家族のように

 

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昨日午後あたりから急に気持ちも体調も落ち込んで、結局夕食も摂らずに朝まで深い眠りの中に居た。
早朝夫にバナナミルクを作って彼を会社に送り出した後、何となく喉が痛むので何度も何度もうがいをして日課の練習に入った。
練習が終わり、静かに水を飲む。最近は兎に角水を頻繁に飲むようになり、それが私の第二の持病の悪化をかなり防いでくれていることに気付いてからは、何をする前にも後にも必ず水を飲むようになった。

 

ランチをどうしようかと思っていると5駅向こう側からLINEで連絡があり、例の試食会をするから来てよ‥ とカタコトの日本語でヴォイスが残っていた。行こうかどうしようか少し迷ったが、こういう時にはむしろスパイス系を摂取した方が好いと思い、サクっとシャワーを浴びて駅まで歩き電車に乗った。

向かうはタイ料理店。

 

出されたものは何と、ソムタムと言う青パパイヤのサラダからタイ風スープ、そしてバッタイ未満の残った麺をタイ風に味付けして炒めたもの、その他色々。
ぶっちゃけた話、店舗の定食よりも多分豪華なまかない食で、店員以外の客人は私だけだった。家族のように迎え入れられた気分で、お腹も心も一杯になった。

 

タイではね、生野菜も手でボリボリ食べるよー。

 

ママの大きくて愛くるしくてパワフルな、声の解説が付いて来る。この店ではこうしてランチ後の休憩中に、スタッフがテーブルを囲んで家族のようにご飯を頂くのだとか。

 

お姉さんも家族よー。いっぱい食べてってねー。

 

何だか異国の母親を見つけたような気持ちになり、何度も何度もお料理に、ママに、そしてスタッフの方々に手を合わせ感謝の意思表示を続けた。
幸せな気持ちだった。

 

帰宅後、練習第二ラウンドを軽くこなし、刑事ドラマ「相棒」を観たら少し休もうと思いながらこの記事を書き始め、現在に至る。
そろそろ休もうと思う。

 

 

 

2 Anniversaries

 

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今、とてつもなく森へ行きたい。勿論国内の小さな森で構わない。むしろ森が私を呼んでいる。
色々なことが起きては過ぎて行ったこの夏、そして秋の始まり。各々の出来事がとても重苦しかったのでむしろ、私は深い沈黙の時を持ち内に籠る時間が長くなった。
でもその間ピアノは弾き続けたし、何とか聴きたい音楽の断片だけは追い掛け続けていた。

一見傍目にはいつもと変わらない私がそこに居たけれど、心の中を常に大きな大きな嵐が吹き荒れていた。

誰にも言えない思いが私を深く占有し、壁を向いて眠りに就くことが増えて行ったけれど、夫と話をする時はなるべく笑顔を忘れないようにして、彼は彼で本当に深く疲れていることを常に思うよう気を付けて暮らしていた。

 

何気ないことがいつもと違って見えて聴こえて、気が滅入りそうな精神状態に追い込まれて行った長い低迷期が、一昨日あたりからふっと靄が晴れたように軽くなった。
ずっとくすぶって渋って結局中座してお蔵入りにした企画の一つを、何となく私から復活させた。綺麗なところだけを外側に出していたら、本当の私を誰にも伝えることが出来ない。

 

勿論女性だからなるべく美しいところ、表面だけはせめて綺麗に着飾って表現して行きたいのは山々だけど、それは本当の私ではない。

いいじゃないの、もう55歳にもなるおばちゃんなんだから、ヨロヨロな姿を曝け出したってどんなことで文句を言って私から去って行くようなファンは本物のファンでも友だちでもなんでもないんだし、ありのままで行こうと決めた瞬間だった。

 

 

近く、音楽ではない私の断片をYouTubeにて公開する予定です。

私もゾロ目の歳を迎えるし、Didier Merahと言う怪物芸術家の10周年とも重なっているので。

是非是非お楽しみに(#^^#)

 

 

 

九月に降る雪

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一言の言葉も発せられない、ただ重苦しい時が過ぎて行った。その他にも色んな事が続いた8月、そして9月の始まり。

詳細はnoteの秘密記事(正確には有料記事) 『ネバー・エンディング・ストーリー 1.』 に綴っているので、知りたい方は是非そちらをご覧になって頂きたい。

 

