音楽から読み解く世界情勢 [2022.06.25]

関東地方はまさに雨季真っ盛りで、連日湿度が高く蒸し暑い日が続いている。個人的には色々な事が日々折り重なり、特に一昨日から昨日は気持ちが酷く滅入って落ち込んでいた。

世界はどこに向かって進んでいるのかと、日夜そのことばかりを思う。それはけっして良い方向とは言い難く、いつ、誰とはぐれてしまうか分からない不安は未明の悪夢を引き寄せる。
かなりの的中率で予感が現実になる今日この頃の私にとって、夢とは言え侮れない。だからと言って夢に「その人」が現れたからと言って連絡を取るわけにも行かず、色んなSNSからそっと先方の様子を伺いながら今日の無事を確かめるしか他に手段がないのがもどかしい。
 

私自身が音楽家でありながら、音楽業界関連の友人は殆ど皆無だ。と言うのも私が芸術家・作曲家でありながら、音楽評論家として旗揚げしたからに他ならない。


音楽家(作曲家・表現者)と音楽評論家はまさに敵対関係に在り、私はその両方を職歴に掲げたわけだから周囲が戦々恐々としても致し方あるまい。同業者とて、私の感性は妥協を一切許さない、良いものは良いし、悪いものは悪いと明言することが、音楽評論家の仕事なのだから。

現在の私が作るSpotifyのプレイリストのメインは、以下のシリーズ『Gentle Rain 2. (2022. ⑤)』になる。今週の更新は[M-92: Anema E Core”– Valentina Cenni e Stefano Bollani] から [M-115: Jilani” – V.B.Kühl, Rabii Harnoune] までになる。

 

 
更新分冒頭の “Anema E Core” は、私が未だ現役の和製シャンソン & カンツォーネの伴奏者だった時代に大好きだった一曲。このこの曲を聴くとどういうわけか泣きたくなり、その度に今世では未だ行ったことのないトスカーナの広大な風景が脳裏に現れて、過去世の幼い私がトスカーナの一戸建ての家でケーキを焼いている‥。

こんな時に名前を出すのもどうかと思うが、特に小松原るなさんの “Anema E Core” は素敵だった。勿論小さなシャンソニエで歌われるその曲のクオリティーを問われたら何と答えて良いのか分からないが、彼女の小声でささやくような “Anema E Core” の中に微かに流れるトスカーナの風に、当時の私は何度ロックオンされただろう。
 

そんな思い出の曲をプレイリストから外すわけがないのだが、だからこのテイクの [M-92: Anema E Core”– Valentina Cenni e Stefano Bollani] が良いかどうかと問われると確かに若干返事に詰まるのも又事実かもしれないが。
 

“Queen Of Sheba” (artwork)


今週はあの、パレスチナの大御所トランペッター(作曲家・プロデューサー)のIbrahim MaaloufAngelique Kidjoと組んでリリースしたアルバム『Queen Of Sheba』もお目見えしたが、個人的な感想としてはヴォーカルが鬱陶しくて尚且つ知性を欠いている為なのか、Ibrahimのトランペットと表現がバッティングしてしまい完成度は今ひとつと言った印象が強かった。
 

メインのプレイリストではないが、主にBGM仕様をテーマに作っているチルアウト・ミュージック系のプレイリストの方が、今週は更新出来た曲が多かった。
今週の更新は [M-14: “Another Like This” – Photay Remix] から [M-36: “Untouched Rainforest” – 小瀬村昌] までになるが、此方もメイン同様に全体的には小粒の作品が出揃ったように思う。
 

 

気になるアルバムがもう一つあるとすれば、”Summer Sol VII” が挙げられるだろう。
此方は王道のポップスとは一線を画し、アルバム冒頭の “Sat Nam” からも分かるようにSufiの音色が炸裂するが、王道のSufi Musicかと言われるとそうではなく、全曲に「エレクトロニック」寄りの加工が施され、アラビックなテイストにアイシングされた構成になっている。

アルバムのクレジットには Sabo 或いは Goldcap などの名前が挙げられているが、各曲異なるアーティストの作品がズラ~っと並んでいる。全編を繋げて聴いてもなかなかのクオリティーで異国情緒豊かなアルバムに仕上がっているので、個人的にはオススメのアルバムだ。
 

 

私 Didier Merah が作るプレイリストは他の音楽愛好家が作るそれとは一線を画した選曲になっており、いつの日かDidier Merahが監修したオムニバス・アルバムが世に出た時にはかなりの脚光を浴びること間違いなしの出来栄えと言っても良い筈。
それもこれも良いリスナーを増殖させることが私の第二の目的で、その為にはどの曲の何が良くて、どの曲の何が良くないのかについても辛辣に発信して行くことが必須だ。

