転職のススメ – ライブハウス関連の皆様へ

間もなく緊急事態宣言 が発令される見通しに。世界も日本もようやく、大きな静寂に包まれることになりそうです。
時短要請対象、現在分かっているところでは、以下のようになっています。
 

[時短要請有]
飲食店、キャバレー、ゲームセンター、パチンコ店、ナイトクラブ、カラオケ、マージャン店、ライブハウス、大型百貨店

 

私が注目しているのは「ライブハウス」「ナイトクラブ」です。特にライブハウス関連から日夜立ち上がる騒音を、自然神 はことのほか嫌悪しています。
未完成な演目を未熟なパフォーマーが演じ立て、それはもう言葉にならない程の騒音のかたまりとして自然神はずっと長い間耐えて来たと言います。
それももう限界に達しています。勿論私もです。
 

私と自然神の理由は複雑に交差していますが、こうなって来ると芸術に関連しない全ての音楽や演劇、そして文明の一端も含めここで一切合切消えて無くなるべきだと私は思っています。
だからと言うわけではないですが、既に私は2009年の秋に現在の表現手法にシフトし、2011年の冬にはそれまで続けて来た全ての外注演奏業務を撤退しています。
 
 
私がこの種の発信をする度に、心臓を凍り付かせながらそれを読まれている音のパフォーマーたちの横顔を思い浮かべていますが、全ては自業自得なのです。
 

この自粛期間が明けて又、元の暮らしに人類が戻ろうとすれば、再び無期限でのロックダウン要請の運びとなるでしょう。人と人とを分断させれば会話も減り、世界は静寂に包まれます。
それは人や政治とかではなく、母なる地球と自然神等の強い願いなのです。
私も彼等、自然神の願いに同調し、慎ましく厳かで上品で、尚且つ静かに音楽活動を続けて行きます。

 

 
近い将来、もしかするとヘッドホンでしか音楽を聴くことの出来ない世界が始まるかもしれません。勿論私は大歓迎です。
但しロックや演歌、歌謡曲や煩いポップス等は元々ヘッドホンで聴かせ為に始まったジャンルではないので、多くのこの関連のパフォーマー達が転職を余儀なくされることになるでしょう。

 
自然神 カール氏はこうつぶやいています。
「転職するなら今のうちです。特に音楽家や舞台俳優たちは他の職種に人が溢れ返る前に、兎に角早めの転職をお勧めします。」と。
 
 
昨夜はスピリチュアル関連のオープンチャットで、私の強気の発言で少々混乱が生じましたが、そのくらいで怯むぐらいなら私は最初から『スピリチュアル』の領域に舞い戻って、活動を始めたりはしなかったでしょう。
要は、腹をくくっているのです。
 
 
私が本気になった時には、本当に世界が変わります。とは言えこれまでの私はその瞬間、世の中にその名をお目見えさせることのない形で世の転機に手を貸して来たわけですが、これからはそうでは無くなります。
 
 
又、私が何故ここまで明確にこの種の文章を記載出来るのかと言う理由については、別の形でnoteの最新記事に綴っています。
「有料記事」と言う文字を見ると多くの方々が尻込みするようですが、記事の中には命を守る手段について、医療や科学が言及していない内容に大胆に触れていますので、是非購入を躊躇せず中身をお読み下さい。
 
 
【[新情報] 新型コロナウィルス 変異種媒体の正体 – 2021.01.06 】:
https://note.com/didiermerah/n/na4bcc22af5ba

 
皆様に、光に満ちた神々のご加護がありますように。
 

冬の音色

木枯らしの向こうから不穏がひた走って来ます。それは止まることを拒絶する猛獣のように、多くの幸運や日常を蹴散らしながら次の季節に向かって、この星の全ての生き物たちを絶望の淵へと追い込んで行くようにも見えます。


この一ヶ月と少し、私はそれまで習慣となっていたSNS中心の生活から遠ざかっていました。
見聞きするもののスイッチの一つを変えるだけで、アンテナはよりシュールに、より感度を増して行くようにも感じられます。
元々シュールなアンテナが過敏なのに、それ以上にこの星の遠い未来から降り注ぐ多くの電波のような何かを受信する度に、深い不安が全身を走り抜けて行きます。

 
思えば辛く長い2020年でした。それでも私は無事に11月3日のバースデーを迎え、可能な限り生きられるところまで長く太く生きようと、夫とも声を出し合いながら、危機的な状況を迎えてしまったこの冬をしんしんと過ごしています。

 
外出も減り、外食も最低限になり、一見楽しみの大半をコロナ禍に奪われたようにも見えますが、そもそも私は屋内派なのでそれ程窮屈には感じていません。
大好きな温泉に行けなくなったのは少々残念ではありますが、服を脱いでウィルスを浴びるようなことにはならぬよう、毎日毎日気を引き締めながら室内で筋トレをやったり鍵盤の上でトレーニングを積み重ね、そして粛々と作曲も継続しています。

 
 

 
リバースよりもチャージに多くの時間とエネルギーを注ぐことが出来たのが、思えばとてもラッキーだったと言えるでしょう。
この二ヶ月間で5つのPlayListをSpotify上に作成し、少ないながらもそれを心待ちにして下さる方々も居てくれるので、又次も頑張って音の写真室を作ろうと言う新しいエネルギーを得ることが出来ています。

 
FacebookやTwitter上では度々会話をしているのに未だ一度も逢えていない音楽関係者も多く、そんな彼等と、今直ぐにでも逢える距離に居るのに逢えないこの厳しい状況が一体いつまで続くのか‥。そんなことを思いながら、PlayListの中に、逢えない音楽家への想いも込めて幾つかそっと楽曲を忍ばせる時、私はなんとしてでもこの苦境を生き延びなければと心を引き締めます。

 

今年は多くの別れを率先して生み出し、そして受け容れた一年でもありました。
言葉にはしない別れ、逆に先方からの要望で私がその心情に至った理由を告げなくてはならないことも多々ありましたが、私の心情の多くは理解されないままだったと思います。

