情熱のソングライター “Alejandro Sanz”

日本ではおそらく余り馴染がないだろう。だが、私はアジアの片隅からずっと注目し続けているのがこの人、スペインのシンガー・ソングライターのAlejandro Sanz(アレハンドロ・サンス)だ。
 

先ずスペインのポップスを語る時に必要になるのが、フラメンコと言うジャンルだ。
日本人にとってフラメンコと言うと「オレーイっ」等と掛け声を掛けながら歌ったり踊ったりする、むしろ商業フラメンコの方だ。だがフラメンコと言っても奥が深い。
近年では音楽のジャンルとしては珍しいケースで、2010年にはユネスコによってスペインの無形文化遺産に登録されている。
 

『フラメンコの歴史と発展にはヒターノ(スペインにおけるロマ、いわゆるジプシー)が重要な役割を果たしている。』とWikipediaにも記載されているように、主にこのジャンルはロマによって演奏されたり歌唱されることが多く、そのロードムーヴィーとして有名な作品をあえて挙げるとすれば、映画監督 トニー・ガトリフ が監督を務めたラッチョ・ドロームを私はここに挙げたい。
 

 
さて本当ならばここでフラメンコについての記述をもっと突き進めるよう、我が社「Didier Merah Japan」の社長から通達があったのだが、フラメンコのうんちくを書き始めるとフラメンコの紹介なのかそれともこの記事の主役である Alejandro Sanz(アレハンドロ・サンス)の紹介なのかが本当に分からなくなるので、やはり悩んだ末ここは主役を Alejandro Sanz(アレハンドロ・サンス)に譲り渡し、内容をシンプル化したいと思う。
 

一つだけ書き添えるとしたら、民族音楽的なフラメンコの源流は楽器「ギター」に始まる。大元はクラシックギターに民族的なモードが合わさったもの、それがいわゆる「フラメンコ」の原点であり、今多くの人たちがそのジャンルの名前を聴いて連想する「ダンス主体」「リズム主体」のフラメンコは観光産業を発展させる過程で商業的に発展を遂げた形の、一種の商業フラメンコであり、そもそものこのジャンルの源流に在ったテイストとは異なるジャンルと言っても良いだろう。
 

さらに元を辿れば、フラメンコの発祥は「アラブ地域」とする説がある。


『複数の移民同士が旅の途中で出会い触れ合い‥寝食を共にし、モード色の強いアラビック音楽とクラシックギターの奏でる和声(コード進行)が見事なまでに合体した音楽がフラメンコの発祥である‥』、とは誰も言っていない(笑)。
だがなぜか私はその源流発祥の光景をまるで昨日見て来たことのように知っている。

まぁ余りシュールなことを書き過ぎると古いタイプの音楽学者に呪われそうなので、この話しの文字起こしはここで一旦止めておく。
 

 
さて、肝心要のこの記事の主役 Alejandro Sanz(アレハンドロ・サンス)が2021年冬に、アルバムSanzを世に放った。
彼の場合はもともとスペインの民族的なモードを起点としたメロディーメーカなので、正確には彼の音楽を王道「フラメンコ」と呼ぶことは出来ない。だがしいて言うならば「ネオ・フラメンコ」と言った方がそれに近いだろう。

1968年12月18日生まれの Alejandro Sanz(アレハンドロ・サンス)は、今年で52歳になる。まさに油の乗り切った世代の、王道の音楽を生み出す音楽家である。

 

 
アルバムSanzでは「ネオ・フラメンコ」的なテイストを持つ作品の他に、やはりここは営業を兼ねた意味合いなのか、M-2 “Iba のようなアメリカンテイストを持つ楽曲等も登場する。
正直アメリカに迎合するタイプの音楽をこのようなアルバムの中に見る度に、私は少しだけモチベーションが落ちてしまうのだ(笑)。

