木が教えてくれた

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若かりし頃、ある夏の日。おそらく未だ私が小学校の高学年辺りだったか、夏休みで蕎麦が大好きな父が家に居た為我が家の食卓には連続して蕎麦が出されたことがあった。
ざっと一ヶ月間とかそれ以上。記憶では昼、夜と蕎麦が続くこともあった。

最初は美味しく感じた蕎麦も段々と飽きて来て鼻に付いて来たどころか、段々と体が拒絶反応を示すようになって行ったが蕎麦は止まらなかった。
幾ら好きとは言え父も父、ほぼおんなじ味付けの蕎麦が流石に二週間を過ぎた辺りから私の体に異変が出始めた。

 

最初は鼻水(夏なのに‥)、次いで蚊に刺されたように赤いプツプツが腕や首等に出て来たので原因を探って行ったが、どう見てもそれは蕎麦の食べ過ぎだとしか言いようのない程、私の蕎麦への拒絶反応が日増しに酷くなって行った。同時にアレルギー反応のような状況も悪化した。
当時は未だ「花粉症」も「アレルギー性◯◯」も、まして食のアレルギー等は今よりも完全に軽視されており、「食べたくない」はただの好き嫌いとしてスルーされる事が殆どだった。

 

だが流石に段々と朝起きるのが辛くなりこれはおかしいと言うことになり、私だけが蕎麦ではない他の食事を摂ることを渋々母親に承諾させた。

 

立ち食い蕎麦屋の前を通るとなぜか出汁の香りに吸い込まれ、だがその時も私は暫くの間蕎麦ではなくうどんを食べるようになった。

 

 

長い時が過ぎて段々と蕎麦アレルギーの記憶も薄れ、何となく連続して蕎麦を食べていた最近になり再び私の体に異変があった。
蕎麦を食べている途中でつわりのようにムっと来て、遂に完食する前に蕎麦を捨てた。

私はやっと気づいたのだ。これはあの、蕎麦アレルギーに違いないと。

昨年の夏のある午後ビールを飲み、もり蕎麦の大盛りを食べた後にも二度私は倒れている。だがあの時はただのビールの呑み過ぎだと軽視し、まさかあれが蕎麦アレルギーの再発だとは気付かぬまま、その後も何度か蕎麦とお酒のセットを堪能する度に必ず倒れ込んだ。

 

夫との散歩がてら、そんな話をしながら街では馴染の御神木の前を通り過ぎようとした時、木が囁いた。囁いたと言うより、映像を送って来たのだ。
真っ白で太い根菜のようなもの、「これ、食べなさい」と言うように何度も何度も何十分も映像は続けざまに送られて来た。

 

御神木には常日頃お世話になっているので、私はその映像を無視しなかった。何だろう一体… と思いながら映像に目を凝らすと、そこからおろし大根の独特な匂いが私の脳裏に送り込まれて来た。
多分これはきっと、それを食べなさい… と言う御神木からのアドバイスに違いないと思い、私は慌てて大根を買って家で摺ってひたすら食べた。

 

すると何週間も続いていた咳(喘息)が急に激減して行くではないか…。

「嗚呼こういう事だったのね、いつもありがとう。」と、私は木に向かって思いを送った。私と御神木はいつもそうやって会話をしているので、木は必ず私の思いに応えてくれる。

 

御神木は言語を理解するが、自らが言葉のような音声を発することは殆どない。人間で言うところの笑い声とかすすり泣き、そんな感じで感情を表現するのだが、私があの時「ありがとう」と念を送った後の木は「ヒェーーっヒェっヒェっヒェっ…」とでも言うように高笑いをした後に大欠伸をして、そのまま眠りに落ちて行った。

きっと安心したのだろう。まるで母のようだ。

 

 

東京も梅雨入りし、連日不安定な天気が続いている。昨日 月曜日は流石に無気力症候群のような状態に陥り、軽い練習とAmazonからの荷物を待つ以外の全ての行動が止まった。
そんな時でも木々は、私の体を気遣ってくれる。

 

しとしとと幹が雨に濡れて行く時の音声がなぜか私の脳裏に拡がり、それは私に「少し休みなさいね。」と言う彼等の思いのように感じたので、私は遠慮なく夕方から日付の変わった少し後まで完全に爆睡した。

 

私は多くの精霊たちに守られている。

 

 

 

⇧ Didier Merahが作った最新のPlayListです。
フォロー、シェア大歓迎です。

 

