カフェ巡り

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2018年11月3日、私は生誕54年目を迎えた。本当に無事にこの日を迎えられたことは奇跡のようでもあり、私の体(霊体含む)はボロボロの状況であることには変わりないが、幸い気力は上々だ。

 

誕生日を過ぎてから、母校の旧友(或いは同業者でもあった)の女性と今年新たに友人となった女性の二人、そして急遽予定変更で現れた大女優の三人の女性と逢瀬を楽しんだ。
各々の土地に普通にあるカフェやレストランを巡り、珍しく幾つかの女子会を堪能することが出来た。

 

カフェとひと口に言っても千差万別であり、奥が深い。

びっくりしたのは千歳烏山に在る南蛮茶館のケーキだった。名称をメモしておけば好かった…、ケーキの名前をド忘れしたが、アーモンドとラム酒をベースとした上品な味わいが口の奥で煙のように広がって行く様は、まるで淡いクリーム色の雲海を端から舐めて行くような高揚感をもたらしてくれた。
又、別の場所で頂いた金萱茶(きんせんちゃはどこかセイロンティーにも通ずる上品さを兼ねており、口の中でまだ見ぬ異国の香りを存分に放ってくれる。
Twitter等でお茶好きさんと絡むことが多々あったけれど、おそらく私は未だ本物の中国茶の味を知らなかったのだろう…。あの美味しさには、本当に心から感動した。

 

別の日。
急遽予定を変更して私の住む町まで足を運んで下さった女優Pさんとは、私自身も初めてのお店に向かったが、これは失敗だった(笑)。

私の中には「ランチに対する強い拘り」とか「食に対するポリシー」のようなものがあり、『ランチとは働き手のお腹をしっかり満たすことが何より重要な条件だ』と私は確信しているが、最近その条件を気持ち好く満たしてくれるお店が少なくなったように思う。

主役は店だったり店のオーナーだったり…で、客はさながらお店と言う空間を飾るデコレーションのような存在だと錯覚している経営者やオーナーが増えているような気がしてならない。
メインディッシュの分量が極端に少ないランチや、立地条件その他に見合わない価格を設定しているショップを多々見掛けるようになった。

 

要は、料理愛を感じられないオーナーが増えた、と言うことなのだろう…。

 

 

食は人生のベーシック。私にとっては音楽の次に大切なものだ。

勿論私は外食だけではなく、自宅で作る料理のレパートリーも着々と広げている。最近のマイブームは魯肉飯(ルーローハン)を始めとする、台湾料理の数々。
先にタピオカミルクやタピオカ・ココナッツミルク(温・冷)のレシピを完成させたことに端を発して、台湾屋台風焼きそば、そして先日魯肉飯のレシピのベースを完成させたところだ。

 

 

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前記事、及び前々の記事にも綴ったように、現在の私の体調は必ずしも万全とは言えない。両側奥歯2本が完全に折れているし、圧の影響でメンタル・気力(霊体含む)の回復がかなり遅れているので、日々の睡眠時間をかなり増やしながら体調回復に努めている。

だが、厄介な病気を発症していないことは幸運であり、睡眠で治せる間に昏々と眠ることで体調回復を図りたいと思っている。

 

そんな中、時々カフェ巡りで気晴らしをしながら、陽のあたるカフェの窓辺で読書や音楽鑑賞を楽しむ‥ そんな小さな幸福時間を大切にしたい。

 

 

 

Eternal Pain vol.2

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Eternal Pain vol.1』 より続く。

 

4. 歯のひび

2018年9月23日、無事にアルバム『Wa Jazz』がリリースの時を迎えたが私の体もメンタルも最早ボロボロで、私は暫くの期間SNSに殆ど顔を出せなくなった。

勿論「世にも不思議な話」はきっと誰にも受け入れられないだろうと分かっていたし、そうと分かって誰かに訴えかけたい‥ などと言う気も失せ、むしろ話しても信じて貰えないことによる私の精神的なダメージの方を軽減したいと言う思いの方が勝っていた。
感受性の鋭いファン数人と時々LINE等でチャットをする他は、夫以外の私は誰とも話さなくなった。この夏、私の身に起きたことを話すには、それらは余りに現実的な内容からはかけ離れていると思った。
だからと言って「普通の人間」の仮面をずっとかぶり続けて人と関われる程、今の私は元気でもなければ気迫も失せ、先ずは遠い星からもたらされた呪詛の傷を治療することに注力しなければならなかった。
文字通り、私は本当に死にかけたのかもしれない。そこで私が尽きることで得をする人がいた‥ と考えると、色々な不可解なことの辻褄が合って来る。

