大好きだった神父様との再会

昨日の遺品整理の過程でようやく、会いたかった人との再会を果たしました(勿論先方の人は既に他界していますが)。
記憶では、私が18才の誕生日がサビノ神父と最後に会った日でした。私にとても優しく接して下さる、彼は唯一の人でした。
 
あの日私は朝からお腹を壊し、本当ならば午前中早い時間に出かける筈が出かけられなくなったのです。そのまま約束をキャンセルする筈でしたがふと思い立って、急いで支度をして正午には家を出ました。
約束は箱根だったと思います。約2時間の道のりを経て約束のホテルに到着すると、そこにサビノ神父が微笑んでおられました。

 

 
うっすらとした記憶を引っ張り出すと、私の腹痛をいいことに母は一人で箱根に出かけようとしていました。ですがそれを、サビノ神父が阻止したのです。
「美樹ちゃんと一緒じゃなければ、今日会う意味がない。」と、頑なに。
 
勿論私が電話の向こうの神父の声が聴こえていたとは母は知らず、「どうする?行くのはやめましょうね。」と言う強引なダメ押しが段々と嫌味を増して来た辺りから、私の中にリベンジ精神が芽生え遂に私は「行く!」と言って立ち上がり、10分で支度を済ませました。
 
神父は大のコーヒー好きで、ヘビースモーカーだったように記憶しています。何杯も何杯も濃いコーヒーをお代わりして、私はジュースとケーキとサンドイッチなんかを食べたように記憶しています。
優しい日差しが射す、本当に穏やかな一日でした。その日が、神父との最後の日になりました。

 
翌年の同じ日、それまで毎年届いていた私へのバースデーメッセージとクリスマスカードが届かず、そこからさらに一年後の同じ日に、サビノ神父が(私と最後に会ってから間もなく)飛行機の中で亡くなられたことを知りました。
 
母の遺品の中からは大量にサビノ神父との書簡や神父が写った写真が見つかり、きっと母はサビノ神父を神父以上に好きだったのでしょう。
 
私はずっとこの写真を探していました。
ですが結局母は、遺品回収業者が遺品の仕分け整理をしなければ見つからない場所に神父との思い出の品々を隠し通し、絶対に私の手には色々な写真や思い出の品々が渡らないような状態にして全てを隠し通したかったと言う母の遺志が、今になってもひしひしと伝わって来ます。
 
一昨日のブログ記事『悪意の記録 2. – 遺言書作成過程の書類』に、実家全体が私を絶対に実家に寄せ付けたくなかったと言う決定的な証拠写真を掲載していますが言われるまでもなく私はずっとそのことを知っており、勿論感じており、それを近しい親族に訴えたこともありました。ですが今思えば皆、母とグルだったのでしょう。
それなら幾ら私が助けを求めても、誰一人反応等しなかった筈です‥。
 

 
私の家庭内排除がどのような名目で今日まで為され続けて来たのか、その理由や動機は結局今でも分かりません。
ひとつだけはっきりしていることは、「山田家」と言う集合体の中で私だけが人権を一切与えられていなかったと言う事実と、私の排除・迫害の発端が父だったと言う事実です。
父は根っからの差別主義者であり、容姿の良くない女性のみならず韓〇の人々やイン〇の文化等を取り上げ、日夜侮蔑な発言を繰り返すような人でした。
(特に足の太い女性を町で見かけるや否や、相手に聞こえるような大声で差別発言をすることも、度々ありました。)
 
(そんな父を含む山田家と親戚全員が私にしたような)最初から存在しない人のように扱われて来た者の気持ちは、近い状況に置かれた経験のある人にしか理解出来ないのでしょう。
 
私がそうされて来たように、次は私が亡くなった家族三人と彼等の歪んだ意思に便乗して私を排除し続けて来た(弟の関係者を含む)すべての人たちに対し、私も彼等を「最初から存在していない人」であるように接し続けることを今後のミッションに加えます。
 
 
昨日は他に、亡くなった弟と妻「山田りえ(仮名)さん」の結婚式の写真も、大量に見つかっています。その中には「山田りえ(仮名)さん」のご両親のお姿も記録されていました。
 
絶対に私は許しません。
私の存在を知りながら私を「最初からこの世に存在しない人」のように扱い続けて来た、全ての人たちを。
報いは必ず受けてもらいます。

 
ですがせめて今日と明日だけは、大好きだった神父様との思い出で心を温めていたいと思います。
 

悪意の記録 1.

