虹とシュールレアリスムとランチ

木曜日。本当ならば週一回の自由日、安息日の今日だが、予定では自宅で静かに読書でもする筈だった。
だがこういう日に限ってLINEがポンポン鳴り始め、私はAKB48全盛期の前田敦子のように、町の知人・友人達とランチのご相伴の取り合いになる寸前だった。

誰にも会いたくない日があれば、誰かと会ってこの瞬間を分かち合いたい日もある。
今日は後者だった。

少し眠って体力も戻っていたので、若干重たい話題でも何とか心身耐えられそうだと考えていると、その「重たい話題」をふんだんに持っている人物(A氏)からLINEが入り、「霊の話で申し訳ないのだが付き合ってはくれまいか?」とメッセージ。
他に二人からLINEが折り重なって届く中、最も話題が重たくなりそうな人物を私は選ぶことにした。

 

話題は重たいが、冗談抜きで財布はかなり軽くなっていたので、幾つか安い価格のランチをセレクトして現地に向かう。
第一候補の店舗にどうやら新型コロナ肺炎の陽性者が出たようで、その店舗は今月一杯臨時休業の看板が出ていたので、直ぐに先方に連絡して待ち合わせ場所を駅ビルに変更した。
そして第二候補の店舗がランチタイムに開店している状況を確認して約束の場所にむかおうとしたところで、申し合わせたように待ち人来たるでそのまま目的の店舗に直行した。

 

 

私はあいにく見逃してしまったのだが今日、早朝の空に圧巻の虹が出現したようだ。その様子を写真で見せてくれるA氏。

━ 最近やたらと虹が多く出るには理由があってな、コロナ禍で多くの旅人が出る時にあちらの世界へ行く橋が滞らないようにと、自然神が気を利かせるらしい。
それで空に、例年よりも多くの虹の橋が架かるそうだよ。


彼の話しも私に負けず劣らずシュールで、尚且つ生粋の霊能力が彼をそうさせるのか彼の話しには妙な説得力がある。

今朝、私も妙な時間にある珍事に振り回され、そのまま目が冴えて眠れずに居たところに窓からいきなり真っ赤な光が射し込んで来た。
いつもならばスマホを抱えて外に出て写真を撮りに行くのだけど、私は油断をしていない。どんな時にも新型コロナウィルスの変異株は身近にあることを意識しており、迂闊に外出はしないことに決めている。

無事に生き延びられれば、明日も来年も空を見上げる機会はふんだんに訪れるだろう。そう思い、軽く冷水を浴びて体を冷やして布団に入ったその後に、どうやら大きな虹が空に架かったようだ。

 

心眼が機能し始めると、途端に周囲の色々な現象の緩さを感じ、自分だけが少し秒針の早い時の流れの中に生きているかのような苛立ちに苛まれるようになる。
今朝起こった珍事も、そんな私の少し速い時の流れと相手との微妙な日常のズレ感が引き起こした事故のようなものだった。だが、今朝の私は「闇のカン」が異常に冴え渡っていた。

 
湧き上がる怒りを解き伏せることはせずに、私はその相手が二度と私に関われないよう、SNSの中の一個のネジをきつく締めてアクセス拒否を施した。

 


霊能者の彼も、そして芸術家の私も、各々の生活は実に慎ましいものである。
包み隠さず書くならば、今日のランチはコーヒー付きの中華で価格は650円だった。その650円を大の大人がそれぞれPayPayで支払い、それでもその瞬間会える奇跡を噛みしめ合っている。
 

年齢で言うならば私はもう、一般的には役職に就く年代に入っている。だが私は生粋の芸術家。
タレント活動もせず、スポンサーも付けず、日々を音楽と祈りと色々な世界の住人や神々との交信に、人生の全てを捧げ尽くして生きている。それはおそらく多くの人達には理解出来ない真の私の姿であり、それゆえに私は度々人に蔑まれ、差別を受け、偉そうに私の作品や生き方を批評(主に否定や拒絶)する輩も後を絶たない。

