近況報告、そして霊界司法について

暫くブログの更新が途絶えていましたが、その間にも沢山の方々が色々な方法でこのブログに辿り着いて下さったことを知っています。
どのような心情で私のブログを読んで頂けているのか、少し不安もありますが私は常に等身大、ありのままを生きているので、誰に何をどう思われたとしても自分自身の生き方に私は自信と誇りを持っています。
 

数か月間、夫: 天野玄斎の活動のサポートの意味も込めて宇宙関連やスピリチュアル系、霊能者関連などの発信が増えていました。
ですが私の根っこは音楽家であり、現在は音楽評論家: 花島ダリアとしての仕事も抱えています。なので活動の軸足から極力脱線しないように努めるべく、ここからは自分自身に光を当てて行くことを今は第一に考えています。
 

 
ご周知の通り私は一昨年の実母の他界を機に、母が(実は家族誰にも内緒で)一人でひっそりと抱え込んでいた色々な資産を承継し、現在は夫共々「生活をする為の収入」を得る必要が全くなくなりました。
 
本来母は(彼女の談によれば)某王室の資産の一部を継承している筈なので、私も弟もここまでの金銭の苦労をしなくて済んだ筈でした。
ですが母は自分が所持していた資産の大半を、父を含む母以外の家族全員に一切伏せていました。
 
いつの頃からか、我が家は「清貧思想」に彩られて行きました。
そんなある日、桐朋学園音楽高校の私の学費が捻出出来ないと言う母の言葉を真に受け、実際に教務課に「奨学金」の申請用紙を取りに行ったことがありました。
ところがその用紙を持って家に帰るや否や、母に頬を何度も殴打され、「こんなものを貰いに行ったら恥ずかしいったらありゃしない!」と言われ、実際には当時の我が家の収入が奨学金を申請する条件には満たないことがうっすらと発覚しました。
 
紆余曲折があり、私は人生の折り返しを経た時にようやく自分自身の等身大の人生を得ることが出来ました。
それまでの幾つかの過去世で積んだ陰徳には全く気が付かず、現在の私には金銭的な資産以上の魂の巨額な陰徳が備わっているようです。
「少しは使ったら?」と度々夫には言われますが、それはいざと言う時の為に取っておきたいと思っています。
 

 
未だ多くを口外出来ない状況ですが、記事『Reset – 2023.02.24』でも少しだけ綴った「霊界司法」の担当者(人間ではありません)とは度々コンタクトしています。

と言うより、山田家全員及び弟: 山田大輔(故)関連の霊界裁判は現在も継続中で、それにともなう弟の奥様の件では未だ調査が続いています。
その調査に一つの区切りが付いたようです。
 

 
現世では弟の方が法律の道を目指しており、東大の法律科(文Ⅰ)を卒業しているのは私ではなく弟の方でした。
勿論私は六法全書を丸飲みする程の記憶力はありませんが、法の何たるかの基礎のようなものが霊体に備わっているようです。固有名詞の記憶の苦労さえなければそれなりにその道を進むことも、きっと出来たでしょう。
 
私には音楽のミッションがあるので当然の如く「法律」の道は選択しませんでしたが、一連の霊界裁判を通じ霊界司法の担当者から色々な話を聞く間に、少し血が騒ぐような感覚が度々発生します。
 
話を戻して。
弟: 山田大輔(故)の奥様の山田りえ(仮名)」は薬剤師(現在は中医学の薬剤師)の職に在る人物ですが、彼女が晩年の母に対し何をやったのか‥ と言う調書のようなものが作成されたとのこと。
勿論霊界裁判とは現実社会では裁けないことを、霊や魂の視点で裁いて行く手段なので、そこに進展が見られたからと言ってすぐさま現実生活に異変が起きるわけではありません。
 
ですが実際に母: 山田雅枝が2021年の8月のお盆期間中に某霊団によって霊体を抜き取られ、そこから約三か月後に亡くなっていると言う現実を私は目の当たりに見ています。
その状況にかなり近い審判が近日中に下され、晩年の弟: 山田大輔(故)及び母の最も近くに居た人にも晩年の母同様の処遇が下されるとの知らせがあったので、慎重にその経緯を今後見守ることになるかもしれません。
 
勿論決定日時などについては、直接私には告知されません。ですが雲を見ていれば、おのずとその兆候は私には分かります。
 
弟、そして母の死に関しては、私は私なりの「或る推理」に到達しています。その推理は現実世界で起きている案件に役立てることはとても難しく、尚且つ現実世界の司法を以て裁くことも困難でしょう。
でも霊界司法ならば、各々の魂や霊体の記憶を彼等には引き出すことが可能ですから、個別の情報を突き合わせて行けばおのずと真実に辿り着くことが出来るそうです。

