火のない送り火

2021年12月1日に実母がひっそりと他界し、今年が母の新盆にあたります。ですが母を火葬し喪主となって葬儀を執り行ったのは、実際の親族でも法定相続人でも何でもない弟・大輔(故)の奥様のりえさん(仮名)なので、きっと今頃母の新盆にまつわる行事は彼女が色々やっているのかもしれません。
 
なにせ母はカソリック教徒(表向きは)で麻布教会で葬儀が執り行われたと言う話が、従妹のInstagramの写真からも判明しているので、本来カソリック教徒には新盆も何もない筈です。
 
母の納骨の件、お墓の件諸々を親戚や親族に知らせることが現在は、私からは出来ない状況にあります。何故ならば母のみならず母を巡る親族全員が私を徹底的に排除し続け、一切の親族の冠婚葬祭から私を除け者にし続けた経緯があるからです。
又、大輔(故)の奥様のりえさん(仮名)が私から今も尚逃げ回っている以上、仮に母の納骨を済ませることが出来たとしてもそれは誰にも知られることのないまま、時間だけが過ぎて行くことになるでしょう。
 

りえさん(仮名)は私に無断で母の葬儀を勝手に執り行った日から10日後に、私には内緒で母の遺産を相続出来る方法がないかと言う相談を私の従妹のえみさん(仮名)と二人で弁護士に持ち掛けた人なので、従妹も同様に母のお墓の件や法事等についての連絡を私に取る‥ 等と言うことはもはや出来ないでしょう。
 

 
2022年7月31日 午後3時頃、愛兎のマイケルが他界。その直後から黒い霧が晴れたように、世界が(視界が)透明に輝き始めました。
多分‥ ですが、マイケルが母の呪いの全てをどこかに持ち去って行ったのだと思います。あの小さな体で母の呪いの念を全身で受け止めて、全力で私や夫、そして私達の前途・未来を守り抜いてくれたのだと思うと今でも、涙が溢れ出て来ます。
 

マイケルを火葬した日に最後にマイケルを葬儀場まで包んで運んだ時のバスタオルや、マイケルを最期に眠らせたブルーのファイバーマット等を綺麗に洗って、転居先に持って行けるよう畳んで仕舞いました。

ケージに差したままになっていた給水ボトルを見た夫が「水が腐るといけないから、これは早く処分した方がいいんじゃない?」と言ってくれたのですが、そこから3日後にようやく給水ボトルは洗って処分しました。
マイケルが逝く10日前までは食べ過ぎかと思う程よく食べていたペレットやオーツヘイの入った袋も、一先ず中身を分けて燃えるゴミと燃えないゴミとに分別して処分したところです。
 

時間は前に進むことしか出来ません。
先に旅立って逝った者をどのようにして弔えば良いのかと言うことについて、この半年間ずっと考えていました。幸い愛兎のマイケルは私達夫婦が温かく育てて見守って来たので、マイケルの死後もそれは変わりません。
一度インターセルフを経由して再び此方に戻って来たマイケルを、次はもっと健康な状態で第二の人生を謳歌させてあげたいと、今は考えているところです。
 

 
一方母に関しては、これまでの母の行いが余りにも悪過ぎました。
57年間にも及ぶ「娘迫害・疎外」の実績のツケは、死後の母が全て背負うことになります。
 
何やら母は弟(故)の奥様のりえさん(仮名)に、自宅を譲りたい‥ 等と言う心にもないことを口走ったようで、その言葉を真に受けたりえさん(仮名)が本気で自分が母の遺産を相続出来るかもしれない‥ 等と思いながら、母の私に対する呪詛の念を引き継いだことは意外ではありましたけど、きっと二人は同じ穴の貉だったのでしょう。 
 

仮に私が彼女の立場だったとしたら、仮に母・山田雅枝(故)がそのような(心にもないこと)を口走ったとしても本気にはしなかったと思いますから。
 

実家は現在耐震工事の真っ最中で、高層マンションのベランダの手すりの付け替え工事が行われている期間は、窓を開けることが出来ません。
又マンションのエントランスまでのスロープがとても不安定で、流石に母の遺骨を持ってスロープを降りることは危険過ぎるので、納骨はもしかするとうんと延期になるかもしれません。
 

今年の8月に某所の山田家の墓地を訪問された方は、唯一の山田家の法定相続人の私からの連絡を受け取ることも出来なかったでしょうから、色々と驚かれたかもしれません。そこには亡くなった母の遺骨もなければ墓石も何もなかったわけですから。
ですがそれが、母・山田雅枝の人生の集大成だと思って受け止めて頂くほかはありません。
もしくは法定相続人の私に頭を下げ、深く詫びを入れて頂く以外、母を弔う方法は他にないと思って下さい。
 
そもそも弔われるだけの資格のない人ですから、もう何もしなくても良いと私は思っています。
弟・大輔(故)の奥様のりえさん(仮名)が遺産強奪計画書に述べていた「墓じまい」の時期をうんと早めることだって、私には出来るのですから。
その時は、父(故)や弟・大輔(故)も一緒に永代供養に‥ と言うことになるでしょう。
 

[音楽評論] INI – “Password” / 衰退を始めたK-Popとそれを真似るJ-Pop

かねてから超絶なダンス力で日本国内をブイブイ言わせていた男性韓流式EDMユニット「INI」が、3rd シングルPasswordをリリースした。

既に2022年4月にリリースされているCALL 119で圧倒的なパフィーマンスに次いで、優れた楽曲(勿論音楽陣営の力)に注目していた私は半ば楽しみに3rd シングル「Password」のPVを拾いに行ったが、正直なところお話しにならないぐらい表現が緩く怠く、アウトラインがブレたようなような印象を持った。
 

 

どうしても韓流EDMユニットと言えば思い付くのが東方神起。
印象的な一曲を挙げるとすればやはり、Why? [Keep Your Head Down]一択だろう。この作品については楽曲・構成・速度・振り付けから演出まで全てが秀逸で、ブレがない。
 

  
勿論両者は見比べるものではないことなど重々承知だが、楽曲やコンセプトがかなり類似しているので、プロジェクトとしては「どうぞ見比べて下さい。」と言う暗黙のメッセージ(企業戦略)が込められているように見えて仕方がない。
むしろそうやって「INI」と言うユニットのイメージを東方神起のパワーにあやかって印象操作をし、視聴者やファン層に混線を引き起こすことを「INI」のブランディングに利用したかったと見て間違いない。
 

だが如何せん、東方神起は韓流男性EDMユニットの中で超越している。ダンスを例に取れば、動きが止まった時のストップモーションのBodyのアウトラインは、マイケル・ジャクソンに引けを取らない。
ダンスに於いて最も難しいのがこの、ストップモーションのポージングだ‥ と言うことは、私がかつて深く関わっていた5人組のダンス・レッスンでも滾々と聞かされたので今でも忘れることが出来ない。

その意味では「INI」は全てに於いて、緩すぎる。と言うよりだらしがない印象が強い。
生活自体が恐らく緩慢で、普段の動作に於ける注意力が散漫なのかもしれない。それがダンスやヴォーカル力、全体の印象に悪い意味で見事に反映しており、楽曲のシャープさが冴えれば冴える程露骨に欠点として表れてしまう。

