芸術家の日常 2023.03.14

このブログに私の日常を書き留めることが段々と難しくなって来たように感じているが、やはり私にとっての「普通」の日々をコンスタントにここに書きたいとも思う。
普段人とのコミュニケーションが殆ど無い私だが、そうは言うものの近くのホテルのレストランに足を運べば直ぐに私のテーブルが人だかりになるし、代わる代わる奥の厨房から専属のシェフが現れてしばしの雑談にも花が咲く。
 
性格をカスタムすれば、ある程度のことは上手く行く。だがしょせんカスタムはカスタム。
人間だから、どこかで本音が爆発するのは致し方ない。
 

 
遡ること一か月前辺りから、実はハイドロカルチャーの水耕栽培でスペアミントの種を蒔いておいた。だが二回トライして、二回とも失敗に終わった。
どうしてもハイドロカルチャーにカビが生えてしまったり、発芽後の間引きのタイミング等が分からなかったり‥で二度発芽をダメにしてしまうと流石に落ち込んだ。
 
もうここはプロの手を借りるしかないので、Amazonでスペアミントの土栽培の苗を購入してそれを水耕栽培に切り替えたところ、上の写真みたいに先端が一週間でにょきにょき伸びて来た。
そろそろ剪定のタイミングに差し掛かっている。
茎も太くしっかりしているので、上から10~12センチぐらいを切って新たに水耕してみる予定だ。
 
私が大の虫嫌いなので、新居には土を一切持ち込まないことに決めている。
本来ならば土栽培の方が良さそうな色々な花も「鉢」ではなく生花で購入し、それを一定期間飾っては楽しんでいる。

私が大の生花好きになったのは、昨年の夏にあちらへ旅立った愛兎のマイケルからのギフトだった。
 

 
マイケルは大きなギフトを、他にも沢山私に残してくれた。もはや神獣間際のところを、天照大神が必死で引き留めている状況だ。
未だ新居のレイアウトが完成していないので、生まれ変わったマイケルの居場所を確保出来ていない。早くしなければ‥。
 
折角マイケルが私に「生花の楽しみ」を置いてってくれたので、最近の私はもっぱら生花のアレンジメントに夢中になっている。
流石に今このご時世、音楽になかなか集中出来ない。と言うのも私の音楽アルバムの大半が「予言」や「預言」を収録した預言集みたいな作りになっている為、これ以上未来の負の預言(予言)は余り形にしたくないと言う思いが強い。
 
なので当面は花島ダリアの名前で音楽評論や表現分析活動にシフトしつつ、実は次のアルバムの構成も若干形になりつつある状況だ。
 

 
人間はとかく嘘が多い上に、偽善者が後を絶たない。私はそういう人間の薄汚い闇を見る度に、心の底から腹が立って仕方がない。
その度にその汚い何かの発信源が頼んでもないのに私に刃を向けて抗議を始めることも多々あるが、あくまでそれは彼等の現実逃避に過ぎない。
 
私は鏡である自分自身の性格も含め、戦士気質の自分を悉く愛している。
汚いものは掃除するのみ。「引っ込め!」と激しく念じながらも言葉の上ではこれでも、穏やかに振る舞っているとは思うのだけど。
 
その反面、花は嘘を吐かない。勿論愛しい生き物たちだって同様に。
 

今日は3月14日、ホワイトデーだ。
我が家は毎日がバレンタインデーなので、特に「今日」の為のイベントは必要ない。いつも通りに過ごすだけである。
 
そう言えばこれはプレアデス人は「セムヤーゼ」との会話の中でも頻繁に出て来る話題だが、人間の基礎体温が高すぎることにより人類が短命になっている‥と言う話。
無駄な運動で汗をかいて代謝量を上げたり、そのことで心拍数を無駄に増やして体力を消耗させるのは何故なのか‥ と、いつもセムヤーゼは私に問い掛けて来る。
 

長寿の秘訣の一つとして、先ず基礎体温を最低でも35度台に下げて極力無駄な汗をかかないよう、注意することが挙げられる。

 
健康志向だと言う人間の多くが、これとは逆のことをやっている。だからどんなに運動して基礎代謝を上げたり筋肉を付けたとて、有限の心拍数を結果的に増やしているわけだからその分寿命も縮まって当然だと、セムヤーゼは語る。
 
