‘SPAGHETTI (feat. j-hope of BTS)’ by LE SSERAFIM (르세라핌)

ショパン国際ピアノコンクール関連の記事が未だ未完成ではあるが、毎週末の禊である「世界の音楽/ 新譜チェック」は絶対に欠かせないので、昨夜から聴いた数千曲の中でもひと際目を引いたLE SSERAFIMの新譜『SPAGHETTI』の表現評論その他を此方のブログに抜粋して書いておきたい。
それ以外の音楽紹介及び音楽評論記事は、サブブログディディエ・メラの音楽倉庫に格納しているので、是非そちらをどうぞ。
 

https://didiermerahbox.wordpress.com/

 
さて、最近やや勢いが止まりつつあるKPopから、LE SSERAFIMが一歩飛び出したような印象がある。新譜‘SPAGHETTI (feat. j-hope of BTS)’ のM/Vを見る限り、グループとしてまとまった感+宮脇咲良と末っ子ウンチェの描き方が突出して良くなった印象を受けた。
 
この曲 ‘SPAGHETTI’ はラップ部分が多く、これまで何かとヴォーカルの格差が目立っていたLE SSERAFIMの短所が綺麗にカバーされている。
又メンバーの数名が短く髪をカットし、特に宮脇咲良の表情に芯が出て来たのが印象的だ。
キム・チェヲンホ・ユンジンの二名が突出してヴォーカル力及び表現力を持っている為、両名になかなか追い付けずに居た他のメンバーがネット上でファンダムに叩かれる現象が後を絶たなかった。
そもそも人の能力にはデコボコがあるからこそそれが個性となって輝いて行く筈が、多くのファンがそれをネガティブ要因として捉えていたのはやはりHYBEの戦略ミスによるメディアのイジメ体質の誘発とも言えるだろう。
 
新曲 ‘SPAGHETTI’ 、楽曲も悪くない。
 

 
作詞/作曲にはj-hope宮脇咲良ホ・ユンジンの名前がクレジットされているようだ。

NewJeansのユニット名には「老若男女、誰からも愛される新しいジーンズのように」‥と言う名前の由来があったようだが、LE SSERAFIMの新曲 ‘SPAGHETTI’ を例えるならば「誰でも好きになるスパゲッティーのように‥」みたいな一曲と言えるだろう。
 

途中のj-hopeのラップや抜き出し方もジャンキーながらもなかなか切れが良くて、ジャンク嫌いの私でさえも楽しめる。
 

 
個人的には宮脇咲良のショートヘアが気になって、そればっかり視ていた気がする(笑)。
今回のM/Vでは咲良のショットも多く使用されており、隠れファンとしては非常に嬉しい。
 
最近色々不穏な噂がささやかれているHYBEだが、噂とは裏腹に意外に元気そうではないか。
HYBE Latinの新しいボーイズグループ「サントス・ブラボス」がデビューを間近に控えていると言う話もあるが、そちらは (これはあくまで直感ではあるが‥) 余り上手く行くような気がしない。
 


やはりKPopは韓国の産物であり、それを筋肉ムキムキの韓国 (日本含む) 以外の汗臭さ満載の外国籍のアーティストが歌ったり踊ったりしても、さほど面白くはない。
それはKATSEYEが全く面白くなかったのと同様で、今はNewJeansの活動休止の穴を複数のKポアイドルグループが埋めているような状況だと言えるだろう。
 
その中で、LE SSERAFIMは比較的頑張っている方だと思う。
 

 
この記事はこれで終わりだが、他の音楽評論記事のリンクも一部載せておきたい。⇩
 

 

 

 
毎週末に更新しているSpotifyのメインのプレイリストのリンクは此方から。


この記事で紹介したLE SSERAFIM の ‘SPAGHETTI (feat. j-hope of BTS)’ は、以下のプレイリスト Romantic Seoul 2025. 1. M-86に格納しています。


