Change The World – 秋分と言う分岐点

沢山の音楽を聴きながら、星の人々を思う。

私が「星」を出す時、それは地球以外を意味する場合が多い。今この瞬間も私は、地球よりもプレアデス星団の幾つかの星の人々を思う。

世界は歪みながら、次第に崩れ落ちて行く。その隙間に人々が音もなく次元を渡り、それらは誰にも知らされることのないままにひっそりと進んで行く。
やがて何もかもが消えてしまっても、人々は暫くの間そのことには気付かないかもしれない。

この世界にもしも「アカシックレコード」が存在すると仮定して、この現状がそこに記録されていたならなぜ、誰も現在の地球を予測出来なかったのだろう。
おそらくアカシックレコードは存在しない。なぜならば、未来は書き換えることが出来るから。

書き替わった未来と書き替わる前の未来を同じ平面に並べたところで、それは予言にも警鐘にもならない。

 

改めることで未来を選び取ることが出来るのだとしたら、それを今やらずしていつやるの?‥

「アセンション」と言う魔の呪文がじわじわとこの星の未来を変えてしまったのだとしたら、私たちは元の場所まで一度引き返せば良いだけのこと。

進め過ぎてしまった駒をたった一個戻すだけで、新しい未来へと書き換えることは可能だ。その代わりこれまでの習慣の大半を手放して、新たに得た感覚で生き直すことが必須。

あなたにはそれが出来る筈。

 

While listening to a lot of music, I think of you of people of the stars.

When I put out a “star,” it often means something other than Earth. At this very moment, I think of people living in the Pleiades cluster rather than the Earth.

This world is distorted and gradually collapses. In the meantime, people cross dimensions silently, and the reality goes quietly without anyone knowing.
People may not notice it for a while, even if everything disappears.

Assuming that there is an “Akashic Record” in this world, why could no one have predicted the present earth if this situation was recorded there?
Probably no “Akashic Records” exist. Because everyone may be able to rewritten our future.

Even if the rewritten future and future before rewriting are arranged on the same plane, it will not be a prophecy or a warning.

 

If people can choose the future by changing their way of life, when will they do it instead of doing it now? ‥

If bad magical words “Ascension” changed the future of this planet, we might have to go back to where it was.

It’s possible to rewrite a new future by returning just one puzzle that has gone too far. Instead, it is imperative to let go of most of your habits and relive with your new feeling.
You should be able to do that!

I’ll continue to pray for the future peace of our planet.

 

ブルーベリーと9月の雨

瞬く間に夏が往き、少し早い秋が訪れる。蝉の抜け殻も風に吹かれてどこかへ消え去り、真夜中には鈴虫の声が庭じゅうに響き渡る。
 
この夏、2本あるうちの片方のブルーベリーが、短い命を閉じた。
きちんと毎朝水を遣っていたにも関わらず、連日の高音高湿度には耐えられなかったのだろう。
ブルーベリーにも相性があるようだ。同時期に買った銘柄の異なるブルーベリー達だったが、年を追う度に開花のタイミングがずれて行った。
同時に開花してくれないと受粉に支障が出るので、暫くは祈る思いで樹々を毎日愛でながら水遣りをしていたが、一昨年から完全に片方が開花の時期をずらし始めた。

 
木や花にも個体差や性格の差があって、それは生まれ付いたものとは限らずある日突然性格を豹変させる場合もあるようだ。
今年往ってしまった「うさぎ」と名づけたブルーベリーは、5年くらい前に私が枝を少しだけ切り落としたタイミングで性格が豹変した。人間で言うところの「キツい」性格に変わり、それまでは同時に花を咲かせていた相棒をそこはかとなく毛嫌いし、開花のタイミングをあからさまにずらし始めた。

 

 
まるで私みたいな子だなと思う。
日によって性格が変わると言う訳ではないが、焦点の当て方が大きく変化する時の私は別人のようになる。
その瞬間をなるべく他人には見せないように努めているが、そうは行かなくなることもあるのが辛いところ。
 
だが最近は、そういう瞬間に今、自分がどういう状況なのかと言うことを余り人に話さなくなった。理由は簡単で、殆どの人達にはそのプロセスや理由が理解出来ないからだ。
最初は理解すると言う努力を皆が怠っているからだと私も頑なに思い込んでいたが、どうやらそうでもなさそうだ。
 
解像度の異なるカメラで同じ被写体を撮影してもけっして同じ精度では写らないように、人の理解能力もきっとそれに似ている。だから進化している側が先に相手を諦めない限り、相手はとことん気付かない。そこには飽和とか協調と言う結論は存在し得ないにも関わらず、全てが上手く進んでいると言う現実とは異なる別の現象がでっち上げられるのが関の山だ。
 
とあるSNSで私がよく言うことの一つが、「良くも悪くも上っ面でいい。」と言う言葉。だがそれも時間制限付きで、私の性格が長時間その状態には耐えられなくなるから、自身の我慢を言い聞かせて続けている人間関係程拗れる時は激しく拗れてしまう。
 
 
一時「倍返し」と言う言葉が大流行したが、私の善意や厚意は他のそれよりも温度が熱い。だが、受け取る人達がその熱さに気付かないふりをし、そこいらの誰かがうっかりもたらしたラッキーな落とし物のように、私の厚意を安易に受け取ることも多々ある。
先日まではそれらを我慢し、許容して来たが、数日前から私がその矛盾を許せなくなった。

 


肝心なツイートに限って、肝心な相手がそれをスルーする。要は見なかったことにして私の怒りが冷めやるのをじっと待ち、頃合いを見て再び姿を現しては私から大きなツキをもぎ取って行く‥ と言う姑息な計算が相手の中に、息を吸うように在るのだろう。
その小狡い先方の計算や心情に対し私は、罰を与えることに決めた。