そもそもその民族にしか持ち得ないものを何故手放してまで、アメリカ万歳型の「売れ線」を狙わなければならないのかと、情けなくなるからね‥。
  

だがその次 M-3 “Yo No Quiero Suerte で、まるでいきなり目が覚めたみたいに Alejandro が拳を振り上げて立ち上がる。
王道のフラメンコのテイストの楽曲と歌唱表現の奥に、これまた王道クラシックの失われた歴史の中の「ロマン派」のコード進行の断片が浮かび上がると、多くのリスナーの中にその当時の微かな記憶が呼び覚まされ、胸をかきむしられるようなノスタルジーに身も心も包囲されて、きっと誰もがそこから一歩も動けなくなるに違いない。
 
M-4 “Rosa ではアフリカ音楽にも通ずるリズムを刻んだ打楽器とコーラスに始まり、それはまるで人々が互いに行き交う旅の途中の光景のように次第にスペインのコードやモードと折り重なりながら、そこにしか生まれ得ない一個の音楽を形成し、成長して行く。
そして歌手 Alejandro はけっして、他の経験値の浅い歌手たちのようにヒステリックに絶叫するような愚かな歌唱表現には及ばず、朝起きてシャツを着てズボンのベルトをしめて歯を磨く為に洗面台に立つかのように、きわめて普通に生活するように楽曲を最後まで歌い切って行く。
 
そして M-6 でようやく、アルバムリードのMares De Miel がお目見えする。まるでアルバム全体が舞台を見ているような鮮やかな構成になっており、この曲がアルバムの中心をしっかりと支えているのがよく分かる。
 

 

上手く日本語翻訳に至ることは難しいが、歌詞も印象的だ。
 
人は何度も行き来し、生まれ変わり再びここに戻って来る。
私はあなたに戻り、あなたになった私は再び出会う。
それは輝きの瞬間。
僕は毎日美しい女性と出会い、その中に魂の友を見つけて歓喜するだろう。
あなたが私を導き、昨日までの私を変えて行くに違いない‥。

 

ま、ざっと言えばこんなことが綴られている。それが上のPVを見てもよく分かる。

このアルバムSanzの中で最もフラメンコらしい一曲は、おそらく M-10 に収録されいるGeometríaだろう。
勿論冒頭に書いたような「オレ~イっ」等と掛け声を掛けるようなリズム体ではなく、いわゆる「バラード・フラメンコ」と言ってもよい素晴らしい一曲だ。

そしてこのアルバムのオオトリは、フルオーケストラが楽曲全編を包み込んで抱きしめて行くY Ya Te Quería。この曲で、アルバムSanzが静かに幕を下ろす。
 

M-10Y Ya Te Queríaを翻訳にかけてみると、まるで神々の人類への愛を感じさせる内容であることに気付く。
タイトルは「そして、私はすでにあなたを愛していた」と言う意味。
「わたしたちの中に、既に神々は種として宿っている、私は既に愛されていたのだ‥」と言う意味のセンテンスがリフレインで繰り返され、これは人類への新たな目覚めを呼び掛ける内容のバラードの大作だと言わざるを得ない。

 

 

既に目覚めた人たち、既に覚醒を始めた人たちが音楽家の中にこうして存在することに、私は歓びの涙を流さずにはいられない。
日々の小さなことに腹を立てている暇はないのだ。地球を想い、自然神を想い、地球の外の生命体に思いを馳せ、彼等と心から繋がる為の方法を模索し、その傍らで私も私自身の音楽を完成させて行く為の旅を止めてはならないと、今あらためて神に誓いを立てた。

 

アルバムSanzを聴き終えた時、思わず感謝の念があふれ出る‥。それは深いため息とともに全身を下から上に駆け上がり、太陽を目指して放たれて行った。
 
私の心の深い場所と幾つもの惑星や、星々の自然神等との繋がりを得る度に、私は自身が音楽家であることを心から祝福する。そして小さな自分の存在の全てを、いつまでも愛し続けたいと願って止まない。
 

🎀 🎀 🎀

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民族音楽研究家として思うこと

Africa

 