 
多くの音楽愛好家たちは、芸術家とアーティスト、アーティストとタレント音楽家の区別がついていない。それを彼等に教え諭す職に在る人達が、ある時期からごっそりと姿を消してしまったからだ。
だから私はそのようなおかしな常識(非常識とも言えるだろう)を正すべく、これからは自身のファンと言えども「ものの格」「ものの見極め方」をしっかり教育して行く必要性と危機意識を同時に感じている。
その為には先ず、私が手本を示さなければならない。
 

 

極力優雅に高飛車に、そしてクールに嫌味ったらしく相手をひざまづかせるまで、私は問い掛けの手を緩めぬことに決めた。

 

人の何倍もの人生を瞬時に生き、最近では色々な神々との交信に多くの時間を割いている。そしてその過程と経緯を全て含めて、自身の音楽に刻印している…、そんな作曲家が他に居るだろうか?
少なくとも私は未だ、そのような芸術家を見たことがない。
 

未だ誰も視たことのない、誰も知らない、誰も触れたことのない価値観や世界観を作品化する、それが私の今世の最大のミッションかもしれない。
理解出来ない相手には、とことん理解を促すか或いは互いの傷が浅いうちにそっと距離を置いて関わりを絶つか、何れかの二択である。
 

 


今朝の朝焼けは圧巻だった。
神々から人類への最後の執行猶予は、きっと人々の口元から言葉を全て奪い去って行く氷のような恩情に満ちており、それを感じ取った人々を静かにひざまづかせて行く。

それが神々の愛であり、人類は未熟ながらもそんな神々の「恩」を誠実な思いで受け取らなければいけない。

 
2021年8月某日、夫・天野玄斎と私は二人揃って「霊質学者」の称号を名乗ることに決めた。これは私達が… ではなく、プレアデス星団のJane女史が決定したことだ。
ありがたくその命にあやかりたいと思う。

そして同じくJaneは私に「比較音楽学者」を自ら名乗るべきだと言ってくれたので、その名に恥じぬよう今後ますますの精進を心に誓った。

 

初心に戻るのではなく、初心には戻らない進化を私は目指している。
リスタートやリセットは自ら決定して行くものであり、他者の胸先三寸やご機嫌に左右されたくはない。
なので今朝のSNS内での出来事のように私の実体や格を見極めず、私の作品や人生観を安直に批評し、偉そうにふんぞり返っているような相手に対しては、公衆の面前で言語を用いたフルボッコに処すこととする。

  

リリース前夜

間もなくニューアルバム『Heaven』がリリースされます。
 
勿論世界中のどのサブスクリプションからも一斉に開放されますが、願わくば [iTunes Music] や [Amazon Music] 等で購入頂けると有難いです。
私は音楽の性質上の理由で、一社のスポンサーも付けずに手弁当で地道に創作活動を続けておりますゆえ、ご理解・ご協力頂けると有難いです。
 


一つの仕事を終える度に、それまでの自分を見直すことが習慣として身に付いています。
ここ10年余りの私は、特にSNSでの人間関係を見直すことが増えました。
 

SNSの活動は私にとって励みになることもあれば、そうではない場合も多々生じます。
多くのSNSに於いて、参加者の大半が匿名ないしはハンドルネームを使用している為、その実体は殆どがベールに包まれた状態です。でも私は芸名に付け加え本名や学歴・職歴の中の公開出来る部分の大半を公開している為、SNSに参加されている多くの方々が私・Didier Merahの半生の流れをざっと目で追うことが出来ます。
ですが私には、私を取り囲む殆どの方々の人生の流れを目で追うことは出来ません。
 

本来私のような職種の人間は、受け身で居続けた方が何かとやりやすい事の方が多いです。でも私はどちらかと言うと「発見者」の側に居る為、私の方からお相手に(SNS内で)話し掛けて行くことの方が多かったように思います。
それをここで打ち切ることにしました。
 

SNSの中に流れる星のひとつがとても美しく瞬いて視える時、その星に私は自らアクセスして行くことがあります。ですが相手によってはそれがとても鬱陶しく感じる場合もあると分かったので、アルバム『Heaven』のリリースを切っ掛けに私も、SNSでの立ち振る舞い方を完全に受動態に切り替えることに決めました。
 

私はSNSの空に流れる多くの星の中でも、一際際立って美しい輝きを放っていなければなりません。そういう星は至って孤独であり、人々が容易く手を触れることは出来ません。
私はそうあるべきだと、或る方との会話の中で気付かされました。
 