尽きない怒りには必ず理由がある。その理由には大方正当性があるが、相手がその正当性に気付いていれば何らかの意思表示が無ければおかしい。
もしくは私の中の正当性に気付いていたとしたら、触らぬ神に祟りなしの精神が相手に働いているのかもしれない。
 
祟りは人に不幸をもたらすが、私の「罰」はそれとは違う。
相手が私から簡単に、何の礼の一言もなくもぎ取って行った幸運を取り返すだけだ。
その後に先方に訪れた何等かの状況が、むしろ私が先方に与えた幸運をより鮮明に顕すに違いない。
その為の儀式である。

 


連日の雨。夜になると夏の片鱗は街のどこからも消え去り、代わりに人恋しさに耐え切れなくなった野良猫達が家の庭に寄って来ては「ミャーミャー」と甘ったれた声で鳴き始める。
ウィルス回避の意味もあり、この1年半以上私は街じゅうの全ての生き物達との接触を絶っている。
 
猫や鳩、その他私に懐いていたカラスも居たが、頑なに拒絶し続けた。
昨夜ゴミ捨ての帰りに私を追って来たボス猫も、以前は密に会話をした仲だったが、猫語で言うところの「シャー!」を全身で発し追い払った。
 
可哀想とか、気の毒だとか、そういう感情を全て封印し、私は石になる。流石に石になった私には、どんなに人懐っこい猫でも付いては来ない。
 
おんなじようにして、煩わしい人間関係も全て追い払ってしまいたい。
 
人も猫も、「慣れ」には鈍感だ。出会った時の距離感を、長期間維持出来ない。
擬似的に共通のネタを一個見つけると、そのネタさえ振っておけば私が会話に乗って来ると勘違いしている人達が多くて、ここ最近は意図的に返信のタイミングをずらしたり外したり‥、自分の意思でもないのに冷たく相手をあしらったり‥、本当に色々な無理解には悩まされる。
 
雨の日は人の行動が少し鈍くなるのか、今日は色々なことがゆっくりと穏やかに過ぎて行った。毎朝続いていた煩わしいメールも途切れ、私はようやく「一人」を謳歌することが出来た。
 
 
たった一言。その一言が得られないのは、今も昔も変わらない。
人はプライドを優先し、常に自分が相手よりも優位で居ようとするが、殆どの人々はそれを絶対に認めようとしない。だから謝罪も感謝も無いが、その旨を指摘すると「人間は皆平等だ」‥ と言う戯言を言い始めるので、無言で嫌な人間を演じておく方が無難かもしれない。
 
  
春先に完治していたばね指が酷い形で再発し、夫と力を合わせて家事を分担している。
ステロイドを注射し痛みを麻痺させ、その箇所にリハビリを施し、「握力30をキープする為に毎日20キロのハンドグリップを10秒×10回握って下さい」と院長とリハビリのトレーナーが口を揃えてアドバイスしたそれを、忠実に守ったことが災いした。
先々月だったか再度同じ整形外科に再診で訪れ、前回のアドバイスの件をドクターに質問したら、「やりたきゃやればいいんじゃないですか?」と返された。
ドクターが「やれ」と言ったことを続けていて悪化したわけだから、患者である私の質問に対して正確な回答を返す責任が担当医にはある筈。‥
 
色んな経緯を経て該当の整形外科への通院を止め、現在は絶対安静をキープしている。
鍵盤練習が出来ない分、これまで少し疎かでテキトーになっていた「私」の生き方や在り方について、ここでしっかりとネジを巻き直そうと思っている。
 
Twitterのプロフィール欄には「注)とても気難しい性格ゆえ、慎重に平伏して接して下さい。」の一言を書いているが、それを忠実に守れている夫以外の第三者は今のところ、誰も居ない。

 

さて、この記事の最後に上の記述でも触れた「安易に私のツキを持ち去ろうとした或る人達」のトラックを幾つか削除し、完成形を見たプレイリスト「Ambient Summit 4. 2021~」を貼っておきましょう。
※お貸しした幸運は無事、回収済みです。

 


下記のnoteの記事リンクから是非、サポートか投げ銭で応援頂ければ幸いです。
https://note.com/didiermerah/n/n5b600162442f

音楽・舞台芸術に於ける未来予知

コロナ禍は益々加熱し、多くの音楽行事や舞台、コンサート等が中止や延期を余儀なくされています。
犠牲を払って最近行われた「フジロックフェスティバル 2021′」、そして「NAMIMONOGATARI 2021」等、一部開催された音楽祭もあったようですが、開催後の評判は必ずしも芳しいものではありません。

そもそもこのパンデミックの背景には、マザーアース・地球とその地球の自然神、そしてそれを取り巻く古い自然神等が地球の現状を悲嘆し、よもや地上の害虫と言っても過言ではない「人間」の駆逐を意図した思いが深く根付いています。

 

折に触れ私は何度も幾つかのSNS上で発信していることですが、再度ここに記載します。

つまり人類は今、自然神等に執行猶予の期間を与えられた身であること。これを絶対に全人類は忘れてはなりません。その上で許される最小限の生存の権利を謳う以外の、全ての権利を一度放棄しなければなりません。その中にこの記事のタイトルでもある「音楽(特に生で演奏するもの)」や舞台芸術、人を集め収益を得る為に開催される全ての文化的なイベントを人類は無期限停止しなければなりません。

 

多くの人達がそのことを受け容れず、尚且つ理解もしていません。中には薄々感じ取っている人達も居るようですが、あえてその感覚をスルーし、無かったことにしたり現実逃避をしながらコロナ以前の生活習慣を継続する道だけを模索しています。

 

