出会い依存

朝、一日の始まりに各SNSを見て回るのが日課みたくなっていますが、ここ数年、以前にも増して「出会い」とか「ご縁」「絆」と言ったワードに遭遇する確率が上がったような印象を受けます。

確かに多くの人たちは人間関係が一生を左右するようか環境に生きているでしょうから気持ちも分かりますが、余りにも人間関係に皆さん依存し過ぎてはいないかと、個人的には思います。

そもそも一個の出会いだとか絆にそこまで執着していては、次に巡って来るであろう本物の切っ掛けを見失います。人は各々成長して行きますし、成長した自分自身は昨日までの自分とは明らかに異なるでしょう。だとすれば、それまでの人間関係を明日の朝にはバッサリとリセットすることも、十分にあり得るわけです。

成長を遂げた後の新しい自分には必ず、その自分に見合う新しい人間関係が必要になります。なので例えば小学校時代の友人とか大学時代の友人たちと数十年を経て親睦を深め続けている人たちって、全く成長していないのだろうなぁと私なら考えます。

あり得ないですから、私なら。

 

私はその都度都度、それまでの自分自身もそれまでの人間関係も捨てながら今日に至ります。ただ一人、リラ星の最期の火の海を共に見届けたであろう夫を除いては。

あれだけの衝撃的な経験はそうそう忘れる筈もなく、あの瞬間最後までリラ星に残ったあと二人の魂との出会いを果たせば、私の出会いへの熱望はほぼ達成します。それ以外の出会いがあるとすれば、その時々のテーマや課題に必要な人間関係でしょう。

今ならば富士山付近への移住の為の情報収集だとか、住んでいる地元の美味しい飲食店を探す為の人の輪作りとか、あくまで便宜上の人間関係に限定されるので、そこから一生に渡って続くような相手を見つけ出す必要性など全く感じていません。

往々にして人と言うのは相手を自分の土俵に引き入れ、レベルを落としたがるものです。そして「同格の人種」だと思いたがるので、私はその類いの相手のペースには一切乗りません。

 

昔々私の人間関係を揶揄した人が居て、彼女だったか彼だったかその人は私を『お友だちは信者だけ‥』等と表現したことがあり、当時のSNSでもこのネタがかなり広く拡散されましたけど、多分あれは真実かもしれないと今なら余裕で笑い飛ばせます(笑)。

そのくらい、リラ星最後の巫女とそれ以外の人々の霊質・霊体の格差は想像以上に大きいので。

 

‥だとしても皆、余りに出会い依存に陥り過ぎていませんか?

所詮家族以外の人たちには相手の人生の責任すら負えないわけですから、仮に私に親友みたいな存在が現れたとしても至って冷静冷淡な感情以外湧いて来ません。

私が変わっているのでしょうか‥。

 

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Delete NewJeans

これはSNSでは余り大っぴらには出来ないがこの半年強の期間、私は「闇に光をあてる」と言うミッションに取り組んで来た。このミッションは私の単独ではなく背後に宇宙精霊の存在が在り、彼の仕事を私が補助すると言う連携で成り立っている。

NewJeans、ミン・ヒジンやTokkis、或いはTeam Bunniesは徒党を組み、世論を操作してやりたい放題やって来た。その結果、彼らにとっては不都合かつ善良な認識を持つ多くの人物のSNSのアカウントを永久的に凍結させる活動を推し進め、おそらく私のXの職業用のアカウントもそのトラップにハマり、凍結された。

2025年1月中旬の出来事だったが、そこから世論が完全に反転する迄には数ヶ月間を要した。

 

彼ら (NewJeans、ミン・ヒジン、Tokkis、Team Bunnies etc.) の動向をこのまま放置しておいたら何れどこかの時点で流血騒ぎに発展する危険性を、多くの人たちが感じていたことだろう。なので私は昨年末の段階で、ミッションに着手した。

