怒りと祈り

私の中に怒りが湧き上がる時は、その怒りがどこから来る感覚なのかを先ず探る。
 
最近の怒りの特徴の一つが、まるで他人から借りて来たような怒りが内側に発生しているような感覚があること。対外この種の怒りの感情は「呪詛」にも似た何等かの可能性が高いので、そういう時は会話もSNSもその他の趣味も全ての手を休め、外側の現象を追跡することに決めている。
 
勿論音楽を聴いたりライトなムーヴィーを観て気を紛らわすこともあるが、その多くは徒労に終わる場合が殆どだ。
 
我が家に数人の神が棲んでいることを、他者には話さないよう気を付けている。
これはいち個人にもプライバシーがあるのと同様で、神々にもそれはあるからだ。仮に著名な「神が居る」とされるパワースポットから神が逃亡を図ったとしても、それは迂闊に口外すべきことではない。だから私たち夫婦はパワースポットや神社等から逃走した神々については、一切外側には語らない。
 
その代わりに私たちのSNSを追って頂ければ、真実の神々に少しだけ接近することが出来る筈。でもあくまで発信はとても上品に厳かに、何より自然な日常のひとコマであるように私たちは神々を語る。
 

 
私は預言者であり、予言者でもある。
直近の予言や預言の多くは既に、私自身のピアノアルバムの中に放出して来た。だが多くのリスナーがそのことに全く気付いていない。就寝前に私のアルバムを聴くと「よく眠れる」等と言うリスナーも多いが、それはある意味とても自然な心理の顕れかもしれないと最近思う。
 
多くの私のアルバムのストーリーが「人としての死」からスタートし、長い時を経てインターセルフを経験し、その後生まれ変わりの希望の灯を見つけたところでアルバムが終わって行く。
転生の可能性を秘めながら決して人の転生までを描かない、あくまで可能性を感じたところでアルバムが終わって行くのだ。
 
インターセルフでは多くの場合、魂は眠る。そこは天井の低い病室に似たところで、ベッドが無限に連なった大部屋のようなイメージだ。
だが不思議なことに隣り合うベッド同士が視界に入ることはなく、その大部屋を傍観している別の管理人のような存在だけが、大部屋のどこに誰が眠っているのかについて知るのみである。
 
私のアルバムを聴くリスナーが「よく眠れる」理由は、ただ一つ。殆どの楽曲が人間の意識を抜け出た後の霊体の追体験を描いているからだ。
 
そんな感じのアルバムを数年掛かりで複数枚、サブスクリプションから配信し尽くした感がある。丁度腱鞘炎の悪化にともない、そこに私の家族全員の死~遺産相続、そして新型コロナウィルスのパンデミック等が折り重なり、少しの期間自身の音楽(創作)活動を止めている。
その代わりに新たな仕事である「音楽評論」に磨きを掛ける為、個別の芸名を持ち、こことは違う別のブログやSNS等で活動を開始して数か月が経過した。

自分自身を捨て去ると、ものの輪郭が鮮明に見えて来る。これがつまり「エゴを捨てる」と言うことだと痛感し、それが今のクールな私のベースになっていると思う。
最近は事あるごとに私は私ではない「もう一人の自分」の姿と名前を借りて、本体とは違う視点からSNSを通じてメッセージを発信している。
「もう一人の自分」の耳で聴く音楽は本体の自分とは少し異なる聴こえ方をする分、口調も辛辣軽快に飛んで行くから面白い。
 


3月ももう直ぐ半周を迎えようとしている。3月21日は「春分の日」、その日に向けて天界から多くの魂や神々が地上に降り立つ支度を始めたようだ。
我が家にも幾人かの神々が、毎度のことのように直ぐ傍まで来ている。
 
神人共食は常日頃の出来事であるが、昨夜のそれはいつもと少し様子が違った。
或る神の怒りが木霊のように、食卓周辺を徘徊していた。それは私たちに向けられた怒りではなく、私たち周辺に群れる良くない噂の出所に向けられた怒りだと気付いた。
 
