理解の外側

昨日は人間関係で、二つも落石を浴びた。
聞くところによると多くの人は常に未来の友人探しをしたり、仕事に有益な人たちとの出会いを模索しているらしいが、私は全く違う。

人生のことも仕事のことも、それ以外も全部まとめて夫と二人で解決して行く。それだけで良いと本気で考えている。

家庭のことを第三者に相談することもないし、何より『リラ星最後の巫女』と言う私が抱えている霊質の経緯を理解するには、雑談とか愚痴話や会食で繋がるだけの人間関係では素材も資質も何もかもが足りな過ぎる。

人と簡単に友達になろう‥ そして理解し合おう等と言う考えも夢も、とうの昔に綺麗さっぱり洗い流した。それは諦めでも絶望でもなく私にとっては内観と希望であり、見事なまでに快適だ。 

20代、30代頃の私を知るかつての知人や同業者等が最近の私を見て、『引き籠もりだ』とか『本当は喉から手が出るほど仕事が欲しいくせに無理しちゃってない?』だとか、全く歪んだ認識に及んでいるようだけど、そもそも音楽を生み出す作業に人の手は必要ない。

静かに祈りを致し、夫が組み立てた課題やテーマをさらにとことん突き詰め、それを音楽に置き換えて行く。シンプルなプロセスだからこそ生み出せる世界観があるのは、音楽も評論も文字執筆も全てに共通する。

そもそも日本のシャンソン業界やカンツォーネ業界なんて、正確には盗っ人の集まりでしかないのが実情だ。他人の作った異国の音楽の歌詞だけを原作者に許可も取らず勝手に日本語に書き換え、それを再演することでギャラを得ているわけだから、法の観点で言えば脱法行為に該当する。

某国の女プロデューサー (旧 CEO) だったら、『全部物まねでしょ!』と喚く類いの代物。そんな業界に今の私が関わりたい筈が無いでしょ、笑。

いい加減にして下さい。

 

それより何より、昨日のシンガポール男性も先週突如FacebookからDMを送って来たウクライナ国籍を名乗る男性も、揃って嘘吐きだった。私をマウントしながら自らの言葉で自らが吐いた嘘を紐解きながら、最後にはDMの最初で自身が吐いた嘘を忘れて (先方と出会おうとしない私に) 挑みかかって来るのだから、たちが悪い。

 

骨の髄まで人間嫌いを染み渡らせた人間がどのような魂 (過去世) の変遷を経て来たのか、何度も転生して経験を積んで学んでから来て下さいね🧚‍♂️

最低でも10万年を要するかもしれません。

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音楽と祈りと‥ (Music and Prayer to Me)

特にこの半年間の私が表舞台から一歩引いた状態でどこに向かっていたのか、‥それはこのブログの記事を追っている読者の皆様であれば薄々感じておられることでしょう。
諸々には相手が居て、相手のプライバシーとも深く関わることなので、詳細を深く掘り下げることが出来ません。ですが最近の私の体調と然る現象を照らし合わせれば、おのずと私が何を照らし、何を祈り続けているのかについては概ね察しがつくことと思います。
 
「大いなる仕事には大いなる責任と代償が付きまとう」とは、夫 天野玄斎の言葉です。
それについては同感ですし、実際に私も心身共に傷を負いました。勿論公的な活動の一部にも傷が入り、支障が出ています。でもそれも含めて「祈り」だと肝に銘じていますので、受け入れて突き進んで行きます。
 

今年で結婚してから15年が経過します。
15年前の私はと言えば日々スピリチュアルなことに精力を注いではいたのですが、どこか違和感や不自然さも感じていました。最近になって自分自身 (生身/ 霊体/ 感覚) をようやく統合出来るようになり、やたらに「スピリチュアル」等と言う言葉を使わずに自身を表現し、社会生活の中に上手く立たせられるようになったと思います。
なので時々SNSのDM等に寄せられるメールにも、余り熱心に返信が出来なくなりました。
 
