墓じまい

2022年10月14日、来る実母の一周忌を前に家族三人の墓じまいを済ませました。
 
当日母の骨壺を実家から墓地まで搬送し、指定の書類に必要事項を記入している最中に事務の方より、本来ならば母の骨壺に入ったままになっていなければならない筈の「火葬許可証」が入っていないことを告げられ、再度ビックリしました。
流石にここまでのことになって来るとあらためて、母の葬儀の喪主に勝手に名乗り出て私にひたすら内密にして、母を火葬した弟・山田大輔(故)の嫁「山田りえ(仮名)」さんが、益々怪しく見えて来ます‥。
 
何より今現在も彼女は私から必死に逃げ回っているのですから、流石にこの件の裏には何かあるのでしょう。
「山田りえ(仮名)」さんは元・薬剤師、現在は中医学関連店舗のスタッフとして、都内某所に勤務されています。
 
数か月前に私より「山田りえ(仮名)」さんのご実家へ、「山田雅枝 遺産相続の件」について詳細に書かれた書類のコピーを添えた書簡を送付していますが、その書簡にも「山田りえ(仮名)」さんのご両親からの返信はありませんでした。
ご家族揃って怪しい何かを隠蔽しているのか或いは、ご両親が娘可愛さに「山田りえ(仮名)」さんを庇っての既読スルーなのか。
 
何れにせよこの現状がある限り、いつか何等かの形で、彼らの身に必ず天罰が下ることでしょう。
 

 
かれこれ昨年末から10ヵ月間、親族その他関係者に送付した手紙の返信はお二人から届いただけで、他の親戚の方々からの返信の書簡はありませんでした。
何よりお墓を通じて、私を阻害・排除し続けて来た親族たちと繋がりを持ち続けるのは本意ではないので、予定を早めて墓じまいに踏み切りました。
 
流石に母の一周忌を迎えず‥ の合祀墓への埋葬には、当日「抜魂式」を担われた曹洞宗のご住職さんも驚かれたに違いありません。 
それより、途中住職さんがお使いになられていた鳴り物(印金)の音色が、抜魂式の後半に進むにしたがってくすみを帯びて来たのは一体何故だったのでしょうか‥。
 

 
おかしなことに、母の遺骨の入った骨壺の中から「火葬許可証」は抜き取られていたものの、代わりに眼鏡が入っていたことには少し笑いがこみ上げました。
笑ってる場合じゃないのですが、本来火葬直後の骨はとても高温なのでその段階で骨壺に、遺骨と一緒に眼鏡は入っていなかった筈です。
‥と言うことは、一旦骨壺を持ち帰った後に、誰かによって骨壺が開けられた後に母の眼鏡を、骨壺を開けた人物が「火葬許可証」とすり替えたと言う認識が正しいのでしょう。
 
本当に怖いですね。
そこまでして、母の火葬を買って出た人は一体、私に何を隠し通そうとしているのでしょうか。
考えれば考えただけ、恐ろしくなって来ます‥。
 

心に秘密(例えば犯罪に関わる隠し事等)や疚しい出来事を隠している人は、後に心臓に疾患を抱え込むことが多いようです。
 
物騒な話はこの辺りでお仕舞い。
本当に疲れているので、久々に明るめのブラジル音楽でも聴いて休みます。

この記事を読まれている皆様も、結婚相手を選ぶ際には人間性をよくよく見極めて、言葉の終わりの響きが曇る人、或いは不必要にシャキシャキとした口調で話す人にはくれぐれもご注意下さい。
 

母の誇りと「墓じまい」について

我が家は現在、絶賛引っ越しモードの最中にあります。

所謂‥ トラックで旧宅の荷物を一気に新居に運び込むのではなく、旧宅に荷物をある程度保管したまま新居を一から作り込むやり方で部屋作りを進めている為、通常の転居よりは少し時間と手間が掛かりそうです。

家具も一から夫が測って購入して組み立てているので、梱包を解いた後の段ボールの処理等を考えると二日から三日に一個の家具を増やして行くのが精一杯。
 

そんな中、母が未だ某所に資産を隠していたことが判明し、一旦終了した筈の遺産整理が再開されました。
ここは専門家の司法書士や税理士さんにお任せして、私たち夫婦は新居のお部屋作りの続きを継続しています。
 
急に重い荷物を担いだり環境の変化、その他シュールな変化などが続いた為(あるいは愛兎のマイケルの死で未だ私のメンタルが重く落ち込んでいる為‥)、一度更年期で終わった筈の「月のお客様」が再びお見えになり、ここ数日間はかなり酷い腰痛に悩まされている私。
 

 
現役の伴奏者時代に使っていたファイテンの腰痛サポーターを思い出し、先日遂に店舗に出向いてペンダントを含む色んなグッズを買い込んで来たところです。
 
旧宅でかなり古くなった固い布団に寝続けている間に正直かなり腰や背骨に負担が掛かってしまい、それが数年振りに急遽訪れなさった「月の訪問者」とも重なって、数日間殆ど布団から起き上がれずに居ました。
でも少しは体を動かした方が良いと思い、昨日の土曜日の夜にようやく馴染みのレストランにカジュアル・フレンチのプチ・フルコースを食べに出かけて来ました。
 

そこで出されたキャロット・スープが脳天を突き刺す美味しさで、前菜とメインディッシュの間とメインディッシュの後にもう一度、二度は飲まなければ帰れないと思い黒服さんにお願いしてリピートさせて頂きました🥕
 

 
今はもうない「グランドパレスホテル」では定番のこのスープが、都下の小ぶりなホテルのレストランで復活し、それを私たち夫婦は殆ど毎日頂くことが出来ているわけですから、これ程の名誉と幸福はありません。
 

そう言えば今回再燃した二度目の遺産相続ですが、一体母は何から自分自身と資産をここまで頑なに守り続けて来たのでしょうか‥。


先々週某日に或る封書が実家の郵便ポストに投函され、それを数日遅れで私が郵便ポストから拾い上げました。
普段の私ならばそこまで綿密に迅速に実家の手紙に対応することはないのに、あの時だけは違いました。封書をポストから受け取った翌朝に差出人として書かれていた銀行に電話を入れると、案の定そこには母がセキュリティーをMAXにした状態で温存していた銀行口座が存在し、それが未だ生きた状態で保存されていたと言うのだから、これにはさすがの司法書士さんも驚いたことでしょう。
 

 
ここからは一部私の、持ち前のテレパシーで受信した話が挟まります。真偽の程は五分五分と言う前提でお読み下さい。
 
母は生前、弟・大輔(故)の奥様の「りえさん(仮名)」に、何度か「自宅を譲りたい」旨の話をしていたようです。
最初はそれが母の本当の気持ちだった筈が、その件にまつわる一連の会話の中で母が(自身について)某王室の血を引くと言う話を「りえさん(仮名)」に伝えたことがあり、それを聞いた「りえさん(仮名)」の反応がどこか冗談でも聞いた時のようなふざけた表情だった為、途中から母の気持ちが変わったようです。
 

