静寂と共に

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木曜日。
知人と約束の場所へ向かおうとするとLINEにメッセージが届き、そのお店が今日に限ってお休みだと言うので、急遽予定を変更して和洋折衷の餃子のお店でちんまりとランチを頂くことに。
餃子と言う料理は難しい。大衆的過ぎても大手の他の餃子ストアと差が付いてしまうし、お洒落過ぎても餃子の大衆的な好さが消されてしまう。今日は後者のパターンで、一体何を食べているのか殆ど分からないような状況で、口の中で餃子と他の料理が完全に喧嘩してしまっていた。

そもそも餃子には中華スープか或いはお味噌汁、お吸い物が合うと思うが、付け合わせの汁物がミネストローネだったのには少々驚いた。一言で言うと、餃子に全く合わない(笑)。

付け添えがチーズのフライ、そしてレタスと枝豆のフレンチサラダ。嗚呼どうしよう… と言う混乱ぶりで、「こういうのは一度だけにしておいた方がいいわね。」と知人と顔を見合わせる。だけど会計は極めてスマートに、上品さを心掛け退店。

 

知人がその後のティータイムに同席したそうに私の目をパチパチと瞬きを増やしながら見つめていたが、私はどうにもこうにも今日は一人で音楽が聴きたくて仕方がなかったので、正直のその旨を伝えてそこで別れた。
なんて不愛想な芸術家なの…。この猛暑の中わざわざ私を誘ってくれたにも関わらず、私は一人になりたいと言う衝動を抑えることが出来なくなってしまった。

 

考えたいことが山のようにある。どんなに考えたところで思考がまとまるわけもなく、気付くと最寄り駅のビルに隣接している大型の書店の雑誌コーナーでぼんやり、予定外の雑誌を捲っていた。
傍から見たら、少し呆けた中年女性に視えたかもしれない。だが至って私は真面目に、本当に真面目に自分の音楽人生について考え込んでいた(「天然生活」を捲りながら)…。

 

 

 

家を出る時に満タンに入れておいたマイ水筒のミネラルウォーターは既に底尽きたので、タリーズコーヒーに入ってそこに抹茶ラテを注いで貰う。
丁度ショートサイズの割引チケットを持っていたので、差額でグランデサイズの抹茶ラテ。好く飲む女だ、私は。

そして目を閉じて、久し振りに自分自身の音の世界に浸る。

 

今年に入ってから私は、自身を「ピアニスト」ではなく「芸術家・作曲家」と頑固に名乗っている。
私の中でピアニストとは「与えられた誰の楽曲でも気持ち好く引き受け、それを演奏する職に在る人」だとカテゴライズしており、私はそれとは全く違う人だと言う自覚がざわざわと目覚め、次第に強烈になって行った。それにともない、自身をもう「ピアニスト」と名乗ることに強い違和感を感じるようになり、「ピアノが弾ける作曲家・芸術家」と位置付けることにした。

 

私の作曲は鍵盤の上で完成する。いわゆる既存の作曲家たちが「真っ白な五線紙の上に黒玉を書くことで楽曲を完成させて行く」のとは違うスタイルを取る作曲家であるだけで、私は紛れもない作曲家の一人であることには変わりない。

 

目を閉じて、大地・地球の心を描いた作品に耳を澄ますと、音楽の彼方で蝉が鳴き、トンボが風を切って飛んで行く。時折車やバイクが横行する通り沿いに面したカフェが、瞬く間に異国の夏の世界に変わって行く。
私は地球の心と同期し始め、まだ見ぬアマゾン河の光景や水と木々の匂いが私を包み込んで行く。こんなことなら抹茶ラテではなく、ケニア(コーヒーの種類)をオーダーすれば好かったかしら…。

 

 

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日常と音楽の隙間に聳え立つアマゾンの深い森林は、私を強引に引き寄せようとする。微かに…、嗅いだことのない種類のコーヒーの初々しい香りを感じ、振り返ると私の中に共に棲んでいる御神木の精霊のオリジンが空に枝を大きく広げて泣いている。

物理的に今直ぐにアマゾンに飛ぶことが出来ないから、魂だけでも共に、旅を…。

 

