2022年10月7日 ツイートのまとめ

久々に恩師・三善晃氏にまつわるツイートや、私の過去世の断片を綴ったツイートが連発しました。
記録がてら、この記事に一旦まとめておきます。
 

 

 

 

 

 

 

バッハ (J.S.Bach) と言う過去生の自分

私が過去世 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ であることは、あくまで私の過去の魂の履歴に過ぎません。
何故自分がその人であることを確信するに至ったか‥ と言うご質問はこれまでにも何度か投げ掛けられていますが、それは簡単に言えば「あなたは何故自分が人間であると確信するに至ったのですか?」と言う質問と、内容はほぼ一緒です。
なので答えるまでもありません。
 

他人事としてバッハの偉大さを挙げるとすれば、例えば以下のようなことになるでしょうか。
 

  1. 教会音楽、或いはゴシック様式の礎を築いた最初の人であること。
  2. 対位法と言う前人未踏の音楽理論を確立した、最初で最後の人物であること。
  3. 即興演奏の名手であったこと。これが後のサロン音楽文化の基礎となった点は見逃せません。
  4. 空間音響学の基盤を構築した最初の人物であること。
  5. 何より音楽全般の父として、作品や生き様、音楽理論に於ける彼の多くの実績が後世に受け継がれていること。


挙げればきりがないのですが、現在私が次世代の音楽の基盤を新たに構築している点を理解出来る人であれば、私がその人 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ であったことに於いては矛盾を感じない筈です。
ですが全てはあくまで、私の過去世の魂の変遷でしかありません。私は私、Didier Merahでありそれ以上でも以下でもないと同時に、現在に至るまで私のような人物が二人と存在しないことも又事実です。
 

 
Didier Merahは現在、自身の半生のお片付けの真っ最中です。未だ手の負傷も完治していないながら、新作のメモだけは日々湧き出て困っています(笑)。
人生の大掃除中にて、暫くは音楽評論や音楽紹介、音楽鑑賞にエネルギーを注ぎながら次の自分に備えて準備中です。
 
作品のみならず生き様を含む全てを次世代のサンプルとして確立しようと試みている最中なので、これからの私の言動はきわめてシンプルできわめて歯切れの良いものに進化して行くことになるでしょう。
 

一見優しい音楽を生み出している私ですが、言葉はとても辛辣でストイックです。
付け焼刃な甘ったるい同情は、一切しないことをポリシーとして生きています。私に何かしら話し掛ける時は、「歴史上の音楽の父」として、そして「次世代の音楽の母」を目の前にしていると言う気概と覚悟をもって接して下さい。
以後、このルールに反する内容(言葉遣い含む)のDMやメールには、返信はしないつもりです。

礼節は尽くして下さい。お願い致します。
 

 

虹とシュールレアリスムとランチ

木曜日。本当ならば週一回の自由日、安息日の今日だが、予定では自宅で静かに読書でもする筈だった。
だがこういう日に限ってLINEがポンポン鳴り始め、私はAKB48全盛期の前田敦子のように、町の知人・友人達とランチのご相伴の取り合いになる寸前だった。

誰にも会いたくない日があれば、誰かと会ってこの瞬間を分かち合いたい日もある。
今日は後者だった。

少し眠って体力も戻っていたので、若干重たい話題でも何とか心身耐えられそうだと考えていると、その「重たい話題」をふんだんに持っている人物(A氏)からLINEが入り、「霊の話で申し訳ないのだが付き合ってはくれまいか?」とメッセージ。
他に二人からLINEが折り重なって届く中、最も話題が重たくなりそうな人物を私は選ぶことにした。

 

話題は重たいが、冗談抜きで財布はかなり軽くなっていたので、幾つか安い価格のランチをセレクトして現地に向かう。
第一候補の店舗にどうやら新型コロナ肺炎の陽性者が出たようで、その店舗は今月一杯臨時休業の看板が出ていたので、直ぐに先方に連絡して待ち合わせ場所を駅ビルに変更した。
そして第二候補の店舗がランチタイムに開店している状況を確認して約束の場所にむかおうとしたところで、申し合わせたように待ち人来たるでそのまま目的の店舗に直行した。

 

 

私はあいにく見逃してしまったのだが今日、早朝の空に圧巻の虹が出現したようだ。その様子を写真で見せてくれるA氏。

━ 最近やたらと虹が多く出るには理由があってな、コロナ禍で多くの旅人が出る時にあちらの世界へ行く橋が滞らないようにと、自然神が気を利かせるらしい。
それで空に、例年よりも多くの虹の橋が架かるそうだよ。


