陽の光と目覚めと

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来る日も来る日もCOVID―19の話題ばかりで、その上関東は全般的に雨季の真っただ中にあるので、わけもなく毎日塞ぎ込んでいます。
普段はフルオープンの私のアンテナが、ここのところ何者かの大きな手のひらで抑え込まれたようにミュートして、眠っても眠っても際限なく眠い日が続いています。

 

昨晩も予定していた夕食を結局抜いてしまい、朝まで滾々と眠り続けた私。ですが今日は早朝にマイケル君の定期検診を控えていたので、兎に角寝過ごさないように‥ 用心しながらうつらうつらしていたら何だか時間が勿体なくなってしまって、夫の出社を見届けた直後から洗濯機を3回も回して未だ今も、マスクをまとめて洗っています。

 

久し振りの太陽は昨日から、私と反対に目が覚めたみたいに都会を照らし始めました。今日は幾分雲が多いものの、タオルが2時間強で乾くぐらいの日の光が新鮮です。
夏が近くまで来ているのかもしれません。

 

 

作曲の作業を再開しました。

唐突に自分の音を追い掛けたくなったのも、長い眠りで気持ちがリセット出来たからかもしれません。後から後から湧き上がる音をメモに書き取って行くのですが、その中でも2分で退色してしまうメロディーもあれば、二週間前に書いたメロディーが新しい魂を吹き込んだように蘇生することもあります。

 

このコロナ禍と長い雨季がダブルパンチで人の棲む世界を押し潰している中で、なかなか新しい作曲に着手出来ずに居たのですが、本当にパ~~っと目の前に百万のハイビスカスの花が一斉に開花したような目覚めを感じています。

誰かが私を助けてくれているのを感じます。ここで言う「誰か」、とは人ではなく、それ以外の存在の意味です。

 

今年の前半だけで、幾つもの人との別れを経験しています。知人も居れば有名人も居たり、皆生き急ぐようにこの世を旅立って行きますね…。

私の場合は「失う」別れよりも、自らの手で鎖を噛みちぎるような別れの方が多いでしょうか…。理由詳細は色んなSNSで綴っていますので、ここでは省略します。

 
皆様が思うより、私は神経質で気位が高い人間です。
最近は理由もなく人に気を遣うことにうんざりしてしまい、それまでは余り深く考えずに無意識に遣って(遣わされていた?)「気」を、自分の為に遣うことに決めました。

 

人に気を遣わせる人の大半は、そのことによって無言のマウントを相手に仕掛けている場合が多いように思います。
私も根がお人好しなので、まんまとその悪しき作戦にハマってしまっていたのかもしれません。

 

考えてみれば、魂年齢と言う点では私や夫に勝る人はこの世界には存在しません。
何ったって、リラの時代から私はこの世界に存在し続けて居るのですから、その意味でも私に接する方々には先ず深く敬礼して頂くぐらいの気迫と礼節を、是非ともお願いしたいところです。

それを拒絶する人とは結局のところ、深く関わり合って行くことは出来ないと言うことを、ようやく受け入れる準備も整いましたし…。

 

さて、これから未だ色々と仕事を控えています。のんびりゆったり、だけど余りのんびりもしていられません。
私は音楽で世界の流れを変えて行きたい。その為にスポンサーを一社も付けず、ファンの皆様からの応援だけで創作活動を続けています。

 

その夢が早く実りますように、皆様も是非私の作品を積極的にSNS(FacebookやTwitter、LINE等)でシェア & 拡散して頂けたら有難いです。
そっと遠くから… ではなく、グイグイとこの澱んだ空気をこれでもかと引っかき回す勢いの応援を、是非よろしくお願い致します。

 

Amazon 『Didier Merahの欲しいものリスト』

 

 

コピー音楽文化の終焉

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○○警察… と言う言葉が密かに流行っていますが、さしずめ私の場合は『コピー音楽警察』と言ったところでしょうか。

著作者への無許可によるコピー音楽再演現場となる多数のライブハウスを、一連のコロナ自粛が少しずつ淘汰しているようです。
個人的にはとても喜ばしい流れだと思っています。


既存の楽曲を再演するタイプの現場ミュージシャンの多くが、著作者へのリスペクトも無ければ再演に必要な著作者へのお伺い等を意図的に省略し、ましてはそれらを勝手に再演する事で自身が出演料を受け取っているのが、日本の再演音楽系ライブハウスの現状です。
これはきわめて許し難い事です。

 

わたくしが過去に深く関わっていたシャンソン & カンツォーネやボサノヴァ等をはじめとするワールド・ミュージックを広く再演する街角音楽、その現場とされる、いわゆる『夜店』の大半が、今盛んに取り沙汰されている『接客を伴う飲食業』に分類され、厳密には音楽だけを販売している業種とは別ものです。

17時以降、女性を雇い接客に着かせる業種は、法律上は『風俗業』に分類される筈なので、女性の歌手の大半が場合によっては『風俗業』に従事していると言われても否定出来ないのが現状です。

 

コロナ自粛の影響で多数のシャンソニエやジャズ系のライブハウスが閉店に追い込まれていると聞きますが、もうコピー音楽を聴かずともSpotifyYoutube Music、或いはApple Music等の各サブスクリプションで原曲が簡単に聴ける時代になりました。