ミッションの内容の詳細はここでは話せないが、つまり「私が光をあてた対象が必ず世に大きな結果を出す」ことの経験の反転作用に着目し、ネガティブ・ミッションを発動させた。 

 

現在世論は大きく反転し、法を破ることに何の罪悪感も持たないアイドルグループを大勢の人たちが危険視し、世の中から消す活動に、大勢の元NewJeansファンや元Bunniesたちの感覚や意識も変化した。

ここまで来る間に私は何度も体調を崩し、得体の知れない呪詛に遭い、霊体にも支障を来して来たが、何かの弾みなのか昨日辺りから色々諸々復活の兆候を感じている。 

 

 

 

ここ数日NewJeans周辺が再び騒がしくなっているが、NewJeansに対する応援の声が激減したように思える。特に韓国国外の元NewJeansファンの声が、かなり厳しい内容に変わって来たようだ。

 

これまでは私が「闇に光をあてる」ことでかなり強い負荷を掛け、NewJeansやミン・ヒジン周辺の烏合の衆の動向やその流れをねじ曲げるよう働きかけて来たが、段々とマンパワーに託せる段階になって来た。ここからは、流れに任せても良い段階に入って行くのではないかと感じている。 

 

5月後半からは訴訟の嵐がふき荒れる見通し。人の心と裁判とは回答の導き出し方が若干異なるものの、大勢の人々の中に「NewJeansをこの世から消さなければならない」と言う認識が固定化すれば、それが決定的な結果を導き出してくれるに違いない。

NewJeansを取り巻く人々が自らの意思で、彼女たちの活動や再帰を許さない‥。その意識の流れがかなり強固になって来たようだ。

 

そう願って止まない。

 

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壁の内側と外側

本来ならば何カ所か旅行をする筈だった今年、私達夫婦は春先から一気に体調を崩した。夫婦共々そう若い方ではないので遂に、今年は冒険はやめよう‥ と言う話になり、私は風邪の次に足の爪周りを酷く化膿し始めたので現在整形外科に通院中の身である。 

医師と弁護士は、どこか似ている。味方のようで居て、両者はけっして患者や被告の味方ではない。尋問する側 (医師、弁護士) とされる側 (患者、被告) にそもそも分かれているのだから、致し方ないと思う。

私は子供の頃から、両親家族の次に医者の目が嫌いだった。患者の患部を睨み付けるようなあの目つきと、尋問しながら此方の言葉の穴を探して突っつき回すような、あの物言いが。

今回の整形外科の医者はかなりクセがある。クセはあるものの熱心で良い医者だが、時折私の言葉にミサイルでも打ち込むような反撃が為され、少々辛い。

 

数日間一日置きに整形外科に通院したが、特に昨日は帰宅後ぐったりと倒れ込んだ。車を出してくれた夫まで、体調を壊してしまった。

クリニックのある場所との相性の問題もありそうだが、その話は夫にはしていない。わざわざ言わなくてもきっと、彼も同じことを考えているだろう。

 

 

今朝は雨。気持ちも鬱ぐし、頭痛もキツい。

毎朝多摩川の写真を掲載しているXのアカウントの今朝の多摩川を見ながら、自分は海よりもやっぱり川が好きだと実感している。

 

そう言えばここ数日間、私のブログの藤井風関連の記事に訪問者が集中しているが、何かあったのだろうか?

 

 

音楽的には良い素材を秘めている人なだけに、藤井の宗教観は正直残念だ。

Xでこれを発信したら色々騒がしくなるのでコソっとブログでつぶやくに留めるが、(音楽とか歌と言った) 聴き手の精神性に深く入り込む類の素材に宗教観を乱用するのは、法と同格のレベルでルール違反だ。

まして彼が崇高している対象が世界三大宗教でも何でもないペテン師さながらのサイババだから、「宗教の自由」と言う盾をもって放置して良いとは私も思わない。

 

 