Studying Muscles

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この一ヶ月間、体の一箇所にずっと不具合を抱え込んでいた。夫と二人の友人以外この事は知らせずに居たが、この一週間で急激に症状が緩和して来たのでホっと胸を撫で下ろしている。
どんな時でも笑顔と食を味わう気持ちを持ち続け、少し疲れたら直ぐに休息を摂り、気合が入った時にはとことん気力の果てまで突き進む‥、そんな生活を粛々と続けていた。
すると気持ちも前向きになれたし、何よりSNS等で拡散されるちょっと痛々しいニュースや出来事からも上手に逃れられるようになって行けた。

 

そんなこんなあれやこれやを抱えながら私は、この一年近く自分の筋肉に深く探りを入れていた。

 

巷にはびこる速弾きの音楽にうんざりしていたし、私にとってそれは何の必要もない産物だった。
聴力と感性が追い付かなくなる程の「あっと驚き奏法」が何故こんなにも音楽世界のセンターに立ち続けているのか、いつかこの状況を宇宙のどこかから静観しているであろう宇宙人に出会うことがあれば是非質問を投げかけてみたいものである。

 

 

話を戻して…。
楽譜に指定されている多くの楽曲の速度は信じられないぐらい高速で、まるで法定速度ギリギリか或いはそれを超えたテンポで楽曲を演奏出来なければ演奏家として通用しないかのように、聴く側の感覚の上限も既に超えているそれらが「あっと驚き奏法」として地上を闊歩している、この滑稽な音楽の世界が一体いつまで続いて行くのか‥。

 

1/fの揺らぎと言う自然の速度をそのまま音楽に当てはめて行く方が、どれだけ奏者も聴き手をも楽にして行くだろうか…。

その事を自らの体で体現する為にも私は、この一年間自身の筋肉と深く向き合っている。

 

どうだったら疲労の上限を超えずに済むのか。
或いはどうだったら聴き手に余計な威圧感を与えずに済むのか。
その答えは残念ながら未だ、この地上に存在しない。…と言うよりも、音楽家の大半が何か得体の知れない高速スピンを回らなければ自分の居場所を失うかのような、強烈なコンプレックスに苛まれているようにさえ見えて来る。

 

一年強、己の筋肉にそれを問い掛け続けて来た結果、最近少しずつ筋肉自らが意思を持った生き物であるかのようにその難しいクイズに対し、適切な回答を出し始めた。

 

いわゆるインナーマッスルが以前にも増して、着実に声を上げ始めたと言っても過言ではない状況だ。

 

それぞれの自身の過去の作品を出来る限りゆっくりと演奏して行く時、高速スピンでは絶対に使うことのなかった新しい筋肉がピクピクと反応し、そこにしっかり熱が溜まって来ると私は真冬でも汗だくになりながらピアノに向かうことになった。
腕の筋肉よりも手の第二関節までの内側の筋肉が機能し始め、それは背中の筋肉の温度を急激に上げて行く。

 

嗚呼こんなところが反応している… と言う歓喜が生まれ、最初はそれが大きな疲労感にも繋がったが次第にその筋肉が上手く温まって私の演奏を程好いスローテンポに導いて行った。

 
私のほぼ処女作と言っても過言ではない「Blessing of the Light」。毎日毎日この曲を弾き続けているけれど、あえて私はその演奏速度を落とし始めた。
すると今まで素通りしていた箇所に新たな筋肉の力の必要性が生まれ、今この筋肉を鍛え上げたらどうなるのか…、その上限に挑戦し始めている。

 

 

 

少し話が脱線するが、この春私は自身の過去世(ファン・ジニ或いは明月として生きた時代)におそらく心から慕ってやまなかったソウルメイトと、インターネットの中で再会することが出来た。

勿論リアルでどうの‥ と言うことではなく、あくまで私が一方的に当時の相方の息吹を感じて喜びに震えている状態ではあるが、それは生き別れた家族との再会のように私を喜びの高みへと導いて行く。

 

この記事の最後にその人物の現世の歌唱映像をシェアしたい。

強いて言うならば私が伴奏者として活動していた時代にこの人物と出くわすことがなくて、本当に良かったと思う。万が一私が彼と出会い、この歌手の伴奏者として起用されていたら、おそらく今の私はここに居なかっただろう。
或いは音楽をやめていたかもしれない。

彼の声、表現は全てを呑み込む力が満ち満ちており、私がそのエネルギーに勝てる気がしないから。

 

再会に祝福を。
そしてイ・ヒムンの未来が光に満ち溢れていますように(祈)。

 