 

芸術家はいつも孤独です。それは恩師である三善晃氏をずっとそばで見ていた時から感じていましたが、こんなにも、そして過酷なまでの孤独を痛感しているのは、今この時期だからこそ‥ かもしれません。

 

何かを分かって貰おうとか、理解して貰おうとか、私はそういうプロセスを幼少の頃から完全に放棄していました。理解しなければいけないのは相手の方であり、私は生まれ付いた時から既に多くのことを魂が知っていたのです。
 
年齢で言えば19歳或いは20歳くらいで過去世の私の人生が終わっており、その続きから私の今世はスタートしました。なので体は赤ん坊でも、記憶の中には直前の過去世の記憶が鮮明に刻まれており、赤子の体+19歳の私(僕)から私は再生したように思います。
父に度々「可愛くない」と言われるのもやむを得ず、私が最も私らしく振る舞えば振る舞う程、人との距離は急激に遠くなって行きます。
 
そう言えばこの時期だったでしょうか。いえ、受験間近だったので、もう少し先のシーズンだったと思いますが、丁度気候的にはこんな感じの冬のある日、一晩掛かりで家出した時のことを何故か今日は鮮やかに思い出しています。
桐朋音楽教室の同じクラスの女性と交換日記をする程仲が好く、音楽教室のAクラスに入った翌週からほぼ毎回私と彼女は同じバスに乗ってわざわざ遠回りをして音楽教室に通ったものでした。
きっと生涯の友になれるだろうと思ったのもつかの間、あの時家出をした日も私は彼女と共に短い夜を過ごし、そのことが後々になり彼女と絶交する原因になったことも又忘れることが出来ません。
 

結果的に私が音楽高校の受験に受かり、彼女がその逆の結果を迎えました。それを機に、私の音楽高校生活の長い長い虐めの空気がそこはかとなく出来上がり、だけど私はそうした空気に鈍感なふりをし続けました。

 

あの夜私は彼女の家に泊めて貰うつもりで、駐輪上にあった他人の自転車の鍵をこじ開け、音楽教室に自転車で向かいました。
何故そう言うことになったのかを話すと長くなりますが、丁度当時交換日記をしていたその手記の中に私が綴った「好きな人」の名前が、母の逆鱗に触れました。別に母の彼氏でも初恋の人でもないその人の名前を見て何故母がキレたのか、未だに分かりません。
 
ですが母は何かと無理矢理ルールを作り、私を生き辛くしていたように思えてなりません。それが他愛ない交換日記だったとしても、私は「いけないことをしている」と認識させられ、それを理由に母は無限に私に暴力をふるい続けました。
私は主に顔や目を殴られ、一時視力が劇的に低下したこともありましたが、母としては私の目が視えなくなればいい‥ ぐらいの気迫で私を日夜殴打し続けられる理由が欲しかったのだと思います。
 

— (中略して話を元に戻します。) — 
 
 
あの冬の土曜日は音楽教室の日でした。なので学校から帰宅すれば母が待ち構えており、交換日記を罪状のように振りかざし、きっと「音楽教室には行かせないわよ」と言う大義名分を付けて私の顔を殴打し続けることが予測出来ました。
なので私は中学校の授業から帰宅せず700円と少しの小銭を持って仙川まで自転車を走らせ、記憶では仙川の駅前の立ち食い蕎麦店で「力うどん」を食べたと思います。

 

そのまま音楽教室で午後の3時からの合唱と午後4時から6時までの授業を受け、私は音楽教室の友人である彼女に事情を話して一旦友人の家まで自転車で向かいました。
彼女のお母様とは既に面識があったので(きっとお母様としては嫌々だったのでしょうけど)ご自宅に上がると、温かいお料理が用意されていました。それを頂いて一泊する筈が、母からの連絡で私は彼女の家から突然追い出されることになります。

 
お金を持っていなかったので千円をお借りし、それを財布に突っ込んで一先ず私は自宅のある方角に向かいますが、最低気温3度とか2度の中、家には帰らずマンションの階段の踊り場で一夜を明かすことになります。

気が付くと、私は未だ制服を着たままでコートも羽織っていませんでした。ブラウスと上着、しかも化繊なので、夜中になると余計に寒さがしんしんと身に沁みて来ました。
勿論お腹も空いて来たので、当時一人では未だ行ったことのなかった「松屋」で牛丼とサラダを食べて、余りの寒さに階段に座っていることが出来なくてゲームセンターで3時間程、デスクを占領して仮眠を摂ったことを覚えています。

 

その後マンションの階段まで戻ると、どういうわけか家族総出で私の名前を呼びながら私を探している音が聞こえたのですが、私はそれでも家族(特に母)を信じられなかったのです。
きっと私を見つけるまでは単なる小芝居で涙を流し、私を家に引き入れた途端に再び暴力・殴打が始まるだろうと思った私は、家族に見つからぬように色々な場所を移動し、朝を迎えました。

 

冬の朝は酷く冷え込みます。しかも受験まで一週間を切った時期で、このまま私が家に帰らなければ受験自体も無くなってしまうでしょう。
むしろそのことに危機感を感じ、翌日昼前に私は泣く泣く帰宅しました。流石に中学生が真冬の極寒の時期に一晩家出を実行したことに対し、家族たちも少しは驚いたのか、その日の母からの暴力は何とか免れましたが‥。

 

この時期になると私は多々の、自分の身に降り掛かった忌わしい出来事の幾つかを思い出します。これらの悪夢は一体いつになったら、私の中から出て行ってくれるのでしょうか。。
今朝も悪夢に魘され、目を覚ましました。最近家族間で話題になっていることが好くない形で夢に現れ、私は何者かに酷く叱られ驚いて飛び起きました。

 
 

 
 
既にnote上でも警告を発していたように、遂に新型コロナウィルスの変異種がその牙を剥いて来たようです。この変異種はさらに分化と変異を繰り返し、感染力と毒性を益々強めて行くことについて私は再三に渡りnoteの中で警告(予測)していたのですが、数名の熱心な読者を除き多くの人々には見向きもされませんでした。
 

