Life – 命

三浦春馬さんに続いて芦名星さんまでが、ふっと旅に出るみたいにこの世を後にして行きました。
ドラマ「相棒」ではしっかりと脇を固める、美人かつ演技派の女優さんでした。
 
今朝まで、昨日まで、さっきまで‥ 仕事関係者と連絡を取り合ってその数時間後の突然の死(メディアで報道されていた内容をまとめると)。
本当に信じられない‥。
 
若い世代が絶望を感じるような何かが、この時代には潜んでいるのかもしれません。
こう次々と大好きな人達が消えて行く今、私はあらためて「命」とか「命の重さ」「命の上限」について考えています。
 

新型コロナ肺炎では生きたくても生きられない命がこの世を後にし、今も多くの亡霊たちが行き場を求めて現世を彷徨い続けているような気がします。
そんな一方でメディアに次々と流れて来る訃報の数々が意味するものとは、一体何なのだろうかと‥。



命の上限について、思いを巡らせています。
生きられるだけ生き続けるのが生命の宿命だとこれまで私はずっと思っていましたが、そうではなく自らの手で最後・上限を決めてそれまでの全てをリセットする時の故人の思いとは‥。

 

今日は何を見ても何を聴いても、けっして明るい気持ちにはなれません。
芦名星さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

境界線


世界は絶妙なタイミングで変化し続けています。
まるで季節が夏から秋へと向かうような自然な流れを装いながら、地球人と言う赤子を沢山の自然神の面々があやしながら、あっちへ行けこっちに向かえと言って飴を鞭を使い分けるように‥。

この何とも絶妙な転機を私たち人類はどのように感じ、そしてどのように乗りこなして次の時代へとシフトして行けるのか、行けないのか‥。何もかもが手探りなのだからそこには最初から存在する明確な回答などは一つも無くて、それでも私たち人類はこれまでとは違うやり方、生き方、ものの考え方、価値観や哲学観に絶対にシフトしなければいけないと自然神は解きます。


私が度々書く「自然神」と言う単語に拒絶反応を示される方々が居ることも、私には分かっています。それはご自身がこれまで達成出来ていた筈のマウントに対する敗北感に似て、私如きの社会的な立場の弱い芸術家に負けるわけがないと言う既存の秩序が音も無く崩壊してしまうのではないかと言う不安の上に成り立つ、後先のない真の敗北を真のあたりにすることへの恐怖に似ています。

ですが私は常に、そんな横暴かつ無謀なマウントに今日までじっと耐えながら芸術活動を続けて来ました。
確かに今日まで勝ち目のない戦を延々と続けているようなところもありました。ですがこのコロナ禍が皮肉にも切っ掛けとなり、私と時代の間に長い間立ち塞がっていた壁が一気に崩れた感は否めません。
これまで高い所にあった壁が、急激にその高さを変えて私の手の届く場所まで降りて来たような、ある種の私自身の人生の見通しが立ったと言っても過言ではないでしょう。


Twitterその他Facebook等のSNSのプロフィール欄に、私はある時期から私のありのままの姿を人生及び魂の履歴の一つとして書き加えており、最近はTwitterで私の過去世 J.S.Bachについての色々な話を綴っています。
その度に味方ではないと思えるような方々からのDMがひっきりなしに舞い込んで来るようになりましたが、だったら私の説に反する先方の方々からBachの隠された逸話が聞けたのかと言われると、そうではありません。

だからと言って私はBachを武器に自分の芸術活動やその履歴を美化したいわけではなく、ただただ間違ったJ.S.Bachの説をシンプルに穏やかに軌道修正がしたいだけなのです。

それは私が今日まで音楽を続けて来れた原動力の一つでもありますし、これから世界中の音楽愛好家や音楽家の卵たちに絶対に必要となる学説や音楽理論の新たなベースともなり得るものだと、私は確信しています。
 

色々な意味で、世界は転換期を迎えています。既にその旨私は1990年の湾岸戦争の頃から予期しており、いつか世界は逃れようのない時代の境界線に立たされる時が来ることを知っていました。
だからと言って自分の生活を一気に変えて行くこと等出来ない、私にとっては闇の数十年が経過し、最後の最後で夫や日本神界の神々によって救われたと感じています。

