私が芸術家を貫く理由

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時々私は不思議なタイミングで、不思議としか言いようのない正夢を見る。これは昔々からのことで、未来に起こることがリアルに夢に現れる。
今週はそんな出来事が複数重なったけど、未来は概ね予想通りに進んで行くのでその予定に合わせて私は色々なことを準備することが出来る。

 

この一週間、様々な再会に恵まれた。一つは某グループを解散した方々のうちのお二人と、もう一つは20数年間同業者として活動はして来たものの余り会話等したことのなかった歌手と。

音楽は再び様々な縁を連れて来ようとしている。

 

カオスな音楽業界は益々混迷を深めて行く。多数の売れていたアイドルたちが崩れ落ち、一人また一人と商業音楽の世界を去って行く。
私もその昔は商業音楽の世界と夜の再演音楽の世界の二つを股にかけて生き抜いて来た一人。だが今はひたすら芸術家としての道を真っ直ぐに歩いて行く。そこには人っこ一人いないまっさらな道だけが前に前に続いており、前にも後ろにも信じられないくらいだ~れもいない。

 

時々風が吹いたり花粉が飛んで来たり、或いは森の精霊やあの世のさらに向こう側の存在たちからのメッセージが後頭部や背骨に舞い降りるだけで、生きている人々の世界に私はたった一人で音の道を進んでいる(夫を除き)。

 

 

私が「作曲家」でも「演奏家」でもなく、「芸術家」と言い続けることには理由がある。

 

質問の中で最も多いのが、「どこを拠点に演奏をしているのですか?」ともう一つ、「オーダーで作曲はしないのですか?」の二つ。
私は上記の両方を2011年、冬を機にやめた。

 

シンプルに説明するならば、私が芸術家でい続ける理由はとても簡単。

2016年にアルバム「Eden」のラスト曲、「Ragnarok」を録音する直前、私はそれが何であるかについて深く理解させられた。
インスピレーションは自発的なものもあるけれど、私の場合のそれは送信者が存在する。私を探し、私を見つけて繋がったことを確認した時に、相手は私の最も欲する物、私に最も必要なものを授けて与えてくれる。

私にとって作曲とはそういう作業。

 

その代わり、何も降りて来ない時期も多々ある。そんな時は曲を作ることをやめて練習や筋トレに徹し、音楽の代わりに料理を作る。

 

 

感覚が降りて来ない状態を素面で何年でも待てるようになった時、私は自分が真の芸術家になれたことを実感した。

それが2016年、「Ragnarok」を演奏する直前の感覚の中で花開いtがもの。送り手は紛れもない、宇宙の創造神こと クリエイションと言う存在だと確信している。

 

 

 

 

私にはいわゆるスポンサーが存在しない。勿論此方から懇願したこともないし、むしろオーダーによる作曲の依頼を今は断り続けている。勿論ケースバイケースだが、余程のことがない限り私は商業音楽の世界に携わることはなさそうだ。

 

オーダーWritingの多くはその時々の依頼者の気紛れにオーダー内容が揺れ動き、例えばバッハに「今回はショパンっぽくやっちゃって下さい。」と平気で言うし、或いは「次の作品はEXILE風にダンサブルなものをお願いします。」とも言って来る(笑)。
バッハがある日突然アマデウスや小室◯◯になってしまったら、バッハを愛する人たちは酷く困惑するだろうし、何よりバッハと言う作曲家に対する信頼も大きく失墜しかねない。

 

だがそれを作曲家にやらせるのが、いわゆる商業音楽の世界だと言うことを私は嫌と言う程知っているから、Didier Merahと言う魔物を私の中に共存させるようになってからはもう、その世界とは深く関わらぬよう細心の注意を払いながら今日に至る。

 

 