誰かが無許可でコピーして訳詞等の二次創作に及んで再演されるコピー音楽を聴かずとも、誰もが合法的に世界の音楽を原曲で聴く事が出来ます。
なので皆様是非、音楽は原曲を聴く習慣をつけることを、強く推奨します。

 

 

Music that survives 5000 years – 5000年後に生き残る音楽

[Japanese]
今この瞬間聴いていて気持ちの好い音楽ではなくて、これから生まれて来る時代の中で確実に生き残れる音楽について考えています。

そう在る為に今私は何をして、どんな音楽を生み出すべきなのか…。
それはおそらく素数のような音楽だと感じています。私はそこに向かって突き進んでいます。

 

[Eng.]
I’m thinking about music that will surely survive in the coming era. Perhaps it is music that has nothing to do with many trends of this moment.
What should I do now and what kind of music should I create for my future existence?
I think it’s probably like tuhe music like a prime-number.

I’m heading to that future point.

 

スズランの季節

スズラン

 
2020年4月30日、私のニューアルバム『World of Nature』がSpotifyやApple Musicをはじめとする世界中の各プラットホームから一斉にリリースされました。
この世界の闇のど真ん中にアルバムリリース…、本当に不思議なタイミングですが、今回は色々な準備が大幅に遅れたにも関わらず希望のリリース日時を一秒たりとも外すことなくこのアルバムが日の目を見ました。

 
世界は自粛の闇の中。既に私は2020年の2月の初旬頃から自粛のペースに入って行ったので、かなり長い期間の自粛生活を送っていることになります。
ですが時を追う毎にこの自粛が本当に意味のある事なのかどうか、私は頭を悩ませていました。

 
多くの知人や友人に私は、カビの自然神から直接聞いた話を伝えて行きましたけど、多くの人たちの反応はとても冷たく冷ややかでした。ですがそれらの反応もある意味今後の人間関係に於ける大きなヒントともなり得るので、気持ちが落ち込む中でも私は極力クールに現実を受け止め、受け入れるように努力して来ました。

 

この自粛生活の中で特に私が注意深く観察していた事の一つが、飲食店の在り方についてでした。
考えてもみればどれだけ強行的な自粛生活に至ろうが、人間の胃袋の数は変わりません。なのに多くの飲食店が「政府の要請を受けて…」と言う理由を掲げながら店舗の休業と言う道を選択した光景には、実はかなり驚きました。
それまで普段とても親しくして来たお店の中にも長期休業を選択した飲食店が多数現れ、その度に私はそうした店舗の在り方に大きな不熱心さを感じずには居られませんでした。

 

言い方は乱暴かもしれませんが、「政府の自粛要請を受け…」と言って店舗を閉める事はとても簡単な事です。収益を得られないのだから店を閉める…と言う選択肢。
飲食店としてこれはどうなのかと言う疑問が真っ先に立つ中でも私は、やはりCOVID-19に感染された方々や犠牲となられた方々を思うと容易に自分の心情だけを口にする事は出来ませんでした。

 

思うことを口に出来ないだけならまだしも、カビの自然神から伝え聞いたことをありのまま人に伝えられない事が本当に辛く、尚且つ人間は本来持っている筈のシュールな感覚(例えば直感力や超能力、チャネリングの能力等色々…)がここまで閉ざされ、そしてそのような感覚を外側に出す人を蔑み軽んじる傾向がこんなにも強いのかと言う現実に、心から胸を痛めました。
ですが思えば情報とはそれを必要とする人の元にだけ届けば好い… と言う考え方も出来ますから、私は今後も重要な情報はこうしたブログではなく note と言う記事の販売を兼ねたSNSの中にそっと閉じ込めて、各記事を有料配信して行くのがベストだと思っています。

 

この長い自粛要請中に店舗を閉めて、テイクアウトもなくデリバリーにも対応しなかった飲食店を私は一軒一軒心の中に書き留めました。逆にこの期間の中、店を開けてあの手この手を尽くして労働者の胃袋を何としてでも満たそうと、採算度外視でがむしゃらに頑張っていた店舗名も同時に私の中に在ります。

 

新型コロナウィルスは、空気感染及び微粒子感染によって拡散しています。

どんなに三密を避けて家の中に引き籠ろうが、pm2.5は日々空気を伝って大量に降り注ぎますし、黄砂に付着した新型コロナウィルスは容赦なく私たちの窓辺に大量に在ります。
換気をする際にも私は窓辺にアルコールを噴射して出来る限りの防疫対策に努めてはいますが、それも暖簾に腕押しと言っても過言ではないでしょう。

 

今日、久し振りに私は我が家のカビの大掃除に着手しました。何故今日までそれが出来なかったかと言うと、カビがCOVID-19のウィルスをとても好むのだと、カビの自然神から直接聞いたからでした。
でも流石にこのままカビを放置しておくのは人体に好くないので、今朝から少しずつカビの大掃除を始めたところですが、今のとこと私たち夫婦は時折お腹を下すことを除けば至って元気に生活出来ています。

 

新型コロナウィルスの騒動を介して私は、私自身を知人や友人がどういう目で見ているのか… と言う事を注意深く一つ一つ観察して居ました。
そして各々の心の中に意図的に私の成長を止めてしまったり、或いは私の話など軽く受け流しながら私と関わろうとしている友人や知人とは今後、関わり方を私の中で変えて行くことに決めました。

 