夫と初めて会った日のことを、私は今でも忘れることが出来ません。
あの日は丁度薄曇りの朝。前日の疲労が祟り、その日は夜中から酷い腹痛と偏頭痛と吐き気に見舞われ、本当ならばそんな日に人と会う約束などあっさりキャンセルする筈がどうしても夫との約束だけは守らなければならないのだと、私の本能がそう叫び続ける朝でした。

そして朝っぱらから一本1,500円ランクのユンケルと胃薬と正露丸、そして頭痛薬を服用し、一時間予定よりも前倒しで支度を始めました。

途中如何なるアクシデントが起きてもいいように、先ずは心のゆとりを持つことが大切。そして予定は意外にサクサク進み、結果的に私は50分も早く約束の場所に到着することが出来ました。
自宅を出発する時は不具合だらけだった体調も段々と時間を経て快方に向かい、現地に到着した時にはかなり好くなっていたのが不思議でした。


あの時私が無理を押して夫に会っていなければ、今の私は居なかったでしょう。あの時も私は、人生の大きな大きな境界線を何とか乗り越えたことを強く実感しました。


今私たち人類は色んな意味で、これまでには無いくらいの大きな境界線に立たされています。
境界線には好い境界線もあれば、そうではない境界線もあります。まさしく今、人類は後者の境界線上に立たされていると言っても過言ではないでしょう。この境界線から先には、キャンセルが利きません。乗り越えて先に進むしか、他に方法が無いのです。

色々書きたいことを整理せずに、又もや多くの思い出話をしてしまいましたが、今私が聴いているのはCesare Piccoの比較的新しいアルバムです。
Cesare氏の比較的初期の香りが漂う、不穏で神秘的な作品がずらりと並ぶ秀作です。




今日も即興ブログを最後までお読み頂き、ありがとう御座います💛

自然神からの警告


新型コロナウィルスや台風 、そして水害等、自然が容赦なく人類に襲い掛かり私たちの動きを封じるには理由があります。

どう対処して元の生活に戻るか‥ ではなく、暫く大人しくしていろと言う自然神の怒りをもっと真摯に受け止めそれに従うべき。
今がその時です。

Last Recording with Michael Jackson

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前回のレコーディングから間を空けて、損傷を負った霊体の修復に多くの時間を費やしていました。その間ミックスダウンが完成した問題の3曲を聴くことが出来ず、先ずは霊体の治療と治癒を何より優先させて来ました。

今朝異次元の療養所の主からの許可が得られたので、念願の3曲を今聴いています🎵

私が音楽を通じて何を表現し、何を訴え、そして最終的にこの世界に何を遺そうとしているのかについて、今回レコーディングし終えた3曲が唐突に物語っているようにも聴こえて来ます。
 

生きた人間が一旦別の次元に渡り、そこから見た三次元の危うさを音楽に託して人類に伝えて行く‥。

たかが自分で作った音楽を好き勝手に演奏して発信しているだけだと言う人も居ますがそうではないのです。
 

私は自分自身が音楽家であるかどうかなど、余り問題にはしていません。それよりもこの星がリラ星のあの時のように自爆を決めることが無いように、ただそれだけを毎日祈り続けて居ます。
 

来たる8月29日はマイケル・ジャクソン氏の誕生日にあたります。生きていれば62歳でした。

前回のレコーディングの時にひょっこり顔を出して、生前にお披露目することが叶わなかった祈りのセンテンスをポツポツと私に弾かせた、強引でチャーミングな天使のような人。
 
 

いつも私が別の次元を渡って即興演奏で弾き切った音楽に、夫(#天野玄斎 氏)がまるで私が生まれる前から計画して練り上げたようなタイトルをつけてくれます。

全ての作品が私たちの体を何周も巡り巡ってしっかりと温まった状態で、いつかこの部屋を飛び出て行く日を待ちます。
 
 


 

※この記事はスマートフォンよりTwitter及びFacebook個人Page、Facebook Pageへ同期掲載しました。

Human Issues – 人類の課題

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多くの現代人の意識は、眠ったまま生きています。肉体は確かに僅かな思考と身体的な行動を繰り返していますが、意識は過去の死の後から長い長い眠りの中に在ります。

超能力やテレパシー等、シュールな感覚が開かないのはその人の意識が眠ったまま肉体だけが生きているからだと、天野玄斎氏は唱えています。私も同様だと思います。

 