全ては実在です。自分も魂も、そして神々も精霊も含め、全ては実在します。なので「見えない世界が見える」‥ 等と言うまやかしの言葉が、今の私にはとてもうすら寒く感じてなりません。
なぜならば私には「見えない世界を見ている (見える)」と言う感覚が、元々なかったからです。巷のその種族を凄いとは思わないですし、むしろ「見えない世界」とは何を以てそう言えるのかと言う彼らの説明を聞いてみたい好奇心にも駆られます。
でも、おそらくそれは時間の無駄、徒労に終わることでしょう。
 

私には実在する神々との約束や契約があり、その為の祈りに集中しなければなりません。
 
私は「見えない世界」は語りません。私の語ることは全て、私には見えている世界や世界観であり、それを形にする手段が音楽や音楽評論、執筆と言うことになるのでしょう。
とても普通のことで、とても自然に全てが営まれる感覚。その一部が霊界だったり神界で起きていることだったりします。
 


今年の春、一生にたった一度しかない還暦の春の桜を私は見ることが出来ませんでした。一年の中で最も美しい、そして一生に一度の還暦の春、私は一ヵ月近く高熱と微熱の目まぐるしい往復にうなされている間に、春は駆け足で去って行きました。
これほど酷い風邪を引いたのは、おそらく人生で初めてかもしれません。

親しくしている神々が私を気遣い、天界の美しい春を見せてくれたことはとても感動的でしたけど、還暦の桜が見られなかったことが何か‥ 私の遠い将来を暗示しているようにも思えて恐々としていることも又事実です。
リラ星最後の巫女だった私が今世、リラ星最後の巫女の妹とニアミスし、半ば敵対関係に押し込まれたのも又因果としか言いようがありません。
 
闇に光をあてることを第二のミッションとし、今それを実行している最中です。既にその仕事が形になり始めていることは、私のブログを遠巻きに読んでいる方々であればご理解頂けると思います。ですが私はその旨を、自分の言葉で放つことが出来ません。相手にもプライバシーがあるからです。
なので粛々と「祈り」と「照らし」を継続し、この世界が正しい方向に向かって進んで行けるよう、ささやかにお手伝い出来れば良いと思っています。
 


今日は一ヵ月ぶりに骨身にしみる程、音楽を堪能しています。まだ微熱でゆらゆらしている体とは言え、生活から音楽を抜くことは私にとって、酸素を奪われるに等しいこと‥。
最近の「世界の音楽」の新譜チェックは、以前より内容が薄くなって来たせいか、ときめきが薄れています。
でも考えてみればそういう感覚 (ときめきとか、感動とか‥) を私は、自ら生み出して世に放つ側の人間。それを自分自身にも言い聞かせ、受け身で音楽を聴くのではなく攻めの姿勢で世界中の音楽を聴くことにしています。
すると意外に色々な発見があり、色んな楽しみ方が見つかります。
 

音楽はまだまだ発展途上です。どこかの時点で音楽がマスコミの餌になり果て、地球上の音楽は今呼吸困難な状態に陥っています。
似たような音楽をその時々の流行りに従って、多くのミュージシャンが先を争うように生み出して行くものの、全ては商品。それを私は「音楽」とは呼びません。でも「音楽」とは呼べない音楽が今の大多数であり、真の音楽や音楽家たちがメディアの靴底に踏まれて地下に潜り込んでいるのが現状です。

そうこうしている間に段々と本物は自身の仕事や夢に絶望を感じ、諦めを感じ、本来進むべき道を後退しているのが分かります。
私はそこに光を当てています。それが私が毎週末放つSpotifyのプレイリストだったり、音楽評論エッセイだったりします。なのでもっと多くの方々にそれをシェアして頂きたいと思うのですが、こういうことは双方のタイミングもありますし、なかなか同時進行して行くことは難しいです。

以下のリンクは、Didier Merahが放つ最新のプレイリストになります。
皆さまへ、是非今年叶わなかった春の余韻を一緒に楽しんで頂ければありがたいです。
 

 

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表現者は作品だけで勝負しなさい

昔から油絵が大好きで絵画の個展にもよく出掛けたものだったが、最近それをピタリとやめた。『在廊』している画家の質 (人間性) が酷く低下したからだ。
※他界した画家の名画は素晴らしいが、存命中の画家の精神性が緩すぎる。

