Eternal Pain – 2020 Spring

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2020年、春。今年の桜の木々や花々の嘆きを、私は一生忘れないと思います。

 

こんな写真を投稿したら「何暢気に写真など撮っているのですか?!」と読者からお叱りを受けそうですが、これは重装備をした上で誰もいない公園を選んで静かに撮影した中の一枚です。
周囲には誰一人いなくて、折角咲いた桜の花たちがそのお披露目の終わりを感じてひしひしと私に訴えて来たので、本当に短い時間の中で余り調整もせずに撮りました。

なのでPCでよく見るとピントが合っていませんけれど、彼女たちの必死の思いだけは確かに伝えられるのではないでしょうか‥。

 

2011年の3月11日から10年も経たないうちに、世界中がこんな危機的な状況に見舞われること等誰が予測したでしょうか‥。
いえ、予測したとか予言したとか言う人が本当に居るのであれば、もっと早期にその具体的な話がネット上に上がって来たことでしょう。それ程人間の予測とか予言などと言うものは、遊びと夢の境界線を彷徨うままごとのような領域を超えていないのです。
でも、それは致し方のない事。私でさえ2011年3月11日から遡ること半年前にその不確かな予兆を感じていたにも関わらず、それは前代未聞の出来事だったので理解すら出来ぬままその日を迎えたのですから。

 
でも、神様たちは確かに、私たちにその前兆を感じて信号や暗号を送って来たと思います。

 

世界が混乱を来す中、それでも私は何とか平常心を維持しながら創作活動を続けています。

そう、確か2011年3月のあの頃、スタジオジブリでも同じような状況があったと記憶しています。彼等は映画の制作の手を休めることなく、仕事を継続していました。その状況がネットやSNS等で酷い誹謗中傷の火種となり、厭と言う程非難された事が思い出されます。

私もあの時は言葉にはしなかったものの、非難をする側の心境にありましたが、今私はジブリの当時の社員たちと同じ行動を取っています。

 

創作家・芸術家はこのような時にも、けっしてその手を止めてはいけないのだと思います。

なぜならば起きることの全てが歴史の一部であり、創作家自身の人生の一部だからです。喜怒哀楽全てを含めた創作が、即ち芸術なのですから。いいとこばかりを前面に押し出すだけでは、作品としての深みを増すことが出来ません。

 

この記事のタイトル「Eternal Pain」、私は既にこのタイトルの曲を前アルバム「Mother Earth」の中で描いていました。こんな瞬間が来ないように本当に強く願い、祈りながら演奏した作品でしたが、神様はそんな小さな願いを聴き入れることなく人類に大きな課題を提示して来たように感じます。

生き残るべき人間と、そうではない人間とに、神様は大きな篩を回しながらその選択の時に入ったのかもしれません。

 

 

Twitterにも綴ったのですが、神様が思う「生き残るべき人間」とは即ち、人間が本来あるべき感覚を研ぎ澄ませ生き抜く為の仕事を怠らず、危機意識能力に長けた種と言うことになるように感じます。

穿った伝わり方をしてはいけないので言葉をかなり選ぶ記述になりますが、おそらくそういう事だと思います。

 

音楽家で言えば、これは私が長年危惧して来たこととも重なりますが、必要にて最低限の音のエッセンスを着実に生み出して届けられる人と言うことになります。
勿論現代音楽や破壊的な音楽は上記のカテゴリーには入りません。人が穏やかにそれを受け止め、そして普遍的に理解されるエッセンスだけが、この地上に留まり続けることが出来るのです。

そうしたメロディーのエッセンスを定期的に、そして継続して生み出し続けるには、オーソドックスな基礎教育を受ける事が必須であり、そうなれば今売れている音楽家や作曲家たちの大半がその条件に当てはまらないことになります。

こんな記事を書いたら四方八方に多くの敵を作ることになると分かってはいますが、それが厳しい試練であり、音楽家が音楽家として、芸術家が芸術家として生き残る為のベーシックな条件なのです。

 

かつての多くの同業者たちが今苦境に立たされていますが、ベースが間違っているからこういうことになってしまったのかもしれません。
所詮コピー音楽と呼ばれるものを作者に無断で再演して糧を得る ⇦ この考え方が間違っているのです。
ミュージシャン、音楽家と言う肩書で糧を得るならば、最低限自分自身で作り出した素材で糧を得るべきなのですから。

