ある古い知人から「日本にも素晴らしいライブがあるんですよ。」‥といきなりメールを頂いたので、そのリンクをクリックして該当メニューを応援購読。
以前深く関わりのあった女性歌手 S子さんがゲスト出演していたライブだが、正直全く期待をせずに試聴ボタンをクリック。
ピアノとフルート、男性二人のDuo演奏で開幕するが正直演奏も固くぎこちなく、何より音楽として全く美しくない。
この二人のバックに仮にどんなに世界有数のオペラ歌手が乗ったとしても、正直ろくな音楽にはならないだろう‥と言う予感が数分後、見事に的中した。
かつてマリーンがメジャー歌手からライブ歌手、つまりは夜店を毎日転々として歌い続ける歌手に転職した時のショックと言ったら、それは言葉に出来ない程だった。
名前は出せないが私の知人でかつての共演者でもある「歌手 S子」はそのクオリティーにも満たないレベルで、何より10年前よりも声の劣化が著しいことに驚いた。
勿論「歌手 S子」の表現力は夜店の客の間では高く評価はされているものの、(私の感覚で聴くに)彼女の表現は正直音楽として成立していないので、この記事ではその歌手関連の出演動画のリンクの掲載は差し控えたいと思う。
その「歌手 S子」が自信たっぷりに歌う彼女のレパートリーの一曲に「バラを探せ – Cherche La Rose」と言う名曲があるが、かれこれ15年近く前にこの作品を夜店で聴いた時には何が何やらさっぱり理解出来なかった。
以来私はこの作品の原曲にずっと触れて来なかったので夜店歌手等が一体何を歌っているのか‥、皆目見当が付かなかった。
だがやはり原曲のチカラは凄まじい。昨夜、ようやくこの作品の大まかな意味を把握するに至った。
アンリ・サルヴァドール。名前こそフランス人のそれだが、彼をフランス人のシャンソン歌手だなんて思ってはいけない。
この人の音楽の中には常に、地中海の海と潮風の香りが漂い、それはシャンソンでもフランスでもない、かと言って南米のそれとも違う無国籍かつ多国籍なニュアンスを血の中に存分に煮えたぎらせる人と認識した方が良い。
それは彼がどこにも受け入れられずに得た、ストレスに端を発するものとも言えるだろう。
この記事を書いている私がそうであるように、この独特の無国籍感(多国籍風情)のエレメントは、似た境遇とか近しい血の匂いを持つ者でなければ到底理解には至れない。
歌詞は極めて抽象的に描かれているが、要約すれば「どのような辛い境遇・逆境の中に在っても、そこに一輪のバラのような光を探し当てた者が光の扉の鍵を得られるに違いない‥」と言うような意味になるだろう。
とても哲学的な内容が描かれており、それは表層の文字を各自が母国語に翻訳しただけでは再演もコピーも出来ないほどの深い描写に到達している。
本記事冒頭でも述べたように昨夜「歌手 S子」の同曲を聴いた時、十数年前に聴いた時以上のショックを受け酷く胸糞が悪くなったので先ほど、原曲を探して記憶と情報を上書きしたが‥(笑)。
とても興味深かったのは、下に掲載するスペインの歌手・俳優・作曲家の Alfonso de Vilallonga( アルフォンソ・ヴィラジョンガ)がカバーした同曲。
特に私はこの人の表現以上に、ピアノのコード・プログレッションに夢中になった。
「歌手 S子」のライブ動画の中でも男性ピアニストが同じ曲を伴奏しているが、それはあくまで楽譜通りにコードをぎこちなく追っただけの音声に過ぎない、とても稚拙なもので表現にも作品にも至らない代物だったが、アルフォンソ・ヴィラジョンガのカバーの背後で演奏されているピアノのグラデーション・コードチェンジは圧巻だ。
フランス音楽とジャズのハイブリッドと言っても、過言ではない。勿論ヴォーカルの表現も素晴らしい。
そこはかとなくラヴェル辺りの近代音楽の香りを纏わせながら、銅線を這うようなアルフォンソの細く老いた声質の「バラを探せ」が彷徨うように心の奥の秘境を這う。
日本人歌手がどんなにベテランだ古株だなんだかんだと言ったところで、肝心要の「己はただのコピー機に過ぎない」と言うある種の謙虚さを歌手自身が持てない以上、ただの騒音に過ぎないので掃いて捨てる他の方法は無いだろう。
どっちみちシャンソンやカンツォーネに於ける日本人のコピー音源(再現)は、もはや不要だ。
本物や原曲の記録が音のサブスクリプションで堂々聴ける時代になったのだ。ならば原曲の記録だけがあればじゅうぶんだ。
万が一コピーやカバーを超えようなどと言う気概のある人が居るならば是非、わたくし 花島ダリアの辛口きわまりない音楽評論の洗礼を受けてから、先へ進むが良い。
‥と言うことで、この記事の〆には原作者 アンリ・サルヴァドールの原曲を新たに再編曲 & リマスタリングされたと思われる『Cherche la rose (Remasterisé en 2021)』をシェアしたい。
ここは好みが分かれるところだが、どこかしこにここ数年世界的に大爆発傾向にあるシティポップのエッセンスを足したような、ライトなニュアンスが私は好きだった。
ベースラインが若干重た目で、低音が骨盤を刺して来る感じの刺激がたまらない。是非本物をご堪能あれ。