勿論この話は生前の母から直接聞いた話ではないですが、私は経歴にも書いてある通り「チャネラー」であり「テレパシスト」でもあるので、この辺りの話はもしかすると知っているのは「りえさん(仮名)」と私の世界でただ二人だけかもしれません。
 
以前一度だけ、Instagramで遭遇した‥ 表向きは「りえさん(仮名)」の知人と言う体(てい)の「エル〇〇ト(HN)」と言う人物が、誰も(私も)知らない母の事情を自分だけが知っている‥ と匂わせるようなメールを私に送信して来たことがありました。
仮にそれが真実だったとすればそれは、迂闊に第三者には話せない内容である筈。ですが問題はそこではなく、本来ならば「エル〇〇ト(HN)」しか知り得ない筈の話を、実は私が知っていたことの方でしょう。
 
音声に乗らない話を聞き取ることは、天界の音楽を聞き取るのと同様私にとっては日常茶飯事の動作にすぎません。

 
再開した二度目の遺産整理(相続)の元となった母の隠し資産の内容を見た時、それはただの数字の羅列に過ぎないにも関わらず私の目には、どこか特別な思いで母が内密に誰かから譲り受けた資産ではないかと直感しました。
 
母の口癖だった「ママはね、〇〇ダ〇伯爵の血を引いているのよ。」と言う言葉を、私は今でも忘れることが出来ません。
考えてみれば叔母の「昭子さん(仮名)」も面立ちが、現・英国の女王にとてもよく似ていました。これ以上の話については明言することも執筆することも私には現段階では出来ません。
ですが過去にお二人だけ、我が家の血筋について調べた人物が居て、その方々からは母が確かにそうした海外の王室の血筋を引く人物らしいと言うご報告を受けたことがありました。
 
母の誇りは本来ならばとても崇高なものである筈。ですが、彼女は余りに性格が歪んでしまい、最終的にはその崇高な資産を家族の誰にも悟られぬように独り占めし、誰の為に役立てることもなくこの世を去って行きました。
 
母の何よりの誇りは資産ではなく、おそらく「格」だったように思います。
 
本来持っていた筈の「格」を無謀に歪められた経験を持つ人は、往々にして性格がどこかの段階でねじ曲がってしまうことがあるようです。
私もその一人でした。ですが現・夫が偶然にも神武天皇の血を引く人だった為、私自身が抱え込んでいた性格の歪みから見事に私を救い出してくれました。
なので、私は母のような捻じ曲がった性格を、人生の半ばで修正することが出来たと思っています。
 

母にとって、もしも彼女の歪んだ性格を修正する機会を得られた時があったならば、仮にその切っ掛けになれたのはもしかすると私だけだったのかもしれません。
何故ならば私は母から聞いた「血筋」の話を真面目に受け取り、彼女の話に対して冗談めかした嘲笑を投げ返したことなど一度もなかったからです。
せめて母がその段階で私に対する「娘排除や差別」への執着に対する過ちに気付いて方向転換をしていてくれたら、母はあんなに寂しい最期を迎えずに済んだのかもしれません。
‥とは言え、もう後の祭りですが。
 

 
我が家の新居のお部屋作りは、暫くの間続きそうです。
この記事は先日夫が購入してくれたノートパソコンで書いていますが、未だ操作に慣れずに所々改行やらあちこちのレイアウトに難航しています。
 

とは言え我が家はこの転居の後に、母の遺骨の整理その他実家自体の清掃などが控えています。
これはInstagramの中では既に綴っていたことですが、実家「山田家」の墓じまいを予定しています。これについては弟・大輔(故)の奥様があらかじめ、山田雅枝(母)の遺産強奪計画書の中でも書いていたことなので、私は彼女「りえさん(仮名)」の意思を尊重し、父・寛、弟・大輔を含む家族三人のお墓をたたむ予定です。
 

 

今年の1月以降、私から数名の親戚に宛てて母の訃報と私が置かれた立場について、書簡を送りました。ですが親戚は誰一人、返信をよこしませんでした。
彼ら・彼女たちの中では私は「親戚の輪から排除すべき存在」と、誰かに叩き込まれていたのでしょう。ですがそうするか否かはあくまで個人の良識の問題です。
母の死から約9ヵ月間、時を経て様子を見て、これ以上全親族の間違いを継続させておくわけには行かないと言う判断に至りました。
ですので私は私の手で、「山田家」の墓じまいに踏み切ることに決めました。
 
現在私は「山田家」の唯一の法定相続人であり、墓地の管理者でもあります。
その私が弟・大輔(故)を含む私以外の家族全員の墓じまいに至るのは、至極当然でもあり、もう諸々じゅうぶんではないでしょうか‥。
 

よって弟・山田大輔(故)のお墓詣りも間もなく出来ない状況になりますので、この記事で告知させて頂きました。
これまで我が家、山田家の三人を厚く愛して下さった皆様へは、この場をお借りして娘であり法定相続人の私からお礼を申し上げます。
 

火のない送り火

2021年12月1日に実母がひっそりと他界し、今年が母の新盆にあたります。ですが母を火葬し喪主となって葬儀を執り行ったのは、実際の親族でも法定相続人でも何でもない弟・大輔(故)の奥様のりえさん(仮名)なので、きっと今頃母の新盆にまつわる行事は彼女が色々やっているのかもしれません。
 
なにせ母はカソリック教徒(表向きは)で麻布教会で葬儀が執り行われたと言う話が、従妹のInstagramの写真からも判明しているので、本来カソリック教徒には新盆も何もない筈です。
 
母の納骨の件、お墓の件諸々を親戚や親族に知らせることが現在は、私からは出来ない状況にあります。何故ならば母のみならず母を巡る親族全員が私を徹底的に排除し続け、一切の親族の冠婚葬祭から私を除け者にし続けた経緯があるからです。
又、大輔(故)の奥様のりえさん(仮名)が私から今も尚逃げ回っている以上、仮に母の納骨を済ませることが出来たとしてもそれは誰にも知られることのないまま、時間だけが過ぎて行くことになるでしょう。
 

りえさん(仮名)は私に無断で母の葬儀を勝手に執り行った日から10日後に、私には内緒で母の遺産を相続出来る方法がないかと言う相談を私の従妹のえみさん(仮名)と二人で弁護士に持ち掛けた人なので、従妹も同様に母のお墓の件や法事等についての連絡を私に取る‥ 等と言うことはもはや出来ないでしょう。
 

 
2022年7月31日 午後3時頃、愛兎のマイケルが他界。その直後から黒い霧が晴れたように、世界が(視界が)透明に輝き始めました。
多分‥ ですが、マイケルが母の呪いの全てをどこかに持ち去って行ったのだと思います。あの小さな体で母の呪いの念を全身で受け止めて、全力で私や夫、そして私達の前途・未来を守り抜いてくれたのだと思うと今でも、涙が溢れ出て来ます。
 

マイケルを火葬した日に最後にマイケルを葬儀場まで包んで運んだ時のバスタオルや、マイケルを最期に眠らせたブルーのファイバーマット等を綺麗に洗って、転居先に持って行けるよう畳んで仕舞いました。

