音楽から読み解く世界情勢 [2022.04.26]

どこか緊迫感を高めながら世界中が一進一退する2022年、春。
地球はどこに向かって加速しているのか、それとも失速しているのか‥。数年前のシリアに続いて、再び瓦礫の国が増えて行く。
 

音楽は全てを物語る。
毎週末に世界中から配信されるあらゆるジャンルの新譜を追っていると、誰もが不安を抱えながらその場でフリーズしかけているように見える。
相変わらず今週も単曲での新譜が多く、次いでミニアルバム・スタイルの新譜が続いて行く。Lofiの新譜のクオリティーが先週よりも若干落ちているのが気になりつつ、その一方でやはりダブ・ステップの新譜が先週より増えているように感じる。
 

私がコレクションしているメインのプレイリストには、ダブ・ステップのようなある種、戦争の音声を意識させるような音楽をあえてリストインしていない。音楽はあくまで心の癒しの役割を果たすべきであり、尚且つ私は音楽の中に「祈り」の有無を強く求めたいと願っている。だからダブ・ステップやDeep House系の音楽をコレクションしない方向で、PLを作成している。
 

今シーズンのメインのPLは此方。
 

 
今週の更新は、M-45 “About Love” – The Soultrend Orchestra · Papik · Alan Scaffardi から。
 

About Love · The Soultrend Orchestra · Papik · Alan Scaffardi

 

各ジャンル、各アーティスト等の新譜からアルバムを辿り、実際に紹介されているアルバムリードの楽曲とは異なる別の楽曲をPLにコレクションする事も度ある。

先週末、一人Sufiの大物が過去アルバムのリマスター版をサブスクから再配信していたので、それをここにご紹介しておきたい。

Omar Faruk Tekbilek のアルバムSound of the Sultans (Remaster)である。
 

 
アルバムタイトルに『Remaster』と書かれてあるが、最初のリリースは私の記憶だと10年近くは過去の遡るだろう。だが正確な最初のリリース年月日がいくら調べても見つからないので、明言は避けておく。
 
Sufiについて、又、Omar Faruk Tekbilek氏についての記載はあらためて、別記事で触れることにしよう。本記事は私が編集しているPL(プレイリスト)についてと、ここ数週間の世界から配信される音楽の傾向と世界情勢との関係性について、内容を集約したいので。

 
もう一人、イタリアはカンツォーネ歌手、ロッサナ・カサーレの新譜Trialogoも良い。この作品はアルバム全体を通して聴く方が、印象が良いかもしれない。
 

 

このアルバムの中でも、特にオススメ作品を挙げるとしたらアルバム・タイトルの『Trialogo』だ。

歌手、ロッサナ・カサーレとの出会いは当時渋谷にあった大型CDショップ「HMV」の試聴コーナーだった。アルバムタイトルはLo Stato Naturale。ジャケ写が何とも色っぽく、仕事の合間にその写真を見てしまった後暫く私は、現実の世界から意識が遠退いてしまったことを今でも忘れない。

 

Lo Stato Naturale – Rossana Casale


度々私が書いている「メインのプレイリスト」の他に、ジャンル別に仕分けしている専用のPL(プレイリスト)が複数あり、特に今年の3月以降は若干コレクションのジャンル分けのスタイルを変えている。

リズム主体で主メロが曖昧なチルアウト系やLofi系の新譜は、メインのPLではなくBGM用のPL『⛪️New Chillout Times 2022′ ②』の方にコレクションする用、仕分けを変更している。

 

 
とは言え音楽のカテゴライズとはとても難しく、又各楽曲が単一のジャンルに仕分け出来ない場合も多々ある為随所に例外は発生するが、全体が一つのまとまったラジオ・ステーションとして成立するよう、毎週のコレクションにはこれでも苦労しているのが現状だ。
勿論リスナーとは何の関係もない話しと言ってしまえば身も蓋も無いが、自身が音楽家・作曲家でありながらこれ程までに他のアーティストの作品を大量に紹介している音楽家も珍しいだろう(笑)。
 

そうこうしながら先週は、私自身の次のアルバムに収録したい新曲のモチーフを幾つも五線紙にメモしており、そろそろ手の負傷と向き合いながら鍵盤練習の復帰を狙って行きたい気持ちも山々だが、兎に角無理は出来ない。

プライベートの大きな変化も続いている為、身体以上にメンタルのコンディションを度々大きく崩している事にも注意を払いながら、少しスローペースで音楽と関わって行くことが今はベターだ。

 

Kim Oki

 
さて、この記事の最後を飾るのは、最近私が注目している韓国のオルタナティブ・ジャズ系のサックス奏者 & 作曲者のKim Okiのアルバム『Greeting』からMoonlightともう一曲、韓国はパンソリ歌手のLee Hee MoonとKim Okiが共演しているPV『어랑브루지』の2作品で締めくくりたい。

 

 

 

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クラシック界の新進気鋭・藤田真央を分析する

このところ何かとクラシック音楽界を賑わせているこの人、藤田真央と言う名前を頻繁に見掛けるので遂にYouTube~Spotifyの音源を聴いてみた。

先ず率直に聴いた感想を述べてみると、一言で言うと音楽表現が幼稚だ‥ と言う一点に尽きる。
まさかこの人がまだ幼気な子供だったらと言う懸念もあり慌てて藤田真央氏のプロフィールを捲ってみたが、どうやら成人式を迎えたばかりの年齢には到達している事が判明。ならば一人の大人の演奏家・表現者としてのジャッジメントを加えても良かろうと言う判断に至り、この記事を書いている。
 

音楽ライター・高坂はる香と言う人がTwitterでやたら藤田真央を褒めちぎっていたので、どうにも気になったことが切っ掛けで色々私まで彼の音源を追い掛ける羽目に陥ってしまったが、正直時間の無駄だったかな‥ と後悔している(笑)。
 

  
やはり人の言葉はアテにならない。‥と言うより、高坂はる香が「音楽ライター」であって「音楽評論家」ではなかった‥ と言う点をうっかり見落としていた私がいけなかったのだ。
こういうところはしっかりと、見落とし・抜かりなく精査しなければならない。

高坂はる香のTwitterのTLで紹介されていたのが、以下のYouTube。どうやら2022年1月19日(水)19:00 東京オペラシティ コンサートホールで開催された藤田真央のピアノリサイタルのダイジェストから、ショパンのバラード 第三番の一部だ。
 

 

良く言えば「個性的」だが、裏を返せば身勝手で作曲者: ショパンを全く無視した浅はかな亜流解釈のショパンと言っても良いだろう。
コメント欄にも「賛否が分かれるだろう‥」と言ったような内容のコメントが散見されるが、こういう遠慮がちなコメントではなくはっきりと「これはショパンでも音楽でも何でもない!」と言えないのは、受け身体質の強い日本人の弱さでもあるだろう。

(藤田真央の楽曲の)解釈が断片的で、一個の音楽として楽曲を俯瞰出来ていないし、しかもそのくせやったりげな表情で人格者を演じているのが余りにも滑稽で、絵的にも見ているのが辛くなる。
これはクラシックの演奏家に多いパターンで、なぜかドヤ顔でやったりげで崇高な人格者を顔芸で演じてしまう人達が多いのは、何を隠そう彼らの知性と自信の無さの顕れなのだと私は思っている。