 

 

何もない世界にひとり

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少しずつ、少しずつ‥ 早まって行く朝の訪れ。この時期私の心は燃える。
大量の花粉が空中を埋め尽くす早春、だけど日々の体質改善の効果が少しずつ効力を発揮し始め、今年は例年よりも多く花粉が飛散していると言うのに例年よりも症状が緩和している。

桜が恋しい今。でもその前に見送らなければならない花々が街中を埋めて行く。
梅、パンジー、チューリップ、クロッカス、クリスマスローズ、遅咲きのシクラメン、その他色々。

 

ずっと花が嫌いだった。おそらくそれは母との間に起きたあることがずっと尾を引いていた影響だが、徐々にその心の傷も癒えて来たのだろう。
そして何より愛する人と眺める四季折々の花をあらためて美しく、愛おしいと思う瞬間〃〃の積み重ねが私の心を変えて行く。
それはまるで移り行く音楽のようだ。
同じ縦の響きが昨日と明日とでは違った音色に聴こえるそれに、よく似ている。

 

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何もない世界‥

私はそこを目指して生きている。そしてそれは私一人ではなく夫も又その一人である。
そこは荒涼と広がるただの空間だがけっして寂しい場所ではない。それどころか無限の時間と少し冷たい風が心地よい場所であり、上手く意思の疎通が出来るようになると殆ど声の会話を必要としないくらい、物音が何もない。

 

私たち夫婦は日々の中で、たった一言「ミッション」と言うワードを折り重ねては多くの会話を重ねて行く。夜も遅いと言うのにその話題だけであっと言う間に夜明けを迎え、二人は慌てて睡眠を摂る 笑。

あんまり急いで眠りに就くものだから時々浅い眠りと見る予定のなかった夢に悩まされたりもするけれど、そのフィールドにだけあたる光はとても優しく、宇宙の彼方から届く光で輝いている。
私はその中にぽつんと独り、立たされている。

 

 

昨日は好い出会いに私が燃えた。

人生に訪れるこれはきっと神さまからのギフト。人間嫌いの私は多くの誰と向き合っても良好な時間が長続きしないことに悩んでいるのだけど、ごく稀に‥ あえて向き合わずとも既に向かい合って座っていたような仲間と出会うことがある。
まさに昨日がそんな日だった。

 

そして時同じくして夫からとても大切な話を聞かされたのだけど、こうして偶然か必然かが分からぬように誰かによって私はきっと支えられている。
その、良い出会いをもたらしてくれた切っ掛けの音楽をここに。
是非、シェアして沢山聴いて頂けることを切に祈りながら‥。

 

 

小西徹郎さんについてもっと知りたい方は、Wikipedia ⇦ よりどうぞ。

反面教師 – Mistaking Retouch

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私には決めていることがある。
それは、
その時々触れている音楽から曲を作らないこと、誰かの言葉からインスパイアされながら言葉を紡がないこと。
料理以外の殆どは「絶対にモノマネはしない」と、私は固く決めている。勿論自身のレコーディングの約一週間前から、殆どの音を体から削ぎ落とす。

そして今日は珍しく、ブログを書く為のBGMを聴いていない。
何もかもをゼロから作り出すことがどれほど難しいか、特に今朝は皮膚に幾千本もの針が刺さったみたいに痛感している。

 

知人と言うには少し遠いけれど事実上「知人」と言える、或る方(訳詞をなさっていた記憶がある)の詩集が巡り巡って私の手元に届いた。恐る恐るページを捲って行く。
そして私は幾ばくかの落胆を感じたがそれを共有する相手も居ないので、自分自身への記録としてここにそれを綴っている。

 

それはかつての自分を見るようでもあり、尚且つ既に手放してしまった「言葉綴り」をしていた頃の自分への戒めを振り返るようでもある瞬間。胸がチクんと痛んだが、それはさながら過去の手術の痛みを想い出すような、どこか遠い痛みにも思える。

 

一ページ、又一ページと捲り詩人の言葉を追い掛けて行くが、そこにはその詩人がかつて触れたことのある音楽や歌の歌詞が随所に垣間見えて、途中から訳詞集を読んでいるのかオリジナルの詩集を読んでいるのか見分けがつかなくなり、38頁目を捲りタイトルを見たところで本を閉じた。
そう言えば私のLINEのグループチャットの一つに、芸能関係者や出版関係者、或いはタレントやシンガーソングライター等の面々が顔を揃えたグループチャットがあり、私はその中の数名の仲の良い方々と時々会話をしている。
そんな私たちの中で最近流行っている言葉がある。