今週は本当に、幾つもの正夢を見た。その夢は同じ日の夕方に、私には知らせない形で現実になった。
一時は私をケモノのように言ったり思ったりしていた過去の仕事仲間たちの中に、一人、又一人とファンが増えている。最初は(名前が違うので)それが私の作品だとは気付かずにファンになるみたいだが、ある時それを私や誰かがカミングアウトしても彼等の中にファンをやめる人が居なくなった。

それはとても嬉しいこと。

 

 

Didier Merahは今年の秋で10周年を迎える。

特に大きなイベントの企画は立てていない。毎年とか一年おきに120分強のアルバムを作り続けているのだから、それだけでも大掛かりなイベントと言っても過言ではない。

 

静かに迎えた10周年。私は益々シュールな者々たちと関わりを深め、手を取り合い、何より最愛の夫の大きなサポートを得ながら「待つ」時間をのんびりと過ごし、次の作品に備えて既に準備は万端である。

 

 

 

海神の思い

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どんなに願っても、どれだけ祈っても叶わぬ思いがあるとしたら、人々はきっとそれに耐えることなど出来ないだろう。だが、そんな苦悩をじっと耐えて耐えて、長い年月の重みの底に生き続ける者、それがと言う存在ではないだろうか。

 

日本は南国の集中豪雨は今も止むことがない。幾つかの箇所にそれらは飛び火しながら、濁流の涙が大地の至るところから溢れ出す。その思いが本当はどこから始まり、どこへと向かっているのか‥。
私は耳を澄まして思いの始まりを追った。するとそれは日本の本州の最果てよりももっと先の、沖縄の海の底から来る重い唸り声のような、或いはかなしみを通り越した嘆きであることに気が付いた。

 

人間の世界には滅多にその姿を晒すことのない神々。だが彼等は遠い昔から、そうではなかった。

何度も思いを表し人々の暮らしに深く干渉した時代も長くあり、それは時に天変地異として地球に住む多くの生き物たちに襲い掛かることもあったと言う。
だが生き物たちはいつの世も薄情で、その時の苦しみがおさまると直ぐに苦悩を忘れ、欲と快楽に興じる暮らしに戻って行った。
その繰り返しをやめることの出来ない人間と言う生き物に対し、いつしか神々は愛想を尽かして行った。
※ここで言う「神」とはいわゆる、元 人間 のようないでたちのそれではなくもっと難解かつ慈愛深い自然神を指す。

 

昔、私が未だ今のような単独の演奏家や作曲家ではなく、人の声や歌の伴奏をしていた時代に何度か仕事で、沖縄の海上を飛行機で飛んだことがあった。私はその度に機上で酷い目眩と嘔吐に見舞われ、空港のベンチに倒れ込んだ。
とかくギリギリのタイムスケジュールで移動していたにも関わらず、私はその場から一歩も動けなくなり、現場担当者に連絡を入れて30分から1時間程空港のベンチや医務室のような場所で休息を摂り、体制を立て直して現場に向かったものだった。

 

当時はそれがただの疲労のせいだと思っていたし、何か元 人間の怨念のようなものが心身に貼り付いて起きた怪奇現象だと思い込んでいた。
だが、今回作品「Watatsumi」を生み出すに過程で私は、それらの記憶が大きな間違いだったと気付いた。

 

 

あれは神だ。

間違いなく沖縄の海底から私たちの世界を静観し、そして大きな嘆きの唸り声をあげる、それが自然神であることに私はようやく気が付いた。

 

神は泣いている。
それは丁度怒りと落胆の中間の、少し絶望の入り混じった嘆きに近い感覚。

私はそれを言葉で誰かに伝える手段を持たない。だから自らの心に届いた神の嘆きを、この作品に託して世に送り出した。
だがそれでも、作品を聴いている人たちに神の思いはなかなか届くことがなく、私は湧き出る黒い泡のような苛立ちを心に抱え込んだまま、数日間を過ごした。

 

 

最初は黙っていようと思った。私は音楽を送り出したのだから、そこに渦巻く経緯や物語は封印すべきだと心に念じて。
だが、神がそれを快く思わないことが、一日、又一日を経て段々と私の中で浮彫になって行く。どうしたものか。