 

 

ほぼ一ヶ月ぶりに本ブログ記事の更新となったこの一ヶ月間は、不信と不審、そして不安や不問‥ 気持ちをこうして書くことさえも難しい心の内側に閉じ籠るしかなく、だけどその間に私をサポートしてくれた夫、その他私に事の詳細を包み隠さず伝えて下さった某御方への感謝は到底尽きることがない。

趣味の読書やツムツムも殆ど出来ないどころか、一日中ぼぅ~っとパソコンの前に座るだけで過ぎて行った、そんな日も多々あった。

 

失った言葉の数だけ心の闇に雪が降りて、この夏の猛暑にさえもそれは容易に溶かすことも出来ず、先日の台風の直前には頼みの綱の我が家の空調が完全にイカれて止まってしまい、我が家は灼熱の牢屋と化した。

氷を噛みながら、カルピスを飲みながらも胸の闇が消えることはなく、その闇が次の闇を連れて来た時我が家は台風ではない、別の大嵐に見舞われた。
この辺りは又追々、noteのマガジン音楽に寄せる想い その他』の秘密記事にて配信して行く予定であるので是非ともそちらをフォロー頂き、読んで頂けると有難い。

 

この季節になると、無性にジャズが聴きたくなる。‥誰かさんも別の世界で、そう思っているのではないだろうか。
実家には私の知らない数十年が流れており、2012年に実家に父の遺産整理の為に帰宅した時には山のようにジャズのCDが積まれていた事が、今となっては懐かしい。
だが、私の好きなジャズはただのNYジャズではなくて、イタリア製やブラジル産のジャズだったりする。もうそこは何十年も数えきれないジャンルの音楽を聴き漁って来た私だから辿り着いた境地で、そう‥ きっと誰にもその分量は私に追い付けないだろう。

 

 

音楽は魔力である。人の心にすんなりと忍び込み、そこに棲み付いて離れない。
誰かさんもその魔力の下で、気付いたら一生もがき苦しんだに違いない。唯一音楽に苦しまずに済む方法を知る人がここに居たにも関わらず、彼は一度も素直にその扉を叩かずに命を終えた。

 

いつか私にもその日が訪れるのだそう。だが、それはそう近い将来でもなさそうだから、それまで私はがむしゃらに私の方が音楽に棲み付いて生きながらえてみようではないの(笑)。

 
今日、この記事を書きながらのBGMは、此方のPlayList。
作曲をやっていなければ私はおそらく、選曲家になっていただろう‥ とも言える、本当にお世辞抜きに良いコレクションが完成した。

 

 

 

私が芸術家を貫く理由

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時々私は不思議なタイミングで、不思議としか言いようのない正夢を見る。これは昔々からのことで、未来に起こることがリアルに夢に現れる。
今週はそんな出来事が複数重なったけど、未来は概ね予想通りに進んで行くのでその予定に合わせて私は色々なことを準備することが出来る。

 

この一週間、様々な再会に恵まれた。一つは某グループを解散した方々のうちのお二人と、もう一つは20数年間同業者として活動はして来たものの余り会話等したことのなかった歌手と。

音楽は再び様々な縁を連れて来ようとしている。

 

カオスな音楽業界は益々混迷を深めて行く。多数の売れていたアイドルたちが崩れ落ち、一人また一人と商業音楽の世界を去って行く。
私もその昔は商業音楽の世界と夜の再演音楽の世界の二つを股にかけて生き抜いて来た一人。だが今はひたすら芸術家としての道を真っ直ぐに歩いて行く。そこには人っこ一人いないまっさらな道だけが前に前に続いており、前にも後ろにも信じられないくらいだ~れもいない。

 

時々風が吹いたり花粉が飛んで来たり、或いは森の精霊やあの世のさらに向こう側の存在たちからのメッセージが後頭部や背骨に舞い降りるだけで、生きている人々の世界に私はたった一人で音の道を進んでいる(夫を除き)。

 

 

私が「作曲家」でも「演奏家」でもなく、「芸術家」と言い続けることには理由がある。

 

質問の中で最も多いのが、「どこを拠点に演奏をしているのですか?」ともう一つ、「オーダーで作曲はしないのですか?」の二つ。
私は上記の両方を2011年、冬を機にやめた。