それを自然神は絶対に許さないと決めています。
その証拠に、例えば東京都で感染者数が少し右下がりになったところで又元のようにバーやライブハウス等を再開し始めた途端に、再び新型コロナウィルスの新規感染者数が急増し、結果的にはデフォルトの営業形態を再度修正し、店舗を休業したり時短営業にシフトしたり‥ と言った具合に大勢の人を一ヵ所に集め、呑んだり聴いたり歌ったり出来ない状況を自然神が必然的に突き付けて来る‥、このいたちごっこになっているのが現状です。

 


必ずしもプレアデス星団の各星の政策や政治が良いとは言えないところもありますし、現在のプレアデス星団には文化が存在しません。
それを踏まえながら、あえてプレアデス星団出身のJaneの予知と私の予知とをすり合わせると、未来の娯楽や音楽業界、音楽形態や舞台芸術を含む地球上の多くの娯楽はVR化して行くことになりそうです。
あくまで予知ですが、様々な現状を未来へと視野を広げて考えるととてもしっくり来ます。

 

これまで昭和の後期から平成と長く続いたのは、音楽を手段(武器)にしたアイドルタレントのオプション商法でした。
CDを色分けし、同じ曲目なのにジャケットを変え、シングル曲以外の楽曲を一部入れ替えたバリエーションCDを作り、そこに握手券を封入して販売する商法は主にAKB48等の大人数のアイドルグループ達の台頭によって平成の音楽営業の主流になって行きました。
思うにこれは音楽に対する冒涜の一種であり、これについては自然神「ゼウス」もけっして良くは思っていないようでした。

 

似たような営業形態を堂々とやってのけていたのは、韓流のガールズグループないしはボーイズグループも同じでしたが、それでも日本の音楽業界が続けて来た悪質な商法よりはまだましな方だったでしょう。
何故ならば、ベースとなる音楽商品(楽曲や歌詞、編曲を含む)のクオリティーが圧倒的に高いからです。
 
 
話を戻しますと、一ヵ所に多くの観衆を集めて行われる爆音コンサートに対し自然神も地球もうんざりしていると言う話しです。
これは大小を問わず小規模なライブハウス等で絶叫したり、或いは音楽とは言えないような稚拙で体たらくな音楽を毎晩演奏する夜店の演目等にも十分に当てはまります。

 

それがこのコロナ・パンデミックの延長によって完全に営業をセーヴされ、とどめの一発は「禁酒法」とも言われる「アルコール類の提供禁止条例」でした。
この通称「禁酒法」を現・都知事が声に出して打ち出した時は、私も珍しく歓喜しました。

そもそも「祈りのない音楽は絶滅すべき」だと私はずっと思っていたので、それが一歩実現に近づいたわけですから。

  


自宅にコンサートを持ち込む。
とても良いコンセプトです。

これまでのコンサートやライブハウスは照明や過剰な音響効果等の空間のマジックによって成り立つ要素も多く、お金を払って決まった空間に足を運んだ人は自らの出費を後々嘆きたくらはないからレビューとして、極力良い印象を公言したがります。
ですが、実際には思っていたものではなかったことの方が多いと言う話しもあります。私も実際にそういう経験をしたことが、何度もありました。

 

それが自宅に居ながらにして実現するコンサートや生演奏のライブとなれば、その音質やクオリティーを深く各自が問うようにならざるを得ません。大切なことはこの、条件の変化です。
そこには惰性や誤魔化しが一切挟まりませんから、その瞬間演目がつまらないからと言う理由でVRホールから黙って退室しても誰にも文句は言われません。そしてそのような思いをした同じ会場に二度足を運ぶことも少なくなり、観衆は無言のうちに自らの言動や感情に正直に向き合わざるを得なくなります。

これは音楽形態に於ける、大きな変化の要因になり得ると私は思っています。

 

歌舞伎等も上記のような手法での配信となれば、時折舞台でかかる掛け声やそれに強引に誘われる「さくら」の拍手等に惑わされることが激減し、視ている人本人がその演目をどう思うか‥ と言う素朴な感覚が何より優先されることで、つまらない営業型伝統芸能の舞台も必然的に減って行くことになるでしょう。
良いことだと思います。

  


私も昔はその日暮らしの音楽を奏でていた分際でしたけど、いつかその世界を必ず抜け出すことを心の中で決めていました。
ものの実現にはタイミングが重要です。なのでそのタイミングが来た時にいつでも泥船を抜け出せるよう、私は常日頃から準備を怠りませんでした。そしてその機は、2018年の早い春に到来しました。

 

でもそれよりも、今は誰もが「サブスクリプション」からの配信が出来る時代です。なのに多くの音楽家やミュージシャン等は、配信よりも「生演奏」と言う名目の「その一瞬を観客と共有する」スタイルの演奏形態から出ようとはしません。
そんなことを毎日やったところで、百年後の地球の音楽史に残る音楽等実現する筈も無いのに‥。

 

人類に必要なことは、何を置いても承認欲求をかなぐり捨てることです。

多くの娯楽や芸能、音楽や舞台芸術等に関わる人達に抜け落ちているのは、この、「承認欲求をかなぐり捨てる強い意志」の方かもしれません。

例えば歌手や女優等、多くの彼等の職業に在る人達はその職に就く理由として「スポットライトと拍手を生涯浴び続けていたい」と掲げます。これがいけないのです。
マザーアース・地球や自然神が切望するものがあるとすれば、祈りを持つ音や創造物の方。

元来「祈り」は人目には触れない空間で執り行うものです。なので、上に書いたようなカテゴリーの職種やその職種に関わる(堂々とふしだらな職業意識を掲げている人達)には、まとめてごっそり消えて貰った方が良いのです。

 

私もかなり辛辣なことを綴っているなぁと思っていますが、私は芸術家であり音楽評論家、比較音楽学者でもあり、尚且つ「チャネラー」「コンタクティー」さらには「霊質学者」の職歴を同時に掲げて生きていますので、私が言わなければ他に誰も言える人が居ないことを身をもって知っています。
なのでSNSではなく、ブログから発信し続けて行くことに決めました。