 
さて、あと数時間でアルバム『Heaven』が遂に、産声を上げます。
 

このアルバムはけっして生易しい「癒し」ではなく、多くの生命の消滅とこの地球の転換期を、そしてこの世界の終わりまでを音楽で描いています。
各曲のタイトルで、それを表していますので、その辺りを少しだけ想像しながらお聴き頂ければ幸いです。

未来を視る時

5月も月の半分を越えました。私は日々の作業を進めがてら、再発したばね指に時折痛みが走ることもあり、作業⇔安静 を往復しながらの生活が続いています。
どうやらこれは職業病の一種で、どうしたって練習を継続している以上なかなか治りが遅いのも又事実です。
このまま痛みが抜けないようであれば整形外科に再びお世話になろうと思っていますが、今のところ炎症箇所の引っ掛かりが発生していないので少しの間様子見になりそうです。
 
未来の話、近く訪れるであろう山暮らしのことなど、夫婦間の話題は尽きません。ですが色んなことが遅々として進まない今は、余り先々のことを空想するのはやめておきます。いざ事が進み始めた時に「こんな筈じゃなかった‥」と意気消沈するのは嫌なので。

奇跡は「望み過ぎない」ことが肝心。ご褒美は狙って頂くものではないですから、ここはじっと我慢の子です。

プレアデス星のJaneとの会話もずっと継続していますが、視えている未来が余り明るくないのでやはりここには未だ書くことが出来そうにありません。
 


一人一人の利他的な心掛けが無ければ、この先の地球の未来に無限の光が降り注ぐことはないのでしょう。
ですが現在の地球上の人々の多くは、常に全てを誰か、何かのせいにして責任を回避するような、そんな人達が多く存在しているのも又事実。又元の日常がこのウィルス・パンデミック後に戻って来ると信じている人達が大多数ですが、そんなものはもう二度と戻っては来ないのです。
 
先ず、その現実と近未来を皆が受け容れて、厳粛に清楚に、そしてもっと禁欲的に生きる術を模索しなければ、地球はもっともっと大きなトラブルを発生させることになるでしょう。
 
 
自堕落と快楽主義は、ただの悪です。
音楽にこれを例えるならば、爆音やその場凌ぎの表現、そして酒や欲情的な感覚を共にしなけば成り立たない(聴けない)ような音楽等、全てごっそりこの世から消し去るべきです。
なので私は常々そういう人や場所、現象をターゲットしては「消えて下さい」「消えなさい」と念じながら、段々と現実がそうなって行く状況を静かに見守り、なるべく早い時期に地球全体がさらなる静寂を取り戻すことを願ってやみません。

 
今日は都内某所のダッキーダックで宮崎マンゴーのズコットを2個も平らげて帰宅しました🥭
本当に美味しかったのです。
 
Janeと夫と私の三人の会話をするにあたりテレパシーをがんがん使ったので、流石に脳が熱くて疲れました。少し休んでから、夕食の支度に取り掛かるとしましょう。
 

 


境界線


世界は絶妙なタイミングで変化し続けています。
まるで季節が夏から秋へと向かうような自然な流れを装いながら、地球人と言う赤子を沢山の自然神の面々があやしながら、あっちへ行けこっちに向かえと言って飴を鞭を使い分けるように‥。

この何とも絶妙な転機を私たち人類はどのように感じ、そしてどのように乗りこなして次の時代へとシフトして行けるのか、行けないのか‥。何もかもが手探りなのだからそこには最初から存在する明確な回答などは一つも無くて、それでも私たち人類はこれまでとは違うやり方、生き方、ものの考え方、価値観や哲学観に絶対にシフトしなければいけないと自然神は解きます。


私が度々書く「自然神」と言う単語に拒絶反応を示される方々が居ることも、私には分かっています。それはご自身がこれまで達成出来ていた筈のマウントに対する敗北感に似て、私如きの社会的な立場の弱い芸術家に負けるわけがないと言う既存の秩序が音も無く崩壊してしまうのではないかと言う不安の上に成り立つ、後先のない真の敗北を真のあたりにすることへの恐怖に似ています。