ケージに差したままになっていた給水ボトルを見た夫が「水が腐るといけないから、これは早く処分した方がいいんじゃない?」と言ってくれたのですが、そこから3日後にようやく給水ボトルは洗って処分しました。
マイケルが逝く10日前までは食べ過ぎかと思う程よく食べていたペレットやオーツヘイの入った袋も、一先ず中身を分けて燃えるゴミと燃えないゴミとに分別して処分したところです。
 

時間は前に進むことしか出来ません。
先に旅立って逝った者をどのようにして弔えば良いのかと言うことについて、この半年間ずっと考えていました。幸い愛兎のマイケルは私達夫婦が温かく育てて見守って来たので、マイケルの死後もそれは変わりません。
一度インターセルフを経由して再び此方に戻って来たマイケルを、次はもっと健康な状態で第二の人生を謳歌させてあげたいと、今は考えているところです。
 

 
一方母に関しては、これまでの母の行いが余りにも悪過ぎました。
57年間にも及ぶ「娘迫害・疎外」の実績のツケは、死後の母が全て背負うことになります。
 
何やら母は弟(故)の奥様のりえさん(仮名)に、自宅を譲りたい‥ 等と言う心にもないことを口走ったようで、その言葉を真に受けたりえさん(仮名)が本気で自分が母の遺産を相続出来るかもしれない‥ 等と思いながら、母の私に対する呪詛の念を引き継いだことは意外ではありましたけど、きっと二人は同じ穴の貉だったのでしょう。 
 

仮に私が彼女の立場だったとしたら、仮に母・山田雅枝(故)がそのような(心にもないこと)を口走ったとしても本気にはしなかったと思いますから。
 

実家は現在耐震工事の真っ最中で、高層マンションのベランダの手すりの付け替え工事が行われている期間は、窓を開けることが出来ません。
又マンションのエントランスまでのスロープがとても不安定で、流石に母の遺骨を持ってスロープを降りることは危険過ぎるので、納骨はもしかするとうんと延期になるかもしれません。
 

今年の8月に某所の山田家の墓地を訪問された方は、唯一の山田家の法定相続人の私からの連絡を受け取ることも出来なかったでしょうから、色々と驚かれたかもしれません。そこには亡くなった母の遺骨もなければ墓石も何もなかったわけですから。
ですがそれが、母・山田雅枝の人生の集大成だと思って受け止めて頂くほかはありません。
もしくは法定相続人の私に頭を下げ、深く詫びを入れて頂く以外、母を弔う方法は他にないと思って下さい。
 
そもそも弔われるだけの資格のない人ですから、もう何もしなくても良いと私は思っています。
弟・大輔(故)の奥様のりえさん(仮名)が遺産強奪計画書に述べていた「墓じまい」の時期をうんと早めることだって、私には出来るのですから。
その時は、父(故)や弟・大輔(故)も一緒に永代供養に‥ と言うことになるでしょう。
 

弟・山田大輔の虚像と実像 – 後編 –

弟・山田大輔の虚像と実像 – 前編 –」の続きを綴ります。

 
私の初婚は当時の恩師を激怒させる内容でしたが、相手のあることなのでその詳細についてはここには綴らないでおきます。
紆余曲折、母のマッチポンプの末に得た解放区と新婚生活は、蓋を開けてみれば想像すらしなかった苦労の連続でした。とは言えそれが私の選んだ道だったので、不平不満は言えませんでした。

波瀾の結婚生活を開始してからも私は、時々実家を訪問していました。そうすることが親孝行だと言う強迫観念が、私をそうさせていたのだと思います。
 
元々私は実家からは排除された存在なので、当然のように実家の合鍵は持っていませんでした。
もっぱら実家へ行く時には母に、当然のように手土産を求められました。金銭的にも全く余裕など無い私に、よくもそんなことが言えたものだと今なら腹も立ちますが、当時の私はまるで精神を病んだ何かしらの生き物の抜け殻のようで、毒親に歯向かう気力など全く持ち合わせていなかったのです。

時折「訪問する」(帰るのではなく、訪問する)実家では、私の行くタイミングに合わせて弟も在宅するのがルールみたいになっていました。当時は(結局亡くなる間際まで)弟・大輔のメインの仕事は他にあって、その合間にサブの仕事として「家庭教師」をやっていたと聞いており、私が実家に帰る時は授業の時間を調整して自宅に居てくれたみたいでした。
私は実家に行く度に西荻のこけし屋のケーキを必ず8個買って、重い足取りでマンションに向かったものでした。
 

弟・大輔は元々皮膚が弱い子でしたが、何年か毎に私が実家に行く度に皮膚(特に頭皮)を真っ赤に爛れさせ、見ている私の方が燃え上がりそうな痛みを感じました。
大輔はマクドナルドのハンバーガーが大好きで、私が実家を訪問した時にも「僕の昼ご飯」と称してよくマックから紙袋を抱えて買って来て、美味しそうに食べていたのを思い出します。
 

 
2012年秋、(父の遺産整理の時の家族会議を除き)私が最後に実家に帰ったのは多分、前に飼っていたうさぎ「桃樹」が3歳の頃だったと思います。2004年かその翌年の初夏が、元気な大輔とじっくり話した最後だったかもしれませんが、その時既に弟の虚言は高みに達する目前でした。
 

弟・大輔は自身を「政界の裏側を暗躍し、目が飛び出るようなビッグネームの人々と連日会食し、官邸にも自由に出入りする立場だ」と話していましたが、その目はどことなしに虚無で理由の分からない虚脱感が全身を覆っているように見えました。
大輔に彼の生活や職業についての詳細を尋ねようと何度か試みたこともありましたが、私がそうしなかった理由はただ一つ。テレパシーを使って彼の内面を覗き込んだ時に、そこが真っ白いベールで覆われたまま何も視えなかったからでした。

今にして思えばその頃には大輔自身が吐ける嘘も上限に達しており、完璧なまでの虚像を作り上げる以外に話せることが彼には何も無かったのかもしれません。なので2004年頃に見た弟・大輔の印象は「虚無」そのもので、彼の体からは異様なまでの油っこい臭いが立ち込めて長く一緒に居られなかったのを憶えています。
 

私には、人の心拍数を聴き取る聴力が備わっています。
2004年頃の大輔からは物凄く速い速度の心拍数が常に聴こえていて、むしろ母の高血圧よりも私はそちらの方が気になりました。ですが毎日一緒に彼と暮らしているわけでもないので、大輔の速過ぎる心拍数について話すことは遂に出来ませんでした。
 

 
桐朋小学校時代、あれだけ陸上部で鍛えていた彼の身に一体何が起きていたのか、今の私ならばもっと正確に捉えることが出来たかもしれません。でも当時の私には無理でした。

後に、父の遺産整理の際の家族会議の時に初めて聞いたのですが、桐朋小学校時代の大輔はどこかクラスではみ出してしまっていたらしく、クラスメイトとは距離があったとのこと。
「登校しても何もすることがないんだよ。だから走るしかなくてね‥。」
父の位牌のあるリビングで、そう話していた大輔の声が今も悲しげに蘇ります。
 