私の住む街にたった一軒だけ、浅煎りの豆で美味しいコーヒーを淹れて飲ませてくれるカフェがありました。これから長いお付き合いになると思い、いつもわくわくしながら通い続けていたカフェと先日、永遠の別れを決めたわたくしたち夫婦‥。
ウィルス・パンデミックのさなかにも常に店を開け、世の中に戦いを挑むように営業し続けて来たカフェで先日、窓からネズミが侵入しました。その数分前にもコーヒーに加える生クリームが固まったままになっており、ふと衛生面に不安が過った直後の出来事でした。

 

最初夫が窓からチョロチョロとカウンターを伝って来たネズミに気付き、二人して悲鳴を上げましたが、店主はちらりと此方を遠くから見ただけで何が起きたのかについて確認すらしませんでした。

レジでお金を払う時に夫が遂に口を割り、窓から侵入して来たネズミの件を店主に伝えたものの、「はぁそうですか。ま、色々事情がありまして。」とだけ言うとポロっと数枚のコインを夫に手渡しただけでヘラヘラ笑って店を追い出された格好になりました。

 

もう二度とこの店に行くことは無いと、私と夫は無言の会話で互いの意思を確認し合いました。

 

危機意識‥

私たち夫婦は常にこのアンテナをしっかりと張り巡らし、お互いに命をいかに長く使い続けるかについて考えながら生きています。なぜならば私たちにはこの世で絶対にしなければならないミッションがあり、その為に何度も何度もこの星に戻っては生きて来たからです。
夫は元々生きて行動する生命の属性を持たないので、夫はその夢や祈りを実現する為の「生きた生命体」を長年探し続けながら転生を繰り返していたように思います。

そして私と言う音楽家・芸術家に出会ったことで又、私も、夫も、それぞれが思い描いて来た夢を少しずつ実現させる為に日々考え、限られた時間の中で出来る作業を粛々と進めています。

 

そもそも音楽家やミュージシャンは、特に女性の場合はルックス重視と言われ、多くの女流音楽家たちがその悪しき壁に阻まれながら夢を諦めて来た経緯があります。
男尊女卑の世界はここ、音楽界の中にも脈々と在り、女性は美貌の事情で売れたり消えたりするものだとずっと誰もが考えて来ました。

 

女性の美貌は作品自体にも大きく影響し、その時々の女性の美貌に相応しい音楽がアーティスト側への課題として突き付けられる、おかしなルーティーンがこれまでは当たり前のように続いて来ました。

そんなルーティーンが、このウィルス・パンデミックによって打ち破られようとしています。

 

これは私にとって極めてこの上ない幸運であり、やっと私が等身大で芸術家として生きられる時代が訪れたのだと私は何故か、この事態をとても前向きに受け止め、そしてこの10年間続けて来たのと全く変わらぬ創作活動をこのコロナ禍の中で継続しています。

 

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この世界に今、どのくらいの預言者やチャネラー、コンタクティーと呼ばれる人たちが居るのでしょうか?その中に、この地球と言う星の意識とコンタクトが可能な人材は、どの位居るでしょうか?

 

ラッキーアイテムを手にしたり、特定のスピリチュアリストが考え出した亜流の呪(まじな)いを唱えるだけでウィルスと決別出来る‥ 等の文言をこの数か月間で大量に目にして来ましたが、それがあくまで人間の私利私欲に基づく悪い願望であることをもしも私が口にしたら、「そんな芸術家が作り出す音楽など聴くに値しない。」等と言うヘイトスピーチが飛んで来そうで、なかなかおいそれと真実を露出出来ない日々に私は悶々としています。
ですが、それこそが現実です。

地球と言う星に意思があることを知れば、今地球が私たち人類に何を突き付けようとしているのかについても、比較的容易に理解出来る筈です。

 

 

なるべく早い段階で、地球は原始に還ろうとしています。

その為に何をすべきかについて長い時間を掛けて思い描き、そして意識ごと立ち上がったその瞬間が「今」のこの現状だと言っても過言ではないでしょう。

 

私が人類の一員ではなければ、今直ぐにでも地球の思いを現実の形として提示してあげたいところですが、如何せん私も人。生きて為さなければならない事の為に、この星に生きています。

ならばそんな弱り切って、そして怒りに震えている地球の意識とコンタクトし、共存の道を模索出来ないかと‥、誰にも言えないこの課題に今真剣に、夫と共に向き合っています。