 

シンプルに説明するならば、私が芸術家でい続ける理由はとても簡単。

2016年にアルバム「Eden」のラスト曲、「Ragnarok」を録音する直前、私はそれが何であるかについて深く理解させられた。
インスピレーションは自発的なものもあるけれど、私の場合のそれは送信者が存在する。私を探し、私を見つけて繋がったことを確認した時に、相手は私の最も欲する物、私に最も必要なものを授けて与えてくれる。

私にとって作曲とはそういう作業。

 

その代わり、何も降りて来ない時期も多々ある。そんな時は曲を作ることをやめて練習や筋トレに徹し、音楽の代わりに料理を作る。

 

 

感覚が降りて来ない状態を素面で何年でも待てるようになった時、私は自分が真の芸術家になれたことを実感した。

それが2016年、「Ragnarok」を演奏する直前の感覚の中で花開いtがもの。送り手は紛れもない、宇宙の創造神こと クリエイションと言う存在だと確信している。

 

 

 

 

私にはいわゆるスポンサーが存在しない。勿論此方から懇願したこともないし、むしろオーダーによる作曲の依頼を今は断り続けている。勿論ケースバイケースだが、余程のことがない限り私は商業音楽の世界に携わることはなさそうだ。

 

オーダーWritingの多くはその時々の依頼者の気紛れにオーダー内容が揺れ動き、例えばバッハに「今回はショパンっぽくやっちゃって下さい。」と平気で言うし、或いは「次の作品はEXILE風にダンサブルなものをお願いします。」とも言って来る(笑)。
バッハがある日突然アマデウスや小室◯◯になってしまったら、バッハを愛する人たちは酷く困惑するだろうし、何よりバッハと言う作曲家に対する信頼も大きく失墜しかねない。

 

だがそれを作曲家にやらせるのが、いわゆる商業音楽の世界だと言うことを私は嫌と言う程知っているから、Didier Merahと言う魔物を私の中に共存させるようになってからはもう、その世界とは深く関わらぬよう細心の注意を払いながら今日に至る。

 

 

今週は本当に、幾つもの正夢を見た。その夢は同じ日の夕方に、私には知らせない形で現実になった。
一時は私をケモノのように言ったり思ったりしていた過去の仕事仲間たちの中に、一人、又一人とファンが増えている。最初は(名前が違うので)それが私の作品だとは気付かずにファンになるみたいだが、ある時それを私や誰かがカミングアウトしても彼等の中にファンをやめる人が居なくなった。

それはとても嬉しいこと。

 

 

Didier Merahは今年の秋で10周年を迎える。

特に大きなイベントの企画は立てていない。毎年とか一年おきに120分強のアルバムを作り続けているのだから、それだけでも大掛かりなイベントと言っても過言ではない。

 

静かに迎えた10周年。私は益々シュールな者々たちと関わりを深め、手を取り合い、何より最愛の夫の大きなサポートを得ながら「待つ」時間をのんびりと過ごし、次の作品に備えて既に準備は万端である。

 

 

 

木と親睦を深める方法

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ここ数日間、「木」について、或いは森について時間を掛けて考察しております。

某所で「木」の伐採について熱く議論が展開されています。共感される方にとってもそうではない方たちにとっても、どちらの意見もとても参考になります。
中でも多く聴こえて来たのが、「木と会話なんて本当に出来るのだろうか?」と言う疑問とも異論ともつかない声でした。

そこでこの記事では、あくまでも私がこの数年間で習得した「木と話す方法」或いは「木と親睦を深める方法」について、私なりの言葉でシンプルにまとめてみたいと思います。

興味のある方もそうではない方々も、それなりの読み方でさらっと目を通して頂けると有難いです。

 

 

木と親睦を深める方法

①先ず、仲良くなりたい木を決める。

人間でもその他の動物でも、誰彼構わず親睦を深められるわけではありません。各々ものには相性と言うものがあり、中にはどうしても相いれない同士と言うものがあります。

木々にも個性や習性、癖等があります。頑なな性格の木があれば、それとは逆に外交的で饒舌な木も存在します。
最初は比較的外交的な木と仲良くなって、木々がどんな言葉や音声を発するのかについて学んで行くことも必要かもしれません。

 

 