プロデュース陣はこの事に、おそらく気が付いていないだろう。もし気が付いているとしたら3rd シングルPasswordは明らかに選曲・企画ミスであり、万が一この楽曲をシングル化・PV化するのであればもっと彼等の全てをシェイプアップする必要が生じた筈だ。
 

  
この、何をやっても何処を見ても、何処から切り取っても「ポワン」とした線の緩さを修正しない限り、「INI」がどんなにアクロバティックなダンスを今後披露したとしても売れ線には乗っては来れないだろう。
メンバーの誰一人がけして肥っているわけではないのに、正直これは見ている側が頭を抱え込む程の残念感・倦怠感しか印象に残らない。

売れたいから歌を歌い、ダンスを踊る。これではダメなのだ。
 
何に向かって語り掛け、何に問題意識を感じ、何を祈りながらその課題に取り組むべきか、何よりがむしゃらさが「INI」から全く感じられないのに背景だけをシャカリキに作り上げたところで、全ては逆効果だ。
 

何より彼等は生粋の日本人であり、韓流風に寄せて真似て作り上げているところが大問題だ(笑)。
そうでもしなければ今の日本のポップスでは勝負が出来ないのか、むしろ韓流に企画や演出を寄せれば寄せる程日本の音楽シーン或いは芸能界自体の劣化を世界に露出することになりかねないので、運営陣はその辺りにもかなり注意を払って今後の企業戦略を練る必要があるだろう。
 

とは言え、そもそもが韓国のオーディションで開拓された日本人による韓流風男性EDMユニットなわけだから、最初っから「物マネ」を使命に背負って生み出された模造品には違いない‥。
 
 

IVE Rei

  
若干話題から脱線するが、最近私が注目しているのが韓流女性グループ「IVE」のラップを担当しているReiさんだ。
彼女も生粋の日本人だが、日本語は勿論韓国語と英語の合わせて三ヶ国語で華麗な今どきのラップを披露してくれる。そのラップのリズム感がシャープでタイトでよどみがなく、ラップに合わせた体の線や動きが悉く美しい。

この記事の〆に、彼女のラップのショート動画「Hiiigh (English ver.)」と、同じ曲の三ヶ国語バージョンの両方を貼っておく。
 

  

天使の寝顔 – いってらっしゃい、マイケル‥

マイケル、旅立ちの日。ほとんど夜通し、マイケルを撫でながら過ごしました。
そして結局朝まで余り眠れずに起床して、軽く身支度をしながらマイケルに最後の抱擁を。
朝からじっとりと真昼のような暑さを感じながら、それでもどこか清々しい空が広がっていました。
 
幸先の良い時、神様は私達の頭上にそれを知らせてくれます。空一面に龍雲が広がっていました。
けっして幸せな儀式ではないとは言いつつ、これはきっとマイケルの為に用意された一日の始まりだと感じ、泣き腫らした瞼の痙攣を押さえながら支度を進めて行きます。
 
 
朝10時に動物霊園からの送迎の車が到着し、おくるみにマイケルを包み、そっと乗車。
マイケルの首がグラグラしているので、慎重に右の手のひらに包み込みます。さながら新生児を抱く時の要領に似ており、どこか懐かしい記憶を呼び覚まされる私でした。
 
マイケルは私達に降り掛かる全ての「圧」(呪い)を、おそらく完全に持って行ってくれたと思います。
あの小さな体で私の実母の霊魂から発せられる呪詛のようなエネルギーを、最後はマイケル自身が一身に背負い込んで、命懸けで私達夫婦と未来を守り抜いてくれました。
 

 
マイケルが逝く前夜、私達夫婦とマイケルの間で一つの約束を交わしました。
それはもう一度、次こそはもっと健康な体をともなって自由気ままに我が家に戻って来ることでした。
「どうする、マイケル?もう一度うちに戻ってやり直してみない?」
そうマイケルに尋ねてみると、スムーーともフムーーともつかない溜め息の後にマイケルが、微かに首を振った瞬間を私は見逃しませんでした。
 
マイケルが旅立ったのは、その翌日の午後でした。
きっと傷付いてボロボロになった肉体を脱ぎ捨てたとしても、もう彷徨うことなく戻れる家があるんだと、マイケルは安心したのではないでしょうか。
 
 
早朝にマイケルが、自分が逝く瞬間の感覚を私に送ってくれました。
それによると意識が段々と朦朧として来て、視界が赤くなり体中に発熱感を感じ、いきなり天地がひっくり返るような衝撃があり、そのまま転倒して何も視えなくなった‥、そんな感覚でした。
でもその中でマイケルがふと思ったことは、もう一度我が家に帰って来れると言う希望の灯で、それを思うと自然と唇に笑みが浮かんだようです。
 
きっと本人は突然に来た激痛にもがいただろうに、最期のマイケルは何とも言えない笑みを口元に浮かべて眠っていました。
それは今日、その瞬間まで私達が気付けなかった彼の無垢な真実の姿。
それを見た途端、私はこれでもかと言う程涙が止まらなくなり、暫くそのまま泣き続けました。
流石に葬儀を執り行う係の男性も、私があんまり泣くから困ってしまったでしょう。
 
 
余談ですが霊園に到着した時に私が来ていたTシャツとジーンズが、かなり広範囲に濡れていました。何だろうと思って匂いを嗅ぐと、それがマイケルの体液だと分かりました。
逝く前夜の約束の証しとして、彼は私にマーキングをして行ったのでしょう。いかにもマイケルらしいなと思い、又涙が溢れ出ました。
 
マイケルが逝く2時間前に撮影した写真も一緒に掲載しますが、彼は物凄い頭痛の痛みとそれまで経験したことのない発熱に身動きが取れなくなって、スイカの入った小皿を抱きしめながら、体力と気力の限界でそれを舐めては眠り、又舐めては眠り‥ を繰り返していました。
飼い主から見るとそれが余りに可愛く見えてしまい、思わず私はスマホにその瞬間を収めました。
 

 
霊場でマイケルを、ありったけの餌や草や果物と、彼が大好きであろう黄色い花で飾りました。
私がスマホを向けるといつも何かしらのカメラ目線をしてくれるマイケルですが、最期のマイケルはどう見ても微笑んでいるようにしか見えません。
 
まるでディズニーから飛び出して来たうさぎみたいにその寝顔が可愛いので、皆様の記憶の中にその瞬間を収めて頂ければ幸いです。
 

 
又獣医さんからも褒めて頂いた綺麗過ぎる奥歯が遺骨の中にそのまま残ってくれたので、そちらも貼っておきます。
 

 

いってらっしゃい、マイケル。
道中気を付けて遊んで、そして又帰って来てね🌈

マイケル君が旅立ちました

2022年7月31日、愛兎のマイケルが旅立ちました。9年と一ヶ月の壮絶な時間を、風のように駆け抜けて行きました。
死因の詳細は結局分からないままですが、私が直後のマイケル君から感じ取った印象としては、物凄い頭痛とそれによる発熱感覚があり、逝く直前にその痛みに耐え切れずもがいたような映像を受け取りました。
 
この世を去ったのはおそらく、再発したであろうエンセファリトゾーンの注射治療その他で三日間連続で通院を始めた、二日目の午後3時辺りだと思います。
 
私達夫婦が少しだけランチ外出で席を外した時のこと。
帰宅すると敷いてあった水色の敷布が完全に捲れて、プラスチックのすのこの上に横たわっていました。
 
何故か敷布の上に置いてあったスイカの入った小皿がそのままの状態で置かれていたのが、どう見ても奇妙です。
きっと誰か、神様が来て散らばったスイカを綺麗に小皿に入れ直してくれたのかもしれません。

