近況報告、そして霊界司法について

暫くブログの更新が途絶えていましたが、その間にも沢山の方々が色々な方法でこのブログに辿り着いて下さったことを知っています。
どのような心情で私のブログを読んで頂けているのか、少し不安もありますが私は常に等身大、ありのままを生きているので、誰に何をどう思われたとしても自分自身の生き方に私は自信と誇りを持っています。
 

数か月間、夫: 天野玄斎の活動のサポートの意味も込めて宇宙関連やスピリチュアル系、霊能者関連などの発信が増えていました。
ですが私の根っこは音楽家であり、現在は音楽評論家: 花島ダリアとしての仕事も抱えています。なので活動の軸足から極力脱線しないように努めるべく、ここからは自分自身に光を当てて行くことを今は第一に考えています。
 

 
ご周知の通り私は一昨年の実母の他界を機に、母が(実は家族誰にも内緒で)一人でひっそりと抱え込んでいた色々な資産を承継し、現在は夫共々「生活をする為の収入」を得る必要が全くなくなりました。
 
本来母は(彼女の談によれば)某王室の資産の一部を継承している筈なので、私も弟もここまでの金銭の苦労をしなくて済んだ筈でした。
ですが母は自分が所持していた資産の大半を、父を含む母以外の家族全員に一切伏せていました。
 
いつの頃からか、我が家は「清貧思想」に彩られて行きました。
そんなある日、桐朋学園音楽高校の私の学費が捻出出来ないと言う母の言葉を真に受け、実際に教務課に「奨学金」の申請用紙を取りに行ったことがありました。
ところがその用紙を持って家に帰るや否や、母に頬を何度も殴打され、「こんなものを貰いに行ったら恥ずかしいったらありゃしない!」と言われ、実際には当時の我が家の収入が奨学金を申請する条件には満たないことがうっすらと発覚しました。
 
紆余曲折があり、私は人生の折り返しを経た時にようやく自分自身の等身大の人生を得ることが出来ました。
それまでの幾つかの過去世で積んだ陰徳には全く気が付かず、現在の私には金銭的な資産以上の魂の巨額な陰徳が備わっているようです。
「少しは使ったら?」と度々夫には言われますが、それはいざと言う時の為に取っておきたいと思っています。
 

 
未だ多くを口外出来ない状況ですが、記事『Reset – 2023.02.24』でも少しだけ綴った「霊界司法」の担当者(人間ではありません)とは度々コンタクトしています。

と言うより、山田家全員及び弟: 山田大輔(故)関連の霊界裁判は現在も継続中で、それにともなう弟の奥様の件では未だ調査が続いています。
その調査に一つの区切りが付いたようです。
 

 
現世では弟の方が法律の道を目指しており、東大の法律科(文Ⅰ)を卒業しているのは私ではなく弟の方でした。
勿論私は六法全書を丸飲みする程の記憶力はありませんが、法の何たるかの基礎のようなものが霊体に備わっているようです。固有名詞の記憶の苦労さえなければそれなりにその道を進むことも、きっと出来たでしょう。
 
私には音楽のミッションがあるので当然の如く「法律」の道は選択しませんでしたが、一連の霊界裁判を通じ霊界司法の担当者から色々な話を聞く間に、少し血が騒ぐような感覚が度々発生します。
 
話を戻して。
弟: 山田大輔(故)の奥様の山田りえ(仮名)」は薬剤師(現在は中医学の薬剤師)の職に在る人物ですが、彼女が晩年の母に対し何をやったのか‥ と言う調書のようなものが作成されたとのこと。
勿論霊界裁判とは現実社会では裁けないことを、霊や魂の視点で裁いて行く手段なので、そこに進展が見られたからと言ってすぐさま現実生活に異変が起きるわけではありません。
 
ですが実際に母: 山田雅枝が2021年の8月のお盆期間中に某霊団によって霊体を抜き取られ、そこから約三か月後に亡くなっていると言う現実を私は目の当たりに見ています。
その状況にかなり近い審判が近日中に下され、晩年の弟: 山田大輔(故)及び母の最も近くに居た人にも晩年の母同様の処遇が下されるとの知らせがあったので、慎重にその経緯を今後見守ることになるかもしれません。
 
勿論決定日時などについては、直接私には告知されません。ですが雲を見ていれば、おのずとその兆候は私には分かります。
 
弟、そして母の死に関しては、私は私なりの「或る推理」に到達しています。その推理は現実世界で起きている案件に役立てることはとても難しく、尚且つ現実世界の司法を以て裁くことも困難でしょう。
でも霊界司法ならば、各々の魂や霊体の記憶を彼等には引き出すことが可能ですから、個別の情報を突き合わせて行けばおのずと真実に辿り着くことが出来るそうです。

私が抱いていた二人の家族の死の裏に在る「或る推理」が、あたらずと雖も遠からず‥ と言う連絡を昨日霊界司法の担当者から得ることが出来ました。
それによれば母も弟も、双方の死因はただの病死ではないようです。どうりで母の骨壺から「火葬許可証」もしくは「死亡診断書」が抜き取られていたわけです。そこに少なくとも、母の死因が明記されていた筈でしょうから。

 
ここ数日間、当ブログの山田家関連の記事に読者が多く来られているようです。
先方は先方の事情で、山田家関連の記事を読まなければならない必要に駆られているようです。
 
このブログには真実だけを綴っていますので、少なくとも私の家族二人(弟と母)に間接的にでも手をかけた人物については、各記事を追って頂ければとても詳細に綴っています。そして読まれた方々の思い込みや誤解も、私の綴ったものによって解けるのではないでしょうか。
 