 

将来的にはプレアデス星団の誰か、その他の宇宙の誰かがこの地球に降り立った時の状況を踏まえ、その時にこのブログを彼等の中の誰かが見つけられるようにここに、ありのままの現状を記載しておきます。
 

 

吉田美奈子と闇の中の私

特にこの二週間近く私は、大好きだった(なぜ過去形になっているのかと言う理由は記事後半で)吉田美奈子さんの旧作を、多くの時間を費やして聴いている。
私が長い間歌の伴奏をやって来た日々の中、ほぼ同時期で最も輝いていた美奈子さんを私は、こともあろうに全て見失ってしまっていたことに気が付いた。そのことの気付いた時には既に、美奈子さんは刻々と輝きを失い始めていた。

 

1998年頃からの10年近く、私は人生で最も深い闇の中を歩んでいただろう。
勿論表面的には最も輝いていた時期とそれとが重なっており、時折当時の友人の誰かに私が置かれていた状況を話しても、誰一人取り合ってはくれなかった。だが私の闇は人が想像するよりも深く険しく、PTSDから全快出来ていなかった私のメンタルは一時期の回復を裏切るように刻々と悪化して行った。

最近メンタリストDaiGo氏のYouTubeの発言が問題になっているが、私も他人事ではなかった。
どっちに他人事ではないのかと言うと、上に書いた当時の私がまさにホームレス生活の真っ最中だったと言う意味での「他人事ではない」と言う意味である。

 

切っ掛けは単純なこと。ある日諸々の重圧に、張り詰めていた心の糸がぷつんと切れてしまった。
もう何もかもがどうでも良くなり、生きる気力も活力も仕事への熱意も何もかもが突然色褪せて、生きていることや生きようとする気力が遠い昔のことのように思えた。

一度そういう状況になってしまうとあとは加速度を付けて転がり落ちて行くだけで、気付くと私は都内のある場所に遭難から生き延びた人のように崩れ落ちていた。正直そこからのことは、今も殆ど思い出せない。
その後持病の発作が起きて当時の恩人に命を救われて、ある冬の朝病院のベッドの上で目が覚めるまでの多くの出来事を、私は今でも明確には思い出すことが出来ずに居る。

 


2008年2月14日にSNS「mixi」で現夫が私のホームに足跡を残してくれた瞬間、止まっていた私の運命の輪が回り始めた。
色んなことに疲れ果てていた私は丁度、亡霊の館からの転居を命からがら果たしたばかりだった時。愛兎の先代「桃樹」と共に人生の再起をはかっていたある夜、夫が人生の呼び鈴を高々と鳴らしてくれた。

一言二言のmixiメッセージの直後に私達は直ぐに電話で会話を開始し、それが一週間とか十日とか続いた辺りからもう、これは会って目を見て話しをしないと携帯電話代で彼が破産してしまいやしないだろうかと心配になり、その夢は丁度一ヶ月後の2008年3月14日に実現する運びとなる‥。
 

吉田美奈子さんの話題に話しを戻そう(笑)。

丁度私が闇の時代の奥底に在った頃の彼女が、今振り返ると一番輝いていたように思えてならない。そしてその当時の美奈子さんの年齢に、少しずつ私が接近している。

YouTube吉田美奈子LIVE STUDIO721 2004/9/25を視る前に私は、本音を言うと別の最近の美奈子さんの動画に強いショックを受けた。
それは私が思う彼女とは全くの別人のように変わり果てた、老いた彼女の姿に対するものだ。

吉田美奈子と低音楽団】ライブの裏側に密着!【ゴールデンウィーク特別編

 
人間生きていれば、いつかはそういう時が訪れる、とは分かっているものの、やはりその状況を目にすると冷静ではいられない。
だが、揺れ動く私の中に目を引く作品があった。YouTube吉田美奈子と低音楽団】ライブの裏側に密着!【ゴールデンウィーク特別編】の中で美奈子さんが歌う「夜の海」(11:37辺りから)だ。

 

 
基本的に私は生演奏否定派であり、作品を生み出す瞬間の大きなエネルギーこそが真の音楽だと言う持論は今も変わっていない。だがそんな私の持論を、老い始めた美奈子さんが一瞬だけ変えて行こうとする。

発声もよろついて声のアタックのポイントもずれて、出したいタイミングで本来出すべき声が出ていない。エネルギーと若々しさが枯れ始めた美奈子さんではあるが、振り絞るような声には不思議と何かしら説得力を感じさせるものがある。

それでも音楽評論家としてこのライブを冷静に論評するならば、やはり音楽以前の何かがごっそり抜け落ちた「唸り」が在るだけで、音楽としては聴けない‥ と言うのが本音である。

 

だが時に音楽は、そうした絶妙の悪条件が出揃った時だからこそ初めて、人々に音楽以上の何か目に視えない感覚を互いに引き出して行く場合があるのかもしれないと、私はこの人 吉田美奈子さんのライブだけは別ものと考えようと意識を改めかけている(未だ完全に改めたわけではないけれど)‥。

 

そうこうしながら彼女の旧作を最初はサブスクリプションで探していたものの、配信されているアルバムは余り多くはなかった。
丁度私が完全に闇落ちしていた頃の彼女のアルバムは、まるで示し合わせたかのようにサブスクリプションには登録されておらず、それどころか各CD自体も絶版に近い状況になっており、やっと見つけたかと思うとプレミアが付いて酷く値上がりしていた。

そんな折、私がそっとAmazon 欲しいものリストにラインナップしていた美奈子さんのCDを、数名の誰かが私の自宅に贈り届けてくれた。今、それを聴いている‥。

 