そもそも画家の在廊を、私は求めていない。むしろ居なくていい。
画家は絵だけで勝負しなさい、と思う。同様に、音楽家は音楽だけで勝負しろ、とも言いたい。

作品と関係ないものをチラつかせて客やファンの同情を煽る行為。

(或る画家の例だが) SNS等で、個展を控えて精神的に酷く混乱している大芝居を打って行く。
だが‥、客に会場に来させた途端に、『ありがとう!』『涙が出ました』等と言って態度を激変させる偽物の表現者たちを見ていると、心から虫唾が走る。
仮にそれをメンヘラだとして、メンヘラを売りにしてはいけないですよ。それは病いなのだから。

 

‥とは言え世の大半の表現者等がこの体たらくだから、現在活躍していると言われる多くの音楽家、舞踏家やら画家の作品も五百年後には殆ど消えているだろう。

それを確かめる為に私も、五百年後のこの世に戻って来ようと思っているが‥。

(スマホから投稿 📱)

https://www.threads.net/@didiermerah/post/DIstyx1yVLZ?xmt=AQGz35a3CINa8HZD_VptMlc2EGV8nfyklDcNn7xbEzafXw

長引く風邪

昨晩いきなり (再び) 熱が上がったので、寝しなにネッククーラーを巻いてキンキンに首を冷やして就寝したが、今起きてみるとやはり体内に熱がくすぶっている感じ。

一方、北川景子さんも風邪で、今日の生放送の予定を全てキャンセルしたとか。
ロング・コビットによく似た風邪を引きずっている知人も数名いる。
私もこの症状にやや似ているのかもしれないが、COVID-19に感染したことは無い。
 
一応念のため、フルボ酸を服用して様子をみている。
熱が34℃台から37℃台を一日の中で容赦なく上下する、この症状は一体何?

 

温かいモカジャワが飲みたい。

(スマホから投稿 📱)

誰も本当の私を知らない

そう言えば昔々、かれこれ45年近く前、京王線は仙川の裏路地にひっそり佇むカフェがあった。
そこはコーヒーが当時230円 (ほぼ学生価格) で、他にはカレーライスとチーズケーキしか置いていなかった。
店主の気まぐれで時々それ以外にもフードが用意されている日もあったが、少なくとも私が通う平日の午後はカレーすら残っていない事も度々‥。

店内は薄暗く、BGMはジャズか吉田美奈子と山下達郎と決まっており、定休日の前日になるとほぼ吉田美奈子しか店内に流れない。

母校の音楽科や演劇科の学生に多くの常連も居たが、店内の薄暗さとBGMが客を決めてしまうようなところがあり、ワイルド系の女性と演劇科の学生の溜まり場になっていた。

 

どういうわけか私がそこにある日吸い寄せられてしまい、店内が若干異世界に染まった。品行方正な身なりの音大生は絶対、そういう店を選ばないからねぇ(笑)

私は当時母 (母は今で言う毒親) に洋服を買い与えてさえ貰えず、年中殆ど同じ服を来ていた。ある種の制服化に成功してはいたが私は歴とした私服で通学していたつもりだった。

そんなある日、ジーンズにTシャツ、フラッパーヘアーの上級生に『貴女も私たちとおんなじね』と言われた。

 

 

‥その瞬間は彼女の言う意味が全く分からなかったが、その後上級生の彼女との付き合いは暫く続いた。
ロックシンガーのジョニー・ミッチェルと吉田美奈子とヨモギ餅を足して4で割ったような女性で、言われなければ音大生とは気付かない風貌だ。

卒業式の日、彼女はあいも変わらずジーンズとTシャツに革ジャンをまとって現れ、途中通学路で私をピックアップするとそのまま、さっきのカフェよりもさらにダークなカフェに私を連れ込んだ。そのまま彼女は卒業式には行かなかった。

私たちはそこから数時間話し込み、先の謎が解けて行く。

『貴女も私たちとおんなじね。‥』
つまり私も彼女も、どこに居てもどこにも馴染めないと言うのが彼女の答えだった。

どうにもそれが腑に落ちなくて私はその日を境に、自分をその場のテーマや雰囲気に合わせてカスタムしながら生きる術を習得しようと決めて、それは現在に至る。

 