未だ体が温かく、死後硬直が始まる寸前でした。
なるべくそのままの状態を崩さずに私が抱き上げて、今週何故か一度も洗わずに私が使っていた湯上り用のタオルにくるみ、何度も何度も泣きました。
 

 
翌8月1日早朝から我が家は転居をスタートする予定で、それをマイケルが見届けてくれていると思うとおちおち泣いてもいられません。
崩れ落ちそうな力を集めて振り絞って、何とか新居の鍵を開けて必要な手続きだけを済ませ、その足で獣医さんの元に向かいマイケル君の訃報をご報告しました。
 
本来ならば今日の午後にマイケル君の注射治療と点滴等をお約束していたので、やはり先生にはこのタイミングでお伝えしたいと思い、タクシーで動物病院に向かいました。
 
いつも手に持っているケージを持っていない私達を見て、先生が「あれっ?!」と一言。
何とか私も重い口を開いたつもりが、どうにも涙が溢れて上手く伝えられなくて‥。
 
少しずつ話をして行くうちに、先生と思い出話になり、最後は夫と先生と三人で泣きました。
普段治療中は本当に怖い先生ですが、昨日初めて先生のお優しいお人柄に触れられたような気がしました。
 
生まれて二ヶ月半でエンセファリトゾーン(神経症)を発症。既にマイケルは母胎感染で神経症を持って我が家に来たので、生後間もなく闘病が始まっていたことになります。
それを思うと9歳と1ヶ月のマイケルの生命は大往生だった、と先生が励まして下さいました。

獣医先生にとってもとても印象の深い子だったらしく、本当に寂しそうに泣かれる先生を見て私達夫婦も又泣いてしまい‥。

今、マイケル君と最後の夜を過ごしています。
夫は疲れて先に眠っていますが、私は明日のマイケル君のお見送りに添える果物やチモシー等を袋に詰めたり冷蔵庫に仕舞ったり、あと少し作業をしたら休まないといけません。

号泣と引越しのあれやこれで、体力気力は既に限界を超えています。
でもマイケル君との時間を、最後まで大切にしたいと思います。
 

明日の様子はブログは勿論、Instagram、Facebookの個人ページにも掲載しようと思います。
 

待たせるだけのスピリチュアル

これはあくまで持論ですが、現実生活の中で具体的な結果の出ないスピリチュアルは欺瞞であり、具体的な結果や答えを導き出さないスピリチュアリストは詐欺師であると私は思っています。
 
例えば日本人の翻訳家M.Aさんが言うところの、「宇宙から上空に援軍が来て今にも沈みそうな地球や地球人を救済してくれる日が近づいている。だからあなたたちはワクワクしながら毎日を過ごして下さい。」‥等と言う、実在するか否かも分からないスターシードを名乗る欧米人のメッセージ翻訳或いはインタビューと称する文言等は、私が言うところの「詐欺」に分類した方が賢明です。
 

勿論私は唯物主義を否定しています。ですが、スピリチュアルを現実と遊離させ切り離し、当たるも八卦当たらぬも八卦で済ませて平然と人々から金銭を徴収しているような人がもしも身近に居たら、その人は紛れもない詐欺師だと認識すべきです。
 

アルバム『Password』より

 
手前味噌な話ではありますが、私は芸術家・音楽家、そして音の表現者でもあるので、Didier Merahとして今日まで配信して来た全ての音楽の中に予言や預言を余すところなく封印しています。
現実生活の中に私は、自身の「預言者」としてのメッセージを刻印し続けて来ました。
私の言う「現実生活の中に具体的に結果を残すスピリチュアル」とは、まさにそういうことを意味します。
 
逆に技術的には何のスキルも持たず、その日その場の感情だけを言葉にして人に伝え、実際には何の行動も起こしていないスピリチュアリストもどきの話し手の言うことは、正直信じるに値しません。
むしろ無責任に他人の生活や思考をかき乱す存在なので、そのような人の言うことには一切耳を貸すべきではありません。
 

 
昔々、今から遡ること12~13年程前になるでしょうか。当時一世を風靡したSNS『GREE』の精神世界コミュニティーに集った十数名を自宅近くのビストロに招いて、ちょっとしたオフ会を開催したことがありました。
各々が「視えない世界」に深い関心を持ち、各自も自らコミュニティーに発言を繰り返したりしており、その中に数名「人を導く仕事がしたい」と言う人達も現れました。

その度に私が質問したことは、「他の人達の為に、あなたに何か出来ることがありますか?」と言う一言でした。
その時々の思い付きでものを言うのではなく、自身が思うこと、視えていることを具体的に形にしたり作品に代えて提示することをこれは指す質問でしたが、誰一人この問いに正確に回答することはありませんでした。
 

多くのスピ系の人達が、家族以外の第三者の信仰心や依存心を自分自身に集めることを先ず考え、テキトーなおまじないを唱える以外の何か具体的な行動には至らず、無責任に人々をあっちこっちに誘導したいと願っていました。


国家資格を持たない整体師が居たり、やたら目についた物体に「波動」を感じている風な演技をでっち上げ、あたかもそれが自分にだけ捉えられる未知の信号ででもあるかのような演技だけが巧みな人が居たり、兎に角当時の目茶苦茶感だけが今でもスピ系の至るところに引き継がれているように私には見えてなりません。
 

 
亡くなった私の弟も実母も同様でしたが、人には潜在的に魔術師願望があるように感じます。
ある日いきなり「空を飛べるようになったら」‥等と考え始める少女の心理や、銀色のボディースーツを着たらいきなりウルトラマンに変身出来るかもしれない‥等と考える少年の心理も、魔術師願望の一種かもしれません。

仮に実際にそれに近い職業があるとすれば、例えばメンタリストや手品師だったりタロットカードを読む人だったり‥等が挙げられるでしょう。
でも手品には必ずトリックがあり、タロットカードにはそれを読む必要最低限の技術の習得が必要になります。

勿論それ以外の料理人や専業主婦、医療従事者は勿論サラリーマン等も立派な職業ですから、私はそういう人達の中にキラリと光る才能を見い出した時には一歩引いて接するよう心掛けています。
 

本物の魔術師ほど「普通」の生き方を心掛けており、皆とても勉強家です。1%の才能を99%まで引き上げて行くのは、もしかすると元々その人が持ち合わせていた1%の才能を100から引いた残りの努力の成果かもしれません。
私も毎日世界の音楽に触れたり、世界の料理のレシピ等を研究して今日に至ります。一日一刻の積み重ねはとても大きく、最初はありあわせの材料でナポリタンしか作れなかった私が今ではネパール料理やタイ料理、スコットランドのスープ迄作れるようになって行ったのですから、日々の努力は侮れません。
 

この世に「視えない世界」はありません。
そして何よりそもそもシュールな世界を普通の現象として捉えている人は自分に、「視えない世界が視えている」こと自体を知りません。

 