 

これは怒りではないし、抗議の思いでもない。単純に辺野古の基地建設への反対の感情とも違う、もっと違う別の何かだった。

反抗期の息子に対し罰を与える母親は少ないが、どこかそんな感覚に近かった。
ただ見守ること、相手がそのことに気付くその瞬間まで、ただずっと‥。

 

沖縄に連なるサンゴ礁の一部が辺野古基地建設にともない、ゴッソリ削れている。その箇所に、海神が痛みを感じて泣いている。
耐えて耐えて、そしてとうとう痛みに耐えきれずに流した涙が、日本の南国の上空で大粒の尽きない涙となって溢れ出た。九州の集中豪雨を私は、こう解釈している。そしてこの解釈に対し、海神はただ静かに深く頷いた。

 

「Watatsumi」を聴いたリスナーからはいつにも増して、色々な称賛の声が届いている。だが私は今回に関しては、その声に納得していない。
勿論「音楽」と言うかたちで私が海神の思いをこの世に発信したのだから、それをどう受け取られても何も言うことなど出来ないのかもしれない。だが、「癒されました」‥ だけで終わって欲しくないと言う強い思いが遂に私の体をも突き抜けて、こうして私に文字を叩かせるに至った。

 

 

 

おそらく私に使命が備わっているとしたら、ただ‥ 作曲家として音楽を配信して行くことではなく、神々や自然神、そして宇宙神のような存在の意図や彼等の思いを音楽のかたちで着実に聴き手に送り届けることだと確信している。
その為に私が居て、他の音楽家とは一線を画した活動形態を維持していると言っても過言ではない。それを伴侶も常に応援し続けてくれているし、感覚の鋭い私のファンはそれを言葉にすることさえ叶わぬまま遠くから、私の活動を見守ってくれていることも私は知っている。
そんなファンの為にも今回、私はこの記事を書かずにはいられなかった。

 

Twitterのハッシュタグには #NoBase#Okinawa #普天間 …. 等を添えて、各々のツイートを繰り返していたが、私が声を上げるまで誰もそのことに触れては来なかった。

 

多くのリスナーが私の一連のピアノ作品を「癒し系」と決めてかかり、そう文脈が繋がるようなリプを寄せて来た。その状況に私も、そしておそらく海神も何か大きな違和感を感じ、遂にその苦悩と矛盾の水かさが一定量を超えた昨日、私は伴侶(Didier Merah Japanの社長)にその経緯と今の思いをブログに書いて発信しても良いかと訊くと二つ返事で「いいよ。」と許可してくれた。

 

怒りでも悲しみでもない、もっと別の何か。それは嘆きと落胆の中間にある、愛よりも深い愛。

そんな海神の思いが届けと祈りながら、最後に作品「Watatsumi」を載せてブログを閉じます。

 

記事の感想は是非、Twitter宛てに。
ハッシュタグ #ddmrtalk を付けて頂ければ、いち早く私の元に届きます。

 


Music by Didier Merah

Photo by yasushi uesugi / PIXTA

復活、そして祝福

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なかなか疲労が回復しない連休だった。もっと実のあることをする筈が結局殆どを休養に費やした四日間の最終日、シュールな出来事は起きた。
それをスピリチュアルだとか奇跡だと表現したら、どこかとても安っぽい程の私たちにとってそれはとても大きな出来事。

 

私の魂は幾つもの古い記憶を持っている。それらの多くは破壊的な終焉を迎えたままになっており、それが原因で私は多くの過去世をきっと棒に振ったに違いない。

そうやって「今」と言う時を呆気なく棒に振ってしまう生命は一人二人の問題ではなく、この世界に生まれた多くの命がそこに足を取られ、身動きが出来ないまま気付いた時には生を終えている。

 

喩えるならば「魂の睡眠不足」とでも言うような、私はもう長い間魂を休ませていない。やることが多すぎて、生まれても生まれても、何度生まれ変わっても仕事が追い付かない。