彼女は善悪のどちら側にいたのでしょうか。

答えはとても近い将来、霊界の司法がきっと提示してくれる筈です。
「彼女」や生前の弟に関わった人たちの一部も「共犯者」として、おそらく霊界司法の手で裁かれることになるでしょう。

私はその成り行きを遠くから、じっと凝視しながら見守りたいと思います。

 
さて、暫くの期間私は「音楽評論家: 花島ダリア」としての活動の方に注力しようと思います。
それは数年後にリリースを予定している新しいアルバムの為の肉付けにもなるでしょうし、この数年で大幅人口削減が進んだ後の世の中に、私が今とは違うスタンスで存在する為の準備になると思っています。
 

音楽の何が正しくて何が間違っているのか。

先ずはそのベーシックを訂正しながら、未来の音楽の所在地を作って行かなければなりません。さしずめ鉄管工事とでも言うべき、それを黙々と「花島ダリア」として進めて行くつもりです。

ブログ『花島ダリアの音楽評論』: https://dahliahanashima.wordpress.com/


先ほど作ったSpotifyの新しいプレイリストには、世界の新譜を中心とした美しい音楽をスクラップしています。
与えられた才能は世の為、人の為にとことん使い込みたいと思います。

 

🌎New Chillout Times 2023′ vol.4

霊界裁判の経過とサビノ神父との会話

昨夜2023年1月24日、夜。夕食に出かける支度をしていたところ、霊界裁判を担当している霊的存在の弁護士から急遽アクセスがあり、私の(亡くなった)親族等を巡る霊界裁判の途中経過を知らせて下さいました。
正直なところ、その内容は私の思う内容とは少し異なるものでしたが、そもそも現世の現実世界の司法では裁けないものが別途「霊界裁判」の形に持ち込まれたこと自体が、半ば奇跡的なことなのです。
 
前回の霊界裁判の開催はあの、史上最悪のカルト団体の教祖(‥尊師)だったと言うところだけを見ても、私の家族や両親・親戚等が現世でその域の邪悪さを振り撒いていたことは推して知るべし。
ここでは霊界裁判の途中経過の、内容詳細の記載は回避します。
 

そんな折、昨夜遅くから私は愛するサビノ神父の霊体と、接触を試みているところです。‥と言っても暫く眠っていたサビノ神父の霊体に異変が起きたことが発端で、その異変を生み出して下さった某神様には心から感謝を何度も何度も述べたい心境です。
 

 
上の写真は実家の遺品整理中に私の手元に還って来たサビノ神父の写真ですが、(最近の私の陰影をご存じの方ならば)‥どこか私と雰囲気がとても似ていることにお気付きになられると思います。
 
兄と言うには近すぎますが、過去世のどこかで私はサビノ神父との深い縁(えにし)を感じており、長い間自身の記憶を辿っていました。
そして昨夜、その真相の断片を掴み取ることが出来ました。

ですが如何せんそれは未だ断片に過ぎず、現在のサビノ神父の霊体にはとても大きな損傷の痕跡が視られる為、この記事の中では詳細には触れないでおきたいと思います。
 

 
過去世で私は何度も「死」を経験し、断片的にその記憶を持っています。
ですが過去世のサビノ神父が目の当たりにした、直前の過去世の私の「死」の瞬間はとても壮絶なものだったと、彼は語り始めました。
そして今世のご自分の心身に実際に在った大きな傷跡の経緯を、彼はいつか私に話そう‥ 話そう‥と思っていたようですが、それは遂に叶いませんでした。
 
‥本来ならば私は、彼を父に持つ可能性があったようです。
その発端は直前の私とサビノ神父の前世からさらに遡る幾つもの過去世の記憶の断片の中に既に在るようですが、どうしても私にはその発端に辿り着くことが出来ずに居ます。
その場所に行こうとすると、(魂に)痛みが生じるのです。
 
鬱蒼と茂る背の高い草、その脇に砂利道が長く続いており、そこに一軒の小さな空き家(小屋のような‥)があり、私はその先の狭い路地を目指して一人で歩いていました。
夢は毎回そこまでは私をいざなってくれますが、その空き家の手前で、まるでTVの電源が突然切れるように夢が終わります。
どうしてもその先に進むことが出来ないまま、もう何十年もの月日が経過しています。
 
‥どうやらサビノ神父は、その先の出来事を知っているようです。
ですが今現在の(霊体に損傷を負った状態の)サビノ神父から、その全貌を聞き出すことはとても難しいと思います。なのでこのことにはもっともっと、長い時間が必要になるでしょう。
 

 
春になって暖かい風が吹く頃になったら、私と神父が40年前の11月、最後に会った箱根は芦ノ湖に足を運ぶ予定です。
あの日私がお腹を壊さなければきっと乗船してサビノ神父と共にひとときを楽しんだであろう船に、乗れれば乗りたいと願っています。
 
‥それにしても実母の葬儀の件では、まだ謎が謎のまま現在に至ります。
 
何故母の葬儀が(それまで長年通い続けていた筈の)イグナチオ教会ではなく麻布教会に決まったのか、本来ならばその辺りの話を(母の骨壺から彼女が抜き取ったと見られる母の火葬許可証の件も含め)弟・大輔(故)の妻の「山田りえ(仮名)」さんから直接訊きたいところですが、彼女は未だに私との接触を避けています。
まさか私の母(故)や父(故)、或いは大輔(故)から伝え聞いた私についての話を、彼女は今でも信じているのでしょうか‥。
 