その意味で私はライブ系ミュージシャンの多くの方々の苦境や苦情に対しては、一切共感も同情もしていません。これまでモノマネ音楽でお金を得て生きて来られたことの方が偶然であり、奇跡であっただけで、それが当たり前で正しい行為とは到底言い難いからです。

 

私はメディアには一切の露出をせず、それもこれも作品のクオリティーを維持する為には必須の事だと思って覚悟を決めて今日に至ります。
何より私の信条は、「私の死後でも誰でも扱えるシンプルで普遍的なメロディーを確実にこの星に刻むこと」なので、その一点だけを目指して今後も多くの作品をコンスタントに産み続けて行きたいと思っています。

 

 

 

言葉の威力と自然神の怒り

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アルバム『World of Nature』の制作を余り先延ばしに出来ないと私が感じた理由が何だったのかは、正直よく分からない。でも今、世界の状況を見渡してみる限り、理由は不鮮明ながら私のカンがあながち的外れではなかったことに、ただただ愕然とするばかりだ。

 

当面の期間、期間無制限でスピリチュアルな物事やサークル、その種の話題から完全に遠ざかるつもりでその旨Twitterにも発信したにも関わらず、それを最も許さないのが私の思う神々たちだったのかもしれない。
分かる人が言葉を放ち、分からない人たちの蓋になる‥。

その大切さは重々認識していたが、なにせ私は音楽家であり表現者である。宗教や政治等の領域からは遠く離れて黙々ともの作りに集中することが今は重要だと考えたが、その考えはもしかすると間違っていたのかもしれない。

 

夫、天野 玄斎の今朝のTwitterに、私は心から共感した。

 

 

霊質科学と言う言葉、そしてスピリチュアルの分かる科学者がこの地上に存在しないと言う点では、もしかするとあの、リラ星の自滅の時と何等変わっていない。

これを音楽家或いは芸術家に当てはめてみると、今私がやるべき事の神髄に突き当たる。
かつての仕事を辞める直前に同業者から言われた言葉が、ふと脳裏を過る。

 

ピアニストは黙ってピアノだけ弾いていればいいんだよ。余計なことを話すからおかしなことになる。

 

最近になって私は、あくまで音楽家、芸術家としての言葉を発信し始めた。それはあくまでDidier Merahが他の音楽家たちと何が異なるのかと言う、ほんの自身分析の為の始まりだったが、こうして色々過去の私自身の活動等と合わせて振り返ってみると、夫のつぶやきの視点で音楽活動をガチで行っている専門家はおそらく一人も存在しないと言っても過言ではない。

 

新型肺炎がこれまでの肺炎と異なる一つの特徴は、以下の二点に集約される。

①潜伏期間が長いこと。
②発症してから容体が激変すること。
③一度完治した後に再検査を受けた時に、再度陽性反応が出ることがある。
④これまでの肺炎と異なり、両方の肺に炎症が拡がること。

 
注目すべきはであり、現在国内では人口呼吸器の数が足りないことや、症状が出ていない人への検査拒否が多発していること等、不安材料は尽きない。

 

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前置きがとても長くなってしまったが、ここからがむしろこのブログ記事の本題である。

 

地球は今、皆があれだけ望んで口にしていたアセンションを実行に移し始めようとしている。これはとても危険で恐れていることであり、多くのスピリチュアル界隈の人たちが「アセンションすると光の体を得る」とか、「アセンションすると次元上昇した世界へ移行できる」等と語っているが、これは嘘である。
現に私がリラ星に巫女として生きていた時にも同様のニュアンスのことが方々で囁かれ、多くの星の住人たちがアセンションと言う死をそうと知らずに願って祈り、最終的にリラ星が自爆する結末を迎えた。

 

あの時リラから逃げた人々の大半が逃げ延びることが叶わず、星の爆風の巻き添えになって天空に散って行った。その時の魂の一部は今もそのままの思いを持って生きており、時折この世界に出没して私たち人類や地球のスピリットに直接話し掛けて来ることがある。