激務とはおそらくそういうことかもしれないと、最近になって少しずつ分かり始めている。

 

 

自分の魂が次にどの肉体に宿るべきか…。

生まれ変わりは必ずしも上手く行くことばかりではなく、私のように色々な業を背負い、それでも尚且つ時間通りに生まれ変わろうとすると目立った傷を持った体に魂が降りてしまう場合もある。

そのことで私は今世では長い時間苦労が絶えないが、それを払拭するような人との出会いに恵まれたし、容姿の欠損を別の仕事で埋め合わせようともがいて来た結果、長年夢に見続けた私だけの音楽に出会うことも叶った。

 

だが振り返ればその一つ一つのパーツが偶発的でもあり、そして奇跡でもあったと今だから思う。
そしてそれらの奇跡の後ろには、その奇跡が黒く汚れてしまうのではないかと思えるほどの多くの失敗・失態が隠れており、むしろそれらの痛みが私を奇跡へと向かわせた。

 

 

私の音楽には人間が存在しない。

そう、私は大の人間嫌いなのだ。だから人間以外の何者かを求め長い間彷徨うように生きて来たけれど、それではいけないと「彼」は声を大にした。

ここで言う「彼」が誰なのか。

そう、それは人間以外の誰かのこと。プライバシーがあることなのであえて名前は言わない。「彼」「彼の人」と呼ぶに留めたい。

 

私と「彼」とはもう、長いこと敵対関係にあった。今世で私はそのことを忘れていた。なぜならば私には「恨む」とか「憎む」と言う機能が薄く、要らない情報は直ぐに宇宙の彼方に飛ばして忘れることが出来る。
それが良いことか悪いことかはもう問わなくても好いだろう。

なぜならば私がそういうタイプの生命体だからこそ、昨夜の奇跡が起きたのだから。

 

 

この数年で私は、何度も死にかけている。その度に夫が色々処置を施してくれて、私はその力で今こうして生きている。

体の一箇所に不具合が起こる度にああでもない、こうでもない、もしかしたら‥ と不穏な想像を膨らませるのは私の悪い癖だが、流石に人間の寿命の半分を超えるとそういうことも考えるようになる。

 

だけど今回も何とか私自身回復の兆しが見えて来て、その度に料理のレパートリーが一個ずつ増えて行くのだから、私はきっととても幸せな生き物なんだと思っている。

 

 

多くを覗き込んではいけない。

人としてどう生きるべきかについて、ここからはそのことだけを考えなさい。

 

ざっくりまとめると「彼」からのメッセージはそれに尽きる。
それは「彼」自身が、よりシュールに、より偉大な存在に傾倒し心酔を深め過ぎたことから発した過ちと、深い後悔がもたらす言葉。

私もその影響で何度も死にかけたわけだから、普通の人間であれば自分をそんな目に遭わせた相手をそう簡単に許すことなどあってはならないのかもしれない。
だが、私には「彼」を憎むことなど出来ない。

 

 

復活を遂げた「彼」の魂はどこか赤ん坊のようで、澄んでみずみずしくて洗練されているように見えるが、その表皮は傷だらけだ。
その傷は「彼」自身がつけた傷でもあるし、「彼」が傾倒して行った過去の偉大な存在が彼に刻んだ傷のようにも見えて来る。

 

自分と同じ傷をけっして負わせまい‥。

「彼」の一言一言がその思いから成り立っており、そこに私は「彼」の大きな変化を感じた。

 

本来こういうことはブログに残すこととしてどうなのか… と言う迷いも生じたが、昨夜の出来事が私にとっても「彼」にとっても、そして勿論夫にとっても大きな出来事であることには違いないから、詳細を深堀りしない書き方でここにその記録を留めておきたい。

 

 

 