夏休み前から体調が思わしくない状態が続いており、個人的に引き続き静養中である。

兎に角眠らなくてはならないのだけど、だからと言って一日中眠れるわけではないので所々でパソコンを開いて音楽を聴いたり、Twitterに文字を書き込んだり… と色々やっている。
最近はFacebook(Pageを含む)から少し遠ざかって居る。

 

Facebookを私が始めた頃はもっと静かで穏やかで、尚且つ適度に賑やかで、比較的SNSに熱心な人たちに囲まれて楽しくやっていた。だが、最近はかなり様子が変わって来たように思う。

おそらく「いいね」ボタンが定着してから始まった「いいね」付け押しの無言ユーザーの激増で、かなり私もその状況に疲れて来た。それまでは多くのユーザーがきちんとコメントを投稿して双方の会話を楽しんでいた筈が、段々とそうではなくなって行った。

 

顔馴染みの相手がもしも自分の恩師であれば、会釈だけではなくきちんと声に出して挨拶を述べるだろう。勿論それが学友であっても同じこと。
だが、皆が胸に「いいね」ボタンを搭載し、それを点滅さえさせればコミュニケーションがある程度完成するようになった今、大勢のSNS利用者たちが「会話等必要ない」と思って居るらしい。

私にはこれが甚だストレスの、きっと大きな要因となっている…。

 

今朝はどうにもこうにも「茶色の飲み物」が欲しくてたまらなくなり、最初は麦茶を飲んだがそれでは収まらなくなり、遂に黒糖カフェオレを作って淹れて飲んでみたらこれがビンゴだった。

美味しいーーっ❣️

思わず声に出してしまった程、インスタントの豆で作ったとは思えないこの味、どうよ❣️

 

 

Africa-12

 

自らが作曲家であるだけではなく、私は10代になる前からインドやトルコ、中東からアフリカの音楽に目覚め、クラスメイトと感性が合わなくて本当に困った(笑)。だが、これが結果的には今の私を形成する大きなベースとなり、きっと一生私はこのまま作曲 & 民族音楽の研究者としての活動を続けて行くことになるだろう。

 

色々な国の音楽を巡るうちに30代ではワールド・ミュージックを日本語に訳して踊って歌うユニット「mocha」を結成し、約3年間活動を続けて(とある事情で)ユニットを閉鎖した。
そこで私の民族音楽家としての活動は終わるかと思いきや、そこから私の本格的な音の世界旅行は始まったと言っても過言ではない。

未だ独身で作曲家でもなかった当時は仕事で外の演奏に出る度に、近所のワールド・ミュージック関連のCD売り場に何時間も入り浸り、その日の出演料をはみ出すくらいの大量のCDを買って帰宅したものだった。
だが皮肉なことに、殆どのCDを一回聴いて棚に仕舞うことになり、元が取れたのかどうかはかなり微妙だ(笑)。

 

音楽も、世界情勢の如く日々情報が更新される。最近は自分自身の音に集中することが増えて来た為、以前程熱心に世界の音楽をウォッチ出来なくなっては来たものの、それでも「今だ❗️」と思った時には何時間も、夢中になって音楽から音楽を渡り歩き、好きなジャンルで時々トランジットしながら又次のジャンルに向かう… 音楽の旅が続いて行く。

 

私の記憶が正しければ、私の中には幾つもの人種の血が流れている筈である。だが、今世の私の血の半分はJapan、日本人である🇯🇵
ならば私は日本人の民族音楽研究者として、一つの答えを出さなければならないだろう… と、最近はそればかりを考えて過ごして居る。

 

段々と日本発信の音楽がアメリカナイズして行く中で、それでも私は古き良き日本のモードとか言葉とか、日本人だけが持つ速度感覚等を模索しており、最近はなるべく穏やかな速度で生活することに注力して居る。

 

と、この記事を書いている間、私はついさっき作成した(主にアフリカ近隣諸国の音楽を集めた)PlayListを何故か聴いている(笑)。
これがなかなか好いコレクションになったので、是非このブログの読者の皆様にもシェア頂ければ有難い❤️