このところ、私にも夫にも各々色々な人との多数のやり取りがあった。穏やかに事を進めようとすると決まって起きる馴れやマウント等、私たちの当たり前は他者にとっては少しも当たり前なことではないと、各々の出来事を見る度に愕然とする。
昨日もそれに類する出来事が、重なり合うように起きている‥。
 
業種ごとに、その業種のキャラクターに自分を寄せてカスタムすれば済むことだが、もうそんなことに労力を使いたくはない。理解すべきは私たちではなく、相手の側だから。
 

私たちは既に、世界の終わりを知っている。それがいつか‥ については神々が決定するとしても、このままではいつかその日が必ず来るだろう。

巷では予言だ遠隔ヒーリングだなんだかんだと言い、遊び半分でなにがしかのイニシエーションもどきを実施する偽物施術者が横行している。多くの依頼者が施術者や霊能者を目掛け、開運の方法や未来リーディング等を要求し、依頼者自身の希望に副わないリーディングの内容が此方の口から出た途端に怪訝なリアクションを返して来る。

偽物に慣れた人々は、偽物以外を受け入れようとしない。‥そのような一人一人を地球の外に摘まみ出してやりたい気持ちは山々だが、それよりは未来の地球の平和を祈ることの方が今の地球を幾分癒すことが出来るかもしれない。
 
読書をしていても料理をする時でも、或いはコーヒーを飲みながら外のマンションの窓に映る夕日の跡を見つめるながら‥、いかなる時でも祈りは私の心を解きほぐしてくれる。
昨夜は食卓の花や水耕栽培中のスペアミントに触れながら、この先地球の最期を一日でも一秒でも先に引き延ばせるよう祈りながら私は、三つの花瓶の水をゆっくりと取り替えた。
 

鬼が潜む場所 – Where Demons Hide

2月3日は「節分の日」ですが、私たちはこの数年間ほぼ毎日「邪悪な存在」と戦う日々を送っています。
特に私の肩書に「預言者」を足してからと言うもの、攻防は激化していると言っても過言ではありません。
 
多くの預言者を名乗る人たちがこの世界に暗躍していますが、私(& 夫)の預言は運命圧との闘いを回避出来なくなるところに到達している為、日々「圧」が強まっています。
最近では先方の側が此方の攻めどころを見失っている為なのか、体調不良にそれは露骨に顕れます。

そんな中の折角の「節分の日」なのでこんな日こそ、穏やかにディナーを堪能することぐらいは私たちに許されても良いと思います。
 

 
このご時世、右にも左にも鬼が潜んでいます。特に新型コロナワクチンを接種した人が発する独特の異臭と特殊な物質は、未接種者の体をも蝕んで行きます。
これを鬼と言わずして、何を鬼と呼ぶべきか‥。
 
こんなことを書くから人が離れて行くのでしょうけど、私の預言の精度は人の意見に惑わされない分向上し続けています。
既に私の音楽アルバムにその一部を封印して配信しているので、是非一度でも良いので聴いてみて下さい。

 

“World of Nature” – Didier Merah

 
特にこの「Eternal Pain」は人間の目線から聴く時と、大自然の精霊の視点で聴く時とでは音楽の意味が全く変わります。
変わらないものがあるとすれば、それは双方にとっての「永遠の痛み」が描かれている点でしょうか。
 
特に私(Didier Merah)の音楽を聴く時、タイムの表の縦の音や音粒のアタックを聴くのではなく、もっと後方の残像に意識を向けて聴くことを是非お勧めします。
そこには人智を超えた存在や、彼等の祈りが大きく横たわっています。そして彼等の思いにもう少し早く気付いて欲しかったと言う自然神の嘆きが渦となり、音楽の表層へと溢れ落ちて行きます。 