そんな折、もうかれこれ20年近く前からアセンション、アセンション‥ と呪文でも唱えるように多くのスピ系の人たちがその言葉を真剣に唱え始めた為に、その悪しき祈りが無事に地球のスピリットの核に届いたと言っても過言ではないだろう。

 

何より恐れていることは、自然神が実在し、そうした人間の思いに「そこまで言うなら」と言って応えようとしている現象である。

だからと言って、私に一体何が出来るだろう。
今の私に出来ることがあるとしたら、先ず私の音楽の聴き方を変えるガイドを提示すること。だから私はこうして、一度は離れると言ったスピリチュアルな発信をする立場に戻って来ざるを得なくなったが、この流れを疎んだり悔んだりはしていない。

 

仮に私の放つ言葉に刃を向ける方々がおられるのだとしたら、その方々が何をどこまで視通しているのかを具体的にお伺いしたいぐらいである(おそらく見通していることなど無いだろう‥ と言うことを分かって書いている)。

 

さて、近日中に公開予定のDidier Merahのアルバム『World of Nature』であるが、これまで私の作品集を聴いて「よく眠れました」とか「癒し系ですね」等と言う固定概念を持って接している多くのリスナーの、眠った感覚を一旦破壊する為にも、HPとYouTubeのトーク番組に音楽解説の特集をぶつけて行く予定で現在、準備を進めている。

 

だがなにせ私も夫も、こんな時期だからこそ無理が効かない。なので十分な休養を摂りながらの作業となる見通しで、当初予定していたリリースのタイミングを大きく逸してしまいそうである。
だが、この記事の冒頭でも述べたように、私は「スピリチュアルが分かる数少ない音楽家」としての役目を果たすべく、今回は私の視たこと、聞いたことを含む多くの情報をアルバムの音楽解説に乗せて発信して行く必要を強く感じている。

 
その記述や記録はけっして先行き明るい内容ではない、と言うことを付け添えて、このブログの記事をしめくくりたいと思う。

 

 

大地の声

 

 

 

 

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ニューアルバム『World Of Nature』(今春リリース予定)のレコーディングも間もなく大詰めを迎えます。それにともない、暫くの間YouTubeトーク番組『Didier Merah Talk』及び各サブスクリプションでのPlay Listの作成をお休みさせて頂いております。

今はただ、目の前の色々な課題に集中し、その一つ一つを丁寧に消化して行くこと。そのことだけを考えて生きています。

 

アルバムの要 『Volcano』 を録音した時は、これまでにない緊張と重圧に見舞われました。
毎回毎回のレコーディングには必然的にシュールな経験が伴い、それがとどまる事はこれまで一度もありませんでした。毎回毎回がスピリチュアルな何者かとの戦いであり、特に私の創作活動は「未だ見ぬ感覚をこの世界でリスナーと共有すること」に焦点を当てている為、その妨害圧が必ず発生します。

 

今回のアルバムは出足からその状態が続いており、私が動くと大地が動きどこかが揺れて燃える‥、そんな状況が繰り返し起きています。勿論私は大掛かりな預言みたいなことをする気は全く無いのですが、結果的にそうなって行く‥ と表現した方が現実に近いのかもしれません。

 

日々、神人共食を繰り返している中で感覚の回線だけが密に力を増している事も又事実ですが、だからと言って私一人の力などたかが知れています。なので、どこかで何かがあるかもしれない‥ 等と言ったところで誰一人私には守ることも出来ません。
だったらそれを言葉にして発信するよりも音楽と言う他の手法に代えて、一人でも多くのシュールな感覚を開けて行くことに注力した方が良いのでは‥。最近そう考えるようになりました。

 

ここ最近、日々のヴォイスレターの代わりにツイキャスを使って、私のありのままの思いを発信しています。Twitterに余り馴染のない方には少し遠いツールのように感じられるかもしれませんが、今の私にとってはとても手軽でライトに自分発信の出来る、本当に便利なツールだと思っています。
概ね二日から三日に一度は配信して行こうと決めて、先程も少し長めの配信を終えたところです。

 

 

売り物の少ないわたくし、色々と日々のことを切り詰めて何とか生きています。
なので色々と考えた結果、ツイキャスのアーカイヴを二日間だけ残した後一旦アーカイヴを削除して、SNS note から有料で販売して行くことにしました。

