意思を貫くこと

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外側に活動を全く出さない日にも私の身には、常に色々な出来事が降り掛かる。良い出来事もあればそうではないことも含め、全てが自分の創作活動の糧になって行くと、最近は感情をセーヴすることがかなり出来るようになったかもしれない。

 

この数日間、と言うか常に…、私にはルックダウンが付いて回る。芸術家っぽくないいでたち、振る舞い、そして持って生まれたお人好しな性格が吉と出る時もあれば凶と出る日もあり、なるべく感情に落とし込まないようこれでもかなり努力はしているものの、やはりその日の波の悪いところにその出来事が挟まってしまった場合にはかなり気が滅入る。

 

そんな時の為に音楽があるじゃないの‥。

ふと、そんな天の声が木霊のようにリビングに響き渡るが、案外そうとも言い切れないところが苦しいところでもある。

 

 

芸術家って何よ?! 皆、同じ人間でしょ?!

最近よく言われる一言ではあるが、個人的にはこれは大きな間違いだと私は思っている。
人間、同じなどと言う事はない。その人の持って生まれた「格」のようなものが横一列である筈はなく、私はそうした事に対してはしっかりと線引きをし、差別すべきだと思っている。
本来ひと目見れば分かる物事が、全く通じない人がいる。或いは相手はその旨分かっており理解もしているのに、絶対にそれを受け入れようとせず、こちら側に向かってマウントして来る事の方が多いかもしれない。

 

一旦マウントが始まった場合には、相手が勝つか此方が勝ち抜けるか何れか一つしか生き残る道はない。そうなった時私は、相手のマウントには絶対に動じない、相手を完全に遣り込めるまで戦いの手を緩めたりはしないと決めている。

その結果、常に私には別れが付き纏う。

 

多くはとてもつまらない戦いに終始する。

相手の心情の中には常に、「皆、同じ人間でしょ?! 対等でしょ?!」と言う愚痴のような嘆きが響き渡り、私も同じく「人間、皆同じなわけないですよ。少なくとも物を生み出す人間や、イマジネーションやインスピレーションに真摯に向き合っている人は絶対的にリスペクトの対象となるべきです。」と言って返す。

 

恩師が昔放った言葉を常に思い浮かべる。

━ 良い師を見つけるのは、優れた弟子だけです。

━ そしてそのような優れた才能を持つ弟子を千人の児童の中から見抜けるのも又、優れた師だけなのです。

 
私には常に、良い師との巡り合わせがあり、その点では本当に恵まれていると思う。それは過去世でも同様で、それらの記憶を全て喪失することなく今世に生まれ落ちたことも含め、私はかなりツイているように思う。

勿論その最たる人は、今の夫である。

一見普通の人間の皮をかぶった普通の人に見えなくもないが、私にとって彼は全く違う種の人であり、ともすると人間に見えない瞬間も多々ある。

 

そんな夫の活動を私も又音楽活動で支え、サポートして行く為にも私は、自身の格を絶対に貶めるような言動を取るべきではないし、実際に此方の格や気質を下んじる相手に対しては徹底抗戦しなければいけないとも思っている。

 

仮にそのことで多くを敵に回したとしても、私は構わない。
秀でた人間は秀でた相手と関わるべきであり、私はその筋だけは曲げずにこれからも生きて行こうと思っている。

 

 

 
⇧ 2019年のクリスマスの為に私が作ったSpotifyのPlayListです。
宜しかったら是非、シェア、フォロー等してガンガン聴いて下さい🎧

 

サードアイ

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早朝に目が覚めたまま眠れなくなり、そのまま起きてぼんやりスマホを見ながらチャットやTwitterを楽しんでいた。ふと、頭上から誰かの声を拾ったような錯覚に陥ったが、数時間後に控えていた歯の治療の事で頭がいっぱいで、その声の主について余り深く考えないままアラームの残り時間ぎりぎりまで睡眠を摂ることにした。

 

歯の治療の日はいつも憂鬱で、前の夜から気持ちがざわついて落ち着かなくなる。特に痛みがあるわけではないと頭では理解してはいるが、もしかすると不意に神経に治療器具が当たって痛みがあるのではないか… 等と余計なことを考えると、なおさら深い不安に苛まれる。

 