多くの音楽愛好家たちは、周囲の同種の人たちが何を聴き、何を良いとするのが正解なのかについて戦々恐々としているのが現状だ。自分自身の感覚に今ひとつ自信が持てず悶々としているうちに、多くの賛同票を得ている楽曲に対し無難に加点しながら聴くことで満足しているように見える。

そんなことでは良質な音楽が日陰に追い遣られるのが目に視えているから、私はあえて損得抜きに多くの楽曲をジャッジメントする役目を買って出た。
それも含めて私の音楽人生のミッションと心得ながら、自信を持って世界の音楽をジャッジメントし、紹介出来れば本望だ。
 

 

音楽配信を目的とした楽曲作成のオーダーの他、音楽評論、レビュー or ライナーノート執筆、ラジオ番組用のBGM選曲、雑誌連載執筆及びYouTube出演や対談等、諸々用件・案件は、Twitter のDMないしは公式ホームページから、[info@didier-merah.jp] ⇦ までお寄せ下さい。
音楽評論に関しては、世界中(演歌とヘヴィメタル以外)の音楽を分析・検証し、語り尽くします。

オーダーを遥かに上回るクールで奇想天外な記事を、筆者の豊富な脳内データから導き出して綴ります!

音楽から読み解く世界情勢 [2022.06.12]

特にどこかの企業から依頼を受けているわけでもなく、雑誌の連載を抱え込んでいるわけでもなく、毎週末の世界の新譜チェックはもはや私のライフワークとなりつつある。
勿論需要と供給のバランス等考えるまでもなく、これは私の為の記録の作業であり執筆活動である。

私がSpotifyやAmazon Musicに作り上げて行く各シーズン毎のプレイリストを、実際どのくらいの人たちが求めてくれているのかなんて考えるまでもなく、私は私のスタンスで音楽を通じて世界を見つめる。
 

世界は新型コロナウィルス・パンデミックに続いて、次の新たなパンデミックの流れへと既にシフトし始めている。
丁度先週某日に私は、以下の記事を躊躇なく更新している。

 


この記事には予想以上に多くの来訪者が世界各国からあるようだが、だからと言って私の言わんとするところを読者層が掴み取ってくれたかどうかはまだ判然としない。
そんな折、今週の新譜チェックの中にあの大御所 Paul Winter が『Ukrine Spring』を堂々リリースした。

 

 
楽曲『Ukrine Spring』にはPaul Winterともう一人、Henrique Eisenmannと言うブラジルのジャズ・ピアニストが参加しており、クレジットは二人の連名で記録されている。

Paul WinterについてはWikipediaをご覧頂ければと思う。
私はもうかれこれ数十年間彼の活動や作品に触れているが、今こうして彼のWikipediaを読んでみて気が付いたことがあるとすれば、意外に彼が日本国内では余り広く知られていないのではないかと言うことだった。
 

私がかつてL.A.と東京を往復していた頃、まさに世界はニューエイジ・ミュージック全盛期だったが、その頃日本はと言えば小室哲哉をはじめとするダンス音楽真っ盛りで、その頂点にTRFや華原朋美等が君臨していた。

世界と日本はそれだけ大きく価値観がズレており、日本国内で若干流行し始めていたニューエイジ・ミュージックもどこか癒し系パロディー音楽のジャンルのように扱われ、レコード店に行ってもクラシックとかジャズの棚の片隅に小さく新譜が陳列されており、その中の一枚か二枚程度が新譜として試聴盤を出しているような状況だった。

 


話しを『Ukrine Spring』に戻そう。
遡ること約一ヶ月前に、坂本龍一がPiece for Illiaをリリース。ウクライナの若きヴァイオリニスト、Illia Bondarenkoをウクライナ国内に実在する被災地の瓦礫の上に立たせ、坂本自身が書いたとされるウクライナ民謡そっくりのオリジナル曲をIllia Bondarenkoに演奏させた。

問題の動画が世界的に物議を醸しだして間もないが一方で、その陰にひっそりと隠れるようにして世界に発信された大御所 Paul Winter & Henrique Eisenmann の二人が奏でる『Ukrine Spring』は、しっかりと感覚を研ぎ澄ませて聴けば誰でも分かるように、圧倒的な存在感を放っている。
 

坂本龍一のPiece for Illiaと、対する Paul Winter & Henrique Eisenmann の二人が奏でる『Ukrine Spring』。両音楽の決定的な違いは後者の祈りの思いが圧倒的であること。
前者の「ウクライナの若きヴァイオリニストを瓦礫の上に立たせ、そこで作曲者・坂本龍一の音楽を演奏させる」のとは違い、Paul Winter & Henrique Eisenmann の両者が共に「己」を完全に消し去り祈りに没頭している点は、リスナー各自が絶対に無視してはいけない点だと私は訴えたい。