そもそも作曲者の意図や感性を超えた演奏家(再演者)自身の個性等、全く以て不要である。
この点を勘違いし、「自己の新たな解釈」を無謀に加えたがる再演家が、まだまだクラシック音楽界に蔓延しているのが現状とも言えるが、この傾向は出来れば全てのクラシック音楽の演奏家達が早々に脱却しなければならない大きな課題の一つである。

付け加え、高坂はる香のような安易に勝ち馬に乗りたがるタイプの音楽ライターが、表現の稚拙な若い表現者をやたら持ち上げるこの状況にも大いに問題を感じる。
あくまで業界関係者や世論が今誰に注目しているか‥ と言う流れに上手く乗って、自分自身の感性とは全く関係のない、あくまで売れ線演奏者のCDやコンサートチケットの売り上げに貢献することだけを目的とした音楽評論もどきを見抜けない、一般のリスナーの罪も深い。
 

 
話しを藤田真央に戻そう。

藤田真央のWikipediaに掲載されている略歴を見るかぎり、多数のコンクール受賞歴があり、日本国内のTV番組にも多数出演する等、年齢と職歴が反比例するような状況だ。

だが気を付けなくてはならない点は、あくまで藤田真央は未だ演奏者としては未開の地であり、尚且つそうした学習を要しない程の突出した才能に恵まれているわけではないと言う現実を彼が抱えていることだ。
藤田真央はあくまで平凡な商品であり、それ以上でも以下でもないと言う点を的確に見抜く音楽評論家やマネージャーが付かない限り、あっと言う間に天狗になり、あっと言う間にこの世から消されることにもなりかねない。

余生は一部の熱狂的なファンに囲まれ、それなりに幸せな演奏家生活は全う出来るだろう。勿論それだけで満足であれば言うこと等何も無いが、そんな状況をみすみす放置しているだけでは、日本から音楽史や世界史に名を刻む芸術家は生まれないだろう。
 

普遍の表現、圧倒的なまでの音楽解釈力、美しい音色、そしてそれが音楽であることすら忘れさせるような圧倒的な演奏能力、最低でもこの4つの才能を持たなければ歴史に爪痕は残せないだろう。
尚且つ演奏家の宿命は、「再演を続ける」ことだけに忙殺され、没後50年も経過すれば殆どの演奏家はこの世から消えて行く運命を背負っていることである。

やはり歴史に名を刻む為には、演奏者(表現者)自らが音楽を生み出すことが必須である。身も蓋も無い話しだが、これは真理と言っても過言ではないだろう。

 
このところ私自身が公私共に多忙になり、今日はここで執筆を終わりにしたい。この記事の最後に正直言って「何てことをしてくれたんだ!」と怒りキレそうなまでに、私の大好きなこの作品(『亡き王女のためのパヴァーヌ』)を穏やかに崩壊させてくれた、藤田真央のこの音源を貼っておきたい。
 

 

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音楽から読み解く世界情勢 [2022.04.04]

東京の桜は前半晴天に恵まれ、後半は雨に祟られながらも何とか小枝にしがみつくように花びらをまとわりつかせ、耐えているように見える。
一方世界は少しずつ混迷の雲行きを深め、それはここのところ配信される多くの音楽の傾向にも現れているように見える。

特に2022年3月25日から同年4月1日の両金曜日の、各サブスクリプションの新譜チェックは何とも陰鬱な気持ちで進んで行った。
特徴としては以下の状況が挙げられる。

ダブステップの楽曲、及びLo-Fi系の作品がとても多かった。
②単曲配信が予想以上に増えていた。(アルバムのような曲数の多い音楽の配信が少なかった。)
③一曲のタイムの短い作品が増えていた。

 

上に挙げた①のダブステップの楽曲が増える時は、世界が混迷の谷底に突き進んでいた前回のシリア内線の頃を思い出させる。無謀な理由で多くの人々が命を落とし、シリアが壊滅状態に追い込まれたのが前回の、ダブステップが世界的に流行した時期であり、現在もそれと似た状況がウクライナで見られるのは皮肉としか言いようがない。

人の気持ちがどこか、言いようのない臨戦態勢に陥っている証拠のようで、この状況をこんなに立て続けに見るとは想像していなかっただけに心が不安で大きく乱れて行く。
  

日本経済新聞より、現在のウクライナの光景の一部

 
穏やかで尚且つ心が晴れやかになるような音楽が聴きたいのに、特にこの二週間の中で更新された音楽の大半が重く、暗く、どんよりとした空気に満ちていた。
それでも何故かそのような重苦しい音楽が聴きたくなるのは、恐らく人間の本能のようなものが作用しているからに違いないとさえ思えて来る。

 

 
コロナ禍、ウィルス・パンデミックが塗り替えて行った世界をその上からさらに異常気象が襲い掛かり、そこに戦争が折り重なって行く、この時代に受け入れられる音楽を真剣に考えている人達はほんの一握りであり、多くの音楽家たちは「目先の金銭を得ながら生き延びる為の音楽」や「自己実現の為の音楽」を生み出すことで手一杯に見える。
 
それを作者自らの、或いは楽曲のPRを任された広告担当者等が美しい言葉で言い替えながら、各サブスクリプションから配信されるどこかうつろなメロディーは、瞬時的に世界の空を流れては行くが、殆どの音楽が人々の心に着地することなく上空でひと夏の花を咲かせ、枯れて行く運命にあるように、私には見えて仕方がない。
 

上に少しだけ触れた「ダブステップ(Dub Step)」の他にもう一つ、「ダブ(dub)」と言うジャンルがあり、此方は比較的コンスタントに様々なアーティスト(DJ系がメイン)が作品を配信しているようだ。

ダブ(dub)は、レゲエから派生した音楽制作手法、及び音楽ジャンルである。ダブワイズ(dubwise)とも呼ぶ。ダブ制作に携わる音楽エンジニアのことを特にダブ・エンジニアという。語源はダビング(dubbing)であるとされている。
Wikipediaより引用

 

だが最近流行っているダブ(Dub)は上記のダブとも異なっており、ワンパターンのリズム、ほぼワンコード & ワンベースの上に黒玉で言うところの「ドミソ」のような3音で形成されるブロックコードが団子状態で延々と継続しながら、レゲエでも何でもない単調かつエレクトロニックなリズム帯で構成された音楽の事である。
 

 
 

 
そんな薄暗い地上の真ん中に一組だけ、何とも言えず鮮やかな色彩を放つアルバムを見つけた。
La Isla Centenoと言う、多分コロンビアないしはメキシコ発祥のユニットがリリースしたアルバムCanciones Para El Volcánだ。
 
このご時世の悪い現象が幻覚なのではないかと思わされるような、この甘くて太陽の匂いのする音楽の花束をふと胸の中に抱きしめたらもう、現実には戻れなくなりそうで怖くなるほどの多幸感で満たされて行く。
 