ですが私は常に、そんな横暴かつ無謀なマウントに今日までじっと耐えながら芸術活動を続けて来ました。
確かに今日まで勝ち目のない戦を延々と続けているようなところもありました。ですがこのコロナ禍が皮肉にも切っ掛けとなり、私と時代の間に長い間立ち塞がっていた壁が一気に崩れた感は否めません。
これまで高い所にあった壁が、急激にその高さを変えて私の手の届く場所まで降りて来たような、ある種の私自身の人生の見通しが立ったと言っても過言ではないでしょう。


Twitterその他Facebook等のSNSのプロフィール欄に、私はある時期から私のありのままの姿を人生及び魂の履歴の一つとして書き加えており、最近はTwitterで私の過去世 J.S.Bachについての色々な話を綴っています。
その度に味方ではないと思えるような方々からのDMがひっきりなしに舞い込んで来るようになりましたが、だったら私の説に反する先方の方々からBachの隠された逸話が聞けたのかと言われると、そうではありません。

だからと言って私はBachを武器に自分の芸術活動やその履歴を美化したいわけではなく、ただただ間違ったJ.S.Bachの説をシンプルに穏やかに軌道修正がしたいだけなのです。

それは私が今日まで音楽を続けて来れた原動力の一つでもありますし、これから世界中の音楽愛好家や音楽家の卵たちに絶対に必要となる学説や音楽理論の新たなベースともなり得るものだと、私は確信しています。
 

色々な意味で、世界は転換期を迎えています。既にその旨私は1990年の湾岸戦争の頃から予期しており、いつか世界は逃れようのない時代の境界線に立たされる時が来ることを知っていました。
だからと言って自分の生活を一気に変えて行くこと等出来ない、私にとっては闇の数十年が経過し、最後の最後で夫や日本神界の神々によって救われたと感じています。

夫と初めて会った日のことを、私は今でも忘れることが出来ません。
あの日は丁度薄曇りの朝。前日の疲労が祟り、その日は夜中から酷い腹痛と偏頭痛と吐き気に見舞われ、本当ならばそんな日に人と会う約束などあっさりキャンセルする筈がどうしても夫との約束だけは守らなければならないのだと、私の本能がそう叫び続ける朝でした。

そして朝っぱらから一本1,500円ランクのユンケルと胃薬と正露丸、そして頭痛薬を服用し、一時間予定よりも前倒しで支度を始めました。

途中如何なるアクシデントが起きてもいいように、先ずは心のゆとりを持つことが大切。そして予定は意外にサクサク進み、結果的に私は50分も早く約束の場所に到着することが出来ました。
自宅を出発する時は不具合だらけだった体調も段々と時間を経て快方に向かい、現地に到着した時にはかなり好くなっていたのが不思議でした。


あの時私が無理を押して夫に会っていなければ、今の私は居なかったでしょう。あの時も私は、人生の大きな大きな境界線を何とか乗り越えたことを強く実感しました。


今私たち人類は色んな意味で、これまでには無いくらいの大きな境界線に立たされています。
境界線には好い境界線もあれば、そうではない境界線もあります。まさしく今、人類は後者の境界線上に立たされていると言っても過言ではないでしょう。この境界線から先には、キャンセルが利きません。乗り越えて先に進むしか、他に方法が無いのです。

色々書きたいことを整理せずに、又もや多くの思い出話をしてしまいましたが、今私が聴いているのはCesare Piccoの比較的新しいアルバムです。
Cesare氏の比較的初期の香りが漂う、不穏で神秘的な作品がずらりと並ぶ秀作です。




今日も即興ブログを最後までお読み頂き、ありがとう御座います💛

大地の声

 

 

 

 

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ニューアルバム『World Of Nature』(今春リリース予定)のレコーディングも間もなく大詰めを迎えます。それにともない、暫くの間YouTubeトーク番組『Didier Merah Talk』及び各サブスクリプションでのPlay Listの作成をお休みさせて頂いております。

今はただ、目の前の色々な課題に集中し、その一つ一つを丁寧に消化して行くこと。そのことだけを考えて生きています。

 