 

 

木々との対話

Coffee-plant

 

あちらこちらのSNSに「最近仕事でコーヒーを飲み倒している。」と書きまくったら、数人のファンの方々から「喫茶店を開店なさるのですか?」と言うメールが届いて驚いている。
嗚呼… でも私は基本的に食べることが大好きだから、ある意味これはとても素直な連想だ、とも言える話(笑)。

いいえ、残念ながら喫茶店を開店する予定はありません。
━ 今のところは…。。

 

木(樹)と話すようになってから、私の感覚は最早「閉じる」ことがとても困難になった。年がら年中木々の声や思いが胸に届き、その時々の彼等の思いと私とが同期すると時折とても辛くなる瞬間が訪れる。

特に先週末の「ある事」は私のみならず、木々の心までも深い闇へと突き落とした。普段はとても饒舌な木々が数日間無言になり、その悲痛な思いが世界中を黒いヴェールで覆って行った、そんな気がした。

 

丁度私が長期的な体調不良から立ち直りつつある期間とそれが重なって、病んでいるのが体なのか心なのか本当に区別が付かなくなって、それを見るに見かねた夫が珍しく外食やデリバリーの食事に切り替えてくれたので、何とか今日を迎えることが出来たと言っても過言ではない。

 

 

木曜日は穏やかに…。
そう、極力穏やかに、心をかき乱さぬようにその日を送ることで、その後の仕事にもそれが大きく影響する。
まさに今日がその日。数日間私をそっとしておいて欲しいと親しい友人数名にLINEからメールを送ったので、皆その言葉の奥に在る「何か」を感じ取ってくれたのだと思う。珍しくスマホのLINEへのメッセージのない、とても静かな木曜日。

 

隠れ家でランチ、そして最近ハマっているドリンクとコーヒー「マンデリン」を飲んでまったり過ごし、ゲリラ豪雨が来る前に、いつもよりは少し早目にティータイムを切り上げて帰宅。
夫がAmazonで購入してくれたラム肉が1キロあるので、それを今朝冷凍庫から冷蔵庫に移動し、ゆっくり解凍したらその半分をカレーに、残りをステーキにして焼いて食べようと思っているが、こういう日に限って行き着けの市場の八百屋に野菜が不足している有り様。

買えるものだけをさっと買って帰宅。傷みそうな野菜は明日に回して、先ずは寝室でこうして久々のブログを綴って居る。ブログを書けるまでに体力がようやく復活した証拠で、何だか今とても気持ちが好い。

 

 

最初の話に戻ると、最近私が「仕事でコーヒーを飲み歩いている」と言う話。研究心が嵩じてKindleで書籍まで買って、コーヒーの歴史書を読んでいる。

 

DMaMDRvUMAAOCJO


珈琲の世界史
(講談社現代新書)

旦部幸博: http://amzn.asia/96oN24c

 

この本を読む時は大抵中東かアラブ系の音楽をBGMにセットして、文字を読み進めて行く。

なにせ気分屋でムード派の私は昔から、その時夢中になっている書籍や音楽にインテリアや服装を合わせることにも余念がない。だからって「形から入る」人ではなく、その物事を滾々と突き詰めて行きたいと言う思いが私の「形」を形成して行く。

この書籍を読んだ後に何が起きるのかは、そのうち追々… と言うことで。そう遠くない将来、好い形でそのご報告が出来るよう日々切磋琢磨しながら味覚と感覚を磨いて行きたい(笑)。

もう一度書いておくと、私が喫茶店を開店する… と言う話は全く以て「ない」とだけ言っておきたい。

 

 

追記:
来週までの期間限定で私の無謀なお願いをそっと聞き届けて下さっている友人の皆さまへ、あらためてこの場を借りて心より御礼を申し上げます <(_ _)>

 
🎵この記事を書きながら聴いているBGMは此方。オススメです💿

 

