サードアイ

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早朝に目が覚めたまま眠れなくなり、そのまま起きてぼんやりスマホを見ながらチャットやTwitterを楽しんでいた。ふと、頭上から誰かの声を拾ったような錯覚に陥ったが、数時間後に控えていた歯の治療の事で頭がいっぱいで、その声の主について余り深く考えないままアラームの残り時間ぎりぎりまで睡眠を摂ることにした。

 

歯の治療の日はいつも憂鬱で、前の夜から気持ちがざわついて落ち着かなくなる。特に痛みがあるわけではないと頭では理解してはいるが、もしかすると不意に神経に治療器具が当たって痛みがあるのではないか… 等と余計なことを考えると、なおさら深い不安に苛まれる。

 

数年前の治療中に一度だけ、予想もしないタイミングで治療器具が神経に当たって電気ショックにでも打たれたような激痛に悶え苦しんだ経験が、今でも深いトラウマとなったまま私の記憶の真ん中に突き刺さって思い出と化している。

だが実際に治療に行ってみると、不安で不安で仕方がなかった前日前夜のことが嘘のように、治療は呆気なく終わって行く。…その繰り返しが何年間も続き、今日に至る。

 

今日も治療は順調で、ドクターでさえ治るか治らないか予想のつかなかった箇所の患部の状態が劇的に改善し、ようやく神経の治療を終えて上を塞ぎ、次回はその先の治療に無事進む段取りに。

 

 

一旦帰宅し、今日のランチは自宅で何か作る予定でいたのだが、或る場所に呼ばれて本当に美味しいまかない飯を頂いた。

勿論まかない飯が美味しいことは言うまでもないが、私はそのお店のママの素顔を今日、初めて見たような心地好い錯覚に陥ったまま数時間が経過している。

 

その女性の写真を夫に見せたことがあったが、その時夫は「この人、開いているよね…。」とつぶやいた。その時のことがずっとあれから頭から離れず、一度私自身で女性の感覚にそっと侵入してみようと思っていたところだった。

今日がその時だったのかもしれない。

 

お店は比較的空いていて、女性に『ピアノのお姉さん、ナニ食ベル~?』と訊かれたので、私はいつもそこで食べたことのない豚肉のフードをオーダーすると、すかさず(多分私の為に作ってくれたであろう)牛肉の炒めものを前菜代わりに持って来た。
名前もない、メニューにもないフードでそれはそれは本当に美味しいお肉だった。

 

ママはいつも自信なさげに「どう?」と私に訊いて来るが、私の返事は決まっていた。

『美~味し~いっ!!!』

それ以外に返す言葉なんて、あるわけないでしょう?笑。

 

本来メニューにはない「温かいコーヒー」がテーブルに運ばれて来ると、ママが珍しく客用のシートに座って思い出話を始めた。

最近調子の好くない我が家のうさぎのことを気遣って尋ねてくれて、それに私が少しだけ答えを返した時にママが、「どんな生き物にだってみ~んな伝わるのよ、思いはね。」とカタコトの日本語で目ヂカラを込めて囁いた。
私は思わずママの額の真ん中にある第三の目を見付け、そして完全にお互いの第三の目と第三の目がぶつかり合った。

 

不意に先日夫がつぶやいた、「この人、開いているよね…。」と言う声が脳裏に響き渡った。彼女は次第に第三の目だけで会話を始め、私たちは直ぐに言葉を失った。その間、繊細なテレパシーととてもデリケートなふたつの心の声が、まるで今日の雨のようにそっと私たちを包み込んだ。

 

ママは最近会えなくなった人たちの思い出や、認知症とかアルツハイマーとかその他複合的な病気で長期入院している御主人のお義母様の話等を、止まることなく一気に話し始めた。

どんなに意識が遠のいた人でも、その人が待ち続けている相手の存在を感じるといきなり夢から醒めたように体が動き始めたり、いきなり(それまで何カ月間も意識が朦朧としていたにも関わらず)喋り始めた人のことを、彼女は美しい笑みをたたえて一気に話して行く。

 