祈る人が祈りに没頭する時、そこに祈る人の存在が一時的に消失する。
視覚的な祈りではなく、ただ脈々と祈る思いだけが辺りを全て包み込み、それが音楽家自身であればそこに音楽だけが静かに紡ぎ出されて行くのみだ。

 

Henrique Eisenmann


Ukrine SpringでPaul Winterの背景で静かなキーボードを奏でているHenrique Eisenmannだが、普段はとても騒がしく刹那的なジャズを演奏している人物である。正直この種のジャズは、私は悉く苦手である。
だがこの『Ukrine Spring』の中のHenrique Eisenmannは別人のように、オーソドックスなクラシックスタイルのバッキングに徹している。
  

どういうわけか上記の楽曲のHenrique Eisenmannが演奏している箇所の音質が全体を通じて歪んでおり、使用している楽器も然程状態が好くないことも垣間見える。
さらに時々大胆なミスタッチが連発している様が専門家の耳には一目瞭然だが、それを超えて無休の祈りが音楽全体を包み込んで行くので、音質の歪みやらミスタッチなどもはやどうでも良くなってしまうから音楽とは誠に不思議なものだと思う。
 

対する坂本龍一は若きヴァイオリニストを瓦礫の上に立たせたことを猛烈にアピールして来たが、むしろPaul Winter & Henrique Eisenmann の二人が奏でる『Ukrine Spring』のレコーディングのロケーションがどうなっていたのかの方に、私の興味は移って行く。
そのロケーションがどうであったとしても彼等にとってはむしろどうでも良いことで、ただただ寡黙な祈りだけを音楽に乗せて世界の空に飛ばして行ったところに、本物の音楽魂を感じるのみである。

 

『お茶』 – UA

 
ここまでこの記事のタイトルから大きく脱線して、先週末の世界の新譜の一曲にスポットを当てて綴って来たが、今週のメインのプレイリストは M-54: 『お茶』 – UA からスタートしている。

 

 

J-Popはここのところ作りが大雑把で音楽未満の新譜が乱立しているが、この作品お茶はなかなか良い作品だ。
UAのこれまでの印象として強かった「粘りが強くしつこい歌唱表現」が一掃され、どこか海外のチルアウト・ミュージックにありそうな小ざっぱりとした短いブレスのライトなヴォーカルが爽やかで、個人的に好みである。
 

そして前記事Laufey from Icelandでも紹介した曲LaufeyのFragileが、UAの次に並ぶ。
 

 

実際に更新出来た楽曲の数が少ないのは、おそらく私の感覚(感性)の感度がさらに向上したことによるもので、選曲がかなり厳しくなっているのを自分でも感じている。

新しい感染症が全世界に拡散し始めている今、これから何が起きるか分からなくなって来た。
今聴ける音楽に集中し、これからも出来る限り良質な音楽を紹介出来れば良いと思っている。

 

 

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Laufey from Iceland

今日は良いニュースが一つと、そうではないニュースが早朝から世界を駆け巡り、さらに私も体調が今一つだったところに加えとても重要な打ち合わせを一つ控えており、気持ちの浮き沈みがとても激しい一日だった。
 
巷のいずこでは「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」の最終選考で賑わっており、私も参加者の演奏を一つだけ聴いてみたが、兎に角つまらないと思いYouTubeをそそくさと閉じたところだった。
何が面白くないかって言えばそれは決まっており、自身の作ったものでもない音楽をただ完成度だけを追い求めながらどれだけ汗をかいて演奏したところで、結局再演者のエゴだけが音楽を埋め尽くすだけの愚行にうんざりして疲れてしまうだけ。

そんなことを言ってしまったら世界中から殆どの演奏家が消えてなくなってしまうかもしれないが、再演音楽は余程再解釈が美しいか或いは斬新であるか‥ でもない限り、消えてなくなってしまって良いと私は思っている。
 

Laufey
 

そんな私のか弱い日常の憂鬱を払拭するように、YouTubeのサイドバーに久し振りに彼女‥ Laufey(ラウフィー)の新譜Fragileが現れた時はもう、どうにもこうにも救いの女神が現れたような感動で涙腺がウルウル緩んでしまった。
 

 
Laufey(現在23歳)はアイスランドのシンガー・ソングライターであり、自身の音楽のルーツは古いジャズに由来するとインタビューでも話している。
 

  
最近のポップス系のシンガー・ソングライターは何かと扱いが簡単なジャズ系~ボサノヴァ系に作風を逃げ込ませる風潮が強いように感じるが、彼女の場合は仮に楽曲の構成がジャズ & ボサノヴァ系だったとしても他のアーティスト等と同じように捉えるべきではないかもしれない。