 

 

 

 
今日は疲労困憊なので追って後日、今日の遺品整理中に見つけた、家族が長年私を「仮想敵」にし続け私を徹底的に排除し続けて来たことに於ける、書面の証拠をこのブログに掲載しようと思う。
 

どんな言い逃れも出来ない、それは確たる証拠と言えるだろう。
勿論「家族」の中に、弟(故)の嫁: 「山田りえ(仮名)」も加わっていたと思われる。
 

遺品は全てを物語る、その人その人々の心情と人生の集大成だ。
特に私はその物に触れただけで、物に触れた「念」をつぶさに感じ取ることが出来る体質を備え持っている。私を仮想敵にし続けて来た家族・親族等は私の、その体質に最も怯えたのかもしれない。
 
言葉にしてはいないこと、絶対に知られたくないこと、人々が心に隠し持つ思いや記憶が私にはまるでネガのようにくっきりと浮き上がって見える。
 
父の手書きの遺言書も見つかった。その紙っぺらからは、私に対する並々ならぬ悪意が立ち上って来る。

美樹は傷ものだ。顔に傷のある者は人間に値しない。

私は失敗作として家庭内で廃棄寸前の扱いを受け、近い親戚や親族等がそれに賛同し、談合していたのだろう。
証拠の写真はこれでもかと言う程沢山出て来たが、私はその中から私への強い敵意を感じ取れるものだけを手元に置き、母や弟のアルバムその他の全ての「美しい記録」を全て廃棄するつもりだ。

最初からこの世に存在しなかったように私が彼等を整理し、せめて私は彼等の悪意とこれまでの悪の連鎖を全て断ち切る為の儀式を務め上げたいと願っている。

 

この写真は私が小学校3年生頃の写真。私の目が死んでいる。この頃私は母に右目を連日激しく殴打され、そのことで心身に大きなダメージを負っていた。空が黄色く見え、現実からの逃げ場所を必死に探して生きていた。

 
遺品整理中、弟(故)の嫁: 山田りえ(仮名)の父親が弟に宛てた手紙も見つかっている。

山田りえ(仮名)の父親も、私を排除した人々の中に括られる。
双方家族の身上書の交換により私と言う存在を知りながら、今日に至るまで何の言及もせず私を最初から存在しない人間のように扱い続け、しかも私が送付した手紙も無視し、現在も堂々とクリニック(内科)を経営している。

私から見れば山田りえ(仮名)の家族等も全員「敵」に等しい。
 

続く‥。

紅葉と母の秘密

朝、少しゆっくり起床して、未だ新しい新車で(夫の運転で)実家へ行く。
先日既に貴重品や通帳、アルバム以外の全ての荷物を遺品回収業者に運び出して貰った後の実家で遺品の整理を開始。
 
祖父からのお小遣いや現金書留の空袋が複数、それに桐朋音楽教室の同僚(沼尻竜典君 他)からのお手紙が私の手に渡らないまま、数十年もの時を経てようやく私に発掘される‥ 等、これでもかと言う程の母の隠し物が遺品として見つかる。
 
‥本当に酷い話。
私がかつて共演していたシャンソン歌手との個人的な手紙等も大量に見つかり、学生時代からそうやって私の人間関係に(私には絶対に分からないように)介入していた母の秘密が、彼女の死後にようやく暴かれる形に。。
 
何より私が家を出た後に、わざわざ私の名義で作っていた信託銀行の口座が虚しく本来の持ち主を待っていた。
恐らく中身は空っぽだとは思うが、一応明日銀行に確認の連絡を入れる予定。
 

 
その他にも故 父・母・弟・そして弟(故)の嫁の「山田りえ(仮名)」さんが4人で、楽しく収まった写真等も複数見つかった。
そこには私だけが知らされない時間が流れており、それを誰もが訂正に入ることなく楽しくやっていた様子を見ると、ただただ腹立たしさ以外の何も感じない。
 
但し、ゴシャゴシャになった段ボールから複数の、私が写っている写真も見つかった。
それは私が一度も見たことのない私の記録。何の為に今日までそれらの記録を母が私に隠し通していたのか、その理由は不明。
 

  
思うに人の不幸の上に成り立つ幸せなど、この世には絶対にあってはならない。
 
家族3人の生前、彼等が私に対して行って来た家庭内差別や家庭内暴力(虐待)その他諸々に対し、私は一切の反骨行動は起こさなかった。

特に2021年の夏、某王室の霊団が母の体から彼女の霊体だけを抜き取った後、私はじっとその日を待った。
「けっして手を出してはならない」との天照大神の助言もあり、そう遠くない将来「その時」が来ると言う予感を胸に思いながらの数か月間は、どこか重苦しい時間が流れて行った。
 
 
私は「暴きの星」を持って生まれて来た。その星をいつ、どの時点から私が持っていたのかは判然とはしないが、幼少期の私の七五三の写真を見るに、3歳にしてこの目ヂカラはなかなかのものだと自分でも思う。
 
今日、最高の収穫だった。
 

祝いの席

劇中の刑事・杉下右京氏が言うように、必ずしも正義が勝つとは限りません。ですが悪が勝利して良い世の中など、まかり通ってもいけない。
仮に悪が優勢な状況が現実的にまかり通る場合には、非現実的な方法で悪は悪としての報いを受けることが望ましいと私は思います。

だからと言って私が悪を成敗することは出来ないので、そういう時は高次の方々の判断と英断に全てを委ねることが必須になります。

 

 
今日は色々な意味も含め、夫婦で(某所で)静かな祝いの席を設けました。
これまで滅多に味わうことの出来なかったシャトーブリアン(300g)をほおばり、その他の美味しいフードや店主の饒舌な会話に舌鼓を打ちながらのあっと言う間の数時間は、とても味わい深い貴重な体験でした。
 