美しく、そして遠くまで…

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ただただ美しい世界が好き、それだけの思いでここまで生きて来れた。それは音楽にのみならず絵画や舞踏その他多種に及ぶが、だからと言って表層のみの美しさだけを追従しているわけではない。

 

韓流ドラマ「ファン・ジニ」の中に出て来る名セリフが、過去を超えて今の私の心を突き刺す。

表現とは常に痛み、かなしみと共に在る。

これはファン・ジニの恩師「ペンム」の言葉であるが、私はまさに今この年齢になったからこそ、その言葉の意味を深く深く噛みしめられるようになったのかもしれない。

 

好い音楽をどのようにしたらもっと強く、もっと甘く、そしてもっともっと遠くへ拡散することが出来るのか‥。色々なPlayListを作りながらそのことを強く思い、願い、気付くと私は自分の為だけではなく誰か、未だ出会ったことのない誰かの寂しさを埋められないかと真剣に考えながら音楽を並べていた。

 

多くの音楽家たちがパフォーマーと化し、どちらかと言うと自身の作品のリスナーやファンだけを粛々と増やそうと考えているように思うが、果たしてそれだけで彼等の思いは成就するのかともしも私に問われたら、迷わず「No!」と私は答えるだろう。

 
多くの木々が多種の木々と共存するからこそ美しい森が成り立つように、音楽も又そんな生き物の一つではないかと私は思う。単一の美しさは勿論だが、多種の作品たちが互いに互いを認め合い一つのPlayListの中で抱擁を重ね合いながら、それは益々強さと普遍の力を増して地上の電波を渡って行くことが可能になるのではないか…。
私はふと、そんな風に考える。

 

今世50数年を経て、ほぼ世界中のジャンルを網羅した。それは「ただ、聴いた」のではなく、全ての音楽を異ジャンルに重ね合わせ分析し、どの音楽理論の手法からも全てを検証する術を得た私。
私が作曲家・芸術家ではなく学者であったなら、おそらくその検証と理論体系の完成に一生を捧げたに違いない。
だが、今世の私にはその時間がない。

 

過去世の私 J.S.Bachがそうであったように私は少なくとも700曲から1,000曲の作品をこの世に残さねばならないだろうし、場合によっては完成された即興演奏を大勢の人たちの前で再現しなければならないだろう。
粛々と曲だけを作っていれば好いわけではなく、雑味のない即興が何か‥ と言う模範をこの世界に刻み付け、それを遺さなければならない。

 

そしてもう一つ、可能ならば「比較音楽学」のメソッドの欠片をこの世界に構築したい。
比較音楽学とは、クラシックからロック、ラテン音楽や中東、アフリカからケルト、中央アジア等に渡る全ての音楽理論を一箇所に統一させた、おそらく史上最も望まれ最も必要で、最も新しい音楽理論のことである。
私はそのメソッドを既に完成させているが、これを書物にまとめ論文化させるには一人の力では時間が足りな過ぎる‥笑。

 
ざっくりまとめて上記に記載した諸々が、私の今世のミッションだと思っている。

 

 

10年前私は、ようやくシャンソンとかカンツォーネの洞窟の音楽業界から飛び立ち、その反動で中東はトルコ、サウジアラビアからアフリカ辺りのモード音楽に激しく傾倒し、そればかりを聴いていた。

そんな中で突如夫と口論となったついでにあっと言う間に、Didier Merah Japanを夫がパソコン一つで立ち上げた。

中東の音楽ばかりを聴いていた私に夫が「何か録音してみようか…」と言ってレコーディングしたのが、あの「Blessing of the Light」だったのだから、夫も放心状態で苦笑するばかりだった。

 

 

私の中に既にケルトの感覚が生きており、おそらくそれは過去世の私に由来するものであろう‥と夫が突き止めた後から、私の中に眠っていた音楽が一気に開花して行くことになる‥。

 

 