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母の才女物語

昨日 2025.05.11は母の日だった。私には該当する人物が居ないので、何もせず家で静かに休んでいた。

遠くに居る息子から短いメールが一通届いていたが、彼が「母の日」を意識して私へのメールをしたためたのかどうかすら分からない程、実に淡白で素っ気ない内容だった。

 

私の母は事あるごとに、「ママは才女だったのよ。」と口癖のように語ったものだった。

1. 某女子大の児童心理学科卒業で、皇室の某女性とはご学友で英語クラブの後輩だった。(嘘)

2. 音大に受験出来る程のピアノの実力はあったが、時代の事情で音大受験を諦めざるを得なかった。(これも嘘)

3. 異性には事欠かないし不自由を感じたこともなくて、当時のフジテレビの専務とは同級生で (彼は奥様よりも) 母を好きだった‥ と言う武勇伝をよく話していた。(実は母は再婚しており、私は母の二度目の結婚で生まれた長女だった)

 

‥ 母の死後、彼女の学歴も何もかも全て嘘だったことが発覚し、むしろ愕然としたのは私の方だった。彼女は自身の才女っぷりを盾にして日夜私を殴ったり刺したりつねったりし続けた。激昂すると母は水風呂の中に、私の顔を沈めたりもした。

まさか弟が先にあの世に旅立つとは母は思ってもみなかっただろうし、彼女が隠していたこと全てが私に明るみにバレて、今頃霊界で歯ぎしりしていることだろう。 

 

母がある時いきなり「ジャズピアノを習いたい」と言って、当時ジャズキーボーディストとして名高いN氏に師事したが、半年も持たなかった。

次に師事したのが某有名ビッグバンドのリーダーの奥様だったが、その頃からジャズの譜面を私に書かせるようになった。勿論譜面に書いたものをジャズとは言わないし、そもそもジャズとは音楽を弄ばなければ成り立たない。

それを私が楽譜に起こし、母はそれを暗譜してクラシックを演奏するみたいな解釈をして毎週のレッスンに通っていたが、肝心の音楽やジャズはそっちのけでクラスの勢力争いに夢中だった。

カルチャースクールと言うのは「素人が専門家に教えを乞う」空間だと思うが、母は教師に「何も言わせない」「ぐうの音も出させない」ことに執着していた。当然誰か他の人が書いた楽譜を暗譜して母が演奏していること等、教師はまるっとお見通しだったことだろう。

そのジャズピアノ教室は最長で2年ほど続いたようだが、弟の東大受験を言い訳に利用し、怒り狂ったようにしてある日突然辞めた。

最後にたどり着いた母の趣味が、写真だった。遺品整理で実家に入った時、母が撮影したと思われる多数の写真を目にしたが、どれも焦点の定まらないぼんやりとフォーカスがかかった写真ばかりで、嗚呼これも下手の横好きで終わったのだなぁ‥ と思った。

 

実際に創作家になったのは私だったが、もともとシャンソン好きな母は、私が訳詞コンサートを開催した直後から「訳詞」にも着手していたようだ。遺品整理の際におびただしい数の彼女の手書きの訳詞のメモを発掘したが、どれも詞として成り立ってはいなかった。

フランス語も挫折したらしい。晩年間近の母がどこかでシャンソンを歌っていたと思われる写真も見つかったが、きっとそれも挫折したのだろう。訳詞と歌手はおそらく、私が自身の訳詞コンサートでその両方を実現したことへの嫉妬、腹いせに始めたことだろう。

母には歌心がないし、きちんとした発声の基礎もなかったと思うし。

 

才女だ才女だと豪語していた母の才女っぷりが一体何を指していたのか遂に分からぬまま、私も24才で家を出た。そこから32年後の冬に、まさか母の才女伝説が全て嘘だったことが私にバレるとは、彼女も想像したくはなかっただろうに‥。

 