もう私とママは店員と客の一線を、完全に超えてしまったと感じた。色々な事情でそうそう頻繁には通えないそのお店に最近私は、まるで重要な客人或いは家族か親戚のように度々招かれ、まかない飯を盛り沢山頂いて彼等にしか分からない会話の輪の中に混じり、大声で笑ってひたすら食べて帰途につく。

幸せな時間はいつも一瞬にして過ぎて行き、その度に私は、世界から時間が消えてしまえばいいのに… と軽く舌打ちしながら、ぎゅっと唇を結んで自転車を漕ぎ出す。

 

 

帰宅してから本当は別の仕事をする予定だったが、どうしても今日のことをそっと記録しておきたくなり、このページに書いておくことにした。

 

この記事を聴きながら聴いていた作品は、コチラ ⇩

 

 

私をカフェに連れてって

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2019年11月3日、私は遂に55歳になった。ここに辿り着くまで本当に色々あった。
誕生日当日の私は想像以上にコンディションを崩してしまい、予定していた温泉+焼き肉パーティーのうちの温泉だけを堪能し、一旦撤収して帰宅した。

どうにもこうにも気持ちがオチ込んでしまい、顔も心も強張ったままどうすることも出来ない状況だった。折角夫が好い企画を立てて当日を迎えたのに、温泉に浸かっている最中から心がネガティブに向かっていた理由が一体何だったのか、結局それは分からずじまいのまま翌日まで眠り続け、翌朝の晴れ渡った空を見たら一気に気持ちも晴れて行った。

よし、これなら焼き肉行けそうだわ… と思い、油断をしないよう夕方まで滾々と眠り続け起床したら一気にシャワーを浴びて現地に向かった。

 
焼き肉パーティーはこじんまりと、でも私たち夫婦にとっては盛大に行った。カルビやホルモン、ロースやタン等を夫が丁寧に焼いて行く。頃合いを見計らって夫が「そろそろいいかな。」と言い終わらぬうちにそれらを、まるで祈るように口の中に押し込んで行く私。

そう、私は世が世ならば姫なので、こういう時は全部夫にやって貰うのだ(笑)。遠くファン・ジニの頃から私は、食事の支度やお風呂、外出の支度の一切合切を男性の付き人に全てやって貰っていた。それが自然であり、私はただシンプルに「姫」としての振る舞いや芸事だけに集中して行く、そんな人生を何度か送って来たような気がする。

 

 

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ずっと封印していたトーク番組を、ようやく再開した。
音楽は今、まさに受難の時を迎えている。CDの時代を引きずっているのは日本その他の一部の音楽に疎い文化圏の国だけであり、世界中がサブスクリプションの時代に突入している。
それまで一人一枚ずつ手売りしていたCDから、リスナーが各々月額定額制の音楽アプリの利用に積極的になり、CDと言う収入減が一気に衰退している昨今。

我が家は夫のサラリーだけで全ての私の活動資金をまかなっており、それもいつかはそのままでは居られないタイミングを迎えるだろうと言う予測から私も、無言で音楽だけを配信している場合ではない… と言う危機感を募らせ、泣く泣く余り得意ではないトーク番組に着手することになった。

 

数十年前、日本ではない某所で小さなラジオ番組を任されていた時代もあったけどカンは鈍るもので、そこに私の「裂」の口腔外科的な障害も相まって、番組の収録を何度も何度もやり直しては動画を削除した、…その繰り返しの中で私も心身消耗し、夫と口論になる場面も度々あった。

焦りだけが溜まって行く中で、私の中のふとした勘違いに気付いたり、知人からの「アドバイスと言う名のケチ」を精神的に振り払うのに膨大なエネルギーを消費した。そしてある晩夫と夜通し会話を重ねるうちに、Didier Merahとしての、今ある私に一番相応しい番組のテーマに辿り着く。

 

それが此方 ⇩

 

 
勿論私はアナウンサーではないし、滝川クリステルのように話せるわけではないから、もうそういう間違ったこだわりは全部捨てて、今私に出来る発音の範囲で快活に番組が作れればいいわ… と言う境地にようやく到達することが出来た。

サブスクリプションとは「月額登録制で数千・数万曲を聴き倒せる音楽アプリ」のことで、私はDeezerやSpotify、Apple Music等、数種類の定額聴き放題系のサブスクリプションを利用している。
ま、その辺りの話は上のYouTube番組の中で。