霊界裁判では量刑が既に決定している箇所もありますが、(これはあくまで霊的な実刑を決定する場ですが‥)弟(故)の嫁・山田りえ(仮名)は極刑の次の量刑の重度で言うところの「第二位」に位置する罪で裁かれる可能性が濃厚です。
ですがこれは未だ、決定ではありません。

 
静かに事の経緯を見守りながら私は、これから現世に転生を目指して舞い戻ろうとしているサビノ神父の御霊(みたま)と、会話を続けて行きたいと思います。
 

 

実家との永別

とても個人的なことですが、昨日無事に実家マンションの売却の契約が成立し、又一つ物事が前進しました。
私にとっては約54年と強の時を送った実家(中32年間は両親の強い希望もあり、私は殆ど実家内には立ち入ることが出来ませんでした‥)ですが、それなりに思いはひとしおでした。
 
昨年の暮れ、2022年12月29日に最後の遺品整理で実家に入り、全ての作業を終えて実家を後にしました。
もう二度と見ることのない部屋の一つ一つを、スマホで写真に収めて行きました。形式的には私と実家や家族、親戚の人たちとの全ての関わりがこれで(一旦)終止符を打つことになります。
 

 
但し私を今日まで排除(迫害)し続けて来たすべての人たちに対し、私はシュールな方法で「それなりの報復」を試みることになります。
後は霊界裁判の場で、各々の魂に直接霊的存在の方々がアクセスし各自の魂と霊体から情報と記録を吸い上げることになる為、私が判決の場に立ち会うことは一切出来ません。
 
とても長い時間を要する裁判になると聞いていますが、私は自身のミッションを粛々と遂行すべく日々を送って参ります。
 
私の実家の諸々に関わり私を排除し続けて来た全ての人々には、しかるべき報いを受けて頂きたいと思っています。
私の苦しみに対する、それ以上のものを。
 
昨年12月29日の最後の遺品整理の時までに、私は自身の幼少期の写真のみならず弟や母、そして親戚秋山家・池田家・横尾家~弟の嫁・市〇家の家族全員を含むの写真や手紙の多くを回収し、保管しています。
勿論その中には弟・山田大輔(故)とその妻・山田りえ(仮名)の結婚式の際の集合写真や親族だけが収まった写真の他、同 山田りえ(仮名)のKO大学の卒業写真までが出揃いました。
私の知らない時間の中で起きた出来事のあれこれをあらためて丹念に見つめ直して、この先の霊界裁判に備えたいと思います。
 

昨日の色々なことで心身かなり疲労が激しいので、今日は時間をらんだむに使って音楽を聴いていたい気持ちです。
こういうタイミングでセレクトするのは持って来いの、昨日Amazonから届いたM.Yさんの中古のDVD+CD “within” の荘厳な調べを堪能しながら、この記事を書いています。
但し、このCDの主役であるM.Yさんからは私は「或る事情」によりアク禁にされているようです(笑)。
 
私が音楽評論家として下した彼女へのジャッジメントの影響なのでしょう。
でも私はあるべき発信に心掛け、愛ある厳しいジャッジメント精神を今後も失わないつもりです。
 

 
今後の音楽評論記事は、全て花島ダリア名義で進めて参ります。
ブログは花島ダリアの音楽評論になります。

悪意の記録 2. – 遺言書作成過程の書類

少し過去に遡るがInstagramを介して匿名で私に接触して来た、「エル〇〇ト」なる人物のメッセージを読み返している。その中には私が一度も口外していない某弁護士の名前が、数か所に渡り記載されていた。
 
それはまさしく弟(故)の妻「山田りえ(仮名)」が、自身が喪主を名乗り出て執り行った母の葬儀の十日後に母「山田雅枝」の遺産相続を自分が出来るか否かの相談に向かった先の、弁護士の名前だ。
弁護士や相談者等は守秘義務を厳守することを事前に確約する筈だが、それより何より「山田りえ(仮名)」とその弁護士(Y氏)との相談内容を綴った書類が我が家のリビングに置かれていたことの方が、私にとってはよほどシュールな怪奇現象に思えてならない。
 
恐らく神が手助けをしてくれたに違いない。

 

また、りえ(仮名表記)さんにおきましては、あくまでも私個人の見解ですが、箱入り娘で育てられたような様子があり、ある種の経験を大きく欠いているかと思います。それ故に、遠矢様からの立て続けの電話のコールに一人きりでいた彼女は相当に恐怖感を覚えたようです。
とはいえ、電話を折り返す必要があったと思いますし、弁護士を通してではなく、遠矢様と直接話し合う必要があったとも思います。
 
生前のお母様からの言伝や一言には書けないいくつかの事情が重なり、遠矢様に失礼になるようなえりさんの対応があったと思います。遠矢様に対して誠意を欠いていると言われるのはその通りかとも思います。
 

Instagramの「エル〇〇ト」が私に宛てたDMより

 
上記はその時のメッセージの一文を、人物名を仮名表記に差し替えてコピーしたものだが、このDMの送信者である「エル〇〇ト」が仮に「山田りえ(仮名)」とは異なるあかの他人だとするならば、何故私と「山田りえ(仮名)」間に起こった現象をまるで現実に目の前で起こったことのように、ここまで断言して書くことが出来るのかが非常に疑問だ。
彼女はこの「偽り」の名前を用いて、私に何を訴えたかったのだろうか‥。
 