テレパシー能力について

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先週半ばから酷い風邪を引き、珍しいことにそれは最初から気管支炎の状況と共に発症した。
身体の構造上私は「風邪」と「気管支炎」を常にセットで発症し、順序としては風邪が先、後遺症として後に気管支炎が残る形になるのだが今回はその順序が全く逆のかたちで発症した。

そのことの気付いた私は発症直後から直ぐに気管支炎用の漢方薬を服用し始めたが、さらに珍しいことにいつも飲んでいる漢方薬が私の体に副作用のような状況を発生させた。

投薬後、寝室からリビングを突っ切って台所に向かうたった10歩程度の距離で、呼吸が上がってしまうのだ。

現在未だ気管支のゼーゼー音がかなり根深く残っている為、問題の漢方薬を減薬しながら服用しているが、近日中に近所の漢方薬ストアに出向いて薬剤師に色々相談に乗って頂こうかと思って居るところである。

 

風邪 & 気管支炎の最中は兎に角色々なことが面倒臭くなり、必要最小限のSNS活動のみに制限し、日中の大半を何もしないで過ごしていた。何もしないと言うより、出来なかった。

一気に37度台から38度8分辺りまで熱が上昇したかと思うとそれが一気に35度台にまで下降し、次の瞬間には再び38度台に駆け上がる熱の乱高下で私は、完全に気力・体力を喪失した。

 

ネットを離れている期間、それは必ずしも好くないことばかりではなく、私にそれまでの私のネットの中の活動に対し色々なことを考えさせてくれる好い時間を運んでくれた。

ここ最近のFacebookの「いいね」の乱打に対する私の不満や憤慨、その原因が本当は何なのかについても再度、あらためて考えさせてくれた。

 

 

先日こんな事があった。

先例にも漏れず私がシェアする写真や動物の可愛い記事等に、ガンガン「いいね」を押して行く人たちに向けて私は或る記事を発信した。
その記事に私はお願い事ではなく、私の中の「嫌がっている事」についてのみを記載した。

 

私の中で「いいね」とコメントは(一部例外を除いては)常にワンセットであり、それが他記事のシェアものではない限り「いいね」と言うスタンプに対する思いをコメントに残して頂きたい私の意向を常々、TLに綴っていた。

それは夫が見てもくどいぐらいの分量でそれまでにも何度か発信しており、それでも尚且ついわゆるFBFとでも言うべきSNSの中だけのフレンドたちの一部が、私がTLに掲載する記事を上から下まで舐めるように「いいね」だけを押しまくり、消えて行くのだ。

 

問題は、両者が実際には知り合いではない… と言う点にある。
知り合いではない人たちが何を考えているのか… 等と言うことを逐一考えることも面倒な上に私は、彼等がどんなモチベーションと動機で「いいね」を私の記事に押して立ち去って行ってるのかと言う彼等の心情を、全てキャッチすることが出来る。

 

つまりこれ、簡単に言うところのテレパシー能力と言うことになるが。

 

これが案外厄介で、普通は人に話しても先ず理解を得られることはない。なので私はそういう自身の体質をあまり言わないようにして「いいねを押す時は必ずコメントを添えて下さい。そうでなければ無視して下さい。」と懇願し続けて来たが、それを公然と(或るいは善意で)無視した人物の意見に触れることが出来た。

つまりはその方の言い分はこうだった。⇩

先方のコメント:
記事に一個でも「いいね」が付いていたら嬉しいでしょ?だから押すんですが、いけなかったでしょうか?


