მუსიკა იმედია (Music is Hopeful) – დუეტი ჯორჯია (Duet Georgia)

昨年末からの個人的な諸々で暫く遠ざかっていたジョージアのポップスチャンネルを、久々にスイッチしてみたら、めちゃめちゃご機嫌なポップスがLiveで更新されていた。

ジョージア語が読めないのがこういう時悔しくなりますが、それでも何とか翻訳ソフトに頭を下げながら色々調べて行くと、辛うじてこの作品 მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)のメイン & サポートメンバーの概要が分かって来た。

 

მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)
Composer: Rati Durglishvili
Lyricist: Salome Chitadze

 

意外にも作詞家の欄に、上記Live動画のコーラスメンバーの名前がクレジットされているので、ついつい彼女の活動履歴も追ってみる。(その話しは記事の後半で)。
 

この作品მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)の作曲者は動画の右側でイケメンぶりを堂々と発揮しているこの人、Rati Durglishvili であり、本当に良い作品だ。
 

 

Rati Durglishvili は歌手・ソングライターと掲載されているが、私の推測ではこの動画に関してもプロデュース等を兼任したのではないかと思われる。

イケメンの外装とは裏腹に、表現自体はどこか控え目な印象を受ける。と言うのも真横に座って歌っている Basia 似の Maka Zambakhidze の眼圧がそもそも強烈だから、ついつい比較しながら動画を眺めてしまうのは私の悪い癖。
治さなきゃ(笑)。
 

歌手としてクレジットされている Maka Zambakhidze に関してはプロフィール等の資料が殆ど見けられていないが、相方の Rati Durglishvili が39歳前後と考えると多く見積もっても40代(アラフォー世代)ではないだろうか。
若過ぎず老い過ぎず、程好く脂っぽくてくどくてそのくせ爽やかな良い声を持っている。
 

Spotifyに彼女の音源を探してみたところ、最初英語表記ではヒットしなかったが名前のジョージア語表記(მაკა ზამბახიძე)で検索したら見事にヒットした。これはファンとしてはめちゃめちゃ嬉しい。
 

 
似たところでは Swing Out Sister 或いはイタリアの Dirotta su Cuba、ポーランド出身の歌手 Basia 辺りを参考にして頂けると、音楽的な共通項が多々見つかるかもしれない。
 

 

 

さて、この記事のメインの作品მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)で作詞を担当しているのが、動画内ではコーラスを担当している女性 Salome Chitadze だ。
 

彼女の経歴を追って行くと、この動画からはおよそ想像が付かないパワフルなヴォーカルで観客を魅了しているコンテスト動画が、幾つかヒットするが、正直私は Salome Chitadze のパワフルなヴォーカルには余り好感を持てなかった。
 

 

意外に大声を出すことの方がソフトリーな表現よりも簡単で月並みで、声量さえ鍛えれば誰が歌っても同じ音楽になってしまう辺りが何とも没個性的であり、表現手法としても上品とは言えないし洗練されているわけでもない。
つまり中途半端に上手いヴォーカルなんてこの世にごまんとあるから、2曲も聴けばうんざりして来る(笑)。

その意味で、Live動画მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)の中の彼女の表現は洗練されており、控え目ながらも必ずリスナーの鼓膜に届くシルキーヴォイスはむしろ個性を帯びて感じ取れる。

コーラスのタイミングも程好い。断続的に忍び寄る彼女の声には時折深いエフェクトが掛けられており、このLive動画の音源監修をした人の洗練された力量には私でさえも完敗だ。
こういう控え目ながら洗練された歌唱表現がもっともっと、世の中に高く評価されるべきではないかと私は強く願わざるを得ない。
 

 

さて、この作品მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)の主役である Rati Durglishvili は自身のYouTubeチャンネルを持っている。
何曲か英語で歌われている作品もあるが、此方も上のSalome Chitadze 同様に可もなく不可もなく‥ の楽曲を安全圏から歌っているので、聴いていて全くそそられない(笑)。
ノーアメリカナイズ!
もっとアメリカンポップスを意識しない、ジョージアらしさを大切にして欲しい。

やはり音楽も表現も、冒険をしなければ人の心を打てないのかもしれない。その意味では不完全で未完成な良作にもっともっと取り組むべき‥ と言う課題がこの人にも山積しているように見えるが。
 

 

さて。この記事の最後に、今回だけはLive音源とレコーディング音源の悪い意味での比較検証の素材として、音源(Spotify版)を貼っておきたい。

されこれを聴いて、レコーディングとは何か、Liveとは何か‥ と言う永遠の課題の一部を皆様も是非考えてみる切っ掛けとなれば、筆者としては幸いである。
  

 

公式ブログ
Twitter
Linktree

内容を限定し、お仕事の依頼を受け付けております。
音楽配信を目的とした楽曲作成のオーダーの他、音楽評論、レビュー or ライナーノート執筆、ラジオ番組用のBGM選曲、雑誌連載執筆及びYouTube出演や対談等、諸々用件・案件は、TwitterのDMないしは 📨[info@didier-merah.jp] ⇦ までお寄せ下さい。

音楽評論に関しては、世界中(演歌とヘヴィメタル以外)の音楽を分析・検証し、語り尽くします。
オーダーを遥かに上回るクールで奇想天外な記事を、筆者の豊富な脳内データから導き出して綴ります!