概ね200円から300円前後の価格設定ですので、皆様よろしかったら是非購読・応援等よろしくお願い致します。

 

サブスクリプション推しをしている為、最近経年劣化で壊れてしまったオーディオ機器の買い替え等が出来ない状況に追い込まれています。
Amazonの「Didier Merahの欲しいものリスト」に色々欲しいものをアップしています。商品を選んで「送り先」を「Didier Merah」に設定して頂くと、私に届くようになっています。
恩返しは全て音楽、そして時々コミュニケーションにてさせて頂くことに決めています。この世界で未だ誰も聴いたことのない音楽や世界観を、Didier Merahが粛々と発信して行きますので、何卒諸々応援頂けると有難いです。

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さて、ここからあらためてのラストスパート。気合いを入れて頑張って行きたいと思います。

 

 

意思を貫くこと

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外側に活動を全く出さない日にも私の身には、常に色々な出来事が降り掛かる。良い出来事もあればそうではないことも含め、全てが自分の創作活動の糧になって行くと、最近は感情をセーヴすることがかなり出来るようになったかもしれない。

 

この数日間、と言うか常に…、私にはルックダウンが付いて回る。芸術家っぽくないいでたち、振る舞い、そして持って生まれたお人好しな性格が吉と出る時もあれば凶と出る日もあり、なるべく感情に落とし込まないようこれでもかなり努力はしているものの、やはりその日の波の悪いところにその出来事が挟まってしまった場合にはかなり気が滅入る。

 

そんな時の為に音楽があるじゃないの‥。

ふと、そんな天の声が木霊のようにリビングに響き渡るが、案外そうとも言い切れないところが苦しいところでもある。

 

 

芸術家って何よ?! 皆、同じ人間でしょ?!

最近よく言われる一言ではあるが、個人的にはこれは大きな間違いだと私は思っている。
人間、同じなどと言う事はない。その人の持って生まれた「格」のようなものが横一列である筈はなく、私はそうした事に対してはしっかりと線引きをし、差別すべきだと思っている。
本来ひと目見れば分かる物事が、全く通じない人がいる。或いは相手はその旨分かっており理解もしているのに、絶対にそれを受け入れようとせず、こちら側に向かってマウントして来る事の方が多いかもしれない。

 

一旦マウントが始まった場合には、相手が勝つか此方が勝ち抜けるか何れか一つしか生き残る道はない。そうなった時私は、相手のマウントには絶対に動じない、相手を完全に遣り込めるまで戦いの手を緩めたりはしないと決めている。

その結果、常に私には別れが付き纏う。

 

多くはとてもつまらない戦いに終始する。

相手の心情の中には常に、「皆、同じ人間でしょ?! 対等でしょ?!」と言う愚痴のような嘆きが響き渡り、私も同じく「人間、皆同じなわけないですよ。少なくとも物を生み出す人間や、イマジネーションやインスピレーションに真摯に向き合っている人は絶対的にリスペクトの対象となるべきです。」と言って返す。

 

恩師が昔放った言葉を常に思い浮かべる。

━ 良い師を見つけるのは、優れた弟子だけです。

━ そしてそのような優れた才能を持つ弟子を千人の児童の中から見抜けるのも又、優れた師だけなのです。

 
私には常に、良い師との巡り合わせがあり、その点では本当に恵まれていると思う。それは過去世でも同様で、それらの記憶を全て喪失することなく今世に生まれ落ちたことも含め、私はかなりツイているように思う。

勿論その最たる人は、今の夫である。

一見普通の人間の皮をかぶった普通の人に見えなくもないが、私にとって彼は全く違う種の人であり、ともすると人間に見えない瞬間も多々ある。

 

そんな夫の活動を私も又音楽活動で支え、サポートして行く為にも私は、自身の格を絶対に貶めるような言動を取るべきではないし、実際に此方の格や気質を下んじる相手に対しては徹底抗戦しなければいけないとも思っている。

 

仮にそのことで多くを敵に回したとしても、私は構わない。
秀でた人間は秀でた相手と関わるべきであり、私はその筋だけは曲げずにこれからも生きて行こうと思っている。

 

 