 

勿論私は生き延びると決めて「Didier Merah」として二度目の人生のスイッチを押したのだから、魂や体が瀕死の状態に陥ったとしてもただでは起きないと10年前のあの時決めたのだ。

 
そんなこんなで時間だけが過ぎ、2018年10月28日の歯の定期検診日を迎えた。

ずっと奥歯が痛み腫れたり引いたりしながら、刻々と痛みだけが増して行く感じ。先週一度救急でクリニックに駆け込んだ時は私もドクターも気づかなかったこと、それは「左右両方の下の奥歯が根本で折れていたこと」。
痛みが引かないと訴える私の話をドクターが疑問に思い、急遽レントゲンを撮影することになった。
歯茎の腫れ自体は少し引いていたので私も「そんなことになっている」とは思いもせず、レントゲン撮影室から出てドクターの話を聞こうと…。するとドクターがじっと腕組みをして、写真の前でフリーズしているのでどうしたのかと思い話を聞くと、「相方の無い歯は普通噛みしめることが出来ないので折れることもないのだけど、折れている。」と言い、即座にその状況がドクターも私も掴めずに暫く目を見合わせて話し込んでしまった。

数日前に知人から入れ歯ってどんな感じか… と私が尋ねた時の話を思い出す前に、ドクターの脳内に「入れ歯」の文字がテロップのように浮かび上がった(笑)。
「もしかして… 入れ歯の可能性もありますか?」と質問すると、「いえいえそんな、まぁ僕に治せないものはないですから、ゆっくり考えます。」とドクターの(いつもよりトーンの低い)返事が返って来た。

 
この夏私は、合計三カ所の骨を折ったことになる。しかもトドメは2本の両奥歯だった。
色々可能性を考えてみたが、やはり思い付くことは一つ。8月10日のあの、遠い星から機械的に私にもたらされた呪詛の時以外、奥歯の根っこの骨だけが折れるなんてことは考えられなかった。勿論夫も同じ考えだった。

 

 

5. 命懸けの音楽活動

数日前に、ジャーナリストの安田純平さんが無事に帰国した。私はそのことがとても嬉しく、本当に好かったと胸を撫で下ろしていたが、ネットは批判的な声の側を大きな音量で拡散していた。
なんて心無いことを平然と言う人たちがこの日本には増えてしまったのだろう‥と、胃袋の奥からものが戻って来そうな気分の悪いニュースが立て続けにTVから流れて来る。

 

 

危険を百も承知で、それでも為さなければならない仕事がある。そしてそれはある意味、適任者がそれを行わなければならない。

ジャーナリストは苦しんでいる人々の現状を伝える為に戦場に出向き、そのリアルな映像をSNSを経由して世界に発信したり、自らのことばで自己発信したりする。
そして同様に音楽家の中にも、自分の人気や知名度や富・金銭を度外視して、今全く伝わっていない物事(時にはシュールな内容も含め)を音楽の中に封印して発信して行く、それに適した人が存在すると私は思っている。

 
勿論リスクがとても高く、私の場合はまだノーリターン・ハイリスクに近い状況が続いているが、それでもやらなければならない仕事ならば私は体を張ってそれを引き受けるだろう、きっとこれからも。

 

 

※2記事に跨る長文を最後までお読み頂き、誠に有難う御座います。心から感謝を申し上げます。

 

 

Eternal Pain vol.1

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この夏、私の身に起きたことを一言で説明することはとても難しい。そしておそらくそれらを唐突に聞かされた人たちは先ず、私の話を信じる前に私の精神状態を疑い、案ずることしか思い浮かばないだろう。

 