Delete NewJeans part.2

記事『Delete NewJeans』にて明言していた預言 (予言) が、一気に形を帯びて来た。

 
2025年8月22日。多くのNewJeans or ミン・ヒジンのファンにとって青天の霹靂とも思える悪い進展があった。
正直ここまであからさまに物事の輪郭がくっきりして来ると、流石に私の背後に在る存在の力を思い知る以外に考えが及ばない。

https://kstyle.com/article.ksn?articleNo=2266607
 

 
ADORのCEOがこのタイミングで突如イ・ドギョン氏に変わったことは、今後のNewJeans及びミン・ヒジンの裁判にも大きく影響するだろう。
何より私も、私の背後の存在も共に、如何なる理由であれNewJeans+ミン・ヒジンの両者6人を、今後二度と人前で活動させてはならないと思っている。理由は単純で、多くのファン (信者) を暴徒化させ世の中を混乱させるからだ。
 
私も元はBunniesだった。だが2024年の夏頃から彼女たちとその周辺に異変と狂気を感じ、東京ドームのコンサートが開催される辺りから、それまでずっと当てて来た彼女たちへのを完全に消した。
私が光を当てれば、対象者は必ず世に躍り出る。これは私が幼少の頃からずっとそうだったので、私をよく知る人ならばNewJeans以外にも幾つかのグループを思い浮かべることが出来るだろう。
 
あちらの5人もこちらの5人も、どうにもならない状況だ。
光を当てた本人としては少々心苦しい現状とは言え、私なりの後始末を完結させなければいけない。これはミッションを持つ者の責務であると心得ている。
 
 
さて、未だ個々の戦いは続き、おそらく何れも長期化する見込みだ。勿論損害金及び違約金は莫大な額に至り、それにともなう償いは一生を掛けても終わりを見ることはないだろう。
私も都度都度体調を壊しながらも、仕事は遂行しなければならない。
覚悟を決め防備を固め、背後の存在と共に次の負荷を掛けて行く。
 

NewJeansは良い楽曲を沢山持っていただけに、予想される最悪の結末はとても残念に思う。

 

許さない

昨日 2025.6.17は物々しい一日だった。隣国にてNewJeansに対し厳しいジャッジメントが下され、SNSが騒がしかった。


引退か和解か。それより温情に満ちた裁判所の判決文が、印象的だった。
だが私と自然神の祈りは、この5人を二度と社会に復帰させないこと。なので自然神は裁判所が醸し出す温情豊かな文書に対し、強く疑問を投げかけた。

うっかりADORに、彼女たちの一人でも戻さないように祈るのみ。
憎悪を超えた怒りが如何なるものか、彼女たちはそれを思い知らなければいけない。
許し難い罪を犯した者たちに、温情は無用。私も自然神もその点では一致している。

 

おそらく5人は、事務所とは和解をしないだろう。そうあって欲しいと、私も自然神も祈りを強めるのみ。
歴史から彼女たちの痕跡を消すこと、それが霊界司法の決定事項であれば尚更のこと‥。

 

(スマホから投稿 📱)

Delete NewJeans

これはSNSでは余り大っぴらには出来ないがこの半年強の期間、私は「闇に光をあてる」と言うミッションに取り組んで来た。このミッションは私の単独ではなく背後に宇宙精霊の存在が在り、彼の仕事を私が補助すると言う連携で成り立っている。

NewJeans、ミン・ヒジンやTokkis、或いはTeam Bunniesは徒党を組み、世論を操作してやりたい放題やって来た。その結果、彼らにとっては不都合かつ善良な認識を持つ多くの人物のSNSのアカウントを永久的に凍結させる活動を推し進め、おそらく私のXの職業用のアカウントもそのトラップにハマり、凍結された。

2025年1月中旬の出来事だったが、そこから世論が完全に反転する迄には数ヶ月間を要した。

 

彼ら (NewJeans、ミン・ヒジン、Tokkis、Team Bunnies etc.) の動向をこのまま放置しておいたら何れどこかの時点で流血騒ぎに発展する危険性を、多くの人たちが感じていたことだろう。なので私は昨年末の段階で、ミッションに着手した。

