そう言えば昔々、かれこれ45年近く前、京王線は仙川の裏路地にひっそり佇むカフェがあった。
そこはコーヒーが当時230円 (ほぼ学生価格) で、他にはカレーライスとチーズケーキしか置いていなかった。
店主の気まぐれで時々それ以外にもフードが用意されている日もあったが、少なくとも私が通う平日の午後はカレーすら残っていない事も度々‥。
店内は薄暗く、BGMはジャズか吉田美奈子と山下達郎と決まっており、定休日の前日になるとほぼ吉田美奈子しか店内に流れない。
母校の音楽科や演劇科の学生に多くの常連も居たが、店内の薄暗さとBGMが客を決めてしまうようなところがあり、ワイルド系の女性と演劇科の学生の溜まり場になっていた。
どういうわけか私がそこにある日吸い寄せられてしまい、店内が若干異世界に染まった。品行方正な身なりの音大生は絶対、そういう店を選ばないからねぇ(笑)
私は当時母 (母は今で言う毒親) に洋服を買い与えてさえ貰えず、年中殆ど同じ服を来ていた。ある種の制服化に成功してはいたが私は歴とした私服で通学していたつもりだった。
そんなある日、ジーンズにTシャツ、フラッパーヘアーの上級生に『貴女も私たちとおんなじね』と言われた。

‥その瞬間は彼女の言う意味が全く分からなかったが、その後上級生の彼女との付き合いは暫く続いた。
ロックシンガーのジョニー・ミッチェルと吉田美奈子とヨモギ餅を足して4で割ったような女性で、言われなければ音大生とは気付かない風貌だ。
卒業式の日、彼女はあいも変わらずジーンズとTシャツに革ジャンをまとって現れ、途中通学路で私をピックアップするとそのまま、さっきのカフェよりもさらにダークなカフェに私を連れ込んだ。そのまま彼女は卒業式には行かなかった。
私たちはそこから数時間話し込み、先の謎が解けて行く。
『貴女も私たちとおんなじね。‥』
つまり私も彼女も、どこに居てもどこにも馴染めないと言うのが彼女の答えだった。
どうにもそれが腑に落ちなくて私はその日を境に、自分をその場のテーマや雰囲気に合わせてカスタムしながら生きる術を習得しようと決めて、それは現在に至る。
その後私は経路の異なる複数の仕事に就き、その場所の世界に自分を合わせて演じて生きるようになった。
シャンソンの伴奏者としての私、アイドルグループの裏方としての私、ピアノ教師風ないでたちで小さな子供にピアノを教える私、音楽事務所の情報収集をする為に事務員と言う肩書きで業界に潜入する私、スピリチュアルの世界で霊能者の真似事みたいなことをして有名人になった私、音楽とは全く関係のない‥ かなり身に危険の迫る仕事の補佐をする私‥ 等々ここには出せないことも沢山やって来た。
その世界毎に自分を作り替えて行くうちに各々の世界にそれぞれの人間関係が生まれた。ある時その話をシャンソン系の同業者に話した時に私は彼に酷い嘘吐き呼ばわりをされ、心から傷つき、失望した。
その日を機に私は、誰にも自分の本性について語らなくなった。
今でも誰一人、私の全貌を知らない。
