2023年2月24日、実家の売却手続きが完了した。
思えば母の逝去から1年強が過ぎ、大きなしがらみから私はやっと解放された。長い長い苦しみから解かれたとは言え、未だ戦いは続いている‥。
実家マンションの売却手続きの前日から私は体調を壊し現在に至るが、気分はとても清々しい。仲介業者や司法書士の先生等、色々な方々がその日の為に動いて下さった。
手続きは2月24日の朝に、全て終了した。
そのタイミングでスマートフォンに大量に溜まった写真を整理していたら、従妹が当日撮影したと思われる母の葬儀の写真が見つかった。
予め2021年の暮れに一足早く身辺調査を進めて行く過程でこの写真をInstagramで見つけたので、スマートフォンに仕舞っておいた。

上記が2021年12月10日の、弟・大輔(故)の妻の「山田りえ(仮名)」が私に黙って喪主を買って出て執り行われた、問題山積の母の葬儀の記録写真である。
※出典元を以下に貼っておく。
従妹の「秋山奈美(仮名)」さんは私の存在も存命も知っていた他、未だ私が小学生か中学生の頃に何度も会っている。勿論私が頭のおかしな人間ではないことも、彼女は知っていた。
にも関わらず、弟・大輔(故)の結婚式に私が出席していなかったことや、実家の三人の家族の葬儀に私が参列出来なかったこと、その他全ての親戚の行事に私が出席していないことを含め、(頭のおかしな人間ならば)そうされても当然のこと‥ とでも言うように今日まで沈黙を決め込んだ人物である。
奈美(仮名)さんはどういうわけか最近、(誰から私の連絡先を受け取ったのか‥)LINEで私の電話番号を番号同期させ「友人追加」して来たが、未だ音沙汰はなし。
流石に亡くなった実母の第一発見者の一人で‥ 等と今さら私に何を言い訳しても、私が聞き入れないであろうと言うことを察してのことだろう。だとしてもこの件、私が公的機関に相談したらどういうことになるか、彼女は重々分かっている筈だ。
問題の「霊界裁判」の決着には、少し時間が掛かりそうだ。
理由は上記の従妹の「秋山奈美(仮名)」や弟・大輔(故)の妻の「山田りえ(仮名)」、さらには母の葬儀の直後に山田りえ(仮名)と共に母・山田雅枝(故)の遺産強奪についてS弁護士に相談を持ち掛ける際に同席した「秋山奈美(仮名)」の妹の「森田絵美(仮名)」のように、現在も私との対面を徹底的に避けて身を隠している親族等の動向を観察(監視)する時間を、司法が要するからである。
その監視には親族の寿命の最期までの時を要する可能性もあり、私はそれを承知で霊界裁判の司法に事の決着のすべてを託して今日に至る。
夫が言うには私の霊体はかなり巨大らしい。それもその筈で、リラ星の巫女の時代から今日まで多くの記憶を霊体に持ち越して転生し続けているのだから、きっとそれはとても自然なことなのだろう。
しかも未だ殆どの陰徳が、未使用の状態で今日に至る。私の霊体の覚醒・拡張に比例して先方の量刑が決定するので、最終的には先方の寿命の最期の段階で私の霊体がどこまで陰徳を積んでいるか‥ との差し引きが刑の重さに関わって来るとのことだ。
現世の司法で仮に裁くことが難しいことでも、霊界裁判と言う方法が最後に残されていると知った時、先ず私は本件に関わった全ての親族・親戚等に適切な量刑で裁いて欲しいと心から願った。
その願いが意外にすんなりと受け入れられたことに、心から霊界の司法には感謝している。
既に父・寛(故)、母・雅枝(故)、そして弟・大輔(故)の全員の刑が確定し、次いで母の姉で私の叔母にあたる「秋山昭子(仮名)」の量刑も確定したようだ。
全員が同じ最高刑にあたる、「霊体及び幽体の粉砕」が決定した。つまり全てのこれまでの記憶がリセットされ、二度と現世に生まれ変わることは出来なくなる。勿論日本式で言うところの「成仏」も出来ない。
全てがリセットされる。
山田家の遺産強奪計画を試みて失敗に終わった「山田りえ(仮名)」と従妹の「森田絵美(仮名)」、及びその姉の「秋山奈美(仮名)」については、彼女たちの寿命の終わりまで刑の確定が持ち越される可能性が大きい。
だが、母が逝去日の約三か月前に先に某霊団によって「霊体はく奪」があったように、「山田りえ(仮名)」(場合によっては「森田絵美(仮名)も)にその方法が用いられる可能性が高まって来たとの知らせを受けている。
後は天に、霊界の司法にお任せするのが良いだろう。
正直それでも私の怒りは収まらないが、私が量刑を霊界の司法に委ねたのでここは彼等の判断に従うのみである。
感情ではなく、理性で納得しようと思う。
最後に従妹「秋山奈美(仮名)」が撮影したと見られる、母の葬儀当日の写真をもう一枚、掲載しておきたい。
彼女は何を思いこのような綺麗事の記録をInstagramに残しているのか、真意の程は分からない。
分かっていることはただ一つ、嘘八百かつ極悪人の母の肩を最後まで持ち続け、現在も私を排除し続け、今も尚私から逃げ回っていると言う事実である。