彼の話しも私に負けず劣らずシュールで、尚且つ生粋の霊能力が彼をそうさせるのか彼の話しには妙な説得力がある。

今朝、私も妙な時間にある珍事に振り回され、そのまま目が冴えて眠れずに居たところに窓からいきなり真っ赤な光が射し込んで来た。
いつもならばスマホを抱えて外に出て写真を撮りに行くのだけど、私は油断をしていない。どんな時にも新型コロナウィルスの変異株は身近にあることを意識しており、迂闊に外出はしないことに決めている。

無事に生き延びられれば、明日も来年も空を見上げる機会はふんだんに訪れるだろう。そう思い、軽く冷水を浴びて体を冷やして布団に入ったその後に、どうやら大きな虹が空に架かったようだ。

 

心眼が機能し始めると、途端に周囲の色々な現象の緩さを感じ、自分だけが少し秒針の早い時の流れの中に生きているかのような苛立ちに苛まれるようになる。
今朝起こった珍事も、そんな私の少し速い時の流れと相手との微妙な日常のズレ感が引き起こした事故のようなものだった。だが、今朝の私は「闇のカン」が異常に冴え渡っていた。

 
湧き上がる怒りを解き伏せることはせずに、私はその相手が二度と私に関われないよう、SNSの中の一個のネジをきつく締めてアクセス拒否を施した。

 


霊能者の彼も、そして芸術家の私も、各々の生活は実に慎ましいものである。
包み隠さず書くならば、今日のランチはコーヒー付きの中華で価格は650円だった。その650円を大の大人がそれぞれPayPayで支払い、それでもその瞬間会える奇跡を噛みしめ合っている。
 

年齢で言うならば私はもう、一般的には役職に就く年代に入っている。だが私は生粋の芸術家。
タレント活動もせず、スポンサーも付けず、日々を音楽と祈りと色々な世界の住人や神々との交信に、人生の全てを捧げ尽くして生きている。それはおそらく多くの人達には理解出来ない真の私の姿であり、それゆえに私は度々人に蔑まれ、差別を受け、偉そうに私の作品や生き方を批評(主に否定や拒絶)する輩も後を絶たない。

 
多くの音楽愛好家たちは、芸術家とアーティスト、アーティストとタレント音楽家の区別がついていない。それを彼等に教え諭す職に在る人達が、ある時期からごっそりと姿を消してしまったからだ。
だから私はそのようなおかしな常識(非常識とも言えるだろう)を正すべく、これからは自身のファンと言えども「ものの格」「ものの見極め方」をしっかり教育して行く必要性と危機意識を同時に感じている。
その為には先ず、私が手本を示さなければならない。
 

 

極力優雅に高飛車に、そしてクールに嫌味ったらしく相手をひざまづかせるまで、私は問い掛けの手を緩めぬことに決めた。

 

人の何倍もの人生を瞬時に生き、最近では色々な神々との交信に多くの時間を割いている。そしてその過程と経緯を全て含めて、自身の音楽に刻印している…、そんな作曲家が他に居るだろうか?
少なくとも私は未だ、そのような芸術家を見たことがない。
 

未だ誰も視たことのない、誰も知らない、誰も触れたことのない価値観や世界観を作品化する、それが私の今世の最大のミッションかもしれない。
理解出来ない相手には、とことん理解を促すか或いは互いの傷が浅いうちにそっと距離を置いて関わりを絶つか、何れかの二択である。
 

 


今朝の朝焼けは圧巻だった。
神々から人類への最後の執行猶予は、きっと人々の口元から言葉を全て奪い去って行く氷のような恩情に満ちており、それを感じ取った人々を静かにひざまづかせて行く。

それが神々の愛であり、人類は未熟ながらもそんな神々の「恩」を誠実な思いで受け取らなければいけない。

 
2021年8月某日、夫・天野玄斎と私は二人揃って「霊質学者」の称号を名乗ることに決めた。これは私達が… ではなく、プレアデス星団のJane女史が決定したことだ。
ありがたくその命にあやかりたいと思う。

そして同じくJaneは私に「比較音楽学者」を自ら名乗るべきだと言ってくれたので、その名に恥じぬよう今後ますますの精進を心に誓った。

 

初心に戻るのではなく、初心には戻らない進化を私は目指している。
リスタートやリセットは自ら決定して行くものであり、他者の胸先三寸やご機嫌に左右されたくはない。
なので今朝のSNS内での出来事のように私の実体や格を見極めず、私の作品や人生観を安直に批評し、偉そうにふんぞり返っているような相手に対しては、公衆の面前で言語を用いたフルボッコに処すこととする。

  

アルバム『Heaven』開放 (2021.07.04)

2021年7月4日、ニューアルバム『Heaven』がリリースされました。
製作期間中に手の負傷等も相次ぎ、そして新型コロナウィルスのパンデミックで世界中の空気がそこはかとなく陰鬱になる等の状況が続く中、それでも自らを奮い立たせながらレコーディングを粛々と続けて来ました。
アルバム企画、アートワーク作成その他(作曲・演奏以外)を、夫・天野玄斎が担当しています。
 