勿論私の気位が高い事は一旦棚に上げたとして、その上で私と言う人間を必要以上に軽んじて関わって来る人たちとは、私がやって行けないと思いました。

きっと温度の相違なのかもしれません。
一人の人間と向き合う時の私の温度と、相手の温度。そこに余りにも大きな温度差があり過ぎては、人間関係のバランスを大きく欠いてしまうだけで何のメリットもないわけですから‥。

 

勿論メリットだけで人間関係を捉えるべきではないですが、少なくとも私の側に大きなデメリットが生じるような人間関係を私は、持ちたくはないと思います。

 
私はDidier Merahと言う人間であり、世界中の音楽を理論化出来る芸術家です。尚且つリラ星の最期を見届けた巫女としての記憶を保有する事等も合わせて考えると、それを意図的に無視して私とダチ付き合いを望むような人とは関わるべきではないと、最近の私の心の中に新たな赤ランプがずっと点滅し続けています。

なので私は仮に今後孤独に陥ろうが、始終点滅し続けている赤ランプに今は素直に従いたいと言う結論に至りつつあります。

 

 

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大好きなスズランが街のあちこちで、そっとうつむき加減に咲いています。私の大好きな花ですが、今年のスズランはいつになくとても神妙で悲しげな表情をしています。
もしかすると、人間の愚かさを嘆いているのかもしれません。

 

スズランの英語の花言葉は「return of happiness(再び幸せが訪れる)」… だそうです。

その言葉通りになれば好いと思いますが、一度失ったものが元通りの形になることはありません。それは人間関係も世界情勢も、そして各々の人の心の中もきっと同じです。

 

アルバム『World of Nature』は、この世の始まりから終焉までを描いたアルバムです。是非最後まで、…つまりこの世界の終わりまでを音楽の中で確認しながら聴いて下さい。

 

 

 

Return to Happiness

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言いようのない恐怖が地球の表面を覆い尽くしています。それは一言で「コロナ肺炎」とか「コロナウィルス」とか、そういうものとは異なる別のもの。存在‥ と言っても過言ではないかもしれません。
私琴座はリラ星の最期を、今でも鮮明に記憶しています。リラは滅ぼされる前に、自らの意思で自己爆破を遂げました。

事の始まりはとても些細な事でした。人と人との争い、その狭間を縫って政治の低迷が続き、それによって人々は互いを憎悪の対象とするようなマインドに、何者かによって導かれて行ったのです。

それが政治だけだったのか、或いは今の地球に見られるような疫病が原因の一つだったのかはもう定かではないのですが、次第にリラの人々が精神的に凶暴になったり気力が減退したり‥ を繰り返し、最終的には「生存」のモチベーションそのものを何者かによって奪われて行った事は確かです。

 

全ての出来事にはルールと発端と理由があります。なので今この地球の惨状にも私は、何かしらの大きな原因があると睨んでいます。

人類の遺伝子、そしてメンタルがこの数百年間で劇的に衰弱している事も又事実であり、それを他力本願で強靭な種族に書き換えようとする輩も多数この地上に徘徊しています。

 

今地球で起きている事には、明確な解が存在しません。何を選択しても、向かう結論は多かれ少なかれ似たかよったかなのです。でもそこには一個とても明確な運命の分かれ道が存在し、人々の多くはその境界線を見定める能力を欠いてしまっているのです。

 

ここまで読まれた方は「なにこの人、綺麗事を言ってるんだろう‥」と思われることでしょう。そう、私は過去の諸々の記憶とすり合わせながら、なるべく文章に刺激を加えないように綺麗にまとめています。
それだけ事態が切迫しているからです。

 

今朝、あらためてカビを司る自然神と対話をしました。言葉にならない対話が暫く続きました。
そしてそこから導き出された一つの答えに、私は到達したかもしれません。

 

カビの自然神はこう、言いました。

これは地球人類 対 自然神 対 ダークサイドとの戦争である。

私はこの答えに対して何も逆らうことが出来なかっただけではなく、その声の彼方に遠くリラ星が自爆した時の光景がすっと重なり合うことに恐怖を感じました。

 

私自身、リラの最期を高熱の中で見届け、そこで既に肉体は消失していたでしょう。意識だけが宇宙の中にポツンと放り出された時の言いようのない孤独を、今でも忘れることが出来ません。
多くの意識は炎と共に消失し、わずかに何人かの意識の欠片が既に宇宙を浮遊していました。行く先もなくただ、闇の中を彷徨い続けるのです。そこで魂が気付きを得られるのか、或いは新天地に向かって行くのかさえ、セルフコントロールが出来ない状況が続きます。

 

リラを発展繁栄させて来た文化も文明も科学も、全てはあの炎の中へと消え去りました。生き物の力とか能力は何とか弱く刹那なものなのかと言うことを、その時代の私自身が悔しいまでに強く深く思い知ったと記憶しています。

 

 

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今回、新型コロナ肺炎、新型コロナウィルスと言う未曾有のウィルス自体は自然発生的にこの地球上に出現したものかもしれません。ですが、その向こう側に私は確かに、あのリラ星の衰退から破滅へとリラ人全体を導いて行った時に見た強靭なダークサイドの気配を感じます。

私たち人類はウィルスによって先ず分断され、小分けになった人類同士が互いに仲間割れをするよう知らず知らずのうちに仕向けられています。

憎むべきは本来ウィルスと言う敵ですが、多くの人類は「顔」を見る、「顔」から受ける趣味嗜好のインプレッションにとても弱く、気に入るか、気に入らないかで物事を判断するようになって行ったと思います。