 
⇧ 2019年のクリスマスの為に私が作ったSpotifyのPlayListです。
宜しかったら是非、シェア、フォロー等してガンガン聴いて下さい🎧

 

サードアイ

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早朝に目が覚めたまま眠れなくなり、そのまま起きてぼんやりスマホを見ながらチャットやTwitterを楽しんでいた。ふと、頭上から誰かの声を拾ったような錯覚に陥ったが、数時間後に控えていた歯の治療の事で頭がいっぱいで、その声の主について余り深く考えないままアラームの残り時間ぎりぎりまで睡眠を摂ることにした。

 

歯の治療の日はいつも憂鬱で、前の夜から気持ちがざわついて落ち着かなくなる。特に痛みがあるわけではないと頭では理解してはいるが、もしかすると不意に神経に治療器具が当たって痛みがあるのではないか… 等と余計なことを考えると、なおさら深い不安に苛まれる。

 

数年前の治療中に一度だけ、予想もしないタイミングで治療器具が神経に当たって電気ショックにでも打たれたような激痛に悶え苦しんだ経験が、今でも深いトラウマとなったまま私の記憶の真ん中に突き刺さって思い出と化している。

だが実際に治療に行ってみると、不安で不安で仕方がなかった前日前夜のことが嘘のように、治療は呆気なく終わって行く。…その繰り返しが何年間も続き、今日に至る。

 

今日も治療は順調で、ドクターでさえ治るか治らないか予想のつかなかった箇所の患部の状態が劇的に改善し、ようやく神経の治療を終えて上を塞ぎ、次回はその先の治療に無事進む段取りに。

 

 

一旦帰宅し、今日のランチは自宅で何か作る予定でいたのだが、或る場所に呼ばれて本当に美味しいまかない飯を頂いた。

勿論まかない飯が美味しいことは言うまでもないが、私はそのお店のママの素顔を今日、初めて見たような心地好い錯覚に陥ったまま数時間が経過している。

 

その女性の写真を夫に見せたことがあったが、その時夫は「この人、開いているよね…。」とつぶやいた。その時のことがずっとあれから頭から離れず、一度私自身で女性の感覚にそっと侵入してみようと思っていたところだった。

今日がその時だったのかもしれない。

 

お店は比較的空いていて、女性に『ピアノのお姉さん、ナニ食ベル~?』と訊かれたので、私はいつもそこで食べたことのない豚肉のフードをオーダーすると、すかさず(多分私の為に作ってくれたであろう)牛肉の炒めものを前菜代わりに持って来た。
名前もない、メニューにもないフードでそれはそれは本当に美味しいお肉だった。

 

ママはいつも自信なさげに「どう?」と私に訊いて来るが、私の返事は決まっていた。

『美~味し~いっ!!!』

それ以外に返す言葉なんて、あるわけないでしょう?笑。

 

本来メニューにはない「温かいコーヒー」がテーブルに運ばれて来ると、ママが珍しく客用のシートに座って思い出話を始めた。

最近調子の好くない我が家のうさぎのことを気遣って尋ねてくれて、それに私が少しだけ答えを返した時にママが、「どんな生き物にだってみ~んな伝わるのよ、思いはね。」とカタコトの日本語で目ヂカラを込めて囁いた。
私は思わずママの額の真ん中にある第三の目を見付け、そして完全にお互いの第三の目と第三の目がぶつかり合った。

 

不意に先日夫がつぶやいた、「この人、開いているよね…。」と言う声が脳裏に響き渡った。彼女は次第に第三の目だけで会話を始め、私たちは直ぐに言葉を失った。その間、繊細なテレパシーととてもデリケートなふたつの心の声が、まるで今日の雨のようにそっと私たちを包み込んだ。

 

ママは最近会えなくなった人たちの思い出や、認知症とかアルツハイマーとかその他複合的な病気で長期入院している御主人のお義母様の話等を、止まることなく一気に話し始めた。

どんなに意識が遠のいた人でも、その人が待ち続けている相手の存在を感じるといきなり夢から醒めたように体が動き始めたり、いきなり(それまで何カ月間も意識が朦朧としていたにも関わらず)喋り始めた人のことを、彼女は美しい笑みをたたえて一気に話して行く。