音楽は心で奏でるものではない。技術とスキルの蓄積と、さらに付け足すならばテレパシックな感覚を以て生み出すことが望ましい。

自らの稚拙な経験だとか恋愛の過去話だとか、そんなものを題材にしているからここ最近の日本のポップスは質が著しく低下したのだと私は思っている。
だからと言って「大人のポップス」等と言う、さらに体たらくな音楽を聴く等もっての外である(笑)。

その意味で言えば、吉田美奈子さんの多くの楽曲、アルバムに於いては感覚が硬質でとてもメタリックな構成になっている。けっして陳腐な恋愛模様等描いてはおらず、どこか哲学的で形而上学的な世界を描いているように思える。
それがけっして嫌味にならないのは、おそらく美奈子さんの高貴な気質や生い立ち等が要因かもしれない。

 

Didier Merahのプロデューサー 天野玄斎氏は数々の名言を飛ばすが、私にある日こう言った。

芸術家とは職業ではなく、生き様を指す言葉である。


私は彼のこの一言によって眠っていた全ての感覚を叩き起こされ、目覚め、気付かされ、現在に至る。それは私にとっての大きな礎であり、未来の光だ。

 
私は吉田美奈子さんと干支が同じで、一周違いで私も今の彼女に追い付く。だがその頃には美奈子さんはさらに一周先の彼女を生きている。
ロングヘアーもカーリーヘアーでもなくなった彼女が一周先の未来にどんな音楽を奏でているのか、ある意味怖くもあり、楽しみでもある。
そこに私 Didier Merah の将来が折り重なる時、音楽界にどんな変化が起きているのかと考えるだけで、とてつもなくわくわくして来る。
 
 
追記:
ピアニストとして一つ気になったことがあるとすれば、 YouTube吉田美奈子LIVE STUDIO721 2004/9/25 の中で鍵盤担当の 倉田信雄さん が本当に素敵な演奏をしていた事。
段々と日本から良い音楽家や音楽評論家が消えて行く今、私は両方の肩書を抱えてこれからも切磋琢磨して行こうとあらためて心に誓った。

 

虹とシュールレアリスムとランチ

木曜日。本当ならば週一回の自由日、安息日の今日だが、予定では自宅で静かに読書でもする筈だった。
だがこういう日に限ってLINEがポンポン鳴り始め、私はAKB48全盛期の前田敦子のように、町の知人・友人達とランチのご相伴の取り合いになる寸前だった。

誰にも会いたくない日があれば、誰かと会ってこの瞬間を分かち合いたい日もある。
今日は後者だった。

少し眠って体力も戻っていたので、若干重たい話題でも何とか心身耐えられそうだと考えていると、その「重たい話題」をふんだんに持っている人物(A氏)からLINEが入り、「霊の話で申し訳ないのだが付き合ってはくれまいか?」とメッセージ。
他に二人からLINEが折り重なって届く中、最も話題が重たくなりそうな人物を私は選ぶことにした。

 

話題は重たいが、冗談抜きで財布はかなり軽くなっていたので、幾つか安い価格のランチをセレクトして現地に向かう。
第一候補の店舗にどうやら新型コロナ肺炎の陽性者が出たようで、その店舗は今月一杯臨時休業の看板が出ていたので、直ぐに先方に連絡して待ち合わせ場所を駅ビルに変更した。
そして第二候補の店舗がランチタイムに開店している状況を確認して約束の場所にむかおうとしたところで、申し合わせたように待ち人来たるでそのまま目的の店舗に直行した。

 

 

私はあいにく見逃してしまったのだが今日、早朝の空に圧巻の虹が出現したようだ。その様子を写真で見せてくれるA氏。

━ 最近やたらと虹が多く出るには理由があってな、コロナ禍で多くの旅人が出る時にあちらの世界へ行く橋が滞らないようにと、自然神が気を利かせるらしい。
それで空に、例年よりも多くの虹の橋が架かるそうだよ。


彼の話しも私に負けず劣らずシュールで、尚且つ生粋の霊能力が彼をそうさせるのか彼の話しには妙な説得力がある。

今朝、私も妙な時間にある珍事に振り回され、そのまま目が冴えて眠れずに居たところに窓からいきなり真っ赤な光が射し込んで来た。
いつもならばスマホを抱えて外に出て写真を撮りに行くのだけど、私は油断をしていない。どんな時にも新型コロナウィルスの変異株は身近にあることを意識しており、迂闊に外出はしないことに決めている。

無事に生き延びられれば、明日も来年も空を見上げる機会はふんだんに訪れるだろう。そう思い、軽く冷水を浴びて体を冷やして布団に入ったその後に、どうやら大きな虹が空に架かったようだ。

 

心眼が機能し始めると、途端に周囲の色々な現象の緩さを感じ、自分だけが少し秒針の早い時の流れの中に生きているかのような苛立ちに苛まれるようになる。
今朝起こった珍事も、そんな私の少し速い時の流れと相手との微妙な日常のズレ感が引き起こした事故のようなものだった。だが、今朝の私は「闇のカン」が異常に冴え渡っていた。

 
湧き上がる怒りを解き伏せることはせずに、私はその相手が二度と私に関われないよう、SNSの中の一個のネジをきつく締めてアクセス拒否を施した。

 


霊能者の彼も、そして芸術家の私も、各々の生活は実に慎ましいものである。
包み隠さず書くならば、今日のランチはコーヒー付きの中華で価格は650円だった。その650円を大の大人がそれぞれPayPayで支払い、それでもその瞬間会える奇跡を噛みしめ合っている。
 

年齢で言うならば私はもう、一般的には役職に就く年代に入っている。だが私は生粋の芸術家。
タレント活動もせず、スポンサーも付けず、日々を音楽と祈りと色々な世界の住人や神々との交信に、人生の全てを捧げ尽くして生きている。それはおそらく多くの人達には理解出来ない真の私の姿であり、それゆえに私は度々人に蔑まれ、差別を受け、偉そうに私の作品や生き方を批評(主に否定や拒絶)する輩も後を絶たない。