弟の遺品の中から、どこか病んだ人が書くような「散文詩」のような葉書が不達で戻って来た状態で仕舞われていた。
そこには「法」の文字が羅列され、自身をまるで創造神の如く祀り上げんばかりの勢いで、自分を自分で鼓舞しているとも取れるような詩が綴られていた。

 

 
弟・大輔を加害者と見るか、被害者と見るかはその時々の場面設定で微妙に変わって来るが、この散文詩のような年賀状に書かれてある「良心」が彼に皆無であったことは、弟亡き今最早確定事項と言っても良いだろう。

少なくとも姉の私を徹底排除すると言う家庭内の悪しき決め事に於ける不正を一切正さなかった、彼の言動のどこに「法」の正当性を立証出来るのか。
私が弟・大輔(故)の妻「山田りえ(仮名)」とその両親姉妹に対し、それを是非とも問いたい心境は今も変わらない。
 

さて、話題が大きく迂回したが、この記事の最後に父が遺言書を作成するにあたり交わされた家族会議の記録として、以下のような文書が遺されていたので、それを貼っておきたい。
 
母は私を長年「社会的弱者」として扱い尽くし、差別し、過剰な虐待を加え続け、それを誰も止めなかった。
勿論父も弟も、そしてそれ以外の親族全員がその事実を見て見ぬふりをして来たことは、私以外の家族全員の死後に、私に対する彼等の接し方からも十分に証明することが可能だ。

この現象こそが不正・理不尽そのものであることに於いて誰一人言及すらせず、訂正もしないのだから、私が彼等全員の前途からどれだけ未来と光を奪い取ろうが誰にも文句は言えまい。
勿論私はその旨現実的な行動を起こそうとは思っていない。それ以外の方法にて、人生最初で最後に「それ」を粛々と実行するのみだ。
 

それは祈りと呪詛との境界線にある、やはりこれも切なる祈りに違いない。
その「祈り」を今後折に触れ、継続して行きたいと思っている。
 
 
山田家が私を徹底排除し続けた証拠の一つである「その文書」をこの今日の最後に、この記事を〆たい。

 

 

悪意の記録 1.

 

 

 

 
今日は疲労困憊なので追って後日、今日の遺品整理中に見つけた、家族が長年私を「仮想敵」にし続け私を徹底的に排除し続けて来たことに於ける、書面の証拠をこのブログに掲載しようと思う。
 

どんな言い逃れも出来ない、それは確たる証拠と言えるだろう。
勿論「家族」の中に、弟(故)の嫁: 「山田りえ(仮名)」も加わっていたと思われる。
 

遺品は全てを物語る、その人その人々の心情と人生の集大成だ。
特に私はその物に触れただけで、物に触れた「念」をつぶさに感じ取ることが出来る体質を備え持っている。私を仮想敵にし続けて来た家族・親族等は私の、その体質に最も怯えたのかもしれない。
 
言葉にしてはいないこと、絶対に知られたくないこと、人々が心に隠し持つ思いや記憶が私にはまるでネガのようにくっきりと浮き上がって見える。
 
父の手書きの遺言書も見つかった。その紙っぺらからは、私に対する並々ならぬ悪意が立ち上って来る。

美樹は傷ものだ。顔に傷のある者は人間に値しない。

私は失敗作として家庭内で廃棄寸前の扱いを受け、近い親戚や親族等がそれに賛同し、談合していたのだろう。
証拠の写真はこれでもかと言う程沢山出て来たが、私はその中から私への強い敵意を感じ取れるものだけを手元に置き、母や弟のアルバムその他の全ての「美しい記録」を全て廃棄するつもりだ。

最初からこの世に存在しなかったように私が彼等を整理し、せめて私は彼等の悪意とこれまでの悪の連鎖を全て断ち切る為の儀式を務め上げたいと願っている。

 

この写真は私が小学校3年生頃の写真。私の目が死んでいる。この頃私は母に右目を連日激しく殴打され、そのことで心身に大きなダメージを負っていた。空が黄色く見え、現実からの逃げ場所を必死に探して生きていた。

 
遺品整理中、弟(故)の嫁: 山田りえ(仮名)の父親が弟に宛てた手紙も見つかっている。

山田りえ(仮名)の父親も、私を排除した人々の中に括られる。
双方家族の身上書の交換により私と言う存在を知りながら、今日に至るまで何の言及もせず私を最初から存在しない人間のように扱い続け、しかも私が送付した手紙も無視し、現在も堂々とクリニック(内科)を経営している。

私から見れば山田りえ(仮名)の家族等も全員「敵」に等しい。
 

続く‥。

紅葉と母の秘密

朝、少しゆっくり起床して、未だ新しい新車で(夫の運転で)実家へ行く。
先日既に貴重品や通帳、アルバム以外の全ての荷物を遺品回収業者に運び出して貰った後の実家で遺品の整理を開始。
 
祖父からのお小遣いや現金書留の空袋が複数、それに桐朋音楽教室の同僚(沼尻竜典君 他)からのお手紙が私の手に渡らないまま、数十年もの時を経てようやく私に発掘される‥ 等、これでもかと言う程の母の隠し物が遺品として見つかる。
 