 

 

先日、安倍首相のとても不可思議な動画を観て怒りを感じた方々は、そう少なくはないでしょう。私もその一人でした。
勿論今、多くの音楽家や俳優その他エンタテイメントに関わって来た人材が職を失い、中には長く住んで来たアパートを追われ帰郷を余儀なくされた人や、それさえもかなわず泣く泣く楽器と衣装と鍋とコンロだけを車に乗せて車中泊に転じたミュージシャンも現れました。

 

彼等は口々に政府や行政を罵るようになり、中にはその気力さえ奪われた人もいます。皆、何かを憎まなければ精神が持たないのです。だからその時々、目の前に現れた存在を仮想敵に見据えてそのターゲットに心の罵声を吐くのでしょう。

でも、考えてみればそれはあの時と同じ、ダークサイドの思うツボなのです。

 

人と人を分断し種を破滅させることは、彼等にとっては想像以上にたやすい事かもしれません。後はそのタイミングと条件が揃えば、それを実行出来ます。
まさに今がその時だと、ダークサイドは手ぐすねを引いて私たち地球人類を天の向こう側からじっと観察しています。

 

 

 

昨日 4月11日に収録したYouTubeの中でも述べましたが、コロナウィルスはpm2.5や砂漠の砂、砂嵐等に付着して大気中を軽々と移動して行きます。
その大気を止める事が出来ない以上、既に私たちはウィルスの霧を浴びながら生きている状況に置かれていると言っても過言ではないでしょう。

 

体力が持たない人はコロナに感染し発症するでしょうし、体力はあっても気力や精神力の弱い人たちはこの状況を憎む事で「今」と言う時間が生み出すストレスをどうにかして解消しようとするでしょう。

勿論自堕落で快楽主義的にコロナウィルスを小馬鹿にする人たちもいますが、そういう人たちを除き、多くの人たちがこの状況に先の見えない恐怖を感じていることは紛れもない事実です。

 

話を戻しますと、先日の安倍首相の動画は確かにこのタイミングで如何なものか‥ と言う事には変わりはありません。ですが、ここで果たして短絡的に目の前の現象に敵意や憎悪を向けるだけが正しい在り方かと言われたら、それは違うと私なら答えるでしょう。

 

コロナウィルスに対する偏った認識が、今この地球上を「有識者の意見」として覆っていますが、もしも多くの労働者たちを路頭に迷わせている緊急自粛要請及びロックダウンと言う対策が間違っているとしたら、この先の地球がどうなって行くのかは、目の前に点線が描かれたように明確です。

 

私はこの新型コロナウィルスがほぼ、間違いなく微粒子感染だと確信しています。

そうなればこれまで人類全体が信じて来た自粛要請等が果たして正しかったかどうか、ここでかなり怪しくなって来ます。

 

今見たニュースでは、韓国で既にコロナウィルスとの戦いを終えた人たちを一斉検査したところ、100人を超える人たちに再度陽性反応が出たと報じていました。
だからと言ってここで再びロックダウンして‥ と言う事を繰り返しているうちに、コロナ肺炎ではなく貧困で飢え死にして行く人たちの方が徐々に増えて行くことが目に見えています。
何度も言いますが、それこそがダークサイドの思うツボなのです。

 

私は遠くリラ星の巫女でした。なので今は自分が生み出す音楽の中に祈りを込めたり、或いは日々の作業の端々に神を思い描き、ただ静かに祈ることを新たな日課として行動しています。

祈りは利他的なものであればある程、人の住む世界から遠ざかって行きます。ただ静かな時間の中で幸福を思い、それを祈り続けることしか出来ないのです。

 

そして祈りは行動とも直結します。

例えば私の場合は音楽であったり料理や家事であったりしますが、神職を名乗る方々であればそれは無限で無言の動作の繰り返しになって行くでしょう。
そう思うと現在の地球の中に蔓延している多くの祈りが、神様とは何ら関係のない、いち個人の願望成就の域を出ない、とても稚拙で強欲的なものが多すぎるように感じてなりません。

 

行動をせずに誰かに幸運を依存し、お金を払ってそのプロセスを買う‥ と言うことが当たり前のように行われて行く、これもコロナウィルス以上にたちが悪いと言わざるを得ません。

そうした一つ一つの悪しき積み重ねが今の、この状況を引き寄せているのかもしれません。

 

音楽家として、そして古くはリラ星の巫女だった私が出来ることは、本当に限られています。でも、その限られたことの一つ一つを思い、致すことが今私の務めだと思っています。

そしてこの記事を読まれた皆様へ、もっともっと視えざる存在を思い慮り、これまでの利己的な習慣や考え方を今、静かに悔い改めて頂ければと思います。

 

私はこの星、地球を愛しています。地球で行われるすべての出来事も、そしてそこに生きる多くの人たちの善意も含め、この星が視えざる存在による大きな篩に掛けられている今だから、生き方を少しだけでも変えて改めて下さい‥ とお願いしたいです。
勿論私自身も含め、大きな転機を在るべき理想の形で乗り越えて行かなければなりません。

Pray for the Earth.