私が抱いていた二人の家族の死の裏に在る「或る推理」が、あたらずと雖も遠からず‥ と言う連絡を昨日霊界司法の担当者から得ることが出来ました。
それによれば母も弟も、双方の死因はただの病死ではないようです。どうりで母の骨壺から「火葬許可証」もしくは「死亡診断書」が抜き取られていたわけです。そこに少なくとも、母の死因が明記されていた筈でしょうから。

 
ここ数日間、当ブログの山田家関連の記事に読者が多く来られているようです。
先方は先方の事情で、山田家関連の記事を読まなければならない必要に駆られているようです。
 
このブログには真実だけを綴っていますので、少なくとも私の家族二人(弟と母)に間接的にでも手をかけた人物については、各記事を追って頂ければとても詳細に綴っています。そして読まれた方々の思い込みや誤解も、私の綴ったものによって解けるのではないでしょうか。
 

彼女は善悪のどちら側にいたのでしょうか。

答えはとても近い将来、霊界の司法がきっと提示してくれる筈です。
「彼女」や生前の弟に関わった人たちの一部も「共犯者」として、おそらく霊界司法の手で裁かれることになるでしょう。

私はその成り行きを遠くから、じっと凝視しながら見守りたいと思います。

 
さて、暫くの期間私は「音楽評論家: 花島ダリア」としての活動の方に注力しようと思います。
それは数年後にリリースを予定している新しいアルバムの為の肉付けにもなるでしょうし、この数年で大幅人口削減が進んだ後の世の中に、私が今とは違うスタンスで存在する為の準備になると思っています。
 

音楽の何が正しくて何が間違っているのか。

先ずはそのベーシックを訂正しながら、未来の音楽の所在地を作って行かなければなりません。さしずめ鉄管工事とでも言うべき、それを黙々と「花島ダリア」として進めて行くつもりです。

ブログ『花島ダリアの音楽評論』: https://dahliahanashima.wordpress.com/


先ほど作ったSpotifyの新しいプレイリストには、世界の新譜を中心とした美しい音楽をスクラップしています。
与えられた才能は世の為、人の為にとことん使い込みたいと思います。

 

🌎New Chillout Times 2023′ vol.4

悪意の記録 2. – 遺言書作成過程の書類

少し過去に遡るがInstagramを介して匿名で私に接触して来た、「エル〇〇ト」なる人物のメッセージを読み返している。その中には私が一度も口外していない某弁護士の名前が、数か所に渡り記載されていた。
 
それはまさしく弟(故)の妻「山田りえ(仮名)」が、自身が喪主を名乗り出て執り行った母の葬儀の十日後に母「山田雅枝」の遺産相続を自分が出来るか否かの相談に向かった先の、弁護士の名前だ。
弁護士や相談者等は守秘義務を厳守することを事前に確約する筈だが、それより何より「山田りえ(仮名)」とその弁護士(Y氏)との相談内容を綴った書類が我が家のリビングに置かれていたことの方が、私にとってはよほどシュールな怪奇現象に思えてならない。
 
恐らく神が手助けをしてくれたに違いない。

 

また、りえ(仮名表記)さんにおきましては、あくまでも私個人の見解ですが、箱入り娘で育てられたような様子があり、ある種の経験を大きく欠いているかと思います。それ故に、遠矢様からの立て続けの電話のコールに一人きりでいた彼女は相当に恐怖感を覚えたようです。
とはいえ、電話を折り返す必要があったと思いますし、弁護士を通してではなく、遠矢様と直接話し合う必要があったとも思います。
 
生前のお母様からの言伝や一言には書けないいくつかの事情が重なり、遠矢様に失礼になるようなえりさんの対応があったと思います。遠矢様に対して誠意を欠いていると言われるのはその通りかとも思います。
 

Instagramの「エル〇〇ト」が私に宛てたDMより

 
上記はその時のメッセージの一文を、人物名を仮名表記に差し替えてコピーしたものだが、このDMの送信者である「エル〇〇ト」が仮に「山田りえ(仮名)」とは異なるあかの他人だとするならば、何故私と「山田りえ(仮名)」間に起こった現象をまるで現実に目の前で起こったことのように、ここまで断言して書くことが出来るのかが非常に疑問だ。
彼女はこの「偽り」の名前を用いて、私に何を訴えたかったのだろうか‥。
 