諸事情により、今回は音声による解説動画を省略させて頂くことにしました。その代わりにHPに特設ページを設け、アルバム解説を少しだけ掲載しました。

http://www.didier-merah.jp/musicindex/Heaven/

これを読めば、私が何故解説動画を配信出来なくなったか‥ と言う理由がきっとご理解頂けるかと思います。

 


 
オール・サブスクリプションからの開放とSNSでは綴っていますが、どうやら全各曲のTimeが10分を超えている為、[Amazon Music] のサブスクリプションからは開放されませんでした。
Amazon Musicで試聴されたい方は是非、AmazonのDL販売のLinkよりご購入下さい。

DL販売用のLinkを下記に貼っておきます。
 

iTunes Store:
https://music.apple.com/jp/album/heaven/1571238539

 

Amazon Music

 

本作品は合計3時間弱の超大作です。
是非全編を通じて、地球や宇宙、そして自然神の心の声に思いを馳せて聴いて下さい。

 

私とプレアデスと、人類の未来と – About me, Pleiades, and about the future of us

Didier Merahのニューアルバム『Heaven』が、2021年7月4日に決まりました。少し前に決定していたのですが私の手の負傷その他色々アクシデントが重なり、ダイジェストの公開が今日、2021年6月21日になりました。
今日は夏至。Didier Merahはイベント・タイミングの神々に守られています。事を起こすタイミングは概ね、彼等と夫・天野玄斎が決めてくれます。
 

Didier Merah’s new album “Heaven” will be released on July 4, 2021.
It was decided about it a while ago, but due to my hand injury and other accidents, the digest was released today on June 21, 2021.
Today is the summer solstice. Didier Merah is protected by the gods of event timing. The timing of the event is determined by the gods of the event timing and my sweety husband, Gensai Amano.


 
そしてこのところ記述を控えてはいたものの、私とプレアデス星のJane女史との対話も継続しています。
Janeは今、少しだけの期間旅に出ているようです。以前よりも音声が少しだけ遠くなりましたが、愛するガーディアン達のサポートにより私とJaneはとてもスムーズに会話が出来ています。
 
Janeは今の地球を遠隔で静観し続けています。そして彼女も又、同じリラ星の末裔として生きる私達・地球人に対し日々案じ、胸を痛めています。
 

And although I’ve refrained from mentioning it lately, the dialogue between me and Ms. Jane on the Pleiades is continuing.
Jane seems to be on a journey for a short time now. She has a slight time difference in her voice with me, but with the support of us beloved guardians, I and Jane have a very smooth conversation.

Jane continues to look at the Earth today remotely. And she also seems to be very anxious about us, the Earth people, who live as descendants of the same Lira star every day.

 

 

ニューアルバム『Heaven』のダイジェストを聴かれた方々からは、想像通りの「思わぬ反響」が寄せられています。その反響に対し、私は沈黙を続けています。
勿論直接私にDM等で音楽の感想を寄せて下さる方もいらっしゃいます。ですが多くの方々がまさか、このアルバムの企画が「この世界の滅亡までのプロセスを描いたもの」だとは思いもしないようです。ですがこれは紛れもない事実です。
 
私、そして夫はその時間までの複数の未来を模索しながら、このアルバムを完成させました。
但し人類がこのタイミングで生き方を改めれば、未来は現状よりも良い状態に変化して行く可能性を秘めています。
 

Listeners who listened to the digest of the new album “Heaven” brought me “unexpected reactions” as expected. And I don’t response for them yet. Because there is something I want them to notice by listening to this album.

Of course, there are also people who directly send me their impressions of music through DM etc. However, nobody may think that the project of this album is “a picture of the process leading up to the destruction of this world.” But this is an unmistakable fact.

I and my husband completed this album, exploring multiple futures up to that time.
However, if human beings change their way of life at this timing, the future has the potential to change to a better state more than now.
 
 


多くの人々が、常に、誰かの援助や救済を待っています。特に最近のスピリチュアル系の洗脳に深く染まった人達の多くが思考停止に陥っており、自ら能動的に思考したり行動すると言う機能の大半を喪失しています。
 
この件についてはプレアデス星のJane女史もとても驚いていましたが、最近はこの状況をただ静観することに徹しているようです。
生きる目的を持たない人々を救済する理由は、Janeには理解出来ないですし、その必要もありません。
 
酒を飲み、大声で歌を歌い、踊り、日々目的のないパーティーに耽らなければ生きている実感の持てない人達は、言ってみれば地球にとって何の存在価値すら持たないのです。自然神はその隙を巧みに利用し、ここまで地球を荒らして来た人類に最後の審判を下そうとしています。
それがこの、新型コロナウィルスのパンデミックです。

 

Many people are always waiting for someone’s help or rescue. In particular, many of the people who have been deeply affected by the recent spiritual brainwashing have fallen into a thought stop and have lost most of their ability to actively think and act on their own.