一つには彼女の表現手法、特にヴォーカルの声の緩急の付け方にとてつもないケルトを感じさせる。さらに地声と裏声(時々微かに挟まるヨーデル含み)の両方を微弱な声量で動き回る点が、他の同ジャンルの歌唱法とは大きく異なること。
 
もう一つの要因として、メロディーラインがとてもクラシカルでオーソドックスな流れを踏んでおり、ともすると旋律の無休感(長い旋律が連続しており、間に呼吸を挟まないで歌い切る歌唱法等)がオペラやフランス歌曲にも通ずる揺らぎを含んでいる点。
その揺らぎがボサノヴァ(或いはジャズ)系のバッキングに乗ってしまうと、一見するとごま油で一度炒めてしまえばどんな野菜や肉類であっても全て「中華料理」に括られてしまうように勘違いしそうになるが、実はそうではない。


なのでむしろ彼女 Laufeyには余り自身の音楽ジャンルを「古いジャズに影響された何か」だとか、「ボサノヴァ的な何かである」‥等と限定して自身の音楽の器を狭めて欲しくないと、他人事ながらとても気になった。
 

 
その人が本物であるかどうか、真の表現を志している人であるかどうかを見極める時に、私はそのアーティストに先ずオーソドックスなスタンダード作品を演奏(カバー)させたり歌わせたりすることに決めている。
その意味では、彼女の歌うカバー曲「I Wish You Love」の表現はもはや、Laufeyの若さを超越している。
 
この作品は日本国内でもジャズ系やシャンソン系シンガーの多くがカバーしたくなる曲・第一位に選ばれる曲だが、殆どの歌手が「オレオレ」「あたしあたし」‥のエゴが全面に出てしまい、正直音楽にも作品もなる前に沈没してしまう。
その意味でLaufeyのような、ある種の「自分」の大部分を消しゴムで消しながら彼女の持ち味である声質とロングトーンだけをしっかりと残しただけの、ある意味利他的とでも言うべき音楽解釈は、長年音楽を書き続けて来た私でもただただ脱帽の域だ。
 

  
ここでは彼女の学歴にはあえて触れなかったが、ご覧の通りLaufeyは色々な楽器を操りながら各々の楽器の音色からさらに新たな構成や表現に挑んでいる。
楽器によって表現手法を変えて来るところが彼女の特技或いは魅力とも言えるが、最終的には外界の情報に惑わされることのないLaufey自身の音楽に到達して行ってくれることを、いち音楽評論家としては期待したいところである。
 

さて、この記事の〆はそんな多彩なLaufeyの最新作「Fragile」の、彼女自身のギターの弾き語りの動画を貼っておきたい。
 
若干ヘッドフォンのボリュームを上げながら、時折今にも消えそうになるLaufeyの地声と裏声の狭間のケルトを感じながら、まさに今雨季に差し掛かった日本の湿っぽい夜に新たな清涼感を添えられれば幸いだ。
 

 

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音楽から読み解く世界情勢 [2022.05.28]

毎週末の新譜チェックが少し負担に感じていた5月半ば。考えてみれば「五月病」と言う言葉があるように、5月とはそういうシーズンだと言うことをふと思い出した。
そんなことならば少しだけ休息を挟みながらのんびりやろうかと思っていたが、どうやらそうも行かない状況だ。

恐らく今月のどこかで私は、日本国内では「大御所」と言われている「或る人」からTwitterのアカウントをブロックされたようだ(笑)。
そんな大御所からご丁寧にブロックされるのは、ある意味では芸術家冥利に尽きる。私もそろそろ(先方から見たところの)大御所の仲間入りを果たす前兆かもしれず、これはきっと名誉なことだと思って良いだろう。

箸にも棒にもかからない人間をわざわざブロックする大御所など居ないだろうから、この記念すべき年に私は新たな勲章を得たと思い、堂々と今後の芸術家・音楽評論家人生に踏み出そうと思う。
 

一日遅れたがさっき、世界の新譜チェックが無事終了した。今回はSpotifyとAmazon Musicの両方に新しいプレイリストを開設し、公開した。
両サブスクリプションの使いやすいのがSpotify、でも音質の点ではやはりAmazon Musicに軍配が上がる。

 


‥と、折角音質の良いAmazon Musicの方のプレイリストの埋め込みを期待したが、どうやらこのブログでは表示出来ない仕様らしいので、Twitterのリンクを貼っておくことにする。

 


今週のサブスク新譜情報も、やはり単曲ないしはEPサイズの配信が目立って多かった。
だが中には久々の楽曲配信の大御所の作品も点在し、ワールド・ミュージック・フリークとしてはとても嬉しい週末となった。