②なるべく多くの時間を遣う。

木々は言語ではなく、特殊な音や香りを発しながらお目当ての相手との距離を縮めて行く習性があるようです。
あくまでも私の場合ですが、言葉ではなくつむじ風のような音を偶然聞き取れるようになり、そこから彼等の声をキャッチ出来るようになりました。

勿論風の音ではなく、もっと別の音声を感じ取るタイプの人がいるかもしれないので、木々が自分に対してどのような方法で会話を試みているのかについて探る為、木々に逢いに行く時は数十分から数時間単位の時間を費やしてみたら好いと思います。

 

 

③木々の些細な動きや変化を敏感に感じ取る。

木々は基本、人間のような小刻みなサイクルで活動することが出来ません。
ですが長い長い時間を経て物凄く長い距離を移動したり、或いは弱った木に対して根っこを通じて養分や水分を補給しながら互いに助け合い、支え合うことが出来ると言われています。

私の経験では、私を気に入ってくれる木の前を通りかかると、そのタイミングに合わせて一瞬ですが甘い香ばしい香りを放ちます。
又、木々の多くはテレパシーを使って意思の伝達が出来るようです。そのテレパシーを使って、木々が好む香りを送って来たり映像を送信して来たりします。
それは必ずしも人間の感性にフィットするものばかりではないですが、人がハーブの香りを好む様に似て、一部の木々が(特に)草食動物が排泄した便の匂いを好むことに私も最近気が付きました。
そして彼等はその情報を、他の木々たちに伝達し、共有する習性があるようです。時と場合によっては一個の話題に花が咲くと、一日から数週間をその話題のシェアに費やすこともあります。

 

木々は全身で会話をします。

彼等は身体的な動きを苦手とする分、自然の力を協力し合いながら他の生き物に話し掛けたりアクションを起こすこともあります。

例えば風の力を使って葉を揺らし、私の肩に触れたり水滴を落としてコミュニケーションを試みることも多々あります。その水滴には温度があり、冷たい場合や温かい場合があります。
又、雨の日は、葉を少しだけ大きく広げて雨粒を全身に受け入れようとします。そしてその下を通る人間や動物にとってはそれが傘となり、私たちと木々の心地好い共存関係がそこにも確かに発生していることに気付くことが出来ます。

 

 

④言語野に限定した思考を一旦手放す。

テレパシーと言うと多くの人たちが「言葉」を相手から引き出すことを考えがちですが、これでは特定の言語を話せる同士の限られた会話しか出来なくなります。

例えば美味しいお料理を頂く時に、料理から言葉を得ようとする人はいませんし、美しい絵画を鑑賞する時に絵画から言語でメッセージを受け取ろうとする行為も不自然であるように、人間の言葉に限定せず「相手の思考形態」に寄り添ったものの考え方を知ることがとても重要です。

 

花には花の言葉があり、低木には低木のコミュニケーションの手法が各々存在します。それは木にも同様に言えることであり、木と言っても種によってその言語は人間の言葉以上に違いがあります。

兎に角相手の動作やちょっとした動きに目を見張り、どんな時どんなタイミングで彼等が変化を起こすのかを知ることが、彼等の言語に一歩も二歩も接近出来る重要な手掛かりになります。

 

 

⑤季節は芽吹きの時、或いは花粉の時期。

私の経験では木と仲良くなるにはタイミングが重要で、数年の試行錯誤を繰り返すうちに彼等が早春、多くの花粉を飛ばす時期や花を咲かせる時期が彼等と親睦を深めるにはベストなタイミングであることに気付きました。

人間でもそうですが、「多くの生き物に自分の存在を気付いて欲しい」と思う時期が木々にもあるらしく、女性がお洒落をして街を歩きたくなる衝動に似て、木々が花を付ける時期がそれにあたるようです。
なのでそういう時に「綺麗ね。」「可愛い。」「美しいわね。」と言いながら写真等を撮影してあげると、「うふっ。」と言って微かに木々が微笑む感覚を共有することが出来ます。

 

逆に秋から冬の木々は寒さに対しミュートする習性があるので、ほぼ眠ったような状態でいる時間が長くなる為、親睦を深める時期としては相応しくないようです。

又、木々と接する時間帯は朝から日没前の時間帯がベストで、夕暮れ以降、夜間は木々たちは静寂の思考に入る為とても不機嫌になるようです。

 

