の瞬間ではないかと言う話。魂が空から一気に押し出され、誰かが決めた母なる肉体へと物凄い勢いで押し出されて行く瞬間の記憶…。

 

日常生活の中、ありふれた午後のテーブルを夫以外の誰かと挟んで向き合って、アイスコーヒーをストローですすりながらこんな話の出来る友人に、私は未だ巡り逢わない。至ってフツーの笑顔を浮かべ、ありきたりな話をずいずい進めて行く私は仮の姿、その瞬間だけ「普通の人」を演じているそれは偽りの顔でしかない。

何人かの友人や知人にティータイムのお誘いを頂くけれど、私はそれらの全てをお断りして居る。一言で言うと、どうしても今の私が抱えていること、アナザーワールドとこの世界を同時に生きて行く私を相手が心底理解してくれる気がしないから、誰かと会う度に「フツー」の仮面を逐一かぶり直すことに私は疲れ果ててしまった。

 

人と人は、一度出会った後はもうそれ以前に戻ることが出来ない。するとどんなことになって行くのだろう…。
最初は刺激が歓びを生み、虹色バラ色の浮遊感・多幸感に満たされる(相手が)が、次第に「慣れ」にそれは変わってしまう。やがて慣れは目の前の相手である私の粗探しへの欲求へと変化し、相手の悪いところを探してそれを矯正してあげよう…と言う偽善を生み出す。

 

あなただって同じ人間でしょう?

(その思いにはなぜか憎しみが籠もっている。私の才を相手は、自分の才と天秤に掛けて、ジャンルの異なる「優れた人」を豪語し始める。)

何度このセリフを言われただろう…。仮にそう相手が言わなくても心の中の声が私には全て聴こえて来る。
随分高飛車な人ね、たかだか音楽の才能だけが人よりちょっと進んでるだけでしょう?それが何だって言うの?みんな何かしらの才能を持って生まれているのだから、プラマイゼロでしょ(嘲笑)…。

 

この世界に使命を授かって何度も何度も生まれ直し、その使命を達成するまでしぶとく何百年・何千年も生き続け、古い記憶を全て保有している人はどのくらい居るのだろうか?
少なくとも私は未だそういう相手とは、夫以外誰とも会って居ない。

いつかそんな人が夫以外に、私の前に現れてくれるだろうか…。

 

先日、未だリアルでは全く逢ったことのない人と、私の音楽観について少しだけチャットで話をした。そう、ツムツム関連のグループチャットの中でのこと。

多くのミュージシャンは人気者になりたくて、音楽を始めたままやめられなくなる…。その結果音楽を仕事として成立させて行く過程で色々な境遇に振り回され、気付くと無謀な発注を黙々とこなすだけの専業作家になって居た…と言う話。

 

私は自己愛が殆どない。

━ 音楽活動や創作活動は、私にとって現世の修行みたいなもの。奉仕の精神で続けています。

そんな言葉がふと、気付いた時にはチャットのTLに乗っかって居た。意外にその相手はそんな私の、ともすると「コノヤロ!」と相手を奮い立たせそうな言葉をすんなりと受け入れてくれたのが、逆に私には意外だった。

 

私の直前の過去世はイタリア人だった。音楽家を目指す過程で料理に目覚め、気付くと料理人になる為の修行を積んで居た。
それは運命を司る「Brain」から見た場合には完全に「軌道を外れた状態」であり、ある日私はトスカーナの或る場所でトラックに撥ねられて命を落とす。

 

空を飛べない筈の私はその後、再び空の上に居た。それは丁度プールの飛び込み台の上に居るような状況に似て、真っ青な水面の在る場所には霞む陸地とそこで妊娠を控えた「母」の存在が在った。
私は「Brain」なる存在によってその母体に一気に押し込まれ、元々そこに居た未だ小さな弟を弾き飛ばした。

 

同じ悪夢を何度も何度も見る理由が分かった今でも、その悪夢に魘されて目が覚めた後の私の心臓はこれでもかと言う速さで波打っている。
ああ、又同じ夢を繰り返し彷徨ってしまったわ…。

 

今朝も私は、再び空の上に居た。

 

 

この記事を書きながら聴いていた今日のBGMは此方 ⇩

 

 

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