 

Didier Merahの活動が段々佳境に入って来ると、時々ガチで家を出て羽根を伸ばして寛ぎたい衝動に襲われる。最近その頻度が増して来ている気がするが、我が家は本当に慎ましい音楽活動を余儀なくされおり(企業スポンサーをつけていない点、その他サブスクリプションのリスナーが増えて来た為マネタイズが難しくなっている…等の理由で)、以前私がシャンソンやカンツォーネの伴奏の外仕事をしていた時代に比べると収入はおそらく1/4ぐらいにまで激減したのではないかと思う。

その中で、それでも芸術性・音楽性を最優先で創作活動を続けて行かなければならないので、ポケットマネーでカフェに行けるのは月に数回と言うところだろう。
最近は人と会うことがめっきり減ってしまい(人と話が全然合わなくなってしまった為)、ほぼ自宅に引き籠ったまま日々の買い物の時だけ街に出て、買い物を済ませたら直帰で自宅に帰る、そんな生活が続いている。

それでもこうして生きているだけで、何とか人生の豊かさを感じるよう、最近の私は空想癖に拍車が掛かっているような気がしてならない。

 

アウトプットだけを続けていると、どこかで急激にインプットが必要になる、これは生き物の習性なのだろう。私も今、インプットを心から欲しているので、誰か私を美味しい街のカフェに誘って頂けると有難い。
勿論私は伴奏業をやめた後殆ど自宅で仕事をしているので、メイク道具も無ければ着て行く洋服も殆ど買っていない。未だに20年前のニットを着続けており、洋服はどこか穴でも開かない限り着続けるしかない状況だ(笑)。
苦労は売らないのが私の主義。でも時々こうして苦労を口にしないとファンの皆さんはなかなか分かって下さらないので、今日は恥ずかしながらこうして日々の苦労のネタばらしに踏み切ってみたけど、私は至って健康で元気です。

 

さ、次の『Didier Merah Talk』の原稿書きの続きをやらなければ‼

 

家族のように

 

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昨日午後あたりから急に気持ちも体調も落ち込んで、結局夕食も摂らずに朝まで深い眠りの中に居た。
早朝夫にバナナミルクを作って彼を会社に送り出した後、何となく喉が痛むので何度も何度もうがいをして日課の練習に入った。
練習が終わり、静かに水を飲む。最近は兎に角水を頻繁に飲むようになり、それが私の第二の持病の悪化をかなり防いでくれていることに気付いてからは、何をする前にも後にも必ず水を飲むようになった。

 

ランチをどうしようかと思っていると5駅向こう側からLINEで連絡があり、例の試食会をするから来てよ‥ とカタコトの日本語でヴォイスが残っていた。行こうかどうしようか少し迷ったが、こういう時にはむしろスパイス系を摂取した方が好いと思い、サクっとシャワーを浴びて駅まで歩き電車に乗った。

向かうはタイ料理店。

 

出されたものは何と、ソムタムと言う青パパイヤのサラダからタイ風スープ、そしてバッタイ未満の残った麺をタイ風に味付けして炒めたもの、その他色々。
ぶっちゃけた話、店舗の定食よりも多分豪華なまかない食で、店員以外の客人は私だけだった。家族のように迎え入れられた気分で、お腹も心も一杯になった。

 

タイではね、生野菜も手でボリボリ食べるよー。

 

ママの大きくて愛くるしくてパワフルな、声の解説が付いて来る。この店ではこうしてランチ後の休憩中に、スタッフがテーブルを囲んで家族のようにご飯を頂くのだとか。

 

お姉さんも家族よー。いっぱい食べてってねー。

 

何だか異国の母親を見つけたような気持ちになり、何度も何度もお料理に、ママに、そしてスタッフの方々に手を合わせ感謝の意思表示を続けた。
幸せな気持ちだった。

 

帰宅後、練習第二ラウンドを軽くこなし、刑事ドラマ「相棒」を観たら少し休もうと思いながらこの記事を書き始め、現在に至る。
そろそろ休もうと思う。

 

 

 

2 Anniversaries

 