 
 
根が南国の血を引いているせいなのか、こういう南の島に咲く花のような音楽を聴くと、どうしても血が騒ぐ。もう黙っていられないのだ。
同系統のユニットでもう一組、私が大好きなユニット「Monsieur Periné」からも丁度3週間前に、『Nada』がリリースされている。

 

 

このPVの内容がとても怪しげで美しいので、楽曲最優先の私がどうしても画像に目を惹かれながらこのPVを何度も何度も凝視し続けている。

この地域に見られる独特の宗教観と性認識の在り方が私は好きで、この種のPVを見つけるととことん堪能し尽くすまで貪ってしまうのはやはり、芸術家の性(さが)なのかもしれないが。
 

 
世界はこれからどこに向かって突き進んで行くのだろうか‥。
ここでタイミング良く「ウクライナのポップス」をご紹介出来れば良かったのだが、色々聴いてみたものの私があえて紹介する程の作品が一曲も見当たらなかったのはきわめて残念だ。
勿論音楽は好みに左右されるところが大きいとは言え、「これぞ!」と言う作品が結局一曲も無かった。

と言うわけで、この記事の最後は若干変わり種ではあるが、アラビックモード満載なこの一曲の動画を貼って記事を〆たい。
Jovanotti と Enzo Avitabile、両者共にイタリア人なのに醸し出て来る音楽はアラビックモード満載‥ と言う不思議な作品『Corpo a corpo』を、最後にお一つどうぞ。
 
※先週更新したばかりのDidier Merah監修のプレイリストMiracle of Spring 2022. ③の103曲目にも収録しています。
  


※歌詞は コチラ から読むことが出来ます。

 

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混乱の時代と音楽家たち

毎週金曜日は各音楽系サブスクリプション上での「新譜チェックの日」と決まっていますが、特にこの2週間の世界各国の新譜には翳りが見えるように思えて仕方がありません。

全体的に見てフルアルバム形式の配信が少なくなっており、EPないしはシングル曲で配信の頻度を上げている音楽家が目立っています。
長期的な制作時間を要するアルバムで配信の頻度を下げるよりも、毎月1曲ないしは2曲、人によっては毎週1曲ずつ楽曲を更新しているケースも頻繁に見られ、それだけ多くのミュージシャンや表現者たちが将来的な不安を感じているのではないかと言う、これはひとえに表現者等のメンタル面の不穏が強く露呈した形とも言えるかもしれません。

確かに私自身、手の負傷の長期化も原因しているとは言え、コロナ禍から戦争、異常気象等のニュースと常に接しているがゆえに、流石に長期的なスパンで音楽を創る環境にはないと言うことを痛感しています。
かと言って日和見的に単曲を更新して行こう等とは思っていないとしても、そう言う活動形態に陥ってしまう表現者等の心情は重々理解することが出来ます。
 

ここで重要なことは、各表現者が何を生み出そうとしているのか、という点だと言えるでしょう。
作品を生み出そうとしているのか、それとも商品を量産してお金に替えることを重視しているのか‥等。

これはあくまで主観ですが、特にヨーロッパを中心とする一部の音楽家の中に「ロング・Covid」の傾向を感じます。常に倦怠感に見舞われ、踏ん張りが効かなくなっているような、そんな印象を楽曲の中からも強く感じています。
 

特に新型コロナワクチンの接種に於いて、私は「反対」あるいは否定的な意見を持っています。
そもそも現在は未だ治験中のワクチンを無責任に接種させる世の抑圧の傾向に問題がありますが、その流れに逆らうことの出来ない社会的弱者が音楽家や芸能関係者等に多いことも又要因の一つなのでしょう。

結局世の流れの負を請け負うのは、きまってこういう社会的弱者たちなのです。
 

 
主にSpotifyを利用しながら毎週末、私はメインのプレイリスト+αの複数のプレイリストを更新しています。
メインのプレイリストではジャンル不問で多くのその季節の新譜を中心に、ざっくりとジャンル紹介も兼ねてスクラップしています。その他はジャンル別に、そのプレイリストのテーマに応じてさらに細かくスクラップしています。
 

今週は各新譜の単曲が全部で170曲余あり、その中でアルバム配信されているものを全てチェックして行くので、合計2,000曲近くを一日の半分を使って聴き込んで行ったことになります。
特に現在は、Spotifyを初めApple MusicとAmazon Musicの3つのサブスクリプションを同時並行的に動かしている為、今日は7時間近くの時間を費やして新譜のチェックをしたことになります。
 

 

今週の更新は、[M-94 “Nada” – Monsieur Periné] からになります。
普段は比較的陽気な楽曲を配信している Monsieur Periné が、今回は喪失感を強く表現したネガティブな新曲を出していますが、これが彼らにとっては珍しく大曲となっている辺りに時代の陰を感じずにはいられません。
必聴です。
 

 

※余談ですが、ここのところnoteから配信している音楽評論記事が立て続けに、note公式のマガジンにスクラップされています。

https://note.com/note_entertain/m/m483015f01945

 
これまでは比較的レアな楽曲を紹介する為に綴って来た音楽評論ですが、やはり私も人間ですし食べて行かなければなりません。その為には多くの読者やファンを、私の記事に集めて行く必要も感じています。
 
コンテンツの質の向上も目指しており、ここからは題材素材を吟味しながら多くの読者にヒットし得る執筆についても考えながら、各記事を更新して行きたいと思っております。
その為、記事と記事の配信の間が若干空くことにもなりますが、その分内容をギュっと凝縮しながら執筆して行きたいと心しているところです。
 
何卒記事をご拝読の折には是非、note記事からサポート等(投げ銭)で応援頂ければありがたいです。
よろしくお願い致します。

https://note.com/didiermerah
 

 

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蜜のようなアンビエント – “hard Romantic”の世界

年代日付は不正確ながら、私の中に和製アンビエントの走りとなる音像が今もくっきりと蘇る。
記憶では1995年以降から2000年に差し掛かる頃にTVのCMの頂点に躍り出た和製アンビエントが、このグループ “hard Romantic”だった。当時知的系CMとして音楽業界で話題になったのが、ONWARDの「23区」のCM。そこでBGMとして流れていたのが “hard Romantic” Romanzaの優しいアンビエントだった。
 

 

正直今聴くと若干おもちゃのようなアンビエントに聴こえるが、当時は日本全国‥ アジアのCM業界を騒がせた一曲でもあり、これが現在の和製アンビエントの走りとなったことは否めない。

私が本家「アンビエント」と日本のアンビエントとを分けることには理由がある。いわゆる私が思う「和製アンビエント」の定義は、以下のようなものである。
 

①メロディーラインが良くも悪くも幼稚であり、童謡のテイストをふんだんに取り入れている。
②音像が本家本元とは異なり、どこかギクシャクしていてぎこちなく作り物の様相を呈している。
③コード展開が単調で、余り音楽の教育を受けていない人でも何となく分かった気になれる程度にシンプルな構成になっている。
④基本的には4/4拍子、或いは緩い速度の8ビートで出来ており、頭を横に揺らせば音楽に乗って拍子を取ることが出来る平易な音楽である。