 

アマテラスの声 2. – 神人共食

午前中の澄んだ空が嘘のように、夕方から小雨に見舞われた東京都下。

今年の夏、実家に仕掛けておいたオゾン脱臭装置を一旦オフにする為に昨日は二つの駅を往復しただけなのに、ぐったり疲れて帰宅してから殆ど何もせず、かと言って眠ることすら出来ない悶々とした夜を超えて、日曜日、朝。
 

かねてから予定していた実家の墓じまいが色んな理由で少し遅延しているので、日曜日の朝には大まかな流れを把握したり業者手配をしたり‥ と色々格闘していたら、案の定の「圧」。
この「圧」が一体どこかで来ているのかなんて考えても無駄で、私がこの世に生まれてから今日まで続いた私の人生の妨害壁の最も大きな要因になっている実家のお墓を早々に片づけてしまいたいと言う気持ちは日増しに強まって行く。
 
今日まで私がどんなにか世界に向かって叫び続けたSOSを素直に受信し、私を圧から救出してくれたのは結局、今の夫と先日あの世に逝った愛兎のマイケルだけだった。
マイケルのあの、遺骨に残った綺麗な奥歯は最後に毒親だった私の母の魂を綺麗に噛み砕いてくれた。うさぎなのに、私と毒親たちとの忌まわしい数十年間の経緯など何も教えていなかった筈なのに、私たち夫婦の留守中にマイケルは母の魂を完全に嚙み砕き、その直後に旅立ったマイケルの最期を天照大御神が優しく看取って下さった。
 

 
そして翌々日にマイケルを火葬した直後から私は妙に花を好むようになり、最近三日に一度は近所の花屋に行って何かしらの花を買って花瓶一杯に挿すようになった。
最初は下っ手くそな活け方をしていたので夫が直してくれたりするうちに、このままではいけないと思いGoogleで生け花の「コツ」を検索して行くうちに何となく分かって来た‥。
 

品切れ続きだった大好きなダリアの花がようやく入荷していたので、数少ない本数の中から栄えある一本を夫に選んで貰い、他の花と合わせてゴッソリと買い込んだ。
 

胸元にマイケルの指の遺骨を詰めたメモリアル・ペンダントが揺れる度に、その箇所がじんわりと温まる。時々突発的に鬱に沈みそうになる私を魂のマイケルが鼓舞してくれる度に、嗚呼しっかりしなきゃ‥ と我に返る。
胸元のマイケルが「花瓶のお花が枯れそうだから、早く次のを探して来てね。」と、うさぎらしからぬ寂しげな目で私を見上げる。
 
夕方から小雨が降り始め、本来ならばこんな日に私は外出なんてしないのに、今日はそそくさと「花」をめがけて町に繰り出した。
 

 
夕食は‥ と言うより今日の一食目が既に夕食だったので、思い切ってコンチネンタルホテルで中華料理をアラカルトメニューから何品か選んでオーダーして行った。

実家の人たちは(実際には会ったことの無い親戚までもが)私を差別し排除して来たが、ホテルの人たちも最近会った人たちの誰もが私には本当に好くしてくれる。
たとえ私の顔に大きな傷痕があろうが、ストレスと「圧」で時折顔面に痙攣が走ろうが、そんなことはどうでもいいんだよ‥ とは言葉にせずにとてもとても親切に接してくれる。
 

今夜の神人共食の主役は、天照大御神だった。
天照大御神の真の気質を知る人は、この世界に何人くらい居るだろうか‥?
勿論彼女は厳かで厳格で気高くて、人を寄せ付けないような性格であることには違いない。だが本当の天照大御神はとことん優しくてたおやかで、そして時折とても茶目っ気たっぷりに微笑んで見せてくれる。
 