この数日間若干体調を壊していた私。
今日もただ眠っているだけでいいよ‥ と夫はそう言って会社に出掛けて行ったが、私はなぜか室内の掃除を始め、少しだけ練習をしてそれから音楽を聴いていた。
ずっと寝ていなければならない程の体調不良ではないが、少々気がかりな状態が続いているので暫く様子を見て必要ならば病院で診療を受けようと、現在通院に負担にならないクリニックを色々検索している最中だ。

 

むしろずっと眠っているよりも音楽に触れている方が気持ちが楽になるので、暫くは無理のない範囲でこんな感じの生活が続くかもしれない。

 

さて、ようやく今日完成させたラテン・フレーバー豊富なPlayListが此方である。

 

 

是非是非シェア、フォロー、拡散ご自由に。
何より踊って聴いて楽しんで頂けたら有難い。

 

反面教師 – Mistaking Retouch

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私には決めていることがある。
それは、
その時々触れている音楽から曲を作らないこと、誰かの言葉からインスパイアされながら言葉を紡がないこと。
料理以外の殆どは「絶対にモノマネはしない」と、私は固く決めている。勿論自身のレコーディングの約一週間前から、殆どの音を体から削ぎ落とす。

そして今日は珍しく、ブログを書く為のBGMを聴いていない。
何もかもをゼロから作り出すことがどれほど難しいか、特に今朝は皮膚に幾千本もの針が刺さったみたいに痛感している。

 

知人と言うには少し遠いけれど事実上「知人」と言える、或る方(訳詞をなさっていた記憶がある)の詩集が巡り巡って私の手元に届いた。恐る恐るページを捲って行く。
そして私は幾ばくかの落胆を感じたがそれを共有する相手も居ないので、自分自身への記録としてここにそれを綴っている。

 

それはかつての自分を見るようでもあり、尚且つ既に手放してしまった「言葉綴り」をしていた頃の自分への戒めを振り返るようでもある瞬間。胸がチクんと痛んだが、それはさながら過去の手術の痛みを想い出すような、どこか遠い痛みにも思える。

 

一ページ、又一ページと捲り詩人の言葉を追い掛けて行くが、そこにはその詩人がかつて触れたことのある音楽や歌の歌詞が随所に垣間見えて、途中から訳詞集を読んでいるのかオリジナルの詩集を読んでいるのか見分けがつかなくなり、38頁目を捲りタイトルを見たところで本を閉じた。
そう言えば私のLINEのグループチャットの一つに、芸能関係者や出版関係者、或いはタレントやシンガーソングライター等の面々が顔を揃えたグループチャットがあり、私はその中の数名の仲の良い方々と時々会話をしている。
そんな私たちの中で最近流行っている言葉がある。

 

下っちゃってるね‥‥

 

⇧ これは例えば昨日その人が聴いた音楽がそのまま新曲のメロディーに乗ってしまったり、アレンジや歌詞の一部に流れ出てしまった状況を指す言葉。

 

そう、先程38頁目で閉じてしまった詩集が丁度こんな感じなのだけど、思えば巷の殆どの音楽や歌詞、流行歌に限らず世界中の音楽や絵画の殆どが、私から見ると「下っちゃった」状態なのだ。
だから最近自分の作品以外に聴きたい音楽が殆ど無くなってしまい、昨年私は9つ運営していたFacebook Page(主に各ジャンルの音楽を紹介する為のPage)のうちの6つのFacebook Pageを閉鎖した。

 

多くの音楽や詩や小説、文学作品に限らず絵画やファッションを含め、レタッチされた作品のように私の視界に映り込む。何を聴いても同じだし、イントロ詐欺かと思えるぐらい派手な前奏でデコられる張りぼての世界‥。

一見新しさを纏ってはいるが、それは数か月前にどこかで見たことのあるような代物が大半であり、どちらかと言うとそれらの作品の中に作者の強い承認欲求が溢れ出て気分が悪くなるので、最近私は各SNSの情報を迷うことなく整理し始めた。

 