 
多くの音楽愛好家たちは、芸術家とアーティスト、アーティストとタレント音楽家の区別がついていない。それを彼等に教え諭す職に在る人達が、ある時期からごっそりと姿を消してしまったからだ。
だから私はそのようなおかしな常識(非常識とも言えるだろう)を正すべく、これからは自身のファンと言えども「ものの格」「ものの見極め方」をしっかり教育して行く必要性と危機意識を同時に感じている。
その為には先ず、私が手本を示さなければならない。
 

 

極力優雅に高飛車に、そしてクールに嫌味ったらしく相手をひざまづかせるまで、私は問い掛けの手を緩めぬことに決めた。

 

人の何倍もの人生を瞬時に生き、最近では色々な神々との交信に多くの時間を割いている。そしてその過程と経緯を全て含めて、自身の音楽に刻印している…、そんな作曲家が他に居るだろうか?
少なくとも私は未だ、そのような芸術家を見たことがない。
 

未だ誰も視たことのない、誰も知らない、誰も触れたことのない価値観や世界観を作品化する、それが私の今世の最大のミッションかもしれない。
理解出来ない相手には、とことん理解を促すか或いは互いの傷が浅いうちにそっと距離を置いて関わりを絶つか、何れかの二択である。
 

 


今朝の朝焼けは圧巻だった。
神々から人類への最後の執行猶予は、きっと人々の口元から言葉を全て奪い去って行く氷のような恩情に満ちており、それを感じ取った人々を静かにひざまづかせて行く。

それが神々の愛であり、人類は未熟ながらもそんな神々の「恩」を誠実な思いで受け取らなければいけない。

 
2021年8月某日、夫・天野玄斎と私は二人揃って「霊質学者」の称号を名乗ることに決めた。これは私達が… ではなく、プレアデス星団のJane女史が決定したことだ。
ありがたくその命にあやかりたいと思う。

そして同じくJaneは私に「比較音楽学者」を自ら名乗るべきだと言ってくれたので、その名に恥じぬよう今後ますますの精進を心に誓った。

 

初心に戻るのではなく、初心には戻らない進化を私は目指している。
リスタートやリセットは自ら決定して行くものであり、他者の胸先三寸やご機嫌に左右されたくはない。
なので今朝のSNS内での出来事のように私の実体や格を見極めず、私の作品や人生観を安直に批評し、偉そうにふんぞり返っているような相手に対しては、公衆の面前で言語を用いたフルボッコに処すこととする。

  

自然神からの伝言

涼しい夜は束の間のフェイント。コロナ禍がくれたささやかなギフト。⁡
人類が活動を止められたらここまで夏が快適になるんだと言う、自然神からの無言のメッセージ。⁡
 ⁡
未だ間に合う。人類は今すぐ、生き方の全てを修正すべきだ。⁡
 ⁡
🌎『間もなくこのギフトは消滅します。』⁡‥

緊急事態宣言下の私の夏

あっと言う間に7月も過ぎ、8月も駆け足で私の真上を過ぎて行きそうだ。

緊急事態宣言下の東京はぴりぴりしているようで居て、やはり多くの人達の気持ちが緩んでいるように見える。そういう人達が飲食店で気を抜いて、マスクを外して会話に耽るから、結果としてそれが「飲食店潰し」を生み出していると言っても過言ではない。
 
昨日も向かった先の飲食店で、私と友人2名がマスク越しにそうした見知らぬ客に声を掛け、会話をするならマスクを装着すべきとのアドバイスをすると、決まって恨み節のような眼差しを浴びせかけられるのがオチだ。
私達だって早くマスクは外したい。だが、これは現在の状況を鑑みたところにあるべきエチケット & マナーだと認識しているので、それは他の人達とも共有しなければならない最低限の意識だと言う意味でも声を掛け合うことには余念がない。

 

今週月曜日には新規開拓の美容室で髪を切って来たが、店内はかなりぴりぴりしており、勿論会話は小声で、施術中もマスクは外せないルールになっている。今はそれが当たり前だと認識しており、本来饒舌な私も無言でdマガジンの雑誌を捲りながらカットの状況を時折鏡でチラ見しつつ、担当の美容師さんともアイコンタクトで此方の心情を伝えて大人しくしていた。
 

どんな事情であれ、女性が髪を切ることには何かしらの決意のようなものが芽生えるものである。最近の私は「生き方の軸」の徹底化を試みている最中で、自分には勿論、対人関係の緩みを一切合切切り落として行く方向で人生の舵取りを大きく変更した。


 
新型コロナワクチン接種の是非を巡り、私は多くの人間関係をリセットした。その中にはずっと親しくさせて頂いていた、とても有名な女優数名も含まれているが、あえて言うならば今流行りの「自分軸」をもっと太くした生き方、考え方に完全にシフトすべきだと私は思っている。
多くの意見の一つ、ではなく、私が常々吟味して選び抜いている選択肢の精度をさらに高め、自信を付け、他者からの信頼性を高める意味でもそうするべきだと思うようになった。

 

そう言えばアルバムHeavenのレビューや感想が殆ど誰からも届かないが、そんなことも気にならなくなった。作品性や演奏技術を含め、それが最高峰の作品であると言う客観的な自負は変わらない。
音楽評論家としてこの作品を見ても、このジャッジメントはぶれることが無いのだから、本当に大した作品を生み出してしまったものだと我ながら圧巻だ(笑)。
 

Twitterにも折に触れ綴っているが、「地球人類は目下最低でも5年は謹慎(自粛)すべきだ」と言うのが、自然神の総意である。
経済主体でここまで地球環境を汚染し、このパンデミックが止まぬ最初の理由が上空汚染だったことを、人類の大半が既に忘れ去っているように見える。
 