‥本当に酷い話。
私がかつて共演していたシャンソン歌手との個人的な手紙等も大量に見つかり、学生時代からそうやって私の人間関係に(私には絶対に分からないように)介入していた母の秘密が、彼女の死後にようやく暴かれる形に。。
 
何より私が家を出た後に、わざわざ私の名義で作っていた信託銀行の口座が虚しく本来の持ち主を待っていた。
恐らく中身は空っぽだとは思うが、一応明日銀行に確認の連絡を入れる予定。
 

 
その他にも故 父・母・弟・そして弟(故)の嫁の「山田りえ(仮名)」さんが4人で、楽しく収まった写真等も複数見つかった。
そこには私だけが知らされない時間が流れており、それを誰もが訂正に入ることなく楽しくやっていた様子を見ると、ただただ腹立たしさ以外の何も感じない。
 
但し、ゴシャゴシャになった段ボールから複数の、私が写っている写真も見つかった。
それは私が一度も見たことのない私の記録。何の為に今日までそれらの記録を母が私に隠し通していたのか、その理由は不明。
 

  
思うに人の不幸の上に成り立つ幸せなど、この世には絶対にあってはならない。
 
家族3人の生前、彼等が私に対して行って来た家庭内差別や家庭内暴力(虐待)その他諸々に対し、私は一切の反骨行動は起こさなかった。

特に2021年の夏、某王室の霊団が母の体から彼女の霊体だけを抜き取った後、私はじっとその日を待った。
「けっして手を出してはならない」との天照大神の助言もあり、そう遠くない将来「その時」が来ると言う予感を胸に思いながらの数か月間は、どこか重苦しい時間が流れて行った。
 
 
私は「暴きの星」を持って生まれて来た。その星をいつ、どの時点から私が持っていたのかは判然とはしないが、幼少期の私の七五三の写真を見るに、3歳にしてこの目ヂカラはなかなかのものだと自分でも思う。
 
今日、最高の収穫だった。
 

最期の番人

一昨日に遺品回収整理の最終立ち会いに、そして昨日は実家の売却に向けた不動産関係者の視察の為、夫の運転で実家に行って来ました。
 
老人の一人暮らしの成れの果て状態だった実家から一斉に、アップライトピアノと古いアルバムや個人宛ての手紙等の入った段ボール10個以外の、全ての荷物がなくなりました。
 
家族の位牌や遺影、その他弟が大切にしていた楽器等、色々迷った挙句私は全てを手放すことに決めました。
位牌や遺影はお焚き上げに出して下さるでしょうし、楽器はそれを必要とする人の元に向かうでしょう。
 
 
一度心に付いた思春期の古傷は、どうやっても癒えることなどありません。
特に私は記憶が劣化しない特異体質を持っている為、何もかもが「思い出」だとか「懐かしい記憶」に変ることがありません。
全ては昨日の出来事のように、この胸の中で永遠に巡り続けます。
 

 
都内某所の合祀墓に私を除く家族全員が今は静かに眠っていますが、それでも私が実家の敷地に入ると未だに悪さをして来ます。
どういうつもりなのか‥、彼等にとって私は人権すら与えられない「差別された人間」だと認識しているのか、それは分かりませんが、何はともあれ結果的に弟が私より先に亡くなり私が「家」の最期の番人になるとは想像すらしていなかったことなので、昨日は色々な過去の出来事が脳内を巡りとても複雑な気持ちになりました。
 

既に私は「捨てられた子」だったのでしょう。
ならば「捨てられた子」としての最期の見届け方があるでしょうし、私は最後までそれを務めて実家と今日まで彼等が行って来た「悪い連鎖」をここで断ち切らなければなりません。

現実的にも、そして霊的な意味合いでも。
 

 
実家の全体を写真に収めることには勇気が要ったので、私が長年使って来た実家の北部屋だけスマホに収めました。
この部屋に私は、長い間幽閉されて育ちました。

そのことを永遠に忘れることのないように、そして私をそういう目に遭わせて来た「山田家」と言う家族の罪と罰を私の中に永遠に留め置く為に、一つ一つのこれからの出来事を私は胸の中に封印して行きます。
 

「呪い」と言う言葉は好きではありませんが、こういう時の私の心情はまさにそれに近いのかもしれません。
私に理不尽を強いた家族親族(彼等に関わり私に同じく理不尽を強いた関係者を含む)の全ての未来から、せめて光を奪う権利ぐらいは私にもある筈です。
 
それはあくまで霊的な儀式として、私の中でしめやかに執り行うことに致します。
 

墓じまい

2022年10月14日、来る実母の一周忌を前に家族三人の墓じまいを済ませました。
 
当日母の骨壺を実家から墓地まで搬送し、指定の書類に必要事項を記入している最中に事務の方より、本来ならば母の骨壺に入ったままになっていなければならない筈の「火葬許可証」が入っていないことを告げられ、再度ビックリしました。
流石にここまでのことになって来るとあらためて、母の葬儀の喪主に勝手に名乗り出て私にひたすら内密にして、母を火葬した弟・山田大輔(故)の嫁「山田りえ(仮名)」さんが、益々怪しく見えて来ます‥。
 
何より今現在も彼女は私から必死に逃げ回っているのですから、流石にこの件の裏には何かあるのでしょう。
「山田りえ(仮名)」さんは元・薬剤師、現在は中医学関連店舗のスタッフとして、都内某所に勤務されています。
 