回答
:

はい、私はそれをやめて下さいと何度もここに書いているわけですから、人が嫌がることを平気で続けるような人とはフレンドで居ることが出来ません。
よってあなたとのフレンドリンクを解消させて頂いた経緯がそこにあります。

 

まぁ私のこの言い方には相手もカチンと来たのか、もしくはやっと事の経緯に気が付いたのか、以後私の記事にその人からの「いいね」のみの迷惑行為はなくなった(笑)。

 

 

手前みそな言い方にはなってしまうが、SNSでは私ぐらいの中途半端に知名度のある人間が、意外に大きな迷惑を被るケースが多いのではないだろうか。
例えば上記のような場合。

 

相手の心の声: 
── 記事に「いいね」を貰ったらそれがたった一個でも有難いでしょ?
だから僕に向かってコメント欄で「ありがとう」って言ってね。僕も(貴女のような中途半端な有名人から)もっともっと有難がられたいんですよー。

 

⇧ 私は「いいね」と言うたった一個のスタンプから、そのスタンプを押して行く人たちの全ての心の声をキャッチすることが出来る。
最初は「いいね」スタンプの数に憤慨しているのかと思いきや、そうではなく、同じスタンプの中に響く思いが各々異なることをつぶさにキャッチする度に苛立つ、そのプロセスに本当に怒り果て、疲れ果ててしまったのだ。

でもそんなことを書いても「嗚呼またまたそうやって超人ぶってさ。だったら今私が何を食べたがってるかアテてみなよ。」等と言う暴言を本気で吐かれるのが関の山。実際そういうことはこれまでに何度も何度も起きていたことなで、結果的にはそれが当たっても当たらなくても相手は同じく憤慨し嘲笑する格好で私を揶揄することには変わらなかった(笑)。

 

だが、そんな話を昨日久し振りに夫に打ち明けてみたところ、意外にあっさりとこう言われた。

 

:
── Didiちゃんさ、もうね、色々と好い音楽を量産して来た経緯もあるわけだしね、そろそろそういう自分のことを正直に人に話して行った方がいいのかもね。

「私にはテレパシーで人のココロの声を掴み取る力があるから、アナタのどす黒い本音も全て聴こえてそれが本当に煩わしくて仕方がないので辞めて下さい。」 とありのままね。

 

なのでこの記事をその記念の記事としてここに、私がテレパシー能力の持ち主であることを大々的に書き残しておくことに致したい。

 

 

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まぁ何はともあれ、先ず風邪 & 気管支炎を完全に治してしまわねばならない。が、意外に病気に臥した時等に限って自分自身を深く見直す切っ掛けが生まれるし、少しFacebookの身辺整理をしたいと思っている。

私のこういうやり方に対してはきっと遠巻きに余り快く思われない方々も多いと思うが、人の心の中のみならず木々の声や動物の心の中身まで毎日つぶさに感じ取りながら生きている人の気持ちを少し考えて頂ければきっと、中には私のこの一見変哲な行動を少しはご理解頂ける方も現れるかもしれないと言う期待を込めて、今日は病み上がり間近の記事を更新してみた。

 

追記としてFacebook Pageへの更新内容の変更について一言。

Facebook Pageには極力誠心誠意を込めて記事を書きたいとずっと思って来たが、もうかれこれ一年以上もの間、この記事の例に漏れず私がセレクトする写真にだけ反応した「いいね」の乱打が尽きない。
勿論「いいね」の真意等を明かす先方からのコメント等はなく、ただただ無言で「いいね」と言う既読のマークだけを置いて消えて行く人たちが後を絶たないので、暫く写真のない文字だけの記事或いはLink投稿のみにFacebook Page内の発信内容を制限して行くこととした。

おそらくそうなれば私の記事は広く拡散する能力を失い、それまで「TLに上がって来たからいいねを押した」程度のFacebookファンのTLに私の記事が上って来なくなるだろう。

そうなった時に、「あれ?」と気付いて私のFacebook Pageお知らせ機能を『on』に設定してでも熱心に私の日々の動向を追跡して下さる方々を、私も又この目で確認したい。

惰性ではなく、真剣に一個の芸術家を思って下さるファンの方々だけの為に、暫く私は文字のみの記事を発信して行くことになるだろう。

 

 

 

・記事中で使用させて頂いた写真は何れも eberhard grossgasteiger さんのPhoto📷
赤とグレーの合わせ方がとてつもなく美しい。

 

