エッセイ 『カオマンガイ』

ギフトは未だそこに在った。雨は程好く降り続いており、人々の喉や粘膜に心地好い湿度を与え続けてくれている。
この分だと今日は、ようやく咳喘息からも開放されるに違いない。予感がしたので早々と外出の支度を始めたが、その予感が10分後に的中する。  
 

「よかったらタイランチ、行きませんか?」 …

はつらつとした文字が、待ち受け画面を突き破って踊り出す。
 

段々と友人が若年化して行くことは、きっと佳きこと。
私が長くこの世に留まり、ワクチンを打った知人達は10年後には多分誰もいなくなるだろうから、なるべくクールで知的でユーモアを交えても態度が崩れ落ちない、そんな要素を備えた若い友人を私は心から求めていた。

 

23歳の彼女は今年の初春までは医療従事者の卵だったが、この世界情勢を踏まえある日いきなり結婚し、その勢いで何の躊躇もなく医師人生を投げ出して、愛する一人の青年の為に生きる将来を選択した。
(私の)夫がテレワークから日勤にシフトする日程を彼女には教えてあるので、頃合いを見て連絡が来る。今日がまさにその日だった。

 

偶然だが二人の食べたいものが一致したので、おんなじメニューを大盛りで注文する。段々と思考回路も体の細胞も同化して来るみたいだと彼女は言うけれど、そんな彼女も感覚が少しずつ開き始めているのかもしれない。 以心伝心の確率が徐々に上がって行く。

 

彼女が悪夢を見る度にLINEのメッセージが届き、話しを聞いて欲しいと懇願して来る。悪夢の主人公が、私の母親らしき人物だからだ。
母は一体これまでに何人の人達を苦しめ、さらにここからどれだけの人達を苦しめたいのだろうか‥。
私を拒絶しながら尚も、未来の私に干渉しようと企んでいるようにも見えて来る。

 

 

悪夢は私の夢でも起きており、立て続けに三日間私は「光る魚」の夢を見た。
いかにも「夢」の、あり得ないような場面設定だが、とある伊豆の海の向こう側におびただしい数の「光る体」を持つ大きな魚の群れが幾つも現れては、海岸に向かって泳いで来る夢だ。

真夜中の海、幻想的なのにどこかスリリングで冷ややかな映像は、私が寝返りを打つまで続く。 ストーリーも大体決まっているので、おそらくどこかの過去世で私は同じような経験をし、それが記憶の糸くずとなって現世の私の喉元にずっと引っ掛かったままになっているのだろう。

 

カオマンガイ

 

「ジンジャーライス、美味しいですよね。」‥

彼女は敬語を絶対に崩さない。私がどんなにラフに話し掛けても彼女は最初に会った時のまま、態度を変えない。そんな彼女の礼儀正しさが私は大好きで、彼女が未だ高校生だった頃からずっと友人関係が続いている。

 

彼女もワクチン接種を思いとどまっている。
同僚や後輩たちが次々と「職域接種」の赤紙を受け取り、集団接種会場へと駆り立てられて行く光景を彼女はきっと、苦しみながら静観していることだろう。  

「本番、最初は今年の冬ですね‥。」

私達は海外の論文を共有し、彼女はそれを翻訳し直して私に正しく説明してくれる。


「副反応じゃなく、怖いのはサイトカインストームの方なんですよね。どんなに話しても、同じ医療従事者達の方がむしろ耳を貸してくれなくて‥。」
彼女は時折泣きそうになりながら私の右手に彼女の左手を重ねるようにして、何とか号泣を止めている。  

「すみません‥、話題を変えますね。どうしてもこう、なんとなくこういう話しになっちゃってごめんなさい。」‥

 

彼女の周囲から友達が減っているのは、目に見えて私にも分かる。
意見の合わない人達と遠ざかったり、或いはワクチンを接種した同じ年の友人がある日突然帰らぬ人になったり、きっと未だ若いから心の整理も付けにくいのだと思う。
良くも悪くも諦めが悪い、でもそれが若さの象徴だから私はそんな彼女を娘のように思い、あえて何も言わない時もある。

 

同じタイミングでカオマンガイを完食した二人。一昨年ならばその後に「コーヒー、ご馳走しますよ。」と彼女が財布を握ってくれていたが、世界はそんな気楽な人と人の関わりを許さない空気で満ちている。  

私: 「続きはLINEでね。帰ったらメール入れるから。」

Zoo呑みならぬ動画なしのLINE喫茶ごっこを開始して、かれこれ90分が経過した。  

 

「今日も楽しかったです。又ご一緒して下さい、私からお誘いしますから。」

ランチのテーブルで全く同じ内容のカオマンガイを前に、各々のカオマンガイを撮影してLINEで交換したら、どっちがどっちのカオマンガイだか分からないくらい似た写真が2枚並んでしまった。  

 

私:「こっちが私(Didier)のカオマンガイよ!だってサラダとスープのお皿をこそっと引っくり返しておいたから。」  

 

来世、生まれ変わる時は姉妹がいいと彼女から頻繁に言われるようになったが、もしもそうなれたら絶対に喧嘩だけはしないように、遺産相続争いにだけはならないようにしたいわね‥ 等と色気のない能書きを垂れる私を娘のように慕ってくれる彼女との関わりが、一日でも長く続きますように‥。

家族のように

 

17a1ab09582702b8a32d74481224e019

 

昨日午後あたりから急に気持ちも体調も落ち込んで、結局夕食も摂らずに朝まで深い眠りの中に居た。
早朝夫にバナナミルクを作って彼を会社に送り出した後、何となく喉が痛むので何度も何度もうがいをして日課の練習に入った。
練習が終わり、静かに水を飲む。最近は兎に角水を頻繁に飲むようになり、それが私の第二の持病の悪化をかなり防いでくれていることに気付いてからは、何をする前にも後にも必ず水を飲むようになった。

 

ランチをどうしようかと思っていると5駅向こう側からLINEで連絡があり、例の試食会をするから来てよ‥ とカタコトの日本語でヴォイスが残っていた。行こうかどうしようか少し迷ったが、こういう時にはむしろスパイス系を摂取した方が好いと思い、サクっとシャワーを浴びて駅まで歩き電車に乗った。

向かうはタイ料理店。

 

出されたものは何と、ソムタムと言う青パパイヤのサラダからタイ風スープ、そしてバッタイ未満の残った麺をタイ風に味付けして炒めたもの、その他色々。
ぶっちゃけた話、店舗の定食よりも多分豪華なまかない食で、店員以外の客人は私だけだった。家族のように迎え入れられた気分で、お腹も心も一杯になった。

 

タイではね、生野菜も手でボリボリ食べるよー。

 

ママの大きくて愛くるしくてパワフルな、声の解説が付いて来る。この店ではこうしてランチ後の休憩中に、スタッフがテーブルを囲んで家族のようにご飯を頂くのだとか。

 

お姉さんも家族よー。いっぱい食べてってねー。

 

何だか異国の母親を見つけたような気持ちになり、何度も何度もお料理に、ママに、そしてスタッフの方々に手を合わせ感謝の意思表示を続けた。
幸せな気持ちだった。

 

帰宅後、練習第二ラウンドを軽くこなし、刑事ドラマ「相棒」を観たら少し休もうと思いながらこの記事を書き始め、現在に至る。
そろそろ休もうと思う。