特にGérald Totoの新譜 Dérivé Larel La、さらにはDori CaymmiがMônica Salmasoと組んでリリースした新譜 Canto Sedutor には嬉しさを通り越して泣かされた。

 

 

今週は日本勢はJ-Pop界隈も頑張っている。
良い曲は国籍・ジャンルを問わずガシガシ紹介して行くのが、私・Didier Merah流だ。
ただの音楽好きとは異なり私は芸術家としての教育の基盤を持ち、尚且つ世界中の多くのジャンルの音の構成分析を得意とする。付け加え、そのどのジャンルにも無い新たな音楽を生み出す、私は稀有な存在だ。

そんな私が紹介する音楽に国境などもはや存在しない。良いものは良い!と言う信念に加え超越した感性とジャッジメントの上に厳選した楽曲に、良くないものなどある筈がない。
要は自信満々でセレクトして行く毎週末の新譜は、他の誰のプレイリストにもない面白い選曲だと言いたいわけだ。
 
J-Popあり、Tangoあり、アフロ・ミュージックもあればアルメニアのポップスもある楽しいプレイリストを聴いていると、何故世界から戦争が絶えないのだろうか‥ と言うふとした落胆が胸を過る。
音楽の力が及ばないのだとしたら、私達音楽家の責任重大だ。だから私は世界を変える為に、自身の創作活動だけではなく音楽評論家、比較音楽学者としての厳しい表現力にさらに磨きを掛けたいと思っている。
 

 
そう言えば2022年春に晴れて6人でデビューを果たした、宮脇咲良も参加する韓流女性グループのLE SSERAFIMからいきなり一人脱退した形で、5人で活動を再開したようだ。
理由詳細は不明なので(噂の域なので)、ここではその理由については省略するが、6人よりは5人の方が確かに見た目にも残念ながらスッキリした感じに見える。

人生には色々なことが急遽降り掛かる。だから良からぬことをしたり、思ったりしない方が身の為である。
 

 
さて、この記事のラストを何の曲で飾ろうかと十数分迷ったが、先週分のPlayListの更新分から、私の大好きなTitiyoが久し振りにVocalを放ったこの作品を貼っておきたい。
自然と体が動き出す曲‥ と言うだけでなく、楽曲としての出来栄えも高い一曲だ。

ご堪能あれ!💛
 

 

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音楽から読み解く世界情勢 [2022.04.26]

どこか緊迫感を高めながら世界中が一進一退する2022年、春。
地球はどこに向かって加速しているのか、それとも失速しているのか‥。数年前のシリアに続いて、再び瓦礫の国が増えて行く。
 

音楽は全てを物語る。
毎週末に世界中から配信されるあらゆるジャンルの新譜を追っていると、誰もが不安を抱えながらその場でフリーズしかけているように見える。
相変わらず今週も単曲での新譜が多く、次いでミニアルバム・スタイルの新譜が続いて行く。Lofiの新譜のクオリティーが先週よりも若干落ちているのが気になりつつ、その一方でやはりダブ・ステップの新譜が先週より増えているように感じる。
 

私がコレクションしているメインのプレイリストには、ダブ・ステップのようなある種、戦争の音声を意識させるような音楽をあえてリストインしていない。音楽はあくまで心の癒しの役割を果たすべきであり、尚且つ私は音楽の中に「祈り」の有無を強く求めたいと願っている。だからダブ・ステップやDeep House系の音楽をコレクションしない方向で、PLを作成している。
 

今シーズンのメインのPLは此方。
 

 
今週の更新は、M-45 “About Love” – The Soultrend Orchestra · Papik · Alan Scaffardi から。
 

About Love · The Soultrend Orchestra · Papik · Alan Scaffardi

 

各ジャンル、各アーティスト等の新譜からアルバムを辿り、実際に紹介されているアルバムリードの楽曲とは異なる別の楽曲をPLにコレクションする事も度ある。

先週末、一人Sufiの大物が過去アルバムのリマスター版をサブスクから再配信していたので、それをここにご紹介しておきたい。

Omar Faruk Tekbilek のアルバムSound of the Sultans (Remaster)である。
 

 
アルバムタイトルに『Remaster』と書かれてあるが、最初のリリースは私の記憶だと10年近くは過去の遡るだろう。だが正確な最初のリリース年月日がいくら調べても見つからないので、明言は避けておく。
 
Sufiについて、又、Omar Faruk Tekbilek氏についての記載はあらためて、別記事で触れることにしよう。本記事は私が編集しているPL(プレイリスト)についてと、ここ数週間の世界から配信される音楽の傾向と世界情勢との関係性について、内容を集約したいので。

