連休中の騒ぎも過ぎ去り、今朝の雨にはどこかホッとしている。
最近人との繋がりとかご縁だとか、そういうことを異様なまでに誇張する風潮があるようだが、個人間に生じる人の縁ほどあてにならないものはないと私は思っている。
何かを為す時為したい時、自分に足りないスキルに必ず悩まされるものだが、そういう時に個人間の『ご縁』で乗り切ろうとすると必ず後から大きなしっぺ返しを喰らう。
稀に利他的な精神の持ち主が現れるが、それは奇跡に他ならない。
多くの人たちは利己的で、ご利益や報酬を求めたがる傾向にある。ならばそういう人たちと個人的な縁で繋がったりあてにするよりは、仕事と割り切って先方のスキルをお金で買う方が後 (のち) の後腐れが生じる確率をかなり軽減出来るだろう。
世の中が人間関係によって成り立っている‥ と言う説が今のところ有力ではあるが、個人的にそれは妄想の域を出ないと思っている。
むしろ私は大勢が口にする『繋がり』や『人の縁』に、散々振り回されたクチだ。
必ずしも人間は対等ではない。凸凹があったり、私の様に23万年前のリラ星の巫女だった頃からの記憶を持っている場合もある。身体的な年齢は現在60才ではあるものの、霊体年齢はと言われたら、230,060才 (23万60才) だと言っても過言ではない。
霊体に限って言えば、私は既にこの世の全ての人々の実年齢を軽く越えている。それを『人類平等説』で一括りにされては、身の丈に合わない(笑)。
だから私は一人で居ることを選び、その状況を好み、己の視点から辛辣な言葉を世に放つ。
かつてリラ星最後の巫女として生きたリラ星人が現在の地球に転生していることを踏まえれば、とても自然な話である。
むしろこれほど自然な実話をありのまま受け入れる段階に、今の人類が到達していないことの方が致命的だと私は常々感じている。
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