Ms. Jane who lives in Pleiades star might be very surprised at the matter, but she seems to be devoting herself to just watching the situation these days.
Jane doesn’t understand why she rescues people who have no purpose in life. And Jane doesn’t even have to bail out such people.

People who can’t feel alive without drinking, singing, dancing, and indulging in purposeless parties every day have no value to the earth, so to speak. The god of nature is taking advantage of this opportunity to give the Last Judgment to the human race that has devastated the earth so far.
That is the pandemic of this new coronavirus.

 

地上には、様々な視点から人類を「目覚め」へと誘導する動きが見られます。ですがその多くが強引であり、間違いだらけです。
でも、だからと言って私が文字や言葉を使ってそれらを正したところで、誰も耳を貸さないことはもう分かり切っています。ならば私が穏やかな音楽を放つことで、人々にこれまでの過ちに少しでも気付いて貰うことが今はベターだと私は思っています。
 
2021年7月4日。このアルバムの13曲の調べが地球の表層を温め、そして地底に潜む地球の怒りを少しでも和らげてくれるよう、私は心から祈っています。

 
On the ground, we can see movements that guide humankind to “awakening” from various perspectives. But many of them are Forcible and full of mistakes.
But I already know that no one will listen if I correct them with letters and words. Then I think it’s better now that I play gentle music and make people aware of their mistakes.

 
July 4, 2021. I sincerely hope that the 13 songs on this album will gently wrap the surface of the earth and alleviate the wrath of the earth under the ground (with Jane who lives in “Era-Star” of Pleiades).

 

その理由について

2019年、冬。既に日常が壊れ始めていたとは知らず、世界中が来たる東京オリンピックの準備に追われていました。
ですがいち早くその兆候を感じ取った私の勘はあながち中らずと雖も遠からずで、まるで先急ぐように同年の12月、私はYouTubeから「Esperanza 2020」を配信しました。

この作品は翌年の2020年の4月末にリリースされたDidier Merahのアルバム『World of Nature』にも収録しています。



先日、過去の伴奏業の時代にお世話になった或る歌手のお別れ会がしめやかにとり行われたことを、SNSを通じて知りました。私はその会には、自らの意思で参加しませんでした。
そのことについて数件の問い合わせ等も頂いていますが、理由が複雑であることや、ともするとそれが故人を悲しませる発言になりかねない等の事情で、ご質問への返信はしていません。


一つ明確にここで意思表示をしたいことがあります。
それは私が芸術家としての道を今、真っ直ぐに進んでいると言う現実についてです。


クラシックの作曲家も、或いは男性アイドルやロック歌手も「アーティスト」と言う一つの言葉で言い表せてしまうこの状況下に於いて先日、私は或る神から得た貴重なアドバイスを何度も何度も心の中で復唱しています。


芸術とは様式美をベーシックとして生み出された創作(物)、或いは創作形態を指す。


神様からのこの短いセンテンスに、私の今の思いの全てが詰まっているような気がします。
そう思うと私が過去に接して来た多くの音楽が「芸術ではないもの」に該当し、私はそうした「芸術ではないもの」の集合体や「芸術ではないもの」に従事している人達とは一線を引かなければならないと、今朝心を新たにしたところでした。


あんなに愛したブラジル音楽もキューバン・サルサもタンゴも、おそらく「芸術ではないもの」にカテゴライズされるのでしょう。そんな話を過去の仕事仲間にしようものなら、きっと私はテーブルナイフで首をど突かれかねないので、やはりその業界に深く関わっている人達の輪からはそっと遠ざからなければならないと感じています。
それが私の意思表明にもなり、しいては彼等にとっての私の明確なスタンスを表明する手段にもなり得ると思うからです。むしろもっと早くにこの結論に辿り着かなければいけなかったのですが、私も人間。なかなか神の哲学の領域には辿り着けないものですね‥。



遂に先日、フランスに夜間外出禁止令が出されたようです。
今年の夏頃にはマクロン大統領から「ウィルスと共存する道を択ぶ」と言うメッセージがあったばかりですが、そうは言っていられない状況になったのでしょう。

この世に人命に代わるもの等、何一つありません。


そんなフランスで一時期大流行したシャンソンの世界、それを和製に組み替えた、言ってみれば遺伝子組み換え音楽のような「和製シャンソン」の世界で私は人生で最も大変な24年間強を過ごし、2011年の冬に自らの意思で退職し、現在に至ります。
その間色々なことがありました。お世話になった方もいますし、同業者・共演者を超えて親しくさせて頂いている方も何人かいますが、私と本当に親しい(かつては共演者だった)現在の友人は皆さん、私を「Didier Merah」と言う芸術家として作品性や人間性も含め多くを許容して下さる状態でお付き合いが進んでいます。