正確な日にちは遂に訊けなかったのですが、そんな大輔が父の闘病中に心臓の発作で倒れて入院生活を余儀なくされたのが、おそらく2010年か2011年頃のことではないかと(彼の話の端々から)察しています。
私がその話を聞いたのはやはり父の遺産整理に於ける家族会議の時でしたが、「次同じことが起きたらもう後がないんだ‥。」 と、大輔が噛みしめるように話していた時の渋い横顔が強く印象に残っています。

久し振りに聞いた大輔のか弱い、尚且つ辛い話は短時間で切り上げられました。母が何故か大輔を睨みつけており姉弟の会話の時間を追い剥ぎのように奪い取り、その直後からまるで息を吐くような、大輔独特の嘘談義が始まりました。
そこには弟・大輔が某有名私立大学の社会科学の分野で、教授として教鞭を執っていると言う内容も含まれていました。学問として社会科学を立ち上げた自分は張本人であり、自分は社会が今最も必要としている人物だ‥ と言う話もしていたのですが、その話はどこかうすら寒く聞こえて来ました。
 

ふと疑問を感じ、私が(大輔が教鞭を執っていると話す)大学名を尋ねると彼は即座におどけたような表情をして、「僕は芸名で教壇に立って学生を教えてるから、それは言えないよ。美樹ちゃんだって芸名で活動してるでしょ?それと同じだよ。」と言い、おもむろに全く違う話題に話を変えたので私もすかさず「そう言えばパパ、確か渋谷に物件を持ってたわよね?」と応戦。

すると大輔は想定外の私の質問に動揺したのか、その後の対応がみるみるうちにしどろもどろに変わって行ったのを私は見逃しませんでした。
 

 
大輔と最後に話をしたのが2012年の確か9月、その2年後に彼はりえさん(仮名)と結婚、それから一年後の2015年の11月17日に弟・山田大輔は他界しました。
 

大輔が私を結婚式に招待しなかった理由は、私に自分の実像を暴かれることを強く恐れたからでした。これは死後の大輔本人の魂からも直接聞いたので、間違いありません。
 
私は「暴きの星」を持っています。不穏、不審に感じたことは徹底的に追及し、日の光に晒す。それはいつからかの過去世から脈々と私の魂に沁み付いた習性であり、使命でもあります。
過去世の記憶では、私が不審を感じて暴いた「星(ホシ)」の大半が、世の中から忽然と消滅して行きました。
勿論のべつ幕なしにそれを目的としていたわけではありませんが、私のシュールな嗅覚の標的となった人たちの殆どが、日の当たる世界から忽然と消えて行ったのです。
あくまで私が経験した三回の「くのいち」時代の記憶ですが、私の魂がそれらの記憶を今も忘れずに居ます。
 

弟・山田大輔はそんな、私の習性を酷く恐れていました。彼も根っこが摩利支天ですから、当時は無意識だった私の稀有な習性にむしろ彼の方が先に気付いていたのかもしれません。
 
2012年秋から数か月が経過したある日、あることで私はメール上で大輔と激しい口論になりました。
私が二度ホームレスになったこと、その過程で一度命を落としかけたことその他、一定期間私がスピリチュアリストとして別名を掲げて活動していたこと、それらの全貌詳細などについて「僕は全部知っていたよ。」と言って得意満面に私を往(い)なそうとしたので、その振舞いに対し私は「‥つまり全てを知った上で私を見殺しにしたわけね。」と返信。
それが彼の逆鱗に触れ、それこそが大輔が私を自身の結婚式に招待しなかった理由であり、さらには父亡き後、表向きの家族のイベント全般からの私を徹底して排除し続けた(表向きの)理由でした。
 
私の知らないうちに大輔は姉を家族から完全に除外した形でりえさん(仮名)と結婚式を挙げ、大輔がお世話になっていた学習塾の創設者T.O氏を仲人に立てていました。(この辺りの下りについては、ここでの記載は省略します。)
 

 
弟・大輔は人生の多くを、虚偽で塗り固めていました。

政界の裏側を暗躍している、特別かつ偉大な存在であること。
世に「社会科学」を学問として立ち上げ、その部門の教授として芸名で某有名私立大学で教鞭を執っていたこと。
自身が強い霊感を持ち、死後の父と頻繁に対話を重ねながら山田家との関わりを深めて行き、権力者の虚像をかぶり続けていたこと。

弟・大輔の本職「家庭教師」が大輔の身上書の中では「講師」と記載されていましたが、思うに「社会科学」の創設者として某有名私立大学で教鞭を執っていた‥ と言う話も全て嘘です。

 

私は色んな手を尽くして大輔の足跡を調査したのですが、どうやって探してもそこに大輔の痕跡はありませんでした。
某有名私立大学の「社会科学」科に、教授として「在籍している」と言う仮説がそもそも間違っていたのです。仮説を「在籍していない」に設定すると、これまでの矛盾が全て埋まって行きます。

思えば大輔の妻・りえさん(仮名)に大輔が、どれほどの真実を語っていたのか否かと言う点を思うと、ある意味りえさん(仮名)も、弟・大輔の虚言が作り上げた虚像の被害者なのかもしれません。
ですが大輔の妻・りえさん(仮名)が母の死後に私に対してして来たことを見る限り、そこにはもはや同情の余地すらありません。
 

 

 
※父他界後に弟・大輔はあらためて、それまでの山田家の「姉排除」のしきたりを継承し、それがさらに現在では妻・りえさん(仮名)へと引き継がれ、今は大輔の妻・りえさん(仮名)が山田家になり代わって従妹たちと共に私を排除し続けています。

 
ですがもしかすると、正当な理由もないのに長年に渡り私を排除し続けた側が、最終的には排除されることになるかもしれません。
 

私の生存や連絡先を知っていたにも関わらずそれを「知らなかったこと」として、喪主を買って出て執り行った母の葬儀後、大輔の妻・りえさん(仮名)は結局法律上の理由で母の納骨が出来なかったようです。

母の遺骨は私の実家のリビングに、墓地の権利書を付けて放置された形になり、現在に至ります。
そして大輔の妻・りえさん(仮名)が私に無断で勝手に執り行った母の葬儀その他、りえさん(仮名)が中途半端なやり方で山田家の最期の人を火葬し、親族に関する名簿或いは葬儀の参列者の名簿等を持ち去ったまま私から今現在も尚逃げ続けている為、私は母に関わる親族その他母の知人や友人に対し、納骨の報告や訃報の通知さえ出来ないまま現在に至ります。
 
ですので上にも書いたように、私が山田家の墓に母を納骨しても、おそらく誰もそれを知ることなくひっそりと何年も誰一人墓参りにさえ来て貰えない状況に至るかもしれません。
勿論私がそれを望んでいるわけではないのですが、私以外の親族全員が私を排除し続けたことが結果、山田家の三人の死者をそういう状況に追い込んだとしても誰も、何も言えないでしょう。
 