数年前の治療中に一度だけ、予想もしないタイミングで治療器具が神経に当たって電気ショックにでも打たれたような激痛に悶え苦しんだ経験が、今でも深いトラウマとなったまま私の記憶の真ん中に突き刺さって思い出と化している。

だが実際に治療に行ってみると、不安で不安で仕方がなかった前日前夜のことが嘘のように、治療は呆気なく終わって行く。…その繰り返しが何年間も続き、今日に至る。

 

今日も治療は順調で、ドクターでさえ治るか治らないか予想のつかなかった箇所の患部の状態が劇的に改善し、ようやく神経の治療を終えて上を塞ぎ、次回はその先の治療に無事進む段取りに。

 

 

一旦帰宅し、今日のランチは自宅で何か作る予定でいたのだが、或る場所に呼ばれて本当に美味しいまかない飯を頂いた。

勿論まかない飯が美味しいことは言うまでもないが、私はそのお店のママの素顔を今日、初めて見たような心地好い錯覚に陥ったまま数時間が経過している。

 

その女性の写真を夫に見せたことがあったが、その時夫は「この人、開いているよね…。」とつぶやいた。その時のことがずっとあれから頭から離れず、一度私自身で女性の感覚にそっと侵入してみようと思っていたところだった。

今日がその時だったのかもしれない。

 

お店は比較的空いていて、女性に『ピアノのお姉さん、ナニ食ベル~?』と訊かれたので、私はいつもそこで食べたことのない豚肉のフードをオーダーすると、すかさず(多分私の為に作ってくれたであろう)牛肉の炒めものを前菜代わりに持って来た。
名前もない、メニューにもないフードでそれはそれは本当に美味しいお肉だった。

 

ママはいつも自信なさげに「どう?」と私に訊いて来るが、私の返事は決まっていた。

『美~味し~いっ!!!』

それ以外に返す言葉なんて、あるわけないでしょう?笑。

 

本来メニューにはない「温かいコーヒー」がテーブルに運ばれて来ると、ママが珍しく客用のシートに座って思い出話を始めた。

最近調子の好くない我が家のうさぎのことを気遣って尋ねてくれて、それに私が少しだけ答えを返した時にママが、「どんな生き物にだってみ~んな伝わるのよ、思いはね。」とカタコトの日本語で目ヂカラを込めて囁いた。
私は思わずママの額の真ん中にある第三の目を見付け、そして完全にお互いの第三の目と第三の目がぶつかり合った。

 

不意に先日夫がつぶやいた、「この人、開いているよね…。」と言う声が脳裏に響き渡った。彼女は次第に第三の目だけで会話を始め、私たちは直ぐに言葉を失った。その間、繊細なテレパシーととてもデリケートなふたつの心の声が、まるで今日の雨のようにそっと私たちを包み込んだ。

 

ママは最近会えなくなった人たちの思い出や、認知症とかアルツハイマーとかその他複合的な病気で長期入院している御主人のお義母様の話等を、止まることなく一気に話し始めた。

どんなに意識が遠のいた人でも、その人が待ち続けている相手の存在を感じるといきなり夢から醒めたように体が動き始めたり、いきなり(それまで何カ月間も意識が朦朧としていたにも関わらず)喋り始めた人のことを、彼女は美しい笑みをたたえて一気に話して行く。

 

もう私とママは店員と客の一線を、完全に超えてしまったと感じた。色々な事情でそうそう頻繁には通えないそのお店に最近私は、まるで重要な客人或いは家族か親戚のように度々招かれ、まかない飯を盛り沢山頂いて彼等にしか分からない会話の輪の中に混じり、大声で笑ってひたすら食べて帰途につく。

幸せな時間はいつも一瞬にして過ぎて行き、その度に私は、世界から時間が消えてしまえばいいのに… と軽く舌打ちしながら、ぎゅっと唇を結んで自転車を漕ぎ出す。

 

 

帰宅してから本当は別の仕事をする予定だったが、どうしても今日のことをそっと記録しておきたくなり、このページに書いておくことにした。

 

この記事を聴きながら聴いていた作品は、コチラ ⇩

 

 

