Reset – 2023.02.24

2023年2月24日、実家の売却手続きが完了した。
思えば母の逝去から1年強が過ぎ、大きなしがらみから私はやっと解放された。長い長い苦しみから解かれたとは言え、未だ戦いは続いている‥。
 
実家マンションの売却手続きの前日から私は体調を壊し現在に至るが、気分はとても清々しい。仲介業者や司法書士の先生等、色々な方々がその日の為に動いて下さった。

手続きは2月24日の朝に、全て終了した。
そのタイミングでスマートフォンに大量に溜まった写真を整理していたら、従妹が当日撮影したと思われる母の葬儀の写真が見つかった。
予め2021年の暮れに一足早く身辺調査を進めて行く過程でこの写真をInstagramで見つけたので、スマートフォンに仕舞っておいた。
 

 
上記が2021年12月10日の、弟・大輔(故)の妻の「山田りえ(仮名)」が私に黙って喪主を買って出て執り行われた、問題山積の母の葬儀の記録写真である。

※出典元を以下に貼っておく。

 

 
従妹の「秋山奈美(仮名)」さんは私の存在も存命も知っていた他、未だ私が小学生か中学生の頃に何度も会っている。勿論私が頭のおかしな人間ではないことも、彼女は知っていた。
にも関わらず、弟・大輔(故)の結婚式に私が出席していなかったことや、実家の三人の家族の葬儀に私が参列出来なかったこと、その他全ての親戚の行事に私が出席していないことを含め、(頭のおかしな人間ならば)そうされても当然のこと‥ とでも言うように今日まで沈黙を決め込んだ人物である。

奈美(仮名)さんはどういうわけか最近、(誰から私の連絡先を受け取ったのか‥)LINEで私の電話番号を番号同期させ「友人追加」して来たが、未だ音沙汰はなし。
流石に亡くなった実母の第一発見者の一人で‥ 等と今さら私に何を言い訳しても、私が聞き入れないであろうと言うことを察してのことだろう。だとしてもこの件、私が公的機関に相談したらどういうことになるか、彼女は重々分かっている筈だ。
 

問題の「霊界裁判」の決着には、少し時間が掛かりそうだ。
理由は上記の従妹の「秋山奈美(仮名)」や弟・大輔(故)の妻の「山田りえ(仮名)」、さらには母の葬儀の直後に山田りえ(仮名)と共に母・山田雅枝(故)の遺産強奪についてS弁護士に相談を持ち掛ける際に同席した「秋山奈美(仮名)」の妹の「森田絵美(仮名)」のように、現在も私との対面を徹底的に避けて身を隠している親族等の動向を観察(監視)する時間を、司法が要するからである。
 
その監視には親族の寿命の最期までの時を要する可能性もあり、私はそれを承知で霊界裁判の司法に事の決着のすべてを託して今日に至る。
 

夫が言うには私の霊体はかなり巨大らしい。それもその筈で、リラ星の巫女の時代から今日まで多くの記憶を霊体に持ち越して転生し続けているのだから、きっとそれはとても自然なことなのだろう。
しかも未だ殆どの陰徳が、未使用の状態で今日に至る。私の霊体の覚醒・拡張に比例して先方の量刑が決定するので、最終的には先方の寿命の最期の段階で私の霊体がどこまで陰徳を積んでいるか‥ との差し引きが刑の重さに関わって来るとのことだ。
  
現世の司法で仮に裁くことが難しいことでも、霊界裁判と言う方法が最後に残されていると知った時、先ず私は本件に関わった全ての親族・親戚等に適切な量刑で裁いて欲しいと心から願った。
その願いが意外にすんなりと受け入れられたことに、心から霊界の司法には感謝している。
 

既に父・寛(故)、母・雅枝(故)、そして弟・大輔(故)の全員の刑が確定し、次いで母の姉で私の叔母にあたる「秋山昭子(仮名)」の量刑も確定したようだ。
全員が同じ最高刑にあたる、「霊体及び幽体の粉砕」が決定した。つまり全てのこれまでの記憶がリセットされ、二度と現世に生まれ変わることは出来なくなる。勿論日本式で言うところの「成仏」も出来ない。
全てがリセットされる。

山田家の遺産強奪計画を試みて失敗に終わった「山田りえ(仮名)」と従妹の「森田絵美(仮名)」、及びその姉の「秋山奈美(仮名)」については、彼女たちの寿命の終わりまで刑の確定が持ち越される可能性が大きい。
だが、母が逝去日の約三か月前に先に某霊団によって「霊体はく奪」があったように、山田りえ(仮名)」(場合によっては「森田絵美(仮名)も)にその方法が用いられる可能性が高まって来たとの知らせを受けている。

後は天に、霊界の司法にお任せするのが良いだろう。
 

正直それでも私の怒りは収まらないが、私が量刑を霊界の司法に委ねたのでここは彼等の判断に従うのみである。
感情ではなく、理性で納得しようと思う。
 

最後に従妹「秋山奈美(仮名)」が撮影したと見られる、母の葬儀当日の写真をもう一枚、掲載しておきたい。
彼女は何を思いこのような綺麗事の記録をInstagramに残しているのか、真意の程は分からない。