数か月前に私より「山田りえ(仮名)」さんのご実家へ、「山田雅枝 遺産相続の件」について詳細に書かれた書類のコピーを添えた書簡を送付していますが、その書簡にも「山田りえ(仮名)」さんのご両親からの返信はありませんでした。
ご家族揃って怪しい何かを隠蔽しているのか或いは、ご両親が娘可愛さに「山田りえ(仮名)」さんを庇っての既読スルーなのか。
 
何れにせよこの現状がある限り、いつか何等かの形で、彼らの身に必ず天罰が下ることでしょう。
 

 
かれこれ昨年末から10ヵ月間、親族その他関係者に送付した手紙の返信はお二人から届いただけで、他の親戚の方々からの返信の書簡はありませんでした。
何よりお墓を通じて、私を阻害・排除し続けて来た親族たちと繋がりを持ち続けるのは本意ではないので、予定を早めて墓じまいに踏み切りました。
 
流石に母の一周忌を迎えず‥ の合祀墓への埋葬には、当日「抜魂式」を担われた曹洞宗のご住職さんも驚かれたに違いありません。 
それより、途中住職さんがお使いになられていた鳴り物(印金)の音色が、抜魂式の後半に進むにしたがってくすみを帯びて来たのは一体何故だったのでしょうか‥。
 

 
おかしなことに、母の遺骨の入った骨壺の中から「火葬許可証」は抜き取られていたものの、代わりに眼鏡が入っていたことには少し笑いがこみ上げました。
笑ってる場合じゃないのですが、本来火葬直後の骨はとても高温なのでその段階で骨壺に、遺骨と一緒に眼鏡は入っていなかった筈です。
‥と言うことは、一旦骨壺を持ち帰った後に、誰かによって骨壺が開けられた後に母の眼鏡を、骨壺を開けた人物が「火葬許可証」とすり替えたと言う認識が正しいのでしょう。
 
本当に怖いですね。
そこまでして、母の火葬を買って出た人は一体、私に何を隠し通そうとしているのでしょうか。
考えれば考えただけ、恐ろしくなって来ます‥。
 

心に秘密(例えば犯罪に関わる隠し事等)や疚しい出来事を隠している人は、後に心臓に疾患を抱え込むことが多いようです。
 
物騒な話はこの辺りでお仕舞い。
本当に疲れているので、久々に明るめのブラジル音楽でも聴いて休みます。

この記事を読まれている皆様も、結婚相手を選ぶ際には人間性をよくよく見極めて、言葉の終わりの響きが曇る人、或いは不必要にシャキシャキとした口調で話す人にはくれぐれもご注意下さい。
 

母の誇りと「墓じまい」について

我が家は現在、絶賛引っ越しモードの最中にあります。

所謂‥ トラックで旧宅の荷物を一気に新居に運び込むのではなく、旧宅に荷物をある程度保管したまま新居を一から作り込むやり方で部屋作りを進めている為、通常の転居よりは少し時間と手間が掛かりそうです。

家具も一から夫が測って購入して組み立てているので、梱包を解いた後の段ボールの処理等を考えると二日から三日に一個の家具を増やして行くのが精一杯。
 

そんな中、母が未だ某所に資産を隠していたことが判明し、一旦終了した筈の遺産整理が再開されました。
ここは専門家の司法書士や税理士さんにお任せして、私たち夫婦は新居のお部屋作りの続きを継続しています。
 
急に重い荷物を担いだり環境の変化、その他シュールな変化などが続いた為(あるいは愛兎のマイケルの死で未だ私のメンタルが重く落ち込んでいる為‥)、一度更年期で終わった筈の「月のお客様」が再びお見えになり、ここ数日間はかなり酷い腰痛に悩まされている私。
 

 
現役の伴奏者時代に使っていたファイテンの腰痛サポーターを思い出し、先日遂に店舗に出向いてペンダントを含む色んなグッズを買い込んで来たところです。
 
旧宅でかなり古くなった固い布団に寝続けている間に正直かなり腰や背骨に負担が掛かってしまい、それが数年振りに急遽訪れなさった「月の訪問者」とも重なって、数日間殆ど布団から起き上がれずに居ました。
でも少しは体を動かした方が良いと思い、昨日の土曜日の夜にようやく馴染みのレストランにカジュアル・フレンチのプチ・フルコースを食べに出かけて来ました。
 

そこで出されたキャロット・スープが脳天を突き刺す美味しさで、前菜とメインディッシュの間とメインディッシュの後にもう一度、二度は飲まなければ帰れないと思い黒服さんにお願いしてリピートさせて頂きました🥕
 

 
今はもうない「グランドパレスホテル」では定番のこのスープが、都下の小ぶりなホテルのレストランで復活し、それを私たち夫婦は殆ど毎日頂くことが出来ているわけですから、これ程の名誉と幸福はありません。
 

そう言えば今回再燃した二度目の遺産相続ですが、一体母は何から自分自身と資産をここまで頑なに守り続けて来たのでしょうか‥。


先々週某日に或る封書が実家の郵便ポストに投函され、それを数日遅れで私が郵便ポストから拾い上げました。
普段の私ならばそこまで綿密に迅速に実家の手紙に対応することはないのに、あの時だけは違いました。封書をポストから受け取った翌朝に差出人として書かれていた銀行に電話を入れると、案の定そこには母がセキュリティーをMAXにした状態で温存していた銀行口座が存在し、それが未だ生きた状態で保存されていたと言うのだから、これにはさすがの司法書士さんも驚いたことでしょう。
 