・この記事を書きながら聴いていたBGMは此方。
🇦🇲途中アルメニアのTrad『Dle Yaman』がDudukで何度も何度も響き渡る、リズミカルで美しいロングトラック。

 

 

 

遠くから来る音、気配

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この一週間、いえ… もっと多くの時間の中で起きたことを書くには私の文章スキルが余りにも足りないし、何より現実離れし過ぎているかもしれない。一体私はこの世界とアナザーワールドの、どちらを主軸に生きているのかさえ分からなくなる程、この数週間の中で起きた諸々の出来事は飛び過ぎている。

気持ちが落ち着かず、常にざわめきに寄り付かれ、夜も余り眠れない日が続いている。そんな中私も夫も週末から風邪をこじらせ予定していた作業を全て延期した途端に、来る筈だった台風はどこか海の彼方に消えてしまったみたいに都内の雨が止んだ。

 

私たちの作業を快く思わない者はこの世でもあの世でもない、もっと別の世界に点在し、暗躍している。彼等は独特の想念やその力を兼ね備え、私たち夫婦に思いもよらない重圧を掛けて攻めて来る。

私たちはそんな重圧の隙間を縫うようにここのところの作業を進めて来たが、彼等の、まさかそれが二人の人間を攻撃するには余りある程の念の力に少しだけ負けて疲れ、風邪を引いたり頭痛をこじらせたりして体調を崩してしまった。

 

無理は惜しまないが、命を捨てる程私たちは愚かではないので、ここはゆるゆる進むところだね、そだね~と目と目を見つめ合いながら、やわらかな真綿の海を彷徨ってこの週末を渡って行く。

 

 

 

気持ちが落ち着かない時、私はなるべく遠い過去の記憶を持つ存在と触れ合うことに決めている。

例えば森、例えば木々、野に咲く花々、そして天然石。
岩や石に触れていると、遠い時代にきっと私が居たであろう赤い星の記憶が蘇る。思い出せそうで思い出せない、喉の奥で詰まってしまった音楽は古いさざ波の調べにも似ているが、そこに私の原点があることまでは何とか突き止めた。

でも、その先を思い出せない。

 

そんな時、透明な石に触れて回想の補足の力(りき)を得て、私の根元に辿り着こうともがいて何度も頭を振りながら天然石のブレスレットを編んで行く。

勿論、記憶は数万分の一程も復活しないけれど、どこか晴れやかな気持ちになるのは何故だろう…。

 

1997年、春。思い返せば私が本気でワールド・ミュージックと手を取り合った日のことを、とても懐かしく思い出している今日この頃。あんなに特訓して覚えた筈のインドネシア語をもう殆ど忘れてしまったけれど、今もその響きを追うだけで感極まって涙が溢れ出す。

何度か訪れた私の原点の一つが、この言葉の中にも埋もれている。ある日突然砂に埋まってそのまま月日が過ぎてしまった地底の遺跡のような、私の中のインドネシア語はそんな色彩を帯びて行く。

それは遂に届くことのなかった母性のようにも思えるし、或いはもっともっと古く懐かしく遠い記憶の断片のようにも感じられる不思議な響き。

 

私の中で、インドネシア語はさしずめコーヒーカラーにも似た褐色を彷彿とさせ、それを味覚でも強く確認したくなる時、マンデリンの香りを通して私は私を探し始める。

幾つもの魂を経て来ると、零れ落ちたまま二度と戻らぬ記憶の断片にうっかり触れてしまう瞬間がある。それは夢の中に時折現れ、私の背中を鋭く突き刺して来る。でもそれは痛みとは違う、温厚さを兼ね備えた鋭利な感触を私の中に発生させる。

 

夢の中の「その坂道」を私は何度下っては、この温かなナイフで背中を刺されただろう…。その瞬間私は崩れ落ちてその場で力尽き、魂だけが灰色の空を伝ってこちら側の世界に戻って来る。