その後私は経路の異なる複数の仕事に就き、その場所の世界に自分を合わせて演じて生きるようになった。

シャンソンの伴奏者としての私、アイドルグループの裏方としての私、ピアノ教師風ないでたちで小さな子供にピアノを教える私、音楽事務所の情報収集をする為に事務員と言う肩書きで業界に潜入する私、スピリチュアルの世界で霊能者の真似事みたいなことをして有名人になった私、音楽とは全く関係のない‥ かなり身に危険の迫る仕事の補佐をする私‥ 等々ここには出せないことも沢山やって来た。

その世界毎に自分を作り替えて行くうちに各々の世界にそれぞれの人間関係が生まれた。ある時その話をシャンソン系の同業者に話した時に私は彼に酷い嘘吐き呼ばわりをされ、心から傷つき、失望した。

その日を機に私は、誰にも自分の本性について語らなくなった。

 

今でも誰一人、私の全貌を知らない。

数百年後のソメイヨシノは

ソメイヨシノは接ぎ木によってここまで増えて、栄えて来た種。
このところ老木や倒木、病気にかかる木が増えて、数百年後の未来にはこの世から消えるかもしれないと言われている。
そう思うと何とも寂しくなる。

 

今年は体調不良でお花見が出来ず。
来年こそは是非とも、美しい桜を拝めますように‥🌸
 

私が私らしく居られる条件

一人で居たい日もあれば誰かと話したい日もあって、そうかと思えば馴染んだ相手にだけ心を開きたい日もある。
この世にもあの世にも、いつも同じ様に居られる存在は無いと言う事は、日々神々と接していればよく分かる⛩️

但しどんな時であっても、『相手は実在する』事だけは忘れてはならないと思う。相手はけっしてバーチャルでも架空の存在でもなく、リアルに実在すると言う事は忘れてはいけないと思う。
そのルールを逸脱したい時は、第三者が関わらずに済む空間で、表現に徹すれば良いと思う。
むしろ私は他者不介在の場所で、一人粛々と表現している方が向いている。

ブログとか、noteとか、そういう場所で他者の目や評価を一切意識しないで、浮き世から離れてものを書く、音楽に没頭するとか。

[Pit Stop] – 歴史を照らし、歴史を消す

かれこれ二週間近くにもなるだろうか、私と相方は酷い風邪を引いている。
相方がひとあし早く風邪の症状を発症したので、私は数日遅れで相方の不調を追い掛けた格好になった。それが物凄い状況で、こんなに長期間胃に物が入らなくなったのはわたし史上初めてではないかと言う感じだ。
 
丁度相方が症状を発症したのが東京に物凄い黄砂が舞った日だったので、あくまで憶測の域を出ないがこの風邪はともすると黄砂を介して上陸した未知のウィルスではなかろうか‥ と、あくまで私たちは睨んでいる。
ただでさえ隣国のガールズグループ NewJeans 関連のトドメの作業を神々等と担っている最中とあり、心身かなり酷使していた時にいきなり来たこの風邪は兎に角悪寒との闘いに明け暮れる日々が続き、先の見えない状況に心が折れた。
 

 
これまで私は世の中に平穏をもたらすもの、華を宿し時代を輝かせてくれる対象に限定して光を当てて来た。だが今回の活動は、それとは完全に逆の現象を引き起こすことを目的としている。
当初この話は表に出すつもりはなかったが、一個一個の現象が私や共に活動をしている神々の想定通りに事が運び始めたので、私たちが何をしているかについての情報の一部に関しては外側に出した方がよりわかりやすいだろう‥ と言う見解に至った。
その途端に私と相方がほぼ同時に、体調を崩した。

私も相方も共に、大きな代償を背負った。それは私の活動にも大きな影響を及ぼすには至ったが、よく考えてみれば色々な物事が大きな分岐点を迎えるとはこのような状況ともリンクしていることは当たり前と言えば当たり前なので、私も夫も途中で視点を切り替えることに決めた。
 

