Dream of Falling

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何度も何度も繰り返し見る悪夢。それは雲の隙間から遥か遠くの地上に向かって、急降下する夢。
しかも私は誰か、何者かの手の中を完全に転がされている。

体は完全に宙に浮いたまま、もう直ぐ落下して行く迄の数分間雲の上で停止する。いっそこのまま気を失ってしまいたいと願うも虚しく、私は覚醒したまま空中からどこにあるかも分からない陸地を見据えてる。

夫曰くそれが、転生直前に目的の母体を決める最終決断の瞬間ではないかと言う話。魂が空から一気に押し出され、誰かが決めた母なる肉体へと物凄い勢いで押し出されて行く瞬間の記憶…。

 

日常生活の中、ありふれた午後のテーブルを夫以外の誰かと挟んで向き合って、アイスコーヒーをストローですすりながらこんな話の出来る友人に、私は未だ巡り逢わない。至ってフツーの笑顔を浮かべ、ありきたりな話をずいずい進めて行く私は仮の姿、その瞬間だけ「普通の人」を演じているそれは偽りの顔でしかない。

何人かの友人や知人にティータイムのお誘いを頂くけれど、私はそれらの全てをお断りして居る。一言で言うと、どうしても今の私が抱えていること、アナザーワールドとこの世界を同時に生きて行く私を相手が心底理解してくれる気がしないから、誰かと会う度に「フツー」の仮面を逐一かぶり直すことに私は疲れ果ててしまった。

 

人と人は、一度出会った後はもうそれ以前に戻ることが出来ない。するとどんなことになって行くのだろう…。
最初は刺激が歓びを生み、虹色バラ色の浮遊感・多幸感に満たされる(相手が)が、次第に「慣れ」にそれは変わってしまう。やがて慣れは目の前の相手である私の粗探しへの欲求へと変化し、相手の悪いところを探してそれを矯正してあげよう…と言う偽善を生み出す。

 

あなただって同じ人間でしょう?

(その思いにはなぜか憎しみが籠もっている。私の才を相手は、自分の才と天秤に掛けて、ジャンルの異なる「優れた人」を豪語し始める。)

何度このセリフを言われただろう…。仮にそう相手が言わなくても心の中の声が私には全て聴こえて来る。
随分高飛車な人ね、たかだか音楽の才能だけが人よりちょっと進んでるだけでしょう?それが何だって言うの?みんな何かしらの才能を持って生まれているのだから、プラマイゼロでしょ(嘲笑)…。

 

この世界に使命を授かって何度も何度も生まれ直し、その使命を達成するまでしぶとく何百年・何千年も生き続け、古い記憶を全て保有している人はどのくらい居るのだろうか?
少なくとも私は未だそういう相手とは、夫以外誰とも会って居ない。

いつかそんな人が夫以外に、私の前に現れてくれるだろうか…。

 

先日、未だリアルでは全く逢ったことのない人と、私の音楽観について少しだけチャットで話をした。そう、ツムツム関連のグループチャットの中でのこと。

多くのミュージシャンは人気者になりたくて、音楽を始めたままやめられなくなる…。その結果音楽を仕事として成立させて行く過程で色々な境遇に振り回され、気付くと無謀な発注を黙々とこなすだけの専業作家になって居た…と言う話。

 

私は自己愛が殆どない。

━ 音楽活動や創作活動は、私にとって現世の修行みたいなもの。奉仕の精神で続けています。

そんな言葉がふと、気付いた時にはチャットのTLに乗っかって居た。意外にその相手はそんな私の、ともすると「コノヤロ!」と相手を奮い立たせそうな言葉をすんなりと受け入れてくれたのが、逆に私には意外だった。

 

私の直前の過去世はイタリア人だった。音楽家を目指す過程で料理に目覚め、気付くと料理人になる為の修行を積んで居た。
それは運命を司る「Brain」から見た場合には完全に「軌道を外れた状態」であり、ある日私はトスカーナの或る場所でトラックに撥ねられて命を落とす。

 

空を飛べない筈の私はその後、再び空の上に居た。それは丁度プールの飛び込み台の上に居るような状況に似て、真っ青な水面の在る場所には霞む陸地とそこで妊娠を控えた「母」の存在が在った。
私は「Brain」なる存在によってその母体に一気に押し込まれ、元々そこに居た未だ小さな弟を弾き飛ばした。

 