 

もう私とママは店員と客の一線を、完全に超えてしまったと感じた。色々な事情でそうそう頻繁には通えないそのお店に最近私は、まるで重要な客人或いは家族か親戚のように度々招かれ、まかない飯を盛り沢山頂いて彼等にしか分からない会話の輪の中に混じり、大声で笑ってひたすら食べて帰途につく。

幸せな時間はいつも一瞬にして過ぎて行き、その度に私は、世界から時間が消えてしまえばいいのに… と軽く舌打ちしながら、ぎゅっと唇を結んで自転車を漕ぎ出す。

 

 

帰宅してから本当は別の仕事をする予定だったが、どうしても今日のことをそっと記録しておきたくなり、このページに書いておくことにした。

 

この記事を聴きながら聴いていた作品は、コチラ ⇩

 

 

私をカフェに連れてって

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2019年11月3日、私は遂に55歳になった。ここに辿り着くまで本当に色々あった。
誕生日当日の私は想像以上にコンディションを崩してしまい、予定していた温泉+焼き肉パーティーのうちの温泉だけを堪能し、一旦撤収して帰宅した。

どうにもこうにも気持ちがオチ込んでしまい、顔も心も強張ったままどうすることも出来ない状況だった。折角夫が好い企画を立てて当日を迎えたのに、温泉に浸かっている最中から心がネガティブに向かっていた理由が一体何だったのか、結局それは分からずじまいのまま翌日まで眠り続け、翌朝の晴れ渡った空を見たら一気に気持ちも晴れて行った。

よし、これなら焼き肉行けそうだわ… と思い、油断をしないよう夕方まで滾々と眠り続け起床したら一気にシャワーを浴びて現地に向かった。

 
焼き肉パーティーはこじんまりと、でも私たち夫婦にとっては盛大に行った。カルビやホルモン、ロースやタン等を夫が丁寧に焼いて行く。頃合いを見計らって夫が「そろそろいいかな。」と言い終わらぬうちにそれらを、まるで祈るように口の中に押し込んで行く私。

そう、私は世が世ならば姫なので、こういう時は全部夫にやって貰うのだ(笑)。遠くファン・ジニの頃から私は、食事の支度やお風呂、外出の支度の一切合切を男性の付き人に全てやって貰っていた。それが自然であり、私はただシンプルに「姫」としての振る舞いや芸事だけに集中して行く、そんな人生を何度か送って来たような気がする。

 

 

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ずっと封印していたトーク番組を、ようやく再開した。
音楽は今、まさに受難の時を迎えている。CDの時代を引きずっているのは日本その他の一部の音楽に疎い文化圏の国だけであり、世界中がサブスクリプションの時代に突入している。
それまで一人一枚ずつ手売りしていたCDから、リスナーが各々月額定額制の音楽アプリの利用に積極的になり、CDと言う収入減が一気に衰退している昨今。

我が家は夫のサラリーだけで全ての私の活動資金をまかなっており、それもいつかはそのままでは居られないタイミングを迎えるだろうと言う予測から私も、無言で音楽だけを配信している場合ではない… と言う危機感を募らせ、泣く泣く余り得意ではないトーク番組に着手することになった。

 

数十年前、日本ではない某所で小さなラジオ番組を任されていた時代もあったけどカンは鈍るもので、そこに私の「裂」の口腔外科的な障害も相まって、番組の収録を何度も何度もやり直しては動画を削除した、…その繰り返しの中で私も心身消耗し、夫と口論になる場面も度々あった。

焦りだけが溜まって行く中で、私の中のふとした勘違いに気付いたり、知人からの「アドバイスと言う名のケチ」を精神的に振り払うのに膨大なエネルギーを消費した。そしてある晩夫と夜通し会話を重ねるうちに、Didier Merahとしての、今ある私に一番相応しい番組のテーマに辿り着く。

 

それが此方 ⇩

 

 
勿論私はアナウンサーではないし、滝川クリステルのように話せるわけではないから、もうそういう間違ったこだわりは全部捨てて、今私に出来る発音の範囲で快活に番組が作れればいいわ… と言う境地にようやく到達することが出来た。