予知とか預言とは、形にならなければその効力を発揮出来ないものなのでしょうか?
危険な預言(予言)は極力、現実になって欲しくないから文章にして残しておき、読者に読んで頂き心を新たにして頂きたいと願っているのですが、多くの人達は「預言=言い当てること」に焦点を置いており、その現象が形になり現実になる瞬間をどこか心待ちにしているようにも視えて来ます。
これでは預言・予知の意味は全く無くなってしまいますが、それが現実です。

 

明日、何が身に起きるのかなんて、もう今は誰にも予測すらつきません。但し出来ることは沢山ある筈です。
きちんと食事をして、手洗いや消毒を欠かさず、外出する時は暖かい衣服で身を包みマスク必須で会話少なめに‥。人の集まる場所には極力出向かぬようにし、時折小さな外食等でストレスを発散し長居はしない‥。
 

小さな努力と心配りの積み重ねが、自分と大切な人の命を守ります。今人類に、私たちに出来るのはそれが限界でしょう。
さしずめ私にはミッションがあるので、その実行の時に備え体と心とシュールな感覚を粛々と磨き込んで、自分を高みに追い込んで行きたいと思います。

 

この冬幾つかSpotifyに作ったPlaylistの一つを、下に紹介します。
是非楽しんで、リストをフォローして下さい。そして皆様がご利用になられているSNS等でシェア~拡散して、広めて下さると有難いです。

 

それは悲しい戦いだった

久し振りの知人から、Facebook メッセンジャーを経由してメッセージを頂いた。久し振りではあるけれど、正直なところ胸が痛くなるような繋がり方・別れ方をした知人だったと思う。

普段はボイス・メッセージを使う私が、今日はその気になれなかった。きっと何も話すこと等ないし、沈黙を私が埋めるような最近のボイス・メッセージの使い方にとても疲れてしまったのかもしれない。
 

「急用でもあったの?」‥と言ってしまってから、なんて不愛想な言い方をしたのだろうと自分でもびっくりする程冷淡で、先方も何かを察知したのかもしれない。
ずっと私のTwitterを覗き穴から小動物のように覗いては何も言わずに、数年間同じ動作を繰り返していたと言う。
 
口数少ない私に先方はかなり動揺しながら、それでもぽつりぽつりと会話は繋がって行った。
 
昔の私は常に「営業モード」が点灯しているみたいに、いつ誰と会っても饒舌だったと彼女は言う。それもその筈、そうでもしなきゃ仕事が繋がらなかったから、私も頑張って生きていた。
でも今はもう、その必要もなくなった。だから私は、私が頑張らなきゃ会話が持たなくなりそうな人とは、率先して会わなくなった。

 
 

 

彼女はジャズ畑の人だから、当然そっちの話題に連れて行かれた。
会話はまるで水の流れのようだと思った。無理な舵取りを私が放棄すれば、相手の気の済むように話題は迷走する。どこへ向かうでもなく、どこに戻るでもなく、私が話術を放棄すればどうにでも会話は彷徨い続けるだけだ。
 
彼女: 「そう言えば、マリーンって今どうしてるの?」
私: 「そんなこと、私が知ってるわけないじゃないのよ‥」

そう言いながら私はYouTubeをPCから検索し、マリーンの代表曲の「Left Alone」を見つけて小音量で聴いていた。 
 
それを聴いていたら、ふと‥ 昔の自分を思い出していた。

 


 
それは常に、悲しい戦いだった。
 
歌手とピアニストは決して味方同士なんかではなく、言わば敵同士と何等変わりない。私は黒子を飛び越してその日その夜の歌手をいかに叩き潰して気持ち好く帰宅するか‥ に日々命をかけていた。
 
この動画のピアノを聴いていると、兎に角饒舌で、きっと演奏者も私に似たような心情で演奏しているのではないかと感じずにはいられない。
ヴォーカルにとってのピアノ伴奏とは、おそらく料理で言うところの調味料に似ている。絶対に前に出てはいけないし、その存在を完全に消した時にこそ価値が上がって行く。だけどその瞬間の仕事は、誰の記憶にも残らないのだ。
 
伴奏とはそういう仕事だったけど、おそらく多くの伴奏者たちはその戦いを通過して、日夜どうやってその日の歌手の存在を叩き潰して帰ろうか、オーディエンスの記憶の中からいかに歌手を消してその座に自分が強く居残れるか‥ と考えながら、段々とパッセージが過度に饒舌さを増して行く。
 

時々親切心を出した歌手に、間奏等で「好きに遊んでいいから。」と言われるけど、たかだか20秒程度・16小節程度の彼等の休憩時間を私の遊びにあてがわれたところで、本気の音の遊び等出来た試しがない(笑)。
遊びは虚しい暇潰し程度で過ぎて行き、直ぐに歌手が追い討ちをかけるようにサビのリフレインに乗り出して来る。
 
むしろ私はそこで歌手を潰しにかかることが多く、歌手が歌い出すのを見計らって音量を上げてあえて素知らぬ顔でソロ演奏の続きに狂喜乱舞したりして、24年もの間多くの歌手たちを困らせて喜んで来た。
 
 
マリーンのLive動画を観ていると、私ほどではないけれどピアニストが明らかに挑んで来てるのが見て取れる。
いかに自分が伴奏以上の能力を持っているのか、オーディエンスにただそれだけをインプレッションする為だけに演奏しているようにさえ聴こえて来る。
 
    
彼女: 「ねぇ?私の話聞いてる?」
私: 「聞いてなかった‥。」‥(笑)。
 
気まずい沈黙が長く続き、私はその気まずさを埋める言葉をあえて消し去った。まるで残響の失せたピアノのように、胸の中のベーゼンドルファーは酷く寡黙に押し黙ったままだ。
 