1. 事の始まり

その事が一体いつから始まったのか、私にさえ分からない。だが、その状況が断続的に形を変えながら私の身に迫って来たと気付いたのは、今年の7月に入った時だっただろう。
最初は単なるビールの呑み過ぎによる目まい、動悸のような状況からそれは始まった。街のお蕎麦屋さんで(夫婦で)軽い祝杯を上げ、私はビールをジョッキ(大)一杯に少しだけの日本酒を呑み、鴨肉の漬け汁蕎麦と穴子の天麩羅を一本胃袋に仕舞って小一時間ゆっくりと過ごし、ゆったりと立ち上がった時に視界を失った。

昼間なのに目の前が真っ暗闇になり、今自分がどこをどのように歩行しているのかさえ分からなくなり、夫の腕につかまったまま先ず座れる椅子だけを目指して向かって行き、ベンチに腰掛けた。すると視界はすっと昼間の状態に戻り、動悸も治まって来たので再び歩き出すと、又も目の前が真っ暗になり耳鳴りが始まった。

 

二度あることは三度ある、そう思いながら目的の喫茶店に入り席に座ると三回目の動機、そして視界の暗闇が始まった。胸が苦しく、どうしていいのか分からなくなったので夫の肩を枕に少し目を閉じた。

そして私はその時気付いた。
これは圧に違いない。しかも誰か、とても身近な人の執念(怨念と言った方が近いだろう)の詰まったものがそれを引き起こしているのではないかと。

 

5分から10分間深呼吸をしながら少しだけ、現実から意識を遠ざけた。すると段々と症状が治まって来て、私はようやく目の前のチョコレートケーキとコーヒーに口を付けることが叶った。

 

 

2. 骨折

今回アルバム『Wa Jazz』を始めるにあたり、私は何となく胸騒ぎを感じていた。それは人がもたらす好からぬ思いに留まらず、私が未だ経験したことのない種類の不安が心に深い影を落とし続けた。

7月の初めに私は一度倒れかけているので、そこからは毎日ただただ過剰なまでの用心を重ねながら日々の暮らしに集中していた。そんな折り、二度目の「好からぬ、とても不可思議なこと」が起きた。

 

正確な日付を記憶していないが、おそらく7月23日から25日のどこかの平日の夕方の買い物中の、それは不可解な出来事だった。
いつものように自転車を漕ぎながらスーパーの駐輪場に自転車を留め、買い物をしてから同じコースを引き返す道すがらの街の通りで、私は再び視界を失った。午後の、まだ明るい時間帯なのにも関わらず私の視界は真っ暗になり、不安になった私はそこで一旦自転車を止めて近くの木の切り株に腰掛けようとした時、右足の踵の骨が言うことをきいてくれなくなったことに気が付いた。

 

骨折したかもしれない…。直感的にそう思った。
2002年の春に私は一度、反対側の踝の骨を折っており、その時と同じ感覚が今回は右足に生じたのでそう感じた。立ち上がる度に膝がゲラっと笑ってよろつくので、ヨタヨタしながら夫にはそのことを暫く伏せていたが流石にそうも言ってられなくなった。

松葉杖を私は上手く使いこなせない。病院に行けば絶対に松葉杖を勧められることが分かっていたので、少し考えて今回はよくよく安静に、骨が完全にくっつく迄の時間を約三ヶ月間と想定しその期間の外出を全面的に(必要最低限にとどめて)控えることに決めた。
結局病院には行かなかった。

 

 

3. 遠い星からもたらされた、機械的な圧(妨害圧力)

二度あることは三度ある。この言葉が現実になるとはゆめゆめ思わなかったし、むしろそんなことにはならずに済むようにと、祈るような夏を過ごしていた。
今年は兎に角猛暑で日々の買い物もなかなか大変だし、買いだめをしても野菜が直ぐに傷むわ食材が湿度を帯びてダメになるわで、兎に角主婦業に苦戦を強いられ続けた。

 