少し時間を必要としますが、兎に角人も木も「褒める」ことで仲良くなれることには相違ありません。
心に不愉快な感覚が発生している時は、出来れば余り木には近づかないことをオススメします。木々がそれを他の木々たちと共有し、時に不快な香りや感覚を発生させてしまうからです。

 

 

最後に。

今まで余り公言していなかったのですが、私の音楽はいわゆる現世的に言うところの「作曲」とも「演奏」とも異なる手法で生まれ出て来ます。

今思うことは、音楽の心地よさとか癒し効果よりももっと大切なことは、聴き手の感覚が少しずつ敏感に開化して行くこと。私は常にそのことを願いながら音楽を生み出しています。
なので音楽業界的なヒロインになることを、最初から望んでいません。その為スポンサーも付けず、兎に角音楽の中で最大限、リスナーが感覚的な自由を得られるようになれればオッケーだと思っています。

 

必ずしも「癒されて欲しい」とも思っていないですし、むしろ癒しではなくもっと険しい感覚にアクセスしている作品も多数あるのですが、その辺りは未だリスナーの方々には認識されてはいないのかもしれません。

 

なので私の作品を聴いた時に、無理に「癒されました~。」と思わないでも全然大丈夫です。まして涙して泣いて頂かなくても結構です。
その時々で発生する感覚は異なって当たり前。なのでその時心に浮かぶ感覚に忠実に素直に、私の作品に接して頂けたら本望です。

 

この記事の最後に、私が「木」や「森」の声や思いからインスピレーションを得て配信した作品「Sacred Forest」からオープニングの、「Return to the Forest」をのYouTubeを貼っておきます。

ゆったりとした時間の中で是非、楽しんで下さい。

 

 

 

海神の思い

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どんなに願っても、どれだけ祈っても叶わぬ思いがあるとしたら、人々はきっとそれに耐えることなど出来ないだろう。だが、そんな苦悩をじっと耐えて耐えて、長い年月の重みの底に生き続ける者、それがと言う存在ではないだろうか。

 

日本は南国の集中豪雨は今も止むことがない。幾つかの箇所にそれらは飛び火しながら、濁流の涙が大地の至るところから溢れ出す。その思いが本当はどこから始まり、どこへと向かっているのか‥。
私は耳を澄まして思いの始まりを追った。するとそれは日本の本州の最果てよりももっと先の、沖縄の海の底から来る重い唸り声のような、或いはかなしみを通り越した嘆きであることに気が付いた。

 

人間の世界には滅多にその姿を晒すことのない神々。だが彼等は遠い昔から、そうではなかった。

何度も思いを表し人々の暮らしに深く干渉した時代も長くあり、それは時に天変地異として地球に住む多くの生き物たちに襲い掛かることもあったと言う。
だが生き物たちはいつの世も薄情で、その時の苦しみがおさまると直ぐに苦悩を忘れ、欲と快楽に興じる暮らしに戻って行った。
その繰り返しをやめることの出来ない人間と言う生き物に対し、いつしか神々は愛想を尽かして行った。
※ここで言う「神」とはいわゆる、元 人間 のようないでたちのそれではなくもっと難解かつ慈愛深い自然神を指す。

 

昔、私が未だ今のような単独の演奏家や作曲家ではなく、人の声や歌の伴奏をしていた時代に何度か仕事で、沖縄の海上を飛行機で飛んだことがあった。私はその度に機上で酷い目眩と嘔吐に見舞われ、空港のベンチに倒れ込んだ。
とかくギリギリのタイムスケジュールで移動していたにも関わらず、私はその場から一歩も動けなくなり、現場担当者に連絡を入れて30分から1時間程空港のベンチや医務室のような場所で休息を摂り、体制を立て直して現場に向かったものだった。

 

当時はそれがただの疲労のせいだと思っていたし、何か元 人間の怨念のようなものが心身に貼り付いて起きた怪奇現象だと思い込んでいた。
だが、今回作品「Watatsumi」を生み出すに過程で私は、それらの記憶が大きな間違いだったと気付いた。

 

 

あれは神だ。

間違いなく沖縄の海底から私たちの世界を静観し、そして大きな嘆きの唸り声をあげる、それが自然神であることに私はようやく気が付いた。

 