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今、とてつもなく森へ行きたい。勿論国内の小さな森で構わない。むしろ森が私を呼んでいる。
色々なことが起きては過ぎて行ったこの夏、そして秋の始まり。各々の出来事がとても重苦しかったのでむしろ、私は深い沈黙の時を持ち内に籠る時間が長くなった。
でもその間ピアノは弾き続けたし、何とか聴きたい音楽の断片だけは追い掛け続けていた。

一見傍目にはいつもと変わらない私がそこに居たけれど、心の中を常に大きな大きな嵐が吹き荒れていた。

誰にも言えない思いが私を深く占有し、壁を向いて眠りに就くことが増えて行ったけれど、夫と話をする時はなるべく笑顔を忘れないようにして、彼は彼で本当に深く疲れていることを常に思うよう気を付けて暮らしていた。

 

何気ないことがいつもと違って見えて聴こえて、気が滅入りそうな精神状態に追い込まれて行った長い低迷期が、一昨日あたりからふっと靄が晴れたように軽くなった。
ずっとくすぶって渋って結局中座してお蔵入りにした企画の一つを、何となく私から復活させた。綺麗なところだけを外側に出していたら、本当の私を誰にも伝えることが出来ない。

 

勿論女性だからなるべく美しいところ、表面だけはせめて綺麗に着飾って表現して行きたいのは山々だけど、それは本当の私ではない。

いいじゃないの、もう55歳にもなるおばちゃんなんだから、ヨロヨロな姿を曝け出したってどんなことで文句を言って私から去って行くようなファンは本物のファンでも友だちでもなんでもないんだし、ありのままで行こうと決めた瞬間だった。

 

 

近く、音楽ではない私の断片をYouTubeにて公開する予定です。

私もゾロ目の歳を迎えるし、Didier Merahと言う怪物芸術家の10周年とも重なっているので。

是非是非お楽しみに(#^^#)

 

 

 

九月に降る雪

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一言の言葉も発せられない、ただ重苦しい時が過ぎて行った。その他にも色んな事が続いた8月、そして9月の始まり。

詳細はnoteの秘密記事(正確には有料記事) 『ネバー・エンディング・ストーリー 1.』 に綴っているので、知りたい方は是非そちらをご覧になって頂きたい。

 

 

 

ほぼ一ヶ月ぶりに本ブログ記事の更新となったこの一ヶ月間は、不信と不審、そして不安や不問‥ 気持ちをこうして書くことさえも難しい心の内側に閉じ籠るしかなく、だけどその間に私をサポートしてくれた夫、その他私に事の詳細を包み隠さず伝えて下さった某御方への感謝は到底尽きることがない。

趣味の読書やツムツムも殆ど出来ないどころか、一日中ぼぅ~っとパソコンの前に座るだけで過ぎて行った、そんな日も多々あった。

 

失った言葉の数だけ心の闇に雪が降りて、この夏の猛暑にさえもそれは容易に溶かすことも出来ず、先日の台風の直前には頼みの綱の我が家の空調が完全にイカれて止まってしまい、我が家は灼熱の牢屋と化した。

氷を噛みながら、カルピスを飲みながらも胸の闇が消えることはなく、その闇が次の闇を連れて来た時我が家は台風ではない、別の大嵐に見舞われた。
この辺りは又追々、noteのマガジン音楽に寄せる想い その他』の秘密記事にて配信して行く予定であるので是非ともそちらをフォロー頂き、読んで頂けると有難い。

 

この季節になると、無性にジャズが聴きたくなる。‥誰かさんも別の世界で、そう思っているのではないだろうか。
実家には私の知らない数十年が流れており、2012年に実家に父の遺産整理の為に帰宅した時には山のようにジャズのCDが積まれていた事が、今となっては懐かしい。
だが、私の好きなジャズはただのNYジャズではなくて、イタリア製やブラジル産のジャズだったりする。もうそこは何十年も数えきれないジャンルの音楽を聴き漁って来た私だから辿り着いた境地で、そう‥ きっと誰にもその分量は私に追い付けないだろう。

 

 

音楽は魔力である。人の心にすんなりと忍び込み、そこに棲み付いて離れない。
誰かさんもその魔力の下で、気付いたら一生もがき苦しんだに違いない。唯一音楽に苦しまずに済む方法を知る人がここに居たにも関わらず、彼は一度も素直にその扉を叩かずに命を終えた。