全て現実生活の中に、一見視えなさそうな世界の彼方の現象は必ず降りて来ます。
それを着実に引き寄せるのが本物のスピリチュアリストであり、何時どこに訪れるか分からない宇宙からの援軍をあたかも明日にでも地上に降りて来るかのように人々の話しては、無期限に大勢の人達を待たせて平然としているチャネラーや予言者、メッセンジャーやスターシード、ライトワーカー等を名乗る人物と遭遇したら、それは紛れもなく詐欺師だと思って良いです。

くれぐれも危険な人にはついて行かないよう、人間としての基本的な生き方を逸脱しない範囲でシュールな感覚を磨くことをオススメします。
  

音楽から読み解く世界情勢 [2022.07.22] – 音楽世界の未来予知

極力休むことのないように毎週末、私は世界の音楽の新譜チェックを継続しています(して来ました)‥。
ですがここ数か月間の傾向として世界中の多くの音楽に覇気が感じられず、尚且つ工夫もなく未来も希望もない音楽が乱立しているように見えます。
音楽がこれ程までにストレスに感じるのは、2011年の夏以来かもしれません。
 

過去に何度か私は、物書きで言うところの「断筆」のような時間を経験しています。色々な外圧に疲労し、何かと向き合うことに強いストレスを感じてならない時、私はそれまでの自分自身と距離を置く‥ そんな時間を持つようにしています。
まさにこの数か月間もそれにとても近い時間を過ごしており、世界の闇と私自身を取り巻く霊的環境の圧と闇と、まさに今日は音楽世界の闇を感じながらこの数時間を過ごしていました。
 

 
全ての現象の中に私は、因果応報の光と闇を見ています。特に実母逝去後の私の身にそれは大きく反映し、自身が光であることの意味と自分の周辺がそれとは逆に闇一色に包まれていることの理由について考察し続けています。

 
57年間にも渡り私をがんじがらめにし続けて来た外圧と闇が少しずつ晴れて来た今、私は元々持っているであろう対人関係のパワーを取り戻しつつあります。
なので私が行く先々では人々が集い、談笑し、その連鎖で周囲がパ~っと明るく光に包まれて行きます。今は亡き芸能界の大先輩であるJ氏の御霊が時々現れ、私にはそもそもその力があるのだからこれからはそのパワーを余すところなく使い切ると良い‥ と仰って下さいました。
勿論彼の言う通り、もう一度私はそれまで外圧によって遮断されていた対人関係の才能をあらためて見直し、今度こそはその能力を自分自身と音楽世界の為にしっかりと使い込んでみようかと思っています。
 

ですが‥。。
ここ数ヶ月間の世界の新譜数千曲を聴いていると、そこには闇と悲観と絶望しか見えて来ません。多くのミュージシャン等が先々の希望を失い、クリエイトすることに対し消極的です。
 

 

これはあくまで私の音楽世界に於ける未来予知ですが、ここから4~5年の間に音楽世界は大きく様変わりするでしょう。
今は瞬時的に回顧主義的な音楽が流行の先端を行っているように見えますが、それも長くは続きません。多くの音楽が卓上で制作(作曲)されていることの悪影響もあるのでしょうか‥、殆どの音楽が一斉に焼却されて行き、最終的に残るのは強く細く尾の長い普遍的な旋律を持つ音楽に集約されて行くのではないでしょうか。
 
それまで大衆の中で「名曲」とされていた音楽も殆ど姿を消して、芸術性や個性よりも普遍的なパワーを持つ旋律だけが地上の精霊たちに受け入れられ、草木と風に乗って上空を渡って行くことになるでしょう。
 
これまでの(特に商業音楽に見られる)ように、営業する人達の手によって作為的に広められた音楽の多くは無価値であり、その時々の聴衆がこの世を去れば音楽も同時に世を去る宿命にあります。
マイケル・ジャクソンも武満徹も細野晴臣もB.B.キング等も、彼等のファン達がこの世を去れば同時に音楽もそこで存在の役目を終えて、一斉に消えて無くなって行きます。

ブルースもカントリーもR&Bやテクノポップ、そして中東の商業音楽もポスト・エレクトリック等も、数十年後には地上の泡と消えて行きます。

意外に「詠み人知らず」の生命力の強い音楽が人々の意識に深く居残ることとなり、それ以上に自然神の口と感覚とテレパシーを伝ってこの世界に長く留まることになりそうです。
 

今の世は「英語」が世界共通言語になっており、英語に優れたヴォーカル曲が長年音楽世界の頂点に立ち続けて来ましたが、それも数年以内に終わりを迎えることになるでしょう。

ある理由により多くの人類の命が絶たれ、それと同時に人類は少しだけ人生の速度を緩めることに意義を見い出すようになります。
同時に英語やフランス語或いは中国語のような速度の速い言語よりも、例えば日本語のようなスローテンポの言語が見直され、ある時気が付いたら日本語が世界共通言語の一つとしてクローズアップされる世界が到来する可能性が、極めて濃くなって来たように感じます。
 

 
思えば(特にサブスクリプションが日本国内に定着してから‥)毎週聴き続けて来たサブスクリプションを介した世界の音楽、それにともない作成し続けて来たサブスクリプション上の多くのプレイリストの作成を、そろそろ卒業しようと思っています。

その心情に至るには色々な理由があります‥。
特に日本の人達は日々継続しているものに対し、段々と感覚や欲求が薄くなって行く傾向があります。最初はありがたみを感じていても、その対象が来週も再来週も同じようにそこに在り続けると思った途端に、それに対する興味を失うようです。
 

出来る限り私も良質な音楽の紹介、評論に今後も力を注いで行きたいと思ってはいますが、苦痛を押して毎週毎に劣化して行く世界の音楽を聴き続けることもなかなか容易ではありません。
何より私は専門家等が互いに繋がりを持つコミュニティーを作りたいと願っていましたが、それには各専門家達には圧倒的に利他的な精神が欠けていることも分かって来ました。

多くの音楽の専門家達が自己実現を望んでおり、それ以上の領域に足を踏み入れることが出来ない以上、私の思う「世界の音のコミュニティー」の結成はとても難しいでしょう。
出来れば近い志を持つ人達が、私の扉をあらためて叩いて下さることが理想ですので、一旦私は自分自身の辛辣なスタンスに戻ってさらに厳しい音楽評論に磨きをかけた方が良さそうです。
 

暫く新規のプレイリストの作成を休止し、良曲(或いは問題作)が見つかった時だけそれについて深堀りし、音楽評論記事を書いて行くことに致します。
何卒私の心中をお察し頂ければ、幸いです。

 

弟・山田大輔の虚像と実像 – 後編 –

弟・山田大輔の虚像と実像 – 前編 –」の続きを綴ります。

 
私の初婚は当時の恩師を激怒させる内容でしたが、相手のあることなのでその詳細についてはここには綴らないでおきます。
紆余曲折、母のマッチポンプの末に得た解放区と新婚生活は、蓋を開けてみれば想像すらしなかった苦労の連続でした。とは言えそれが私の選んだ道だったので、不平不満は言えませんでした。

波瀾の結婚生活を開始してからも私は、時々実家を訪問していました。そうすることが親孝行だと言う強迫観念が、私をそうさせていたのだと思います。
 
元々私は実家からは排除された存在なので、当然のように実家の合鍵は持っていませんでした。
もっぱら実家へ行く時には母に、当然のように手土産を求められました。金銭的にも全く余裕など無い私に、よくもそんなことが言えたものだと今なら腹も立ちますが、当時の私はまるで精神を病んだ何かしらの生き物の抜け殻のようで、毒親に歯向かう気力など全く持ち合わせていなかったのです。