神々と神人共食(しんじんきょうしょく)を執り行うようになってから、私と夫の味覚は急激に敏感(超敏感)になって行った。
元々私は一時期料理人を営っていたこともあったし過去世では実際に料理人の道を歩んだ時期もあったからか、最近では多くの料理のレシピを空で認識出来るまでに味覚の感度が上がっている。
 
思うに霊力やテレパシー能力を高める基本が、「味覚を研ぎ澄ませ料理を味わう」ことにあると言っても過言ではないだろう。
ただ一心に料理を見つめ、食材や味に集中し、その料理を作った人の熱意と感性に寄り添い、頭上の神々に向かって「一緒に味わいましょう。」と言い自身の味覚を神々に貸し出す。
すると神々は自身が歓迎されていることを思い、静かに私に降りて来て下さる。
 
ただそれだけのことに集中し、黙々と料理を味わい尽くす。
 

 
帰宅して古く傷み始めた花だけを花瓶から抜き取り新しい花を生けると、途端に部屋が明るく騒がしくなった。
未だ神になって日の浅い新人の神々が、わちゃわちゃと食卓で会話を始めたようだ。
 
そして私はその様子をつぶさに見ながら、こうしてブログにそれを書き記して行く。
私の描く「芸術家の日常」はとてもスピリチュアルであり、なおかつ全てがノンフィクションだ。
巷に言われる「視えない世界が視える」‥ と言う概念は私には全く当てはまらないし、気を付けないと私は全てを視てしまう。類い稀な映像記憶を持つ私にとって時折辛い映像もあるが、最近の私は全てを霊体にしっかり刻印して行くことに決めた。
 

私の実家のあれやこれやですっかり忙殺に巻き込んでしまった夫が、ようやく重い腰を上げてぽつりぽつりと発信を始めたようだ。
彼は未だこの世界に無い概念を、当たり前のようにつぶやいて行く。余りに当たり前につぶやいているので、時折その内容を見過ごしそうになるが、よくよく読むとそれはさっき芽吹いたばかりの新しい花のように、この世界を未知の輝きで照らしてくれる。
 

 

  

アマテラスの声

2022年7月8日。安倍元首相が選挙演説中に襲撃され、お隠れになった。
 


丁度前日私と夫は期日前投票に出向き、その後に和の神・天照大神との神人共食を執り行っていた。神代開きのご報告その他、天照大神と語り合わなければならないことが山積みだった。
神人共食が円滑に行く時は、味覚が宇宙規模に敏感になるから直ぐに分かる。私達は今後のSNSのことやリアルでの人との交流について、そして何故か政治論や政治哲学について深く語り合っていた。

今にして思えばそれは翌日の序章かもしれず、滾々とかなり長い時間私達夫婦は天照大神との時間を噛みしめて、そして帰宅した。
その話を当日のブログに綴ろうと思っていたが、以前から予定していた記事(2回分)を先に綴り、片方を公開し片方を下書き投稿のまま保存した。

その夜なかなか寝付けずに翌朝を迎え、2時間弱の短い睡眠を経て私は一度布団を出た。あの時の胸騒ぎを言葉に書くことはとても難しく、今でもどのように書いて良いのか分からない。
うつらうつら二度寝の体勢に入った時、知人から安倍元首相が襲撃に遭い心肺停止だと言う一報を受け取った。
 

その後の流れは既に皆様もご周知の通りだ。
 

Twitterには色々な話が飛び交い、実は安倍元首相の一連の襲撃事件はクライシスアクター達が集まって仕掛けた一種の演劇であり、事実ではない‥ 等の奇妙な噂が飛び交った。

最も正しい情報を、私は全て天照大神と神代開きでこの世に転生した精霊等から聞き取った。だがそのような話を私が真顔で話せば話す程きっと周囲は引くだろうと言うことは分かっていたし、何より私は職業・預言者としての旗揚げはしていなかった。