今週のSpotifyの新譜を聴きながら

毎週末の金曜日、Spotifyからは世界各国の新譜が一斉に更新される。勿論私はSpotifyやインターネットを知る以前から日々世界中の新譜や旧譜等を聴き漁ること、かれこれそんな作業を数十年間続けている。
学生時代からTSUTAYAや新星堂等を巡り、気付いたら今年で57歳になっていた。16歳でいわゆる芸能界と言う世界に飛び込んだから、芸歴自体が40年をとうに超えた。

音楽を聴く人たちの大半が、「音楽とは音を楽しむことだ」と思っている。だが私は、それは違う思っている。

音楽を娯楽の玩具として使っている人たちを目の当たりにすると、どうにもこうにも虫唾が走る。身を削るようにして音楽を生み出している人たちは少なからずいる、それを使い捨ての玩具のように乱暴に扱っても平気で居る人たちの息を感じる度に、胸が痛む。


思うに音楽とは祭祀であり、祈りであり、そして救いであるべきだ。
勿論何によって救われるかについては人それぞれであるが、一度目標を下げてしまえば後はズルズルとその敷居が崩れ落ちるところまで下落するだけだ。
だから自身の敷居、ボーダーは絶対に低下させるべきではない。
 


この2年間、特にコロナ禍のロックダウンが世界各地で実施されるタイミングになると、世界中の音楽が泣き始めるか或いは凍り付いて行く。
まさに今週がその状態だったように感じてならない。

生きる為の音楽もあれば、祈る為の音楽もあるだろう。だが全体的に無表情の音楽が一斉に増えて、どこか廃屋で雑音だらけの機材を叩きながら音楽を聴いているような、言葉にならない虚しさが上空から私を羽交い絞めにして行く。

 

 

生まれて一度も泣いたことのない人に、「泣く」感触を伝えることはとても難しい。逆に生まれて一度も笑ったことのない人に、「笑う」感覚を伝えることも難しいだろう。

今週のSpotifyの新譜を聴いていて感じたことを一言で表すとしたら、「音楽家或いは音楽全体がAI化したような感じ」とでも言えば良いだろうか。
コミュニケーションに支障をきたした人類全体が感情面に不具合を起こし、その状態が未修正のまま数年が経過した後のような、エモーションの大きな欠落を感じるのだ。

だがそれは、商業娯楽としての音楽に人類が飼い慣らされた結果の顛末と言うことも出来るだろう。
「音楽とは音を楽しむことだ」と教えられ、その風潮を信じ込み、数十年もの歳月をかけながら洗脳され尽くした我々人類はもはや、自然の声や山々の思うことやそれらを司る神々の心の声すら聞くことが出来なくなっている。だからこれだけの長い分断を経ても尚平然と飛行機での移動を止めないし、遊ぶ為ならどんな苦痛をも受け容れようとするし、現実を全く見ようとしない。

生命と魂の輪廻を軽視し、瞬時瞬時の現世の中で味わい尽くせるだけの快楽を貪ろうとし、その為ならば危機的な環境破壊すら無視し続ける。それが2021年現在の人間と言う生き物だ。

 

 

良質な音楽とは何ですか?

この命題に対する答えを、おそらく誰も持てていないのだろう。
そこそこのルックスと運を手中に偶発的にメディアと言う檜舞台に駆け上がって行けた人が生み出すものが、それ(良質な音楽)だと思っている人たちも多いだろう。
上に書いた条件に当てはまる人たちはおそらく、「音楽を探す」と言う行動を取らないものである。近隣、隣近所の人たちやSNSやメディアや雑誌に取り上げられない音楽は二流・三流だ‥ と言って、実際に私に牙を剝いて来る人たちも大勢居る。
 

だが彼等のような人たちに限って、風向きにはひじょうに敏感である。
彼等の判断基準は常に自分以外の誰かが発信するレビューであり、自己判断の能力に著しく欠けているにも関わらず、命を削って音楽創作に挑んでいる本物を目の前にしても、その人を誰かが噂でもしない限りは「本物」とは見なさない。
勝ち馬を探すことに躍起になり、一度勝ち馬に乗ったが最後その馬を疑うことはなく、尚且つ頑なに馬から降りようともしない。

 

 

今週のSpotifyの新譜を私は、未だ全曲聴けていない。だが大方の流れは把握出来る。
虚無無気力絶望コミュニケーションの分断将来への不安、しいては自身の命の不安等を抱え込みながら、それでも何かしら音楽家たちは音楽を生み出すことで地球に己の生存を訴えかけて行く。