人間は本当に「耐える」と言う機能を喪失しており、ニュース等では今回の緊急事態宣言に対し「ず~っとやってるじゃないですか。いつになったら終わるのか分からない緊急事態宣言になんて、従ってはいられませんよ。」等と図々しく喋り倒す人達も居て、彼女たちが目の前に居たら横っ面を思いっきりぶっ飛ばしかねない程私の中に強い怒りと憎悪が湧き上がる。
 
勿論私は神でも仏でも何でもないからそんな無謀なことはしないにせよ、精神は「自然神」にほど近く寄り添っていたいと思っている。とは言え、新型コロナワクチン接種推奨の動きが余り広く拡散し過ぎると、それはそれで本来巻き込まれなくて済む人達がそこに巻き込まれ、命を落とすことになりかねないから、出来れば自然神には早急にこの流れを断ち切って欲しいとも思わずにはいられない。

 
この記事を読まれる方々に、ワクチンは絶対に接種しないで頂きたい。
後々サイトカインストームで、本来の寿命が全うできなくなるので。

くれぐれも、お願いします。

 

祈りとかなしみ

人と上手く渡り合うには、多くの嘘を吐かなければなりません。

ですが私は、まるで息を吐くように嘘を言う人を好みません。
何を好まないかと言えばそれは、視えてしまったものを視えなかったことにせざるを得ない自分自身かもしれません。
 
社交辞令やSNSの中の当たり障りのない会話の多くは、虚偽と虚飾で出来ています。思ってもいないことをさも思ったかのように相手に伝えた場合、それはささやかな気持ちの好さと言う報酬となり、先に「思ってもいないこと」を相手に伝えた側へと返って行きます。
多くの人達はこの「ささやかな気持ち好さ」と言う優越感を好み、虚偽で会話を満たすことを罪とさえ思わなくなります。
 
でもそれらは私にとってはただのノイズであり、不要であり、不愉快極まりないものでしかありません。

 

とあるSNS、そしてTwitterで、今日だけで5件の人との別れがありました。
その中の2件は、新型コロナワクチンの接種を迷っている方々との会話が発端でした。他の中の1件は、先方からの営業と思われるDMに対し、私がざっくり噛み付いたことが発端でした。
 
多くの人達は水を飲むように嘘を言い、それが相手にはバレないと思い込んでいます。私はそうした先方の思い込みに対し、ざっくりとメスを入れて行きます。
 
安易な嘘がバレない人間だと相手に誤解されぬよう、視えたものを視えたまま相手に伝えて行きます。そうすると大概相手は何かを隠す為に私を「相手の思う対人関係の審査から落ちた人」と言う扱いをし、SNSでは最も安直なアクセスブロックと言う手段を講じて来ます。
 
  

 
今日はお昼間、町内の友人(兼 Didier Merahのファンでもある)とタイ料理店に出向き、リーズナブルなランチを堪能しました。
 
顔見知りのタイ人の女性店主がテーブルに近づいて来るやいなや、「◯イさんが近々ワクチンを打つらしいよ。私も打たないとタイに帰れないから打って来るかもしれない。」と、たどたどしい日本語で話し掛けて来ました。
「あぁそうですか、大変ですね。」と愛想を振り撒いていれば良いのかもしれませんが、ワクチンを接種すればその後その人に何が起きても不思議ではないし、その事が原因で美味しいタイ料理店が閉店するかもしれない(あくまで現段階では可能性でしかないのですが‥)この現状を放置すれば、多分私が後から後悔するでしょう。
 
「どうしても打つと言うなら私には止める権利は無いけれど、新型コロナワクチンが正真正銘の毒薬であることを知っていて打つのであればそれは自殺行為と一緒じゃないの?」と、思わず口を突いて出てしまいました。
自分の言葉に先ず私自身が驚き、隣のテーブルで食事をしていた知人も同様に驚いたことでしょう。
 
 
女性店員は私がお店に行く度に「来月打つ」「来週打つからクリニックに申し込みに行って来たよ」‥等と言うものの、私がワクチン接種を止めた時だけは「やっぱりあたし打たないよ。」と言って一時的に気持ちが落ち着くものの、おそらく次にお店に行けば同じことの繰り返しが起きて、彼女もいつかは周囲の流れに逆らえずにワクチンを打つ日が来ることを私は予感しています。
 
タイでは感染爆発が起きており、ワクチンを接種しなければ国内に入ることが出来ないそうです。なのでおそらくタイ料理関係者の中の、帰国を予定している人達の大半が新型コロナワクチンを接種したか、或いは近日中に接種を予定していると女性店主が話していました。
 
 

 
昨夜も夫と色んな話をしました。
私達は一緒に居る間、殆どの時間を会話に費やして生きています。そうすることが自然であり、尚且つ私達は私達にだけもたらされたミッションに全力投球をしているのですが、それらはとても困難を極めており、正直報われることの方が少ないのも又現実です。
 
 
最近私がSNS内で新型コロナワクチンの危険性について、声を大にして綴っていることも要因なのか、潮が引くように人が離れた感は拭えません。
それでも私は見たこと聞いたことを、見なかったこと、聞かなかったことには出来ないと思っています。
何より自分自身を偽ることの方が罪が大きいですし、その瞬間はその解決策で相手の機嫌を良くしたところで後々その決断に後悔するのが自分自身の方だと分かり切っています。
なので、やはり「命」を重視した言葉を置き土産になったとしても相手に送り届けることの方が誠実だと、私は信じて行動しています。
勿論夫も同じ気持ちでしょう。
 
虚偽や妄想満載な周囲のスピリチュアル系のツイート等には数十個、数百個のハートが押されているのを脇に見据えながら、真実の訴えには見向きもされないだろう‥ と分かり切って居ながらも「真実」の描写の方を選択して行く私達を、周りの方々は一体どんな思いで見つめているのでしょうか‥。
 