母の日にはカーネーションを贈るのが当たり前みたくなっているが、母にとってカーネーションは何の価値もない花だったようだ。

一度だけ私が母に、なけなしのお小遣いで買った真っ赤なカーネーションを贈った時、母は一瞬だけそれを眺めたものの気が付くと茎を真っ二つに折ってゴミ箱に捨てていた。

あれ以来、私の中でカーネーションは「嫌いな花」の一つに加わった。

勿論母も母の日も今も大っ嫌いだから、昨日は死んだように時が過ぎるのを待つしかやりようがなかった。

何度か、母の嘘まみれの才女伝説が脳内を駆け巡ったが、それはただの嵐。じっと過ぎ去るのを待つ年に一度の悪夢に、今年も無事耐え抜いた。

 

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微熱と闇と

Threads にちょっとした短文を置いて帰ろうと思う度、書いてるうちに段々長文になって行く。文字数制限ギリギリまで書いて枠を跨いで‥ となるくらいだったらブログから放とうと思いそこでブログに移動すると結局、更新したブログのリンクを貼って終わってしまう。
日々、その繰り返しである。

今朝再び微熱がぶり返したので、Threadsもブログも後回しにしてスマホを閉じた。
私は活字中毒なのだろうか?一度文字を読み始めると際限がない。兎に角気が済むまで読み続けるのが悪い癖だ。

ほら、今もそう。
読み続けるか、書き続けるのかの二択。
落ち着け自分。貴女は今微熱で疲れているのよ。病人だと言うことを忘れちゃ駄目! (心の声)

 

 
さて、再びNJ (NJZ) が騒がしい今朝。どうやら今日はミンジの誕生日らしいが、本当にしつこい女の子たちである。

あなた達は今、裁判の真っ最中の身よ!世の中に出て来てはいけない人たち。多分、未来永劫‥。

このところ光をセーブしていたが、再度彼女たちの闇に光を当てなければいけないのかな。
兎に角徹底的に消す必要がありそうだ。このミッションはもはや祈りを越えて、呪詛の域に到達するのか。


私はリラ星最後の巫女ではあったが、怨み屋とか呪詛系シャーマンではなかった筈だ‥。致し方ない。

‥どうやら今朝の微熱のぶり返しとNewJeansの右往左往とは、無関係ではなさそうだ。

活動再開!皆んな、よろしく。

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私が孤独を愛する理由

連休中の騒ぎも過ぎ去り、今朝の雨にはどこかホッとしている。

最近人との繋がりとかご縁だとか、そういうことを異様なまでに誇張する風潮があるようだが、個人間に生じる人の縁ほどあてにならないものはないと私は思っている。

何かを為す時為したい時、自分に足りないスキルに必ず悩まされるものだが、そういう時に個人間の『ご縁』で乗り切ろうとすると必ず後から大きなしっぺ返しを喰らう。

稀に利他的な精神の持ち主が現れるが、それは奇跡に他ならない。
多くの人たちは利己的で、ご利益や報酬を求めたがる傾向にある。ならばそういう人たちと個人的な縁で繋がったりあてにするよりは、仕事と割り切って先方のスキルをお金で買う方が後 (のち) の後腐れが生じる確率をかなり軽減出来るだろう。

世の中が人間関係によって成り立っている‥ と言う説が今のところ有力ではあるが、個人的にそれは妄想の域を出ないと思っている。
むしろ私は大勢が口にする『繋がり』や『人の縁』に、散々振り回されたクチだ。

 

必ずしも人間は対等ではない。凸凹があったり、私の様に23万年前のリラ星の巫女だった頃からの記憶を持っている場合もある。身体的な年齢は現在60才ではあるものの、霊体年齢はと言われたら、230,060才 (23万60才) だと言っても過言ではない。

霊体に限って言えば、私は既にこの世の全ての人々の実年齢を軽く越えている。それを『人類平等説』で一括りにされては、身の丈に合わない(笑)。

だから私は一人で居ることを選び、その状況を好み、己の視点から辛辣な言葉を世に放つ。

 