神は泣いている。
それは丁度怒りと落胆の中間の、少し絶望の入り混じった嘆きに近い感覚。

私はそれを言葉で誰かに伝える手段を持たない。だから自らの心に届いた神の嘆きを、この作品に託して世に送り出した。
だがそれでも、作品を聴いている人たちに神の思いはなかなか届くことがなく、私は湧き出る黒い泡のような苛立ちを心に抱え込んだまま、数日間を過ごした。

 

 

最初は黙っていようと思った。私は音楽を送り出したのだから、そこに渦巻く経緯や物語は封印すべきだと心に念じて。
だが、神がそれを快く思わないことが、一日、又一日を経て段々と私の中で浮彫になって行く。どうしたものか。

 

これは怒りではないし、抗議の思いでもない。単純に辺野古の基地建設への反対の感情とも違う、もっと違う別の何かだった。

反抗期の息子に対し罰を与える母親は少ないが、どこかそんな感覚に近かった。
ただ見守ること、相手がそのことに気付くその瞬間まで、ただずっと‥。

 

沖縄に連なるサンゴ礁の一部が辺野古基地建設にともない、ゴッソリ削れている。その箇所に、海神が痛みを感じて泣いている。
耐えて耐えて、そしてとうとう痛みに耐えきれずに流した涙が、日本の南国の上空で大粒の尽きない涙となって溢れ出た。九州の集中豪雨を私は、こう解釈している。そしてこの解釈に対し、海神はただ静かに深く頷いた。

 

「Watatsumi」を聴いたリスナーからはいつにも増して、色々な称賛の声が届いている。だが私は今回に関しては、その声に納得していない。
勿論「音楽」と言うかたちで私が海神の思いをこの世に発信したのだから、それをどう受け取られても何も言うことなど出来ないのかもしれない。だが、「癒されました」‥ だけで終わって欲しくないと言う強い思いが遂に私の体をも突き抜けて、こうして私に文字を叩かせるに至った。

 

 

 

おそらく私に使命が備わっているとしたら、ただ‥ 作曲家として音楽を配信して行くことではなく、神々や自然神、そして宇宙神のような存在の意図や彼等の思いを音楽のかたちで着実に聴き手に送り届けることだと確信している。
その為に私が居て、他の音楽家とは一線を画した活動形態を維持していると言っても過言ではない。それを伴侶も常に応援し続けてくれているし、感覚の鋭い私のファンはそれを言葉にすることさえ叶わぬまま遠くから、私の活動を見守ってくれていることも私は知っている。
そんなファンの為にも今回、私はこの記事を書かずにはいられなかった。

 

Twitterのハッシュタグには #NoBase#Okinawa #普天間 …. 等を添えて、各々のツイートを繰り返していたが、私が声を上げるまで誰もそのことに触れては来なかった。

 

多くのリスナーが私の一連のピアノ作品を「癒し系」と決めてかかり、そう文脈が繋がるようなリプを寄せて来た。その状況に私も、そしておそらく海神も何か大きな違和感を感じ、遂にその苦悩と矛盾の水かさが一定量を超えた昨日、私は伴侶(Didier Merah Japanの社長)にその経緯と今の思いをブログに書いて発信しても良いかと訊くと二つ返事で「いいよ。」と許可してくれた。

 

怒りでも悲しみでもない、もっと別の何か。それは嘆きと落胆の中間にある、愛よりも深い愛。

そんな海神の思いが届けと祈りながら、最後に作品「Watatsumi」を載せてブログを閉じます。

 

記事の感想は是非、Twitter宛てに。
ハッシュタグ #ddmrtalk を付けて頂ければ、いち早く私の元に届きます。

 


Music by Didier Merah

Photo by yasushi uesugi / PIXTA

10年目の夏

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Didier Merahとして音楽活動をリスタートして、今年で10周年を迎える。

思えば色々なことがあり、最初は自身の全ての芸歴・実名その他職歴の全てを封印せざるを得ない状態でDidier Merahとして再出発した。

 

人間、叩けば色々と埃が立つもので、私もご多分に漏れず埃だらけの人生を真っ直ぐに歩んで突っ走って来た一人だった(笑)。
闇の10年間(およそ)の私の中の蓄積は計り知れない傷を私に負わせたが、それでも辛うじて両の足で私は何とかこの地球の大地に踏ん張り続けて生き延びている。