問題はそれが出来ない人達との接し方、決別の方法です。
 
人と人とは一度知り合ったら、知り合う前には二度と戻れません。一度知り合った人と知り合う前の状態に戻るには、お互いに心にかすり傷を負いながら「決別」と言う道を選択する以外の方法は多分無いでしょう。


やわらかく、さり気なく決別するか、或いはお互いに言いたいことを言い合って決別するか。手段は二者択一になるのかもしれません。
そこに共通の友人として「故人」が挟まっている場合の決別ほど、難しいものはありません。


その場合はやはり「何も言わない別れ」を選択し、日にち薬が互いを忘却の彼方へ追い遣るのを待つのが、最もスマートな別れ方になると思います。



コロナ禍の影響その他色々音楽以外の日常が挟まり、予定よりもレコーディングが少しだけ遅れるかもしれません。
ですが作曲だけは粛々と進んでいます。


楽曲は主に私が水に接している時に脳内を伝って降りて来ますが、ここのところ「火」を伝ってもたらされることが増えています。
その火こそが、この記事の冒頭にも触れた「芸術の根本」を司る神に私を引き合わせてくれました。


様式美を持つ創作やその世界観。
私が現代音楽を悉く嫌うのには理由があり、それらが歴史的な要因や政治的な突発時効を介して生まれ出た、一種の突然変異の音楽様式だったからと言っても過言ではないでしょう。
それらはこの世に不必要な産物であり、むしろその突然変異的な音楽様式が現在の芸術論の根幹を破壊したと言っても良いでしょう。少なくとも私はそう思っています。


ならば起動を踏み外した歪んだ歴史を、誰かが修正しなければならないと思います。そして私自身はその為に今、この世界に再度の転生を繰り返しているのだと確信しています。


火と哲学の神は、私に色々なことを教えてくれます。それは私が未だ聞いたことのない哲学であり芸術論を兼ねています。
これほど貴重なメッセージを尽きることなく湧き出るようにもたらし続けてくれる神との出会いは、人生にそう多く起きることではありません。
私はこの神からもっともっと多くのことを学び、そしてDidier Merahと言う芸術家としての知識の肉付けに励んで行きたいと思います。



木が教えてくれた

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若かりし頃、ある夏の日。おそらく未だ私が小学校の高学年辺りだったか、夏休みで蕎麦が大好きな父が家に居た為我が家の食卓には連続して蕎麦が出されたことがあった。
ざっと一ヶ月間とかそれ以上。記憶では昼、夜と蕎麦が続くこともあった。

最初は美味しく感じた蕎麦も段々と飽きて来て鼻に付いて来たどころか、段々と体が拒絶反応を示すようになって行ったが蕎麦は止まらなかった。
幾ら好きとは言え父も父、ほぼおんなじ味付けの蕎麦が流石に二週間を過ぎた辺りから私の体に異変が出始めた。

 

最初は鼻水(夏なのに‥)、次いで蚊に刺されたように赤いプツプツが腕や首等に出て来たので原因を探って行ったが、どう見てもそれは蕎麦の食べ過ぎだとしか言いようのない程、私の蕎麦への拒絶反応が日増しに酷くなって行った。同時にアレルギー反応のような状況も悪化した。
当時は未だ「花粉症」も「アレルギー性◯◯」も、まして食のアレルギー等は今よりも完全に軽視されており、「食べたくない」はただの好き嫌いとしてスルーされる事が殆どだった。

 

だが流石に段々と朝起きるのが辛くなりこれはおかしいと言うことになり、私だけが蕎麦ではない他の食事を摂ることを渋々母親に承諾させた。

 

立ち食い蕎麦屋の前を通るとなぜか出汁の香りに吸い込まれ、だがその時も私は暫くの間蕎麦ではなくうどんを食べるようになった。

 

 

長い時が過ぎて段々と蕎麦アレルギーの記憶も薄れ、何となく連続して蕎麦を食べていた最近になり再び私の体に異変があった。
蕎麦を食べている途中でつわりのようにムっと来て、遂に完食する前に蕎麦を捨てた。

私はやっと気づいたのだ。これはあの、蕎麦アレルギーに違いないと。

昨年の夏のある午後ビールを飲み、もり蕎麦の大盛りを食べた後にも二度私は倒れている。だがあの時はただのビールの呑み過ぎだと軽視し、まさかあれが蕎麦アレルギーの再発だとは気付かぬまま、その後も何度か蕎麦とお酒のセットを堪能する度に必ず倒れ込んだ。

 

夫との散歩がてら、そんな話をしながら街では馴染の御神木の前を通り過ぎようとした時、木が囁いた。囁いたと言うより、映像を送って来たのだ。
真っ白で太い根菜のようなもの、「これ、食べなさい」と言うように何度も何度も何十分も映像は続けざまに送られて来た。