無常な時間が流れ、天照大神は少しずつ表情を曇らせて行った。
 


2022年7月8日、夕方。公式な形で安倍元首相の訃報が一斉にネットやTVを駆け巡ると、そこから長い修羅場が始まった。
何より天照大神と神代開きで転生した精霊たちこそ、崩壊間際の日本を本気で救済しようと準備を進め、この日を迎えた。森友問題、皇室の継承問題、原発推進運動その他「桜を見る会」に至るまで、元首相が今日までして来たことには不透明感だけが最後に残った。
何よりアベノミクスの影響で日本人の生活は急激に追い詰められ、一部の企業が左団扇を仰ぐ以外に経済的に何のメリットも生み出さなかった。
 

そう言えば2012年、安保法制反対運動のデモの最中の映像の中で、安倍元首相の「‥こんなものは適当に放置しておけばよい」とでも言うように、口元に笑みを浮かべながら官邸に集まったデモをせせら笑った瞬間を私は今も忘れることが出来ない。
 

ついに神が動いた。
日本はあと少しで水面下で進んでいた改憲問題が大きく進展し、多くの人々がそのことによって不条理な波瀾に巻き沿いになるところだったそうだ。それは私達一般市民には知らされぬまま進行していたようだが、神は天界からその様子をじっと静観なさっていたのだ。
 

 
一連の訃報と襲撃事件のニュースの合間を縫って、多くの人々から追悼の言葉が元首相に送られた。それと同時に「マリオのコスプレをした安倍ちゃんが大好きだった。」‥等のファンレターのような追悼がSNS等を駆け巡り、日本は元首相への追悼一色に染まって行った。
皆、周囲の誰とも分からぬ人たちに叩かれないよう、自分自身を守りながら尚且つ目立つ発信に夢中になっていた。
 
それを天界から静観していた天照大神の念はみるみる怒りに変わり、人間と言う生き物への激怒と呆れ、そして落胆を私に語り始めた。その会話に神代開きを介して転生した精霊たちも乗って来る。

 人間とは何と愚かなのだろう。
 そしてこれ以外に、世界を救う回答は一つもないのだ。
 なのに人間は長い苦痛の日々を忘れ、瞬時の目の前の残忍な映像によってそれまでの記憶の全てを呆気なく書き替えられていることにすら、気づかない。
 何と愚かなのか、人間どもは。。

 

人間を操作するのは簡単で、そこに感傷的なムードを擬似的に作り出すだけで人々はその流れに巻き込まれて行く。まさに昨日のように。
 

私はリラ星の、最期の巫女の一人だった。だが今世の私は、いち音楽家・芸術家として生きている。
周囲の目もある。芸術家としての印象の保持も担っている。それでも私は巫女だ。
 

祈りを忘れた日本の民衆に、果たして救いなど本当に必要なのだろうか‥。
アマテラスの声が私を包み込む度、私自身の責務の重みをあらためて認識せざるを得なかった。だが現在、天照大神と神人共食の出来る唯一の私と夫の身に何かが起きれば、その後アマテラスの味覚を満足させられる人はこの世に存在しなくなる。
むしろそちらの方が私には、危機的にも感じる。

ネット上にはひっきりなしに「暴力はいけない‥」等と言った言葉が投稿され、その言葉に多くの人々が反論するすべを奪われた。
だが、暴力と神罰を取り違えてはいけない。2022年7月8日の元首相の襲撃事件は暴力ではなく、明らかに神罰だ。
 

 
神は不眠不休で祈りに忙殺される存在だ。それは誰の為とかそういうことではなく、何ら見返りを求めずに一心不乱に祈り続けるのみである。
この二日間、私は天照大神の魂と完全に同調し、共に過ごした。ほぼ不眠不休の時を過ごし切った今日の私はボロボロで、抜け殻だった。だが味覚だけは、全身が顕微鏡にでも生まれ変わったように、痛みをともなうほどに敏感だった。
 