私に行われた父の最初の差別や虐待、しいては弟・大輔が私に対し行った「見殺し」がある意味では、彼等にそのまま因果応報のように戻って行ったとも言えます。そう思うと、今日までの全ての出来事の不可解な空洞や矛盾が全て埋まって行きます。
因果応報とはまさに、このような状況を指す言葉だと私は思っています。
 

私は、虚像で人生を塗り固めた弟・山田大輔や母・山田雅枝とは違い、真実と本音だけで今後も生きて行くつもりです。
物事は「ルール通り」がベストであり、法の抜け穴ばかりを追い掛けて生きることに於いては、全く適切だとは思いません。弟・大輔はどこか「法の抜け穴ばかりを塞いで生きて行く」ことの方を、自身が学んだ法律の中で習得し過ぎたように見えます。

つまりそういう背徳の念を常に抱え込んだことが、最終的に大輔の心臓に大きな負担を掛けたのではないかと思うと、そこに弟・大輔のもう真の死因の種があったのではないか‥ と言うのが私の今の結論です。
 

弟・山田大輔の虚像と実像 – 前編 –

この記事の記載を予告した日時からは既に一ヶ月が経過しましたが、この記事を書くには多くのエネルギーを消耗するでしょう。
御周知のように我が家は今、目下の遺産整理の最中に在ります。その合間を縫って私は、第三の人生の立て直しと魂の休養を継続しています。
 

 
圧は毎日のように揺り返しを繰り返しますが、抗わず受け容れず、そして巻き込まれぬように細心の注意を払いながら日々、魂を磨き、夫婦共に覚醒の手を緩めぬ努力は怠っていません。
 

弟(山田大輔)夫婦に対して、今現在も様々な思いが駆け巡ります。特に気になっている点の一つとして、弟の真の死因が何だったのか‥ と言うことが挙げられ、妻・りえさん(仮名)の周囲で弟と母の二人が(恐らく)似た状況で亡くなっていたことを考えると、彼等の死因の真相が一体何だったのか‥ について姉としてとても気掛かりではあります。
 

私は親族二人の死因に於いて、既に一つの仮説に到達しています。
ですがその仮説についてはこの記事での明記は控え、弟・山田大輔の表と裏の顔と彼の魂の真実について、私の知る限りをここに記載したいと思います。
ここでは死後の大輔の魂から直接聞いた話も含めながら綴って行こうと思いますので、心してお読み下さい。
 

弟・山田大輔: 2014年11月 結婚式の写真

 
私の知る限りでは、弟・山田大輔の魂の大元が摩利支天を名乗る忍びだったとのこと。

摩利支天を名乗っていた忍びは妖術使いとして一時その名を広め、過去世で私が「くのいち」だった一つの時代の私の最期を仕留めたと記憶しています。
私は何者かに背後から、首を右側から斬られて命を落としています。それはとても壮絶な最期だったので、転生した今世でも私は当時の記憶を忘れることが出来ません。
 
当時の私の首斬りを命じたのが忍び「摩利支天」であり、実際に私の首を斬り落としにかかった人物二人は、忍び「摩利支天」に命じられた部下の忍びたちでした。
(後に私は当時の私の首を斬り落としたであろう、忍びの「摩利支天」の部下の二人の生まれ変わりの男女ともリアルで会っています。)
 

切っ掛けは全く別件ではありますが、私は小学校3年生の夏に首の右側を起点として頸椎捻挫を患っています。元々体のその方向が弱い為首の右側にだけ発作が起きたと記憶していますが、あの瞬間に妙なビジョンが過ったのが何故だったのか‥。今にして思えばそうした魂の変遷は続いており、今世の私に誰かが「体の右側」に対する注意喚起をしてくれたのかもしれません。
 

同じ家にヨハン・セバスティアン・バッハと摩利支天の二人の魂が姉弟として転生した‥ 等と言う話は確かに前代未聞ですし、唯物主義者からは一笑に付されて終わってしまう話かもしれません。ですがこれは紛れもない事実です。
 

 
幼少期、特に未だ小学校に入学する前の弟はとても純粋で、姉思い、母思いの優しい人でした。
時折無鉄砲な行動に走るところはありましたけど、彼の言動の全てには彼なりの美学や哲学があり、子供だったにも関わらず大輔はそれを一貫させて生きていました。
 
私が小学校3年生の夏にYAMAHA JOC(ジュニア・オリジナル・コンサート)の作曲競技のイベントに急遽出演することが決まった時も、大輔は合歓の里までついて来てくれました。
その時に、私が練習しているスタジオの近くで途中から虫捕りに夢中になって迷子になる‥ と言う大珍事を起こしてくれましたけど、翌日私がステージで本番の即興演奏を演っている最中もハラハラしながら客席で私を応戦していてくれたのを、今でも憶えています。

そんな大輔が最初の挫折を味わったのは、おそらく彼が桐朋学園「子供のための音楽教室」に入室し、姉と同じピアノを勉強し始めた頃に母が放った一言が原因だったと、死後の大輔が話してくれました。
そもそも姉がヨハン・セバスティアン・バッハ、即興と作曲と空間音響の名手だったわけですから、誰もが私のようにその場その時々で瞬時に作曲が出来る筈が無いのです。弟も楽譜の譜読みと暗譜にはかなり苦戦し、その度に母が「美樹(私の本名)にだって出来るのよ!貴方に弾けない筈がないでしょ!」と言って、ピシャリ!と弟の腕や手の甲を引っ叩く音が、私の居る隔離部屋にまで響き渡りました。
 

その度に弟・大輔の気持ちは凹み、どうやっても姉の技術を超えることが出来ないのは自分の怠慢のせいだと思って頑張ってはみたものの、中学受験を表向きの理由に彼は桐朋の子供のための音楽教室もピアノも、つまり音楽に於ける一切合切から身を引きました。
ですがそれはただ単に大輔がピアノや音楽を辞めるのとは異なり、大輔の魂に「この世の超えられないもの」と言う実績と記憶を刻印したことになりました。
それを機に弟・大輔は日に日に変貌を遂げて行き、自分自身の本音を周囲に一切吐かなくなって行ったように思います。
 
その連続が後に私が綴る、弟・山田大輔の虚言癖に基づく「虚像」の原点と直結しているのではないかと、私は思っています。
 

そもそも弟・大輔は、音楽そのものが大好きでした。他の同じ世代の子供たちのように、モテるから‥ とか目立つから‥ と言う理由ではなく彼は、心から音楽が好きだったと私も思います。
特にトランペット等の金管楽器の音色に触れると、どこかハードボイルドな中に漂う一種のロマンティシズムに敏感に反応を示し、時折涙目になりながらその音色を追い掛けていたのを今でも記憶しています。
 

 
私はテレビを観ることを母に強く禁じられていましたが、母が外出した時等に大輔が「一緒に観ようよ‥。」と言って度々私をテレビの前に駆り出してくれて、その時に観ていた番組が「愛の戦士レインボーマン」や「宇宙戦艦ヤマト」、「ルパン三世」等だったなぁ~と、振り返れば懐かしい話も沢山あります。
 

