音楽評論 “The Song Is You” – Rava, Enrico / Hersch, Fred

昨年暮れから個人的な生活環境の変化で何かと忙しくなってしまい、暫くの期間音楽評論記事も書けていませんでした。
転居が挟まり自宅のパソコンではなく新居に持ち込んだノートパソコンで日々の作業をしている為、未だしっかりと音楽を聴ける環境が整備されていません。
 
今日はそんな日々の合間に一時的に旧宅に戻り、操作しやすいデスクトップで作業をしています。
新曲の構想を練ったりリハビリを兼ねて鍵盤に触れたり‥ と色々課題山積の中、この記事を書いています。
 

“The Song Is You” – Rava, Enrico / Hersch, Fred

 
思うところがあり、表向きは当面お休みを頂いていた「世界の音楽 / 新譜チェック」ですが、実は自分自身の感性のブラッシュアップを兼ねて密かに続けていました。
ですが特に世界的に新型コロナウィルスの陽性者の人数が右肩上がりになってから、良質な楽曲に出会う確率が激減しています。
 
目立って配信曲数が目立つジャンルを挙げるならば、作成が意外に楽なチルアウトミュージック系、Lo-Fi系、そしてカバー曲の配信等でしょうか‥。
 
この記事のアートワークは久々にスケールの大きいジャズ・アルバム「“The Song Is You” – Rava, Enrico / Hersch, Fred」。
フレッド・ハーシュは1955年10月21日 生まれ、アメリカ在住の66歳の現役ジャズ・ピアニスト。
エンリコ・ラヴァは何と御年83歳、イタリア出身のジャズ・トランペッター。
 

 
先に申し上げておきますが、私はジャズと言う概念もジャズ自体も好きではありません。
あの何ともムズカシそうに考え深げな表情で実は「え~っと、えっとえっと、え~っと‥」みたいに迷いながらアドリブを探る状況には、ほとほとむず痒さ以外の何も感じられません。
 
このアルバム『The Song Is You』の冒頭の作品Retrato em Branco e Pretoで一瞬だけ瞬殺された私でしたが、2曲目辺りから胃もたれを誘発せんばかりのムズいアドリブに苛々しながらも、やはりイタリアものに弱い私は結局ズルズルと最後まで後ろ髪を引かれながら一先ずアルバムを完走しました(笑)。
 
‥と言うのも、フレッド・ハーシュの上品なコード・プログレッションはなかなか素晴らしく芳醇で、退屈さの中にも一寸先の展開を見逃すことが惜しくて結局「えっとえっと‥ え~っと‥」的なエンリコ・ラヴァのアドリブに嫌々渋々とは言えないほのかなスリリングを求めながらアルバムに引っ張り回されました。
 
フレッド・ハーシュがマイルス・デイヴィスの音色に触れたことが切っ掛けで、トロンボーンから思い切ってトランペットに楽器を持ち替えたと書かれているように、アルバム全編のどこかしこにマイルスの黒い輝きが見え隠れしますが、ともすると土臭さだけが先に立ちそうなトランペットを繊細なパイ生地で包み込んで行くようなフレッド・ハーシュの解釈は圧巻でした。
 

  
残念ながらアルバム “The Song Is You” で最も楽曲が冴え渡っていたのは、冒頭曲のRetrato em Branco e Pretoだけでした。
 
楽しみだったラスト曲の『Round Midnight』に至る残り全曲が迷走するように音楽が刹那的であり、そこに私の大嫌いな現代音楽の「ヒョロ~ン!ピロ~ン!ガッチャ~ン!」みたいな非論理的かつ暴力的な音の断片が乱用され、折角の冒頭のメロディアスで理知的な流れは完全に叩き割られたまま、脱輪車両が崖から落ちる寸前で止まったようにアルバムが終了した感は否めません。

現代音楽を愛好する人達の多くが「音楽の権威主義者」だと私は思っており、そんなこと(一種の自己満ごっこ?)は仲間内だけでやって欲しいと常々感じていました。
権威を袈裟に着させて音楽が美しくなるなどある筈もなく、音楽はただ無垢で純粋で美しくメロディアスでノスタルジックな音の最小限の粒に託すだけで十分なのです。
その意味で私はジャズと現代音楽に対しては、同じボルテージの嫌悪感を感じるわけです。
 