 

下っちゃってるね‥‥

 

⇧ これは例えば昨日その人が聴いた音楽がそのまま新曲のメロディーに乗ってしまったり、アレンジや歌詞の一部に流れ出てしまった状況を指す言葉。

 

そう、先程38頁目で閉じてしまった詩集が丁度こんな感じなのだけど、思えば巷の殆どの音楽や歌詞、流行歌に限らず世界中の音楽や絵画の殆どが、私から見ると「下っちゃった」状態なのだ。
だから最近自分の作品以外に聴きたい音楽が殆ど無くなってしまい、昨年私は9つ運営していたFacebook Page(主に各ジャンルの音楽を紹介する為のPage)のうちの6つのFacebook Pageを閉鎖した。

 

多くの音楽や詩や小説、文学作品に限らず絵画やファッションを含め、レタッチされた作品のように私の視界に映り込む。何を聴いても同じだし、イントロ詐欺かと思えるぐらい派手な前奏でデコられる張りぼての世界‥。

一見新しさを纏ってはいるが、それは数か月前にどこかで見たことのあるような代物が大半であり、どちらかと言うとそれらの作品の中に作者の強い承認欲求が溢れ出て気分が悪くなるので、最近私は各SNSの情報を迷うことなく整理し始めた。

 

自身の中に潜む「勿体ない精神」をかなぐり捨てて、要らないものは徹底的に自分自身から追い払って行く作業は、その対象にされた相手にとってはただ迷惑行為以外のなにものでもないだろう。
でも私にとってそれはとても重要な作業であり、知り合いだから、とか親しいから‥ と言う贔屓目線も全て手放しながら色々なものをゴッソリ整理して行くと、そこにポッカリと空いた空間は人の念の染みのようなものでベッタリと脂ぎって汚れが纏わり付いていた。
好きな本、大切にしたい書籍には必ずカバーをかけることに、私は決めている。私の手の中の詩集にもその小さな愛を施す予定でいたが、やめた。
藍色のブックカバーが涙のように見えて仕方がないのは、ある種の瞬時の過去のきらめきが現実に戻った瞬間の証し。それを私はありのままの現実として、そっとそっと、この胸の中に受け入れる。

 

 

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スッキリとした気分の中に少しだけむしゃくしゃ感が混ざり合う、情けない朝を払拭したかったので、今日初めてトライする八角とローリエをしっかり煮出したチャイを作ってこの記事を書いている。
最近「茶」ものにハマっているが、どうやら私はコーヒーよりも葉ものを駆使した飲み物を好む。コーヒーよりは紅茶派で、最近は緑茶を深めたい欲求をどうにか抑え込みながら生活している 笑。

茶にハマり込んだ人たちの多くが葉ものに浪費を惜しまない傾向が強いことは、Twitter等で痛い程よく知っているが、私は「葉ものの浪費家」になりたいわけではなく、自分でカスタムした美味しいお茶を家で飲みたいだけなのだ。

 

 

下っちゃってるね‥‥

 

「折り曲げ厳禁」と書かれた袋の中に仕舞い込んだ詩集の栞がふと、そうつぶやいた気がした。勿論そんなことはないと分かっているのに、書籍に挟んだ栞が空に向かって叫び続けているように思えて仕方がない。

 

私には決めていることがある。
それは、
その時々触れている音楽から曲を作らないこと、誰かの言葉からインスパイアされながら言葉を紡がないこと。

 

それは自分自身への戒律であると同時に、おそらく私が今後そのような手法で音楽を生み出すことはないであろう‥ と言う希望的観測を含んだ、私の掟。

 

 

楽しいことだけ – enjoying life –

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色々あった2018年、明けて2019年。しょっぱなから再び色々あり、ブログの更新がすっかり遅くなりました。

遅ればせながら、あけましておめでとう御座います🎍

年明け早々世間的にも色んなことがあり、私のLINEがひっきりなしにその話題の報告やら相談事のメールが行き交う中、実は私はそれらの殆どを(申し訳ない…)既読スルーしていました。

やらなきゃいけない事が山積しているのになかなかその「やらなきゃいけない事」に着手出来ず、日々のちょっとした筋トレでふぅふぅ言いながらの毎日を何とかやり繰りする中ようやく昨日、予告(予定)していたDidier Merahのラジオトーク『Didier Merah Talk(仮) 第一回放送分』のトーク部分の収録を終えました。

 