時折「訪問する」(帰るのではなく、訪問する)実家では、私の行くタイミングに合わせて弟も在宅するのがルールみたいになっていました。当時は(結局亡くなる間際まで)弟・大輔のメインの仕事は他にあって、その合間にサブの仕事として「家庭教師」をやっていたと聞いており、私が実家に帰る時は授業の時間を調整して自宅に居てくれたみたいでした。
私は実家に行く度に西荻のこけし屋のケーキを必ず8個買って、重い足取りでマンションに向かったものでした。
 

弟・大輔は元々皮膚が弱い子でしたが、何年か毎に私が実家に行く度に皮膚(特に頭皮)を真っ赤に爛れさせ、見ている私の方が燃え上がりそうな痛みを感じました。
大輔はマクドナルドのハンバーガーが大好きで、私が実家を訪問した時にも「僕の昼ご飯」と称してよくマックから紙袋を抱えて買って来て、美味しそうに食べていたのを思い出します。
 

 
2012年秋、(父の遺産整理の時の家族会議を除き)私が最後に実家に帰ったのは多分、前に飼っていたうさぎ「桃樹」が3歳の頃だったと思います。2004年かその翌年の初夏が、元気な大輔とじっくり話した最後だったかもしれませんが、その時既に弟の虚言は高みに達する目前でした。
 

弟・大輔は自身を「政界の裏側を暗躍し、目が飛び出るようなビッグネームの人々と連日会食し、官邸にも自由に出入りする立場だ」と話していましたが、その目はどことなしに虚無で理由の分からない虚脱感が全身を覆っているように見えました。
大輔に彼の生活や職業についての詳細を尋ねようと何度か試みたこともありましたが、私がそうしなかった理由はただ一つ。テレパシーを使って彼の内面を覗き込んだ時に、そこが真っ白いベールで覆われたまま何も視えなかったからでした。

今にして思えばその頃には大輔自身が吐ける嘘も上限に達しており、完璧なまでの虚像を作り上げる以外に話せることが彼には何も無かったのかもしれません。なので2004年頃に見た弟・大輔の印象は「虚無」そのもので、彼の体からは異様なまでの油っこい臭いが立ち込めて長く一緒に居られなかったのを憶えています。
 

私には、人の心拍数を聴き取る聴力が備わっています。
2004年頃の大輔からは物凄く速い速度の心拍数が常に聴こえていて、むしろ母の高血圧よりも私はそちらの方が気になりました。ですが毎日一緒に彼と暮らしているわけでもないので、大輔の速過ぎる心拍数について話すことは遂に出来ませんでした。
 

 
桐朋小学校時代、あれだけ陸上部で鍛えていた彼の身に一体何が起きていたのか、今の私ならばもっと正確に捉えることが出来たかもしれません。でも当時の私には無理でした。

後に、父の遺産整理の際の家族会議の時に初めて聞いたのですが、桐朋小学校時代の大輔はどこかクラスではみ出してしまっていたらしく、クラスメイトとは距離があったとのこと。
「登校しても何もすることがないんだよ。だから走るしかなくてね‥。」
父の位牌のあるリビングで、そう話していた大輔の声が今も悲しげに蘇ります。
 

正確な日にちは遂に訊けなかったのですが、そんな大輔が父の闘病中に心臓の発作で倒れて入院生活を余儀なくされたのが、おそらく2010年か2011年頃のことではないかと(彼の話の端々から)察しています。
私がその話を聞いたのはやはり父の遺産整理に於ける家族会議の時でしたが、「次同じことが起きたらもう後がないんだ‥。」 と、大輔が噛みしめるように話していた時の渋い横顔が強く印象に残っています。

久し振りに聞いた大輔のか弱い、尚且つ辛い話は短時間で切り上げられました。母が何故か大輔を睨みつけており姉弟の会話の時間を追い剥ぎのように奪い取り、その直後からまるで息を吐くような、大輔独特の嘘談義が始まりました。
そこには弟・大輔が某有名私立大学の社会科学の分野で、教授として教鞭を執っていると言う内容も含まれていました。学問として社会科学を立ち上げた自分は張本人であり、自分は社会が今最も必要としている人物だ‥ と言う話もしていたのですが、その話はどこかうすら寒く聞こえて来ました。
 

ふと疑問を感じ、私が(大輔が教鞭を執っていると話す)大学名を尋ねると彼は即座におどけたような表情をして、「僕は芸名で教壇に立って学生を教えてるから、それは言えないよ。美樹ちゃんだって芸名で活動してるでしょ?それと同じだよ。」と言い、おもむろに全く違う話題に話を変えたので私もすかさず「そう言えばパパ、確か渋谷に物件を持ってたわよね?」と応戦。

すると大輔は想定外の私の質問に動揺したのか、その後の対応がみるみるうちにしどろもどろに変わって行ったのを私は見逃しませんでした。
 

 
大輔と最後に話をしたのが2012年の確か9月、その2年後に彼はりえさん(仮名)と結婚、それから一年後の2015年の11月17日に弟・山田大輔は他界しました。
 

大輔が私を結婚式に招待しなかった理由は、私に自分の実像を暴かれることを強く恐れたからでした。これは死後の大輔本人の魂からも直接聞いたので、間違いありません。
 
私は「暴きの星」を持っています。不穏、不審に感じたことは徹底的に追及し、日の光に晒す。それはいつからかの過去世から脈々と私の魂に沁み付いた習性であり、使命でもあります。
過去世の記憶では、私が不審を感じて暴いた「星(ホシ)」の大半が、世の中から忽然と消滅して行きました。
勿論のべつ幕なしにそれを目的としていたわけではありませんが、私のシュールな嗅覚の標的となった人たちの殆どが、日の当たる世界から忽然と消えて行ったのです。
あくまで私が経験した三回の「くのいち」時代の記憶ですが、私の魂がそれらの記憶を今も忘れずに居ます。
 

弟・山田大輔はそんな、私の習性を酷く恐れていました。彼も根っこが摩利支天ですから、当時は無意識だった私の稀有な習性にむしろ彼の方が先に気付いていたのかもしれません。
 
2012年秋から数か月が経過したある日、あることで私はメール上で大輔と激しい口論になりました。
私が二度ホームレスになったこと、その過程で一度命を落としかけたことその他、一定期間私がスピリチュアリストとして別名を掲げて活動していたこと、それらの全貌詳細などについて「僕は全部知っていたよ。」と言って得意満面に私を往(い)なそうとしたので、その振舞いに対し私は「‥つまり全てを知った上で私を見殺しにしたわけね。」と返信。
それが彼の逆鱗に触れ、それこそが大輔が私を自身の結婚式に招待しなかった理由であり、さらには父亡き後、表向きの家族のイベント全般からの私を徹底して排除し続けた(表向きの)理由でした。
 
私の知らないうちに大輔は姉を家族から完全に除外した形でりえさん(仮名)と結婚式を挙げ、大輔がお世話になっていた学習塾の創設者T.O氏を仲人に立てていました。(この辺りの下りについては、ここでの記載は省略します。)
 