分かっていることはただ一つ、嘘八百かつ極悪人の母の肩を最後まで持ち続け、現在も私を排除し続け、今も尚私から逃げ回っていると言う事実である。
 

 

エッセイ『Equinox』

両親と弟の骨は、既に合祀墓に眠らせた。全ては私の一存でしめやかに執り行われた。
父と弟が眠る墓へは、その日まで一度も足を運ばなかった。墓じまいの日、そこで初めて見る小さな墓はあってもなくても誰も気づかないほどの存在感で、ひっそりと佇んでいた。

二人の家族が先立ち、実家に私を寄せ付けない名目で最後まで実家に一人で暮らしていた母も、一昨年の冬にこの世を去った。
その朝。母の遺骨を持って家を出ると、そのまま車で墓地へ向かった。必要な書類に記入を済ませると抜魂式が始まり、すべてはあっという間に私の前を通り過ぎて行った。

三人の家族に尋ねたいことは、ただ一つだけ。
何故私をこんなにも忌み嫌い、家族の輪から排除し続けたの?

 
墓の維持は、最後に生き残った私に全て託されていた。
親だから、家族だから‥、
きっとほんの少しでも私を心のどこかでは思っていてくれた筈‥。
そう信じて人生の整理を進めて来たけどそんな私の思いは全部幻想だったと、両親の遺書が何もかも全て剝ぎ取り、最後まで私を否定し続けた。

それでも私は最後に生き残った、ただ一人の家族。

 
ようやく私は人権を得た。
長い間の虐待もそれにまつわる何もかも、すべてを終わらせる時が来た。

苦虫を噛み潰したような表情の父と、険しい表情の母と無表情の弟が私の背後に佇んで、背中を突き刺して来た。
どんな痛みも、あの頃の痛みを超えることなど出来ない。それほどまでに私は十分に苦しんで、今日まで耐えた。

もういいでしょう?‥と、家族三人の骨に問いかける。シャリシャリと骨が擦り合いながら幽かな音を立て、彼等の「絶対に許さない‥」と言う声が聴こえたような気もしたけど、それは私の台詞よ。
奪わないでね、私の生存の権利だけは。
 

 
4歳年の離れた弟はこの世に、私の刺客として送り込まれた。もっと早くそのことに気付けたら私は、これほどまでの悲しみを背負わずに済んだだろうか。
 
穏やかな時間も生活も家族の輪も、すべてを私から奪い取った弟が先に逝ったのはきっと罰。私はあなたがたの罰を天の采配にあらためて託したから、今はその沙汰を永遠のように待っている。
たとえどのような答えが下されたとしても、心のどこかで天と運が未来の私の最大の味方だと言う確信は揺らがない。
 

遠いことが昨日のように私の中を巡り行く。そして母が力ずくで私から遠ざけた最愛の神父が、新たな命を得てもう直ぐこの世に還って来る。
不運の中にもいつしか種は蒔かれ、もうじき芽吹こうとしている。私の母体からは遠いところで、息を吹き返す彼の音色が放たれて行く。
 

 
過去世で私の死を見届けたのが本当にこの人だったなら、今世で私と神父が家族になれなかったのは何故?
こんなに近くに居たのに、私たちは今世でも離れ離れのまま終わってしまった。
だから次のチャンスに賭けてみたい。

彼と親子になれなくても、友人にはなれそうな気がするから‥。
 

尋ねたいことが幾つも巡るけど、すべて風がかき消して行く。それ以上は訊くなと言うように、風が止まない。
天から幾つも、私を探しあてるように魂たちが還って来る。それらは春の淡い綿毛のように、「母」を求めて降りて来る。


生きる場所は別々でも、彼等は約束を果たすために私の傍にきっと居てくれるだろう。あとは私が彼等を探し当てる番。

長く生きよう。
周りに知った人たちが全て消えた後の世に、たとえ私一人が取り残されたとしても長く生きよう、彼等のために。
 


※今日 2023年2月23日、私が生まれる前から今日まで私たちを見守り続けたアップライトピアノが、マンションから運び出されます。
58年間、私たち家族の全てを知る最後の番人は、間もなく解体されます。

長い間、本当にありがとう。
さようなら。
 

霊界裁判の経過とサビノ神父との会話

昨夜2023年1月24日、夜。夕食に出かける支度をしていたところ、霊界裁判を担当している霊的存在の弁護士から急遽アクセスがあり、私の(亡くなった)親族等を巡る霊界裁判の途中経過を知らせて下さいました。
正直なところ、その内容は私の思う内容とは少し異なるものでしたが、そもそも現世の現実世界の司法では裁けないものが別途「霊界裁判」の形に持ち込まれたこと自体が、半ば奇跡的なことなのです。
 
前回の霊界裁判の開催はあの、史上最悪のカルト団体の教祖(‥尊師)だったと言うところだけを見ても、私の家族や両親・親戚等が現世でその域の邪悪さを振り撒いていたことは推して知るべし。
ここでは霊界裁判の途中経過の、内容詳細の記載は回避します。
 

そんな折、昨夜遅くから私は愛するサビノ神父の霊体と、接触を試みているところです。‥と言っても暫く眠っていたサビノ神父の霊体に異変が起きたことが発端で、その異変を生み出して下さった某神様には心から感謝を何度も何度も述べたい心境です。
 