 

Eternal Pain – 2020 Spring

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2020年、春。今年の桜の木々や花々の嘆きを、私は一生忘れないと思います。

 

こんな写真を投稿したら「何暢気に写真など撮っているのですか?!」と読者からお叱りを受けそうですが、これは重装備をした上で誰もいない公園を選んで静かに撮影した中の一枚です。
周囲には誰一人いなくて、折角咲いた桜の花たちがそのお披露目の終わりを感じてひしひしと私に訴えて来たので、本当に短い時間の中で余り調整もせずに撮りました。

なのでPCでよく見るとピントが合っていませんけれど、彼女たちの必死の思いだけは確かに伝えられるのではないでしょうか‥。

 

2011年の3月11日から10年も経たないうちに、世界中がこんな危機的な状況に見舞われること等誰が予測したでしょうか‥。
いえ、予測したとか予言したとか言う人が本当に居るのであれば、もっと早期にその具体的な話がネット上に上がって来たことでしょう。それ程人間の予測とか予言などと言うものは、遊びと夢の境界線を彷徨うままごとのような領域を超えていないのです。
でも、それは致し方のない事。私でさえ2011年3月11日から遡ること半年前にその不確かな予兆を感じていたにも関わらず、それは前代未聞の出来事だったので理解すら出来ぬままその日を迎えたのですから。

 
でも、神様たちは確かに、私たちにその前兆を感じて信号や暗号を送って来たと思います。

 

世界が混乱を来す中、それでも私は何とか平常心を維持しながら創作活動を続けています。

そう、確か2011年3月のあの頃、スタジオジブリでも同じような状況があったと記憶しています。彼等は映画の制作の手を休めることなく、仕事を継続していました。その状況がネットやSNS等で酷い誹謗中傷の火種となり、厭と言う程非難された事が思い出されます。

私もあの時は言葉にはしなかったものの、非難をする側の心境にありましたが、今私はジブリの当時の社員たちと同じ行動を取っています。

 

創作家・芸術家はこのような時にも、けっしてその手を止めてはいけないのだと思います。

なぜならば起きることの全てが歴史の一部であり、創作家自身の人生の一部だからです。喜怒哀楽全てを含めた創作が、即ち芸術なのですから。いいとこばかりを前面に押し出すだけでは、作品としての深みを増すことが出来ません。

 

この記事のタイトル「Eternal Pain」、私は既にこのタイトルの曲を前アルバム「Mother Earth」の中で描いていました。こんな瞬間が来ないように本当に強く願い、祈りながら演奏した作品でしたが、神様はそんな小さな願いを聴き入れることなく人類に大きな課題を提示して来たように感じます。

生き残るべき人間と、そうではない人間とに、神様は大きな篩を回しながらその選択の時に入ったのかもしれません。

 

 

Twitterにも綴ったのですが、神様が思う「生き残るべき人間」とは即ち、人間が本来あるべき感覚を研ぎ澄ませ生き抜く為の仕事を怠らず、危機意識能力に長けた種と言うことになるように感じます。

穿った伝わり方をしてはいけないので言葉をかなり選ぶ記述になりますが、おそらくそういう事だと思います。

 

音楽家で言えば、これは私が長年危惧して来たこととも重なりますが、必要にて最低限の音のエッセンスを着実に生み出して届けられる人と言うことになります。
勿論現代音楽や破壊的な音楽は上記のカテゴリーには入りません。人が穏やかにそれを受け止め、そして普遍的に理解されるエッセンスだけが、この地上に留まり続けることが出来るのです。

そうしたメロディーのエッセンスを定期的に、そして継続して生み出し続けるには、オーソドックスな基礎教育を受ける事が必須であり、そうなれば今売れている音楽家や作曲家たちの大半がその条件に当てはまらないことになります。

こんな記事を書いたら四方八方に多くの敵を作ることになると分かってはいますが、それが厳しい試練であり、音楽家が音楽家として、芸術家が芸術家として生き残る為のベーシックな条件なのです。

 

かつての多くの同業者たちが今苦境に立たされていますが、ベースが間違っているからこういうことになってしまったのかもしれません。
所詮コピー音楽と呼ばれるものを作者に無断で再演して糧を得る ⇦ この考え方が間違っているのです。
ミュージシャン、音楽家と言う肩書で糧を得るならば、最低限自分自身で作り出した素材で糧を得るべきなのですから。

その意味で私はライブ系ミュージシャンの多くの方々の苦境や苦情に対しては、一切共感も同情もしていません。これまでモノマネ音楽でお金を得て生きて来られたことの方が偶然であり、奇跡であっただけで、それが当たり前で正しい行為とは到底言い難いからです。

 

私はメディアには一切の露出をせず、それもこれも作品のクオリティーを維持する為には必須の事だと思って覚悟を決めて今日に至ります。
何より私の信条は、「私の死後でも誰でも扱えるシンプルで普遍的なメロディーを確実にこの星に刻むこと」なので、その一点だけを目指して今後も多くの作品をコンスタントに産み続けて行きたいと思っています。

 

 

 

言葉の威力と自然神の怒り

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アルバム『World of Nature』の制作を余り先延ばしに出来ないと私が感じた理由が何だったのかは、正直よく分からない。でも今、世界の状況を見渡してみる限り、理由は不鮮明ながら私のカンがあながち的外れではなかったことに、ただただ愕然とするばかりだ。

 

当面の期間、期間無制限でスピリチュアルな物事やサークル、その種の話題から完全に遠ざかるつもりでその旨Twitterにも発信したにも関わらず、それを最も許さないのが私の思う神々たちだったのかもしれない。
分かる人が言葉を放ち、分からない人たちの蓋になる‥。