 
こうやって書いてしまうと明らかにKamalQuiet Earth や坂本龍一 & アルヴァ・ノトの二人が奏でるGlass等の楽曲とは比較すら出来ない程のレベルの差を感じることも又事実ではあるが、和製アンビエントの中では “hard Romantic” は良質な作品を量産しているアーティストだと言えるだろう。
 

 

“hard Romantic” の特徴を存分に醸し出している少年ヴォーカリスト “Liam O’Kane” リーアム・オケーン を発掘しこのユニットの企画の中枢を担うのが、大橋宏司と言うユニークなヒーリングの使い手だ。
『和製アンビエント』イコール「大橋宏司」と言っても過言ではないくらい、彼の和製アンビエント界への貢献は大きい。

“hard Romantic” の出現の直ぐ後に “Libera” と言う少年合唱団が『Libera』と言う楽曲で大ヒットを飛ばし、その後にわかに合唱団アンビエント・ブームが到来する切っ掛けとなった。
 

 

さて話しを “hard Romantic” に戻すと、このユニットの中枢をしっかりと牛耳っている大橋宏司氏は、独特の音楽観・アンビエント観を持ったプロデューサーであり、どの作品を聴いても直ぐに「彼」だと分かる明確な表現手法を維持している。
 

“hard Romantic” のアルバムに関して言えば私はやはり、このアルバムSplendore・・・天使の歌声』がピカイチだ。
このアルバムでも少年ヴォーカリスト “Liam O’Kane” リーアム・オケーン の歌声は随所に現れ、深い森で戯れる妖精のようにアルバムの要所要所に魔法をかけては消えて行く。
 

 
特にオススメは M-2 “Piercing The Cloude {Splendid Version] だ。
 

2022年2月13日 日曜日の昼間にほんの少しだけTwitterのTLにもツイートしたが、今回 “hard Romantic” を深堀りするにあたり、iTunes Storeから数枚のアルバムを購入した。その中に “hard Romantic” も参加しているコンピレーション・アルバム『Beautiful Gift』も含まれる。

https://music.apple.com/jp/album/beautiful-gift/220384209

 

この中の M-6 “After The Storm” はクレジットこそ英文字で「Hiroshi Ohhashi」と書かれてあるものの、サウンドはまさに “hard Romantic” そのもので、“Liam O’Kane” の美しいヴォーカルが炸裂する。

‥ところで1990年代は少年ヴォーカリストだった “Liam O’Kane” リーアム・オケーン も今は立派な大人になっているだろうと思いSpotifyを検索してみたところ、現在は何ともありきたりなフォークロックを歌うつまらない歌手に成長していたことを知り、愕然とした私だったが‥(笑)。

 

 
“hard Romantic” の活動は2003年7月23日にリリースされたオリジナル・フルアルバムNew Life以降は、目立ったものが見られない。又サブスクリプションに登録されているフルアルバムの数も未だ少なく、Spotifyには2022年2月13日現在、3枚のアルバムのみが配信されるに留まっている。
 

“hard Romantic” こと大橋宏司氏のコード・プログレッションには大きな特徴がある。それはサブコードの使い方だ。
特に「sus4」の当て方が個性的であり、本来ドミナントを当てるところをあえてワンクッション置いて「sus4」でじりじりとコード感を抑え込み、あえてドミナントに移行せずトニックにもつれ込む、この手法がしつこくて粘着質で私は大好きである。
 

https://music.apple.com/jp/album/new-life/1452791070
 

 

さて “hard Romantic” +ONWARD と言えば、私の記憶が合っていればこの作品もそうではなかったか。
この作品には、少年ヴォーカリストの “Liam O’Kane” の歌声は収録されていない代わりに、サンプリングと思えるフランス語の人間のささやき声が収録されて、とてもお洒落な仕上がりになっている。
 

 

この記事の最後に、上記の楽曲が収録されているコンピレーション・フル・アルバムMeditation & Sleeping Deeplyのリンクを貼っておきたい。
 
アルバムを聴く上で注意したいことが一つある。
それは「音楽作品」に意固地なまでに「癒し」「メディテーション」や「スピリチュアル」‥等をくっつけ過ぎるとどうしても、作品としてのクオリティーが怪しくなる点だ。
音楽が偽善的になり、誰からも愛されようとする作者のエゴが全面に出過ぎて、作品が下品になって行く点はどうにも避けられないのが難点だ。

それも踏まえ、以下のアルバムが良くも悪くも各々のサンプルとなることを祈りながら、この記事を終わりにしたい。
 

 

მუსიკა იმედია (Music is Hopeful) – დუეტი ჯორჯია (Duet Georgia)

昨年末からの個人的な諸々で暫く遠ざかっていたジョージアのポップスチャンネルを、久々にスイッチしてみたら、めちゃめちゃご機嫌なポップスがLiveで更新されていた。

ジョージア語が読めないのがこういう時悔しくなりますが、それでも何とか翻訳ソフトに頭を下げながら色々調べて行くと、辛うじてこの作品 მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)のメイン & サポートメンバーの概要が分かって来た。

 

მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)
Composer: Rati Durglishvili
Lyricist: Salome Chitadze

 

意外にも作詞家の欄に、上記Live動画のコーラスメンバーの名前がクレジットされているので、ついつい彼女の活動履歴も追ってみる。(その話しは記事の後半で)。
 

この作品მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)の作曲者は動画の右側でイケメンぶりを堂々と発揮しているこの人、Rati Durglishvili であり、本当に良い作品だ。
 

 

Rati Durglishvili は歌手・ソングライターと掲載されているが、私の推測ではこの動画に関してもプロデュース等を兼任したのではないかと思われる。

イケメンの外装とは裏腹に、表現自体はどこか控え目な印象を受ける。と言うのも真横に座って歌っている Basia 似の Maka Zambakhidze の眼圧がそもそも強烈だから、ついつい比較しながら動画を眺めてしまうのは私の悪い癖。
治さなきゃ(笑)。
 

歌手としてクレジットされている Maka Zambakhidze に関してはプロフィール等の資料が殆ど見けられていないが、相方の Rati Durglishvili が39歳前後と考えると多く見積もっても40代(アラフォー世代)ではないだろうか。
若過ぎず老い過ぎず、程好く脂っぽくてくどくてそのくせ爽やかな良い声を持っている。
 

Spotifyに彼女の音源を探してみたところ、最初英語表記ではヒットしなかったが名前のジョージア語表記(მაკა ზამბახიძე)で検索したら見事にヒットした。これはファンとしてはめちゃめちゃ嬉しい。
 

 
似たところでは Swing Out Sister 或いはイタリアの Dirotta su Cuba、ポーランド出身の歌手 Basia 辺りを参考にして頂けると、音楽的な共通項が多々見つかるかもしれない。
 

 

 

さて、この記事のメインの作品მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)で作詞を担当しているのが、動画内ではコーラスを担当している女性 Salome Chitadze だ。
 