 
上の写真は実家の遺品整理中に私の手元に還って来たサビノ神父の写真ですが、(最近の私の陰影をご存じの方ならば)‥どこか私と雰囲気がとても似ていることにお気付きになられると思います。
 
兄と言うには近すぎますが、過去世のどこかで私はサビノ神父との深い縁(えにし)を感じており、長い間自身の記憶を辿っていました。
そして昨夜、その真相の断片を掴み取ることが出来ました。

ですが如何せんそれは未だ断片に過ぎず、現在のサビノ神父の霊体にはとても大きな損傷の痕跡が視られる為、この記事の中では詳細には触れないでおきたいと思います。
 

 
過去世で私は何度も「死」を経験し、断片的にその記憶を持っています。
ですが過去世のサビノ神父が目の当たりにした、直前の過去世の私の「死」の瞬間はとても壮絶なものだったと、彼は語り始めました。
そして今世のご自分の心身に実際に在った大きな傷跡の経緯を、彼はいつか私に話そう‥ 話そう‥と思っていたようですが、それは遂に叶いませんでした。
 
‥本来ならば私は、彼を父に持つ可能性があったようです。
その発端は直前の私とサビノ神父の前世からさらに遡る幾つもの過去世の記憶の断片の中に既に在るようですが、どうしても私にはその発端に辿り着くことが出来ずに居ます。
その場所に行こうとすると、(魂に)痛みが生じるのです。
 
鬱蒼と茂る背の高い草、その脇に砂利道が長く続いており、そこに一軒の小さな空き家(小屋のような‥)があり、私はその先の狭い路地を目指して一人で歩いていました。
夢は毎回そこまでは私をいざなってくれますが、その空き家の手前で、まるでTVの電源が突然切れるように夢が終わります。
どうしてもその先に進むことが出来ないまま、もう何十年もの月日が経過しています。
 
‥どうやらサビノ神父は、その先の出来事を知っているようです。
ですが今現在の(霊体に損傷を負った状態の)サビノ神父から、その全貌を聞き出すことはとても難しいと思います。なのでこのことにはもっともっと、長い時間が必要になるでしょう。
 

 
春になって暖かい風が吹く頃になったら、私と神父が40年前の11月、最後に会った箱根は芦ノ湖に足を運ぶ予定です。
あの日私がお腹を壊さなければきっと乗船してサビノ神父と共にひとときを楽しんだであろう船に、乗れれば乗りたいと願っています。
 
‥それにしても実母の葬儀の件では、まだ謎が謎のまま現在に至ります。
 
何故母の葬儀が(それまで長年通い続けていた筈の)イグナチオ教会ではなく麻布教会に決まったのか、本来ならばその辺りの話を(母の骨壺から彼女が抜き取ったと見られる母の火葬許可証の件も含め)弟・大輔(故)の妻の「山田りえ(仮名)」さんから直接訊きたいところですが、彼女は未だに私との接触を避けています。
まさか私の母(故)や父(故)、或いは大輔(故)から伝え聞いた私についての話を、彼女は今でも信じているのでしょうか‥。
 

霊界裁判では量刑が既に決定している箇所もありますが、(これはあくまで霊的な実刑を決定する場ですが‥)弟(故)の嫁・山田りえ(仮名)は極刑の次の量刑の重度で言うところの「第二位」に位置する罪で裁かれる可能性が濃厚です。
ですがこれは未だ、決定ではありません。

 
静かに事の経緯を見守りながら私は、これから現世に転生を目指して舞い戻ろうとしているサビノ神父の御霊(みたま)と、会話を続けて行きたいと思います。
 

 

実家との永別

とても個人的なことですが、昨日無事に実家マンションの売却の契約が成立し、又一つ物事が前進しました。
私にとっては約54年と強の時を送った実家(中32年間は両親の強い希望もあり、私は殆ど実家内には立ち入ることが出来ませんでした‥)ですが、それなりに思いはひとしおでした。
 
昨年の暮れ、2022年12月29日に最後の遺品整理で実家に入り、全ての作業を終えて実家を後にしました。
もう二度と見ることのない部屋の一つ一つを、スマホで写真に収めて行きました。形式的には私と実家や家族、親戚の人たちとの全ての関わりがこれで(一旦)終止符を打つことになります。
 

 
但し私を今日まで排除(迫害)し続けて来たすべての人たちに対し、私はシュールな方法で「それなりの報復」を試みることになります。
後は霊界裁判の場で、各々の魂に直接霊的存在の方々がアクセスし各自の魂と霊体から情報と記録を吸い上げることになる為、私が判決の場に立ち会うことは一切出来ません。
 
とても長い時間を要する裁判になると聞いていますが、私は自身のミッションを粛々と遂行すべく日々を送って参ります。
 
私の実家の諸々に関わり私を排除し続けて来た全ての人々には、しかるべき報いを受けて頂きたいと思っています。
私の苦しみに対する、それ以上のものを。
 
昨年12月29日の最後の遺品整理の時までに、私は自身の幼少期の写真のみならず弟や母、そして親戚秋山家・池田家・横尾家~弟の嫁・市〇家の家族全員を含むの写真や手紙の多くを回収し、保管しています。
勿論その中には弟・山田大輔(故)とその妻・山田りえ(仮名)の結婚式の際の集合写真や親族だけが収まった写真の他、同 山田りえ(仮名)のKO大学の卒業写真までが出揃いました。
私の知らない時間の中で起きた出来事のあれこれをあらためて丹念に見つめ直して、この先の霊界裁判に備えたいと思います。
 