アルバムの要 『Volcano』 を録音した時は、これまでにない緊張と重圧に見舞われました。
毎回毎回のレコーディングには必然的にシュールな経験が伴い、それがとどまる事はこれまで一度もありませんでした。毎回毎回がスピリチュアルな何者かとの戦いであり、特に私の創作活動は「未だ見ぬ感覚をこの世界でリスナーと共有すること」に焦点を当てている為、その妨害圧が必ず発生します。

 

今回のアルバムは出足からその状態が続いており、私が動くと大地が動きどこかが揺れて燃える‥、そんな状況が繰り返し起きています。勿論私は大掛かりな預言みたいなことをする気は全く無いのですが、結果的にそうなって行く‥ と表現した方が現実に近いのかもしれません。

 

日々、神人共食を繰り返している中で感覚の回線だけが密に力を増している事も又事実ですが、だからと言って私一人の力などたかが知れています。なので、どこかで何かがあるかもしれない‥ 等と言ったところで誰一人私には守ることも出来ません。
だったらそれを言葉にして発信するよりも音楽と言う他の手法に代えて、一人でも多くのシュールな感覚を開けて行くことに注力した方が良いのでは‥。最近そう考えるようになりました。

 

ここ最近、日々のヴォイスレターの代わりにツイキャスを使って、私のありのままの思いを発信しています。Twitterに余り馴染のない方には少し遠いツールのように感じられるかもしれませんが、今の私にとってはとても手軽でライトに自分発信の出来る、本当に便利なツールだと思っています。
概ね二日から三日に一度は配信して行こうと決めて、先程も少し長めの配信を終えたところです。

 

 

売り物の少ないわたくし、色々と日々のことを切り詰めて何とか生きています。
なので色々と考えた結果、ツイキャスのアーカイヴを二日間だけ残した後一旦アーカイヴを削除して、SNS note から有料で販売して行くことにしました。

概ね200円から300円前後の価格設定ですので、皆様よろしかったら是非購読・応援等よろしくお願い致します。

 

サブスクリプション推しをしている為、最近経年劣化で壊れてしまったオーディオ機器の買い替え等が出来ない状況に追い込まれています。
Amazonの「Didier Merahの欲しいものリスト」に色々欲しいものをアップしています。商品を選んで「送り先」を「Didier Merah」に設定して頂くと、私に届くようになっています。
恩返しは全て音楽、そして時々コミュニケーションにてさせて頂くことに決めています。この世界で未だ誰も聴いたことのない音楽や世界観を、Didier Merahが粛々と発信して行きますので、何卒諸々応援頂けると有難いです。

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/3O4UMPOM1PBFS?ref_=wl_share

 

さて、ここからあらためてのラストスパート。気合いを入れて頑張って行きたいと思います。

 

 

意思を貫くこと

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外側に活動を全く出さない日にも私の身には、常に色々な出来事が降り掛かる。良い出来事もあればそうではないことも含め、全てが自分の創作活動の糧になって行くと、最近は感情をセーヴすることがかなり出来るようになったかもしれない。

 

この数日間、と言うか常に…、私にはルックダウンが付いて回る。芸術家っぽくないいでたち、振る舞い、そして持って生まれたお人好しな性格が吉と出る時もあれば凶と出る日もあり、なるべく感情に落とし込まないようこれでもかなり努力はしているものの、やはりその日の波の悪いところにその出来事が挟まってしまった場合にはかなり気が滅入る。

 

そんな時の為に音楽があるじゃないの‥。

ふと、そんな天の声が木霊のようにリビングに響き渡るが、案外そうとも言い切れないところが苦しいところでもある。

 

 

芸術家って何よ?! 皆、同じ人間でしょ?!

最近よく言われる一言ではあるが、個人的にはこれは大きな間違いだと私は思っている。
人間、同じなどと言う事はない。その人の持って生まれた「格」のようなものが横一列である筈はなく、私はそうした事に対してはしっかりと線引きをし、差別すべきだと思っている。
本来ひと目見れば分かる物事が、全く通じない人がいる。或いは相手はその旨分かっており理解もしているのに、絶対にそれを受け入れようとせず、こちら側に向かってマウントして来る事の方が多いかもしれない。

 

一旦マウントが始まった場合には、相手が勝つか此方が勝ち抜けるか何れか一つしか生き残る道はない。そうなった時私は、相手のマウントには絶対に動じない、相手を完全に遣り込めるまで戦いの手を緩めたりはしないと決めている。