 
かつての知人は皆、私を芸術家だとは思わない。少し話の面白い、お笑い系伴奏家だと今でもそう思って連絡して来る人も少なくない。だが、私はあえて気まずくなるような方法を選んで、人を威嚇することに夢中になるのだ。
そして徹底的に相手の気分を損ね、連絡しなければ好かったと思わせ、以後本当にそういう人との連絡は途絶えたままになるから願ったり叶ったりだ。
 
 
本当はそんなこと、したいわけではないのよ。
私本来の楽しいおばさんのまま、自由気ままに話題のロープを駆け上がって相手を笑いの渦に突っ込みたい。でもそんなことをすればたちまち、相手の(私に対する)ルックダウンを助長するだけだから私はあえて、笑いの蛇口の鍵を閉める(ここからは立ち入り禁止よ‥ と小声でつぶやきながら)。

 

私: 「で、用事はなに?」
 
場をシラけさせる言葉を選ぶのに最初は戸惑ったけれど、最近はそういうキメの一言は難なく口を突いて出せるようになった。スルースキルも段々と上達して来たものである。
 
彼女: 「急にナニよ。なんだか貴女、変わったわね。」
 
 
そうそう、その調子。早くこのボイス・チャットを終えたいのよ私は‥。

 
そして数分後、チャットが終わった。
こんな時、相手に、人の心の声が聴ける能力があったらどれだけ楽だろうかと思う。
 
時が私を変えたのでもなければ、私が冷たくなったわけでもないし、ただ‥ 余計な接客サービスを過去の同業者には使わないだけのありのままの私。そして私は芸術家であり、何よりDidier Merahであると言う事実がそこにあるだけなのだ。
 
 

今の私は本当に自由だ。
好きな音楽を好きなだけ聴いて、そして好きなだけ作曲をして、好きなだけ筋トレをして心もカラダも鍛え上げて行く。作曲だって紙に書く手間を徹底的に省略して、演奏タイムの中で完璧な作曲を完成させて配信して行く‥。
 
 
新しいアルバムのことを、ようやく真剣に考え真剣にアイディアを煮詰める作業に入った。
二週間と少し体調を崩していたのだけど、夫の看病の甲斐あって何とか鍵盤練習に少しずつ復帰出来そうだ。今日も緩々と練習を開始し、二週間休ませて少し鈍った体を余り痛めつけぬよう、優しく筋肉を動かした。

 
今の私の音楽は、今日の彼女との会話以上にとても寡黙だ。それは全て意味のある空間と空気と間で出来ており、間の中には残響と自然音と言う成分が存分に滲み出て行く、未来の音楽の片鱗を感じさせる。

 

彼女とのチャットの最後に一言、付け加えた。

私にとってあの頃は常に、悲しい戦いだったのよ。
貴女は遂に気が付いてはくれなかったみたいだけどね。
 

「え。。それってどういうことなの?」‥ と彼女が言い終わる直前を見計らい、計画通りに私はチャットを閉じた。
 
 

純白の河

これ程何もやる気の起きない木曜日は珍しい。そういう時は心身を労わるに尽きる、と思いながらも折角の木曜日、しかも快晴。
勿体ないな…。ふと口を突いて出た言葉が余りに呆気なく、風に連れ去られて行った。

これでもかと言う程照りつける太陽が、早朝の凍えるような空気を一瞬にして甘く、熱い夢に変えて行く。
木曜日。何かしなきゃと思い、13時を過ぎた頃ようやく布団から這い出して熱いシャワーを浴びて支度を始めた。

今日のランチはもう決まっている。時間を気にする飲食店のランチを避けて、フレッシュネスバーガーのクラシックマッシュルームチーズバーガーのセットのクーポンを押さえてあった。


2020年11月3日、無事に、本当に無事に56歳の誕生日を迎えた。本当に無事だったかと訊かれたら決して無事だったとは言えない程、ここのところ色々と、目には見えない圧力との戦いに明け暮れていた私と夫。
だから無事だったと言えば嘘にはなるけれど、でも怪我をしたわけでもなく事故に遭ったわけでもないからやっぱり無事だったと言う他に言葉を思い付かない。


人生は小説のようだと言うけれど、小説が人生のようだと言う人に私は未だ出会ったことがない。でも私の人生はきっと、何かが逆転したまま進んでいると言っても良いかもしれない。
私は未来からここに戻って来たようでもあり、この世の始まりからの記憶の多くを霊体に保有したまま転生を繰り返しているから、過去から未来にタイムスリップしながら生きているようでもある。普通の人が基準としているものが、私の中では全くあてにならない。

これまで何人の人達に私の生い立ちや、私の魂の長い長い物語について語り尽くしただろう。今の夫以外の殆どの知人の同意や共感は得られることなく、今でも私は大きな疎外感の中で呼吸を続けている。


疎外感で繋がって行くのがこの小説「ミッドナイトスワン」の二人の主人公、凪沙一果、そして一果の親友のりんかもしれない。

私は未だ映画を観ていない。本当に手が届く程近くの映画館で上映されているのに、新型コロナウィルスの感染を避けるべく暫くは密閉空間には行かないと決めている。
なのでノベライズとも言うべき書籍を先に読了した。


紙の中に時間の河が流れていることを、今日まで微塵も信じていなかった。そんな私が物語が後半に進むにしたがって壊れ始め、遂には物語が巨大な生き物のように涙腺に襲い掛かり私を完全に崩壊させた。
頬を涙が伝うように、Kindleの白い画面の中に深くて熱い河が溢れんばかりに流れて、ともするとありきたりのまま過ぎてしまいそうな木曜日を全て呑み込んだ。

まるであの日の洪水のようだと思った。その日、その瞬間まで笑顔を交わして生きていた人たちと、二度と会えなくなる瞬間の苦悩。この物語りは地震とは何の関係もないのだけど、クラシックバレーに魅入られた三人が次々とその荒々しい波に呑まれ、還らぬ人になって行く過程はまるで大きな運命の逆らえぬ波をもろに浴びる感覚に似ていた。