 

御神木には常日頃お世話になっているので、私はその映像を無視しなかった。何だろう一体… と思いながら映像に目を凝らすと、そこからおろし大根の独特な匂いが私の脳裏に送り込まれて来た。
多分これはきっと、それを食べなさい… と言う御神木からのアドバイスに違いないと思い、私は慌てて大根を買って家で摺ってひたすら食べた。

 

すると何週間も続いていた咳(喘息)が急に激減して行くではないか…。

「嗚呼こういう事だったのね、いつもありがとう。」と、私は木に向かって思いを送った。私と御神木はいつもそうやって会話をしているので、木は必ず私の思いに応えてくれる。

 

御神木は言語を理解するが、自らが言葉のような音声を発することは殆どない。人間で言うところの笑い声とかすすり泣き、そんな感じで感情を表現するのだが、私があの時「ありがとう」と念を送った後の木は「ヒェーーっヒェっヒェっヒェっ…」とでも言うように高笑いをした後に大欠伸をして、そのまま眠りに落ちて行った。

きっと安心したのだろう。まるで母のようだ。

 

 

東京も梅雨入りし、連日不安定な天気が続いている。昨日 月曜日は流石に無気力症候群のような状態に陥り、軽い練習とAmazonからの荷物を待つ以外の全ての行動が止まった。
そんな時でも木々は、私の体を気遣ってくれる。

 

しとしとと幹が雨に濡れて行く時の音声がなぜか私の脳裏に拡がり、それは私に「少し休みなさいね。」と言う彼等の思いのように感じたので、私は遠慮なく夕方から日付の変わった少し後まで完全に爆睡した。

 

私は多くの精霊たちに守られている。

 

 

 

⇧ Didier Merahが作った最新のPlayListです。
フォロー、シェア大歓迎です。

 

Studying Muscles

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この一ヶ月間、体の一箇所にずっと不具合を抱え込んでいた。夫と二人の友人以外この事は知らせずに居たが、この一週間で急激に症状が緩和して来たのでホっと胸を撫で下ろしている。
どんな時でも笑顔と食を味わう気持ちを持ち続け、少し疲れたら直ぐに休息を摂り、気合が入った時にはとことん気力の果てまで突き進む‥、そんな生活を粛々と続けていた。
すると気持ちも前向きになれたし、何よりSNS等で拡散されるちょっと痛々しいニュースや出来事からも上手に逃れられるようになって行けた。

 

そんなこんなあれやこれやを抱えながら私は、この一年近く自分の筋肉に深く探りを入れていた。

 

巷にはびこる速弾きの音楽にうんざりしていたし、私にとってそれは何の必要もない産物だった。
聴力と感性が追い付かなくなる程の「あっと驚き奏法」が何故こんなにも音楽世界のセンターに立ち続けているのか、いつかこの状況を宇宙のどこかから静観しているであろう宇宙人に出会うことがあれば是非質問を投げかけてみたいものである。

 

 

話を戻して…。
楽譜に指定されている多くの楽曲の速度は信じられないぐらい高速で、まるで法定速度ギリギリか或いはそれを超えたテンポで楽曲を演奏出来なければ演奏家として通用しないかのように、聴く側の感覚の上限も既に超えているそれらが「あっと驚き奏法」として地上を闊歩している、この滑稽な音楽の世界が一体いつまで続いて行くのか‥。

 

1/fの揺らぎと言う自然の速度をそのまま音楽に当てはめて行く方が、どれだけ奏者も聴き手をも楽にして行くだろうか…。

その事を自らの体で体現する為にも私は、この一年間自身の筋肉と深く向き合っている。

 

どうだったら疲労の上限を超えずに済むのか。
或いはどうだったら聴き手に余計な威圧感を与えずに済むのか。
その答えは残念ながら未だ、この地上に存在しない。…と言うよりも、音楽家の大半が何か得体の知れない高速スピンを回らなければ自分の居場所を失うかのような、強烈なコンプレックスに苛まれているようにさえ見えて来る。

 

一年強、己の筋肉にそれを問い掛け続けて来た結果、最近少しずつ筋肉自らが意思を持った生き物であるかのようにその難しいクイズに対し、適切な回答を出し始めた。

 

いわゆるインナーマッスルが以前にも増して、着実に声を上げ始めたと言っても過言ではない状況だ。

 

それぞれの自身の過去の作品を出来る限りゆっくりと演奏して行く時、高速スピンでは絶対に使うことのなかった新しい筋肉がピクピクと反応し、そこにしっかり熱が溜まって来ると私は真冬でも汗だくになりながらピアノに向かうことになった。
腕の筋肉よりも手の第二関節までの内側の筋肉が機能し始め、それは背中の筋肉の温度を急激に上げて行く。

 