音楽に戦争と葛藤は不要です。
ショパンが今一つ庶民に愛されない理由もそれに似ており、冒頭の美しいメロディとノスタルジックなコードで織りなす音楽を展開部でいきなり始まる「戦闘モード」で叩き割る作風が、リスナークラスの音楽愛好家には全く嫌悪されていることにはそろそろ専門家や音楽評論家等には気付いて、その旨発信して頂きたいところです。

 

Enrico Rava & Fred Hersch

 
と言うわけで、この記事の最後にアルバム『The Song Is You』のSpotifyのリンクを貼っておきます。
私の音楽評論と重ね合わせながら、各々の感性でお楽しみ頂ければ幸いです。
  

音楽から読み解く世界情勢 [2022.01.19]

かれこれ私は10代半ばから音楽の仕事に携わっているが、これ程までに音楽界全体が迷走している様を見たのは人生初かもしれない。
1991年に勃発した湾岸戦争や、2011年の春に始まったシリア内戦の時でさえ、ここまで音楽界全体が衰退しなかった。だが、今一連の世界的なコロナ・パンデミックがこの世の全ての流れをせき止め、人々の精神や文化の発展を大きく阻害している。
 

こんな時でさえ、あれほど「地球を救済しに行くぞ」と息巻いていたとされるプレアデス星人等の地球への救済は為されず、人類は最早自力でこの難局を乗り越えて行く他の全ての道を絶たれた状態に在る。

特に2021年から現在に至る音楽情勢は危機的であり、世界的に多くの音楽家達が活動の場を追われている。主に舞台表現を得意とするミュージシャン達の前途は暗い。
例えば韓流女性ユニットの IZ*ONE は2021年4月29日で約3年間の活動を終了し、同じ韓国では最強のユニット 東方神起 も2019年以降の目だった活動は無い。
 

 

イタリアはカンツォーネ歌手の Andrea Sanninoオルネラ・ヴァノーニ が比較的インターネット配信での活動に華が見られる他は、全体的に活動や配信に翳りが見られる。
 

フランスはシャンソン歌手の Patricia Kaas(パトリシア・カース) も最近のアクティビティーは無く、唯一 Danny Brillant が昨年 Charles Aznavour(シャルル・アズナブール) の楽曲ばかりをセレクトしたフルアルバムを一枚リリースしている‥ と言う具合に、全体的に見ると一部の、インターネット配信に強いアーティストだけが断続的に楽曲を配信している印象が強く、音楽界全体としてはエネルギーがかなり弱まっている感が否めない。
 

 

フランスで私が長年注目している女性歌手 Enzo Enzo(エンゾ・エンゾ)が2021年に、久々にアルバムEau calmeをリリースしている。アルバム全体がヴォーカル+ギターのみで構成されており、一見シンプル・シャンソンにも視えるが全体を通して聴くとかなり地味で楽曲も冴えない印象だけが後に残る。
 

 

南米でアクティブな活動が見られるのは、意外にもメレンゲ (Merengue) 業界界隈ではあるものの、ラテン全般で見ると以前程の華が見られない。

中でも Elvis Crespo(エルヴィス・クレスポ) 辺りがブイブイ言わせながらメレンゲ界隈の華やかさを高めているようにも見えるが、楽曲の配信数に見合わず作品の質が明らかに落ちている。
 

 

そして最も私が気掛かりだったのは、Sufi(スーフィー)界隈のアーティストの活動が殆ど見られなくなった点だ。

Omer Faruk Tekbilek(オマール・ファルク・ テクビレクMercan Dede(メルジャン・デデ)Burhan Ocal(ブルハン・オチャル)、‥等、Sufiを代表する多くのアーティスト等の活動が2019年以降止まっているように見える。
 

 (⇧の動画、舞台中央の白髪の男性がオマール・ファルク・テレビレク。)
 