レコーディングについての全ての情報発信を控えたのは、最初に書いたことに不安と不穏を感じたからであり、特に「和」の神髄の音楽の記録を試みる今回の企画には何かしら見えない者々たちからの妨害もきっとあるだろう… と、薄々予感はしていたが、これ程酷いことになるとは思わず私は8月お盆期間中のレコーディングの日にちを息をのむようにしながら静かに迎えることにした。
だが、その静けさは又もや、別のかたちでの圧によって完全に打ち砕かれた。

 

そもそも私は53歳で寿命が尽きるかもしれない、と、かつて3人のジプシーの占いがそう言ったことをとても慎重に受け止めており、まさに今年がその時にあたるので全ての物事を大切に、ゆっくりと進めて行くことに決めていた。

だがゆっくりと… とは言うものの、それを止めることが出来ないのが、使命を持つ者の宿命。私にとって音楽がそれにあたり、特に今回の企画『Wa Jazz』は制作期間よりも納品のタイミングが先に決まっていたと言っても過言ではない。
そのタイミングに合わせて、私はこれまで私の経験上最強最悪の呪詛を、まして地球ではなくもっともっと遠い星に住む人によってもたらされた。

 

その星のことは折に触れ情報を得たり、時には夫と夜が明けるまで話し込んだり…と、私の中ではとても魅力的で知的な人々の住む星だと聞かされており、私も2018年8月10日のその時まではそう信じていた。

 

 

8月10日、夜。食事の支度をしましょうか、と言って立ち上がろうとした時、私は再び視界を失った。
部屋には電気が付いており、夫も傍にいたが、私も夫も(おそらく)同じ痛みを頭部に感じていた。
それはまるで機械で頭をグイグイと締め付けられるような痛み。頭蓋骨が割れる寸前まで私たちは苦しめられたが、それが遠い星の人の手によるものだとはっきり分かったのは、夫がその行為を遮る怒鳴り声をキャッチしたからだった。
━ 詳細はここでは省略して綴ります。

 

 

長文なので、次ブログに続けます。

Healing

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いよいよ体調不良を放置できなくなったので、昨日は夫のヒーリングを数十分間受けました。
一通りの治療が済んだ時にはすっかり体じゅうが熱くて、その熱さが心地好い眠りを呼んでくれました🌌

若干ワーカホリック気味の私。過去作品の全てが私のライバルであり、一瞬の油断もならない… と言うストイックさが今回仇になった格好。

心身ボロボロでした。
言葉選びが難しいのですが、ここではあえて「霊体」と言う言葉で表現すると、霊体疲労が肉体に徐々にフィードバックした結果のボロボロ加減には自分でもびっくり。

元気だ、頑張れ… と自分を執拗に鼓舞し過ぎたみたいです( ノД`)………
先週の金曜日に久々にいつもよりハードな練習に取り組んだ結果いきなり土曜日に奥歯の歯茎が腫れ上がり、同時に酷い頭痛に見舞われた散々な週末。
今回も夫が救ってくれました。

 

この御礼をどうやって返して行こうか…。先ずは少し休養してからゆっくり考えます♡

 

 

━ Twitter同期投稿

 

 

My Season will come soon

 

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さながら枯葉のように燃え尽きながら、私は一足先にこの夏を彷徨い続けていた。
色々なことが立て続けに私の身に起きたが、それは他言の出来ない出来事ばかりで目まぐるしく私の生活を包囲した。

だが私には夫が付いている。私の身に起きる多々の悪しき出来事を彼は誰よりも早く察知し、そして確実に私を救い出してくれる。常に冷静で、尚且つ頼もしい人だ。

 

アルバム『Wa Jazz』が無事にリリースの時を迎えられたのも、彼が居てくれたからこそ、である。

今回『Wa Jazz』についての文字解説や音楽解説の補足は、一切出して居ない。音楽は説明書きで理解するのではなく、先ず感覚に降りて来るイメージをリスナーには大切にして頂きたいと言う、これも私の密かな願いであり意図でもあるとご理解頂ければ幸いだ。

 

冒頭にもお伝えした通りこの夏の私は悉く体調と気分の不調に見舞われ、殆どブログも書けずSNSにも余り顔を出せず、時折知人とこじんまりとメッセージのやり取りをする以外の多くの時間を眠って過ごした。