 
弟・大輔は人生の多くを、虚偽で塗り固めていました。

政界の裏側を暗躍している、特別かつ偉大な存在であること。
世に「社会科学」を学問として立ち上げ、その部門の教授として芸名で某有名私立大学で教鞭を執っていたこと。
自身が強い霊感を持ち、死後の父と頻繁に対話を重ねながら山田家との関わりを深めて行き、権力者の虚像をかぶり続けていたこと。

弟・大輔の本職「家庭教師」が大輔の身上書の中では「講師」と記載されていましたが、思うに「社会科学」の創設者として某有名私立大学で教鞭を執っていた‥ と言う話も全て嘘です。

 

私は色んな手を尽くして大輔の足跡を調査したのですが、どうやって探してもそこに大輔の痕跡はありませんでした。
某有名私立大学の「社会科学」科に、教授として「在籍している」と言う仮説がそもそも間違っていたのです。仮説を「在籍していない」に設定すると、これまでの矛盾が全て埋まって行きます。

思えば大輔の妻・りえさん(仮名)に大輔が、どれほどの真実を語っていたのか否かと言う点を思うと、ある意味りえさん(仮名)も、弟・大輔の虚言が作り上げた虚像の被害者なのかもしれません。
ですが大輔の妻・りえさん(仮名)が母の死後に私に対してして来たことを見る限り、そこにはもはや同情の余地すらありません。
 

 

 
※父他界後に弟・大輔はあらためて、それまでの山田家の「姉排除」のしきたりを継承し、それがさらに現在では妻・りえさん(仮名)へと引き継がれ、今は大輔の妻・りえさん(仮名)が山田家になり代わって従妹たちと共に私を排除し続けています。

 
ですがもしかすると、正当な理由もないのに長年に渡り私を排除し続けた側が、最終的には排除されることになるかもしれません。
 

私の生存や連絡先を知っていたにも関わらずそれを「知らなかったこと」として、喪主を買って出て執り行った母の葬儀後、大輔の妻・りえさん(仮名)は結局法律上の理由で母の納骨が出来なかったようです。

母の遺骨は私の実家のリビングに、墓地の権利書を付けて放置された形になり、現在に至ります。
そして大輔の妻・りえさん(仮名)が私に無断で勝手に執り行った母の葬儀その他、りえさん(仮名)が中途半端なやり方で山田家の最期の人を火葬し、親族に関する名簿或いは葬儀の参列者の名簿等を持ち去ったまま私から今現在も尚逃げ続けている為、私は母に関わる親族その他母の知人や友人に対し、納骨の報告や訃報の通知さえ出来ないまま現在に至ります。
 
ですので上にも書いたように、私が山田家の墓に母を納骨しても、おそらく誰もそれを知ることなくひっそりと何年も誰一人墓参りにさえ来て貰えない状況に至るかもしれません。
勿論私がそれを望んでいるわけではないのですが、私以外の親族全員が私を排除し続けたことが結果、山田家の三人の死者をそういう状況に追い込んだとしても誰も、何も言えないでしょう。
 

私に行われた父の最初の差別や虐待、しいては弟・大輔が私に対し行った「見殺し」がある意味では、彼等にそのまま因果応報のように戻って行ったとも言えます。そう思うと、今日までの全ての出来事の不可解な空洞や矛盾が全て埋まって行きます。
因果応報とはまさに、このような状況を指す言葉だと私は思っています。
 

私は、虚像で人生を塗り固めた弟・山田大輔や母・山田雅枝とは違い、真実と本音だけで今後も生きて行くつもりです。
物事は「ルール通り」がベストであり、法の抜け穴ばかりを追い掛けて生きることに於いては、全く適切だとは思いません。弟・大輔はどこか「法の抜け穴ばかりを塞いで生きて行く」ことの方を、自身が学んだ法律の中で習得し過ぎたように見えます。

つまりそういう背徳の念を常に抱え込んだことが、最終的に大輔の心臓に大きな負担を掛けたのではないかと思うと、そこに弟・大輔のもう真の死因の種があったのではないか‥ と言うのが私の今の結論です。
 

VIVIR SIN TI – PACO SINAY(音楽評論)

先週の「世界の音楽/新譜チェック」は、個人的なスケジュールと体調の事情で日程が完全にズレてしまいました。
しかも300曲近くをチェックした中で更新出来たのはたった10曲程度‥ と言う程、良曲がなかったことには又々ビックリでした。
 

 

(今日も未だ体調が芳しくないので、雑記程度の更新になります。
ご理解下さい。)

良作が極端に少なかった先週末の世界の新譜チェックでしたが、中でもこの作品『Vivir Sin Ti』(by PACO SINAY)は美しいルンバ・フラメンコだったので、何度かリピートして聴いています。

※PACO SINAYはパルマ・デ・マヨルカ出身(在住)のフラメンコ歌手です。‥とはどこにも書いていないので、個人的にFacebook等で調べてみたのですが、表立ってプロフィールが紹介されてはいませんでした。
 

 
未だに私は「フラメンコ」と「ルンバ・フラメンコ(ルンバ・フラメンカと言う場合もある)」の音楽的な違いを正確に説明している文献を、目にしたことがありません。
何年何月に誰々が演奏してどうのこうの‥ と言う、いかにもWikipediaに掲載された文献を幾つか繋ぎ合わせたものを読んだことはありますが、音楽的なルーツの違いを説明している人は少ないのでしょうか。
 

この作品『Vivir Sin Ti』はいわば「モダン・フラメンコ」に分類され、「モダン・フラメンコ」の一部がおそらく「ルンバ・フラメンコ」にカテゴライズされるのかもしれません。
そもそもフラメンコは基本アップテンポの8ビートで(中には16ビートでカウントしている人もいるようですが)、箱割りが変則的です。オーソドックスなフラメンコにサルサビートが合わさった楽曲が多いのは、おそらくフラメンコとサルサとの相性が良いからでしょう。

『Vivir Sin Ti』も途中から完全にサルサと化していますが、言語がスペイン語なのでやはり「ルンバ・フラメンコ」色が強く響いて来ます。
 

古くは日本にも「老若男女が一緒になって歌って踊れる」音楽文化があった筈ですが、いつの頃からかその良き習慣が少しずつ薄れているように見えます。
せいぜい夏の盆踊りとか、祭囃子やよさこい祭り等のイベントが開催される時は、それが非日常の特別な報酬のように子供たちも一緒になって歌って踊っていたりもしますが、皆どこか躊躇の感を滲ませて大人たちの顔色を覗いながら‥ と言う光景が何とも皮肉めいて見えて来ます。
 

もう少し綴る予定でしたがやはり体調が良くないので、今日の記事はここで〆ます。
記事の最後に上に書いたスペイン版の、「老若男女が一緒になって歌って踊れる」音楽文化の見本のような動画を貼っておきます。
 
『Vivir Sin Ti』同様、PACO SINAYの2020年の作品『Dedicado a Parrita』になります。
 

このところ新型コロナウィルス(変異株)の新規感染者数が急増しているので、皆様も体調にはくれぐれもお気を付け下さい。

 

アマテラスの声

2022年7月8日。安倍元首相が選挙演説中に襲撃され、お隠れになった。
 


丁度前日私と夫は期日前投票に出向き、その後に和の神・天照大神との神人共食を執り行っていた。神代開きのご報告その他、天照大神と語り合わなければならないことが山積みだった。
神人共食が円滑に行く時は、味覚が宇宙規模に敏感になるから直ぐに分かる。私達は今後のSNSのことやリアルでの人との交流について、そして何故か政治論や政治哲学について深く語り合っていた。