昨日の色々なことで心身かなり疲労が激しいので、今日は時間をらんだむに使って音楽を聴いていたい気持ちです。
こういうタイミングでセレクトするのは持って来いの、昨日Amazonから届いたM.Yさんの中古のDVD+CD “within” の荘厳な調べを堪能しながら、この記事を書いています。
但し、このCDの主役であるM.Yさんからは私は「或る事情」によりアク禁にされているようです(笑)。
 
私が音楽評論家として下した彼女へのジャッジメントの影響なのでしょう。
でも私はあるべき発信に心掛け、愛ある厳しいジャッジメント精神を今後も失わないつもりです。
 

 
今後の音楽評論記事は、全て花島ダリア名義で進めて参ります。
ブログは花島ダリアの音楽評論になります。

霊界裁判 – 刺客と家庭崩壊の転機

2022年12月29日、私にとっての「家仕舞い」が終了しました。
一年前の同じ日に足を踏み入れた時、同じ空間は酷いゴミ屋敷と化していました。丁度耐震工事真っ最中のその部屋は、室内だけが別の世界みたいに時間が止まっていました。
 

(母の)亡くなる数年前から恐らく彼女は目も耳も悪くなっていたのでしょうか‥、あちらこちらに似たような眼鏡が散乱していました。
台所にはこぼしたままの調味料の跡が点在していて、寝室は一体どこに寝れば良いのかと言う程洋服や身の回りの物々が書類に紛れたままになっていて、そこに何とか空間を維持するみたく布団が敷かれていました。
 
マンションの耐震工事中は室内から一切物を運び出せない状況が続いた為、実際の遺品の整理は昨年の11月から再開され、11月下旬に開始した遺品の運び出しには12月の初日まで、約10日間を要しました。
予め両親と弟に関わる個人宛の手紙や書類とアルバムや写真だけを残しておくよう業者に依頼したので、12月初旬からは主にアルバムの確認や整理が粛々と続き、去る2022年12月29日に家仕舞いの全工程を完了しました。
 

 
2022年12月29日のTwitterでツイートしたように、同日始まった霊界裁判は現在も続いています。
勿論これは霊界の司法を元に開催されている事なので内容が逐一私に開示されるわけではないのですが、必要な情報は該当裁判の担当裁判官(勿論霊的存在です)から時折知らされます。
 
未だ裁判過程に在るので内容の全公開は出来ませんが、私が視た山田家と霊界裁判が調査している山田家には若干温度差(内容差)があるようです。勿論私にとってはそのどちらであっても結果には大差がないのですが、量刑の観点からはやや私の意にはそぐわない判断も下されています。
 
気になっている点の一つを挙げると、弟・山田大輔(故)の妻・山田りえ(仮名)とその家族の量刑についてです。

霊界裁判の担当者の調査によれば、昨年私のInstagramのDM宛てにメッセージを送って来た人物は、山田りえ(仮名)の母親だそうです。山田りえ(仮名)本人ではありませんでした。
なのでその視点から見ればDMに書かれていた山田りえ(仮名)について「箱入り娘で育てられたような‥」の記述は、いかにも母親らしい書き方だと見ることが出来ます。

一見何気ない文章に見えますが、この「箱入り娘‥」の辺りの記述は実際にその状況を知らない人には書けないことだと思います。なので現実問題、山田りえ(仮名)をその母親は箱に仕舞うように大切に育てたからこそ、私にそれを訴えて来たと見なす方が自然です。

 

また、りえ(仮名表記)さんにおきましては、あくまでも私個人の見解ですが、箱入り娘で育てられたような様子があり、ある種の経験を大きく欠いているかと思います。それ故に、遠矢様からの立て続けの電話のコールに一人きりでいた彼女は相当に恐怖感を覚えたようです。
とはいえ、電話を折り返す必要があったと思いますし、弁護士を通してではなく、遠矢様と直接話し合う必要があったとも思います。
 
生前のお母様からの言伝や一言には書けないいくつかの事情が重なり、遠矢様に失礼になるようなりえさんの対応があったと思います。遠矢様に対して誠意を欠いていると言われるのはその通りかとも思います。
 

Instagramの「エル〇〇ト」が私に宛てたDMより

 
問題は山田りえ(仮名)が実際に私にしたことを、家族である母親らしき人物が庇う行為の方です。山田りえ(仮名)の母親のその言動が万一なかったとしたら、母親の量刑はかなり軽くなっただろう‥とのことです。
実際には犯人隠避にも近い行為に至った可能性のある言動と見られる為、山田りえ(仮名)の母親に於ける霊的な量刑は山田りえ(仮名)に対するそれに匹敵するとのこと。
重い罪が課せられるでしょう。
 

これはあくまで霊的裁判が判断する霊的量刑の話であると言うことを、繰り返し付け加えておきます。

 