 

 

 

私たち人類は多くの娯楽や祭り、旅行や観光等を通じて水陸を含め地球全域の環境を食い荒らして来た経緯があります。

勿論その業界に生きる方々にも生きる権利があり、職を得る権利があるでしょう。でも地球は今、そうしたこれまでの慣例自体に嫌気がさし、全てを根底から打ち壊そうとしています。

そして地球は今、無期限の静寂を得ようと強く願っています。

 

私たち人類の祖先は、リラ星人だったと言われており、私はそのリラ星の最期を見届けた数人の巫女の一人でした。
リラ星にも明確な意識があり、それは神の声のように時折音声として私の脳裏にその声を届け、赤裸々な星の思いを伝えて来ました。

 

今地球がその状態に在ります。

 

経済を回そうとか、各々の業界を再度活性化させようとか、そんな声が地上の電波やSNSを通じてひっきりなしに聞こえて来ますが、地球自身がおそらくそれを許さないでしょう。
自分が生まれた時の状態に、地球自身が自分の手で、全てをリセットしたいと願っているのです。

 

多くの人類が篩に掛けられ、意識を覚醒させながらこの地球で粛々と必要にて十分な仕事をしている人類だけを、地球は選んで残すでしょう。

利他的な心情から作業や仕事を続けている人類を、地球と言う星は必要としています。

 

私は金銭とか経済とか、そういうものからはとんとかけ離れ、突き放された人生をずっと歩んで来ましたが、その中でもどうしても捨てられないものだけを心に持ち続けることで生き延びて来ました。

それを心に描いていると、不思議と食べること、必要最低限雨風を凌ぐ空間には何とか見放されずに今日を迎えています。
今の夫との出会いや生活を維持している事そのものが私にとっては神からのギフトであり、正直夫と音楽とうさぎが居れば他に欲しいものはありません。

 

せめてもう少しだけお料理がしやすく、出来ればピアノが一台設置出来る部屋に引っ越せれば、それで私の物欲は大方満たされます。

おそらく地球と言う神は、そんなスペースであればそう遠くない将来、私たち夫婦に与えてくれると確信しています。そして多くの神々や視えない人たちと共に、手作りの美味しい料理を囲んで神人共食の時をそこで持ちたいと思います。

 

切っ掛けはウィルス・パンデミックではあれ、多くの文化や産業の要らない部分がごっそり根こそぎこの世界から消滅するに違いありません。
これまで快楽的に生きて来た一部の人類が生き方を改めない限り、地球自身がそんな人類をごっそりまとめてどこか別の世界に移動させて行くでしょう。

願わくば私と夫はその先の地球をこの目で確認したいですし、あと数回はこの星に戻って命をやり直すことになりそうです。

 

陽の光と目覚めと

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来る日も来る日もCOVID―19の話題ばかりで、その上関東は全般的に雨季の真っただ中にあるので、わけもなく毎日塞ぎ込んでいます。
普段はフルオープンの私のアンテナが、ここのところ何者かの大きな手のひらで抑え込まれたようにミュートして、眠っても眠っても際限なく眠い日が続いています。

 

昨晩も予定していた夕食を結局抜いてしまい、朝まで滾々と眠り続けた私。ですが今日は早朝にマイケル君の定期検診を控えていたので、兎に角寝過ごさないように‥ 用心しながらうつらうつらしていたら何だか時間が勿体なくなってしまって、夫の出社を見届けた直後から洗濯機を3回も回して未だ今も、マスクをまとめて洗っています。

 

久し振りの太陽は昨日から、私と反対に目が覚めたみたいに都会を照らし始めました。今日は幾分雲が多いものの、タオルが2時間強で乾くぐらいの日の光が新鮮です。
夏が近くまで来ているのかもしれません。

 

 

作曲の作業を再開しました。

唐突に自分の音を追い掛けたくなったのも、長い眠りで気持ちがリセット出来たからかもしれません。後から後から湧き上がる音をメモに書き取って行くのですが、その中でも2分で退色してしまうメロディーもあれば、二週間前に書いたメロディーが新しい魂を吹き込んだように蘇生することもあります。

 

このコロナ禍と長い雨季がダブルパンチで人の棲む世界を押し潰している中で、なかなか新しい作曲に着手出来ずに居たのですが、本当にパ~~っと目の前に百万のハイビスカスの花が一斉に開花したような目覚めを感じています。