 

 

かつて親族に完全に見捨てられた年の冬に私は某所の持病が爆発し、緊急搬送された。そのままもうこの世界とはお別れになるのだろう‥ と、病室の点滴ボトルを見上げながら私は色々なことを考えた。

もっとああしておけば好かった、こうしておけば好かったと後悔は尽きなかったが、それだけ尽きない程の多くの後悔があるならばその分だけでももう一個人生を生きられそうな気がして来た時、途端にお腹が空いて来たことを今では哂って思い出せるようになった。

 

 

人生は不思議なものだ。どんなに悲観的な時の中からでも、一瞬の笑いが巻き起こるのだから。
あの時私を緊急搬送してくれたのは、毎朝ビシっと背広を着てブルーシートと段ボールで出来た小さな家から出勤して、毎晩ヨロヨロになりながら同じ道を引き返して来るホームレスだった。

聞けばそこそこ良い会社の偉い人だったらしいが、何かの弾みで車上生活を経てその場所に流れ着くしかなかったとても可哀想な紳士だった。

 

彼には色々なことを教わった。
ホームレスでも日々お洒落に清潔に生きる方法とか、安くて美味しく新鮮な食材を調達したり保存する方法だとか、何より多くの書籍をタダで読み耽るだけではなくその場所でほぼ一日を穏やかに費やせる幾つかの場所を教わったり。
本当に、人生は考えようだと思った。明日の不安を嘆くよりも、今の不安からいかにして抜け出すかについて何時間も考えたり、そうこうしているうちに日が暮れてお腹が空いて、そんな私を美しいホームレスの偉い人はけっして見捨てなかった。

 

親は子を必ず愛してる、等と言う話は幻想に過ぎないよ‥ と私の悲しみに寄り添ってくれたのも彼だった。
そんな彼が今どこでどうしているのか、時々ふっと気になって仕方がなくなる。
彼と当時少しだけ生活した住所のない家のような場所も今はすっかり開発され、おそらく彼ももうその場所には居ないだろう。

 

私がそんな風に暮らしていたことを一度だけ当時の仕事仲間に打ち明けたことがあったが、「いい加減嘘を吐くのはよしなよ。」等と言われ私はとても悔しくて辛い思いをした。
その後から私はたとえどんな状況に立たされたとしても、まさか今私が自分の住む場所を失って廃墟や空き家や路地裏の小さなスペースを転々としているなどとはもう、誰にも話せなくなった。

 


唐突に「呪詛」などと言う言葉でこの一年間とか二年間とか、私の身に降り掛かり続ける様々な事態を一括りに説明することはとても難しいけれど、私と夫はとても壮絶な状況を命からがらくぐり抜けて今日に至る。

それは今現在もとめどなく、後から後から押し寄せる危機でもあるが、何とか夫の力強いサポートのお陰もあり私はこうして今日も生きられている。

 

ここ一ヶ月は私にしては珍しく、創作の受難と向き合っている。
馴れとマンネリの中からも音楽が生まれて来ないわけではないが、私がそれで満足する筈がない。最小限の挑戦と最大限の隙間を泳ぐ音楽家として、それでも私は新しい挑戦を諦めたくはないのだ。

 

勿論、音楽から音楽を生んでいるわけではなく私の場合はその殆どが、地球や大自然、高次の思いを読み取ったり神々の声を聴きながらの作業がずっと続いているから、出す曲出す曲全てが新しさをともない続けることはとても難しい。
むしろエグい個性を完全に脱ぎ去ったところの音楽を目指しており、エグみのない斬新さとは何かについての思考と創作の戦いは尽きることがない。

 

Mother Earth」、そして「Wa Jazz」と立て続けに大作を生んでから、未だその疲労感から完全には抜け出ていない。アウトプットがインプットよりも大きな比重を占める日々、一日の後半は練習と創作の作業の疲労でヨロヨロになって布団に倒れ込む。
でもその疲労はかつて、家を失ったあの時のような絶望的な疲労とは異なり、クタクタの彼方から押し寄せる次へのエナジーが私をさらに熱い創作へと駆り立てて行く。

 

 

久し振りにPlayListを作成してみた。
未だ全てのピースが埋まってはいないけれど、この段階で公開しても差し支えなかろうと言うことでシェア!♡
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