彼女の経歴を追って行くと、この動画からはおよそ想像が付かないパワフルなヴォーカルで観客を魅了しているコンテスト動画が、幾つかヒットするが、正直私は Salome Chitadze のパワフルなヴォーカルには余り好感を持てなかった。
 

 

意外に大声を出すことの方がソフトリーな表現よりも簡単で月並みで、声量さえ鍛えれば誰が歌っても同じ音楽になってしまう辺りが何とも没個性的であり、表現手法としても上品とは言えないし洗練されているわけでもない。
つまり中途半端に上手いヴォーカルなんてこの世にごまんとあるから、2曲も聴けばうんざりして来る(笑)。

その意味で、Live動画მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)の中の彼女の表現は洗練されており、控え目ながらも必ずリスナーの鼓膜に届くシルキーヴォイスはむしろ個性を帯びて感じ取れる。

コーラスのタイミングも程好い。断続的に忍び寄る彼女の声には時折深いエフェクトが掛けられており、このLive動画の音源監修をした人の洗練された力量には私でさえも完敗だ。
こういう控え目ながら洗練された歌唱表現がもっともっと、世の中に高く評価されるべきではないかと私は強く願わざるを得ない。
 

 

さて、この作品მუსიკა იმედია (Music is Hopeful)の主役である Rati Durglishvili は自身のYouTubeチャンネルを持っている。
何曲か英語で歌われている作品もあるが、此方も上のSalome Chitadze 同様に可もなく不可もなく‥ の楽曲を安全圏から歌っているので、聴いていて全くそそられない(笑)。
ノーアメリカナイズ!
もっとアメリカンポップスを意識しない、ジョージアらしさを大切にして欲しい。

やはり音楽も表現も、冒険をしなければ人の心を打てないのかもしれない。その意味では不完全で未完成な良作にもっともっと取り組むべき‥ と言う課題がこの人にも山積しているように見えるが。
 

 

さて。この記事の最後に、今回だけはLive音源とレコーディング音源の悪い意味での比較検証の素材として、音源(Spotify版)を貼っておきたい。

されこれを聴いて、レコーディングとは何か、Liveとは何か‥ と言う永遠の課題の一部を皆様も是非考えてみる切っ掛けとなれば、筆者としては幸いである。
  

 

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“Mare Nostrum III, JazzBaltica 2019 Official Live”から読み解くアカデミック・ジャズの在り方

その昔私は “和製 シャンソン & カンツォーネ” なる業界に平然と君臨し、分不相応とも知らずにかなりの鼻息で威張り散らしながら生きていた。
たかだか伴奏者の端くれだと言うにも関わらず、当時はその業界では全ての老舗に出番を確保した‥ と言うだけで、天下を取ったみたいな勘違い甚だしく、今となってはとても恥ずかしい限りである(笑)。

だがその時代は私にとって闇と空白の時代でもあり、仕事中の休憩時間になると寸暇を惜しんで近くのCDストアーを駆け回り、その日その週その月にリリースされた多くの海外の音楽の見本盤を聴き漁り、気に行ったCDは必ず購入して行った。
 

Verginメガ・ストアーズ 新宿店、渋谷は世界の民族音楽を扱っていた “エルスール・レコード“、HMV渋谷店TOWER RECORDS 渋谷店新星堂 吉祥寺店、新星堂 新宿店‥、この他にもまだまだ沢山のCDストアーを駆け回り、伴奏が本業だったのかそれともCD探しが本業だったのかすら分からなくなる程音楽と言う音楽にのめり込んでは片っ端から聴き倒して行ったものだった。
 

 

和製ジャズ業界が当時から余りに体たらくだったことが原因なのか、私は兎に角ジャズが大っ嫌いだった(笑)。
何でもかんでもテキトーにスイングさせればそれで良し‥ みたいな馴れ合い感覚にどうしてもついて行けず、少しずつジャズとは距離を置くようになった。
シャンソニエでジャズ歌手と出番がアタってしまう時程憂鬱なものはなく、兎に角一曲が最短のタイムで終了すれば良いとさえ思っており、アドリブパートも極力短く最低限の長さで終えられるよう歌手に「私、アドリブが出来ないので‥」と嘘を言いソロパートを回避出来る限り回避したものだった。
 

業界の中に居るとどうしてもその世界の欠点だけが目立って視えるようになってしまうもので、当時の私もそうやって多くの音楽を拒絶しながら生き長らえて来たのだろう。

その業界を離れてしまえばなんってことのない些細な粗がどうしても許せなくなり、結局キューバン・サルサもタンゴもボサノヴァもジャズもシャンソンも、何一つ愛せないサポート・ピアニストに進化したまま2011年の冬の或る日、同業のカンツォーネ歌手にこの世界に入って最大の嫌がらせを受けたことが原因で業界を完全撤退した。
  

 
折角シャンソンと言う世界に深く入り浸っていたのに、その業界でかなり身近に居たボタン・アコーデオン奏者の 桑山哲也 氏とも余り上手く交流が出来ないまま今日に至るが、その理由がこの記事のテーマとなるYouTube Mare Nostrum III (Paolo Fresu, Richard Galliano, Jan Lundgren) – JazzBaltica 2019 Official Liveを聴いた時にようやく理解出来た。
 

 

彼等3人の紡ぎ出す芳醇で上品な音色を前に、日本の全てのアコーデオン奏者の存在は簡単に吹き飛んでしまうだろう。
あれだけ嫌いだったアコルデオンの音色がこんなに美しく心に響く日が来ようとは、想像すらしなかった。

Richard Galliano(リシャール・ガリアーノ)のシンプルかつ上品なコニャックのようなアコルデオンの音色は、私の古傷を少しだけかすりながらその傷跡の上に「希望」と「癒し」のテーピングを施して行く。
 

 

Mare Nostrum III (Paolo Fresu, Richard Galliano, Jan Lundgren) – JazzBaltica 2019 Official LivePaolo Fresu, Richard Galliano, Jan Lundgren の3人で奏でられるシンプルなジャズ・コンサートを収録した動画だが、私は彼等の音色をあえて『アカデミック・ジャズ』と命名したい。
 

楽曲の全体をヨーロピアン・ジャズの空気が覆っているが、それは最早ジャズと言う喧噪の生み出す産物を超えて、超絶なアカデミズムに裏打ちされた品行方正なクラシカル・ジャズと言っても過言ではないだろう。

そういう正統派のジャズが日本には殆ど見られなかったことで、恐らく私のようなジャズ嫌いが多く現れたのではなかろうかとさえ思われる。
『ジャズ=煙草と夜と喧噪と迷いと葛藤が生み出すアンダーグラウンドな音楽』‥ 等とは思いたくないのだが、どうしてもそのようなイメージが付き纏わずにはいられない大衆音楽のいちジャンルと言う歪んだ価値観は、彼等 Paolo Fresu, Richard Galliano, Jan Lundgren の音楽の前ではかなぐり捨てなければならない。
 

 