アマテラスが祈りに集中するように、私は遠い昔とは違うやり方で祈りを継続して行きたいと思っている。それが神の意には仮にそぐわないものだとしても、私にはそれ以外に祈りに集中する他の方法を思い付かない。
そして時折、時間と体力の許す限りアマテラスの声や思いに寄り添い、耳を傾ける。それが私の祈り方。
 

 
やっとこれが形になったようだ‥。

ほんの一瞬ではあったが、天照大神がそう言って私の音楽を初めて指差して下さった。
人々が神に願望成就をお願いするのとは違って、神には人間に対し同じ難易度の要求を突き付けることが出来ない。ならば私は、だからこそ音楽を止めることは出来ない。

そしてあらためて私は、現世に於いて巫女として出来ることが何か‥ と言うことについて深く、もっと深く考察したいと思う。

プレイリスト “Snow of Hope(希望の雪)- 2022 ①”

毎週末にSpotifyに通知される数百曲の新譜を中心に、少しレアな作品に着目しながらスクラップしている私のプレイリストも日々、進化を遂げています。
ジャンルに分けたPL(プレイリスト)と、その瞬間の空気をランダムにスクラップして行く総集編的なPLに分けながら、同時並行的に複数のPLを作り進めている今日この頃です。
 

現在主となっているPLは此方、プレイリスト Snow of Hope(希望の雪)- 2022 ①” です。此方は総集編的な構成になっており、ジャンル分けをせずに良質な作品を世界中から集めています。
 

 

先週~今週と続いて、どちらかと言うとダークモードな作品が増えているように思いますが、それもこれもこの、世界的なウィルス・パンデミックの止まない波による影響がそうさせているのでしょう。

特にミュージシャンの世界は飲食関連以上に厳しく、ナイトクラブやライブ活動、劇場表現型の活動を継続していた表現者たちは軒並みその活動の場を追われ、中には転職する人たちの悲痛な声も多く聞かれます。
 

ここ最近の私のツイートの内容に眉をひそめる人たちの思いを背中に感じつつ、私はこの流れをむしろ吉報と捉えています。
人類は娯楽と言うものについて、ここで完全に考え方を改める必要性に迫られています。与えて貰う娯楽、その場に行って表現者と一体になって擬似的快感を得る手法の娯楽にはもうそろそろ、見切りを付けるべきです。
勿論表現する側も、それを鑑賞する側も両方共に、です。
 

本当に素晴らしい娯楽や表現作品、ポップス等がそこにあればそれは特異な光を放ち、作品として必ずwebの河を縦横無尽に渡り歩く力を得る筈。そうではなく、その場に人を運ばなければ成り立たない表現は、ここで終焉を受け容れるべきだと私は考えます。

本物の創作或いは作品には、そこに「祈り」が込められています。神に捧げる思いが作品となり、創作者の手のひらを飛び立ち、作品は誰とも知らない人たちの手元にそっと降り立って行きます。
それが「拡散」と言う言葉の神髄ではないでしょうか。

 
そんな思いを込めて私は毎週末、眠気や疲労が溜まっていたとしても世界の新作に触れて、それをスクラップして私なりの感性のこもったPLを作って発信しています。
 

 

ダークモードに包まれた今週の新作の中で、一際目を引いたのがこの作品 “Drawer” (by SUMIN) でした。
 

 

YouTube等では「서랍」と表記されているようですが、和訳すると「引き出し」と言う意味を持つタイトルだと分かります。

歌詞を捲ってみたのですがとても抽象的な表現が続いており、意味を咀嚼するよりはニュアンスを感じ取る方が逆に楽曲の意味に近づけるような気がしました。

https://lyricstranslate.com/ja/sumin-seolab-lyrics.html
 
 

現在私が直面している「生死」や「生死観」が美しく表現されているようにも見えますし、呆気なく通過してしまった過去の自分を老後の自分が静かに振り返っているような歌詞にも読み取れます。
何れにせよ、美しさの中にけっして消せない痛みがこの歌詞や作品の中に綴られていると言う私の憶測は、当たらずとも遠からず‥ でしょう。