 
もう一人、イタリアはカンツォーネ歌手、ロッサナ・カサーレの新譜Trialogoも良い。この作品はアルバム全体を通して聴く方が、印象が良いかもしれない。
 

 

このアルバムの中でも、特にオススメ作品を挙げるとしたらアルバム・タイトルの『Trialogo』だ。

歌手、ロッサナ・カサーレとの出会いは当時渋谷にあった大型CDショップ「HMV」の試聴コーナーだった。アルバムタイトルはLo Stato Naturale。ジャケ写が何とも色っぽく、仕事の合間にその写真を見てしまった後暫く私は、現実の世界から意識が遠退いてしまったことを今でも忘れない。

 

Lo Stato Naturale – Rossana Casale


度々私が書いている「メインのプレイリスト」の他に、ジャンル別に仕分けしている専用のPL(プレイリスト)が複数あり、特に今年の3月以降は若干コレクションのジャンル分けのスタイルを変えている。

リズム主体で主メロが曖昧なチルアウト系やLofi系の新譜は、メインのPLではなくBGM用のPL『⛪️New Chillout Times 2022′ ②』の方にコレクションする用、仕分けを変更している。

 

 
とは言え音楽のカテゴライズとはとても難しく、又各楽曲が単一のジャンルに仕分け出来ない場合も多々ある為随所に例外は発生するが、全体が一つのまとまったラジオ・ステーションとして成立するよう、毎週のコレクションにはこれでも苦労しているのが現状だ。
勿論リスナーとは何の関係もない話しと言ってしまえば身も蓋も無いが、自身が音楽家・作曲家でありながらこれ程までに他のアーティストの作品を大量に紹介している音楽家も珍しいだろう(笑)。
 

そうこうしながら先週は、私自身の次のアルバムに収録したい新曲のモチーフを幾つも五線紙にメモしており、そろそろ手の負傷と向き合いながら鍵盤練習の復帰を狙って行きたい気持ちも山々だが、兎に角無理は出来ない。

プライベートの大きな変化も続いている為、身体以上にメンタルのコンディションを度々大きく崩している事にも注意を払いながら、少しスローペースで音楽と関わって行くことが今はベターだ。

 

Kim Oki

 
さて、この記事の最後を飾るのは、最近私が注目している韓国のオルタナティブ・ジャズ系のサックス奏者 & 作曲者のKim Okiのアルバム『Greeting』からMoonlightともう一曲、韓国はパンソリ歌手のLee Hee MoonとKim Okiが共演しているPV『어랑브루지』の2作品で締めくくりたい。

 

 

 

内容を限定し、お仕事の依頼も承っております。

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混乱の時代と音楽家たち

毎週金曜日は各音楽系サブスクリプション上での「新譜チェックの日」と決まっていますが、特にこの2週間の世界各国の新譜には翳りが見えるように思えて仕方がありません。

全体的に見てフルアルバム形式の配信が少なくなっており、EPないしはシングル曲で配信の頻度を上げている音楽家が目立っています。
長期的な制作時間を要するアルバムで配信の頻度を下げるよりも、毎月1曲ないしは2曲、人によっては毎週1曲ずつ楽曲を更新しているケースも頻繁に見られ、それだけ多くのミュージシャンや表現者たちが将来的な不安を感じているのではないかと言う、これはひとえに表現者等のメンタル面の不穏が強く露呈した形とも言えるかもしれません。

確かに私自身、手の負傷の長期化も原因しているとは言え、コロナ禍から戦争、異常気象等のニュースと常に接しているがゆえに、流石に長期的なスパンで音楽を創る環境にはないと言うことを痛感しています。
かと言って日和見的に単曲を更新して行こう等とは思っていないとしても、そう言う活動形態に陥ってしまう表現者等の心情は重々理解することが出来ます。
 

ここで重要なことは、各表現者が何を生み出そうとしているのか、という点だと言えるでしょう。
作品を生み出そうとしているのか、それとも商品を量産してお金に替えることを重視しているのか‥等。

これはあくまで主観ですが、特にヨーロッパを中心とする一部の音楽家の中に「ロング・Covid」の傾向を感じます。常に倦怠感に見舞われ、踏ん張りが効かなくなっているような、そんな印象を楽曲の中からも強く感じています。
 

特に新型コロナワクチンの接種に於いて、私は「反対」あるいは否定的な意見を持っています。
そもそも現在は未だ治験中のワクチンを無責任に接種させる世の抑圧の傾向に問題がありますが、その流れに逆らうことの出来ない社会的弱者が音楽家や芸能関係者等に多いことも又要因の一つなのでしょう。