かつてリラ星最後の巫女として生きたリラ星人が現在の地球に転生していることを踏まえれば、とても自然な話である。

むしろこれほど自然な実話をありのまま受け入れる段階に、今の人類が到達していないことの方が致命的だと私は常々感じている。

 

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私が病院に行かない理由

かれこれ一ヶ月以上~二ヶ月近く、微熱と向き合っている。

最初は風邪の症状に似て、39℃近くの高熱に加えこれまで経験したことのない喉の痛みに見舞われた。その後徐々に喉の激痛も緩和し熱も下がって来たが、体温が37℃~37.2℃辺りをウロウロし始めたまま微熱が引かない。

時々思い出したように36℃台をマークするものの、又直ぐに37.0℃まで戻る。

その様子を時々SNSでつぶやくと一定数、「病院には行きましたか?」とか「検査はしましたか?」等のリプライが来る。

基本的に私は他人の人生に口は挟まない。どんなに親しい間柄であったとしても、相手の人生の責任を負う関係性が生じない限り、他人の人生に口出しはしない主義だ。つまり今の私は夫のこと以外、関心を持たないことに決めている。 

 

何を隠そう、私は新型コロナワクチンを接種していない。これからも接種するつもりはない。

あれは人口削減計画を具現化する為のワクチンであり、生物兵器と同類であることを私は、2021年のワクチン接種が強制され始めた頃から知っていた。それは各メディアや医療従事者の発信やブログからではなく、カビの自然神から直接聞いて内情を把握していたからだ。

だから製薬会社の派出所もどきの現在の医療機関にも、当然足は運ばない。自分の体に何を打たれるか分からないような場所へは、自ら出向かないことに決めている。

代替案として、今は漢方薬で体調を調整している。当然新薬よりは改善までの道のりは長くなるが、副作用はかなり軽減されるし何より成分説明が明瞭だ。

 

SNSは自由空間の筈。誰がいつ、何をつぶやこうが双方が現実的な知り合いでもない限り、匿名名乗りの何者かが他人に深く干渉するのはルール違反だ。‥が、ここ数日複数ヶ所で、私の微熱発言に苦言を呈する人たちが現れて困っていた。

あなた方は土台私に会ったことも話したこともないわけで、私の日々の何を知っているの?無責任なことを言わないで欲しい。病院に行って万が一ナノグラフェンやらmRNA某が混入された注射を打たれたら、私は確実に数年以内で死にます。

遠隔操作で私を殺す気ですか?

 

ふと、「微熱が引かない‥」とつぶやいた私のポストを見掛けた時に限って、親切そうに「検査だけでも‥、ダメですか?」などと、どの口が言うの?!

ハッキリ言って、あなたはただの偽善者です。

人の病気にかこつけて口出しして来る人って、そういうネタを普段から探し歩いている人だと言うことを私は知っている。なぜって、それは困ってそうな第三者に恩を売って感謝の言葉を生涯に渡り引き出す為だ。

一種のマウンティングとでも言うべきだろう。彼らはこぞって教祖様になりたい人たち。匿名教祖だから、まったくタチが悪い。

二度と現れないで頂きたい。

 

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週末の度に私は‥

3月半ばから長期的な風邪に見舞われており、5月に入った現在も未だ微熱が引かない。そんな体調の中でもブログを更新したい日もあるので、最近は時々スマホからSNSサイズの記事を投稿することが増えているが、この記事はPCから書いている。
 

毎週末に音楽の各サブスクリプション上で更新される新曲を欠かさず聴き、チェックし、良曲だけをSpotifyに作成したプレイリストにスクラップしている。
自身が音楽家であり作曲もするのになぜ他の人の音楽にここまで夢中になるのか‥ と時折抗議のDMも頂くが、私にとって今の地上の良曲をコレクションすることは「祈り」の一環である。自分の作品だけを宣伝したり販売している音楽家は大勢居るが、仲間でも同業者でもない第三者とも言うべき他の音楽家の作品をここまで数多く紹介している芸術家は稀だ。