この作品の痛みは、マイナーではなくこの曲がメジャーで表現されているからこそ、リスナーに迫り来るものなのかもしれません。
 

 

このPLに Snow of Hope(希望の雪)- 2022 ①” と命名したのは、やはり2022年早々の私にとってはとても悲しい雪がその動機でした。
たった4人の家族の3人全員が、昨年の冬に全てあちら側に旅立って行ったことになります。

その最後の肉親であった実母の最後を見送り、火葬したのは、亡くなった実弟の奥様でした。私への連絡が出来ない状況だった‥ と言う彼女の言葉が真実だったのかどうか、その後の彼女の行動が物語っているように思います。
私はその経緯をこの先二度と忘れることはないでしょう。
もしも彼女にも幾ばくかの善意があるのだとしたら、それを是非、私の目を見て彼女の肉声で事の経緯を全て聞かせて欲しいと思います。
 

現在色々調査中にて、ここには余り多くのことを書けないのが辛いのですが、もしも亡くなった実弟の奥様がこの記事を読まれていたら、今の私をご自身に置き換えて考えて頂ければ私の気持ちや立場、けっしてこれまで人様には見せて来ずに来た私の本当の胸の内、心の痛みをご理解頂けると思います。
 

そしてこの作品 “Drawer” (by SUMIN) のように、ご自身の中の出来事にそっと光を当てて欲しいです。
 

音楽で結ばれ、そして小さな家に「過去世をJ.S.バッハとして生きた私」が生まれたことで、この家族を音楽が引き裂いて行ったように思います。
なのでせめて私は我が家を引き裂いた「音楽」をもって、この先の人生を長く生き続け、砕け散ったピースを一つずつ元の場所に戻すことで亡くなった三人の家族を供養したいと願っています。



話しが少し脱線しますが、この記事の最後に亡き弟と私とを最後に繋いでくれた、この作品を貼っておきます。
 

今週のSpotifyの新譜を聴きながら

毎週末の金曜日、Spotifyからは世界各国の新譜が一斉に更新される。勿論私はSpotifyやインターネットを知る以前から日々世界中の新譜や旧譜等を聴き漁ること、かれこれそんな作業を数十年間続けている。
学生時代からTSUTAYAや新星堂等を巡り、気付いたら今年で57歳になっていた。16歳でいわゆる芸能界と言う世界に飛び込んだから、芸歴自体が40年をとうに超えた。

音楽を聴く人たちの大半が、「音楽とは音を楽しむことだ」と思っている。だが私は、それは違う思っている。

音楽を娯楽の玩具として使っている人たちを目の当たりにすると、どうにもこうにも虫唾が走る。身を削るようにして音楽を生み出している人たちは少なからずいる、それを使い捨ての玩具のように乱暴に扱っても平気で居る人たちの息を感じる度に、胸が痛む。


思うに音楽とは祭祀であり、祈りであり、そして救いであるべきだ。
勿論何によって救われるかについては人それぞれであるが、一度目標を下げてしまえば後はズルズルとその敷居が崩れ落ちるところまで下落するだけだ。
だから自身の敷居、ボーダーは絶対に低下させるべきではない。
 


この2年間、特にコロナ禍のロックダウンが世界各地で実施されるタイミングになると、世界中の音楽が泣き始めるか或いは凍り付いて行く。
まさに今週がその状態だったように感じてならない。

生きる為の音楽もあれば、祈る為の音楽もあるだろう。だが全体的に無表情の音楽が一斉に増えて、どこか廃屋で雑音だらけの機材を叩きながら音楽を聴いているような、言葉にならない虚しさが上空から私を羽交い絞めにして行く。

 

 