その結果、常に私には別れが付き纏う。

 

多くはとてもつまらない戦いに終始する。

相手の心情の中には常に、「皆、同じ人間でしょ?! 対等でしょ?!」と言う愚痴のような嘆きが響き渡り、私も同じく「人間、皆同じなわけないですよ。少なくとも物を生み出す人間や、イマジネーションやインスピレーションに真摯に向き合っている人は絶対的にリスペクトの対象となるべきです。」と言って返す。

 

恩師が昔放った言葉を常に思い浮かべる。

━ 良い師を見つけるのは、優れた弟子だけです。

━ そしてそのような優れた才能を持つ弟子を千人の児童の中から見抜けるのも又、優れた師だけなのです。

 
私には常に、良い師との巡り合わせがあり、その点では本当に恵まれていると思う。それは過去世でも同様で、それらの記憶を全て喪失することなく今世に生まれ落ちたことも含め、私はかなりツイているように思う。

勿論その最たる人は、今の夫である。

一見普通の人間の皮をかぶった普通の人に見えなくもないが、私にとって彼は全く違う種の人であり、ともすると人間に見えない瞬間も多々ある。

 

そんな夫の活動を私も又音楽活動で支え、サポートして行く為にも私は、自身の格を絶対に貶めるような言動を取るべきではないし、実際に此方の格や気質を下んじる相手に対しては徹底抗戦しなければいけないとも思っている。

 

仮にそのことで多くを敵に回したとしても、私は構わない。
秀でた人間は秀でた相手と関わるべきであり、私はその筋だけは曲げずにこれからも生きて行こうと思っている。

 

 

 
⇧ 2019年のクリスマスの為に私が作ったSpotifyのPlayListです。
宜しかったら是非、シェア、フォロー等してガンガン聴いて下さい🎧

 

Intangible Seeds

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日々、炎天下で人肌に包まれているような暑さを何と表現すれば好いのかさえ、もう分からない程の酷暑続き。夏は好きだけど暑さには余り強くない体に生まれ付いているので、特に台所仕事が大変。
時々息が上がって倒れ込むこともあり、寝室にはペットボトル一本のミネラルウォーターが欠かせない。

 

先週末の連休は予定していた作業を延期して、体を休めたり料理をしたり… ととにかくリラックスに努めて過ごしていた。
無性に「黄色いスパイス」を体が欲するので、連休中だけで三回から四回、ターメリックライスを作って食べる他に、大鍋一杯のカレーを少しずつ胃袋に仕舞い込んで行った。
カレーはラム肉とキノコを使用して煮込んで行ったが、これが今の気分にドンピシャリだった。粛々と煮込んで行き、実は今日はまだその残りを昼ごはんに食べている(笑)。
勿論一日2・3回は火を通しているので傷むことはなく、今日は濃く煮詰まったカレーをミルクで溶いてカレースープにアレンジして最後の一滴まで平らげる予定。

 

 

この一週間、色々な文字が容赦なく目に飛び込んで来る度に、実はとても胸を痛めてその様子を見ている。
バーチャルが人をそうさせるのか、それともそういう人たちはリアルでもとても獰猛な生き方を好んでそうしているのか、最近のインターネットの中を飛び交う多くの言葉に潜む暴力性が目にも胃にも、そして脳に突き刺さる。

 

だが私が今為すべきことを、そっと思う。冷静に、冷静に、そして上品に。

今年の初めに在る存在が私に、「何があってもエレガントに振る舞いなさい。」と助言を送ってくれた。それは言葉と言うよりも信号のような、命令のようなシグナルとして私の元に届いたので、私はそれがとてもゆかりの深い存在から私にタイムリーに届けられたとても重要なメッセージだと認識し、以来そのアドバイス通りに言動をコントロールして暮らしている。

 
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いつもよりは明らかに早く訪れた夏は、日本と言う島のあちらこちらに大きな傷を負わせながら上空を独占している。沢山の被害、多くの被災者たちがこの島の至る場所で困り果てながら、この夏をどう乗り越えて生きて行こうかと考えあぐねている。