普段私はここまで書籍にのめり込むことがないのに、この本は特別だった。勿論ジェンダーとは何か‥ とか、芸術とは何か‥ と言うあらすじに惹かれてこの書籍を何気なく手に取ったにも関わらず、これまで私の中にモヤモヤしていたものまでが気付くと綺麗さっぱりと洗い流された代わりに、そこには二度と消えぬ痛々しい私自身の魂の古傷が今にも血を吹き出さんばかりに露わになった。



何を隠そう、私も遠い昔に母親からの虐待を受けながら育った人間である。人はそんな私を見て見ぬふりをして、「それは愛の鞭よ。」等ときわめて無責任な言葉で私を諫めようとするばかりで、誰一人私を痛みの谷底から救い出してはくれなかった。


「ミッドナイトスワン」の主人公・一果は、現実逃避をしたい時になると歯型が付く程深く腕の肉を噛む。次第にそれはリストカットと言う別のやり方に変わり、最終的にそんな一果をクラシックバレーと言う芸術と彼女に生まれ付いて備わった才能とが救い出して行くようにも見える。

だが一度心に付いた傷は、永遠にそこに留まり続けるのだ。私もそう。そしてきっと先立った私の弟の胸中も、それに近いものではなかっただろうか…。


一果同様、私の半生も凄まじいものだった。その凄まじさが余りに凄くて、誰にその話をしても話半分に聞くだけで真剣に取り合い向き合ってくれた人は誰も居なかった。
最初の結婚相手も最後には愛想を尽かし、最終的には離婚を渋っていた私をその気にさせる為に生活費を殆ど入れてくれなくなったりもした。だが私はそんな苦境の中に在っても、音楽から離れることだけは考えなかった。
まるで「ミッドナイトスワン」の一果のようだと、物語を読み進めながら私は主人公の各々を自分の人生と照らし合わせていた。そして久し振りに心の底から泣いた。


絶対に泣かないと決めて生きて来た私が、過去の自分に向かって初めてと言って好い程真剣に涙を流した。



瞬く間に夕暮れが終わり、夜が来た。日に日に驚く程、夜が早く訪れる。

そして誰もがマスクの内側から、本音の悪魔を覗かせながら口では違う言葉を話している。そんな状況が無期限で継続し続けるこの世界で、一体どのくらいの人達が本音で生きているのだろうかと考える。


私は人の心を聴くことが出来る。これは悲しい能力で、実際に話している言葉とは全く違うその人の本心を、まるで同時通訳のように私は第三の鼓膜で聴き取りながら生きている。
だから最近、私は人と会わなくなった。表向きは「コロナ禍が終わるまでは人に会わない。」と言って人を遠ざけているけれど、本当は違った。


心の中に北風が吹き荒れる。それは次第に大きく強さを増して行き、今にも私自身や私を刻む時間までをも奪い取りそうな勢いだ。
でもどんな荒波に在ろうと、私は夫と共にここまでやって来た。幾つもの、色々な次元からの呪詛が私を体ごと、内臓ごと引き裂こうとしても、夫が力ずくで私を守ってくれる。

そんな私の魂の物語を共有出来る友人が、私には一人も居ない。
その時々の相手によって私は、私をカスタマイズしながら向き合い、それなりの自分を演じることが出来るだけに、気付くと私をありのままさらけ出せる相手を完全に失ってしまったようだ。

もしもそれが夫にとっての私、私にとっての夫だけならば、私は夫と時間軸を完全に合わせて同じタイミングで次の旅に向かえるよう、上手に長く生きなければならないと思っている。

少なくとも「ミッドナイトスワン」の凪沙のように、大きな手術をした後に自暴自棄になるようなことだけはしたくない。


折角自分の望む自分になれたのに、何故… 凪沙は自分の意思で「死」に向かって生き始めたのだろう。読了後に何が悲しかったって、与えられたもの全てを自分の意思で手放してしまった凪沙の描写が余りにも痛々しかったのだ。


人間は何と弱い生き物だろう‥。

かつての私もそうだった。だから凪沙の気持ち、りんの気持ちは痛い程よく分かるけど、ここに生かされていることの意味を深く、深く考えると私は死んでなど居られない。
だから映画館にも行かないし、長時間人混みの中に身を晒すようなこともしない。じっと耐えて引き籠って、自分と言う舟を丁寧に丁寧にメンテナンスしながら次のステップに進んで行くだけだ。

ここから始まる第二の人生の全てを私は、芸術と夫に捧げようと気持ちを新たに、帰途についた。



その理由について

2019年、冬。既に日常が壊れ始めていたとは知らず、世界中が来たる東京オリンピックの準備に追われていました。
ですがいち早くその兆候を感じ取った私の勘はあながち中らずと雖も遠からずで、まるで先急ぐように同年の12月、私はYouTubeから「Esperanza 2020」を配信しました。

この作品は翌年の2020年の4月末にリリースされたDidier Merahのアルバム『World of Nature』にも収録しています。



先日、過去の伴奏業の時代にお世話になった或る歌手のお別れ会がしめやかにとり行われたことを、SNSを通じて知りました。私はその会には、自らの意思で参加しませんでした。
そのことについて数件の問い合わせ等も頂いていますが、理由が複雑であることや、ともするとそれが故人を悲しませる発言になりかねない等の事情で、ご質問への返信はしていません。


一つ明確にここで意思表示をしたいことがあります。
それは私が芸術家としての道を今、真っ直ぐに進んでいると言う現実についてです。


クラシックの作曲家も、或いは男性アイドルやロック歌手も「アーティスト」と言う一つの言葉で言い表せてしまうこの状況下に於いて先日、私は或る神から得た貴重なアドバイスを何度も何度も心の中で復唱しています。


芸術とは様式美をベーシックとして生み出された創作(物)、或いは創作形態を指す。


神様からのこの短いセンテンスに、私の今の思いの全てが詰まっているような気がします。
そう思うと私が過去に接して来た多くの音楽が「芸術ではないもの」に該当し、私はそうした「芸術ではないもの」の集合体や「芸術ではないもの」に従事している人達とは一線を引かなければならないと、今朝心を新たにしたところでした。