私をカフェに連れてって

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2019年11月3日、私は遂に55歳になった。ここに辿り着くまで本当に色々あった。
誕生日当日の私は想像以上にコンディションを崩してしまい、予定していた温泉+焼き肉パーティーのうちの温泉だけを堪能し、一旦撤収して帰宅した。

どうにもこうにも気持ちがオチ込んでしまい、顔も心も強張ったままどうすることも出来ない状況だった。折角夫が好い企画を立てて当日を迎えたのに、温泉に浸かっている最中から心がネガティブに向かっていた理由が一体何だったのか、結局それは分からずじまいのまま翌日まで眠り続け、翌朝の晴れ渡った空を見たら一気に気持ちも晴れて行った。

よし、これなら焼き肉行けそうだわ… と思い、油断をしないよう夕方まで滾々と眠り続け起床したら一気にシャワーを浴びて現地に向かった。

 
焼き肉パーティーはこじんまりと、でも私たち夫婦にとっては盛大に行った。カルビやホルモン、ロースやタン等を夫が丁寧に焼いて行く。頃合いを見計らって夫が「そろそろいいかな。」と言い終わらぬうちにそれらを、まるで祈るように口の中に押し込んで行く私。

そう、私は世が世ならば姫なので、こういう時は全部夫にやって貰うのだ(笑)。遠くファン・ジニの頃から私は、食事の支度やお風呂、外出の支度の一切合切を男性の付き人に全てやって貰っていた。それが自然であり、私はただシンプルに「姫」としての振る舞いや芸事だけに集中して行く、そんな人生を何度か送って来たような気がする。

 

 

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ずっと封印していたトーク番組を、ようやく再開した。
音楽は今、まさに受難の時を迎えている。CDの時代を引きずっているのは日本その他の一部の音楽に疎い文化圏の国だけであり、世界中がサブスクリプションの時代に突入している。
それまで一人一枚ずつ手売りしていたCDから、リスナーが各々月額定額制の音楽アプリの利用に積極的になり、CDと言う収入減が一気に衰退している昨今。

我が家は夫のサラリーだけで全ての私の活動資金をまかなっており、それもいつかはそのままでは居られないタイミングを迎えるだろうと言う予測から私も、無言で音楽だけを配信している場合ではない… と言う危機感を募らせ、泣く泣く余り得意ではないトーク番組に着手することになった。

 

数十年前、日本ではない某所で小さなラジオ番組を任されていた時代もあったけどカンは鈍るもので、そこに私の「裂」の口腔外科的な障害も相まって、番組の収録を何度も何度もやり直しては動画を削除した、…その繰り返しの中で私も心身消耗し、夫と口論になる場面も度々あった。

焦りだけが溜まって行く中で、私の中のふとした勘違いに気付いたり、知人からの「アドバイスと言う名のケチ」を精神的に振り払うのに膨大なエネルギーを消費した。そしてある晩夫と夜通し会話を重ねるうちに、Didier Merahとしての、今ある私に一番相応しい番組のテーマに辿り着く。

 

それが此方 ⇩

 

 
勿論私はアナウンサーではないし、滝川クリステルのように話せるわけではないから、もうそういう間違ったこだわりは全部捨てて、今私に出来る発音の範囲で快活に番組が作れればいいわ… と言う境地にようやく到達することが出来た。

サブスクリプションとは「月額登録制で数千・数万曲を聴き倒せる音楽アプリ」のことで、私はDeezerやSpotify、Apple Music等、数種類の定額聴き放題系のサブスクリプションを利用している。
ま、その辺りの話は上のYouTube番組の中で。

 

Didier Merahの活動が段々佳境に入って来ると、時々ガチで家を出て羽根を伸ばして寛ぎたい衝動に襲われる。最近その頻度が増して来ている気がするが、我が家は本当に慎ましい音楽活動を余儀なくされおり(企業スポンサーをつけていない点、その他サブスクリプションのリスナーが増えて来た為マネタイズが難しくなっている…等の理由で)、以前私がシャンソンやカンツォーネの伴奏の外仕事をしていた時代に比べると収入はおそらく1/4ぐらいにまで激減したのではないかと思う。

その中で、それでも芸術性・音楽性を最優先で創作活動を続けて行かなければならないので、ポケットマネーでカフェに行けるのは月に数回と言うところだろう。
最近は人と会うことがめっきり減ってしまい(人と話が全然合わなくなってしまった為)、ほぼ自宅に引き籠ったまま日々の買い物の時だけ街に出て、買い物を済ませたら直帰で自宅に帰る、そんな生活が続いている。