 
ここからは一部私の、持ち前のテレパシーで受信した話が挟まります。真偽の程は五分五分と言う前提でお読み下さい。
 
母は生前、弟・大輔(故)の奥様の「りえさん(仮名)」に、何度か「自宅を譲りたい」旨の話をしていたようです。
最初はそれが母の本当の気持ちだった筈が、その件にまつわる一連の会話の中で母が(自身について)某王室の血を引くと言う話を「りえさん(仮名)」に伝えたことがあり、それを聞いた「りえさん(仮名)」の反応がどこか冗談でも聞いた時のようなふざけた表情だった為、途中から母の気持ちが変わったようです。
 

勿論この話は生前の母から直接聞いた話ではないですが、私は経歴にも書いてある通り「チャネラー」であり「テレパシスト」でもあるので、この辺りの話はもしかすると知っているのは「りえさん(仮名)」と私の世界でただ二人だけかもしれません。
 
以前一度だけ、Instagramで遭遇した‥ 表向きは「りえさん(仮名)」の知人と言う体(てい)の「エル〇〇ト(HN)」と言う人物が、誰も(私も)知らない母の事情を自分だけが知っている‥ と匂わせるようなメールを私に送信して来たことがありました。
仮にそれが真実だったとすればそれは、迂闊に第三者には話せない内容である筈。ですが問題はそこではなく、本来ならば「エル〇〇ト(HN)」しか知り得ない筈の話を、実は私が知っていたことの方でしょう。
 
音声に乗らない話を聞き取ることは、天界の音楽を聞き取るのと同様私にとっては日常茶飯事の動作にすぎません。

 
再開した二度目の遺産整理(相続)の元となった母の隠し資産の内容を見た時、それはただの数字の羅列に過ぎないにも関わらず私の目には、どこか特別な思いで母が内密に誰かから譲り受けた資産ではないかと直感しました。
 
母の口癖だった「ママはね、〇〇ダ〇伯爵の血を引いているのよ。」と言う言葉を、私は今でも忘れることが出来ません。
考えてみれば叔母の「昭子さん(仮名)」も面立ちが、現・英国の女王にとてもよく似ていました。これ以上の話については明言することも執筆することも私には現段階では出来ません。
ですが過去にお二人だけ、我が家の血筋について調べた人物が居て、その方々からは母が確かにそうした海外の王室の血筋を引く人物らしいと言うご報告を受けたことがありました。
 
母の誇りは本来ならばとても崇高なものである筈。ですが、彼女は余りに性格が歪んでしまい、最終的にはその崇高な資産を家族の誰にも悟られぬように独り占めし、誰の為に役立てることもなくこの世を去って行きました。
 
母の何よりの誇りは資産ではなく、おそらく「格」だったように思います。
 
本来持っていた筈の「格」を無謀に歪められた経験を持つ人は、往々にして性格がどこかの段階でねじ曲がってしまうことがあるようです。
私もその一人でした。ですが現・夫が偶然にも神武天皇の血を引く人だった為、私自身が抱え込んでいた性格の歪みから見事に私を救い出してくれました。
なので、私は母のような捻じ曲がった性格を、人生の半ばで修正することが出来たと思っています。
 

母にとって、もしも彼女の歪んだ性格を修正する機会を得られた時があったならば、仮にその切っ掛けになれたのはもしかすると私だけだったのかもしれません。
何故ならば私は母から聞いた「血筋」の話を真面目に受け取り、彼女の話に対して冗談めかした嘲笑を投げ返したことなど一度もなかったからです。
せめて母がその段階で私に対する「娘排除や差別」への執着に対する過ちに気付いて方向転換をしていてくれたら、母はあんなに寂しい最期を迎えずに済んだのかもしれません。
‥とは言え、もう後の祭りですが。
 

 
我が家の新居のお部屋作りは、暫くの間続きそうです。
この記事は先日夫が購入してくれたノートパソコンで書いていますが、未だ操作に慣れずに所々改行やらあちこちのレイアウトに難航しています。
 

とは言え我が家はこの転居の後に、母の遺骨の整理その他実家自体の清掃などが控えています。
これはInstagramの中では既に綴っていたことですが、実家「山田家」の墓じまいを予定しています。これについては弟・大輔(故)の奥様があらかじめ、山田雅枝(母)の遺産強奪計画書の中でも書いていたことなので、私は彼女「りえさん(仮名)」の意思を尊重し、父・寛、弟・大輔を含む家族三人のお墓をたたむ予定です。
 

 

今年の1月以降、私から数名の親戚に宛てて母の訃報と私が置かれた立場について、書簡を送りました。ですが親戚は誰一人、返信をよこしませんでした。
彼ら・彼女たちの中では私は「親戚の輪から排除すべき存在」と、誰かに叩き込まれていたのでしょう。ですがそうするか否かはあくまで個人の良識の問題です。
母の死から約9ヵ月間、時を経て様子を見て、これ以上全親族の間違いを継続させておくわけには行かないと言う判断に至りました。
ですので私は私の手で、「山田家」の墓じまいに踏み切ることに決めました。
 
現在私は「山田家」の唯一の法定相続人であり、墓地の管理者でもあります。
その私が弟・大輔(故)を含む私以外の家族全員の墓じまいに至るのは、至極当然でもあり、もう諸々じゅうぶんではないでしょうか‥。
 