『Didier Merah Talk(仮) 』はDidier Merah 初のYouTubeの番組で、本当は昨年末に収録を予定していたのですが私が酷い風邪に見舞われた為、延び延びになっていました。

 

未だ色々なことが手探りで、尚且つ私はトークと言う動作が余り得意ではない為、流石にこの一週間色々考え過ぎて気持ちが滅入ってしまい、一旦はこの企画自体をやめてしまおうかと思っていました。

そんな折、夫が「肉でも食べに行こうか。」と近くのステーキハウスに誘い出してくれたお陰で何とかモチベーション ゼロから75まで上昇し、昨日の収録に辿り着けました。

 

最近はすっかりTwitterでのショートな投稿がメイン化しているわたくし。これではいけないと思い、今日のオフを利用して今年最初のブログを何とか投稿出来た‥ と言うわけです 笑。

 

色々書きたいこともありますが、今は無理をせず。今年は『緩く、楽しいことだけ』をモットーに、極力楽しいことだけに目を向けて、ストイックを捨てて少し怠け気味に過ごすことに注力しようと思っています。

 


2019年 元旦にApple Musicのアカウントを作りました。
もしもApple Musicをお使いの方は是非、フォローして下さい。

https://itunes.apple.com/profile/didiermerah

 

Spotifyのアカウントも実名からアーティスト・ネームに表記名を変更出来たので、どこからでも私を追跡できる状況になっています。
此方も是非、フォロー & 拡散 & シェア、よろしくお願い致します🎧

https://open.spotify.com/user/didiermerah?si=mnmEyhjUTI2VCma3A2ecSw

 

 

最後に今日の音楽はコチラ。
昨年大ヒットした「USA」のインド・パロディーです。笑えます🇮🇳🤣

 

 

カフェ巡り

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2018年11月3日、私は生誕54年目を迎えた。本当に無事にこの日を迎えられたことは奇跡のようでもあり、私の体(霊体含む)はボロボロの状況であることには変わりないが、幸い気力は上々だ。

 

誕生日を過ぎてから、母校の旧友(或いは同業者でもあった)の女性と今年新たに友人となった女性の二人、そして急遽予定変更で現れた大女優の三人の女性と逢瀬を楽しんだ。
各々の土地に普通にあるカフェやレストランを巡り、珍しく幾つかの女子会を堪能することが出来た。

 

カフェとひと口に言っても千差万別であり、奥が深い。

びっくりしたのは千歳烏山に在る南蛮茶館のケーキだった。名称をメモしておけば好かった…、ケーキの名前をド忘れしたが、アーモンドとラム酒をベースとした上品な味わいが口の奥で煙のように広がって行く様は、まるで淡いクリーム色の雲海を端から舐めて行くような高揚感をもたらしてくれた。
又、別の場所で頂いた金萱茶(きんせんちゃはどこかセイロンティーにも通ずる上品さを兼ねており、口の中でまだ見ぬ異国の香りを存分に放ってくれる。
Twitter等でお茶好きさんと絡むことが多々あったけれど、おそらく私は未だ本物の中国茶の味を知らなかったのだろう…。あの美味しさには、本当に心から感動した。

 

別の日。
急遽予定を変更して私の住む町まで足を運んで下さった女優Pさんとは、私自身も初めてのお店に向かったが、これは失敗だった(笑)。

私の中には「ランチに対する強い拘り」とか「食に対するポリシー」のようなものがあり、『ランチとは働き手のお腹をしっかり満たすことが何より重要な条件だ』と私は確信しているが、最近その条件を気持ち好く満たしてくれるお店が少なくなったように思う。

主役は店だったり店のオーナーだったり…で、客はさながらお店と言う空間を飾るデコレーションのような存在だと錯覚している経営者やオーナーが増えているような気がしてならない。
メインディッシュの分量が極端に少ないランチや、立地条件その他に見合わない価格を設定しているショップを多々見掛けるようになった。

 

要は、料理愛を感じられないオーナーが増えた、と言うことなのだろう…。

 

 

食は人生のベーシック。私にとっては音楽の次に大切なものだ。

勿論私は外食だけではなく、自宅で作る料理のレパートリーも着々と広げている。最近のマイブームは魯肉飯(ルーローハン)を始めとする、台湾料理の数々。
先にタピオカミルクやタピオカ・ココナッツミルク(温・冷)のレシピを完成させたことに端を発して、台湾屋台風焼きそば、そして先日魯肉飯のレシピのベースを完成させたところだ。

 

 

