木が教えてくれた

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若かりし頃、ある夏の日。おそらく未だ私が小学校の高学年辺りだったか、夏休みで蕎麦が大好きな父が家に居た為我が家の食卓には連続して蕎麦が出されたことがあった。
ざっと一ヶ月間とかそれ以上。記憶では昼、夜と蕎麦が続くこともあった。

最初は美味しく感じた蕎麦も段々と飽きて来て鼻に付いて来たどころか、段々と体が拒絶反応を示すようになって行ったが蕎麦は止まらなかった。
幾ら好きとは言え父も父、ほぼおんなじ味付けの蕎麦が流石に二週間を過ぎた辺りから私の体に異変が出始めた。

 

最初は鼻水(夏なのに‥)、次いで蚊に刺されたように赤いプツプツが腕や首等に出て来たので原因を探って行ったが、どう見てもそれは蕎麦の食べ過ぎだとしか言いようのない程、私の蕎麦への拒絶反応が日増しに酷くなって行った。同時にアレルギー反応のような状況も悪化した。
当時は未だ「花粉症」も「アレルギー性◯◯」も、まして食のアレルギー等は今よりも完全に軽視されており、「食べたくない」はただの好き嫌いとしてスルーされる事が殆どだった。

 

だが流石に段々と朝起きるのが辛くなりこれはおかしいと言うことになり、私だけが蕎麦ではない他の食事を摂ることを渋々母親に承諾させた。

 

立ち食い蕎麦屋の前を通るとなぜか出汁の香りに吸い込まれ、だがその時も私は暫くの間蕎麦ではなくうどんを食べるようになった。

 

 

長い時が過ぎて段々と蕎麦アレルギーの記憶も薄れ、何となく連続して蕎麦を食べていた最近になり再び私の体に異変があった。
蕎麦を食べている途中でつわりのようにムっと来て、遂に完食する前に蕎麦を捨てた。

私はやっと気づいたのだ。これはあの、蕎麦アレルギーに違いないと。

昨年の夏のある午後ビールを飲み、もり蕎麦の大盛りを食べた後にも二度私は倒れている。だがあの時はただのビールの呑み過ぎだと軽視し、まさかあれが蕎麦アレルギーの再発だとは気付かぬまま、その後も何度か蕎麦とお酒のセットを堪能する度に必ず倒れ込んだ。

 

夫との散歩がてら、そんな話をしながら街では馴染の御神木の前を通り過ぎようとした時、木が囁いた。囁いたと言うより、映像を送って来たのだ。
真っ白で太い根菜のようなもの、「これ、食べなさい」と言うように何度も何度も何十分も映像は続けざまに送られて来た。

 

御神木には常日頃お世話になっているので、私はその映像を無視しなかった。何だろう一体… と思いながら映像に目を凝らすと、そこからおろし大根の独特な匂いが私の脳裏に送り込まれて来た。
多分これはきっと、それを食べなさい… と言う御神木からのアドバイスに違いないと思い、私は慌てて大根を買って家で摺ってひたすら食べた。

 

すると何週間も続いていた咳(喘息)が急に激減して行くではないか…。

「嗚呼こういう事だったのね、いつもありがとう。」と、私は木に向かって思いを送った。私と御神木はいつもそうやって会話をしているので、木は必ず私の思いに応えてくれる。

 

御神木は言語を理解するが、自らが言葉のような音声を発することは殆どない。人間で言うところの笑い声とかすすり泣き、そんな感じで感情を表現するのだが、私があの時「ありがとう」と念を送った後の木は「ヒェーーっヒェっヒェっヒェっ…」とでも言うように高笑いをした後に大欠伸をして、そのまま眠りに落ちて行った。

きっと安心したのだろう。まるで母のようだ。

 

 

東京も梅雨入りし、連日不安定な天気が続いている。昨日 月曜日は流石に無気力症候群のような状態に陥り、軽い練習とAmazonからの荷物を待つ以外の全ての行動が止まった。
そんな時でも木々は、私の体を気遣ってくれる。

 