サブブログディディエメラの音楽倉庫にも綴ったように、今週末は良曲が酷く少ない週だった。

今や多くの音楽家が職業として音楽をやっており、食べる目的で新作をリリースしているようにも見える。納期に間に合わせなければならないのに、聞くところによると各々のミュージシャンは手持ちのストックが少ないとの話もちらほら‥。
世の中の流れが速すぎるのだ。あくせくと働いてただ、ひたすら稼ぐ。音楽家になろうと思い立った最初の自分にもはや戻ることすら出来なくなってしまったミュージシャンも、きっと大勢居ることだろう。
 


クラシック音楽は既に、予定されていた音楽の歴史から脱輪した。
ロマン派の時代は戦争によって破滅し、その後に近現代音楽の歴史が始まった。そうなると地上で最も美しかったロマン派の音楽は過去の産物となり、2025年の今でも現代音楽の時代が細々と続いているようだ。
音楽界は現在二分しており、「クラシック音楽現代音楽」と言う構図になっている。それぞれの音楽には欠陥があり、多くのクラシック音楽の中にはその時代の空気が丸ごと封印されている為、クラシック音楽を好きになれないリスナーもまだまだ多い。
一方で現代音楽は理論体系自体が崩壊しており、各作曲家の衝動とその場の思い付きと「奇をてらう」精神で作曲されている為、映画音楽等の特定のシーンに音楽を当てる以外の使い道が存在しない。勿論現代音楽を食事中に聴くことも不可能だから、普及する筈もない。
 

私 (Didier Merah) は上記のどちらでもない音楽を生み出している。
戦争や時代の事情で破滅した、この世で最も美しいロマン派のエレメントを継承しており、私の多くの楽曲は、どの時代にも存在し得ないオーパーツをふんだんに内包している。
 


最近早朝に目が覚めることが増えている。気が向くとSNS (Xのサブアカウント, Threads等) に文字を書き込んで放ったりする、そのついでにここに来て、Threadsから投稿した記事をリライトして短文投稿することもあり、そのちょっとした時間が私にとっては癒しの一つになりつつある。
 
今朝は悪夢で目が覚めた。悪夢が多いのもきっと長引く微熱の影響だと思うけど、この連休中はあの世からの来訪者も多い。
実母は現自宅からそう遠くない合祀墓に眠っているが、母は私を酷く嫌い、殺意さえ持っていただろうと見られる多くのメモが母の死後、遺品整理の際実家から見つかっている。
 
今日は起き抜けに頭痛もあった。だがいつもの頭痛とは質が違っていて、今朝の頭痛は頭部の右側と右目の上辺りに痛みが集中していた。丁度母が、私の幼少期から大人になるまで日夜殴っていた箇所と重なっており、母の念が近くを徘徊しているのを感じた。
私は日々当たり前のように母の暴力を受け入れて、思春期を生き延びて来た。彼女は毎日何かと理由をつけては私の右側から彼女自身の利き手を使って殴りかかり、私の顔や体は常に痣だらけだったが誰も助けてはくれなかった。
 

30代で渡米した後に脳に詳しい医者に出会い、医師の診断を仰いだことがあった。それによると現在私を悩ませている乱視の要因の一つが、母の暴力だった可能性が浮上した。
悪いのは目ではなく、脳に障害があるのでは‥ と言うのが彼の見立てだった。それは年々後遺症として体に現れる可能性はあるが、改善する見込みはないとの話。
還暦になった私は、マンションや駅の階段さえも手すりにつかまらなければ歩くことが出来ない。遠近感がおかしい。既に30年も前にそのことは医者に忠告されていたので、今はそんな体調とも向き合いながら何とか生活をやり繰りしているが‥。
 


現在私たち夫婦は富士山の見える場所への移住 (正確には東京と別宅の二拠点生活になるが‥) を予定しており、その為の人脈作りと住宅探しを開始した。‥その途端に微熱の引かない風邪に見舞われたわけだが、それもこれも「圧」だと認識し、体に過剰な負担を掛けないような生活サイクルの中で出来ることを出来るだけ消化するよう努めている。
 