嗚呼こんなところが反応している… と言う歓喜が生まれ、最初はそれが大きな疲労感にも繋がったが次第にその筋肉が上手く温まって私の演奏を程好いスローテンポに導いて行った。

 
私のほぼ処女作と言っても過言ではない「Blessing of the Light」。毎日毎日この曲を弾き続けているけれど、あえて私はその演奏速度を落とし始めた。
すると今まで素通りしていた箇所に新たな筋肉の力の必要性が生まれ、今この筋肉を鍛え上げたらどうなるのか…、その上限に挑戦し始めている。

 

 

 

少し話が脱線するが、この春私は自身の過去世(ファン・ジニ或いは明月として生きた時代)におそらく心から慕ってやまなかったソウルメイトと、インターネットの中で再会することが出来た。

勿論リアルでどうの‥ と言うことではなく、あくまで私が一方的に当時の相方の息吹を感じて喜びに震えている状態ではあるが、それは生き別れた家族との再会のように私を喜びの高みへと導いて行く。

 

この記事の最後にその人物の現世の歌唱映像をシェアしたい。

強いて言うならば私が伴奏者として活動していた時代にこの人物と出くわすことがなくて、本当に良かったと思う。万が一私が彼と出会い、この歌手の伴奏者として起用されていたら、おそらく今の私はここに居なかっただろう。
或いは音楽をやめていたかもしれない。

彼の声、表現は全てを呑み込む力が満ち満ちており、私がそのエネルギーに勝てる気がしないから。

 

再会に祝福を。
そしてイ・ヒムンの未来が光に満ち溢れていますように(祈)。

 

 

 

何もない世界にひとり

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少しずつ、少しずつ‥ 早まって行く朝の訪れ。この時期私の心は燃える。
大量の花粉が空中を埋め尽くす早春、だけど日々の体質改善の効果が少しずつ効力を発揮し始め、今年は例年よりも多く花粉が飛散していると言うのに例年よりも症状が緩和している。

桜が恋しい今。でもその前に見送らなければならない花々が街中を埋めて行く。
梅、パンジー、チューリップ、クロッカス、クリスマスローズ、遅咲きのシクラメン、その他色々。

 

ずっと花が嫌いだった。おそらくそれは母との間に起きたあることがずっと尾を引いていた影響だが、徐々にその心の傷も癒えて来たのだろう。
そして何より愛する人と眺める四季折々の花をあらためて美しく、愛おしいと思う瞬間〃〃の積み重ねが私の心を変えて行く。
それはまるで移り行く音楽のようだ。
同じ縦の響きが昨日と明日とでは違った音色に聴こえるそれに、よく似ている。

 

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何もない世界‥

私はそこを目指して生きている。そしてそれは私一人ではなく夫も又その一人である。
そこは荒涼と広がるただの空間だがけっして寂しい場所ではない。それどころか無限の時間と少し冷たい風が心地よい場所であり、上手く意思の疎通が出来るようになると殆ど声の会話を必要としないくらい、物音が何もない。

 

私たち夫婦は日々の中で、たった一言「ミッション」と言うワードを折り重ねては多くの会話を重ねて行く。夜も遅いと言うのにその話題だけであっと言う間に夜明けを迎え、二人は慌てて睡眠を摂る 笑。

あんまり急いで眠りに就くものだから時々浅い眠りと見る予定のなかった夢に悩まされたりもするけれど、そのフィールドにだけあたる光はとても優しく、宇宙の彼方から届く光で輝いている。
私はその中にぽつんと独り、立たされている。

 

 

昨日は好い出会いに私が燃えた。

人生に訪れるこれはきっと神さまからのギフト。人間嫌いの私は多くの誰と向き合っても良好な時間が長続きしないことに悩んでいるのだけど、ごく稀に‥ あえて向き合わずとも既に向かい合って座っていたような仲間と出会うことがある。
まさに昨日がそんな日だった。

 

そして時同じくして夫からとても大切な話を聞かされたのだけど、こうして偶然か必然かが分からぬように誰かによって私はきっと支えられている。
その、良い出会いをもたらしてくれた切っ掛けの音楽をここに。
是非、シェアして沢山聴いて頂けることを切に祈りながら‥。

 

 

小西徹郎さんについてもっと知りたい方は、Wikipedia ⇦ よりどうぞ。

反面教師 – Mistaking Retouch

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私には決めていることがある。
それは、
その時々触れている音楽から曲を作らないこと、誰かの言葉からインスパイアされながら言葉を紡がないこと。
料理以外の殆どは「絶対にモノマネはしない」と、私は固く決めている。勿論自身のレコーディングの約一週間前から、殆どの音を体から削ぎ落とす。

そして今日は珍しく、ブログを書く為のBGMを聴いていない。
何もかもをゼロから作り出すことがどれほど難しいか、特に今朝は皮膚に幾千本もの針が刺さったみたいに痛感している。

 