 
今朝某SNSで口論になりかかった方の場合は、ご親族の中に障害を持つご兄弟がおられ、その方を施設に預けているので、ご兄弟のおられる施設に行って面会をするにはどうしても新型コロナワクチンの接種が必須だとお話しされていました。
 
ですが一先ず、ここで一ヶ月間様子を見てみようか‥ と言う選択肢が思考に上らないのは、一体何故なのかと私は思います。
 
 


 
状況は日々、目まぐるしく変化しています。今日と明日では、常識そのものが逆転している可能性も大です。
勿論私には先々の未来が映像として視えているので、迷う等と言う心情そのものが存在しませんが、多くの人達には予知能力が備わっていない為「今」「この瞬間」の状況で物事を判断することしか出来ないのでしょう。
 
だとしてもです。
きちんと論文を読み、特に自分が行こうとしている価値観の「逆」を少しでも検証し、思考のアクセルとブレーキを上手に踏み分けて最善の判断をする‥ と言う、ただこれだけのことが多くの人達に出来ていないのは何故なのかと日々胸を痛めながら、私達夫婦は今の地球上の現象を静観しています。
 
 

夫・天野玄斎の生誕祭

コロナ禍の最中、第4回目の緊急事態宣言が出る少し前に、Didier Merah Japanの社長でもある夫の◯◯回目の誕生パーティーをひっそりと、都内の焼き肉店でとり行いました。
夫は食材制限もある為、魚介類を扱わない店舗を選ぶ必要があります。その為、結局毎年ちょっとしたお祝い事は「肉」を主体とした店舗に限られます。

 

 

プレアデス星団のJaneとの会話がアルバムHeavenのリリース後、少しの間途絶えていましたが、先週辺りから頻度が増して、今は殆ど一日中回線(テレパシーの意味です)を繋ぎっぱなしの状況です。
 

Facebookの個人アカウントからの発信を全面停止にした後、Facebook Pageからの発信も少し縮小しました。おそらくFacebook離れが加速していることや、ここ最近ではLINEやZoom等のチャットの方に人々が吸い寄せられていること等、色々な要因が重なり合い、この結論に至りました。
 
私自身の個人的な主観として、自身が書いたものに対し「いいね」のスタンプだけで押し返されることを好まず、どんな思いで毎回文字を叩き出しているのよ‥ と言う不満も鬱積する中、これからのSNSライフについて色々考えあぐねています。

反応が無いのか、需要が無いのか、それともそれ以外の要因なのかは正直分かりませんが、おそらく発信と受信との間に齟齬が生じているのかもしれません。

 

日頃親しくされている女優や歌手、画家の方たちにお話しをお伺いすると皆一様に「大衆なんてそんなもの。都合のいい時だけ出て来て、後は無言を決め込んで殻に閉じこもるものよ。」と仰り、数名が今年に入ってSNS全般から撤退なさり、Twitterとブログだけに発信活動を制限したと話しておられました。

私の場合、過去の繋がりがここに来て災いしているような気もします。

そもそも私の過去は「カスタマイズ」された私を生き延びて来た経緯があり、私の本性を殆どの過去繋がりの人達が知らないわけですから、アヒルか神かは知らないですが何れにせよ私の現状を受け容れる前のベースが彼等に整っていないと言っても良いのかもしれません。

 

隣の花子ちゃんと和気あいあい、わちゃわちゃと過ごしていたのにある日突然「私、実は預言者なのよ。実はコンタクティーなのよ。」等と言われてもピンと来なくても致し方ありません(笑)。ならば今の私をありのまま受け容れて、そして正当に評価して下さる新たな繋がりを模索する以外の方法等ありません。

 

realistic saturn in open space

名前は明かせないのですが、いわゆる「匿名性」に特化した新種のSNSに参加しており、そこから多くのファンが増えています。
彼等の多くが最初から「今の私」と向き合っている為、私との距離が遠い分、ありのままの私をありのまま受け止めて下さる環境が整っていました。その為、私は最初から芸術家・作曲家(兼 預言者/プレアデス星団とのコンタクティー)として彼等の中に存在し、それが功を奏して多くのファンを得られたのでは‥ と思っています。

勿論私の書くものの内容によってはコメントも投稿されますから、その意味ではつい最近までのFacebookの個人アカウントや個人ページみたいな閑散とした状態ではなくむしろ、賑わって華やいでいます。

 

色々、SNSでの私の立ち位置について考えていますが、文字発信のベーシックを公式ブログに一本化して、その他のSNSはTwitterと、先程書いた「匿名性」のSNSの二本柱 + note の有料記事‥ にシフトして行くことを考えています。 

  
 

 

話が思いっきり振り出しに戻りますが、お陰様で我が家のうさぎ・マイケル君も2021年6月30日で無事、8歳を迎えました。生まれつきの神経症の後遺症で片足の膝から下が殆ど麻痺していますが、それでも彼はジャンプし、よく食べてよく寝る健康なうさぎになりました。

夫の誕生日、そして私のニューアルバムHeavenのリリース日が6月の最後から7月の初旬に接近した為、この日のパーティーはマスク会食ながらも温かく賑やかなひと時となりました。

  

新型コロナワクチン接種の是非が問われる中、私も会える人を制限しながら時々知人と会って食事をします。
 
まさかワクチン接種の是非が人と人の壁になるとは、数年前には思いもしませんでした。それでも私は自身の身を守る為、夫と家族の身を守る為にも適切な行動を取るべきだと思い、特にワクチン接種者との面会は全てお断りしています。
これは私が預言者として必要な行動であり、じきに私の一連の言動の回答がそう、遠くない未来のどこかで表面化し、それがあるべき回答として歴史にも刻印されると信じています。

 

書きたいことは山のようにありますが、今日はこの辺りで記事を閉じます。