私は酷く汗をかいており、冷たい水をとめどなく喉に流し込んで行く間に夢のことをすっかり忘れて、目の前の日常へと回帰する。目に涙を溜めたまま、その涙を理由を思うよりも日常の今を刻む時報に耳をすませ、その日の夕食の献立のことを考え始める。
その繰り返し。

 

そうね…、今日は未だ病み上がり未満の体なのだから、しばし思い出せないままのインドネシア語の響きや海の香りのする方へ心を走らせて、音の海に深く潜って行こうと思う。

よろしければ、一緒に泳ぎませんか?
太古の風が吹く海岸から沖へと、共に…🌴🐋

 

 

 

Change of Pace

なかなか気持ちの重さの抜けない日が続き、先週の土曜日、月一の歯の検診から帰宅した後はまるで抜け殻みたいになって何時間も眠り続けた。
ぱぁーーっと息抜きしたくても、なにせこの暑さ。外出するよりは家に居る方が涼しいし、流石に炎天下で気温28度を超えると歩くことも嫌になる(笑)。

 

先週は兎に角練習から練習、作曲から作曲…、これまでに無いくらい自らハードな課題を課して頑張り過ぎたのか、毎晩18時を過ぎると泥のように眠くなって深夜まで眠ってしまった。はっとして目が覚めると深夜3時を過ぎてしまうこともあり、慌ててご飯を炊いて夕食を済ませる日もあった。

そんな時、もう少し生活のサイクルを調整出来る日が早く来て欲しいと、心の底からそう思う。
一つ一つの作業が若い頃よりも重く慎重になり、尚且つ前人未踏の域を(誰にも相談することも出来ずに)突き進まなくてはならず、その重圧は人が思うよりもかなりハードである。

 

昨夜、いつもより少し早目の夕食を済ませた後に夫が、「たまには息抜きしようか。YouTubeで映画でも観ようよ。」と言ってくれたので、普段は滅多に観ることのない「笑える映画」を選んで2時間、まったりと笑いこけた。

銀魂…………………………….

 

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特に小栗旬が好きと言うわけでもなければ菅田将暉がカッコいい… と思うわけでもないけれど、監督の福田雄一さんの作品は以前からとても興味があったので、こういう時にはきっとうってつけだろう… と言う夫のカンはどんぴしゃり。
思い返すと…
一番印象に残ったのは菜々緒のこのショット 笑 ⇩ だったかも。

Nanao

 

本当に脚の綺麗な女優さん。「来島また子」もハマリ役だったと思う。

 

さて、今日から新たな週。早朝、未だ9時になる前に宅急便に叩き起こされるところから、既に月曜日の物語は始まっている。
先週知人が持っていたピンクのバッグを見て奇天烈な声を上げた私の、その声量にかなりびっくりしたのか、同じカバンが届いた。

「お揃いで持っていたいでしょ?」とLINEからメッセージ。って、私、彼女に今月幾つもカバンを頂いている。それを話すと「女だったら口紅とカバンは幾つ持っていても足りないくらいよ。」と、再びLINEメッセージ(笑)。

 

芸術家の暮らしが板に付いて来ると段々、お洒落よりも別のことに意識が向いて行く。
特に音楽。
世界の音楽を私は今でも毎日聴き倒しており、遂にSpotifyのMyListの枠が制限一杯になってしまった。このままではもう、Spotifyに「お気に入り」の音楽をストック出来ない。
10,000曲って、私にとっては本当にあっと言う間。一体私は年にどのくらいの音楽を食べているんだろうかと、確かに許容量の小さな脳ミソに問い掛けてみる。

私の脳をソーセージにしたらきっと、音符と料理のこと以外なーんにも無いんだろうなぁ(笑)。

 

この記事を書きながら聴いているのは、このPlayListでした📡

 

 
冒頭の「Cha Cha, Muchacha」からもう、夏満載、ラテンMaxで踊れる編集になっています。
※ちなみに選曲・編集はわたくし、Didier Merahです🎙️
踊れる人は是非、脳とカラダとお尻をブリブリ振りながら聴いて下さいネっ❣️