知人と言うには少し遠いけれど事実上「知人」と言える、或る方(訳詞をなさっていた記憶がある)の詩集が巡り巡って私の手元に届いた。恐る恐るページを捲って行く。
そして私は幾ばくかの落胆を感じたがそれを共有する相手も居ないので、自分自身への記録としてここにそれを綴っている。

 

それはかつての自分を見るようでもあり、尚且つ既に手放してしまった「言葉綴り」をしていた頃の自分への戒めを振り返るようでもある瞬間。胸がチクんと痛んだが、それはさながら過去の手術の痛みを想い出すような、どこか遠い痛みにも思える。

 

一ページ、又一ページと捲り詩人の言葉を追い掛けて行くが、そこにはその詩人がかつて触れたことのある音楽や歌の歌詞が随所に垣間見えて、途中から訳詞集を読んでいるのかオリジナルの詩集を読んでいるのか見分けがつかなくなり、38頁目を捲りタイトルを見たところで本を閉じた。
そう言えば私のLINEのグループチャットの一つに、芸能関係者や出版関係者、或いはタレントやシンガーソングライター等の面々が顔を揃えたグループチャットがあり、私はその中の数名の仲の良い方々と時々会話をしている。
そんな私たちの中で最近流行っている言葉がある。

 

下っちゃってるね‥‥

 

⇧ これは例えば昨日その人が聴いた音楽がそのまま新曲のメロディーに乗ってしまったり、アレンジや歌詞の一部に流れ出てしまった状況を指す言葉。

 

そう、先程38頁目で閉じてしまった詩集が丁度こんな感じなのだけど、思えば巷の殆どの音楽や歌詞、流行歌に限らず世界中の音楽や絵画の殆どが、私から見ると「下っちゃった」状態なのだ。
だから最近自分の作品以外に聴きたい音楽が殆ど無くなってしまい、昨年私は9つ運営していたFacebook Page(主に各ジャンルの音楽を紹介する為のPage)のうちの6つのFacebook Pageを閉鎖した。

 

多くの音楽や詩や小説、文学作品に限らず絵画やファッションを含め、レタッチされた作品のように私の視界に映り込む。何を聴いても同じだし、イントロ詐欺かと思えるぐらい派手な前奏でデコられる張りぼての世界‥。

一見新しさを纏ってはいるが、それは数か月前にどこかで見たことのあるような代物が大半であり、どちらかと言うとそれらの作品の中に作者の強い承認欲求が溢れ出て気分が悪くなるので、最近私は各SNSの情報を迷うことなく整理し始めた。

 

自身の中に潜む「勿体ない精神」をかなぐり捨てて、要らないものは徹底的に自分自身から追い払って行く作業は、その対象にされた相手にとってはただ迷惑行為以外のなにものでもないだろう。
でも私にとってそれはとても重要な作業であり、知り合いだから、とか親しいから‥ と言う贔屓目線も全て手放しながら色々なものをゴッソリ整理して行くと、そこにポッカリと空いた空間は人の念の染みのようなものでベッタリと脂ぎって汚れが纏わり付いていた。
好きな本、大切にしたい書籍には必ずカバーをかけることに、私は決めている。私の手の中の詩集にもその小さな愛を施す予定でいたが、やめた。
藍色のブックカバーが涙のように見えて仕方がないのは、ある種の瞬時の過去のきらめきが現実に戻った瞬間の証し。それを私はありのままの現実として、そっとそっと、この胸の中に受け入れる。

 

 

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スッキリとした気分の中に少しだけむしゃくしゃ感が混ざり合う、情けない朝を払拭したかったので、今日初めてトライする八角とローリエをしっかり煮出したチャイを作ってこの記事を書いている。
最近「茶」ものにハマっているが、どうやら私はコーヒーよりも葉ものを駆使した飲み物を好む。コーヒーよりは紅茶派で、最近は緑茶を深めたい欲求をどうにか抑え込みながら生活している 笑。

茶にハマり込んだ人たちの多くが葉ものに浪費を惜しまない傾向が強いことは、Twitter等で痛い程よく知っているが、私は「葉ものの浪費家」になりたいわけではなく、自分でカスタムした美味しいお茶を家で飲みたいだけなのだ。

 

 

下っちゃってるね‥‥

 

「折り曲げ厳禁」と書かれた袋の中に仕舞い込んだ詩集の栞がふと、そうつぶやいた気がした。勿論そんなことはないと分かっているのに、書籍に挟んだ栞が空に向かって叫び続けているように思えて仕方がない。

 

私には決めていることがある。
それは、
その時々触れている音楽から曲を作らないこと、誰かの言葉からインスパイアされながら言葉を紡がないこと。

 

それは自分自身への戒律であると同時に、おそらく私が今後そのような手法で音楽を生み出すことはないであろう‥ と言う希望的観測を含んだ、私の掟。