闇に光を当て、その物の持つ闇をさらに白日の下に晒す。闇は血しぶきを上げながら毒を陽の光の中に撒き散らし、それまで隠れていたこと、隠しておいたことを全て隠しきれなくなる。
今回私や相方、そして某法の神が標的としたのがNewJeans (+ミン・ヒジン) であり、今や私たち (少なくとも私と、法の精霊と) は手を組んでこの世から一つの大きな闇とその歴史を葬り去ることに於いて協力関係を結んでいる。
 
かなしいかな、誰が何を思おうが願おうが、彼女たちは一人残らず歴史の表舞台から消え去ることになるだろう。
ここに来て多額の違約金或いは損害金の支払い能力云々を理由に未成年者の両親間で遂に仲間割れが起きたとも報道されているが、何れにせよ彼らは一人残らず消え去る運命なのだ。
あとはその方法論が如何に‥ と言う点が最後に残される。
 

 
思えば2021年12月に実母が他界し、弟 (故) の嫁 山田えり が私にそのことが絶対に発覚しないよう周囲と手を組んで実母を火葬した一件の後ぐらいから、私の中に「法律」と言う大きな命題は既にのしかかっていたように思う。
勿論私にはその時代を法の人として生きた記憶が全く抜け落ちているので、自分がその当時一体何者だったのかについては分からないが、私の中に法を犯す者への一方ならぬ強い怒りや憎悪が渦巻いていることには違いがなかった。
 
その後「霊界司法」と言う別次元の役職を持つ人たち数名が私の元に現れ、実際に私の母、父、弟 (叔母等も含む) 等のその後の霊体の処遇について伝え聞いた時には、背筋が凍り付いた。
だが、法を犯すとはそういうことであり、彼らは霊体を完全に粉砕されることをあえて免れ、この世に霊体を法的に分散されることにより生まれ変わりを未来永劫果たせないまま長い長い時を過ごして行くことが課せられるとのことだった。
 

私の周辺にはそういう類の悪事をはたらく人たちが本当に多いが、少なくとも私がそちらの悪の側に立つことのないよう気を付けたいと思うのみである。
 

どういう経緯だったのか、この風邪の熱にうなされていてよく覚えていないが、気が付くとコンプレックスコン香港で初演されたNewJeansの新曲 “Pit Stop” の比較的綺麗な音源が手元にあるではないか(笑)。
こうやってあらためて聴くと、この楽曲が如何に音楽になっていないかと言う点を含め、粗や欠点等はツッコミどころ満載過ぎて泣けて来る。
 
記念すべき音源なので、幾つかの方法を手元に保存しておこうと思う。
読み返すことのないK-Popの黒歴史の栄えある1ページをここに。
 

 

 

“PIT STOP” (NewJeans) at ComplexCon 20250323

昨日は一日、重苦しい時間を過ごした。
私の視界を介して、そこで見た物事に於ける判断が別の世界へと渡り、その世界からの英断が振るわれる‥。
これまで私は光輝く可能性を察知した時だけ対象物にスポットを当てていたが、今回は逆の力を初めて発動したことになる。
 
闇にあえて光を当てることで、現世的には見えにくい現象を具現化すること。これは想像以上に過酷であり、連日気力体力共に膨大に消耗している。
しかも昨日は (どこの誰かは特定出来ないが‥) どうやら専業の呪術師の存在を感じたので、相方に撃退をお願いした。そのお陰で今、こうして、この記事を書けるところまで気力体力が復活させることが出来た。
 

2025年3月23日、NewJeansが本来ならば新たな活動の出発となるべくNJZとして新曲を発表する筈だったが、そうではなくNewJeansとしての一時活動休止の区切りとして新曲 “PIT STOP” を発表した。
この新曲がかなり悲惨な状況だったことは、音楽やダンス、舞踏等の文化的知識をわきまえた人であれば多かれ少なかれ感じただろう。
 