大輔は子供の頃から超能力や霊界等に強く憧れており、母の持つ強大な霊力に対しては微かな嫉妬と敵対心を抱いていただろう‥ と言うことが、姉の私にもひと目で分かる瞬間がありました。
ですが姉の持つシュールな力に対して弟・大輔は、ライバル心や敵対心を持つことはありませんでした。その純真な性格が激変した切っ掛けが上に書いた「音楽を巡る母の叱咤と暴力」であり、その酷い現場を既に姉の私と母との真に間近に見ていた彼が、せめて自分自身の心身だけは守りたいと願ったとしても、私にはそんな彼を責めることなど出来ません。

その(弟・大輔が両親の暴力や暴言等から身を守る為の)手段が「両親には絶対に本音と真実を語らないこと」だったとしてもそれしか方法がなかったことぐらい、姉の私だからこそ今ならば容易に判断が付きます。
一般的に言うところの「正しい判断基準」が当時の私達、「山田家」には一切通用しないことを、言うまでもなく当時の彼も骨身に染みて感じていたことでしょう。
 

大輔の真剣で純粋な目が段々と濁り始めたのは、彼が一浪の末に東大の法学部に入学した直後からでした。
私が大輔と暮らしたのは(私の計算が合っていれば)丁度彼が東大の2年生になった頃で、私はその年の秋頃に実家を出ています。私と弟の年齢差は4歳、私が家を出たのが24歳の秋の終わりでした。
 

私は母親に、早々に家を出て行くように‥ と毎日のように言われ、無謀とも思える手段を経て何とか結婚(初婚)相手を見つけて、母にその人と会わせる段取りまで漕ぎ着きました。
ですが母は当時の私の初婚の相手との喫茶店面談の時、「あなたのような下品な人に美樹は相応しくないわ。あなたみたいな人に娘を、本当は渡したくなんかないんですよ‥。」等と思ってもいないことを口走る、いわゆるマッチポンプで私と当時の初婚の相手との仲を引き裂こうとしました。
 

ですが私は這う這うの体(ほうほうのてい)を駆使してでも、あの毒気の強すぎる実家を離れたかったのです。
実家を出る最後の夜、弟は私に何か言おう言おうとしては母や父に発言を遮られ、最終的には私が何故段ボール箱を4~5個だけを持って実家を追い出されなければいけなかったのか、その本当に理由を知らぬまま寂しそうに私に手を振ってくれた、あの時の弟・大輔の手が妙に小さく視えた瞬間が今も脳裏を過ります。
 

大輔はその後、急激に変貌を遂げて行きます‥。
 

後編に繋げます。‥

祝杯とターニングポイント

もし弟・山田大輔(故)が存命ならば、一昨日(6月2日)が彼の誕生日だった筈。でも、彼はもうこの世には居ません。
身内のみならず知人や友人にも、これでもかと言う程弟・大輔(故)はありとあらゆる嘘を吐き、偽りの経歴で自身を塗り固めた結果、そうした言動のストレスが大輔(故)の持病をますます悪化させて行ったように思います。
 

2012年の冬、父の遺産整理の件で十年ぶりぐらいで実家に帰った時、弟(故)は既に大病を患い、大きな手術を終えた後で彼の体はボロボロでした。
その時に彼は私に「自分は某大学にてハンドルネームで教鞭を執っている。」‥と話していましたが、それが全くの嘘だったことが後から薄々発覚しました。

大学で教鞭を執る際には、その人が既に芸名やペンネーム等で著名人になっている人物でもない限り、ハンドルネームで教壇に立つことは通常出来ません。ですが弟・大輔(故)は私に「匿名でW大学の社会科学科で教鞭を執っているんだよ。」と、堂々とそう言い切りました。
 

私は生まれ付いて、「暴きの星」を持っています。それは過去世からの私の宿命として、魂に刻印された習性でもあります。ですから怪しいと感じたことや不審に思ったことは、徹底的に調べ尽くします。
その結果、弟が私に当時話していた大学の「社会科学」の科目で教鞭等を執っていた形跡がなかっただろうと言うことまで、私は知っていました。

その辺りの経緯は後日、又あらためて綴ろうと思います。
 

  
それより今週は、この半年間の色々な出来事に一つ大きな区切りを付ける大きな出来事がありました。
それはとてもおめでたいことではありますが、余り明け透けに書くと嫌味にも響いてしまいかねないので、ここでは省略します。

ですが私達夫婦でひっそりと、都内某所で「幻の古代牛」と言われている原種の牛肉のサーロイン・ステーキを堪能して来ました。
これまでに味わったことのない、本当に素晴らしいお味と感触。
 

見栄を張るのではなく、本当に心から美味しいものを口にすることの歓びをようやく、50代半ば(夫は40代後半)で夫婦でこうして堪能出来る、この幸せが長く続きますように。

そして私達の新たな門出に、静かに祝杯を上げました。

 

※ここから下は、Instagramには綴っていない部分になります。⇩
 

私は幼少時代から高校生時代まで、実母に常にみすぼらしい格好をさせられて通学していました。一年に一着のピンクのジャンパーと紺色のスカート、せめても‥ と言う感じでトレーナーだけは二着買い与えられ、Tシャツも多分二着程度しか持っていなかったと記憶しています。

実際には母の方が資産家だったにも関わらずそれは家族全員の誰も知らず、「うちは貧乏でお金がないの。」と彼女は常に言い続け、外食も近所のお蕎麦屋さんか皿うどん等で、その中でも一番価格の低いメニューを私は選ばされていました。
ですがいざ母が亡くなり、蓋を開けてみると、内情は私がそれまで知っていたものとは全く違っていました。実際母は、司法書士も驚いて目を丸くするほどの資産家だったと言っても過言ではありませんでした。

それらの資産を彼女は家族には絶対に発覚されては困る為、家の中に仮想敵の形で私にその役を与え、彼女の預金通帳に何かある毎にそれが父にバレないよう、家の中に揉め事をでっち上げ、深夜まで父に私をお説教させる‥ と言うドラマを長年仕組み続けました。
 
人間疲労すれば、必然的にその他のことには目配りしなくなります。ただ疲れて眠るだけです。なので母は、父(或いは父が亡くなった後の弟にも)に疲労と言うギフトを与えながら、自分自身だけの資産を箪笥の中に仕舞い込み、それを頑なに守り続けてこの世を去って行きました。
 

結果的に私はそれらの全財産を相続することになったわけで、ある意味幸運だったと言えるでしょう。法定相続人が唯一私一人だったと言うこともあり、誰とも争うことなく、母が何十年間もの間(私を虐待しながら秘密を死守し続けて)守り続けて来た彼女自身の資産を全て私が相続することが出来ました。
 
近日中に我が家は転居等も控えている為、ここから色々な準備が目白押しのスケジュールになるでしょう。
私が引き継いだ遺産を「人生57年間の虐待と家族間排除の慰謝料」と思うと、まだまだこの程度では(相続した遺産の額は)正直足りません。ですがここは「足る事を知る」精神を持ち、私はようやく夫と二人で私自身の人生を思うように自由に前向きに歩み出せると思っています。
 