生まれて一度も泣いたことのない人に、「泣く」感触を伝えることはとても難しい。逆に生まれて一度も笑ったことのない人に、「笑う」感覚を伝えることも難しいだろう。

今週のSpotifyの新譜を聴いていて感じたことを一言で表すとしたら、「音楽家或いは音楽全体がAI化したような感じ」とでも言えば良いだろうか。
コミュニケーションに支障をきたした人類全体が感情面に不具合を起こし、その状態が未修正のまま数年が経過した後のような、エモーションの大きな欠落を感じるのだ。

だがそれは、商業娯楽としての音楽に人類が飼い慣らされた結果の顛末と言うことも出来るだろう。
「音楽とは音を楽しむことだ」と教えられ、その風潮を信じ込み、数十年もの歳月をかけながら洗脳され尽くした我々人類はもはや、自然の声や山々の思うことやそれらを司る神々の心の声すら聞くことが出来なくなっている。だからこれだけの長い分断を経ても尚平然と飛行機での移動を止めないし、遊ぶ為ならどんな苦痛をも受け容れようとするし、現実を全く見ようとしない。

生命と魂の輪廻を軽視し、瞬時瞬時の現世の中で味わい尽くせるだけの快楽を貪ろうとし、その為ならば危機的な環境破壊すら無視し続ける。それが2021年現在の人間と言う生き物だ。

 

 

良質な音楽とは何ですか?

この命題に対する答えを、おそらく誰も持てていないのだろう。
そこそこのルックスと運を手中に偶発的にメディアと言う檜舞台に駆け上がって行けた人が生み出すものが、それ(良質な音楽)だと思っている人たちも多いだろう。
上に書いた条件に当てはまる人たちはおそらく、「音楽を探す」と言う行動を取らないものである。近隣、隣近所の人たちやSNSやメディアや雑誌に取り上げられない音楽は二流・三流だ‥ と言って、実際に私に牙を剝いて来る人たちも大勢居る。
 

だが彼等のような人たちに限って、風向きにはひじょうに敏感である。
彼等の判断基準は常に自分以外の誰かが発信するレビューであり、自己判断の能力に著しく欠けているにも関わらず、命を削って音楽創作に挑んでいる本物を目の前にしても、その人を誰かが噂でもしない限りは「本物」とは見なさない。
勝ち馬を探すことに躍起になり、一度勝ち馬に乗ったが最後その馬を疑うことはなく、尚且つ頑なに馬から降りようともしない。

 

 

今週のSpotifyの新譜を私は、未だ全曲聴けていない。だが大方の流れは把握出来る。
虚無無気力絶望コミュニケーションの分断将来への不安、しいては自身の命の不安等を抱え込みながら、それでも何かしら音楽家たちは音楽を生み出すことで地球に己の生存を訴えかけて行く。

それでも彼等の作業に祈りの念は薄く乏しく、人類にとってこれだけ考える時間を膨大に与えられながらも、何かを深く考えて音楽を生み出しているようには視えない。

 
昨日外出先から帰宅してから、私も体調が良くない。体温が上下しているような感覚があり何度か体温を計ってみたが、高熱ではない。むしろ低体温による火照りが抜けて行かない。
こういう日は静かにしている他になさそうだ。それでも私は音楽を探し、音楽を聴き、音楽家たちの祈りに触れていたいと願うのだ。
それは一種の病気のようでもあるが、私にとってはこれが正常値。

 

 

当記事の間に挟んだのは、今日Spotifyの新譜情報に現れたものから楽曲だけをピックアップしたものである。
以下に今日更新した2種類のプレイリストを表示しておきたい。

上は「Lo―Fi」系のプレイリスト、下がオールジャンルの音楽をまとめたものになる。

 

  

⇩ 此方のプレイリストのトラック 55曲目からが、今週の更新分になる。
 

 

note記事よりサポート(投げ銭)等で応援頂ければ幸いです。
https://note.com/didiermerah/n/n219a5e5cda99