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前記事、及び前々の記事にも綴ったように、現在の私の体調は必ずしも万全とは言えない。両側奥歯2本が完全に折れているし、圧の影響でメンタル・気力(霊体含む)の回復がかなり遅れているので、日々の睡眠時間をかなり増やしながら体調回復に努めている。

だが、厄介な病気を発症していないことは幸運であり、睡眠で治せる間に昏々と眠ることで体調回復を図りたいと思っている。

 

そんな中、時々カフェ巡りで気晴らしをしながら、陽のあたるカフェの窓辺で読書や音楽鑑賞を楽しむ‥ そんな小さな幸福時間を大切にしたい。

 

 

 

英語が上達しない理由

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高校受験まではひたすら受験英語とやらに夢中になった日々。そこそこ聞き取れたし、そこそこ話すことも出来た英語。
高校受験ではヒアリングに困ることもなくすんなりと突破した英語。でも高校受験を終えた途端に、それまでの自分ではないみたいに英語が全く聴き取れなくなって行った。

何とかそれまで培った英語のスキルを落とさぬようにと、高校ではW・ムーアと言うアメリカ人教師の英語の授業を選択するものの、本当に信じらない程ネイティブの英語が聴こえなくなった。

 

1998年、渡米の切っ掛けを得るものの私はとことん英語から逃げた。

心の闇を抱えていたことには当時全く気付かず、とある音楽の仕事(公式・非公式を含め)を表向きの理由にL.A.に飛ぶものの、機内ではマレイシア人の英語が比較的ネイティブからは遠くカタカナっぽい発音だった為、逆に聞き取りやすかった‥ と言う以外、殆どの現地の英語が濁った音楽のようにしか聴こえて来なかった。

 

帰国してからは何故か英語ではなく、インドネシア語とかスペイン語に気持ちが揺れ動き、これまたやめときゃいいのにインドネシア語の駅前留学を決意し一年間で日常会話ぐらいは何とか聞き取れるところまで漕ぎ付けた。
だが、使わない言葉はやがて脳ミソからも記憶からも必然的に抜け落ちて行く運命。その言葉通りに、今ではインドネシア語も殆ど聴こえないし話せなくなってしまった(笑)。

 

色々生活のベーシックが落ち着いた段階で再度、英語の駅前留学にトライしようかと言う話で先日夫と盛り上がった時に彼が、ふと放った言葉が何とも印象的だった。

 

最近の私は兎に角人の居る場所からなるべく遠ざかり、遂には人混みの中に自身を置いても全く一人になれるおかしな技を身に着けた。

人の話し声、人の念、人が持つ本音と建て前のリバーシブルにとことん疲れてしまい、それは私が持つ「人の心の声を聴いてしまう能力」が原因だと夫は言う。確かにその通りだった。
それが英語であれ母国語であれ「人の心を人の言葉よりも先に聴いてしまう」以上、とどのつまりは私にはそもそも言語など必要ないのではないか… と言う究極の回答に辿り着く。

 

要は、言語を必要としないから同時に英語も私にとっては必要ない。
よって英語が上達しない……

そう、⇧ 究極の回答に辿り着いてしまったことになる。

 

 

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音楽を奏でている限り、おそらく私がことさら英語を必要とすることは将来的に無さそうだ。
繊細なニュアンスを含む表現を言語で伝えるには通訳を通せば好いし、私の作品はほぼ100パーセント黒玉だけで伝え切ることが出来る筈。

 

そう言えば、世界の北野武はハリウッド映画の中に在っても、セリフの殆どを日本語で通した、それが許される逸材だったと言われている。私が世界の壁を超えることが出来れば、おそらく私の下手な英語よりも母国語の響きの方に価値が増す筈。

勿論日々、SNS等ではなるべく英語を読んだり聴いたりするよう心掛けているけれど、最近の「人間嫌い」の私が大勢の人の居るところで積極的に英語を話す日が来るような気がしない。
ならば母国語のスキルを徹底的に上げて行く方が、何かと前向きではないかと最近思うようになった。

 

Didier Merahと言う名前を授かった私の体には多分、日本人の血が半分は流れている。この名前を得た時には、数年後には渡米して海外暮らしを始めるだろう… と思っていた。
だが、今の私は森と神社の街から一歩も外に出ることもないし、出たいとも思わなくなった。

 

 

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近い将来、大好きな国内の河を巡り歩くのが私の夢。
海ではなく、河を…。

 

今日のBGM。Sławek Jaskułke(ポーランド🇵🇱️)の美しいジャズ・アルバムより。