我が家ではことさら「睡眠」に多くの時間を費やしている。その間内臓も心拍数も休まるので、私も夫も平均体温は35.3~35.5度辺りをキープしている。むしろその体温の時が最も体調が良い。
 
‥とまぁこの記事のタイトルは「芸術家の日常」等と付けてはみたが、よくよく読んでみると余り日常的な内容でも無さそうな‥(笑)。
世で言う日常はむしろ私たち夫婦にとっての非日常で、一つ屋根の下に二人の予言者が仲良く暮らしていることも含め、あくまで私たちにとっての「日常」をこれからも淡々と楽しんで行けたら良いと思う。
 

そう言えば久々にSpotifyにプレイリストを作ってみたので、よろしければ家事やお仕事、ドライブのお供に是非🚘
 

🌎New Chillout Times 2023′ vol.2

天使の寝顔 – いってらっしゃい、マイケル‥

マイケル、旅立ちの日。ほとんど夜通し、マイケルを撫でながら過ごしました。
そして結局朝まで余り眠れずに起床して、軽く身支度をしながらマイケルに最後の抱擁を。
朝からじっとりと真昼のような暑さを感じながら、それでもどこか清々しい空が広がっていました。
 
幸先の良い時、神様は私達の頭上にそれを知らせてくれます。空一面に龍雲が広がっていました。
けっして幸せな儀式ではないとは言いつつ、これはきっとマイケルの為に用意された一日の始まりだと感じ、泣き腫らした瞼の痙攣を押さえながら支度を進めて行きます。
 
 
朝10時に動物霊園からの送迎の車が到着し、おくるみにマイケルを包み、そっと乗車。
マイケルの首がグラグラしているので、慎重に右の手のひらに包み込みます。さながら新生児を抱く時の要領に似ており、どこか懐かしい記憶を呼び覚まされる私でした。
 
マイケルは私達に降り掛かる全ての「圧」(呪い)を、おそらく完全に持って行ってくれたと思います。
あの小さな体で私の実母の霊魂から発せられる呪詛のようなエネルギーを、最後はマイケル自身が一身に背負い込んで、命懸けで私達夫婦と未来を守り抜いてくれました。
 

 
マイケルが逝く前夜、私達夫婦とマイケルの間で一つの約束を交わしました。
それはもう一度、次こそはもっと健康な体をともなって自由気ままに我が家に戻って来ることでした。
「どうする、マイケル?もう一度うちに戻ってやり直してみない?」
そうマイケルに尋ねてみると、スムーーともフムーーともつかない溜め息の後にマイケルが、微かに首を振った瞬間を私は見逃しませんでした。
 
マイケルが旅立ったのは、その翌日の午後でした。
きっと傷付いてボロボロになった肉体を脱ぎ捨てたとしても、もう彷徨うことなく戻れる家があるんだと、マイケルは安心したのではないでしょうか。
 
 
早朝にマイケルが、自分が逝く瞬間の感覚を私に送ってくれました。
それによると意識が段々と朦朧として来て、視界が赤くなり体中に発熱感を感じ、いきなり天地がひっくり返るような衝撃があり、そのまま転倒して何も視えなくなった‥、そんな感覚でした。
でもその中でマイケルがふと思ったことは、もう一度我が家に帰って来れると言う希望の灯で、それを思うと自然と唇に笑みが浮かんだようです。
 
きっと本人は突然に来た激痛にもがいただろうに、最期のマイケルは何とも言えない笑みを口元に浮かべて眠っていました。
それは今日、その瞬間まで私達が気付けなかった彼の無垢な真実の姿。
それを見た途端、私はこれでもかと言う程涙が止まらなくなり、暫くそのまま泣き続けました。
流石に葬儀を執り行う係の男性も、私があんまり泣くから困ってしまったでしょう。
 
 
余談ですが霊園に到着した時に私が来ていたTシャツとジーンズが、かなり広範囲に濡れていました。何だろうと思って匂いを嗅ぐと、それがマイケルの体液だと分かりました。
逝く前夜の約束の証しとして、彼は私にマーキングをして行ったのでしょう。いかにもマイケルらしいなと思い、又涙が溢れ出ました。
 