あんなに愛したブラジル音楽もキューバン・サルサもタンゴも、おそらく「芸術ではないもの」にカテゴライズされるのでしょう。そんな話を過去の仕事仲間にしようものなら、きっと私はテーブルナイフで首をど突かれかねないので、やはりその業界に深く関わっている人達の輪からはそっと遠ざからなければならないと感じています。
それが私の意思表明にもなり、しいては彼等にとっての私の明確なスタンスを表明する手段にもなり得ると思うからです。むしろもっと早くにこの結論に辿り着かなければいけなかったのですが、私も人間。なかなか神の哲学の領域には辿り着けないものですね‥。



遂に先日、フランスに夜間外出禁止令が出されたようです。
今年の夏頃にはマクロン大統領から「ウィルスと共存する道を択ぶ」と言うメッセージがあったばかりですが、そうは言っていられない状況になったのでしょう。

この世に人命に代わるもの等、何一つありません。


そんなフランスで一時期大流行したシャンソンの世界、それを和製に組み替えた、言ってみれば遺伝子組み換え音楽のような「和製シャンソン」の世界で私は人生で最も大変な24年間強を過ごし、2011年の冬に自らの意思で退職し、現在に至ります。
その間色々なことがありました。お世話になった方もいますし、同業者・共演者を超えて親しくさせて頂いている方も何人かいますが、私と本当に親しい(かつては共演者だった)現在の友人は皆さん、私を「Didier Merah」と言う芸術家として作品性や人間性も含め多くを許容して下さる状態でお付き合いが進んでいます。

問題はそれが出来ない人達との接し方、決別の方法です。
 
人と人とは一度知り合ったら、知り合う前には二度と戻れません。一度知り合った人と知り合う前の状態に戻るには、お互いに心にかすり傷を負いながら「決別」と言う道を選択する以外の方法は多分無いでしょう。


やわらかく、さり気なく決別するか、或いはお互いに言いたいことを言い合って決別するか。手段は二者択一になるのかもしれません。
そこに共通の友人として「故人」が挟まっている場合の決別ほど、難しいものはありません。


その場合はやはり「何も言わない別れ」を選択し、日にち薬が互いを忘却の彼方へ追い遣るのを待つのが、最もスマートな別れ方になると思います。



コロナ禍の影響その他色々音楽以外の日常が挟まり、予定よりもレコーディングが少しだけ遅れるかもしれません。
ですが作曲だけは粛々と進んでいます。


楽曲は主に私が水に接している時に脳内を伝って降りて来ますが、ここのところ「火」を伝ってもたらされることが増えています。
その火こそが、この記事の冒頭にも触れた「芸術の根本」を司る神に私を引き合わせてくれました。


様式美を持つ創作やその世界観。
私が現代音楽を悉く嫌うのには理由があり、それらが歴史的な要因や政治的な突発時効を介して生まれ出た、一種の突然変異の音楽様式だったからと言っても過言ではないでしょう。
それらはこの世に不必要な産物であり、むしろその突然変異的な音楽様式が現在の芸術論の根幹を破壊したと言っても良いでしょう。少なくとも私はそう思っています。


ならば起動を踏み外した歪んだ歴史を、誰かが修正しなければならないと思います。そして私自身はその為に今、この世界に再度の転生を繰り返しているのだと確信しています。


火と哲学の神は、私に色々なことを教えてくれます。それは私が未だ聞いたことのない哲学であり芸術論を兼ねています。
これほど貴重なメッセージを尽きることなく湧き出るようにもたらし続けてくれる神との出会いは、人生にそう多く起きることではありません。
私はこの神からもっともっと多くのことを学び、そしてDidier Merahと言う芸術家としての知識の肉付けに励んで行きたいと思います。



Adieu, Gréco..

ジュリエット・グレコが亡くなったと言うニュースを早くから知っていたのに、何故かその話題に触れることが私には場違いな気がして今日まで記事が書けなかった。

もう時効なので名前を出してしまうけど、かつて私が演奏していた赤坂見付の老舗のシャンソニエ「BOUM」のオーナーの奥様のグレコに対する酷評を私は今も忘れない。と言うより、忘れられない(余りに可笑しくて)。

音符通り、原曲通り、ある意味楽譜通りではなくグダグダに曲のアウトラインが崩れてしまったような彼女の歌い方には、色々な評価があったことは事実だ。


正直私はシャンソンそのものが好きではないのにシャンソンの伴奏者になってしまったものだから、当時は 芳賀千勢子さんのグレコへの酷評が何とも滑稽で可笑しな響きに聞こえたのかもしれない。

だが、このYouTubeの「La Javanaise」を久々に聴いた時、鳥肌が立った。
勿論Ibrahim Maaloufのトランペットの優しい響きが彼女の老いた表現をしっかりと支えていた事は外せないとしても、グレコのこの歌唱表現の崩れ方・滅び方が何とも美しく感じたのだ。

過去世バッハの私が完全に音楽のオーソドックスと将来の光の回路に舵を切った新星 Didier Merahの心を、グレコの何が深く激しく揺さぶったのかは正直分からないのだけど、このLive音源を聴いた時既に私はいつか訪れるであろうこの日(グレコが逝く日)をそこはかとなく予感したと言っても過言ではないだろう。


和製シャンソンの世界は過去世バッハの私には、余りに毒が強すぎた。そして多くが偽善と虚飾で出来ており、さながら犯罪集団に紛れ込んでしまったような深い罪悪感だけがその仕事を辞めた後に残された。

だが、原曲は時々美しい音の光の矢を放ち、例えばグレコのこのLive音源の表現はきっと私の過去の職歴「シャンソン・ラテン音楽の伴奏者」と言う額縁に大輪の花を添えてくれるに違いない。

それでも私はシャンソンが全く好きにはなれない。多くの日本人のシャンソン歌手の伴奏をきっと遣り過ぎたからだろう。
身の丈に合わない派手なドレスを田舎臭く纏って、演歌に毛も生えないような「おシャンソン」を演歌のこぶしたっぷりに歌い上げる彼等・彼女等の粉っぽい化粧の臭いが今も、記憶にべったりと纏わりついて離れない。