楽曲的にもかなり散々な出来栄えだ。
[C Maj ⇨ D♭Maj ] ⇦ 大まかにはこの循環コードでトラックが組まれており、その上にはメロディーのないラップだけが滑り落ちて行くような構成になっている。
勿論初演が “Complexcon Hong Kong” と言う大会場でのライブであれば、元のトラックを知らない殆どのリスナーには何を言っているのか等聴き取れる筈もない。
ボイストレーニングの不足は明らかに、大舞台の歌唱に影響を及ぼしている。声がお腹の底まで降りていない為、メンバー全員の発声が上 (うわ) ずっている。
 
メンバーが交互にモゴモゴ何かしらラップらしき言葉をつぶやき、その前後左右をブレイクダンスで埋めている。
ダンス構成も全くどうにもならない状態で、これまでNewJeansがリリースして来た、特にダンス系の楽曲の振付けを寄せ集めたような印象だったが、現実はどうなのだろうか‥。
 

「私たちは何の制約も受けずに自由に活動したい。」と豪語していた結果がこの状況で、つまり彼女たちは表現者でもクリエイターでもない、ただのアイコン・タレントに過ぎないことが明確に露呈した形となったようだ。
ヘアメイクも付けていなかったのか、衣装にも統一感が見られないし、特に各自のヘアの乱れがかなり露骨に現れた形に見えた。ヘインはロングヘアーを無造作に後ろに束ねただけの状態で、セットも何もしていないように見えた。むしろ疲れ切った印象が色濃く漂っていたが、きっとそうだったと思う。
 


昨夜の “Complexcon Hong Kong” のNewJeansの部分だけの全体の動画も運よく観ることが出来たが、恐らくショー全体の衣装合わせやライティングのリハーサルが完成していなかったのか、照明構成の不備が随所に見られたし、兎に角全体的に暗い印象しか残らない。
 
ショーの最初に各メンバーのソロが続くが、それも前回の東京ドームの時とは別人のように未完成のままステージに上がって来た状態ではなかったか。
その中でも意外にヘリンのソロが良かったが‥ (曲目が分からないが、何かのカバーソングだと思われる‥) 。
 


だがそれ以外のメンバーのソロは散々だ。
やはり事務所の力は偉大だと思わざるを得ない。その意味で、ADORはNewJeansとの仕事の区切りの最終日の2025年1月4日まで、本当に優れたサポートをして来たと感じずには居られない。
 

そして2025日3月23日をもってNewJeansは当分の期間活動を停止るつことが、ライブの最後に各メンバーの口から伝えられた。当然のことだ。
裁判は未だ序の口だ。これが始まりであり、ここからさらなる過酷な法の罰が課せられることになるだろう。私が、民衆が‥ ではなく、法の神 (霊界司法を含む) の面々が彼女たちをけっして許さない。
私もそう在ることを切望している。
 
最初は私もバニーズ (Bunnies) 以上にNewJeansのみならずミン・ヒジンの活動を応援して来たが、そういう善意の応援者を敵に回すと後に何が待ち受けているのか‥。それを存分に彼女たちは味わうべきだと、心から願ってやまない。
 
そして私は今後の状況についても、その背後に在る存在や現象に於いてもくまなく見つけ出して光を当てて行くと決めている。
私が見たことは、必ず現実の世界で実を結ぶ。良いことも、悪いことも全て含め、私はそれらを記録して神界に伝達して行く。
リラ星最後の巫女の仕事を今世にまで引き継ぐことになるとは、当の私も思ってもみなかったが、それも私のミッション。出来る限り務め上げる所存だ。

 

 

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LE SSERAFIM “KAZUHA”の表現と美声

私、Didier Merahは3月12日から14日まで、思い出の地 箱根に小旅行に出掛けていた。SNS用のプロフィール写真を1枚でも撮影出来ればと思いきや、現地は物凄い花粉の渦‥。
度重なるくしゃみの影響で、遂に二泊目の夜にこともあろうにギックリ腰を発症し、今日に至る(笑)。
 
まぁ箱根の旅について書きたいことは一旦棚上げし、昨夜YouTubeで聴いたばかりのLE SSERAFIMのKAZUHAの上品な表現と歌声に、私は完全に痺れている。
ここ数年はNewJeansを色々な方法で応援していたが、一連の事件が日に日に表面化して来る毎に彼女たちの人間性にも活動形態にも強く失望し、付け加え私の予知ではKポップ産業全体が近い将来衰退するだろうと察知しており、そろそろKポの推し活も潮時だろうと思っている。
そんな私を、Kポ産業で活躍している日本人女性の歌声の火球が直撃した🌠
 