弟の遺品の中から、どこか病んだ人が書くような「散文詩」のような葉書が不達で戻って来た状態で仕舞われていた。
そこには「法」の文字が羅列され、自身をまるで創造神の如く祀り上げんばかりの勢いで、自分を自分で鼓舞しているとも取れるような詩が綴られていた。

 

 
弟・大輔を加害者と見るか、被害者と見るかはその時々の場面設定で微妙に変わって来るが、この散文詩のような年賀状に書かれてある「良心」が彼に皆無であったことは、弟亡き今最早確定事項と言っても良いだろう。

少なくとも姉の私を徹底排除すると言う家庭内の悪しき決め事に於ける不正を一切正さなかった、彼の言動のどこに「法」の正当性を立証出来るのか。
私が弟・大輔(故)の妻「山田りえ(仮名)」とその両親姉妹に対し、それを是非とも問いたい心境は今も変わらない。
 

さて、話題が大きく迂回したが、この記事の最後に父が遺言書を作成するにあたり交わされた家族会議の記録として、以下のような文書が遺されていたので、それを貼っておきたい。
 
母は私を長年「社会的弱者」として扱い尽くし、差別し、過剰な虐待を加え続け、それを誰も止めなかった。
勿論父も弟も、そしてそれ以外の親族全員がその事実を見て見ぬふりをして来たことは、私以外の家族全員の死後に、私に対する彼等の接し方からも十分に証明することが可能だ。

この現象こそが不正・理不尽そのものであることに於いて誰一人言及すらせず、訂正もしないのだから、私が彼等全員の前途からどれだけ未来と光を奪い取ろうが誰にも文句は言えまい。
勿論私はその旨現実的な行動を起こそうとは思っていない。それ以外の方法にて、人生最初で最後に「それ」を粛々と実行するのみだ。
 

それは祈りと呪詛との境界線にある、やはりこれも切なる祈りに違いない。
その「祈り」を今後折に触れ、継続して行きたいと思っている。
 
 
山田家が私を徹底排除し続けた証拠の一つである「その文書」をこの今日の最後に、この記事を〆たい。

 

 

最期の番人

一昨日に遺品回収整理の最終立ち会いに、そして昨日は実家の売却に向けた不動産関係者の視察の為、夫の運転で実家に行って来ました。
 
老人の一人暮らしの成れの果て状態だった実家から一斉に、アップライトピアノと古いアルバムや個人宛ての手紙等の入った段ボール10個以外の、全ての荷物がなくなりました。
 
家族の位牌や遺影、その他弟が大切にしていた楽器等、色々迷った挙句私は全てを手放すことに決めました。
位牌や遺影はお焚き上げに出して下さるでしょうし、楽器はそれを必要とする人の元に向かうでしょう。
 
 
一度心に付いた思春期の古傷は、どうやっても癒えることなどありません。
特に私は記憶が劣化しない特異体質を持っている為、何もかもが「思い出」だとか「懐かしい記憶」に変ることがありません。
全ては昨日の出来事のように、この胸の中で永遠に巡り続けます。
 

 
都内某所の合祀墓に私を除く家族全員が今は静かに眠っていますが、それでも私が実家の敷地に入ると未だに悪さをして来ます。
どういうつもりなのか‥、彼等にとって私は人権すら与えられない「差別された人間」だと認識しているのか、それは分かりませんが、何はともあれ結果的に弟が私より先に亡くなり私が「家」の最期の番人になるとは想像すらしていなかったことなので、昨日は色々な過去の出来事が脳内を巡りとても複雑な気持ちになりました。
 

既に私は「捨てられた子」だったのでしょう。
ならば「捨てられた子」としての最期の見届け方があるでしょうし、私は最後までそれを務めて実家と今日まで彼等が行って来た「悪い連鎖」をここで断ち切らなければなりません。

現実的にも、そして霊的な意味合いでも。
 

 
実家の全体を写真に収めることには勇気が要ったので、私が長年使って来た実家の北部屋だけスマホに収めました。
この部屋に私は、長い間幽閉されて育ちました。

そのことを永遠に忘れることのないように、そして私をそういう目に遭わせて来た「山田家」と言う家族の罪と罰を私の中に永遠に留め置く為に、一つ一つのこれからの出来事を私は胸の中に封印して行きます。
 

「呪い」と言う言葉は好きではありませんが、こういう時の私の心情はまさにそれに近いのかもしれません。
私に理不尽を強いた家族親族(彼等に関わり私に同じく理不尽を強いた関係者を含む)の全ての未来から、せめて光を奪う権利ぐらいは私にもある筈です。
 
それはあくまで霊的な儀式として、私の中でしめやかに執り行うことに致します。