しとしとと幹が雨に濡れて行く時の音声がなぜか私の脳裏に拡がり、それは私に「少し休みなさいね。」と言う彼等の思いのように感じたので、私は遠慮なく夕方から日付の変わった少し後まで完全に爆睡した。

 

私は多くの精霊たちに守られている。

 

 

 

⇧ Didier Merahが作った最新のPlayListです。
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木々との対話

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あちらこちらのSNSに「最近仕事でコーヒーを飲み倒している。」と書きまくったら、数人のファンの方々から「喫茶店を開店なさるのですか?」と言うメールが届いて驚いている。
嗚呼… でも私は基本的に食べることが大好きだから、ある意味これはとても素直な連想だ、とも言える話(笑)。

いいえ、残念ながら喫茶店を開店する予定はありません。
━ 今のところは…。。

 

木(樹)と話すようになってから、私の感覚は最早「閉じる」ことがとても困難になった。年がら年中木々の声や思いが胸に届き、その時々の彼等の思いと私とが同期すると時折とても辛くなる瞬間が訪れる。

特に先週末の「ある事」は私のみならず、木々の心までも深い闇へと突き落とした。普段はとても饒舌な木々が数日間無言になり、その悲痛な思いが世界中を黒いヴェールで覆って行った、そんな気がした。

 

丁度私が長期的な体調不良から立ち直りつつある期間とそれが重なって、病んでいるのが体なのか心なのか本当に区別が付かなくなって、それを見るに見かねた夫が珍しく外食やデリバリーの食事に切り替えてくれたので、何とか今日を迎えることが出来たと言っても過言ではない。

 

 

木曜日は穏やかに…。
そう、極力穏やかに、心をかき乱さぬようにその日を送ることで、その後の仕事にもそれが大きく影響する。
まさに今日がその日。数日間私をそっとしておいて欲しいと親しい友人数名にLINEからメールを送ったので、皆その言葉の奥に在る「何か」を感じ取ってくれたのだと思う。珍しくスマホのLINEへのメッセージのない、とても静かな木曜日。

 

隠れ家でランチ、そして最近ハマっているドリンクとコーヒー「マンデリン」を飲んでまったり過ごし、ゲリラ豪雨が来る前に、いつもよりは少し早目にティータイムを切り上げて帰宅。
夫がAmazonで購入してくれたラム肉が1キロあるので、それを今朝冷凍庫から冷蔵庫に移動し、ゆっくり解凍したらその半分をカレーに、残りをステーキにして焼いて食べようと思っているが、こういう日に限って行き着けの市場の八百屋に野菜が不足している有り様。

買えるものだけをさっと買って帰宅。傷みそうな野菜は明日に回して、先ずは寝室でこうして久々のブログを綴って居る。ブログを書けるまでに体力がようやく復活した証拠で、何だか今とても気持ちが好い。

 

 

最初の話に戻ると、最近私が「仕事でコーヒーを飲み歩いている」と言う話。研究心が嵩じてKindleで書籍まで買って、コーヒーの歴史書を読んでいる。

 

DMaMDRvUMAAOCJO


珈琲の世界史
(講談社現代新書)

旦部幸博: http://amzn.asia/96oN24c

 

この本を読む時は大抵中東かアラブ系の音楽をBGMにセットして、文字を読み進めて行く。

なにせ気分屋でムード派の私は昔から、その時夢中になっている書籍や音楽にインテリアや服装を合わせることにも余念がない。だからって「形から入る」人ではなく、その物事を滾々と突き詰めて行きたいと言う思いが私の「形」を形成して行く。

この書籍を読んだ後に何が起きるのかは、そのうち追々… と言うことで。そう遠くない将来、好い形でそのご報告が出来るよう日々切磋琢磨しながら味覚と感覚を磨いて行きたい(笑)。

もう一度書いておくと、私が喫茶店を開店する… と言う話は全く以て「ない」とだけ言っておきたい。

 

 

追記:
来週までの期間限定で私の無謀なお願いをそっと聞き届けて下さっている友人の皆さまへ、あらためてこの場を借りて心より御礼を申し上げます <(_ _)>

 
🎵この記事を書きながら聴いているBGMは此方。オススメです💿

 