今日はその他にも多々進展があり、数日前に私が下した「或る決断」についてもお世話になっている司法書士さんにお話ししたところです。

 

 
どうやらリアルの私の親戚界隈で、私は「指定危険人物」のように言われていますが、現在(特に今年知り合った‥)の人間関係の中で私をそのように言う人は一人も居ません。
 
先入観とは本当に恐ろしいものだと、言わざるを得ません。
そして容姿の欠落等なんのそのと言う様に外形的な情報をあっさり吹き飛ばし、物事を客観的に判断してくれる人との関わりを今後は優先したいと思います。
 
人間には誰しも大なり小なり「テレパシー」のようなものが備わっている筈。
その能力を以てその人の人となりを正確に判断し合える、そんな人間関係を今後は構築しなければならないと思っています。
 

 
数ではなく、質。良質な人間関係は、良質な未来を引き寄せると信じて、これからの人生を歩んで行きたいです。

勿論その代わり、これまでの私に排他的であったり不幸をもたらそうとしたり虚偽を述べたり、私からのアクションに対して悪意で無視した人達には、それなりの報いがもたらされると思います。
それは私の力ではなく私をこれまでサポートして下さった霊的な力を持つ方々によって、もたらされることです。
 
これは予告として受け止めて、その時がもしもあなた方に訪れた時には各々がその報いから逃れることは、絶対的な確率で出来なくなると思って下さい。
その意味で、正義は必ず勝利すると私は確信しています。

 

心の傷(あれから五ヶ月が経過し‥)

昨夜は、士気を高める為の大切な和会食を、夫と堪能しました🥢
たらの芽をとことん味わう為の和のお料理の数々に感動し、料理長ともお話しする事が出来ました。
 

 
このところ色々な方面で会食が続いていますが、初めてお会いする方々からも私はとても愛され、大切にされているのを強く感じ、それを深く噛みしめています。
特に先日夫の会社の方々が開いて下さった夫の退職の送別会では、その会社の社長や会長とも和やかにお食事を楽しむことが出来ました。勿論皆さんとても親切でしたし、私に対してとても優しく接して下さいました。
 

本来私は社交的な性格だった筈。57年もの間、親族には「やれ危険人物だ」とか「やれ、秘密にしておきたいことを見境いなく白日の下に晒す怖い人だ」‥ 等と言う風に私は扱われ続けて来たのですが、そんな親族等の私に対する認識や接し方が大きな間違いである事を親族ではない他人の関係性の方々が一つ一つ、丁寧に証明して下さいます。
 

本来の自分に戻る事、本来の自分を取り戻す為のプロセスはきわめて順調です。後は今日まで私を排除疎外し続けて来た親族・親戚及び弟・大輔(故)の関係者達に対し、どう対処・対応して行くべきか‥。
 
私個人の力量の壁がある事は重々分かっているので、この辺りは専門家の力をお借りする事がベターなのでしょう。
 

 
差別、虐待、謂れのない排除‥、私に対するそのような状況に何の疑いも持たないどころか、私に一度も会ったことのない人達にそのような状況を肯定され続ける事に対し、私はそれを受け容れるわけには行きません。
今日はその辺りの状況や心情等を夫と共に再認識し、その後に備えた諸々に対する思いと覚悟を新たにする為の会食を執り行いました。
 

InstagramのDMで弟・大輔(故)や母・山田雅枝(故)と深く関わりのあった「他人」と言う体(てい)で綴られたメッセージを再度読み返し、仮にそれが弟(故)の奥様ではない第三者だったとしたならば、書かれてある内容はそれはそれで大きな問題が山積しています。

弟・大輔(故)の奥様が会ったこともない私を陰で「危険人物」だ‥ 等と特定し、他の人とその認識を共有しているとしたら私も、そうした状況へと至った経緯や事の真相を是非、追及しなければなりません。
 

 
今日まで時間は十分にありました。
母が亡くなったのが昨年の2021年12月1日でしたから、それから5ヶ月は経過したことになります。
その間に彼らの誰一人として私に対し一度の謝罪もなく今日まで時を経て来た事や、その間弟・大輔(故)の奥様が未だに私から逃げ回っている事や‥。

その他、我が家の遺産強奪について弟・大輔(故)の奥様である「りえさん(仮名)」が某弁護士に相談を持ち掛けた件まで、ここで一旦事の流れを整理し、私達夫婦はその次のプロセスに進まなければなりません。
 

本来の私がどんな人間であり(根は温厚で社交的な人間であるにも関わらず)、それをどのように(誰に)捻じ曲げられ、事実とは異なる事を私の知らない親族やその関係者の隅々にまで吹聴され、長い時間をかけてその諸々の連鎖の過程で得た私の心の傷は、客観的に見ると私が思っているよりもうんと深くえぐれているようにも見えます。
その深くえぐれた傷口にさらに塩を塗りたくるような言動に平然と及んで行った人達には是非ともそれが間違いであるだけでなく、大きな罪だと言う事に気付いて頂きたいと願っています。