そもそも「スウィング」と言う、ジャズ独特の演奏形態の定義がとても曖昧であり、日本人ジャズ奏者の多くが「ダウンビート」の亡霊に日夜悩まされ続け、結局ダウンビートがネイティブに感じられないコンプレックスとの戦いに明け暮れる羽目に陥っているようにも見て取れる。
だが、この考えこそが現在の和製ジャズ業界含む世界のジャズ観を歪めている大きな要因であり、表ビートのスウィングであってもそれは紛れもないスウィングだと言って、ジャズの神様の誰かがその概念を是非赦すべきだと私は思っている。
 

スウィングとはそもそも「揺れる」と言う語源を持つ言葉であり、その揺れ方を一個の表現スタイルに限定した価値観が蔓延している方こそ変なのだ。
縦に揺れようが横に揺れようが、斜めに揺れようが‥ その人の感ずるままに揺れれば良いだけの話しだ。
だが、これが「ジャズ」と表現形態が限定された途端に2拍目と4拍目にアクセントを持たせなければならないと言う制約が生じる為、ネイティブの英語圏以外のジャズ奏者たちがダウンビートの、まるで舟が沈みそうな揺れ感覚に共感出来ずにどんなに苦しんだことか‥(笑)⛵
 

 

それにしても Paolo Fresu の何とも上品な音色と相反する、どこかチーターを思わせる野性味にはタジタジするばかりである。
まさに「役者が揃う」とはこのことで、他の、何となく舞台に演奏者が揃って「カッコよくジャズってやろう」等と言う無駄な野心が全く見られない。
まるで大学で講義でも始める前の独特の静寂が彼等と会場を包み込み、授業の代わりのように「正しい音楽」「正しいジャズ」が厳かに始まる光景は見ていてただただ神がかっている‥ としか言いようがない。

薬品も音楽も「正しく取り扱う」に限る。

 
ところで彼等が放つ “Mare Nostrum” はシリーズで音源化されており、全部で3枚のアルバムがリリースされている。
折角なのでここにその3枚を一気に貼り付けておきたい。

 

 

 

 

この際「どれが一番良いですか?」等と言う野暮な質問はなしにして(笑)、時間の許す限り全部のアルバムを是非聴いて頂ければと思う。
 
兎に角どれも良いが、最もシャンソンを感じるのは Mare Nostrum III ではないだろうか。
ま、私がフランス音楽が大好きなので、Mare Nostrum IIIを聴いているとどこか古巣に帰って来たような、 懐かしさを感じてならないのかもしれないが。
 

 

最後に。

音楽も薬も、定められたとおりの用法・用量を守りましょう。

と言うことで、宝塚の劇歌にもあるように私も「清く正しく美しく」をモットーに、これからの創作活動及び音楽評論活動を継続して行きたいものである。

 

  

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音楽とスピリチュアル

ここのところの急激な寒さで体調が若干優れず、今日(2022年1月24日)月曜日は朝からほんの少しだけ部屋の掃除を済ませた後はこのSNS 【note】を巡っていた。
音楽評論、そして音のライターとして今後の自分のスタンスをもう少し明確にしたい‥ 等と考えながら、次のアルバム制作のことやその原案、そして音楽評論家及び比較音楽学者としての執筆のスタンス等についても思いを巡らせ、そうこうしている間にあっと言う間に朝は過ぎて行った。

考え事をしたい時に限って、人からのお誘いが絶えない(笑)。だが今日会える人とは今日会っておきたいと最近は考えるようになり、極力お誘いにはお断りは入れないようこれでも努めている。
 

そんな折、待ち合わせ場所に先に到着した私はやはりスマホをポチポチと触りながら、ふと‥ 気になっていたワード「スピリチュアルジャズ」について調べてみると、どことなくそれらしい文献を書いている人の記事に遭遇したが、どうにも記事の内容には納得が行かなかった。

https://note.com/elis_ragina/n/n17f9a89aeae0

 

それもその筈で、私は芸術家とスピリチュアリストを兼ねて仕事をしている、恐らく日本ではただ一人の人材ではないかと思う程スピリチュアルには深く精通しているのだから、上記の記事に異論を感じても致し方ないのだ。

 
そもそも【スピリチュアル】と音楽とを掛け合わせるには両方のスキルを習得している必要が生じるが、未だ私はそのような人を見たことが無い。
なんちゃってスピリチュアルの域に在る人ならば数名見聞きしたことはあるが、それもあくまで「なんちゃって」のレベルを出ない(有名人含む)人達なので、ここでの名前の列挙は控えておきたい。
良からぬ霊的な呪詛を仕掛けられても割に合わないので‥(笑)。
 

音楽は音楽、スピリチュアルはスピリチュアル。仮にその両方を掛け合わせて行くのであれば、私はその人達に両方のスキルをそれぞれ確認したい‥ と思う。
ムードやイメージ、印象操作のレベルのスピリチュアルで音の聴き手を威嚇するような音楽家に限って、ろくなものではない‥ と私は思っている。
 

あ。。あの黄色い髪をした人や、大食い系霊能者のことではないですよ(笑)

 

記事スピリチュアルジャズって何? – カマシ・ワシントン以降、多用されるキーワード”Spiritual Jazz”のこと に書かれていた「スピリチュアルジャズ」の定義はあくまで音楽そのものの話しではなく、その名称を立ち上げた人達の言葉が綴られているに過ぎない。
既存の文献の文字を追ってそれを二次創作し、それらしく綴った記事なので、読んでいてピンと来なかった。

少なくとも「スピリチュアルジャズ」と言うのであれば、そこに何かしらのシャーマンにも通ずる要素があれば良いのだが、該当記事に掲載されているYouTube等を端から捲って行っても全てが「ただのジャズ」にしか聴こえないし、ジャズと言うだけあって都会的なノイズの洪水と行き当たりばったりなアドリブだけが展開される、音楽としては未熟としか言いようのない音源ばかりが掲載されている。
 

🐬
 

ところでKamalと言う、(多分ドイツ出身だと記憶しているが)スピリチュアル系のアンビエント・ミュージックを多く手掛けるアーティストをご存じだろうか?
1990年の後半から日本でも「精神世界」や「スピリチュアル」熱が過熱し、日本中の至るところで「すぴこん」(現在は「スピマ」に改名)が開催され賑わいを見せていた頃、私もそんな奇妙な世界の一員として音楽家とは別の名前でその界隈をブイブイ言わせて活動した時期があった(笑)。

当時は度々表参道や渋谷辺りの天然石店やアロマオイルの店舗や、或いはオーラソーマショップ等に足を運んだものだった。
そんな折、オーラソーマのワークショップ中に出会ったのがKamalQuiet EarthReiki Whale Song等で、その頃流行っていたビート系の音楽とは一線を画していたので直ぐにのめり込んだ。
 

LAと東京を諸事情で度々往復していた時期とも重なり、私自身がPTSDを患っており心を深く病んでいた。
視えない世界に未だ経験が余り無かった私が唯一音のスピリチュアルに傾倒し、中でもこの人Kamalの生み出す癒しの音色がとても好きで、CDでさえ傷だらけになる程何十回も何百回も聴き込んだものだった。
 

 