 

いつか私にもその日が訪れるのだそう。だが、それはそう近い将来でもなさそうだから、それまで私はがむしゃらに私の方が音楽に棲み付いて生きながらえてみようではないの(笑)。

 
今日、この記事を書きながらのBGMは、此方のPlayList。
作曲をやっていなければ私はおそらく、選曲家になっていただろう‥ とも言える、本当にお世辞抜きに良いコレクションが完成した。

 

 

 

私が芸術家を貫く理由

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時々私は不思議なタイミングで、不思議としか言いようのない正夢を見る。これは昔々からのことで、未来に起こることがリアルに夢に現れる。
今週はそんな出来事が複数重なったけど、未来は概ね予想通りに進んで行くのでその予定に合わせて私は色々なことを準備することが出来る。

 

この一週間、様々な再会に恵まれた。一つは某グループを解散した方々のうちのお二人と、もう一つは20数年間同業者として活動はして来たものの余り会話等したことのなかった歌手と。

音楽は再び様々な縁を連れて来ようとしている。

 

カオスな音楽業界は益々混迷を深めて行く。多数の売れていたアイドルたちが崩れ落ち、一人また一人と商業音楽の世界を去って行く。
私もその昔は商業音楽の世界と夜の再演音楽の世界の二つを股にかけて生き抜いて来た一人。だが今はひたすら芸術家としての道を真っ直ぐに歩いて行く。そこには人っこ一人いないまっさらな道だけが前に前に続いており、前にも後ろにも信じられないくらいだ~れもいない。

 

時々風が吹いたり花粉が飛んで来たり、或いは森の精霊やあの世のさらに向こう側の存在たちからのメッセージが後頭部や背骨に舞い降りるだけで、生きている人々の世界に私はたった一人で音の道を進んでいる(夫を除き)。

 

 

私が「作曲家」でも「演奏家」でもなく、「芸術家」と言い続けることには理由がある。

 

質問の中で最も多いのが、「どこを拠点に演奏をしているのですか?」ともう一つ、「オーダーで作曲はしないのですか?」の二つ。
私は上記の両方を2011年、冬を機にやめた。

 

シンプルに説明するならば、私が芸術家でい続ける理由はとても簡単。

2016年にアルバム「Eden」のラスト曲、「Ragnarok」を録音する直前、私はそれが何であるかについて深く理解させられた。
インスピレーションは自発的なものもあるけれど、私の場合のそれは送信者が存在する。私を探し、私を見つけて繋がったことを確認した時に、相手は私の最も欲する物、私に最も必要なものを授けて与えてくれる。

私にとって作曲とはそういう作業。

 

その代わり、何も降りて来ない時期も多々ある。そんな時は曲を作ることをやめて練習や筋トレに徹し、音楽の代わりに料理を作る。

 

 

感覚が降りて来ない状態を素面で何年でも待てるようになった時、私は自分が真の芸術家になれたことを実感した。

それが2016年、「Ragnarok」を演奏する直前の感覚の中で花開いtがもの。送り手は紛れもない、宇宙の創造神こと クリエイションと言う存在だと確信している。

 

 

 

 

私にはいわゆるスポンサーが存在しない。勿論此方から懇願したこともないし、むしろオーダーによる作曲の依頼を今は断り続けている。勿論ケースバイケースだが、余程のことがない限り私は商業音楽の世界に携わることはなさそうだ。

 

オーダーWritingの多くはその時々の依頼者の気紛れにオーダー内容が揺れ動き、例えばバッハに「今回はショパンっぽくやっちゃって下さい。」と平気で言うし、或いは「次の作品はEXILE風にダンサブルなものをお願いします。」とも言って来る(笑)。
バッハがある日突然アマデウスや小室◯◯になってしまったら、バッハを愛する人たちは酷く困惑するだろうし、何よりバッハと言う作曲家に対する信頼も大きく失墜しかねない。

 

だがそれを作曲家にやらせるのが、いわゆる商業音楽の世界だと言うことを私は嫌と言う程知っているから、Didier Merahと言う魔物を私の中に共存させるようになってからはもう、その世界とは深く関わらぬよう細心の注意を払いながら今日に至る。