ミッションの内容の詳細はここでは話せないが、つまり「私が光をあてた対象が必ず世に大きな結果を出す」ことの経験の反転作用に着目し、ネガティブ・ミッションを発動させた。 

 

現在世論は大きく反転し、法を破ることに何の罪悪感も持たないアイドルグループを大勢の人たちが危険視し、世の中から消す活動に、大勢の元NewJeansファンや元Bunniesたちの感覚や意識も変化した。

ここまで来る間に私は何度も体調を崩し、得体の知れない呪詛に遭い、霊体にも支障を来して来たが、何かの弾みなのか昨日辺りから色々諸々復活の兆候を感じている。 

 

 

 

ここ数日NewJeans周辺が再び騒がしくなっているが、NewJeansに対する応援の声が激減したように思える。特に韓国国外の元NewJeansファンの声が、かなり厳しい内容に変わって来たようだ。

 

これまでは私が「闇に光をあてる」ことでかなり強い負荷を掛け、NewJeansやミン・ヒジン周辺の烏合の衆の動向やその流れをねじ曲げるよう働きかけて来たが、段々とマンパワーに託せる段階になって来た。ここからは、流れに任せても良い段階に入って行くのではないかと感じている。 

 

5月後半からは訴訟の嵐がふき荒れる見通し。人の心と裁判とは回答の導き出し方が若干異なるものの、大勢の人々の中に「NewJeansをこの世から消さなければならない」と言う認識が固定化すれば、それが決定的な結果を導き出してくれるに違いない。

NewJeansを取り巻く人々が自らの意思で、彼女たちの活動や再帰を許さない‥。その意識の流れがかなり強固になって来たようだ。

 

そう願って止まない。

 

(スマホから投稿 📱)

「ヒジンの乱」 – NewJeansとオウム真理教の共通項を説いた動画 (법원 따위 개무시하는 뉴진스, 막장 행보 예측)

この半年間のK-Pop事情を静観して来た私 (& 夫) が最も危惧している事が、先ほど或るYouTubeで詳しく解説されていました。
既に私のXの [Didier Merah] 名義のアカウントが (恐らく大量通報の呼びかけによる理由で) 或る日、いきなり凍結した為、現在稼働しているサブアカウントでは殆ど何もつぶやけなくなりました。
 
確証が無いのですが、私の名前を用いて多くのXユーザーに通報を呼びかける旨のポストを目撃した人物が二人、存在します (私は見ることが出来ませんでした) 。
[現在該当のポストは削除されていると言う話でしたが‥。]
その中の一人は、上記に触れた現象にとても似た理由でやはりXのアカウントを凍結に追い込まれました。その状況が某バニーズ関連の「活動報告」として、公開されていました。
 

何より私が最も危惧していることは、ミン・ヒジン ADOR元CEOを教祖とし、その弟子格にあたるNewJeansを頂点としたカルト集団が形成されつつあることです。
仮に上記の集団を「バニーズ・カルト (Bunnies Cult)」とします。
ミン元代表とNewJeansの5人及びその周辺で蠢くバニーズ・カルト団体は、近しいイエスマン以外の全てを「外敵」とみなし、外敵と戦う姿勢を崩していません。私から見れば法律 (司法) の側が正しい判断を下していると思いますが、NJZの少女たちからすれば「法が間違い」だと考えているようです。
 

このまま彼女たち5人のうさぎとミン・ヒジンの鎖を繋いだまま野放しにしておいたら、何れ大きな流血騒動に発展しかねません。
現在ではバニーズ・カルトの面々が気に入らないSNSのアカウントを通報し、凍結して回っているに留まっていますが、かつてのオウム真理教がそうであったように彼らがいつかどこかでオウムがそれを手にした時のように、危険物を手にするとも限りません。
なぜならば、現行で進んでいる裁判の結果が火を見るよりも明らかで、ミン・ヒジンとNewJeansには全く勝ち目がないからです。
 