基本的に「音楽」に「スピリチュアル」をくっつけて活動する人に対しては私は懐疑的であり否定的だが、Kamalに関しては彼の持つ潜在的なスピリチュアルの力を信じるに至った。
彼の音楽がそれを物語っており、あえてここでは分かりやすく「スピリチュアルな人」を Kamal と言うアーティストをリンクさせて記載してみたが、彼の作品に「スピリチュアル」の文字が仮に無かったとしても十分に、彼の音楽からは尽きることのないスピリチュアルを感じ取ることが出来る。

 
ところで私の思うスピリチュアルジャズについて一つだけ補足するが、そもそも「ジャズ」とは、迷いと葛藤と反骨精神が生み出す音楽(ジャンル)であり、とても現世的な音楽だと私は認識している。
酒、タバコ、夜の店‥ 等を連想しやすく、スピリチュアルが提唱するところの不確定要素の共通項を探すとしたら、それは際限のない「アドリブ」に集約されるだろう。

だがそのアドリブもヒトの脳内の迷いが音楽に転じた信号に過ぎず、えっとえっと‥ え~~っと‥ と言う結論に到達出来ない音符のループ以上でも以下でもない。
出来ることならジャズからアドリブが無くなったらどんなにすっきりするだろうかと、私はいっつもジャズを聴く度に苛々したものだった。

料理に例えると分かりやすいが、料理とは予め完成形があるところからスタートするから、その料理が完成する。
調理を開始してから暫くして炒めて、煮て‥ と言う過程でもしも完成形に変更が生じてそれでも優れた料理に辿り着くとしたら、それはかなりの料理の達人の域に在る人に限定されるだろう。
音楽も同じである。
 

ジャズとは現場の再現性に多くを託される音楽ジャンルであり、上記で少しだけ触れたシャーマンと「ジャズと言う現実」とが合わさることは通常殆ど無いと言っても良いだろう。

仮にアンビエント・ジャズ‥ と言う定義をここに持ち出せばその可能性はゼロではないが、記事スピリチュアルジャズって何? – カマシ・ワシントン以降、多用されるキーワード”Spiritual Jazz”のこと で書かれている「スピリチュアルジャズ」の音楽(説明含む)自体は普通のジャズ以上ではないので、これ以上の解説は割愛する。
 

 

さて、この記事の最後に Kamal の作品の中でもう一つ、私が好きな作品を貼ってこの記事を終わりにしよう。
アルバムShamanic Healingは1999年にリリースされており、私は最初このアルバムを恐らく当時頻繁に往復していたL.A.の、メキシコ人が経営するタロットカードやワンド、天然石等を販売しているショップの中で聴いたと記憶している。

不可思議なお香の匂いと煙が立ち込める店内と言う、現実離れしたシチュエーションが功を奏したのかそれとも否か‥、兎に角このアルバムの醸し出すシャーマニックな音色が当時の私の心の病(闇)に深く刺さった。
今でもあの瞬間の衝撃を、私は忘れることが出来ない。
とても良い思い出として、今は当時の自分を穏やかに語れるようになり、同時にこのアルバムを当時とは又違った視点で聴くことも出来るようになった。
 

本当に素晴らしいアルバムなので、是非リラックスして聴いて頂ければ幸いである。
 

 

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音楽から読み解く世界情勢 [2022.01.19]

かれこれ私は10代半ばから音楽の仕事に携わっているが、これ程までに音楽界全体が迷走している様を見たのは人生初かもしれない。
1991年に勃発した湾岸戦争や、2011年の春に始まったシリア内戦の時でさえ、ここまで音楽界全体が衰退しなかった。だが、今一連の世界的なコロナ・パンデミックがこの世の全ての流れをせき止め、人々の精神や文化の発展を大きく阻害している。
 

こんな時でさえ、あれほど「地球を救済しに行くぞ」と息巻いていたとされるプレアデス星人等の地球への救済は為されず、人類は最早自力でこの難局を乗り越えて行く他の全ての道を絶たれた状態に在る。

特に2021年から現在に至る音楽情勢は危機的であり、世界的に多くの音楽家達が活動の場を追われている。主に舞台表現を得意とするミュージシャン達の前途は暗い。
例えば韓流女性ユニットの IZ*ONE は2021年4月29日で約3年間の活動を終了し、同じ韓国では最強のユニット 東方神起 も2019年以降の目だった活動は無い。
 

 

イタリアはカンツォーネ歌手の Andrea Sanninoオルネラ・ヴァノーニ が比較的インターネット配信での活動に華が見られる他は、全体的に活動や配信に翳りが見られる。
 

フランスはシャンソン歌手の Patricia Kaas(パトリシア・カース) も最近のアクティビティーは無く、唯一 Danny Brillant が昨年 Charles Aznavour(シャルル・アズナブール) の楽曲ばかりをセレクトしたフルアルバムを一枚リリースしている‥ と言う具合に、全体的に見ると一部の、インターネット配信に強いアーティストだけが断続的に楽曲を配信している印象が強く、音楽界全体としてはエネルギーがかなり弱まっている感が否めない。
 

 

フランスで私が長年注目している女性歌手 Enzo Enzo(エンゾ・エンゾ)が2021年に、久々にアルバムEau calmeをリリースしている。アルバム全体がヴォーカル+ギターのみで構成されており、一見シンプル・シャンソンにも視えるが全体を通して聴くとかなり地味で楽曲も冴えない印象だけが後に残る。
 

 

南米でアクティブな活動が見られるのは、意外にもメレンゲ (Merengue) 業界界隈ではあるものの、ラテン全般で見ると以前程の華が見られない。

中でも Elvis Crespo(エルヴィス・クレスポ) 辺りがブイブイ言わせながらメレンゲ界隈の華やかさを高めているようにも見えるが、楽曲の配信数に見合わず作品の質が明らかに落ちている。
 

 

そして最も私が気掛かりだったのは、Sufi(スーフィー)界隈のアーティストの活動が殆ど見られなくなった点だ。

Omer Faruk Tekbilek(オマール・ファルク・ テクビレクMercan Dede(メルジャン・デデ)Burhan Ocal(ブルハン・オチャル)、‥等、Sufiを代表する多くのアーティスト等の活動が2019年以降止まっているように見える。
 

 (⇧の動画、舞台中央の白髪の男性がオマール・ファルク・テレビレク。)
 

カッワーリ界隈からの音も途切れており、Fareed Ayaz(ファリード・アヤズ)Sabri Brothers(サビール兄弟)Rahat Fateh Ali Khan が2021年にかなり音質の悪いアルバムが2枚リリースされる以外のアクティビティーが見られない‥ 等、全体的に活動が低迷している様は否定出来ない。
 

 

クラシック音楽に視点を動かすと、2021年はかのショパン国際ピアノコンクールが1年遅れで開催されたことで若干賑わいを取り戻したものの、入賞した演奏家等のアクティビティーも然程目立っているとは言えず、それもその筈で彼等はオリジナルの作品を生み出して演奏する音楽家ではないので、結局のところは「舞台表現型」の表現手法以外の活動手段を持たないのだからそれも致し方ないのだろう。