 

 

今週は本当に、幾つもの正夢を見た。その夢は同じ日の夕方に、私には知らせない形で現実になった。
一時は私をケモノのように言ったり思ったりしていた過去の仕事仲間たちの中に、一人、又一人とファンが増えている。最初は(名前が違うので)それが私の作品だとは気付かずにファンになるみたいだが、ある時それを私や誰かがカミングアウトしても彼等の中にファンをやめる人が居なくなった。

それはとても嬉しいこと。

 

 

Didier Merahは今年の秋で10周年を迎える。

特に大きなイベントの企画は立てていない。毎年とか一年おきに120分強のアルバムを作り続けているのだから、それだけでも大掛かりなイベントと言っても過言ではない。

 

静かに迎えた10周年。私は益々シュールな者々たちと関わりを深め、手を取り合い、何より最愛の夫の大きなサポートを得ながら「待つ」時間をのんびりと過ごし、次の作品に備えて既に準備は万端である。

 

 

 

木と親睦を深める方法

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ここ数日間、「木」について、或いは森について時間を掛けて考察しております。

某所で「木」の伐採について熱く議論が展開されています。共感される方にとってもそうではない方たちにとっても、どちらの意見もとても参考になります。
中でも多く聴こえて来たのが、「木と会話なんて本当に出来るのだろうか?」と言う疑問とも異論ともつかない声でした。

そこでこの記事では、あくまでも私がこの数年間で習得した「木と話す方法」或いは「木と親睦を深める方法」について、私なりの言葉でシンプルにまとめてみたいと思います。

興味のある方もそうではない方々も、それなりの読み方でさらっと目を通して頂けると有難いです。

 

 

木と親睦を深める方法

①先ず、仲良くなりたい木を決める。

人間でもその他の動物でも、誰彼構わず親睦を深められるわけではありません。各々ものには相性と言うものがあり、中にはどうしても相いれない同士と言うものがあります。

木々にも個性や習性、癖等があります。頑なな性格の木があれば、それとは逆に外交的で饒舌な木も存在します。
最初は比較的外交的な木と仲良くなって、木々がどんな言葉や音声を発するのかについて学んで行くことも必要かもしれません。

 

 

②なるべく多くの時間を遣う。

木々は言語ではなく、特殊な音や香りを発しながらお目当ての相手との距離を縮めて行く習性があるようです。
あくまでも私の場合ですが、言葉ではなくつむじ風のような音を偶然聞き取れるようになり、そこから彼等の声をキャッチ出来るようになりました。

勿論風の音ではなく、もっと別の音声を感じ取るタイプの人がいるかもしれないので、木々が自分に対してどのような方法で会話を試みているのかについて探る為、木々に逢いに行く時は数十分から数時間単位の時間を費やしてみたら好いと思います。

 

 

③木々の些細な動きや変化を敏感に感じ取る。

木々は基本、人間のような小刻みなサイクルで活動することが出来ません。
ですが長い長い時間を経て物凄く長い距離を移動したり、或いは弱った木に対して根っこを通じて養分や水分を補給しながら互いに助け合い、支え合うことが出来ると言われています。

私の経験では、私を気に入ってくれる木の前を通りかかると、そのタイミングに合わせて一瞬ですが甘い香ばしい香りを放ちます。
又、木々の多くはテレパシーを使って意思の伝達が出来るようです。そのテレパシーを使って、木々が好む香りを送って来たり映像を送信して来たりします。
それは必ずしも人間の感性にフィットするものばかりではないですが、人がハーブの香りを好む様に似て、一部の木々が(特に)草食動物が排泄した便の匂いを好むことに私も最近気が付きました。
そして彼等はその情報を、他の木々たちに伝達し、共有する習性があるようです。時と場合によっては一個の話題に花が咲くと、一日から数週間をその話題のシェアに費やすこともあります。

 