私はただ、思う、祈ることしか出来ない。だがそれは「思う」だけの祈りではなく、物質のない形に置き換えて地球上に発信することの出来るもの。

美しいものを作り、風のようにそれらを地上に蒔いて行くこと。それが私のおシゴト。

 

 

体調が例年になく今ひとつなので、長い夏休みを頂くかもしれません。
でもその間、音楽とは片時も離れずに、自分自身の内なる音と会話を重ねながら次に向かって歩んで行きます。

 

私を呼ぶ樹、呼ぶ河

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時の舟に乗り込んだ。そう感じたのは先日、或る作品を録音した直後のことだった。

 

いつも私は「」や「タイミング」に強く守られながら、今ここまで生き抜いて来られたと思う。それ程勤勉に生きて来たわけではないのにここぞと言う時になると直感が働き、それは赤いランプのように私の脳裏で点滅し始める。

不思議なのは今、この瞬間点滅しているからと言って一時間後も同じようにそうしているわけではなく、まるで宇宙を移動する星の如く全ての現象は一箇所に留まらないこと。それは気紛れな印象を人に与えることも多々あるが、実際にはそうではなく「宿命」とも言うべき糸が私だけに見せる風景かもしれない。

 

ひと月前とは明らかに私自身、私の周囲そして周囲に居る人たちの私を見る目が変わったように思う。ある意味ではそれは私の内面の変化とも取れなくもないが、確かにそれだけではない何かが私の周囲を暖かな天体のように巡り始めた。

既存の演奏家・伴奏家と言う職を退き、文字通り「芸術家」らしい静かな暮らしを続けている今が、なぜかこれまでの人生の中で最も忙しい。
エチュードと基礎連をしようと思い鍵盤に向かうが実際にそうし続けることはとても困難で、私は常に新しい旋律やコード・プログレッションに引き寄せられ、音の長い河を彷徨い始める。

 

河にゴールはない。そこがゴールだと思った場所がその時々のゴールであり、それらは日々の中に点在する偽終始のように次へと全てが続いている。鍵盤から手を離す時いつも「嗚呼終わってしまった…」とため息が漏れるが、背中も額も両の腕もゆびさきも汗でびっしょり濡れている。
空調を冷房にしてもドライのパワフルにしても汗は引かない。

全身汗だくの私の体内に、気持ち良さそうに巨木のオリーヴの精霊「オリジン」が左右に体を揺らしながら、さっきまで私が演奏していた新作の旋律を木霊のように繰り返す。それはまるで精霊のシエスタのようでもあるし、何よりオリジンが歌い始めると周囲の木々やご神木も一緒に歌い踊り、騒ぎ始めるから、私はそれで時折酷い頭痛に悩まされる。

 

木々の念は人の念よりも激しく強く、そして長い。一個の感情が発生するとそれは鉄の滝でも流れ出したように私の脳を直撃し、数時間引くことがない。私はその間ずっと激しい頭痛に悩まされることになるが、その強さこそが木々の感情表現なのだからそれを受け入れることしか私には出来ない。

幾つもの生命の記憶、そして今を生きる精霊や古木、ご神木たちと共に在る今日と言う瞬間は、それが同じように続いて行くからこそ深い幸せで満たされる。

 

先日古い友人にお詫びがてら「私を巡る環境が一変しました。」と伝えた時、友人の反応は殆どなかった。
確かに傍目には何も起きていない、まるで地震の一週間前に私にだけ「無数のウーパールーパーたちが地下を疾走するような不可思議な足音」が聴こえたように、この感覚を共有する相手は未だこの地上には殆ど存在しない。

 

現在、同時進行で複数の企画が動いている。その企画の幾つかは、音楽史をこれまでとは違う流れへと大きく変えて行くかもしれない。

新しい時代が、木々が、そして大きな流れが… 実はそう遠くない場所から、
静かに私を呼んでいる。

 

 

 

YouTubeは、Ivan Lins の “Lembra de mim” のスタジオLive。命を削って演奏するとはこういうことかと、息を呑んで聴き入ってしまう。
曲タイトルの「Lembra de mim」は英語で「Remember me」の意味になる。

 

My Petit Ship

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魂を何処かに運んで行く舟。そんな舟にそっと乗り合わせていることを最近、強く感じながら生きている。