今にして思えばそれは翌日の序章かもしれず、滾々とかなり長い時間私達夫婦は天照大神との時間を噛みしめて、そして帰宅した。
その話を当日のブログに綴ろうと思っていたが、以前から予定していた記事(2回分)を先に綴り、片方を公開し片方を下書き投稿のまま保存した。

その夜なかなか寝付けずに翌朝を迎え、2時間弱の短い睡眠を経て私は一度布団を出た。あの時の胸騒ぎを言葉に書くことはとても難しく、今でもどのように書いて良いのか分からない。
うつらうつら二度寝の体勢に入った時、知人から安倍元首相が襲撃に遭い心肺停止だと言う一報を受け取った。
 

その後の流れは既に皆様もご周知の通りだ。
 

Twitterには色々な話が飛び交い、実は安倍元首相の一連の襲撃事件はクライシスアクター達が集まって仕掛けた一種の演劇であり、事実ではない‥ 等の奇妙な噂が飛び交った。

最も正しい情報を、私は全て天照大神と神代開きでこの世に転生した精霊等から聞き取った。だがそのような話を私が真顔で話せば話す程きっと周囲は引くだろうと言うことは分かっていたし、何より私は職業・預言者としての旗揚げはしていなかった。

無常な時間が流れ、天照大神は少しずつ表情を曇らせて行った。
 


2022年7月8日、夕方。公式な形で安倍元首相の訃報が一斉にネットやTVを駆け巡ると、そこから長い修羅場が始まった。
何より天照大神と神代開きで転生した精霊たちこそ、崩壊間際の日本を本気で救済しようと準備を進め、この日を迎えた。森友問題、皇室の継承問題、原発推進運動その他「桜を見る会」に至るまで、元首相が今日までして来たことには不透明感だけが最後に残った。
何よりアベノミクスの影響で日本人の生活は急激に追い詰められ、一部の企業が左団扇を仰ぐ以外に経済的に何のメリットも生み出さなかった。
 

そう言えば2012年、安保法制反対運動のデモの最中の映像の中で、安倍元首相の「‥こんなものは適当に放置しておけばよい」とでも言うように、口元に笑みを浮かべながら官邸に集まったデモをせせら笑った瞬間を私は今も忘れることが出来ない。
 

ついに神が動いた。
日本はあと少しで水面下で進んでいた改憲問題が大きく進展し、多くの人々がそのことによって不条理な波瀾に巻き沿いになるところだったそうだ。それは私達一般市民には知らされぬまま進行していたようだが、神は天界からその様子をじっと静観なさっていたのだ。
 

 
一連の訃報と襲撃事件のニュースの合間を縫って、多くの人々から追悼の言葉が元首相に送られた。それと同時に「マリオのコスプレをした安倍ちゃんが大好きだった。」‥等のファンレターのような追悼がSNS等を駆け巡り、日本は元首相への追悼一色に染まって行った。
皆、周囲の誰とも分からぬ人たちに叩かれないよう、自分自身を守りながら尚且つ目立つ発信に夢中になっていた。
 
それを天界から静観していた天照大神の念はみるみる怒りに変わり、人間と言う生き物への激怒と呆れ、そして落胆を私に語り始めた。その会話に神代開きを介して転生した精霊たちも乗って来る。

 人間とは何と愚かなのだろう。
 そしてこれ以外に、世界を救う回答は一つもないのだ。
 なのに人間は長い苦痛の日々を忘れ、瞬時の目の前の残忍な映像によってそれまでの記憶の全てを呆気なく書き替えられていることにすら、気づかない。
 何と愚かなのか、人間どもは。。

 

人間を操作するのは簡単で、そこに感傷的なムードを擬似的に作り出すだけで人々はその流れに巻き込まれて行く。まさに昨日のように。
 

私はリラ星の、最期の巫女の一人だった。だが今世の私は、いち音楽家・芸術家として生きている。
周囲の目もある。芸術家としての印象の保持も担っている。それでも私は巫女だ。
 

祈りを忘れた日本の民衆に、果たして救いなど本当に必要なのだろうか‥。
アマテラスの声が私を包み込む度、私自身の責務の重みをあらためて認識せざるを得なかった。だが現在、天照大神と神人共食の出来る唯一の私と夫の身に何かが起きれば、その後アマテラスの味覚を満足させられる人はこの世に存在しなくなる。
むしろそちらの方が私には、危機的にも感じる。

ネット上にはひっきりなしに「暴力はいけない‥」等と言った言葉が投稿され、その言葉に多くの人々が反論するすべを奪われた。
だが、暴力と神罰を取り違えてはいけない。2022年7月8日の元首相の襲撃事件は暴力ではなく、明らかに神罰だ。
 

 
神は不眠不休で祈りに忙殺される存在だ。それは誰の為とかそういうことではなく、何ら見返りを求めずに一心不乱に祈り続けるのみである。
この二日間、私は天照大神の魂と完全に同調し、共に過ごした。ほぼ不眠不休の時を過ごし切った今日の私はボロボロで、抜け殻だった。だが味覚だけは、全身が顕微鏡にでも生まれ変わったように、痛みをともなうほどに敏感だった。
 

アマテラスが祈りに集中するように、私は遠い昔とは違うやり方で祈りを継続して行きたいと思っている。それが神の意には仮にそぐわないものだとしても、私にはそれ以外に祈りに集中する他の方法を思い付かない。
そして時折、時間と体力の許す限りアマテラスの声や思いに寄り添い、耳を傾ける。それが私の祈り方。
 

 
やっとこれが形になったようだ‥。

ほんの一瞬ではあったが、天照大神がそう言って私の音楽を初めて指差して下さった。
人々が神に願望成就をお願いするのとは違って、神には人間に対し同じ難易度の要求を突き付けることが出来ない。ならば私は、だからこそ音楽を止めることは出来ない。

そしてあらためて私は、現世に於いて巫女として出来ることが何か‥ と言うことについて深く、もっと深く考察したいと思う。

弟・山田大輔の虚像と実像 – 前編 –

この記事の記載を予告した日時からは既に一ヶ月が経過しましたが、この記事を書くには多くのエネルギーを消耗するでしょう。
御周知のように我が家は今、目下の遺産整理の最中に在ります。その合間を縫って私は、第三の人生の立て直しと魂の休養を継続しています。
 

 
圧は毎日のように揺り返しを繰り返しますが、抗わず受け容れず、そして巻き込まれぬように細心の注意を払いながら日々、魂を磨き、夫婦共に覚醒の手を緩めぬ努力は怠っていません。
 

弟(山田大輔)夫婦に対して、今現在も様々な思いが駆け巡ります。特に気になっている点の一つとして、弟の真の死因が何だったのか‥ と言うことが挙げられ、妻・りえさん(仮名)の周囲で弟と母の二人が(恐らく)似た状況で亡くなっていたことを考えると、彼等の死因の真相が一体何だったのか‥ について姉としてとても気掛かりではあります。
 

私は親族二人の死因に於いて、既に一つの仮説に到達しています。
ですがその仮説についてはこの記事での明記は控え、弟・山田大輔の表と裏の顔と彼の魂の真実について、私の知る限りをここに記載したいと思います。
ここでは死後の大輔の魂から直接聞いた話も含めながら綴って行こうと思いますので、心してお読み下さい。
 