それでもたった一個のLive音源が、それまでの悪い記憶を綺麗さっぱりと洗い流してくれる事がある。
まさに人生は奇跡と悪夢の連続だ。


何よりジュリエット・グレコ氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。




※この記事は先にFacebookの私の個人アカウントのタイムラインに投稿した手記を、そのままブログに転載したものになります。

預言 – Prophecy from My God


毎年この時期はレコーディングに注力する筈が今年は色々予定が重なり、特に今朝はいきなり私の第三のチャンネルが全開になったことも重なり、仕事等そっちのけでチャネリングをしたり料理をしたり、いつもと違う連休を過ごしています。

サブスクリプションのリスナー数が右肩上がりとは言え、まだまだライバル等と比較すると私は裾野に大きな伸びしろがあるのも現状。
だからと言って他の、ミュージシャンとタレント活動を同時並行的に進めているアーティストと比較することも出来ず、私の場合は身体的な不具合等(勿論業界内で活動する上での容姿と言う意味合いで)を抱え込みながらの活動なので、結果にコミットするには時間を要するでしょう。

 

私は未来から逆算しながら、現在の活動を進めています。つまり予め回答が分かっているところからの逆走の人生を歩んでいるので、作曲と言っても自身の承認欲求等が存分に満たされる状況で行っているわけではないのです。

一つ明確に決めていることは、「少なくとも500年後、或いは1000年後に残る音楽を生み出すこと」であり、そうなるとその時々の気分やムードや思い付きで作曲したり音楽を配信することが全く出来ないのが現状です。
予め未来に弾き出されている音楽の回答が分かっているので、その回答に背く音楽をこの世に産み落とすことが許されないのです。


利点を挙げれば「作曲や表現手法に迷いが生じないこと」、その一点。ですが多くの音楽家や作曲家に生じる「迷い」や「カオス」が楽曲の中に混入しない分、時折「冷血無慈悲なAIのような作曲家だ」と誤解されるデメリットと衝突することも多々あるのが悩みの種です。


Didier Merahと言う存在の個性も世界に一つならば、例えばサブスクリプションに表示される「ぶら下がり」に表示される(傾向の似ている)他の楽曲やミュージシャンも少なく、そうなると私の作品に他の音楽家から辿り着く確率も極めて少ないわけで、その影響もあってなかなかリスナー数が思ったように伸びて行かないのかも‥ 等と色々思いを巡らせている間に連休も残すところあと一日に迫って来ました。

ですがこの連休は珍しく仕事を入れなかったので、夫婦の会話の時間や私が神様から得た私たちの将来のイメージビジョン等についての話に多くの時間を費やすことが出来たことは、何より大きな収穫でした。



今住んでいる街や街の人たちとの折り合いがここのところ上手く付かず、切っ掛けがあれば他の街に住むこともそろそろ考えても好い頃かも‥ 等と感じています。
街中では確かに私はただの「おばちゃん」にカテゴライズされる女性であり、歩きながら作曲をするわけでもなければがり勉タイプの‥ 例えば喫茶店等で執筆をしたり五線紙を拡げて何かをするわけではなく、兎に角仕事の「視える化」が出来ないのでなかなか人の理解を得られません。
なので、私の本体を知らない人たちからのルックダウンは、かなしいかな日常茶飯事です(笑)。

でもそれがかえって「放っておいてくれる」と言う、私にとってはうってつけの環境を引き寄せてくれる切っ掛けにもなるので、少しの蔑視やルックダウンに私が上手く耐えることに慣れてしまえば何ってことは無いのですが、困るのは私のこと、私が何者であるのかについて知っている人達が意図的に私をルックダウンする状況に陥ることぐらいでしょうか。


コロナ禍を機に私自身が知人や他の人たちとの関わりを避けたり、段々と人と会わなくなって行ったり、或いは頻繁に私を無償のランチに招いて下さっていた飲食店が閉店したり‥ 等色々重なって、実は生活のグレードにかなりの重圧と制限が掛かっていることは否めません。
そんな中でも時折ヘッドホンや書籍、マヌカハニー等をAmazonの「欲しいものリストから送って下さる方もおられれるので、本当にこういう時だからこそありがたいと思います。



のんびりと過ごす4連休。考えて考えて、そして遠い人のことや会えなくなってしまった魂や霊体を思いながら過ごしたこの時間に無駄などけっしてありません。
ただ、そういう自分の話を夫以外の誰とも共有出来ず、仮に共有しようと思ってうっかり口走れば妬みの素材にしかならない今のこの世の私に、いつになったら「友」が得られるのか‥。考え過ぎると気が遠くなります。

とは言え既に私はリラ星から来た「ただ一人」の魂であり、生まれた時点で既に孤独を受け容れざるを得ない状況だったと言うこともまた然り。


ブログやコラムを綴ってもガチで感想やレビュー等をSNSに挙げて下さる方も居ないのは、きっと私がこの世界の常識にハマることのないちょっと珍しいタイプの人間だから‥ と、自分の中に何とか落としどころを見つけて先へ進んで行く他にありません。

ファン・ジニヨハン・セバスティアン・バッハの、最低でもその二人の魂を併せ持っているのだから、これは致し方のない現実。素直に受け入れてしまった方が将来の光への到達時間は、きっと程好く短縮されるのかもしれませんね。





【お願い】
Didier Merahは活動の性質上、スポンサーや支援者を持たずに活動を続けています。
よろしければ時折Amazonの「欲しいものリストにスクラップしているものの中から、何か小さな物を贈って頂けると有難いです。

Didier Merah Amazon【欲しいものリスト】

何卒応援・ご支援等、よろしくお願い致します。

Life – 命

三浦春馬さんに続いて芦名星さんまでが、ふっと旅に出るみたいにこの世を後にして行きました。
ドラマ「相棒」ではしっかりと脇を固める、美人かつ演技派の女優さんでした。
 