自身の中に潜む「勿体ない精神」をかなぐり捨てて、要らないものは徹底的に自分自身から追い払って行く作業は、その対象にされた相手にとってはただ迷惑行為以外のなにものでもないだろう。
でも私にとってそれはとても重要な作業であり、知り合いだから、とか親しいから‥ と言う贔屓目線も全て手放しながら色々なものをゴッソリ整理して行くと、そこにポッカリと空いた空間は人の念の染みのようなものでベッタリと脂ぎって汚れが纏わり付いていた。
好きな本、大切にしたい書籍には必ずカバーをかけることに、私は決めている。私の手の中の詩集にもその小さな愛を施す予定でいたが、やめた。
藍色のブックカバーが涙のように見えて仕方がないのは、ある種の瞬時の過去のきらめきが現実に戻った瞬間の証し。それを私はありのままの現実として、そっとそっと、この胸の中に受け入れる。

 

 

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スッキリとした気分の中に少しだけむしゃくしゃ感が混ざり合う、情けない朝を払拭したかったので、今日初めてトライする八角とローリエをしっかり煮出したチャイを作ってこの記事を書いている。
最近「茶」ものにハマっているが、どうやら私はコーヒーよりも葉ものを駆使した飲み物を好む。コーヒーよりは紅茶派で、最近は緑茶を深めたい欲求をどうにか抑え込みながら生活している 笑。

茶にハマり込んだ人たちの多くが葉ものに浪費を惜しまない傾向が強いことは、Twitter等で痛い程よく知っているが、私は「葉ものの浪費家」になりたいわけではなく、自分でカスタムした美味しいお茶を家で飲みたいだけなのだ。

 

 

下っちゃってるね‥‥

 

「折り曲げ厳禁」と書かれた袋の中に仕舞い込んだ詩集の栞がふと、そうつぶやいた気がした。勿論そんなことはないと分かっているのに、書籍に挟んだ栞が空に向かって叫び続けているように思えて仕方がない。

 

私には決めていることがある。
それは、
その時々触れている音楽から曲を作らないこと、誰かの言葉からインスパイアされながら言葉を紡がないこと。

 

それは自分自身への戒律であると同時に、おそらく私が今後そのような手法で音楽を生み出すことはないであろう‥ と言う希望的観測を含んだ、私の掟。

 

 

カフェ巡り

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2018年11月3日、私は生誕54年目を迎えた。本当に無事にこの日を迎えられたことは奇跡のようでもあり、私の体(霊体含む)はボロボロの状況であることには変わりないが、幸い気力は上々だ。

 

誕生日を過ぎてから、母校の旧友(或いは同業者でもあった)の女性と今年新たに友人となった女性の二人、そして急遽予定変更で現れた大女優の三人の女性と逢瀬を楽しんだ。
各々の土地に普通にあるカフェやレストランを巡り、珍しく幾つかの女子会を堪能することが出来た。

 

カフェとひと口に言っても千差万別であり、奥が深い。

びっくりしたのは千歳烏山に在る南蛮茶館のケーキだった。名称をメモしておけば好かった…、ケーキの名前をド忘れしたが、アーモンドとラム酒をベースとした上品な味わいが口の奥で煙のように広がって行く様は、まるで淡いクリーム色の雲海を端から舐めて行くような高揚感をもたらしてくれた。
又、別の場所で頂いた金萱茶(きんせんちゃはどこかセイロンティーにも通ずる上品さを兼ねており、口の中でまだ見ぬ異国の香りを存分に放ってくれる。
Twitter等でお茶好きさんと絡むことが多々あったけれど、おそらく私は未だ本物の中国茶の味を知らなかったのだろう…。あの美味しさには、本当に心から感動した。

 

別の日。
急遽予定を変更して私の住む町まで足を運んで下さった女優Pさんとは、私自身も初めてのお店に向かったが、これは失敗だった(笑)。

私の中には「ランチに対する強い拘り」とか「食に対するポリシー」のようなものがあり、『ランチとは働き手のお腹をしっかり満たすことが何より重要な条件だ』と私は確信しているが、最近その条件を気持ち好く満たしてくれるお店が少なくなったように思う。