誰かが私を助けてくれているのを感じます。ここで言う「誰か」、とは人ではなく、それ以外の存在の意味です。

 

今年の前半だけで、幾つもの人との別れを経験しています。知人も居れば有名人も居たり、皆生き急ぐようにこの世を旅立って行きますね…。

私の場合は「失う」別れよりも、自らの手で鎖を噛みちぎるような別れの方が多いでしょうか…。理由詳細は色んなSNSで綴っていますので、ここでは省略します。

 
皆様が思うより、私は神経質で気位が高い人間です。
最近は理由もなく人に気を遣うことにうんざりしてしまい、それまでは余り深く考えずに無意識に遣って(遣わされていた?)「気」を、自分の為に遣うことに決めました。

 

人に気を遣わせる人の大半は、そのことによって無言のマウントを相手に仕掛けている場合が多いように思います。
私も根がお人好しなので、まんまとその悪しき作戦にハマってしまっていたのかもしれません。

 

考えてみれば、魂年齢と言う点では私や夫に勝る人はこの世界には存在しません。
何ったって、リラの時代から私はこの世界に存在し続けて居るのですから、その意味でも私に接する方々には先ず深く敬礼して頂くぐらいの気迫と礼節を、是非ともお願いしたいところです。

それを拒絶する人とは結局のところ、深く関わり合って行くことは出来ないと言うことを、ようやく受け入れる準備も整いましたし…。

 

さて、これから未だ色々と仕事を控えています。のんびりゆったり、だけど余りのんびりもしていられません。
私は音楽で世界の流れを変えて行きたい。その為にスポンサーを一社も付けず、ファンの皆様からの応援だけで創作活動を続けています。

 

その夢が早く実りますように、皆様も是非私の作品を積極的にSNS(FacebookやTwitter、LINE等)でシェア & 拡散して頂けたら有難いです。
そっと遠くから… ではなく、グイグイとこの澱んだ空気をこれでもかと引っかき回す勢いの応援を、是非よろしくお願い致します。

 

Amazon 『Didier Merahの欲しいものリスト』

 

 

COVID19についてのプレアデスからの情報公開

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既にお気づきの方もおられると思いますが、私のSNSのプロフィールの一部に「チャネラー」の肩書きを新たに足しました。
これまではいち芸術家、音楽家としての活動を全面に押し出していましたが、それだけでは私の創作活動の理由や本来の意味や目的等をファンやリスナーの皆様にお伝えすることが困難だと分かり、長い期間事務所の社長とも協議を重ねた結果この結論に至りました。

このことによりこれからは堂々と、私が常日頃受信しているシュールな情報についても綴ることが出来るようになりました。

チャネリングについては各自、Wikipedia等の説明文でお読み頂くと有難いです。

チャネリングについて – Wikipedia –

 

かねてからSNS note 上に様々なシュールな情報を綴って来ましたが、今日はプレアデスからの新たな情報を得ましたのでその内容の一部をここに公開致します。

注)私は科学者でも研究者でもありません。いち芸術家がチャネリングを用いてここにシュールな情報を提供する旨を是非、ご理解下さい。

 

 

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note 記事[新情報ー更新] COVIDー19と体温との関係性にも綴りましたが、プテアデス情報によりますと、既に「sタンパク質」を破壊する作用を持つ新薬がかなり昔に開発されているとのこと。
この新薬を用いると一時的に「sタンパク質」を破壊し、「ace2 受容体」の結合を防ぐことが可能になるようです。その為、仮にCOVID19が体内に侵入しても症状が出ずに済みます。
体内でのウィルスの結合及び増殖を未然に防止することが出来る為、他の人にウィルスを拡散させる状況を劇的に改善することも可能になります。

 

但し一つだけ条件があります。それは基礎体温を36.4度以下に抑え込み、実質的な低体温を維持することが必要不可欠となります。

 

そう考えると頻繁にスポーツをして基礎体温を上げて行くことはこの場合望ましくなく、ある意味では長期的な引き籠り生活と言う選択はとても正しいと言う裏付けと考えられるようになります。

勿論精神衛生上の問題で長時間室内に引き籠ってばかりいることを強烈にお薦めはしませんが、運動後に体温を上げない対策について考えた方が良いと言えそうです。

 