よって弟・山田大輔(故)のお墓詣りも間もなく出来ない状況になりますので、この記事で告知させて頂きました。
これまで我が家、山田家の三人を厚く愛して下さった皆様へは、この場をお借りして娘であり法定相続人の私からお礼を申し上げます。
 

火のない送り火

2021年12月1日に実母がひっそりと他界し、今年が母の新盆にあたります。ですが母を火葬し喪主となって葬儀を執り行ったのは、実際の親族でも法定相続人でも何でもない弟・大輔(故)の奥様のりえさん(仮名)なので、きっと今頃母の新盆にまつわる行事は彼女が色々やっているのかもしれません。
 
なにせ母はカソリック教徒(表向きは)で麻布教会で葬儀が執り行われたと言う話が、従妹のInstagramの写真からも判明しているので、本来カソリック教徒には新盆も何もない筈です。
 
母の納骨の件、お墓の件諸々を親戚や親族に知らせることが現在は、私からは出来ない状況にあります。何故ならば母のみならず母を巡る親族全員が私を徹底的に排除し続け、一切の親族の冠婚葬祭から私を除け者にし続けた経緯があるからです。
又、大輔(故)の奥様のりえさん(仮名)が私から今も尚逃げ回っている以上、仮に母の納骨を済ませることが出来たとしてもそれは誰にも知られることのないまま、時間だけが過ぎて行くことになるでしょう。
 

りえさん(仮名)は私に無断で母の葬儀を勝手に執り行った日から10日後に、私には内緒で母の遺産を相続出来る方法がないかと言う相談を私の従妹のえみさん(仮名)と二人で弁護士に持ち掛けた人なので、従妹も同様に母のお墓の件や法事等についての連絡を私に取る‥ 等と言うことはもはや出来ないでしょう。
 

 
2022年7月31日 午後3時頃、愛兎のマイケルが他界。その直後から黒い霧が晴れたように、世界が(視界が)透明に輝き始めました。
多分‥ ですが、マイケルが母の呪いの全てをどこかに持ち去って行ったのだと思います。あの小さな体で母の呪いの念を全身で受け止めて、全力で私や夫、そして私達の前途・未来を守り抜いてくれたのだと思うと今でも、涙が溢れ出て来ます。
 

マイケルを火葬した日に最後にマイケルを葬儀場まで包んで運んだ時のバスタオルや、マイケルを最期に眠らせたブルーのファイバーマット等を綺麗に洗って、転居先に持って行けるよう畳んで仕舞いました。

ケージに差したままになっていた給水ボトルを見た夫が「水が腐るといけないから、これは早く処分した方がいいんじゃない?」と言ってくれたのですが、そこから3日後にようやく給水ボトルは洗って処分しました。
マイケルが逝く10日前までは食べ過ぎかと思う程よく食べていたペレットやオーツヘイの入った袋も、一先ず中身を分けて燃えるゴミと燃えないゴミとに分別して処分したところです。
 

時間は前に進むことしか出来ません。
先に旅立って逝った者をどのようにして弔えば良いのかと言うことについて、この半年間ずっと考えていました。幸い愛兎のマイケルは私達夫婦が温かく育てて見守って来たので、マイケルの死後もそれは変わりません。
一度インターセルフを経由して再び此方に戻って来たマイケルを、次はもっと健康な状態で第二の人生を謳歌させてあげたいと、今は考えているところです。
 

 
一方母に関しては、これまでの母の行いが余りにも悪過ぎました。
57年間にも及ぶ「娘迫害・疎外」の実績のツケは、死後の母が全て背負うことになります。
 
何やら母は弟(故)の奥様のりえさん(仮名)に、自宅を譲りたい‥ 等と言う心にもないことを口走ったようで、その言葉を真に受けたりえさん(仮名)が本気で自分が母の遺産を相続出来るかもしれない‥ 等と思いながら、母の私に対する呪詛の念を引き継いだことは意外ではありましたけど、きっと二人は同じ穴の貉だったのでしょう。 
 

仮に私が彼女の立場だったとしたら、仮に母・山田雅枝(故)がそのような(心にもないこと)を口走ったとしても本気にはしなかったと思いますから。
 

実家は現在耐震工事の真っ最中で、高層マンションのベランダの手すりの付け替え工事が行われている期間は、窓を開けることが出来ません。
又マンションのエントランスまでのスロープがとても不安定で、流石に母の遺骨を持ってスロープを降りることは危険過ぎるので、納骨はもしかするとうんと延期になるかもしれません。
 

今年の8月に某所の山田家の墓地を訪問された方は、唯一の山田家の法定相続人の私からの連絡を受け取ることも出来なかったでしょうから、色々と驚かれたかもしれません。そこには亡くなった母の遺骨もなければ墓石も何もなかったわけですから。
ですがそれが、母・山田雅枝の人生の集大成だと思って受け止めて頂くほかはありません。
もしくは法定相続人の私に頭を下げ、深く詫びを入れて頂く以外、母を弔う方法は他にないと思って下さい。
 
そもそも弔われるだけの資格のない人ですから、もう何もしなくても良いと私は思っています。
弟・大輔(故)の奥様のりえさん(仮名)が遺産強奪計画書に述べていた「墓じまい」の時期をうんと早めることだって、私には出来るのですから。
その時は、父(故)や弟・大輔(故)も一緒に永代供養に‥ と言うことになるでしょう。