 
霊界裁判によれば、弟が生まれる迄の4年弱の期間の山田家は、多少(私の顔の件で)問題がありつつも至って平和だったとのこと。
これらの情報は全て「魂の記録」を閲覧する権限を持つその職の霊的な存在が調査するので、記憶よりも確かで永遠にそれが消えることは無いそうです。
 
確かに私が顔から胸の上にかけて「裂傷」をともなって生まれて来たので、私の顔は鼻の下から真っ二つに割れていました。それを見た父の第一声が「なんだこれは!」だったと言う記録を書き換えることは出来ないまでも、父なりに私を何とか可愛がろうとした形跡は残っていたようです。
母についても同様で、私が4歳を迎えるまでは母なりに何とか私を可愛がり愛そうとした形跡が、母の魂に記録されているとのことでした。
 

それまで穏やかだった山田家の家族3人のその状況を一変させたのが、過去世は史上最強最悪の忍びとして一世を風靡した「摩利支天」の再来として転生した、弟・山田大輔(故)でした。
 

注意すべき点は摩利支天はそもそも仏教で言う守護神であること。
ですが過去世で私を何度も手に掛けた「摩利支天」はそれとは全く別の存在であり、本来の仏教の守護神とは別人です。
‥彼は自身がその再来であると過去世で吹聴し、神の名前を自分に当てはめ自身の名に置き換え、自分自身を神格化した偽物「摩利支天」の凶悪ぶりは後世にも言い伝えられ、「摩利支天」からさらに遡ること山田大輔(故)と私の因縁は遠く「リラ星の自爆」にまで時を戻して行きます。
 
忍びの時代の摩利支天の得意技は、人々のマインドを攪乱(混乱)させ妖術で変質させ、長期的な催眠状態に陥れ前後不覚の状態に誘導すること。最終的には民衆の感情を自由自在にコントロールして行ったと言われています。
そんな「摩利支天」に私を含む複数の忍びは果敢に彼に挑んだものの、何度も敗北したまま今日に至ります。

─ 中略 ─

 

 
遺品回収業者が撤収した後の実家の室内には段ボール7~8個程度の荷物が残されており、その中に収納された書類や手紙、古い写真等を私はくまなく確認し、印象深い写真(特に弟の結婚式等)だけを手元に残し、他の大半の写真は処分しました。
 
父(故)の葬儀の参列者名簿、そして弟(故)の結婚式の写真等は出席者の確認がてら現在も保存しています。
私の知らない家族の行事がどのようなものであったのかについては、霊界裁判の公判にもおそらく必要になると思い、各々の写真に写り込んでいる人物の陰影をくまなく記憶し、私の霊体自体も霊界裁判に差し出すつもりで現在日々を送っています。
 
上(下)の写真は弟・大輔(故)が生まれる一年近く前のワンショットだと思いますが、この頃の我が家は暴力も虐待もない、至って平和な様子が記録されています。
 

 
⇧ この写真に写る父と私にも不穏の影はなく、どこの家庭でもよくあるありふれた親子関係が素のまま写り込んでいるように見えます。
又、私の思春期に度々家庭内で持ち出されていた私の「顔の傷」もさほど酷いものには見えず、どう逆立ちして見てもこの頃の私の「顔」が後の両親の私への虐待の原因だったとは思えません。
 
ですが私が4歳の夏に弟が生まれて以降、それを合図に私の写真が激減しています。
実家に残されたアルバムの大半が弟の陰影だけだったことを見ても、弟が生まれたことが山田家の異変の大きな切っ掛けであったことはもはや、火を見るよりも明らかです。
 
それもその筈、弟・大輔(故)は生まれて来る前から私の霊体をターゲットし、既に生まれる前から私を霊的に監視し、私の息の根を止める為に山田家に生まれて来たわけですから。
 

 
霊界裁判の担当者曰く、大輔(故)を高く評価しようとする人だけが大輔或いは摩利支天の妖術に入り込まれ、無意識に妖術の洗脳にハマって行ったそうです。
それは言葉や理屈を超えている為、仮に私が直接彼等に会ってその旨を指摘したとしても、彼等はむしろ私の言動や考え方の方を否定(非難)することにしかならないだろう‥と。だからこそ今回の史上稀に見る霊界裁判はとても重要な軌跡であり、父・寛(故)、母・雅枝(故)及び弟・大輔(故)に関わった全ての人々の魂や霊体を介して事実確認をする必要を、霊界の司法も考えたのでしょう。
 
霊界裁判の開催自体がとても稀なことであり、直近ではあの極悪非道な宗教団体の教祖(尊師)が現在も、長きに渡る公判中に在るとの話でした。

大好きだった神父様との再会

昨日の遺品整理の過程でようやく、会いたかった人との再会を果たしました(勿論先方の人は既に他界していますが)。
記憶では、私が18才の誕生日がサビノ神父と最後に会った日でした。私にとても優しく接して下さる、彼は唯一の人でした。
 
あの日私は朝からお腹を壊し、本当ならば午前中早い時間に出かける筈が出かけられなくなったのです。そのまま約束をキャンセルする筈でしたがふと思い立って、急いで支度をして正午には家を出ました。
約束は箱根だったと思います。約2時間の道のりを経て約束のホテルに到着すると、そこにサビノ神父が微笑んでおられました。