結局世の流れの負を請け負うのは、きまってこういう社会的弱者たちなのです。
 

 
主にSpotifyを利用しながら毎週末、私はメインのプレイリスト+αの複数のプレイリストを更新しています。
メインのプレイリストではジャンル不問で多くのその季節の新譜を中心に、ざっくりとジャンル紹介も兼ねてスクラップしています。その他はジャンル別に、そのプレイリストのテーマに応じてさらに細かくスクラップしています。
 

今週は各新譜の単曲が全部で170曲余あり、その中でアルバム配信されているものを全てチェックして行くので、合計2,000曲近くを一日の半分を使って聴き込んで行ったことになります。
特に現在は、Spotifyを初めApple MusicとAmazon Musicの3つのサブスクリプションを同時並行的に動かしている為、今日は7時間近くの時間を費やして新譜のチェックをしたことになります。
 

 

今週の更新は、[M-94 “Nada” – Monsieur Periné] からになります。
普段は比較的陽気な楽曲を配信している Monsieur Periné が、今回は喪失感を強く表現したネガティブな新曲を出していますが、これが彼らにとっては珍しく大曲となっている辺りに時代の陰を感じずにはいられません。
必聴です。
 

 

※余談ですが、ここのところnoteから配信している音楽評論記事が立て続けに、note公式のマガジンにスクラップされています。

https://note.com/note_entertain/m/m483015f01945

 
これまでは比較的レアな楽曲を紹介する為に綴って来た音楽評論ですが、やはり私も人間ですし食べて行かなければなりません。その為には多くの読者やファンを、私の記事に集めて行く必要も感じています。
 
コンテンツの質の向上も目指しており、ここからは題材素材を吟味しながら多くの読者にヒットし得る執筆についても考えながら、各記事を更新して行きたいと思っております。
その為、記事と記事の配信の間が若干空くことにもなりますが、その分内容をギュっと凝縮しながら執筆して行きたいと心しているところです。
 
何卒記事をご拝読の折には是非、note記事からサポート等(投げ銭)で応援頂ければありがたいです。
よろしくお願い致します。

https://note.com/didiermerah
 

 

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音楽から読み解く世界情勢 [2022.01.19]

かれこれ私は10代半ばから音楽の仕事に携わっているが、これ程までに音楽界全体が迷走している様を見たのは人生初かもしれない。
1991年に勃発した湾岸戦争や、2011年の春に始まったシリア内戦の時でさえ、ここまで音楽界全体が衰退しなかった。だが、今一連の世界的なコロナ・パンデミックがこの世の全ての流れをせき止め、人々の精神や文化の発展を大きく阻害している。
 

こんな時でさえ、あれほど「地球を救済しに行くぞ」と息巻いていたとされるプレアデス星人等の地球への救済は為されず、人類は最早自力でこの難局を乗り越えて行く他の全ての道を絶たれた状態に在る。

特に2021年から現在に至る音楽情勢は危機的であり、世界的に多くの音楽家達が活動の場を追われている。主に舞台表現を得意とするミュージシャン達の前途は暗い。
例えば韓流女性ユニットの IZ*ONE は2021年4月29日で約3年間の活動を終了し、同じ韓国では最強のユニット 東方神起 も2019年以降の目だった活動は無い。
 

 

イタリアはカンツォーネ歌手の Andrea Sanninoオルネラ・ヴァノーニ が比較的インターネット配信での活動に華が見られる他は、全体的に活動や配信に翳りが見られる。
 

フランスはシャンソン歌手の Patricia Kaas(パトリシア・カース) も最近のアクティビティーは無く、唯一 Danny Brillant が昨年 Charles Aznavour(シャルル・アズナブール) の楽曲ばかりをセレクトしたフルアルバムを一枚リリースしている‥ と言う具合に、全体的に見ると一部の、インターネット配信に強いアーティストだけが断続的に楽曲を配信している印象が強く、音楽界全体としてはエネルギーがかなり弱まっている感が否めない。
 

 

フランスで私が長年注目している女性歌手 Enzo Enzo(エンゾ・エンゾ)が2021年に、久々にアルバムEau calmeをリリースしている。アルバム全体がヴォーカル+ギターのみで構成されており、一見シンプル・シャンソンにも視えるが全体を通して聴くとかなり地味で楽曲も冴えない印象だけが後に残る。
 

 

南米でアクティブな活動が見られるのは、意外にもメレンゲ (Merengue) 業界界隈ではあるものの、ラテン全般で見ると以前程の華が見られない。

中でも Elvis Crespo(エルヴィス・クレスポ) 辺りがブイブイ言わせながらメレンゲ界隈の華やかさを高めているようにも見えるが、楽曲の配信数に見合わず作品の質が明らかに落ちている。
 

 