その大切さは重々認識していたが、なにせ私は音楽家であり表現者である。宗教や政治等の領域からは遠く離れて黙々ともの作りに集中することが今は重要だと考えたが、その考えはもしかすると間違っていたのかもしれない。

 

夫、天野 玄斎の今朝のTwitterに、私は心から共感した。

 

 

霊質科学と言う言葉、そしてスピリチュアルの分かる科学者がこの地上に存在しないと言う点では、もしかするとあの、リラ星の自滅の時と何等変わっていない。

これを音楽家或いは芸術家に当てはめてみると、今私がやるべき事の神髄に突き当たる。
かつての仕事を辞める直前に同業者から言われた言葉が、ふと脳裏を過る。

 

ピアニストは黙ってピアノだけ弾いていればいいんだよ。余計なことを話すからおかしなことになる。

 

最近になって私は、あくまで音楽家、芸術家としての言葉を発信し始めた。それはあくまでDidier Merahが他の音楽家たちと何が異なるのかと言う、ほんの自身分析の為の始まりだったが、こうして色々過去の私自身の活動等と合わせて振り返ってみると、夫のつぶやきの視点で音楽活動をガチで行っている専門家はおそらく一人も存在しないと言っても過言ではない。

 

新型肺炎がこれまでの肺炎と異なる一つの特徴は、以下の二点に集約される。

①潜伏期間が長いこと。
②発症してから容体が激変すること。
③一度完治した後に再検査を受けた時に、再度陽性反応が出ることがある。
④これまでの肺炎と異なり、両方の肺に炎症が拡がること。

 
注目すべきはであり、現在国内では人口呼吸器の数が足りないことや、症状が出ていない人への検査拒否が多発していること等、不安材料は尽きない。

 

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前置きがとても長くなってしまったが、ここからがむしろこのブログ記事の本題である。

 

地球は今、皆があれだけ望んで口にしていたアセンションを実行に移し始めようとしている。これはとても危険で恐れていることであり、多くのスピリチュアル界隈の人たちが「アセンションすると光の体を得る」とか、「アセンションすると次元上昇した世界へ移行できる」等と語っているが、これは嘘である。
現に私がリラ星に巫女として生きていた時にも同様のニュアンスのことが方々で囁かれ、多くの星の住人たちがアセンションと言う死をそうと知らずに願って祈り、最終的にリラ星が自爆する結末を迎えた。

 

あの時リラから逃げた人々の大半が逃げ延びることが叶わず、星の爆風の巻き添えになって天空に散って行った。その時の魂の一部は今もそのままの思いを持って生きており、時折この世界に出没して私たち人類や地球のスピリットに直接話し掛けて来ることがある。

そんな折、もうかれこれ20年近く前からアセンション、アセンション‥ と呪文でも唱えるように多くのスピ系の人たちがその言葉を真剣に唱え始めた為に、その悪しき祈りが無事に地球のスピリットの核に届いたと言っても過言ではないだろう。

 

何より恐れていることは、自然神が実在し、そうした人間の思いに「そこまで言うなら」と言って応えようとしている現象である。

だからと言って、私に一体何が出来るだろう。
今の私に出来ることがあるとしたら、先ず私の音楽の聴き方を変えるガイドを提示すること。だから私はこうして、一度は離れると言ったスピリチュアルな発信をする立場に戻って来ざるを得なくなったが、この流れを疎んだり悔んだりはしていない。

 

仮に私の放つ言葉に刃を向ける方々がおられるのだとしたら、その方々が何をどこまで視通しているのかを具体的にお伺いしたいぐらいである(おそらく見通していることなど無いだろう‥ と言うことを分かって書いている)。

 

さて、近日中に公開予定のDidier Merahのアルバム『World of Nature』であるが、これまで私の作品集を聴いて「よく眠れました」とか「癒し系ですね」等と言う固定概念を持って接している多くのリスナーの、眠った感覚を一旦破壊する為にも、HPとYouTubeのトーク番組に音楽解説の特集をぶつけて行く予定で現在、準備を進めている。

 

だがなにせ私も夫も、こんな時期だからこそ無理が効かない。なので十分な休養を摂りながらの作業となる見通しで、当初予定していたリリースのタイミングを大きく逸してしまいそうである。
だが、この記事の冒頭でも述べたように、私は「スピリチュアルが分かる数少ない音楽家」としての役目を果たすべく、今回は私の視たこと、聞いたことを含む多くの情報をアルバムの音楽解説に乗せて発信して行く必要を強く感じている。

 
その記述や記録はけっして先行き明るい内容ではない、と言うことを付け添えて、このブログの記事をしめくくりたいと思う。

 

 

大地の声

 

 

 

 

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ニューアルバム『World Of Nature』(今春リリース予定)のレコーディングも間もなく大詰めを迎えます。それにともない、暫くの間YouTubeトーク番組『Didier Merah Talk』及び各サブスクリプションでのPlay Listの作成をお休みさせて頂いております。

今はただ、目の前の色々な課題に集中し、その一つ一つを丁寧に消化して行くこと。そのことだけを考えて生きています。

 