それでもこうして生きているだけで、何とか人生の豊かさを感じるよう、最近の私は空想癖に拍車が掛かっているような気がしてならない。

 

アウトプットだけを続けていると、どこかで急激にインプットが必要になる、これは生き物の習性なのだろう。私も今、インプットを心から欲しているので、誰か私を美味しい街のカフェに誘って頂けると有難い。
勿論私は伴奏業をやめた後殆ど自宅で仕事をしているので、メイク道具も無ければ着て行く洋服も殆ど買っていない。未だに20年前のニットを着続けており、洋服はどこか穴でも開かない限り着続けるしかない状況だ(笑)。
苦労は売らないのが私の主義。でも時々こうして苦労を口にしないとファンの皆さんはなかなか分かって下さらないので、今日は恥ずかしながらこうして日々の苦労のネタばらしに踏み切ってみたけど、私は至って健康で元気です。

 

さ、次の『Didier Merah Talk』の原稿書きの続きをやらなければ‼

 

家族のように

 

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昨日午後あたりから急に気持ちも体調も落ち込んで、結局夕食も摂らずに朝まで深い眠りの中に居た。
早朝夫にバナナミルクを作って彼を会社に送り出した後、何となく喉が痛むので何度も何度もうがいをして日課の練習に入った。
練習が終わり、静かに水を飲む。最近は兎に角水を頻繁に飲むようになり、それが私の第二の持病の悪化をかなり防いでくれていることに気付いてからは、何をする前にも後にも必ず水を飲むようになった。

 

ランチをどうしようかと思っていると5駅向こう側からLINEで連絡があり、例の試食会をするから来てよ‥ とカタコトの日本語でヴォイスが残っていた。行こうかどうしようか少し迷ったが、こういう時にはむしろスパイス系を摂取した方が好いと思い、サクっとシャワーを浴びて駅まで歩き電車に乗った。

向かうはタイ料理店。

 

出されたものは何と、ソムタムと言う青パパイヤのサラダからタイ風スープ、そしてバッタイ未満の残った麺をタイ風に味付けして炒めたもの、その他色々。
ぶっちゃけた話、店舗の定食よりも多分豪華なまかない食で、店員以外の客人は私だけだった。家族のように迎え入れられた気分で、お腹も心も一杯になった。

 

タイではね、生野菜も手でボリボリ食べるよー。

 

ママの大きくて愛くるしくてパワフルな、声の解説が付いて来る。この店ではこうしてランチ後の休憩中に、スタッフがテーブルを囲んで家族のようにご飯を頂くのだとか。

 

お姉さんも家族よー。いっぱい食べてってねー。

 

何だか異国の母親を見つけたような気持ちになり、何度も何度もお料理に、ママに、そしてスタッフの方々に手を合わせ感謝の意思表示を続けた。
幸せな気持ちだった。

 

帰宅後、練習第二ラウンドを軽くこなし、刑事ドラマ「相棒」を観たら少し休もうと思いながらこの記事を書き始め、現在に至る。
そろそろ休もうと思う。

 

 

 

2 Anniversaries

 

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今、とてつもなく森へ行きたい。勿論国内の小さな森で構わない。むしろ森が私を呼んでいる。
色々なことが起きては過ぎて行ったこの夏、そして秋の始まり。各々の出来事がとても重苦しかったのでむしろ、私は深い沈黙の時を持ち内に籠る時間が長くなった。
でもその間ピアノは弾き続けたし、何とか聴きたい音楽の断片だけは追い掛け続けていた。

一見傍目にはいつもと変わらない私がそこに居たけれど、心の中を常に大きな大きな嵐が吹き荒れていた。

誰にも言えない思いが私を深く占有し、壁を向いて眠りに就くことが増えて行ったけれど、夫と話をする時はなるべく笑顔を忘れないようにして、彼は彼で本当に深く疲れていることを常に思うよう気を付けて暮らしていた。

 