 

 
うっすらとした記憶を引っ張り出すと、私の腹痛をいいことに母は一人で箱根に出かけようとしていました。ですがそれを、サビノ神父が阻止したのです。
「美樹ちゃんと一緒じゃなければ、今日会う意味がない。」と、頑なに。
 
勿論私が電話の向こうの神父の声が聴こえていたとは母は知らず、「どうする?行くのはやめましょうね。」と言う強引なダメ押しが段々と嫌味を増して来た辺りから、私の中にリベンジ精神が芽生え遂に私は「行く!」と言って立ち上がり、10分で支度を済ませました。
 
神父は大のコーヒー好きで、ヘビースモーカーだったように記憶しています。何杯も何杯も濃いコーヒーをお代わりして、私はジュースとケーキとサンドイッチなんかを食べたように記憶しています。
優しい日差しが射す、本当に穏やかな一日でした。その日が、神父との最後の日になりました。

 
翌年の同じ日、それまで毎年届いていた私へのバースデーメッセージとクリスマスカードが届かず、そこからさらに一年後の同じ日に、サビノ神父が(私と最後に会ってから間もなく)飛行機の中で亡くなられたことを知りました。
 
母の遺品の中からは大量にサビノ神父との書簡や神父が写った写真が見つかり、きっと母はサビノ神父を神父以上に好きだったのでしょう。
 
私はずっとこの写真を探していました。
ですが結局母は、遺品回収業者が遺品の仕分け整理をしなければ見つからない場所に神父との思い出の品々を隠し通し、絶対に私の手には色々な写真や思い出の品々が渡らないような状態にして全てを隠し通したかったと言う母の遺志が、今になってもひしひしと伝わって来ます。
 
一昨日のブログ記事『悪意の記録 2. – 遺言書作成過程の書類』に、実家全体が私を絶対に実家に寄せ付けたくなかったと言う決定的な証拠写真を掲載していますが言われるまでもなく私はずっとそのことを知っており、勿論感じており、それを近しい親族に訴えたこともありました。ですが今思えば皆、母とグルだったのでしょう。
それなら幾ら私が助けを求めても、誰一人反応等しなかった筈です‥。
 

 
私の家庭内排除がどのような名目で今日まで為され続けて来たのか、その理由や動機は結局今でも分かりません。
ひとつだけはっきりしていることは、「山田家」と言う集合体の中で私だけが人権を一切与えられていなかったと言う事実と、私の排除・迫害の発端が父だったと言う事実です。
父は根っからの差別主義者であり、容姿の良くない女性のみならず韓〇の人々やイン〇の文化等を取り上げ、日夜侮蔑な発言を繰り返すような人でした。
(特に足の太い女性を町で見かけるや否や、相手に聞こえるような大声で差別発言をすることも、度々ありました。)
 
(そんな父を含む山田家と親戚全員が私にしたような)最初から存在しない人のように扱われて来た者の気持ちは、近い状況に置かれた経験のある人にしか理解出来ないのでしょう。
 
私がそうされて来たように、次は私が亡くなった家族三人と彼等の歪んだ意思に便乗して私を排除し続けて来た(弟の関係者を含む)すべての人たちに対し、私も彼等を「最初から存在していない人」であるように接し続けることを今後のミッションに加えます。
 
 
昨日は他に、亡くなった弟と妻「山田りえ(仮名)さん」の結婚式の写真も、大量に見つかっています。その中には「山田りえ(仮名)さん」のご両親のお姿も記録されていました。
 
絶対に私は許しません。
私の存在を知りながら私を「最初からこの世に存在しない人」のように扱い続けて来た、全ての人たちを。
報いは必ず受けてもらいます。

 
ですがせめて今日と明日だけは、大好きだった神父様との思い出で心を温めていたいと思います。
 

悪意の記録 2. – 遺言書作成過程の書類

少し過去に遡るがInstagramを介して匿名で私に接触して来た、「エル〇〇ト」なる人物のメッセージを読み返している。その中には私が一度も口外していない某弁護士の名前が、数か所に渡り記載されていた。
 
それはまさしく弟(故)の妻「山田りえ(仮名)」が、自身が喪主を名乗り出て執り行った母の葬儀の十日後に母「山田雅枝」の遺産相続を自分が出来るか否かの相談に向かった先の、弁護士の名前だ。
弁護士や相談者等は守秘義務を厳守することを事前に確約する筈だが、それより何より「山田りえ(仮名)」とその弁護士(Y氏)との相談内容を綴った書類が我が家のリビングに置かれていたことの方が、私にとってはよほどシュールな怪奇現象に思えてならない。
 
恐らく神が手助けをしてくれたに違いない。

 

また、りえ(仮名表記)さんにおきましては、あくまでも私個人の見解ですが、箱入り娘で育てられたような様子があり、ある種の経験を大きく欠いているかと思います。それ故に、遠矢様からの立て続けの電話のコールに一人きりでいた彼女は相当に恐怖感を覚えたようです。
とはいえ、電話を折り返す必要があったと思いますし、弁護士を通してではなく、遠矢様と直接話し合う必要があったとも思います。
 