これまで一般的には低体温=害悪とされる概念が定着していたと思いますが、一連の感染症に於いて低体温は一定の効力を示すと言うのがプレアデスからの情報及び自然神からの情報として得られています。

いわゆる現在健康的な基礎体温と言われている36.5度からが、COVID19の繁殖に適した体温となり、そこから37.9度の間で急激にウィルスが増殖して行くと(プレアデス及び自然神の間では)言われています。

 

逆に38.1度を超えた段階でCOVID19のウィルスの急激な増殖が、一旦止まるそうです。増殖を止めたウィルスが次に取る行動が、より(ウィルスにとっての)適度な体温を持つ新たな環境となる生き物の捜索です。

つまり多くの病院等で医療従事者があれだけ防疫に努めているにも関わらずCOVID19に感染してしまう理由として、高体温のクランケから飛び出したウィルスが次に求める理想的な新天地として医療従事者の体内環境をそう判断し、そこにウィルスが自発的に飛び移って行くことが、医療従事者がCOVID19に感染してしまう原因の一つと言っても過言ではありません。

 

上昇した体温を下げる際、一時的に冷たい飲み物や食べ物等を摂取することについては好しとしますが、ある程度クールダウンが完了した後には再び摂取する食品の温度を常温ないしは温かい温度を持つものに戻すことをお薦めします。

冷たいものを体に長期的に取り込む際、体はクールダウンから再び体温を上げようとし、活発な発汗を行って体温が逆に上昇し過ぎてしまいます。なので、体温を上昇させようとする機能を意図的に止めてしまう必要が生じます。それによって、基礎体温の急上昇を防ぐことが出来ます。

 

夜の町問題が現在取り沙汰されていますが、考えてもみればホストクラブ等で大量のアルコールを摂取した従業員の体は体温の急激な上昇が見られる、言ってみればCOVID19のウィルスにとってはきわめて理想的な場所と言うことが出来ます。
逆に、そうした職場に努める人たちが自ら己の(高温度の)体を、COVID19の育成場所として提供していることにもなりかねません。

 

これらの情報はあくまでプレアデスからもたらされたチャネリングによる情報を元に綴っていますので、科学的な検証は一切為されていません。但しこの記事が偶発的にでも科学者や医療関係者等の目に留まり、このウィルス・パンデミックを止めるべく研究等の大きなヒントとなることを私は切に願っております。

是非とも役立てて頂きたいと思います。

 

今日はプレアデスからの情報がメインでしたので、あえてこの記事をブログ上での公開に踏み切りました。
通常シュールな内容を含む情報は、SNS note 内に有料記事として発信していますので、是非そちらも併せてお読み頂ければ幸いです。

https://note.com/didiermerah

立ち止まる黒鳥 – Andre Gagnon(音楽評論)

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久しくその音色を聴いた時、一体何が起きたのかと思う程のアンドレ・ギャニオンの変貌ぶりには驚きました。それはアンドレの真骨頂と言うよりもむしろ、過去世の私 J.S.バッハの復活のように聴き手を錯覚させるに十分な音楽だったからです。

 

 

でも、人には色々な時期、心情、そしてその時々に追い求めている表現手法があるのだから、人類にとっての音楽の父・バッハに恋焦がれる現代の音楽家を誰が責めることなど出来るでしょうか。
それにしても、アンドレ・ギャニオンの中に起きた一種のタイムスリップ、或いは古典回帰がいつ、どの時点から始まったのかについては是非、ご本人にお伺いしたい心境になりました。

 

アルバム『Impression (1983年リリース) 』からのピックアップ曲『めぐり逢い(Comme Au Premier Jour)』の世界的なヒットがしいては今のヒーリング・ミュージックの火付け役となったこと、それがアンドレにとっての幸運だったのか、それとも悲運だったのかはおそらく本人でさえも謎かもしれません。

 

この音楽が地球の上空を悠然と一羽の白鳥のように飛び交い、音楽の世界に一個の大きな航路を描いて行きました。
丁度大学に進学した頃と重なり、『めぐり逢い』は思春期の私の脳裏に大きな火薬を投げ掛けました。同年、日本では杏理さんの『Cat’s Eye』、YMOの『君に、胸キュン』、松田聖子さんの『ガラスの林檎』『Sweet Memories』等が綽綽とヒットを飛ばしていた頃。

 