 
こういう言い方はどうなのかな‥ とも思いますが、あえて書きますと、2021年からのウィルス・パンデミック中のドタバタに翻弄され、多くの人たちが危険なワクチンを接種したことの後遺症で今後バタバタと命を落とすことになるかもしれません。

幸い私たち夫婦は、危険な未知のワクチンを一度も接種していません。
夫の計算計画通りに私たちは免疫向上の為のサプリメントを複数服用し続けて、かれこれ10年近くが経過しました。勿論油断大敵ですが、少なくとも新型コロナワクチンを接種していない分、既に接種してしまった多くの人たちのように「自己免疫力の喪失(低下)」と言う最悪の事態は免れられると確信しています。

 

これから町は新型コロナワクチン接種で免疫力を劇的に低下させた人たちで溢れかえり、尚且つその弱った体を別のウィルスが攻撃すると言う酷い事態が折り重なって行くと思います。
既にワクチンを接種してしまった人たちは夜も昼も不安に苛まれるだけで、そこに救いはありません。不安から逃げる為に、ワクチンを接種していない人たちに対する憎悪も彼らの心中には生まれるでしょうし、何より誤って未知のワクチンを打ってしまった彼ら自身の不安を解消する為に現実逃避のような行動を取る人たちも、今後増えて行くでしょう。
 

昨日も私のTwitterの「或るツイート」が、見事に炎上しました(笑)。
多くの反論や捨て台詞等が投下されましたが、私は出来る限りの範囲でそれらに珍しく打ち返してみました。私が何を言い、どう反論するのか‥、それを私の知らない人たちが私には悟られぬように見ていることでしょう。
それを意識しながらの私のTwitter上の変化球は、恐らくワクチンを既に接種してしまった人たちには濁った爆弾のように、心身に歪みながら突き刺さって行ったかもしれません。
 

私にも人情はあります。なので正論で他者を論破するだけが正しいやり方だとは、思っていません。そうしてはいけない人たちも居ると言うことを、私も又学んで知っていますから。
 
そして何より今後、昨日まで元気そうに見えていた人が突然‥ と言う事態も増えて行くでしょうから、正しい言葉の針だけを相手に突き立てることも少し控えなくてはいけないと思っています。
 

まだまだ書きたいことがありますが明日も予定がある為、ここは筆を分けようと思います。
近日中に弟・山田大輔(故)の真実について、綴ろうと思っています。
 

シャトーブリアン

堰を切ったようにこのところ、物事が上手く行き始めたような気がします。それもこれも、長年私を押し潰して来た「圧」の根源が一先ず、この世界から消えたことによる影響なのでしょう。
ずっと「圧」には悩まされ続けて来ました。今治療途中の「ばね指」も「圧」による弊害の一つですが、少しずつ、薄皮を剥ぐように治っています。
 

勿論亡くなった母だけではなく弟(故)の嫁も含め、私を良く思わない人達全てが居なくなった訳ではないのですが‥、例えば弟・大輔(故)の嫁・りえさん(仮名)が(管理費の高い)同じマンション別階からひっそりと消えて転居せざるを得なくなったように、これまで私の前途を平然と押し潰して来た人達にそのツケが全て跳ね返って行く事になると思います。

母が亡くなる約三ヶ月半前の夏のある日、大きな霊団の手筈により(母が)霊体を剥奪された瞬間の音を聴きました。あの、妙な鈍く重い音はこの先一生、記憶から消えることはないでしょう。
その三ヶ月半後に、母は永眠しました。
生命と霊体との繋がりを、あの時程身近に感じたことは今までなかったと思います。
 
全ては母自身のこれまでの言動が引き寄せたこと。同情の余地はありません。彼女が招いた最期だったと、私は思っています。
 

近い将来、私は母が逝った後に残された実家をリフォームし直して、そこから第三の人生をスタートする予定です。
因みに実家マンションの管理費は、およそ一軒で15,000円/月ぐらいになります。我が家(実家の両親)は二軒分を一軒として最初に購入している為、物件の維持費は倍になります。そこに毎月積み立て修繕費がさらに管理費と同等額乗って来ます。

つまり部屋の維持費だけでも毎月数万円には上るので、流石に中医学関連店舗のバイト代を主な収入源に生計を立てている弟(故)の嫁・りえさん(仮名)一人では、このマンションの家賃の支払いの継続は無理だったと思います。
 

 
まだまだ前途多難ではあるものの、第三の人生に向けた一つ一つが一気に進み始めています。それもこれも、法破りな方法ではなく一個ずつを誠実に、何より私が肝に銘じるように人と正直に向き合っているからこそもたらされる、「神様からのご褒美」ではないかと私は感じています。
 

そんな私と夫の現実的な一歩(いえ、二歩から三歩‥)を祝し、昨夜は美味しいシャトーブリアンをたっぷりと堪能して来ました。
若干疲れが出ていた私も珍しく赤ワインを頂き、ライスは省いてその代わりに野菜サラダを多めに摂取し、栄養価を考えつつも味覚を大いに揺さぶってくれる内容の良い食事を堪能しました。
 

 
美味しい料理は「何を食べたか」に加え、「誰と食べたか‥」がとても大切な記憶として積み重なって行きます。さしずめ今の私は、夫と食卓を囲む時間に幸せを感じています。
 

昨夜夫と二人で、シャトーブリアンを食べながら思いました。
もしも弟・大輔(故)の嫁・りえさん(仮名)が最初から私に誠意を尽くしこれまでの詳細を全て正直に話し、尚且つ私の目を見て心から私に詫びを入れていたなら、共にシャトーブリアンを食べる未来があったかもしれないと‥。
 
亡くなった母は頻繁にりえさん(仮名)を呼び出しては、近くのレストランや和食のお店等でリーズナブルな洋食やお蕎麦などを食べに出掛けていたようです。私なんかよりしっかりとお金を貯め込んでいた筈の母でも、流石に気兼ねなくシャトーブリアンを、りえさん(仮名)と共に食べるようなことは無かったようです。
なぜならば母は自分には高価なものを、他者にはそうでないものを恩着せながら差し向ける人でしたから。
 
母はあくまで亡くなった大輔の身代わりとしてのりえさん(仮名)と、接していたのではないでしょうか。一人の人間としてではなく、あくまで彼女・りえさん(仮名)は弟(故)・大輔の身代わりでしかなかったと思うと、それはそれで何ともやりきれない気持ちになります。
  

 
かつて若かりし頃に少しだけ料理人もどきを仕事にしたことがあり、私の味覚はかなり冴えています。細かい調味料を全部言い当てるには至りませんが、食すことで多くの料理の情報を舌の上で吟味分析することが出来ます。
 
食べることが大好きだった母(故)や弟・大輔(故)はそれぞれ食の好みは違いましたが、もしも私を味方にしていれば、もっと多くの楽しい食卓を共有出来たことでしょう。
同様に、大輔(故)の奥様のりえさん(仮名)も、接し方次第では私から多くのものを引き出せた筈です。私は根っこは、ケチでも意地悪でもないので。
本当に残念です‥ としか言いようがありません。全ては因果応報、自身が発したものや心掛けは全て未来の自分に返って行きますから。
 