 
YouTubeでコンスタントに配信されている『リムジンサービス』は、キャスターのイ・ムジンが好きで時々視ているが、今回のKAZUHA特集には痺れた。
 

 
何より選曲が良い。
冒頭の『Impurities』をピアノ一本でキメて来る辺り、KAZUHAの音楽性と教養の高さをモロに見せ付けて来るではないか。楽曲の大半を裏声を使って表現して行く様は、歌曲アリアを歌う手法に寄せており、動画後半でイ・ムジンがその旨を突っ込んで解説している。
そもそもKAZUHAがバレリーナを志していた女性と言うこともあり、クラシック音楽に精通していたことは当初から感じて居たが、彼女の、特に「声」の表現が身体表現を楽に超えて来た辺りは同じ日本人として心から誇りに思う。
 
楽曲が進み、私を完全に痺れさせたのが『Angel』27:11~ だった。
これは韓国ドラマ『ボーイフレンド』の劇中歌として数年前に流行ったそうだが、丁度私は自身の音楽活動が過熱して来たタイミングと重なりこのドラマを未だ視ていないが、原曲も良曲だ。
 

 
勿論原曲『Angel』も最高だが、KAZUHAのカバーが原曲を超えて来たところが圧巻だ。
彼女がもしも日本からデビューしていたら、彼女本来の能力はここまで発揮 (評価) されなかっただろう。そう思うと、日本の音楽文化水準の低さに腹立たしさを感じずには居られないが、やはり神はKAZUHAを放ってはおかなかった。
 
ただ、残念なことに今回のLE SSERAFIMのカムバック曲Come Over他‥ が何ともチープで情けなくて、音声を切った状態で映像だけを観ているとどこかストリップ性の高い下品な内容に見えて来る。そこに今回の『リムジンサービス』が体当たりでバッティングして来たことで、聴衆がどちら側の現象を真実として吸収して行くか、或いはKAZUHAの真の才能はどちら側の側面に潜んでいるのか‥、その辺りの評価の分断に対しては幾ばくかの危機感も感じてはいるが‥。
 

音楽的なことを付け加えるならば、『Angel』はどこかEnnio Morricone (エンニオ・モリコーネ) の名曲『シネマ・パラダイス』にも通ずるテイストを持つ楽曲だ。
名曲へのリスペクトがさらなる名曲を生み出したと言っても、過言ではないだろう。
 

 
何れもクラシック音楽のエッセンスを存分に含んだ楽曲を、バレリーナを志していた女性 KAZUHAがヴォーカルでカバーして行く流れは、偶然を超えた必然だ。
複数の奇跡が同時進行で動いて行くこの瞬間瞬間の出来事を、多くの人たちがありふれた出来事として見過ごして行くのが、音楽家である私にはただただ悔やまれる‥。
 

この記事の最後に、LE SSERAFIMのレパートリーの中で最も私が好きな曲『Impurities』のMVを貼っておきたい。
動画は原曲のバージョンにアクティブな映像がくっついているが、むしろ本記事の冒頭に貼ったKAZUHAのセルフカバーの方が音楽的に優れている。
 

 

ここからはほんの余談である。
私の法律に携わる家系に生まれているが最近、YouTubeチャンネル進撃のコ弁を運営する、コ・サンロク弁護士の活動に強く触発されている。
両者は方向性も手法も勿論全く異なるが、意図するところがとても近い。そして何より法解釈の緻密さに於いては、右に出る者は居ないだろう。
 
私は法の専門家ではないので適切な表記からは外れるかもしれないが、コ・サンロク弁護士の法解釈は既存の解釈は判例を法の解釈によって覆して行く可能性を感じており、それが私の音楽活動に大きな (ポジティブな意味で) 打撃を与えてくれる。
辛うじて両者が同じ星に同時に存在している事も、ただの偶然とは思えない。