弟・山田大輔: 2014年11月 結婚式の写真

 
私の知る限りでは、弟・山田大輔の魂の大元が摩利支天を名乗る忍びだったとのこと。

摩利支天を名乗っていた忍びは妖術使いとして一時その名を広め、過去世で私が「くのいち」だった一つの時代の私の最期を仕留めたと記憶しています。
私は何者かに背後から、首を右側から斬られて命を落としています。それはとても壮絶な最期だったので、転生した今世でも私は当時の記憶を忘れることが出来ません。
 
当時の私の首斬りを命じたのが忍び「摩利支天」であり、実際に私の首を斬り落としにかかった人物二人は、忍び「摩利支天」に命じられた部下の忍びたちでした。
(後に私は当時の私の首を斬り落としたであろう、忍びの「摩利支天」の部下の二人の生まれ変わりの男女ともリアルで会っています。)
 

切っ掛けは全く別件ではありますが、私は小学校3年生の夏に首の右側を起点として頸椎捻挫を患っています。元々体のその方向が弱い為首の右側にだけ発作が起きたと記憶していますが、あの瞬間に妙なビジョンが過ったのが何故だったのか‥。今にして思えばそうした魂の変遷は続いており、今世の私に誰かが「体の右側」に対する注意喚起をしてくれたのかもしれません。
 

同じ家にヨハン・セバスティアン・バッハと摩利支天の二人の魂が姉弟として転生した‥ 等と言う話は確かに前代未聞ですし、唯物主義者からは一笑に付されて終わってしまう話かもしれません。ですがこれは紛れもない事実です。
 

 
幼少期、特に未だ小学校に入学する前の弟はとても純粋で、姉思い、母思いの優しい人でした。
時折無鉄砲な行動に走るところはありましたけど、彼の言動の全てには彼なりの美学や哲学があり、子供だったにも関わらず大輔はそれを一貫させて生きていました。
 
私が小学校3年生の夏にYAMAHA JOC(ジュニア・オリジナル・コンサート)の作曲競技のイベントに急遽出演することが決まった時も、大輔は合歓の里までついて来てくれました。
その時に、私が練習しているスタジオの近くで途中から虫捕りに夢中になって迷子になる‥ と言う大珍事を起こしてくれましたけど、翌日私がステージで本番の即興演奏を演っている最中もハラハラしながら客席で私を応戦していてくれたのを、今でも憶えています。

そんな大輔が最初の挫折を味わったのは、おそらく彼が桐朋学園「子供のための音楽教室」に入室し、姉と同じピアノを勉強し始めた頃に母が放った一言が原因だったと、死後の大輔が話してくれました。
そもそも姉がヨハン・セバスティアン・バッハ、即興と作曲と空間音響の名手だったわけですから、誰もが私のようにその場その時々で瞬時に作曲が出来る筈が無いのです。弟も楽譜の譜読みと暗譜にはかなり苦戦し、その度に母が「美樹(私の本名)にだって出来るのよ!貴方に弾けない筈がないでしょ!」と言って、ピシャリ!と弟の腕や手の甲を引っ叩く音が、私の居る隔離部屋にまで響き渡りました。
 

その度に弟・大輔の気持ちは凹み、どうやっても姉の技術を超えることが出来ないのは自分の怠慢のせいだと思って頑張ってはみたものの、中学受験を表向きの理由に彼は桐朋の子供のための音楽教室もピアノも、つまり音楽に於ける一切合切から身を引きました。
ですがそれはただ単に大輔がピアノや音楽を辞めるのとは異なり、大輔の魂に「この世の超えられないもの」と言う実績と記憶を刻印したことになりました。
それを機に弟・大輔は日に日に変貌を遂げて行き、自分自身の本音を周囲に一切吐かなくなって行ったように思います。
 
その連続が後に私が綴る、弟・山田大輔の虚言癖に基づく「虚像」の原点と直結しているのではないかと、私は思っています。
 

そもそも弟・大輔は、音楽そのものが大好きでした。他の同じ世代の子供たちのように、モテるから‥ とか目立つから‥ と言う理由ではなく彼は、心から音楽が好きだったと私も思います。
特にトランペット等の金管楽器の音色に触れると、どこかハードボイルドな中に漂う一種のロマンティシズムに敏感に反応を示し、時折涙目になりながらその音色を追い掛けていたのを今でも記憶しています。
 

 
私はテレビを観ることを母に強く禁じられていましたが、母が外出した時等に大輔が「一緒に観ようよ‥。」と言って度々私をテレビの前に駆り出してくれて、その時に観ていた番組が「愛の戦士レインボーマン」や「宇宙戦艦ヤマト」、「ルパン三世」等だったなぁ~と、振り返れば懐かしい話も沢山あります。
 

大輔は子供の頃から超能力や霊界等に強く憧れており、母の持つ強大な霊力に対しては微かな嫉妬と敵対心を抱いていただろう‥ と言うことが、姉の私にもひと目で分かる瞬間がありました。
ですが姉の持つシュールな力に対して弟・大輔は、ライバル心や敵対心を持つことはありませんでした。その純真な性格が激変した切っ掛けが上に書いた「音楽を巡る母の叱咤と暴力」であり、その酷い現場を既に姉の私と母との真に間近に見ていた彼が、せめて自分自身の心身だけは守りたいと願ったとしても、私にはそんな彼を責めることなど出来ません。

その(弟・大輔が両親の暴力や暴言等から身を守る為の)手段が「両親には絶対に本音と真実を語らないこと」だったとしてもそれしか方法がなかったことぐらい、姉の私だからこそ今ならば容易に判断が付きます。
一般的に言うところの「正しい判断基準」が当時の私達、「山田家」には一切通用しないことを、言うまでもなく当時の彼も骨身に染みて感じていたことでしょう。
 

大輔の真剣で純粋な目が段々と濁り始めたのは、彼が一浪の末に東大の法学部に入学した直後からでした。
私が大輔と暮らしたのは(私の計算が合っていれば)丁度彼が東大の2年生になった頃で、私はその年の秋頃に実家を出ています。私と弟の年齢差は4歳、私が家を出たのが24歳の秋の終わりでした。
 

私は母親に、早々に家を出て行くように‥ と毎日のように言われ、無謀とも思える手段を経て何とか結婚(初婚)相手を見つけて、母にその人と会わせる段取りまで漕ぎ着きました。
ですが母は当時の私の初婚の相手との喫茶店面談の時、「あなたのような下品な人に美樹は相応しくないわ。あなたみたいな人に娘を、本当は渡したくなんかないんですよ‥。」等と思ってもいないことを口走る、いわゆるマッチポンプで私と当時の初婚の相手との仲を引き裂こうとしました。
 

ですが私は這う這うの体(ほうほうのてい)を駆使してでも、あの毒気の強すぎる実家を離れたかったのです。
実家を出る最後の夜、弟は私に何か言おう言おうとしては母や父に発言を遮られ、最終的には私が何故段ボール箱を4~5個だけを持って実家を追い出されなければいけなかったのか、その本当に理由を知らぬまま寂しそうに私に手を振ってくれた、あの時の弟・大輔の手が妙に小さく視えた瞬間が今も脳裏を過ります。
 

大輔はその後、急激に変貌を遂げて行きます‥。
 

後編に繋げます。‥