サブスクリプションとは「月額登録制で数千・数万曲を聴き倒せる音楽アプリ」のことで、私はDeezerやSpotify、Apple Music等、数種類の定額聴き放題系のサブスクリプションを利用している。
ま、その辺りの話は上のYouTube番組の中で。

 

Didier Merahの活動が段々佳境に入って来ると、時々ガチで家を出て羽根を伸ばして寛ぎたい衝動に襲われる。最近その頻度が増して来ている気がするが、我が家は本当に慎ましい音楽活動を余儀なくされおり(企業スポンサーをつけていない点、その他サブスクリプションのリスナーが増えて来た為マネタイズが難しくなっている…等の理由で)、以前私がシャンソンやカンツォーネの伴奏の外仕事をしていた時代に比べると収入はおそらく1/4ぐらいにまで激減したのではないかと思う。

その中で、それでも芸術性・音楽性を最優先で創作活動を続けて行かなければならないので、ポケットマネーでカフェに行けるのは月に数回と言うところだろう。
最近は人と会うことがめっきり減ってしまい(人と話が全然合わなくなってしまった為)、ほぼ自宅に引き籠ったまま日々の買い物の時だけ街に出て、買い物を済ませたら直帰で自宅に帰る、そんな生活が続いている。

それでもこうして生きているだけで、何とか人生の豊かさを感じるよう、最近の私は空想癖に拍車が掛かっているような気がしてならない。

 

アウトプットだけを続けていると、どこかで急激にインプットが必要になる、これは生き物の習性なのだろう。私も今、インプットを心から欲しているので、誰か私を美味しい街のカフェに誘って頂けると有難い。
勿論私は伴奏業をやめた後殆ど自宅で仕事をしているので、メイク道具も無ければ着て行く洋服も殆ど買っていない。未だに20年前のニットを着続けており、洋服はどこか穴でも開かない限り着続けるしかない状況だ(笑)。
苦労は売らないのが私の主義。でも時々こうして苦労を口にしないとファンの皆さんはなかなか分かって下さらないので、今日は恥ずかしながらこうして日々の苦労のネタばらしに踏み切ってみたけど、私は至って健康で元気です。

 

さ、次の『Didier Merah Talk』の原稿書きの続きをやらなければ‼

 

家族のように

 

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昨日午後あたりから急に気持ちも体調も落ち込んで、結局夕食も摂らずに朝まで深い眠りの中に居た。
早朝夫にバナナミルクを作って彼を会社に送り出した後、何となく喉が痛むので何度も何度もうがいをして日課の練習に入った。
練習が終わり、静かに水を飲む。最近は兎に角水を頻繁に飲むようになり、それが私の第二の持病の悪化をかなり防いでくれていることに気付いてからは、何をする前にも後にも必ず水を飲むようになった。

 

ランチをどうしようかと思っていると5駅向こう側からLINEで連絡があり、例の試食会をするから来てよ‥ とカタコトの日本語でヴォイスが残っていた。行こうかどうしようか少し迷ったが、こういう時にはむしろスパイス系を摂取した方が好いと思い、サクっとシャワーを浴びて駅まで歩き電車に乗った。

向かうはタイ料理店。

 

出されたものは何と、ソムタムと言う青パパイヤのサラダからタイ風スープ、そしてバッタイ未満の残った麺をタイ風に味付けして炒めたもの、その他色々。
ぶっちゃけた話、店舗の定食よりも多分豪華なまかない食で、店員以外の客人は私だけだった。家族のように迎え入れられた気分で、お腹も心も一杯になった。

 

タイではね、生野菜も手でボリボリ食べるよー。

 

ママの大きくて愛くるしくてパワフルな、声の解説が付いて来る。この店ではこうしてランチ後の休憩中に、スタッフがテーブルを囲んで家族のようにご飯を頂くのだとか。

 

お姉さんも家族よー。いっぱい食べてってねー。

 

何だか異国の母親を見つけたような気持ちになり、何度も何度もお料理に、ママに、そしてスタッフの方々に手を合わせ感謝の意思表示を続けた。
幸せな気持ちだった。

 

帰宅後、練習第二ラウンドを軽くこなし、刑事ドラマ「相棒」を観たら少し休もうと思いながらこの記事を書き始め、現在に至る。
そろそろ休もうと思う。