それでも彼等の作業に祈りの念は薄く乏しく、人類にとってこれだけ考える時間を膨大に与えられながらも、何かを深く考えて音楽を生み出しているようには視えない。

 
昨日外出先から帰宅してから、私も体調が良くない。体温が上下しているような感覚があり何度か体温を計ってみたが、高熱ではない。むしろ低体温による火照りが抜けて行かない。
こういう日は静かにしている他になさそうだ。それでも私は音楽を探し、音楽を聴き、音楽家たちの祈りに触れていたいと願うのだ。
それは一種の病気のようでもあるが、私にとってはこれが正常値。

 

 

当記事の間に挟んだのは、今日Spotifyの新譜情報に現れたものから楽曲だけをピックアップしたものである。
以下に今日更新した2種類のプレイリストを表示しておきたい。

上は「Lo―Fi」系のプレイリスト、下がオールジャンルの音楽をまとめたものになる。

 

  

⇩ 此方のプレイリストのトラック 55曲目からが、今週の更新分になる。
 

 

note記事よりサポート(投げ銭)等で応援頂ければ幸いです。
https://note.com/didiermerah/n/n219a5e5cda99

音楽評論: “Amazon River” – Didier Merah

レコーディングの日付けは2019年8月24日。丁度この頃アマゾンでは火事が多発し、とても危機的な状況になっていました。
音楽で出来ることには限界がありますが、何もしないよりは行動あるのみ。そう思い私は、この作品を録音しました。

アルバム『World of Nature』の皮切りとなる作品で、アルバムの物語にもけっして明るい未来が見えず、精神的にもかなり追い詰められながらの創作活動が続きました。
 


恐らく私は、自然神に呼ばれたのかもしれません。姿や形は無くても、意識や思考だけが生命として存在する‥、私は彼らをそう思い、そう呼んでいます。
 

今朝も別のSNSで私が発信したことが誰かの神経を逆撫でしたのか、頭上からイグアナの変種に噛み付かれるようなリプライがTwitter経由でスマホに届き、その相手は言いたいだけのことを言って私をアクセスブロックして去って行きました。
私の音楽は音楽から生まれるのではなく、そんな不穏な日常の隙間からも生まれ出て来ます。
 

クラシック音楽もジャズもシャンソンもタンゴも‥、兎に角世界中の音楽のジャンルを一周も二周も三周もしました。ですが結局、私の欲しいものはどこにもありませんでした。
ならば自分で作り出す以外に方法が見つからず、現在に至ります。

 

記憶に残るメロディーと、ヒステリックに盛り上げない展開部、その後にそよ風のようなアドリブが少しだけ木の葉を揺らし、そこに無限の残響が折り重なって行く音楽。
私はそんな残響の調べを、いつかどこかで聴いた記憶がありました。

その記憶がいつ、どの時代の私が持っているものかはとうとう分からないままですが、確かに私はどこかで聴いたのです、残響の音楽を。

 

かなしみは光に、喜びはペダルに乗せて、Didier Merahの両手は際限なく跳躍し続けます。
その間約14分間になりますが、レコーディング中の記憶が全くありません。どの作品をレコーディングしている時も、私は音楽の遥か彼方の意識の世界へと飛翔しています。

ろくに鍵盤も視ないで演奏しているのに、よくも殆どミスもなく弾けるものだと自分でも驚きます(笑)。


アマゾンは今、少しずつ静寂を取り戻しつつあるようです。それと言うのも、皮肉にも新型コロナウィルス肺炎のウィルス・パンデミックが功を奏したと言っても過言ではありません。
人々の動きや経済を断続的に止めることで大気が安定し、地球は季節感や環境のペースを若干取り戻しています。
 
 


もしかするとこの作品「Amazon River」は、人類の長きの大罪に対し反省や自粛を促す音楽なのかもしれません。

今、人類は自然神から、少しだけの猶予を与えられている最中です。未だ引き返すことは可能です。
遠い遠い時代の、遥かリラ星が未だ健在だった頃の人類の祖先の魂が、自然神の怒りを少しだけ鎮めてくれているように思えてなりません。


note記事と同期掲載にて。

音楽紹介: Afgan – M.I.A (feat. Jackson Wang) (Official MV)

Afganはインドネシアのシンガーソングライターです。

このPVを観ていたら、ふと‥ 三浦春馬さんの最後のシングル曲Night Diver にとても雰囲気が似ているような気がして、思わず胸が熱くなって途中で二回も動画を止めてしまいました。

三浦春馬さんの、あの繊細さとAfganの一種の表現のナイーブさに共通項を見い出したのは、もしかしすると私だけではないのかもしれません。

歌詞を翻訳してみたのですが、どうしても私にはタイトルにもなっている「M.I.A」の意味が分かりませんでした。
それでもこの作品が何か、叶いようもない愛、恋‥ 等に対する報われない思いを表現しているように思えてなりません。

現在のJ-Popにこういう曲があるでしょうか?
何か全てが回答ありきの音楽で、私には最近のJ-Popがとてもつまらなく思えます。

物事は、特に人間関係の機微を表現する時、そこに出し切れない回答が幾つあっても好いのでは‥ と私は考えます。
答えが無いから、人はその答えに向かって人生を賭けて走り続けて行くのですから。

※この記事はnoteと同期投稿です。是非、noteの記事から応援・サポート等よろしくお願い致します。