それは「」と言う個の意識が始まった時から既に在る話。まるで私鉄から地下鉄、地下鉄からバスへ、或いは特急列車のドアが時々目の前で開くこともあり、ヒトの意識で思うよりも素早く魂がその扉に飛び移って行く感覚。

最早その瞬間の「私」は「私」と言う意識を完全に喪失し、私以前の魂のレベルでものを考え、思い、どこか見知らぬ世界へと繋がるレールを運ばれている。

 

最近、と頻繁に会話をする。

樹はとても長い時間を超えて生きており、神木ともなるとそれは数百年数千年の時間の流れを既に知っている。それは人間である今の私の想像を遥かに超えた意識の一つであるが、ものの意識にはある一定のリズムや呼吸のスパンが存在していることに気付かされる。
私もそのリズムや呼吸の中に在り、それは一個のヒトの思考を超えたもっと大きな流れを形成しているように思えてならない。

勿論この世界に「今の私」が誕生してからは53年と半年と言う月日が経過し、命のカウントは一先ずその法則の中で行うわけだけど、私は自身がJ.S.Bach以前のもっともっと古い時間の中に在った時からの微かな記憶に基づいて今世を生きているようにも感じている。

それを言葉で表現することはとても難しいし困難だが、聴き手を「人間」に限定しなければ縦横無尽なテレパシーとしてもっと別の生命や魂に、この難しい思考や感覚を伝えることが出来ることを確信している。

 

 

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街を行けばその都度樹に呼び止められる。それは会話と言うより「風のささやき」に似た音声が脳の中に直接語りかけて来るような感じに似て、その些細な音声は私の心が乱れていたり怒りで気が荒れている時には殆ど届かなくなる。

樹はそういう時の私に「少し落ち着きなさい」と言って道々の樹々を伝って風を利用しながら私に直接触れようとし、細い小枝が皮膚に触れた瞬間に私は彼等の思いに気付くこともある。

 

最近人の世界が本当に嫌になって来た。
樹々が静かで広いコミュニティーを形成しているのは、お互いの心情や心音に敏感だから。その敏感さは人間世界では「過敏症」だと受け取られ、私が放つ一言一句を大雑把に、まるで新聞紙にゴミでもくるんで捨てるように一部の人たちが私を揶揄する。勿論本人たちにはそれが揶揄だと言う認識は全くなくて、まるで広い心で物事を俯瞰する達人のような形相で私を諭しにかかって来る。

それらの大半が間違った諭しである為、とてつもなく気持ちが悪い(笑)。

 

私の生い立ちや血筋の話を未だ、殆どの人たちは知らない。おいそれと、それを口にすることには大きな恐怖心と躊躇があるけれど、視える人にはそれが視えると分かると私はやはり「視える」人たちとだけ関わって生きて行く方が何かと自由でのびのびと振る舞えるのではないか、とも思う。

但しこれは物質世界に対する嫌悪ではなく、あくまで一部の(いえ、多くの)ヒトの退化の現象を私がかなり間近に感じ取っている証しでもあり、視えない人に「視てね」と願っても無駄だし、感じない人たちに「もっと敏感に感じ取ってね」と言うことも出来ない大いなるもどかしさの中で若干、私は空回りしてもがいているのかもしれない。

 

Didier Merahの作品を聴いて頂ければ私が、どのような感覚で常日頃生きているのかについては私の文字を視るよりも明らかだ‥ と言いたいところだけど、その感覚を鎖しているものが人の「強欲さ」や「承認欲求」の一種であるとするならば、多分私は人間の中の「異種」に相当し、結局のところ私は「ただの異種」として扱われているに過ぎない、とも言えそうだ。

 

宇宙人とヒトとの会話がきっと難しいように、私もそれなりの不満や不服をしっかりと相手に伝えつつ、そこには感覚の大きな壁が在ると言うことも重々認識しながら人里からもっともっと遠くに離れて生きて行くことを選択した方が、きっと何かと衝突が起きないだろうし(双方に)行き違いや不満も生まれずに済むのだろう。

時に、寂しさが災いし、ニンゲンと深く会話を試みたくなる衝動をむしろ私の方が抑え込まなければならない辺り、ヒトと言う箱に生まれ付いた厄介さを今頃、さらに痛感している。