歌ありきの日本の歌謡曲の黄金時代の少し奥まった巣穴から、ひっそりと現れたニューエイジ・ミュージックの波は、その後世界的にブームとなるスピリチュアル(精神世界)の流行の始まりと同期しながら、サブカルチャーとして王道のすぐ隣の路地裏で少しずつ、そして急激にその流れの速度を上げて行きました。

 

 

 

アンドレ・ギャニオンの独走を許すものかと日本国内でも、西村由紀江さん、村松健さん、加古隆さん、倉本裕基さん、坂本龍一さん、日向敏文さん ~妹尾武さん等の多くの音楽家が軒を連ね、海外からはEnigma、ディープ・フォレスト、マイケル・ナイマン、ジョージ・ウィンストン、ジャン・ミッシェル・ジャール、シークレット・ガーデン.. と挙げればきりがない程のミュージシャンが現れ、一つのブームを形成して行きました。

 

彼等に共通する一つの音楽的な要素として挙げられるのは、全ての表現者たちの音楽の中には必ず、フレデリック・ショパンが心の奥底に棲んでいたことではないでしょうか。

 

ロマン派を代表する音楽家・作曲家と言って良いショパンは、その後の音楽家に大きな影響を与え続けるに留まらず、本来ならばその後に生まれた筈のロマン派の大きな流れを全て吸収し、後継者にその流れを受け継ぐことなくあの世に全てを持ち去ってしまったように思えてなりません。

 

ニューエイジ・ミュージックが流行したもう一つの要因として挙げられるのは、そんなショパン没後の音楽のムーヴメントが近代音楽の短いブームを経由して現代音楽に横暴なまでに受け渡されてしまったことです。

 

調性音楽を愛する(ショパンを心に住まわせた)多くの音楽家たちは、現代音楽には一切関心が無かったはずです。なので現代音楽主流の今の音楽業界の中から一人、また一人と飛び出して、理想に最も近いニューエイジ・ミュージックや映画音楽等の業界に自身の拠り所を求める以外に、方法が見い出せなかったのでしょう。
本当に不運としか言いようがありません。

 

まるで秘密結社のように闇の真ん中に暗躍する現代音楽。それは権威主義の象徴として長く音楽業界の中心に君臨し、現代の作曲技法の揺るがぬスタイルのメインであるかのように、多くの音楽家たちを翻弄し続けています。
確かに今でも根強くその作風が愛され生き残っているかのように一見傍目には見えてはいます。ですが、実際に現代音楽の作風や作曲技法を心底愛してやまない作曲家も、そして一般の音楽ファンも、実は言われている程多くはないかもしれません。

 

ドカーン!、ビヨーーン!、ハッヒョーーン!… と減7度の跳躍を折り重ねながら不穏に楽曲展開を繰り広げて行く音楽は、食事中や育児中になど到底聴けるものではありません。精神が不安定になるばかりではなく、お昼寝中の幼い子供たちに悪夢を引き寄せる要因にもなりますから、私はそのような音楽を日常生活の中にメインに取り入れることは絶対にお薦めしません。

 

 

 

私の記憶が正しければ上の作品『明日』を平原綾香さんが (2005年に) カバーした後、アンドレ・ギャニオンのピアノ作品のリリースの勢いが長い時間止まったように見えました。

この作品はわたし個人的には、アンドレ・ギャニオンの多くの作品の中でも『めぐり逢い(Comme Au Premier Jour)』に次ぐ高いクオリティーを持つ作品と言っても、過言ではないでしょう。

 

 

 

平原綾香さんの少し説教臭い表現手法は余り好きとは言えないですが、この作品に関しては彼女への当て振りで楽曲が書かれたのではないかと言う程ぴったりとフィットしているように感じます。それが平原氏の説教臭い歌い方を見事にオブラートにくるんでおり、気の利いた小品に仕上がったのかもしれません。

 

ロマン派の潮流がフレデリック・ショパンを最後に一旦止まった後、チャイコフスキー、サン・サーンス、ラフマニノフ… とそれはそれは多くの作曲家が現れては消えて行きました。

又革命や戦争の絶えない時代とも折り重なって、ショパン以降の多くの作曲家たちの作風は必ずと言って良い程メインテーマ以外は大砲でも飛んで来るのではないかと言う、荒れ狂うパートがふんだんに楽曲に詰め込まれ、それが多くの音楽ファンのクラシック音楽離れの要因になったのではないでしょうか…。