正しい判断を「敵視」するマインドは、ミン・ヒジンの洗脳により培われたものでしょう。そうでなければ5人のうさぎたちの精神状態や判断力に、支障 (不具合) が出ているとみなす方が正常です。
 
上記の件について私は今日まで黙って口を閉ざしていましたが、韓国国内に近い考えを持つ人の発信した動画を観てあらためて、背筋が凍り付きました。
日本の私たちに見えているものと韓国国内が見ている『ヒジンの乱』とは、若干光景が異なるのではないかとも感じました。
 
但し該当の動画ではシャーマンそのものを危険視する内容が含まれていたので、その箇所だけは共感も賛同も出来かねますが、概ね見えている世界が近いと感じましたので、この記事に動画のリンクを貼っておきます。
 

LE SSERAFIM “KAZUHA”の表現と美声

私、Didier Merahは3月12日から14日まで、思い出の地 箱根に小旅行に出掛けていた。SNS用のプロフィール写真を1枚でも撮影出来ればと思いきや、現地は物凄い花粉の渦‥。
度重なるくしゃみの影響で、遂に二泊目の夜にこともあろうにギックリ腰を発症し、今日に至る(笑)。
 
まぁ箱根の旅について書きたいことは一旦棚上げし、昨夜YouTubeで聴いたばかりのLE SSERAFIMのKAZUHAの上品な表現と歌声に、私は完全に痺れている。
ここ数年はNewJeansを色々な方法で応援していたが、一連の事件が日に日に表面化して来る毎に彼女たちの人間性にも活動形態にも強く失望し、付け加え私の予知ではKポップ産業全体が近い将来衰退するだろうと察知しており、そろそろKポの推し活も潮時だろうと思っている。
そんな私を、Kポ産業で活躍している日本人女性の歌声の火球が直撃した🌠
 

 
YouTubeでコンスタントに配信されている『リムジンサービス』は、キャスターのイ・ムジンが好きで時々視ているが、今回のKAZUHA特集には痺れた。
 

 
何より選曲が良い。
冒頭の『Impurities』をピアノ一本でキメて来る辺り、KAZUHAの音楽性と教養の高さをモロに見せ付けて来るではないか。楽曲の大半を裏声を使って表現して行く様は、歌曲アリアを歌う手法に寄せており、動画後半でイ・ムジンがその旨を突っ込んで解説している。
そもそもKAZUHAがバレリーナを志していた女性と言うこともあり、クラシック音楽に精通していたことは当初から感じて居たが、彼女の、特に「声」の表現が身体表現を楽に超えて来た辺りは同じ日本人として心から誇りに思う。
 
楽曲が進み、私を完全に痺れさせたのが『Angel』27:11~ だった。
これは韓国ドラマ『ボーイフレンド』の劇中歌として数年前に流行ったそうだが、丁度私は自身の音楽活動が過熱して来たタイミングと重なりこのドラマを未だ視ていないが、原曲も良曲だ。
 

 
勿論原曲『Angel』も最高だが、KAZUHAのカバーが原曲を超えて来たところが圧巻だ。
彼女がもしも日本からデビューしていたら、彼女本来の能力はここまで発揮 (評価) されなかっただろう。そう思うと、日本の音楽文化水準の低さに腹立たしさを感じずには居られないが、やはり神はKAZUHAを放ってはおかなかった。
 
ただ、残念なことに今回のLE SSERAFIMのカムバック曲Come Over他‥ が何ともチープで情けなくて、音声を切った状態で映像だけを観ているとどこかストリップ性の高い下品な内容に見えて来る。そこに今回の『リムジンサービス』が体当たりでバッティングして来たことで、聴衆がどちら側の現象を真実として吸収して行くか、或いはKAZUHAの真の才能はどちら側の側面に潜んでいるのか‥、その辺りの評価の分断に対しては幾ばくかの危機感も感じてはいるが‥。
 

音楽的なことを付け加えるならば、『Angel』はどこかEnnio Morricone (エンニオ・モリコーネ) の名曲『シネマ・パラダイス』にも通ずるテイストを持つ楽曲だ。
名曲へのリスペクトがさらなる名曲を生み出したと言っても、過言ではないだろう。
 