マイケルが逝く2時間前に撮影した写真も一緒に掲載しますが、彼は物凄い頭痛の痛みとそれまで経験したことのない発熱に身動きが取れなくなって、スイカの入った小皿を抱きしめながら、体力と気力の限界でそれを舐めては眠り、又舐めては眠り‥ を繰り返していました。
飼い主から見るとそれが余りに可愛く見えてしまい、思わず私はスマホにその瞬間を収めました。
 

 
霊場でマイケルを、ありったけの餌や草や果物と、彼が大好きであろう黄色い花で飾りました。
私がスマホを向けるといつも何かしらのカメラ目線をしてくれるマイケルですが、最期のマイケルはどう見ても微笑んでいるようにしか見えません。
 
まるでディズニーから飛び出して来たうさぎみたいにその寝顔が可愛いので、皆様の記憶の中にその瞬間を収めて頂ければ幸いです。
 

 
又獣医さんからも褒めて頂いた綺麗過ぎる奥歯が遺骨の中にそのまま残ってくれたので、そちらも貼っておきます。
 

 

いってらっしゃい、マイケル。
道中気を付けて遊んで、そして又帰って来てね🌈

マイケル君が旅立ちました

2022年7月31日、愛兎のマイケルが旅立ちました。9年と一ヶ月の壮絶な時間を、風のように駆け抜けて行きました。
死因の詳細は結局分からないままですが、私が直後のマイケル君から感じ取った印象としては、物凄い頭痛とそれによる発熱感覚があり、逝く直前にその痛みに耐え切れずもがいたような映像を受け取りました。
 
この世を去ったのはおそらく、再発したであろうエンセファリトゾーンの注射治療その他で三日間連続で通院を始めた、二日目の午後3時辺りだと思います。
 
私達夫婦が少しだけランチ外出で席を外した時のこと。
帰宅すると敷いてあった水色の敷布が完全に捲れて、プラスチックのすのこの上に横たわっていました。
 
何故か敷布の上に置いてあったスイカの入った小皿がそのままの状態で置かれていたのが、どう見ても奇妙です。
きっと誰か、神様が来て散らばったスイカを綺麗に小皿に入れ直してくれたのかもしれません。

未だ体が温かく、死後硬直が始まる寸前でした。
なるべくそのままの状態を崩さずに私が抱き上げて、今週何故か一度も洗わずに私が使っていた湯上り用のタオルにくるみ、何度も何度も泣きました。
 

 
翌8月1日早朝から我が家は転居をスタートする予定で、それをマイケルが見届けてくれていると思うとおちおち泣いてもいられません。
崩れ落ちそうな力を集めて振り絞って、何とか新居の鍵を開けて必要な手続きだけを済ませ、その足で獣医さんの元に向かいマイケル君の訃報をご報告しました。
 
本来ならば今日の午後にマイケル君の注射治療と点滴等をお約束していたので、やはり先生にはこのタイミングでお伝えしたいと思い、タクシーで動物病院に向かいました。
 
いつも手に持っているケージを持っていない私達を見て、先生が「あれっ?!」と一言。
何とか私も重い口を開いたつもりが、どうにも涙が溢れて上手く伝えられなくて‥。
 
少しずつ話をして行くうちに、先生と思い出話になり、最後は夫と先生と三人で泣きました。
普段治療中は本当に怖い先生ですが、昨日初めて先生のお優しいお人柄に触れられたような気がしました。
 
生まれて二ヶ月半でエンセファリトゾーン(神経症)を発症。既にマイケルは母胎感染で神経症を持って我が家に来たので、生後間もなく闘病が始まっていたことになります。
それを思うと9歳と1ヶ月のマイケルの生命は大往生だった、と先生が励まして下さいました。

獣医先生にとってもとても印象の深い子だったらしく、本当に寂しそうに泣かれる先生を見て私達夫婦も又泣いてしまい‥。

今、マイケル君と最後の夜を過ごしています。
夫は疲れて先に眠っていますが、私は明日のマイケル君のお見送りに添える果物やチモシー等を袋に詰めたり冷蔵庫に仕舞ったり、あと少し作業をしたら休まないといけません。

号泣と引越しのあれやこれで、体力気力は既に限界を超えています。
でもマイケル君との時間を、最後まで大切にしたいと思います。
 

明日の様子はブログは勿論、Instagram、Facebookの個人ページにも掲載しようと思います。