 

又、次から次へとピアノの名手が生まれ、さながら陸上競技でも競い合うように高速・爆音・無休運動の演奏スタイルがその主流であるかのように音楽の表現世界を独占して行ったことは、今にして思えば不運だったとしか言いようがありません。

 

不思議なのは、ある程度職歴を積んだ演奏家や作曲家の多くが、J.S.バッハの作風に必ず立ち返ろうとすることです。

それだけバッハがこの世に与えた音の影響が大きかったとは言え彼は、もう過去の人です。バッハの対位法や平均律の世界から飛び立って、次世代の穏やかなクラシック音楽の世界を誰かが大きく構築してくれるのではないかと、私自身もその日を他人事のように暫くの間そっと見守っていましたが、未だその念願は叶っていません。

誰も手を付けないのであれば、未来と過去の多くを知っている人間がそれをいち早く構築し、席巻して行く他にはないと思います。

 

ただ、気がかりなことがあるとすれば、これまでフレデリック・ショパンの居た椅子を狙い定めながら生き長らえて来た多くの音楽家たちの将来です。その一人が、アンドレ・ギャニオンと言う音楽家であり、彼は今湖面に動かぬブラック・スワンの如く、石のように黙り込んでいます。
アンドレ・ギャニオンのベスト盤を除く最新作が冒頭でも触れた、アルバムBaroqueになります。

 

作者を言われなけばおそらく、多くのリスナーがこの作品がアンドレ・ギャニオンのアルバムであることには気付かないかもしれません。

長い時間を時代の転換期と言う湖面で過ごした後のアンドレが、そこからどこに向かって歩み出し、羽ばたき始めるのか‥、私も固唾を飲んで見守りたいと思います。

 

 

 

コピー音楽文化の終焉

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○○警察… と言う言葉が密かに流行っていますが、さしずめ私の場合は『コピー音楽警察』と言ったところでしょうか。

著作者への無許可によるコピー音楽再演現場となる多数のライブハウスを、一連のコロナ自粛が少しずつ淘汰しているようです。
個人的にはとても喜ばしい流れだと思っています。


既存の楽曲を再演するタイプの現場ミュージシャンの多くが、著作者へのリスペクトも無ければ再演に必要な著作者へのお伺い等を意図的に省略し、ましてはそれらを勝手に再演する事で自身が出演料を受け取っているのが、日本の再演音楽系ライブハウスの現状です。
これはきわめて許し難い事です。

 

わたくしが過去に深く関わっていたシャンソン & カンツォーネやボサノヴァ等をはじめとするワールド・ミュージックを広く再演する街角音楽、その現場とされる、いわゆる『夜店』の大半が、今盛んに取り沙汰されている『接客を伴う飲食業』に分類され、厳密には音楽だけを販売している業種とは別ものです。

17時以降、女性を雇い接客に着かせる業種は、法律上は『風俗業』に分類される筈なので、女性の歌手の大半が場合によっては『風俗業』に従事していると言われても否定出来ないのが現状です。

 

コロナ自粛の影響で多数のシャンソニエやジャズ系のライブハウスが閉店に追い込まれていると聞きますが、もうコピー音楽を聴かずともSpotifyYoutube Music、或いはApple Music等の各サブスクリプションで原曲が簡単に聴ける時代になりました。

誰かが無許可でコピーして訳詞等の二次創作に及んで再演されるコピー音楽を聴かずとも、誰もが合法的に世界の音楽を原曲で聴く事が出来ます。
なので皆様是非、音楽は原曲を聴く習慣をつけることを、強く推奨します。

 

 

Music that survives 5000 years – 5000年後に生き残る音楽

[Japanese]
今この瞬間聴いていて気持ちの好い音楽ではなくて、これから生まれて来る時代の中で確実に生き残れる音楽について考えています。

そう在る為に今私は何をして、どんな音楽を生み出すべきなのか…。
それはおそらく素数のような音楽だと感じています。私はそこに向かって突き進んでいます。

 

[Eng.]
I’m thinking about music that will surely survive in the coming era. Perhaps it is music that has nothing to do with many trends of this moment.
What should I do now and what kind of music should I create for my future existence?
I think it’s probably like tuhe music like a prime-number.

I’m heading to that future point.