何気ないことがいつもと違って見えて聴こえて、気が滅入りそうな精神状態に追い込まれて行った長い低迷期が、一昨日あたりからふっと靄が晴れたように軽くなった。
ずっとくすぶって渋って結局中座してお蔵入りにした企画の一つを、何となく私から復活させた。綺麗なところだけを外側に出していたら、本当の私を誰にも伝えることが出来ない。

 

勿論女性だからなるべく美しいところ、表面だけはせめて綺麗に着飾って表現して行きたいのは山々だけど、それは本当の私ではない。

いいじゃないの、もう55歳にもなるおばちゃんなんだから、ヨロヨロな姿を曝け出したってどんなことで文句を言って私から去って行くようなファンは本物のファンでも友だちでもなんでもないんだし、ありのままで行こうと決めた瞬間だった。

 

 

近く、音楽ではない私の断片をYouTubeにて公開する予定です。

私もゾロ目の歳を迎えるし、Didier Merahと言う怪物芸術家の10周年とも重なっているので。

是非是非お楽しみに(#^^#)

 

 

 

九月に降る雪

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一言の言葉も発せられない、ただ重苦しい時が過ぎて行った。その他にも色んな事が続いた8月、そして9月の始まり。

詳細はnoteの秘密記事(正確には有料記事) 『ネバー・エンディング・ストーリー 1.』 に綴っているので、知りたい方は是非そちらをご覧になって頂きたい。

 

 

 

ほぼ一ヶ月ぶりに本ブログ記事の更新となったこの一ヶ月間は、不信と不審、そして不安や不問‥ 気持ちをこうして書くことさえも難しい心の内側に閉じ籠るしかなく、だけどその間に私をサポートしてくれた夫、その他私に事の詳細を包み隠さず伝えて下さった某御方への感謝は到底尽きることがない。

趣味の読書やツムツムも殆ど出来ないどころか、一日中ぼぅ~っとパソコンの前に座るだけで過ぎて行った、そんな日も多々あった。

 

失った言葉の数だけ心の闇に雪が降りて、この夏の猛暑にさえもそれは容易に溶かすことも出来ず、先日の台風の直前には頼みの綱の我が家の空調が完全にイカれて止まってしまい、我が家は灼熱の牢屋と化した。

氷を噛みながら、カルピスを飲みながらも胸の闇が消えることはなく、その闇が次の闇を連れて来た時我が家は台風ではない、別の大嵐に見舞われた。
この辺りは又追々、noteのマガジン音楽に寄せる想い その他』の秘密記事にて配信して行く予定であるので是非ともそちらをフォロー頂き、読んで頂けると有難い。

 

この季節になると、無性にジャズが聴きたくなる。‥誰かさんも別の世界で、そう思っているのではないだろうか。
実家には私の知らない数十年が流れており、2012年に実家に父の遺産整理の為に帰宅した時には山のようにジャズのCDが積まれていた事が、今となっては懐かしい。
だが、私の好きなジャズはただのNYジャズではなくて、イタリア製やブラジル産のジャズだったりする。もうそこは何十年も数えきれないジャンルの音楽を聴き漁って来た私だから辿り着いた境地で、そう‥ きっと誰にもその分量は私に追い付けないだろう。

 

 

音楽は魔力である。人の心にすんなりと忍び込み、そこに棲み付いて離れない。
誰かさんもその魔力の下で、気付いたら一生もがき苦しんだに違いない。唯一音楽に苦しまずに済む方法を知る人がここに居たにも関わらず、彼は一度も素直にその扉を叩かずに命を終えた。

 

いつか私にもその日が訪れるのだそう。だが、それはそう近い将来でもなさそうだから、それまで私はがむしゃらに私の方が音楽に棲み付いて生きながらえてみようではないの(笑)。

 
今日、この記事を書きながらのBGMは、此方のPlayList。
作曲をやっていなければ私はおそらく、選曲家になっていただろう‥ とも言える、本当にお世辞抜きに良いコレクションが完成した。

 

 

 

私が芸術家を貫く理由

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時々私は不思議なタイミングで、不思議としか言いようのない正夢を見る。これは昔々からのことで、未来に起こることがリアルに夢に現れる。
今週はそんな出来事が複数重なったけど、未来は概ね予想通りに進んで行くのでその予定に合わせて私は色々なことを準備することが出来る。

 