そして最も私が気掛かりだったのは、Sufi(スーフィー)界隈のアーティストの活動が殆ど見られなくなった点だ。

Omer Faruk Tekbilek(オマール・ファルク・ テクビレクMercan Dede(メルジャン・デデ)Burhan Ocal(ブルハン・オチャル)、‥等、Sufiを代表する多くのアーティスト等の活動が2019年以降止まっているように見える。
 

 (⇧の動画、舞台中央の白髪の男性がオマール・ファルク・テレビレク。)
 

カッワーリ界隈からの音も途切れており、Fareed Ayaz(ファリード・アヤズ)Sabri Brothers(サビール兄弟)Rahat Fateh Ali Khan が2021年にかなり音質の悪いアルバムが2枚リリースされる以外のアクティビティーが見られない‥ 等、全体的に活動が低迷している様は否定出来ない。
 

 

クラシック音楽に視点を動かすと、2021年はかのショパン国際ピアノコンクールが1年遅れで開催されたことで若干賑わいを取り戻したものの、入賞した演奏家等のアクティビティーも然程目立っているとは言えず、それもその筈で彼等はオリジナルの作品を生み出して演奏する音楽家ではないので、結局のところは「舞台表現型」の表現手法以外の活動手段を持たないのだからそれも致し方ないのだろう。

ショパン好きはショパンと言う作曲家の音楽を聴きたいのであり演奏家と言う肩書きのパフォーマーに寄り付きたいわけではないのだから、「コンクール」と言うお祭り事が終わった後にはそこに静寂しか残らないわけだ。
 

それ以外のクラシック音楽は、主流を未だに現代音楽から動かしていない。
この物騒な時代にガチョーン!ガビーン!‥ 等と言う破壊芸術的な意味合いを多く含む、激しく痛々しい無調の音楽はもはや無用の長物であるだけに、ほぼ「見向きもされなくなっている」と言っても過言ではない。
クラシック音楽の専門家である私自身がそもそも現代音楽が嫌いなので、一部の現代音楽関係者以外はほぼノータッチと思って間違いないだろう。
 

 

現代音楽からは少し外れるが、私はこの人 Samuel Barber(サミュエル・バーバー)“Adagio for Strings” が大好きで、ベネズエラの指揮者 Gustavo Dudamel(グスターボ・ドゥダメル)の指揮で演奏される以下のトラックを時々聴いている。
 

 

話題が多岐に渡り過ぎるとかえって混乱するので、これでもかなりセーヴしながら記事を書いているが、やはりここのところ活動が活発に見えるのは台湾のポップス関連と、一部の(ジャンルとしての)ブラジル音楽界隈かもしれない。

特に台湾ポップスは全体的に粒が揃っており、業界全体の質が底上げされている感じに視えて来る。
 

 

 

一方ブラジル出身ではないがブラジル音楽にかなり近い表現スタイルをキープしているこの人 Didier Sustrac(ディディエ・シュストラック)[フランス人] も2021年9月に、愛娘をゲストに招いて新作PVを出しており、音楽のクオリティーも比較的高い状態で維持されている。
 

 

フランスから少し視点を動かして「スペイン」の音楽情勢を観てみるが、此方も余り目立った動きが見られない。

女性フラメンコ歌手 Argentina がキューバン・サルサとフラメンコを見事に融合させた新作IDILIOを2020年2月にリリースしている。この作品を中心としたアルバムが近くリリースされると言う噂があったので心待ちにしていたが、結局今日現在までアルバムはリリースされていない。
 

 

こうして全体を見渡してみると多くの「舞台表現型」のミュージシャン達が息を潜めており、諸々の事情で活動自体を停止しながら次の機会を狙っているようにも見えて来る。
 

そんな中、あえてヴィジュアルを出さずに音楽だけをサブスクリプション等から粛々と配信し、ある種の凄みを見せているジャンルの一つとしてLo-Fiミュージックが挙げられる。

 

「Lo-Fi」とは音像をあえてクリアにせず、若干の汚しを入れた音楽作品を指す。ジーンズで言うところの「ウォッシュド」の状態に近く、ある種のヴィンテージ感を出すことで楽曲に古めかしさ等を添え、アナログ感をもたせた作品が多い。

以下は私がSpotifyにスクラップした昨年版の「Lo-Fi」のプレイリストになる。
 

 

書こうと思えばまだまだ多くのジャンルに跨って行くことも可能だが恐らく私が地上ほぼ全体の音楽ジャンルを網羅しているだけに、読む方々の中に混乱が生じる懸念もあるので、本記事はこの辺りで一旦記事をお開きにしようと思う。

本記事の最後に、わたくし Didier Merah の作品を一つ添えておきます。
 

 

 

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