テレパシー能力について

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先週半ばから酷い風邪を引き、珍しいことにそれは最初から気管支炎の状況と共に発症した。
身体の構造上私は「風邪」と「気管支炎」を常にセットで発症し、順序としては風邪が先、後遺症として後に気管支炎が残る形になるのだが今回はその順序が全く逆のかたちで発症した。

そのことの気付いた私は発症直後から直ぐに気管支炎用の漢方薬を服用し始めたが、さらに珍しいことにいつも飲んでいる漢方薬が私の体に副作用のような状況を発生させた。

投薬後、寝室からリビングを突っ切って台所に向かうたった10歩程度の距離で、呼吸が上がってしまうのだ。

現在未だ気管支のゼーゼー音がかなり根深く残っている為、問題の漢方薬を減薬しながら服用しているが、近日中に近所の漢方薬ストアに出向いて薬剤師に色々相談に乗って頂こうかと思って居るところである。

 

風邪 & 気管支炎の最中は兎に角色々なことが面倒臭くなり、必要最小限のSNS活動のみに制限し、日中の大半を何もしないで過ごしていた。何もしないと言うより、出来なかった。

一気に37度台から38度8分辺りまで熱が上昇したかと思うとそれが一気に35度台にまで下降し、次の瞬間には再び38度台に駆け上がる熱の乱高下で私は、完全に気力・体力を喪失した。

 

ネットを離れている期間、それは必ずしも好くないことばかりではなく、私にそれまでの私のネットの中の活動に対し色々なことを考えさせてくれる好い時間を運んでくれた。

ここ最近のFacebookの「いいね」の乱打に対する私の不満や憤慨、その原因が本当は何なのかについても再度、あらためて考えさせてくれた。

 

 

先日こんな事があった。

先例にも漏れず私がシェアする写真や動物の可愛い記事等に、ガンガン「いいね」を押して行く人たちに向けて私は或る記事を発信した。
その記事に私はお願い事ではなく、私の中の「嫌がっている事」についてのみを記載した。

 

私の中で「いいね」とコメントは(一部例外を除いては)常にワンセットであり、それが他記事のシェアものではない限り「いいね」と言うスタンプに対する思いをコメントに残して頂きたい私の意向を常々、TLに綴っていた。

それは夫が見てもくどいぐらいの分量でそれまでにも何度か発信しており、それでも尚且ついわゆるFBFとでも言うべきSNSの中だけのフレンドたちの一部が、私がTLに掲載する記事を上から下まで舐めるように「いいね」だけを押しまくり、消えて行くのだ。

 

問題は、両者が実際には知り合いではない… と言う点にある。
知り合いではない人たちが何を考えているのか… 等と言うことを逐一考えることも面倒な上に私は、彼等がどんなモチベーションと動機で「いいね」を私の記事に押して立ち去って行ってるのかと言う彼等の心情を、全てキャッチすることが出来る。

 

つまりこれ、簡単に言うところのテレパシー能力と言うことになるが。

 

これが案外厄介で、普通は人に話しても先ず理解を得られることはない。なので私はそういう自身の体質をあまり言わないようにして「いいねを押す時は必ずコメントを添えて下さい。そうでなければ無視して下さい。」と懇願し続けて来たが、それを公然と(或るいは善意で)無視した人物の意見に触れることが出来た。

つまりはその方の言い分はこうだった。⇩

先方のコメント:
記事に一個でも「いいね」が付いていたら嬉しいでしょ?だから押すんですが、いけなかったでしょうか?