アルバムの要 『Volcano』 を録音した時は、これまでにない緊張と重圧に見舞われました。
毎回毎回のレコーディングには必然的にシュールな経験が伴い、それがとどまる事はこれまで一度もありませんでした。毎回毎回がスピリチュアルな何者かとの戦いであり、特に私の創作活動は「未だ見ぬ感覚をこの世界でリスナーと共有すること」に焦点を当てている為、その妨害圧が必ず発生します。

 

今回のアルバムは出足からその状態が続いており、私が動くと大地が動きどこかが揺れて燃える‥、そんな状況が繰り返し起きています。勿論私は大掛かりな預言みたいなことをする気は全く無いのですが、結果的にそうなって行く‥ と表現した方が現実に近いのかもしれません。

 

日々、神人共食を繰り返している中で感覚の回線だけが密に力を増している事も又事実ですが、だからと言って私一人の力などたかが知れています。なので、どこかで何かがあるかもしれない‥ 等と言ったところで誰一人私には守ることも出来ません。
だったらそれを言葉にして発信するよりも音楽と言う他の手法に代えて、一人でも多くのシュールな感覚を開けて行くことに注力した方が良いのでは‥。最近そう考えるようになりました。

 

ここ最近、日々のヴォイスレターの代わりにツイキャスを使って、私のありのままの思いを発信しています。Twitterに余り馴染のない方には少し遠いツールのように感じられるかもしれませんが、今の私にとってはとても手軽でライトに自分発信の出来る、本当に便利なツールだと思っています。
概ね二日から三日に一度は配信して行こうと決めて、先程も少し長めの配信を終えたところです。

 

 

売り物の少ないわたくし、色々と日々のことを切り詰めて何とか生きています。
なので色々と考えた結果、ツイキャスのアーカイヴを二日間だけ残した後一旦アーカイヴを削除して、SNS note から有料で販売して行くことにしました。

概ね200円から300円前後の価格設定ですので、皆様よろしかったら是非購読・応援等よろしくお願い致します。

 

サブスクリプション推しをしている為、最近経年劣化で壊れてしまったオーディオ機器の買い替え等が出来ない状況に追い込まれています。
Amazonの「Didier Merahの欲しいものリスト」に色々欲しいものをアップしています。商品を選んで「送り先」を「Didier Merah」に設定して頂くと、私に届くようになっています。
恩返しは全て音楽、そして時々コミュニケーションにてさせて頂くことに決めています。この世界で未だ誰も聴いたことのない音楽や世界観を、Didier Merahが粛々と発信して行きますので、何卒諸々応援頂けると有難いです。

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/3O4UMPOM1PBFS?ref_=wl_share

 

さて、ここからあらためてのラストスパート。気合いを入れて頑張って行きたいと思います。

 

 

意思を貫くこと

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外側に活動を全く出さない日にも私の身には、常に色々な出来事が降り掛かる。良い出来事もあればそうではないことも含め、全てが自分の創作活動の糧になって行くと、最近は感情をセーヴすることがかなり出来るようになったかもしれない。

 

この数日間、と言うか常に…、私にはルックダウンが付いて回る。芸術家っぽくないいでたち、振る舞い、そして持って生まれたお人好しな性格が吉と出る時もあれば凶と出る日もあり、なるべく感情に落とし込まないようこれでもかなり努力はしているものの、やはりその日の波の悪いところにその出来事が挟まってしまった場合にはかなり気が滅入る。

 

そんな時の為に音楽があるじゃないの‥。

ふと、そんな天の声が木霊のようにリビングに響き渡るが、案外そうとも言い切れないところが苦しいところでもある。

 

 

芸術家って何よ?! 皆、同じ人間でしょ?!

最近よく言われる一言ではあるが、個人的にはこれは大きな間違いだと私は思っている。
人間、同じなどと言う事はない。その人の持って生まれた「格」のようなものが横一列である筈はなく、私はそうした事に対してはしっかりと線引きをし、差別すべきだと思っている。
本来ひと目見れば分かる物事が、全く通じない人がいる。或いは相手はその旨分かっており理解もしているのに、絶対にそれを受け入れようとせず、こちら側に向かってマウントして来る事の方が多いかもしれない。

 

一旦マウントが始まった場合には、相手が勝つか此方が勝ち抜けるか何れか一つしか生き残る道はない。そうなった時私は、相手のマウントには絶対に動じない、相手を完全に遣り込めるまで戦いの手を緩めたりはしないと決めている。

その結果、常に私には別れが付き纏う。

 

多くはとてもつまらない戦いに終始する。

相手の心情の中には常に、「皆、同じ人間でしょ?! 対等でしょ?!」と言う愚痴のような嘆きが響き渡り、私も同じく「人間、皆同じなわけないですよ。少なくとも物を生み出す人間や、イマジネーションやインスピレーションに真摯に向き合っている人は絶対的にリスペクトの対象となるべきです。」と言って返す。

 

恩師が昔放った言葉を常に思い浮かべる。

━ 良い師を見つけるのは、優れた弟子だけです。

━ そしてそのような優れた才能を持つ弟子を千人の児童の中から見抜けるのも又、優れた師だけなのです。

 
私には常に、良い師との巡り合わせがあり、その点では本当に恵まれていると思う。それは過去世でも同様で、それらの記憶を全て喪失することなく今世に生まれ落ちたことも含め、私はかなりツイているように思う。

勿論その最たる人は、今の夫である。

一見普通の人間の皮をかぶった普通の人に見えなくもないが、私にとって彼は全く違う種の人であり、ともすると人間に見えない瞬間も多々ある。

 