生前のお母様からの言伝や一言には書けないいくつかの事情が重なり、遠矢様に失礼になるようなえりさんの対応があったと思います。遠矢様に対して誠意を欠いていると言われるのはその通りかとも思います。
 

Instagramの「エル〇〇ト」が私に宛てたDMより

 
上記はその時のメッセージの一文を、人物名を仮名表記に差し替えてコピーしたものだが、このDMの送信者である「エル〇〇ト」が仮に「山田りえ(仮名)」とは異なるあかの他人だとするならば、何故私と「山田りえ(仮名)」間に起こった現象をまるで現実に目の前で起こったことのように、ここまで断言して書くことが出来るのかが非常に疑問だ。
彼女はこの「偽り」の名前を用いて、私に何を訴えたかったのだろうか‥。
 

弟の遺品の中から、どこか病んだ人が書くような「散文詩」のような葉書が不達で戻って来た状態で仕舞われていた。
そこには「法」の文字が羅列され、自身をまるで創造神の如く祀り上げんばかりの勢いで、自分を自分で鼓舞しているとも取れるような詩が綴られていた。

 

 
弟・大輔を加害者と見るか、被害者と見るかはその時々の場面設定で微妙に変わって来るが、この散文詩のような年賀状に書かれてある「良心」が彼に皆無であったことは、弟亡き今最早確定事項と言っても良いだろう。

少なくとも姉の私を徹底排除すると言う家庭内の悪しき決め事に於ける不正を一切正さなかった、彼の言動のどこに「法」の正当性を立証出来るのか。
私が弟・大輔(故)の妻「山田りえ(仮名)」とその両親姉妹に対し、それを是非とも問いたい心境は今も変わらない。
 

さて、話題が大きく迂回したが、この記事の最後に父が遺言書を作成するにあたり交わされた家族会議の記録として、以下のような文書が遺されていたので、それを貼っておきたい。
 
母は私を長年「社会的弱者」として扱い尽くし、差別し、過剰な虐待を加え続け、それを誰も止めなかった。
勿論父も弟も、そしてそれ以外の親族全員がその事実を見て見ぬふりをして来たことは、私以外の家族全員の死後に、私に対する彼等の接し方からも十分に証明することが可能だ。

この現象こそが不正・理不尽そのものであることに於いて誰一人言及すらせず、訂正もしないのだから、私が彼等全員の前途からどれだけ未来と光を奪い取ろうが誰にも文句は言えまい。
勿論私はその旨現実的な行動を起こそうとは思っていない。それ以外の方法にて、人生最初で最後に「それ」を粛々と実行するのみだ。
 

それは祈りと呪詛との境界線にある、やはりこれも切なる祈りに違いない。
その「祈り」を今後折に触れ、継続して行きたいと思っている。
 
 
山田家が私を徹底排除し続けた証拠の一つである「その文書」をこの今日の最後に、この記事を〆たい。

 

 

悪意の記録 1.

 

 

 

 
今日は疲労困憊なので追って後日、今日の遺品整理中に見つけた、家族が長年私を「仮想敵」にし続け私を徹底的に排除し続けて来たことに於ける、書面の証拠をこのブログに掲載しようと思う。
 

どんな言い逃れも出来ない、それは確たる証拠と言えるだろう。
勿論「家族」の中に、弟(故)の嫁: 「山田りえ(仮名)」も加わっていたと思われる。
 

遺品は全てを物語る、その人その人々の心情と人生の集大成だ。
特に私はその物に触れただけで、物に触れた「念」をつぶさに感じ取ることが出来る体質を備え持っている。私を仮想敵にし続けて来た家族・親族等は私の、その体質に最も怯えたのかもしれない。
 
言葉にしてはいないこと、絶対に知られたくないこと、人々が心に隠し持つ思いや記憶が私にはまるでネガのようにくっきりと浮き上がって見える。
 
父の手書きの遺言書も見つかった。その紙っぺらからは、私に対する並々ならぬ悪意が立ち上って来る。

美樹は傷ものだ。顔に傷のある者は人間に値しない。

私は失敗作として家庭内で廃棄寸前の扱いを受け、近い親戚や親族等がそれに賛同し、談合していたのだろう。
証拠の写真はこれでもかと言う程沢山出て来たが、私はその中から私への強い敵意を感じ取れるものだけを手元に置き、母や弟のアルバムその他の全ての「美しい記録」を全て廃棄するつもりだ。

最初からこの世に存在しなかったように私が彼等を整理し、せめて私は彼等の悪意とこれまでの悪の連鎖を全て断ち切る為の儀式を務め上げたいと願っている。

 

この写真は私が小学校3年生頃の写真。私の目が死んでいる。この頃私は母に右目を連日激しく殴打され、そのことで心身に大きなダメージを負っていた。空が黄色く見え、現実からの逃げ場所を必死に探して生きていた。

 
遺品整理中、弟(故)の嫁: 山田りえ(仮名)の父親が弟に宛てた手紙も見つかっている。

山田りえ(仮名)の父親も、私を排除した人々の中に括られる。
双方家族の身上書の交換により私と言う存在を知りながら、今日に至るまで何の言及もせず私を最初から存在しない人間のように扱い続け、しかも私が送付した手紙も無視し、現在も堂々とクリニック(内科)を経営している。