木々は全身で会話をします。

彼等は身体的な動きを苦手とする分、自然の力を協力し合いながら他の生き物に話し掛けたりアクションを起こすこともあります。

例えば風の力を使って葉を揺らし、私の肩に触れたり水滴を落としてコミュニケーションを試みることも多々あります。その水滴には温度があり、冷たい場合や温かい場合があります。
又、雨の日は、葉を少しだけ大きく広げて雨粒を全身に受け入れようとします。そしてその下を通る人間や動物にとってはそれが傘となり、私たちと木々の心地好い共存関係がそこにも確かに発生していることに気付くことが出来ます。

 

 

④言語野に限定した思考を一旦手放す。

テレパシーと言うと多くの人たちが「言葉」を相手から引き出すことを考えがちですが、これでは特定の言語を話せる同士の限られた会話しか出来なくなります。

例えば美味しいお料理を頂く時に、料理から言葉を得ようとする人はいませんし、美しい絵画を鑑賞する時に絵画から言語でメッセージを受け取ろうとする行為も不自然であるように、人間の言葉に限定せず「相手の思考形態」に寄り添ったものの考え方を知ることがとても重要です。

 

花には花の言葉があり、低木には低木のコミュニケーションの手法が各々存在します。それは木にも同様に言えることであり、木と言っても種によってその言語は人間の言葉以上に違いがあります。

兎に角相手の動作やちょっとした動きに目を見張り、どんな時どんなタイミングで彼等が変化を起こすのかを知ることが、彼等の言語に一歩も二歩も接近出来る重要な手掛かりになります。

 

 

⑤季節は芽吹きの時、或いは花粉の時期。

私の経験では木と仲良くなるにはタイミングが重要で、数年の試行錯誤を繰り返すうちに彼等が早春、多くの花粉を飛ばす時期や花を咲かせる時期が彼等と親睦を深めるにはベストなタイミングであることに気付きました。

人間でもそうですが、「多くの生き物に自分の存在を気付いて欲しい」と思う時期が木々にもあるらしく、女性がお洒落をして街を歩きたくなる衝動に似て、木々が花を付ける時期がそれにあたるようです。
なのでそういう時に「綺麗ね。」「可愛い。」「美しいわね。」と言いながら写真等を撮影してあげると、「うふっ。」と言って微かに木々が微笑む感覚を共有することが出来ます。

 

逆に秋から冬の木々は寒さに対しミュートする習性があるので、ほぼ眠ったような状態でいる時間が長くなる為、親睦を深める時期としては相応しくないようです。

又、木々と接する時間帯は朝から日没前の時間帯がベストで、夕暮れ以降、夜間は木々たちは静寂の思考に入る為とても不機嫌になるようです。

 

少し時間を必要としますが、兎に角人も木も「褒める」ことで仲良くなれることには相違ありません。
心に不愉快な感覚が発生している時は、出来れば余り木には近づかないことをオススメします。木々がそれを他の木々たちと共有し、時に不快な香りや感覚を発生させてしまうからです。

 

 

最後に。

今まで余り公言していなかったのですが、私の音楽はいわゆる現世的に言うところの「作曲」とも「演奏」とも異なる手法で生まれ出て来ます。

今思うことは、音楽の心地よさとか癒し効果よりももっと大切なことは、聴き手の感覚が少しずつ敏感に開化して行くこと。私は常にそのことを願いながら音楽を生み出しています。
なので音楽業界的なヒロインになることを、最初から望んでいません。その為スポンサーも付けず、兎に角音楽の中で最大限、リスナーが感覚的な自由を得られるようになれればオッケーだと思っています。

 

必ずしも「癒されて欲しい」とも思っていないですし、むしろ癒しではなくもっと険しい感覚にアクセスしている作品も多数あるのですが、その辺りは未だリスナーの方々には認識されてはいないのかもしれません。

 

なので私の作品を聴いた時に、無理に「癒されました~。」と思わないでも全然大丈夫です。まして涙して泣いて頂かなくても結構です。
その時々で発生する感覚は異なって当たり前。なのでその時心に浮かぶ感覚に忠実に素直に、私の作品に接して頂けたら本望です。

 

この記事の最後に、私が「木」や「森」の声や思いからインスピレーションを得て配信した作品「Sacred Forest」からオープニングの、「Return to the Forest」をのYouTubeを貼っておきます。

ゆったりとした時間の中で是非、楽しんで下さい。