今朝まで、昨日まで、さっきまで‥ 仕事関係者と連絡を取り合ってその数時間後の突然の死(メディアで報道されていた内容をまとめると)。
本当に信じられない‥。
 
若い世代が絶望を感じるような何かが、この時代には潜んでいるのかもしれません。
こう次々と大好きな人達が消えて行く今、私はあらためて「命」とか「命の重さ」「命の上限」について考えています。
 

新型コロナ肺炎では生きたくても生きられない命がこの世を後にし、今も多くの亡霊たちが行き場を求めて現世を彷徨い続けているような気がします。
そんな一方でメディアに次々と流れて来る訃報の数々が意味するものとは、一体何なのだろうかと‥。



命の上限について、思いを巡らせています。
生きられるだけ生き続けるのが生命の宿命だとこれまで私はずっと思っていましたが、そうではなく自らの手で最後・上限を決めてそれまでの全てをリセットする時の故人の思いとは‥。

 

今日は何を見ても何を聴いても、けっして明るい気持ちにはなれません。
芦名星さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

境界線


世界は絶妙なタイミングで変化し続けています。
まるで季節が夏から秋へと向かうような自然な流れを装いながら、地球人と言う赤子を沢山の自然神の面々があやしながら、あっちへ行けこっちに向かえと言って飴を鞭を使い分けるように‥。

この何とも絶妙な転機を私たち人類はどのように感じ、そしてどのように乗りこなして次の時代へとシフトして行けるのか、行けないのか‥。何もかもが手探りなのだからそこには最初から存在する明確な回答などは一つも無くて、それでも私たち人類はこれまでとは違うやり方、生き方、ものの考え方、価値観や哲学観に絶対にシフトしなければいけないと自然神は解きます。


私が度々書く「自然神」と言う単語に拒絶反応を示される方々が居ることも、私には分かっています。それはご自身がこれまで達成出来ていた筈のマウントに対する敗北感に似て、私如きの社会的な立場の弱い芸術家に負けるわけがないと言う既存の秩序が音も無く崩壊してしまうのではないかと言う不安の上に成り立つ、後先のない真の敗北を真のあたりにすることへの恐怖に似ています。

ですが私は常に、そんな横暴かつ無謀なマウントに今日までじっと耐えながら芸術活動を続けて来ました。
確かに今日まで勝ち目のない戦を延々と続けているようなところもありました。ですがこのコロナ禍が皮肉にも切っ掛けとなり、私と時代の間に長い間立ち塞がっていた壁が一気に崩れた感は否めません。
これまで高い所にあった壁が、急激にその高さを変えて私の手の届く場所まで降りて来たような、ある種の私自身の人生の見通しが立ったと言っても過言ではないでしょう。


Twitterその他Facebook等のSNSのプロフィール欄に、私はある時期から私のありのままの姿を人生及び魂の履歴の一つとして書き加えており、最近はTwitterで私の過去世 J.S.Bachについての色々な話を綴っています。
その度に味方ではないと思えるような方々からのDMがひっきりなしに舞い込んで来るようになりましたが、だったら私の説に反する先方の方々からBachの隠された逸話が聞けたのかと言われると、そうではありません。

だからと言って私はBachを武器に自分の芸術活動やその履歴を美化したいわけではなく、ただただ間違ったJ.S.Bachの説をシンプルに穏やかに軌道修正がしたいだけなのです。

それは私が今日まで音楽を続けて来れた原動力の一つでもありますし、これから世界中の音楽愛好家や音楽家の卵たちに絶対に必要となる学説や音楽理論の新たなベースともなり得るものだと、私は確信しています。
 

色々な意味で、世界は転換期を迎えています。既にその旨私は1990年の湾岸戦争の頃から予期しており、いつか世界は逃れようのない時代の境界線に立たされる時が来ることを知っていました。
だからと言って自分の生活を一気に変えて行くこと等出来ない、私にとっては闇の数十年が経過し、最後の最後で夫や日本神界の神々によって救われたと感じています。

夫と初めて会った日のことを、私は今でも忘れることが出来ません。
あの日は丁度薄曇りの朝。前日の疲労が祟り、その日は夜中から酷い腹痛と偏頭痛と吐き気に見舞われ、本当ならばそんな日に人と会う約束などあっさりキャンセルする筈がどうしても夫との約束だけは守らなければならないのだと、私の本能がそう叫び続ける朝でした。

そして朝っぱらから一本1,500円ランクのユンケルと胃薬と正露丸、そして頭痛薬を服用し、一時間予定よりも前倒しで支度を始めました。

途中如何なるアクシデントが起きてもいいように、先ずは心のゆとりを持つことが大切。そして予定は意外にサクサク進み、結果的に私は50分も早く約束の場所に到着することが出来ました。
自宅を出発する時は不具合だらけだった体調も段々と時間を経て快方に向かい、現地に到着した時にはかなり好くなっていたのが不思議でした。


あの時私が無理を押して夫に会っていなければ、今の私は居なかったでしょう。あの時も私は、人生の大きな大きな境界線を何とか乗り越えたことを強く実感しました。


今私たち人類は色んな意味で、これまでには無いくらいの大きな境界線に立たされています。
境界線には好い境界線もあれば、そうではない境界線もあります。まさしく今、人類は後者の境界線上に立たされていると言っても過言ではないでしょう。この境界線から先には、キャンセルが利きません。乗り越えて先に進むしか、他に方法が無いのです。

色々書きたいことを整理せずに、又もや多くの思い出話をしてしまいましたが、今私が聴いているのはCesare Piccoの比較的新しいアルバムです。
Cesare氏の比較的初期の香りが漂う、不穏で神秘的な作品がずらりと並ぶ秀作です。




今日も即興ブログを最後までお読み頂き、ありがとう御座います💛

自然神からの警告


新型コロナウィルスや台風 、そして水害等、自然が容赦なく人類に襲い掛かり私たちの動きを封じるには理由があります。

どう対処して元の生活に戻るか‥ ではなく、暫く大人しくしていろと言う自然神の怒りをもっと真摯に受け止めそれに従うべき。
今がその時です。