丁度上に添付した写真のように、深い緑の水面に青い空が映り込み、これでもかと言う程の高い湿度で迫って来るけれど、なぜかその中に呑み込まれてしまいたいと言う不可思議な衝動が湧いて来る。
そう、これは私の感覚ではなく、精霊 オリジンの記憶に触れたから発生しているもう一つの記憶のように、私を知らない過去へと引きずり込んで行った。

だけど私は相変わらず普通の生活の中に在り、今まさにカフェの隣の席に初老のご夫婦が談笑しながら海外旅行の計画を練って居る。真横に居る私がアマゾンの森の香りと映像に包まれているとも知らずに隣からは、シンガポール七泊八日の旅のパンフレットを読み上げている女性の声が抹茶ラテの中へと溶け込んで行く。

 

日常と、非日常。私はその、視えない境界線を常に往復しながら、一見普通の人のように暮らしている。

 

さぁ。そろそろ夕食の買い物をして、帰らなきゃね。
そう言うとオリジンが緑色の大きな羽根を、少しだけ畳んだ。最近は私を上手に日常に送り届けてくれるようになり、私の精神状態を徹底的に穏やかにキープしてくれるようになった。

 

お盆。色々な元・人や、亡くなった知り合いが此方の世界に帰って来て居る。でも私は毎日がお盆のようなものなので、特別何かをする… と言うことはない。
過ぎ去る時、過ぎ去る毎日を大切に過ごすこと。それが此方の世界に生きる者の使命であると常に感じ、その感覚の中にシンプルに生きている。

 

 

雨が呼んだ – Rain was calling me..

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重苦しい低気圧の真昼。出来ることなら家の中に引き籠っていたい筈なのに、雨に呼ばれて屋外へと飛び出した。

 

雨が呼んだのは私ではなく、多分私の中の樹、オリジン。アルバム『Sacred Forest』を手掛けた直後から私の中に、一本の古木の精霊が棲んでいる。それは古い古いオリーヴの木、その精霊だ。
私は『彼』を「オリジン」と名づけた。そして毎日必ずその名を一度は声に出し、可愛いうさぎの額を撫でるように優しく優しく自分自身の声帯を愛撫する。すると丁度そこがオリジンの心臓部分にあたるのか、本当に気持ちよさそうにオリジンが呼応するのが分かる。

 

私の中に棲むもう一人の私。リアルネームに『樹』がある私に相応しい、偉大な同居人が今も私の中に息をしている。

雨音激しい木曜日の午後。勿論自転車など乗ることが出来ない程の大雨だったので大き目の傘をさして、数日前にPARCOで買ったフェルト地の中折れ帽子をかぶって、颯爽と豪雨の街へと繰り出した。
行きたい場所は既に決まっていた。そこは雑居ビルの最上階で、窓から自然の光の差し込むコジャレたアジアン・カフェ。気が向く時には足を運ぶようになり、時々親しい仲間ともそこで密談を重ねている。

 

まるで私とオリジンの為の舞台のように、雨が激しく降り続く。こんな低気圧の日は頭痛が辛い筈なのに、そういう日に限ってランチのコーヒーが大量に余って余って仕方がないと言って、お店のママが残ったコーヒーを全部私のカップに継ぎ足して行く。
コーヒーもものによっては3杯目になると流石に苦味が増して来るけれど、最近はシュガーもミルクも入れずに飲むスタイルがすっかり板について来て、昨日もそのまま最後の一滴まで飲み干した。

 

いつもは余り長居をしないアジアン・カフェに、気付くと3時間近く、尾てい骨に根っこが生えた大木のようにそこにしがみついて、湿度の高い木曜の午後を堪能した私。「ランチコーヒー」と書かれた棚にはまだカップ数杯分のコーヒーがしんしんと温まっていたけれど、胃袋にリミッターがかかったようにそれ以上はもう口に入らなくなった。

 

再び私は雨に呼ばれた。帰宅したら、夫の為の新しいブレスレットを編まなきゃ‥。
ここのところ我が家の色々なものがよく壊れ、先日夫のブレスレットがプスンと切れてバラバラになった天然石をひとまとめにして包み紙にくるんで、メイソンジャーの中にまとめてある。足りない石の部品がそろそろポストに届いている頃だろう。

 

やらなきゃいけないことのない日に限って、呆気ない程の高速で時が過ぎて行く。