回答
:

はい、私はそれをやめて下さいと何度もここに書いているわけですから、人が嫌がることを平気で続けるような人とはフレンドで居ることが出来ません。
よってあなたとのフレンドリンクを解消させて頂いた経緯がそこにあります。

 

まぁ私のこの言い方には相手もカチンと来たのか、もしくはやっと事の経緯に気が付いたのか、以後私の記事にその人からの「いいね」のみの迷惑行為はなくなった(笑)。

 

 

手前みそな言い方にはなってしまうが、SNSでは私ぐらいの中途半端に知名度のある人間が、意外に大きな迷惑を被るケースが多いのではないだろうか。
例えば上記のような場合。

 

相手の心の声: 
── 記事に「いいね」を貰ったらそれがたった一個でも有難いでしょ?
だから僕に向かってコメント欄で「ありがとう」って言ってね。僕も(貴女のような中途半端な有名人から)もっともっと有難がられたいんですよー。

 

⇧ 私は「いいね」と言うたった一個のスタンプから、そのスタンプを押して行く人たちの全ての心の声をキャッチすることが出来る。
最初は「いいね」スタンプの数に憤慨しているのかと思いきや、そうではなく、同じスタンプの中に響く思いが各々異なることをつぶさにキャッチする度に苛立つ、そのプロセスに本当に怒り果て、疲れ果ててしまったのだ。

でもそんなことを書いても「嗚呼またまたそうやって超人ぶってさ。だったら今私が何を食べたがってるかアテてみなよ。」等と言う暴言を本気で吐かれるのが関の山。実際そういうことはこれまでに何度も何度も起きていたことなで、結果的にはそれが当たっても当たらなくても相手は同じく憤慨し嘲笑する格好で私を揶揄することには変わらなかった(笑)。

 

だが、そんな話を昨日久し振りに夫に打ち明けてみたところ、意外にあっさりとこう言われた。

 

:
── Didiちゃんさ、もうね、色々と好い音楽を量産して来た経緯もあるわけだしね、そろそろそういう自分のことを正直に人に話して行った方がいいのかもね。

「私にはテレパシーで人のココロの声を掴み取る力があるから、アナタのどす黒い本音も全て聴こえてそれが本当に煩わしくて仕方がないので辞めて下さい。」 とありのままね。

 

なのでこの記事をその記念の記事としてここに、私がテレパシー能力の持ち主であることを大々的に書き残しておくことに致したい。

 

 

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まぁ何はともあれ、先ず風邪 & 気管支炎を完全に治してしまわねばならない。が、意外に病気に臥した時等に限って自分自身を深く見直す切っ掛けが生まれるし、少しFacebookの身辺整理をしたいと思っている。

私のこういうやり方に対してはきっと遠巻きに余り快く思われない方々も多いと思うが、人の心の中のみならず木々の声や動物の心の中身まで毎日つぶさに感じ取りながら生きている人の気持ちを少し考えて頂ければきっと、中には私のこの一見変哲な行動を少しはご理解頂ける方も現れるかもしれないと言う期待を込めて、今日は病み上がり間近の記事を更新してみた。

 

追記としてFacebook Pageへの更新内容の変更について一言。

Facebook Pageには極力誠心誠意を込めて記事を書きたいとずっと思って来たが、もうかれこれ一年以上もの間、この記事の例に漏れず私がセレクトする写真にだけ反応した「いいね」の乱打が尽きない。
勿論「いいね」の真意等を明かす先方からのコメント等はなく、ただただ無言で「いいね」と言う既読のマークだけを置いて消えて行く人たちが後を絶たないので、暫く写真のない文字だけの記事或いはLink投稿のみにFacebook Page内の発信内容を制限して行くこととした。

おそらくそうなれば私の記事は広く拡散する能力を失い、それまで「TLに上がって来たからいいねを押した」程度のFacebookファンのTLに私の記事が上って来なくなるだろう。

そうなった時に、「あれ?」と気付いて私のFacebook Pageお知らせ機能を『on』に設定してでも熱心に私の日々の動向を追跡して下さる方々を、私も又この目で確認したい。

惰性ではなく、真剣に一個の芸術家を思って下さるファンの方々だけの為に、暫く私は文字のみの記事を発信して行くことになるだろう。

 

 

 

・記事中で使用させて頂いた写真は何れも eberhard grossgasteiger さんのPhoto📷
赤とグレーの合わせ方がとてつもなく美しい。

 

・この記事を書きながら聴いていたBGMは此方。
🇦🇲途中アルメニアのTrad『Dle Yaman』がDudukで何度も何度も響き渡る、リズミカルで美しいロングトラック。