眠っている間の私にも、ミッションは付き纏う。むしろ眠っている間、感性が他の世界にスイッチしている時の私のリアリティーの方がとても強いと言っても過言ではないが、かと言ってそういう話を知人とは共有しないことに決めているので、このブログを書くタイミングも大幅に遅れてしまった。

 

Wa Jazz』を注意深く聴いて頂いている方々は既にお気づきだろうと思うが、これまで世界には一つと存在しない和の音楽の新しいかたちがあのアルバムの中で実現した。
日本人の音楽家として必ず為さなければならないこと、日本のモード、和声その他編曲面で、『Wa Jazz』の中に託された可能性は無限大である。

 

勿論アルバム全体には一つのストーリーが流れているが、それは文字で補足するよりもリスナー各々の中に降りて来る映像やインスピレーションに委ねたい。

 

 

溶け落ちるような夏がもう直ぐ終わり、やがて私の季節がやって来る。
それまでの時間をこれまでよりももっと静かに厳かに、そして慎重に過ごして行きたいと今強く願って止まない。

 

 

ポジティブシンキング

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テニスの大坂なおみさんが、全米オープンで日本人としては初の優勝を遂げた。ゲーム内容は勿論素晴らしかったがそこではなく私は、ふと‥ 彼女を後ろから支え抜いているコーチに興味が湧いた。

 

サーシャ・バイン…..

彼の褒め方は日本人のコーチには無い語り口で構成されており、窮地に立つ人の気持ちをよく知った者或いはその状況に対し咄嗟かつ理知的な対処能力の秀でた人にしか、それを口にすることが出来ないのではと感じる。

大阪なおみ選手とサーシャ・バイン監督、おそらく二人は見えざる糸で繋がった「同士」かもしれない。出会うべくして出会った二人だからこそ、双方が自身の力量を余すところなく発揮出来る唯一の関係性がそこに在る。

 

私の場合は夫。

常に自己評価の低い私を彼は、一度たりとも間違った同調をしたことも無ければけなしたことも無い。
レコーディング直後の私は自分が演奏したものに対し、殆ど満足したことが無い。あそこをもっとこうすれば好かったのに… とかあの箇所はもっと指が動いた筈なんだけどどうして出来なかったのか… とか、もう信じられない程グズグズ言いながら寝室に倒れ込む。

そんな私に彼は、「まぁまぁ、ホントに好かったんだけど少し頭を冷やしてから聴いてみようか。」と言い、大体においてその後二人で街に繰り出しては失敗談から私を解放するように職人が淹れてくれる温かいコーヒーを飲み、歓談に耽る。

このプロセスはこれまでの全てのレコーディングの度に続いている。

 

ポジティブシンキング……..

ずっとこの言葉が嫌いだった。一期一会と言う言葉と同じくらい、私はこの言葉を発する人に対しては嫌悪感しか湧かなかった。だが今は違う。

何故そう在り続けられるか、或いはどのようにしたらそうなれるのかについて、私なりに少し苦しみながら考え続けた結果、一つの答えに辿り着いた。

全てに於いて思いや夢を実現するには絶対的に技術が必要であり、自身がどのくらいの技術を身につけて居るかについて常に考察すること。
そして効率的にその技術を向上させる為の練習プログラムに常に注意を払い、少しでも無駄や過剰負荷を察知した時は都度都度それを改善すること。

 

私の日々の練習がその繰り返しであり、その集大成が私の各音楽アルバムに投影されていると言っても過言ではないだろう。

 

 

長年、ジャズと和ものが大嫌いだった私に、夫が「和ジャズ」と言う企画を持ち込んで来た。

苦手なものを二つ足して持って来るなんて何ってことをするんだろうこの人は‼️ …とは思ったものの内心、苦手なものを二つ足したら何が出て来るんだろうかと言う微かな好奇心が胸の中で湧き上がった(笑)。

そう言えば昔っから常に、強敵に挑みながら生きて来た。勿論「誰」と言う名前はここには出さないけれど、それが人である場合もあれば課題そのものだったこともあり、その度に私はそれらの挑戦をほぼ90パーセント、クリアして来た。

今回もそう出来たと言っても、誰からも咎められはしないだろう。

自信作『Wa Jazz』が完成した。

 