ショパン好きはショパンと言う作曲家の音楽を聴きたいのであり演奏家と言う肩書きのパフォーマーに寄り付きたいわけではないのだから、「コンクール」と言うお祭り事が終わった後にはそこに静寂しか残らないわけだ。
 

それ以外のクラシック音楽は、主流を未だに現代音楽から動かしていない。
この物騒な時代にガチョーン!ガビーン!‥ 等と言う破壊芸術的な意味合いを多く含む、激しく痛々しい無調の音楽はもはや無用の長物であるだけに、ほぼ「見向きもされなくなっている」と言っても過言ではない。
クラシック音楽の専門家である私自身がそもそも現代音楽が嫌いなので、一部の現代音楽関係者以外はほぼノータッチと思って間違いないだろう。
 

 

現代音楽からは少し外れるが、私はこの人 Samuel Barber(サミュエル・バーバー)“Adagio for Strings” が大好きで、ベネズエラの指揮者 Gustavo Dudamel(グスターボ・ドゥダメル)の指揮で演奏される以下のトラックを時々聴いている。
 

 

話題が多岐に渡り過ぎるとかえって混乱するので、これでもかなりセーヴしながら記事を書いているが、やはりここのところ活動が活発に見えるのは台湾のポップス関連と、一部の(ジャンルとしての)ブラジル音楽界隈かもしれない。

特に台湾ポップスは全体的に粒が揃っており、業界全体の質が底上げされている感じに視えて来る。
 

 

 

一方ブラジル出身ではないがブラジル音楽にかなり近い表現スタイルをキープしているこの人 Didier Sustrac(ディディエ・シュストラック)[フランス人] も2021年9月に、愛娘をゲストに招いて新作PVを出しており、音楽のクオリティーも比較的高い状態で維持されている。
 

 

フランスから少し視点を動かして「スペイン」の音楽情勢を観てみるが、此方も余り目立った動きが見られない。

女性フラメンコ歌手 Argentina がキューバン・サルサとフラメンコを見事に融合させた新作IDILIOを2020年2月にリリースしている。この作品を中心としたアルバムが近くリリースされると言う噂があったので心待ちにしていたが、結局今日現在までアルバムはリリースされていない。
 

 

こうして全体を見渡してみると多くの「舞台表現型」のミュージシャン達が息を潜めており、諸々の事情で活動自体を停止しながら次の機会を狙っているようにも見えて来る。
 

そんな中、あえてヴィジュアルを出さずに音楽だけをサブスクリプション等から粛々と配信し、ある種の凄みを見せているジャンルの一つとしてLo-Fiミュージックが挙げられる。

 

「Lo-Fi」とは音像をあえてクリアにせず、若干の汚しを入れた音楽作品を指す。ジーンズで言うところの「ウォッシュド」の状態に近く、ある種のヴィンテージ感を出すことで楽曲に古めかしさ等を添え、アナログ感をもたせた作品が多い。

以下は私がSpotifyにスクラップした昨年版の「Lo-Fi」のプレイリストになる。
 

 

書こうと思えばまだまだ多くのジャンルに跨って行くことも可能だが恐らく私が地上ほぼ全体の音楽ジャンルを網羅しているだけに、読む方々の中に混乱が生じる懸念もあるので、本記事はこの辺りで一旦記事をお開きにしようと思う。

本記事の最後に、わたくし Didier Merah の作品を一つ添えておきます。
 

 

 

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台湾Popの新星 – 韋禮安 WeiBird

このところ、台湾のポップスがめちゃめちゃ熱い。兎に角出るもの出る曲の全てがハイクオリティーであり、何よりソングライターがぞろぞろひしめいている辺りは日本の同じ業界では既に追い付けないくらい、粒が揃っている。
 

中でも私のイチオシのシンガーソングライターがこの人、韋禮安(William Wei Li An)
1987年3月5日、台湾・台中生まれの彼の生み出す上品でソフトリーなメロディー、歌詞、そしてサウンドはさながら極上のラム酒でも飲む時のようにマイルドで優しい。
 

新作Don’t Show Itは全編英語で歌唱され、黙って聴いていたら中国系のシンガーとはおそらく誰も気づかないだろう。
(※古き良き、ブリティッシュ・ロックバンド プリファブ・スプラウトに通ずるそこはかとなくノスタルジックな曲調は、リスナーに時代錯誤を引き起こさせる。)
 

 

カメラの焦点が熱帯魚が泳ぐ水槽に当てられたまま、その向こう側に一人の女性があてどもなくやり過ごしている独特の映像は、ここ最近の韋禮安の配信する幾つかの動画に共通している、ある種の「人に対する美しい拒絶」を匂わせる。
 

ひょっとすると韋禮安と言う人は心のどこかに、永遠に消すことの出来ない痛みを隠し持っているのかもしれない。
この評論を書いている私自身がそうであるように、人は誰にも視えない場所にひっそりと傷を隠し持つ生き物だ。その人が笑顔であればある程その痛みは繊細で脆くて、絶対に誰の手も触れさせまいと必死でそれを隠そうとするものかもしれない。
 

 

韋禮安のニューアルバムI’M MORE SOBER WHEN I’M DRUNKには9曲の珠玉の作品が収録されているが、中でも私が好きなのはこの作品Leave This Bedだ。
 
この作品のPVに、人物は一人も現れない。焦点の合わない一台の車に少しずつカメラがズームしたり離れたりしながら、楽曲の要所要所に車だけがその輪郭を露わにして行く。
その車に接近しているのは人なのか、人の心なのか或いは魂か、それとも地縛霊のような何物なのか‥、PVの最後まで明かされない謎に悶々とさせられるからついに何度も視てしまう不思議なPVに、私は完全に心を鷲づかみにされたようだ。
 
ロックオン!
 

 

彼の「掴みどころのない世界観」に魅入られながら、過去アルバムSounds of My Lifeも聴いてみるが、此方も秀作である。
印象としてはどこか、遠い過去に捨てられたままの廃屋に迷い込んだままその中で一つの生を振り返るような、本当に不思議なサウンドが広がって行く。
 

中でもM-11這樣好嗎 How About This』が個人的にはドストライクで、何度も何度もこの作品を聴いている。
この作品にはPVも存在するが、私個人的には映像を通さずに音楽だけを聴いていたいと思った。あえて映像化しない方が、作品の持つ曖昧なところに想像力がかきたてられ、解釈にむしろ深みを与えてくれるような気がしたからだ。
 

 
 
どの作品にも通じているがこの人 韋禮安の歌い方がどこか、マイケル・ジャクソンを想起させる。
特にロングトーンの中盤から後半の縮れ感のある細かいビブラートがランダムなのに美しく、彼の心の彼方にそっと息を潜めている「傷跡」を包み込む水の紋様のようで、胸が張り裂けそうになる‥。
 

さてこの記事の最後に、韋禮安が2021年にリリースしたニューアルバムI’M MORE SOBER WHEN I’M DRUNKのアルバムリンクを貼っておきたい。
そこがイングランドなのかチャイナタウンなのか‥、或いはそれ以外なのかが分からない迷宮の世界がアルバム全体に広がって行く。

是非、音のマトリックスとしてご堪能頂きたい🎧