主役は店だったり店のオーナーだったり…で、客はさながらお店と言う空間を飾るデコレーションのような存在だと錯覚している経営者やオーナーが増えているような気がしてならない。
メインディッシュの分量が極端に少ないランチや、立地条件その他に見合わない価格を設定しているショップを多々見掛けるようになった。

 

要は、料理愛を感じられないオーナーが増えた、と言うことなのだろう…。

 

 

食は人生のベーシック。私にとっては音楽の次に大切なものだ。

勿論私は外食だけではなく、自宅で作る料理のレパートリーも着々と広げている。最近のマイブームは魯肉飯(ルーローハン)を始めとする、台湾料理の数々。
先にタピオカミルクやタピオカ・ココナッツミルク(温・冷)のレシピを完成させたことに端を発して、台湾屋台風焼きそば、そして先日魯肉飯のレシピのベースを完成させたところだ。

 

 

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前記事、及び前々の記事にも綴ったように、現在の私の体調は必ずしも万全とは言えない。両側奥歯2本が完全に折れているし、圧の影響でメンタル・気力(霊体含む)の回復がかなり遅れているので、日々の睡眠時間をかなり増やしながら体調回復に努めている。

だが、厄介な病気を発症していないことは幸運であり、睡眠で治せる間に昏々と眠ることで体調回復を図りたいと思っている。

 

そんな中、時々カフェ巡りで気晴らしをしながら、陽のあたるカフェの窓辺で読書や音楽鑑賞を楽しむ‥ そんな小さな幸福時間を大切にしたい。

 

 

 

My Season will come soon

 

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さながら枯葉のように燃え尽きながら、私は一足先にこの夏を彷徨い続けていた。
色々なことが立て続けに私の身に起きたが、それは他言の出来ない出来事ばかりで目まぐるしく私の生活を包囲した。

だが私には夫が付いている。私の身に起きる多々の悪しき出来事を彼は誰よりも早く察知し、そして確実に私を救い出してくれる。常に冷静で、尚且つ頼もしい人だ。

 

アルバム『Wa Jazz』が無事にリリースの時を迎えられたのも、彼が居てくれたからこそ、である。

今回『Wa Jazz』についての文字解説や音楽解説の補足は、一切出して居ない。音楽は説明書きで理解するのではなく、先ず感覚に降りて来るイメージをリスナーには大切にして頂きたいと言う、これも私の密かな願いであり意図でもあるとご理解頂ければ幸いだ。

 

冒頭にもお伝えした通りこの夏の私は悉く体調と気分の不調に見舞われ、殆どブログも書けずSNSにも余り顔を出せず、時折知人とこじんまりとメッセージのやり取りをする以外の多くの時間を眠って過ごした。

眠っている間の私にも、ミッションは付き纏う。むしろ眠っている間、感性が他の世界にスイッチしている時の私のリアリティーの方がとても強いと言っても過言ではないが、かと言ってそういう話を知人とは共有しないことに決めているので、このブログを書くタイミングも大幅に遅れてしまった。

 

Wa Jazz』を注意深く聴いて頂いている方々は既にお気づきだろうと思うが、これまで世界には一つと存在しない和の音楽の新しいかたちがあのアルバムの中で実現した。
日本人の音楽家として必ず為さなければならないこと、日本のモード、和声その他編曲面で、『Wa Jazz』の中に託された可能性は無限大である。

 

勿論アルバム全体には一つのストーリーが流れているが、それは文字で補足するよりもリスナー各々の中に降りて来る映像やインスピレーションに委ねたい。

 

 

溶け落ちるような夏がもう直ぐ終わり、やがて私の季節がやって来る。
それまでの時間をこれまでよりももっと静かに厳かに、そして慎重に過ごして行きたいと今強く願って止まない。