さて、この記事に貼り切れない写真が数枚あるので、そちらはサクっとInstagramに掲載しておきます。
 
57年目の私の春は、なんと解放的なのでしょう。美しい桜の花々を何度も愛で、そして木々たちと静かに会話を楽しむことも出来ました。
 

 

でも私の本当の春は、これから訪れます。
 

私の半生と苦痛 – ⑥遺産横取り計画の全貌

 

弟(故)・山田大輔の妻「りえさん(仮名)」について、少し触れてみます。
これは実家の遺品整理中に発掘した「身上書」からの引用です。
 

弟(故)・山田大輔の妻「りえさん(仮名)」 経歴

千葉県某所出身。開業医の長女として生まれる。
慶應義塾大学 薬剤部卒業。
職業は薬剤師。
「大学病院では主に抗がん剤治療に携わっていた」と、勤務先のウェブサイトに記載されています。
 
家族関係は両親と妹が一人。多数の親族に恵まれている様子。
ある時期を機に西洋医学から中医学に魅了され、漢方の世界に入り、現在に至る。
 

弟に結婚を勧めたのは、姉の私でした

弟(故)「山田大輔(本名)」とのなれそめを私は知らないのですが、2012年に私が父の遺産整理の過程で実家に帰った時に、大輔本人から聞いた話しによればその時点で「りえさん(仮名)」とは既に10年強の交際期間があったとのこと。
その会話の中で大輔に結婚を勧めたのは、姉である私でした。

「そんなに良い人が居るんだったら、モタモタしてないで早く結婚してもいいのでは?」と言った会話を、今も忘れません。
その会話から数時間後に大輔の携帯電話に「りえさん(仮名)」から連絡があり、その電話で大輔が「今、姉が帰って来てるから詳しいことは後で‥」と言ってリビングを出て内緒話しをしていたので、「りえさん(仮名)」が私に2021年12月26日の電話で私について「全く存じ上げませんでした。」と言った言葉は明らかに嘘です。
 
弟(故)・大輔と私が実際に目を見て話しをしたのは結局、2012年の晩秋が最後になりました。その後大輔とは何通かのメールの末にふとしたことが原因で文字の口論になり、それが切っ掛けで疎遠になりました。
そのまま大輔は私に対して憤慨感情を継続させ、姉の私を招待しない方向で一世一代の晴れ舞台である結婚式へと突入して行きますが、死後の大輔本人から聞いた話しには伏線がありました。
 
結婚式直前で、「やはりこのままでは良くないのではないか‥」と母や「りえさん(仮名)」、数人の親戚或いは友人に相談をしたようですが、そこで「精神薄弱児をそのようなおめでたい席に招くのは如何なものか‥」と釘を刺されたとのこと。
そのまま押し切られるように、姉である私に秘密のまま2014年秋に大輔と「りえさん(仮名)」の結婚式は開催され、その一年後に大輔は持病の悪化と急変により、亡くなりました。
  

弟・大輔逝去後の「りえさん(仮名)」の変遷

大輔が亡くなった後、「りえさん(仮名)」と母・山田雅枝との関係性は大輔の生前にも増して深くなり、双方共に色々と心に思惑を抱いた状態で交流が続いて行きます。
※これは母の遺品から見つかった複数のメモの他、(生前に)母が誤って一斉送信したメールの原文等からその様子を推しはかることが出来ました。
 
母の毎年の手帳メモには、毎年年末に訪れる「りえさん(仮名)」の誕生日プレゼントのメモ書きが詳細に記録されており、未遂に終わった2021年・年末の「りえさん(仮名)」へのプレゼント予定は、どうやら「ローストビーフ」だったと言うことも分かっています。

 
又、両親の親戚関係のイベントの中にも母は悉く「りえさん(仮名)」を連れ回していた形跡があり、その中の一つが以下のように写真に残されていました。
 


左から「りえさん(仮名)」母・山田雅枝、従妹(A家)の「なみさん(仮名)」、一番右が同じく従妹の「えみさん(仮名)」です。

 

この記事のタイトルになっている「遺産横取り計画の全貌」の主役として、従妹(A家)のえみさん(仮名)」「りえさん(仮名)」と連盟でS弁護士に「山田雅枝様相続の件」で相談依頼を持ち掛けていますが、二人共に山田雅枝の遺産を相続する権利はありません。
あくまで私に内密に、私を阻害しさえすれば山田家の遺産を相続出来るかもしれない‥ と言う安直な欲深さが、彼女等を急き立てた結果の暴挙と言えるでしょう。
 

「遺産横取り計画書」と思われるメモの中に、母が度々「自宅をりえさん(仮名)とえみさん(仮名)に譲りたいと思っている。」‥ と言っていたとかいなかったとか、そのような記載がされていましたが、自分の過去の経歴(母自身の離婚歴その他)を隠し通す為に娘を長年虐待し続け弟にさえその事実を隠して来た人。

そして母自身がかなり大きな財産を隠し持っており、兎にも角にも「大輔、大輔のため」と言う理由で私の人権を奪い続けて来た人が、いざ、大輔が心臓に爆弾を抱え大きな手術をした時に大輔の入院費や治療費を一銭も出さなかった人です。
そのような人が自分以外の他人に本気で財産を譲ること等、絶対にあり得ません。
 
※結果的に大輔は母の虚言を最後まで信じ通し、母にはお金がなくてとても辛い思いをしている‥ と思い続け、それが実は全くの嘘だったことを死後に知ることとなった大輔の心情を思うと、流石に姉として私の方が辛くなりました。
母、山田家の全てが嘘の上に建てられた虚像の城だったわけですから。
 
又そのような戯言を真に受け、欲の皮を突っ張らせた上、依存するような「りえさん(仮名)」や従妹の「えみさん(仮名)」にも、問題大ありです。
 
母はどうやら「りえさん(仮名)」に母名義の携帯電話を渡し、その電話料金を母名義のクレジットカードで支払っていた形跡が見られ、さらには毎月「りえさん(仮名)」にお小遣いまで渡していた‥ とのメモ書きも、母の遺品から見つかっています。
ですがそれは自宅を譲りたい云々とは関係のない言動であり、「本物の娘=精神薄弱児」と言う偽造の設定が生み出したもの。
母は人生の復讐を遂げるかのように偽物の娘に依存し続けながら、自身が孤独に陥ることのないよう身を守っていただけのことだと私は見ています。
 

遺産横取り計画の全貌

さて、前置きはこのくらいにして、領収書と一緒に見つかった「遺産横取り計画書」とでも言うべきもののコピーを、この記事の最後に公開します。
 
母の亡くなった家に入り、母のバッグや持ち物、通帳等を丹念に家探しした上、親族でもないあかの他人が法定相続人を出し抜いて弟が懇意にしていたS弁護士と共にこのメモを作成し、それに対して「実費預り金: 50,000円」を受け取った上で弁護士も相談依頼を受けていました。
この写真を見て、誰の言うことが真実なのかどうか、是非ともご自身の目でご確認下さい。