何度も書いているが、私はリラ星最後の巫女だった。リラ星が自爆したことを知る人は、多分私以外には存在しない。これは記憶を持っている人でもその記憶に触れることが難しく、私もその記憶を10年前頃に復活させたばかりだ。
その後色んな「人」として私は地上に転生を繰り返し、現在に至る。
 

数時間かなりの分量の音楽を聴いたり整理したり‥ 色々やっていたので、もっと文字を書きたい気持ちは山々だが体力的には限界だ。
更新したプレイリストは冒頭のサブブログのリンクからも辿れるので、この記事の最後は自分の音楽で締めくくる。活動初期に古い楽器で演奏しているので音質には若干問題はあるが、この作品は私自身の葬儀を棺の中から見上げている時の風景を音楽にした一曲だ。
 

我が家の連休初日

昨日は前半張り切って音楽を聴いたり選んだり‥ 色々作業をしていたのに、途中から中弛み。
それもその筈で、今週末の『世界の音楽』の新譜に良曲が少なかったのだ。

朝食を朝6時に頂いたので、正午を過ぎた辺りから空腹が訪れる🕛️
夫も隣で何となく疲れて来たらしく、『昼でも食べるか‥』と言う事になり、思い切って昼食をUber Eatsからオーダーする。

私の朝の検温結果はやはり、37.2℃をマーク。なかなか微熱が下がらないので、食事の分量が減っている。
だが今より食事量を増やさない方が体への負担も軽くてすむので、夫は『もっと食べなさい。』と言うけどそれには唯一従わない私。

夫は豚カツが食べたいと言うので私も便乗するが、やはり後半胃が重くなるので1/4は残す。
多分今の自分にはこの分量が丁度いい。

デザートはなし、代わりに甘くしたコーヒーを飲む。
我が家のコーヒーが最も美味しい。なぜならば水にも豆にもこだわって淹れてるからね。
以前ほどケーキのような甘いデザートには、興味がなくなって来た。少しウェイトを落としたい私には丁度いい。

やっと私の傍に、ダイエットの神が降臨した。 

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17回目の結婚記念日

2025年4月25日は、17回目の結婚記念日だった。

前日からお風呂場の換気扇が通電しなくなるわ私の微熱が若干ぶり返すわで、何やら色々重なった。

夫婦で『おめでとう』も言えないまま追い打ちを掛けるように早朝から私は偏頭痛にまで悩まされ、起き上がれなくなるレベルで辛かった。

諸々の業務連絡を終えてふと隣を見ると、私への心配で気苦労が絶えなかったであろう夫がすやすや眠りに就いたらしい。穏やかな寝息を立てている。

ランチの時間を逃してしまうけど、ここで昼食‥ はかなり無理があるだろう。再び私も入眠。

さて、ようやく夕食の時間だと言う時になって、再び私が偏頭痛を再発。昨日二度目の偏頭痛はかなり酷く、あっと言う間に強い吐き気に襲われた。仕方なく頭痛薬を服用し、再度眠りに就く。

明けて翌日の未明に何とか起き上がり、サプリメントやらフルボ酸を胃に流し込む。

Uberからオーダーしておいたお寿司を冷蔵庫に冷やしてあるのだが、なかなか食べるところまでたどり着けない。一つ一つの動作の合間に休憩が必要で、既に何度も寝室とリビングを往復している。

還暦の結婚記念日はこれまでの結婚生活の中で最悪な状況であったが、幸い私たち夫婦の波長は絶好調である。

これを愛でたいと言わずして、他にどんな形容詞があると言うのか。前日に夫が、マットレスや枕を高級感満載のエジプト綿仕上げのカバーに付け替えた。

包み込まれるような眠りを得た春。これこそ最高の贈り物だ。

最悪な体調だったけど、最高の結婚記念日だった🎂

※現在4月26日、3:28am 🕞️

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