カッワーリ界隈からの音も途切れており、Fareed Ayaz(ファリード・アヤズ)Sabri Brothers(サビール兄弟)Rahat Fateh Ali Khan が2021年にかなり音質の悪いアルバムが2枚リリースされる以外のアクティビティーが見られない‥ 等、全体的に活動が低迷している様は否定出来ない。
 

 

クラシック音楽に視点を動かすと、2021年はかのショパン国際ピアノコンクールが1年遅れで開催されたことで若干賑わいを取り戻したものの、入賞した演奏家等のアクティビティーも然程目立っているとは言えず、それもその筈で彼等はオリジナルの作品を生み出して演奏する音楽家ではないので、結局のところは「舞台表現型」の表現手法以外の活動手段を持たないのだからそれも致し方ないのだろう。

ショパン好きはショパンと言う作曲家の音楽を聴きたいのであり演奏家と言う肩書きのパフォーマーに寄り付きたいわけではないのだから、「コンクール」と言うお祭り事が終わった後にはそこに静寂しか残らないわけだ。
 

それ以外のクラシック音楽は、主流を未だに現代音楽から動かしていない。
この物騒な時代にガチョーン!ガビーン!‥ 等と言う破壊芸術的な意味合いを多く含む、激しく痛々しい無調の音楽はもはや無用の長物であるだけに、ほぼ「見向きもされなくなっている」と言っても過言ではない。
クラシック音楽の専門家である私自身がそもそも現代音楽が嫌いなので、一部の現代音楽関係者以外はほぼノータッチと思って間違いないだろう。
 

 

現代音楽からは少し外れるが、私はこの人 Samuel Barber(サミュエル・バーバー)“Adagio for Strings” が大好きで、ベネズエラの指揮者 Gustavo Dudamel(グスターボ・ドゥダメル)の指揮で演奏される以下のトラックを時々聴いている。
 

 

話題が多岐に渡り過ぎるとかえって混乱するので、これでもかなりセーヴしながら記事を書いているが、やはりここのところ活動が活発に見えるのは台湾のポップス関連と、一部の(ジャンルとしての)ブラジル音楽界隈かもしれない。

特に台湾ポップスは全体的に粒が揃っており、業界全体の質が底上げされている感じに視えて来る。
 

 

 

一方ブラジル出身ではないがブラジル音楽にかなり近い表現スタイルをキープしているこの人 Didier Sustrac(ディディエ・シュストラック)[フランス人] も2021年9月に、愛娘をゲストに招いて新作PVを出しており、音楽のクオリティーも比較的高い状態で維持されている。
 

 

フランスから少し視点を動かして「スペイン」の音楽情勢を観てみるが、此方も余り目立った動きが見られない。

女性フラメンコ歌手 Argentina がキューバン・サルサとフラメンコを見事に融合させた新作IDILIOを2020年2月にリリースしている。この作品を中心としたアルバムが近くリリースされると言う噂があったので心待ちにしていたが、結局今日現在までアルバムはリリースされていない。
 

 

こうして全体を見渡してみると多くの「舞台表現型」のミュージシャン達が息を潜めており、諸々の事情で活動自体を停止しながら次の機会を狙っているようにも見えて来る。
 

そんな中、あえてヴィジュアルを出さずに音楽だけをサブスクリプション等から粛々と配信し、ある種の凄みを見せているジャンルの一つとしてLo-Fiミュージックが挙げられる。

 

「Lo-Fi」とは音像をあえてクリアにせず、若干の汚しを入れた音楽作品を指す。ジーンズで言うところの「ウォッシュド」の状態に近く、ある種のヴィンテージ感を出すことで楽曲に古めかしさ等を添え、アナログ感をもたせた作品が多い。

以下は私がSpotifyにスクラップした昨年版の「Lo-Fi」のプレイリストになる。
 

 

書こうと思えばまだまだ多くのジャンルに跨って行くことも可能だが恐らく私が地上ほぼ全体の音楽ジャンルを網羅しているだけに、読む方々の中に混乱が生じる懸念もあるので、本記事はこの辺りで一旦記事をお開きにしようと思う。

本記事の最後に、わたくし Didier Merah の作品を一つ添えておきます。
 

 

 

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