そんな夫の活動を私も又音楽活動で支え、サポートして行く為にも私は、自身の格を絶対に貶めるような言動を取るべきではないし、実際に此方の格や気質を下んじる相手に対しては徹底抗戦しなければいけないとも思っている。

 

仮にそのことで多くを敵に回したとしても、私は構わない。
秀でた人間は秀でた相手と関わるべきであり、私はその筋だけは曲げずにこれからも生きて行こうと思っている。

 

 

 
⇧ 2019年のクリスマスの為に私が作ったSpotifyのPlayListです。
宜しかったら是非、シェア、フォロー等してガンガン聴いて下さい🎧

 

サードアイ

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早朝に目が覚めたまま眠れなくなり、そのまま起きてぼんやりスマホを見ながらチャットやTwitterを楽しんでいた。ふと、頭上から誰かの声を拾ったような錯覚に陥ったが、数時間後に控えていた歯の治療の事で頭がいっぱいで、その声の主について余り深く考えないままアラームの残り時間ぎりぎりまで睡眠を摂ることにした。

 

歯の治療の日はいつも憂鬱で、前の夜から気持ちがざわついて落ち着かなくなる。特に痛みがあるわけではないと頭では理解してはいるが、もしかすると不意に神経に治療器具が当たって痛みがあるのではないか… 等と余計なことを考えると、なおさら深い不安に苛まれる。

 

数年前の治療中に一度だけ、予想もしないタイミングで治療器具が神経に当たって電気ショックにでも打たれたような激痛に悶え苦しんだ経験が、今でも深いトラウマとなったまま私の記憶の真ん中に突き刺さって思い出と化している。

だが実際に治療に行ってみると、不安で不安で仕方がなかった前日前夜のことが嘘のように、治療は呆気なく終わって行く。…その繰り返しが何年間も続き、今日に至る。

 

今日も治療は順調で、ドクターでさえ治るか治らないか予想のつかなかった箇所の患部の状態が劇的に改善し、ようやく神経の治療を終えて上を塞ぎ、次回はその先の治療に無事進む段取りに。

 

 

一旦帰宅し、今日のランチは自宅で何か作る予定でいたのだが、或る場所に呼ばれて本当に美味しいまかない飯を頂いた。

勿論まかない飯が美味しいことは言うまでもないが、私はそのお店のママの素顔を今日、初めて見たような心地好い錯覚に陥ったまま数時間が経過している。

 

その女性の写真を夫に見せたことがあったが、その時夫は「この人、開いているよね…。」とつぶやいた。その時のことがずっとあれから頭から離れず、一度私自身で女性の感覚にそっと侵入してみようと思っていたところだった。

今日がその時だったのかもしれない。

 

お店は比較的空いていて、女性に『ピアノのお姉さん、ナニ食ベル~?』と訊かれたので、私はいつもそこで食べたことのない豚肉のフードをオーダーすると、すかさず(多分私の為に作ってくれたであろう)牛肉の炒めものを前菜代わりに持って来た。
名前もない、メニューにもないフードでそれはそれは本当に美味しいお肉だった。

 

ママはいつも自信なさげに「どう?」と私に訊いて来るが、私の返事は決まっていた。

『美~味し~いっ!!!』

それ以外に返す言葉なんて、あるわけないでしょう?笑。

 

本来メニューにはない「温かいコーヒー」がテーブルに運ばれて来ると、ママが珍しく客用のシートに座って思い出話を始めた。

最近調子の好くない我が家のうさぎのことを気遣って尋ねてくれて、それに私が少しだけ答えを返した時にママが、「どんな生き物にだってみ~んな伝わるのよ、思いはね。」とカタコトの日本語で目ヂカラを込めて囁いた。
私は思わずママの額の真ん中にある第三の目を見付け、そして完全にお互いの第三の目と第三の目がぶつかり合った。

 

不意に先日夫がつぶやいた、「この人、開いているよね…。」と言う声が脳裏に響き渡った。彼女は次第に第三の目だけで会話を始め、私たちは直ぐに言葉を失った。その間、繊細なテレパシーととてもデリケートなふたつの心の声が、まるで今日の雨のようにそっと私たちを包み込んだ。

 

ママは最近会えなくなった人たちの思い出や、認知症とかアルツハイマーとかその他複合的な病気で長期入院している御主人のお義母様の話等を、止まることなく一気に話し始めた。

どんなに意識が遠のいた人でも、その人が待ち続けている相手の存在を感じるといきなり夢から醒めたように体が動き始めたり、いきなり(それまで何カ月間も意識が朦朧としていたにも関わらず)喋り始めた人のことを、彼女は美しい笑みをたたえて一気に話して行く。

 

もう私とママは店員と客の一線を、完全に超えてしまったと感じた。色々な事情でそうそう頻繁には通えないそのお店に最近私は、まるで重要な客人或いは家族か親戚のように度々招かれ、まかない飯を盛り沢山頂いて彼等にしか分からない会話の輪の中に混じり、大声で笑ってひたすら食べて帰途につく。

幸せな時間はいつも一瞬にして過ぎて行き、その度に私は、世界から時間が消えてしまえばいいのに… と軽く舌打ちしながら、ぎゅっと唇を結んで自転車を漕ぎ出す。

 

 

帰宅してから本当は別の仕事をする予定だったが、どうしても今日のことをそっと記録しておきたくなり、このページに書いておくことにした。

 

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