私から見れば山田りえ(仮名)の家族等も全員「敵」に等しい。
 

続く‥。

紅葉と母の秘密

朝、少しゆっくり起床して、未だ新しい新車で(夫の運転で)実家へ行く。
先日既に貴重品や通帳、アルバム以外の全ての荷物を遺品回収業者に運び出して貰った後の実家で遺品の整理を開始。
 
祖父からのお小遣いや現金書留の空袋が複数、それに桐朋音楽教室の同僚(沼尻竜典君 他)からのお手紙が私の手に渡らないまま、数十年もの時を経てようやく私に発掘される‥ 等、これでもかと言う程の母の隠し物が遺品として見つかる。
 
‥本当に酷い話。
私がかつて共演していたシャンソン歌手との個人的な手紙等も大量に見つかり、学生時代からそうやって私の人間関係に(私には絶対に分からないように)介入していた母の秘密が、彼女の死後にようやく暴かれる形に。。
 
何より私が家を出た後に、わざわざ私の名義で作っていた信託銀行の口座が虚しく本来の持ち主を待っていた。
恐らく中身は空っぽだとは思うが、一応明日銀行に確認の連絡を入れる予定。
 

 
その他にも故 父・母・弟・そして弟(故)の嫁の「山田りえ(仮名)」さんが4人で、楽しく収まった写真等も複数見つかった。
そこには私だけが知らされない時間が流れており、それを誰もが訂正に入ることなく楽しくやっていた様子を見ると、ただただ腹立たしさ以外の何も感じない。
 
但し、ゴシャゴシャになった段ボールから複数の、私が写っている写真も見つかった。
それは私が一度も見たことのない私の記録。何の為に今日までそれらの記録を母が私に隠し通していたのか、その理由は不明。
 

  
思うに人の不幸の上に成り立つ幸せなど、この世には絶対にあってはならない。
 
家族3人の生前、彼等が私に対して行って来た家庭内差別や家庭内暴力(虐待)その他諸々に対し、私は一切の反骨行動は起こさなかった。

特に2021年の夏、某王室の霊団が母の体から彼女の霊体だけを抜き取った後、私はじっとその日を待った。
「けっして手を出してはならない」との天照大神の助言もあり、そう遠くない将来「その時」が来ると言う予感を胸に思いながらの数か月間は、どこか重苦しい時間が流れて行った。
 
 
私は「暴きの星」を持って生まれて来た。その星をいつ、どの時点から私が持っていたのかは判然とはしないが、幼少期の私の七五三の写真を見るに、3歳にしてこの目ヂカラはなかなかのものだと自分でも思う。
 
今日、最高の収穫だった。
 

最期の番人

一昨日に遺品回収整理の最終立ち会いに、そして昨日は実家の売却に向けた不動産関係者の視察の為、夫の運転で実家に行って来ました。
 
老人の一人暮らしの成れの果て状態だった実家から一斉に、アップライトピアノと古いアルバムや個人宛ての手紙等の入った段ボール10個以外の、全ての荷物がなくなりました。
 
家族の位牌や遺影、その他弟が大切にしていた楽器等、色々迷った挙句私は全てを手放すことに決めました。
位牌や遺影はお焚き上げに出して下さるでしょうし、楽器はそれを必要とする人の元に向かうでしょう。
 
 
一度心に付いた思春期の古傷は、どうやっても癒えることなどありません。
特に私は記憶が劣化しない特異体質を持っている為、何もかもが「思い出」だとか「懐かしい記憶」に変ることがありません。
全ては昨日の出来事のように、この胸の中で永遠に巡り続けます。
 

 
都内某所の合祀墓に私を除く家族全員が今は静かに眠っていますが、それでも私が実家の敷地に入ると未だに悪さをして来ます。
どういうつもりなのか‥、彼等にとって私は人権すら与えられない「差別された人間」だと認識しているのか、それは分かりませんが、何はともあれ結果的に弟が私より先に亡くなり私が「家」の最期の番人になるとは想像すらしていなかったことなので、昨日は色々な過去の出来事が脳内を巡りとても複雑な気持ちになりました。
 

既に私は「捨てられた子」だったのでしょう。
ならば「捨てられた子」としての最期の見届け方があるでしょうし、私は最後までそれを務めて実家と今日まで彼等が行って来た「悪い連鎖」をここで断ち切らなければなりません。

現実的にも、そして霊的な意味合いでも。
 

 
実家の全体を写真に収めることには勇気が要ったので、私が長年使って来た実家の北部屋だけスマホに収めました。
この部屋に私は、長い間幽閉されて育ちました。

そのことを永遠に忘れることのないように、そして私をそういう目に遭わせて来た「山田家」と言う家族の罪と罰を私の中に永遠に留め置く為に、一つ一つのこれからの出来事を私は胸の中に封印して行きます。
 

「呪い」と言う言葉は好きではありませんが、こういう時の私の心情はまさにそれに近いのかもしれません。
私に理不尽を強いた家族親族(彼等に関わり私に同じく理不尽を強いた関係者を含む)の全ての未来から、せめて光を奪う権利ぐらいは私にもある筈です。
 
それはあくまで霊的な儀式として、私の中でしめやかに執り行うことに致します。