同じ悪夢を何度も何度も見る理由が分かった今でも、その悪夢に魘されて目が覚めた後の私の心臓はこれでもかと言う速さで波打っている。
ああ、又同じ夢を繰り返し彷徨ってしまったわ…。

 

今朝も私は、再び空の上に居た。

 

 

この記事を書きながら聴いていた今日のBGMは此方 ⇩

 

 

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Monday and the smell of rain

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いつもと少し違う朝の匂い。いつもこの時期は窓を全開にして新緑の香りを存分に体に取り入れるシーズンなのに、今年は既に雨の匂い、梅雨の匂いが街全体を包み込んでいる。

雨の匂いは私を憂鬱にするだけでなく、あの怠重い偏頭痛を連れて来る。昨夜半から既に頭痛が来ていたが、あえて頭痛薬を呑まずに眠りに就いた。目が覚めてからの好い状態を期待したがその期待は呆気なく裏切られ、今まさにこうしている時も頭内に心臓がもう一つ増えたような痛みと「ズシン、ズシン」と言う音が木霊し続けているので、致し方なく頭痛薬を呑んだ。

 

昨日 日曜日は丸一日布団と台所の往復で過ぎて行った。日中ハニーレモン(温)を飲んだ時のあの感動が忘れられず、この記事を書き終えたら再びハニーレモンを入れて飲む予定である🍋

 

いつもと少し違う朝、それは私が大嫌いなリストを何故か急に聴く羽目に陥ったからそう感じているのかもしれない。

 

遂に学生時代、私はリストを一曲もものにすることが叶わなかった。

そもそも右手の一部の腱が人より短く、或る時実技の教師にその腱を修正する為の手術を勧められたが私はそれを拒否した。
私の目指す音楽は「速弾き、高速回転のパッセージ」の先に無いことを、私は生まれた時既に知っていた。それは私がかつてJ.S.Bachだった頃の記憶に基づくもの(と言うことは現在の夫と結婚してから分かったことであるが)であり、天井の高い教会で奏でる美しい音楽とその残響がけっして「速弾き、高速回転のパッセージ」から生まれるものではないことを、魂が記憶していたからに違いなかった。

 

Twitterのプロフィールには「私の過去世がJ.S.Bachであった」ことを、そっと書き添えている。それは余りに普通のことのように綴られたものだから、その一文を目にした音楽ファンの目にはきっとそれが冗談のように映っているのかもしれない。

でもそれで好かった。バッハの生まれ変わりが今ここに居ることよりも、その生まれ変わりが今何を求め、何をしているか… のことの方が余程大切なのだから。

 

 

2018年 春。Didier家は結婚10周年を迎える。

その為私たち夫婦は今年の前半は恒例の「大型連休レコーディング」等の作業の手を全て止めて、ただただ普通の夫婦のようにそっと結婚記念日の為のイベントを考えている。

派手に旅行に行くでもなく、派手にセレブ的お茶会に興じるでもなく、私も夫も大好きなステーキを静かに頂く。たったそれだけのことがこの数年間全く出来ていなかったので、今回はいつもよりはグレードの高いお肉を堪能したいと思って予定を組んでいる。

 

 

それより…。
段々とエチュードが不足して来た。例えばChopin、ラフマニノフその他色々。何が不満かと言うと楽曲構成。特に、全編を通じて感情的なパッセージと場面展開に演奏者を翻弄する構成になっている古今東西のエチュードに、段々腹が立って来た。

既存のエチュードを練習しても、インナーマッスルが少しも鍛えられないことに私は気付いている。だったらもうDidier Merahのエチュードを書くしかないと言うことで、実は今月中旬辺りに既にその一曲目の構想に着手している。

 

同時にあと2・3個の企画が脳内で同時に進行している為、今の私の脳ミソは常に熱く燃えている。
今この記事を書いている最中も、冷房をパワフルにして脳のクールダウンに勤しんでいる。まるでデータセンターの如く、考える物事が増えて行く毎に私の小さな脳がフル稼働するので、兎に角暑くて暑くてたまらない(笑)。

 

それにしても、リストってなんでこう… 賑やかしばかりなんだろう。
綺麗な箇所が幾つもあるのに、それが長続きしない。「ガーーー!」っといきなり感情的な強打音が出て来るから、ホント心臓に好くない。

 

全編ピアニッシモの美しいパッセージだけで好いのに。