この一週間、様々な再会に恵まれた。一つは某グループを解散した方々のうちのお二人と、もう一つは20数年間同業者として活動はして来たものの余り会話等したことのなかった歌手と。

音楽は再び様々な縁を連れて来ようとしている。

 

カオスな音楽業界は益々混迷を深めて行く。多数の売れていたアイドルたちが崩れ落ち、一人また一人と商業音楽の世界を去って行く。
私もその昔は商業音楽の世界と夜の再演音楽の世界の二つを股にかけて生き抜いて来た一人。だが今はひたすら芸術家としての道を真っ直ぐに歩いて行く。そこには人っこ一人いないまっさらな道だけが前に前に続いており、前にも後ろにも信じられないくらいだ~れもいない。

 

時々風が吹いたり花粉が飛んで来たり、或いは森の精霊やあの世のさらに向こう側の存在たちからのメッセージが後頭部や背骨に舞い降りるだけで、生きている人々の世界に私はたった一人で音の道を進んでいる(夫を除き)。

 

 

私が「作曲家」でも「演奏家」でもなく、「芸術家」と言い続けることには理由がある。

 

質問の中で最も多いのが、「どこを拠点に演奏をしているのですか?」ともう一つ、「オーダーで作曲はしないのですか?」の二つ。
私は上記の両方を2011年、冬を機にやめた。

 

シンプルに説明するならば、私が芸術家でい続ける理由はとても簡単。

2016年にアルバム「Eden」のラスト曲、「Ragnarok」を録音する直前、私はそれが何であるかについて深く理解させられた。
インスピレーションは自発的なものもあるけれど、私の場合のそれは送信者が存在する。私を探し、私を見つけて繋がったことを確認した時に、相手は私の最も欲する物、私に最も必要なものを授けて与えてくれる。

私にとって作曲とはそういう作業。

 

その代わり、何も降りて来ない時期も多々ある。そんな時は曲を作ることをやめて練習や筋トレに徹し、音楽の代わりに料理を作る。

 

 

感覚が降りて来ない状態を素面で何年でも待てるようになった時、私は自分が真の芸術家になれたことを実感した。

それが2016年、「Ragnarok」を演奏する直前の感覚の中で花開いtがもの。送り手は紛れもない、宇宙の創造神こと クリエイションと言う存在だと確信している。

 

 

 

 

私にはいわゆるスポンサーが存在しない。勿論此方から懇願したこともないし、むしろオーダーによる作曲の依頼を今は断り続けている。勿論ケースバイケースだが、余程のことがない限り私は商業音楽の世界に携わることはなさそうだ。

 

オーダーWritingの多くはその時々の依頼者の気紛れにオーダー内容が揺れ動き、例えばバッハに「今回はショパンっぽくやっちゃって下さい。」と平気で言うし、或いは「次の作品はEXILE風にダンサブルなものをお願いします。」とも言って来る(笑)。
バッハがある日突然アマデウスや小室◯◯になってしまったら、バッハを愛する人たちは酷く困惑するだろうし、何よりバッハと言う作曲家に対する信頼も大きく失墜しかねない。

 

だがそれを作曲家にやらせるのが、いわゆる商業音楽の世界だと言うことを私は嫌と言う程知っているから、Didier Merahと言う魔物を私の中に共存させるようになってからはもう、その世界とは深く関わらぬよう細心の注意を払いながら今日に至る。

 

 

今週は本当に、幾つもの正夢を見た。その夢は同じ日の夕方に、私には知らせない形で現実になった。
一時は私をケモノのように言ったり思ったりしていた過去の仕事仲間たちの中に、一人、又一人とファンが増えている。最初は(名前が違うので)それが私の作品だとは気付かずにファンになるみたいだが、ある時それを私や誰かがカミングアウトしても彼等の中にファンをやめる人が居なくなった。

それはとても嬉しいこと。

 

 

Didier Merahは今年の秋で10周年を迎える。

特に大きなイベントの企画は立てていない。毎年とか一年おきに120分強のアルバムを作り続けているのだから、それだけでも大掛かりなイベントと言っても過言ではない。

 

静かに迎えた10周年。私は益々シュールな者々たちと関わりを深め、手を取り合い、何より最愛の夫の大きなサポートを得ながら「待つ」時間をのんびりと過ごし、次の作品に備えて既に準備は万端である。