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その曲目リストがこれ ⇧ である。

 

さぁ、実際にこれが音楽としてこの地上を駆け巡る時、何が飛び出して来るだろうか。

乞うご期待🤗‼️

 

 

英語が上達しない理由

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高校受験まではひたすら受験英語とやらに夢中になった日々。そこそこ聞き取れたし、そこそこ話すことも出来た英語。
高校受験ではヒアリングに困ることもなくすんなりと突破した英語。でも高校受験を終えた途端に、それまでの自分ではないみたいに英語が全く聴き取れなくなって行った。

何とかそれまで培った英語のスキルを落とさぬようにと、高校ではW・ムーアと言うアメリカ人教師の英語の授業を選択するものの、本当に信じらない程ネイティブの英語が聴こえなくなった。

 

1998年、渡米の切っ掛けを得るものの私はとことん英語から逃げた。

心の闇を抱えていたことには当時全く気付かず、とある音楽の仕事(公式・非公式を含め)を表向きの理由にL.A.に飛ぶものの、機内ではマレイシア人の英語が比較的ネイティブからは遠くカタカナっぽい発音だった為、逆に聞き取りやすかった‥ と言う以外、殆どの現地の英語が濁った音楽のようにしか聴こえて来なかった。

 

帰国してからは何故か英語ではなく、インドネシア語とかスペイン語に気持ちが揺れ動き、これまたやめときゃいいのにインドネシア語の駅前留学を決意し一年間で日常会話ぐらいは何とか聞き取れるところまで漕ぎ付けた。
だが、使わない言葉はやがて脳ミソからも記憶からも必然的に抜け落ちて行く運命。その言葉通りに、今ではインドネシア語も殆ど聴こえないし話せなくなってしまった(笑)。

 

色々生活のベーシックが落ち着いた段階で再度、英語の駅前留学にトライしようかと言う話で先日夫と盛り上がった時に彼が、ふと放った言葉が何とも印象的だった。

 

最近の私は兎に角人の居る場所からなるべく遠ざかり、遂には人混みの中に自身を置いても全く一人になれるおかしな技を身に着けた。

人の話し声、人の念、人が持つ本音と建て前のリバーシブルにとことん疲れてしまい、それは私が持つ「人の心の声を聴いてしまう能力」が原因だと夫は言う。確かにその通りだった。
それが英語であれ母国語であれ「人の心を人の言葉よりも先に聴いてしまう」以上、とどのつまりは私にはそもそも言語など必要ないのではないか… と言う究極の回答に辿り着く。

 

要は、言語を必要としないから同時に英語も私にとっては必要ない。
よって英語が上達しない……

そう、⇧ 究極の回答に辿り着いてしまったことになる。

 

 

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音楽を奏でている限り、おそらく私がことさら英語を必要とすることは将来的に無さそうだ。
繊細なニュアンスを含む表現を言語で伝えるには通訳を通せば好いし、私の作品はほぼ100パーセント黒玉だけで伝え切ることが出来る筈。

 

そう言えば、世界の北野武はハリウッド映画の中に在っても、セリフの殆どを日本語で通した、それが許される逸材だったと言われている。私が世界の壁を超えることが出来れば、おそらく私の下手な英語よりも母国語の響きの方に価値が増す筈。

勿論日々、SNS等ではなるべく英語を読んだり聴いたりするよう心掛けているけれど、最近の「人間嫌い」の私が大勢の人の居るところで積極的に英語を話す日が来るような気がしない。
ならば母国語のスキルを徹底的に上げて行く方が、何かと前向きではないかと最近思うようになった。

 

Didier Merahと言う名前を授かった私の体には多分、日本人の血が半分は流れている。この名前を得た時には、数年後には渡米して海外暮らしを始めるだろう… と思っていた。
だが、今の私は森と神社の街から一歩も外に出ることもないし、出たいとも思わなくなった。

 

 

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近い将来、大好きな国内の河を巡り歩くのが私の夢。
海ではなく、河を…。

 

今日のBGM。Sławek Jaskułke(ポーランド🇵🇱️)の美しいジャズ・アルバムより。