 
何れもクラシック音楽のエッセンスを存分に含んだ楽曲を、バレリーナを志していた女性 KAZUHAがヴォーカルでカバーして行く流れは、偶然を超えた必然だ。
複数の奇跡が同時進行で動いて行くこの瞬間瞬間の出来事を、多くの人たちがありふれた出来事として見過ごして行くのが、音楽家である私にはただただ悔やまれる‥。
 

この記事の最後に、LE SSERAFIMのレパートリーの中で最も私が好きな曲『Impurities』のMVを貼っておきたい。
動画は原曲のバージョンにアクティブな映像がくっついているが、むしろ本記事の冒頭に貼ったKAZUHAのセルフカバーの方が音楽的に優れている。
 

 

ここからはほんの余談である。
私の法律に携わる家系に生まれているが最近、YouTubeチャンネル進撃のコ弁を運営する、コ・サンロク弁護士の活動に強く触発されている。
両者は方向性も手法も勿論全く異なるが、意図するところがとても近い。そして何より法解釈の緻密さに於いては、右に出る者は居ないだろう。
 
私は法の専門家ではないので適切な表記からは外れるかもしれないが、コ・サンロク弁護士の法解釈は既存の解釈は判例を法の解釈によって覆して行く可能性を感じており、それが私の音楽活動に大きな (ポジティブな意味で) 打撃を与えてくれる。
辛うじて両者が同じ星に同時に存在している事も、ただの偶然とは思えない。

正義と法 – NewJeansの件に対する所見メモ

私は今日、泥の様に眠っていた。‥と言うのも私が当てた光があちらこちらで化学反応を起こし始めたので、それが私の霊体に疲労としてフィードバックを開始したからである。

先ず韓国の音楽団体が共同で声明を出す会見があったこと。
次にNJZ (旧 NewJeans) が『公式アカウント』を名乗り各SNSに独自チャンネルを開設したこと、その他色々。

 
世論や法律を悪用したり抜け穴を利用して脱法的な行動を起こす、その様な人々を私は個人的に容認出来ない。 特にNewJeansに関しては本人たちやご両親等が『奴隷契約』を叫んでいる様だが、あなたたち一体幾ら貰ったんだよ!と言いたい。
 
仮に (NewJeans側) 奴隷契約に関して正当な理由で世に訴えたいならば、自身の活動でこれまで得た収入を全額返金してから物申すべきだ。
 

奴隷とは自身の労働や仕事に対価を得られない身分を指す言葉であり、かれこれNewJeansの場合は契約金だけでも5億円を下らないとも言われている韓流アイドルグループであり、おそらくきっちり給料も得ている筈。


本当の自由とは、意外に不自由である。だがその不自由さの中でも知名度や信頼度を得て、成功を収めた音楽家やタレントは実在する。
NewJeansがそうした自由度の高い活動を切望するのであれば先ず、必要最低限誰の資本にも頼らず自身の収入の中で活動費用を捻出し、その能力を世に問うべきだ。
 
勿論スタッフや作曲・作詞等・サウンドメーカー~振付師等を雇うことその他、全てに於いて自力で得た収入の中で行うことが原則である。
自由とはつまり、そういうことを指す。


タンパリングに関しては、私にとっては未知の領域なので法的な解釈は出来ない状況である。
だが通常の状態であれば、自身の存在を拡大拡張してくれた事務所や企業に対するリスペクトの精神は絶対必須であり、不満ならば正当な手順を踏んで契約解除ないしは独立すれば良いだけの話だ。
今回、NewJeans本人たちは「正当な手順を踏んでADORとの契約解除に至った」とは言うものの、聞くところによればADORとの一切の話し合いをNewJeansが拒んだとの声も伝わって来ており、その状況で一方的な会見を開催する形での契約解除は、誰が見ても「不当」と言わざるを得ない。
 
ADORとNewJeans間で話し合いのテーブルが設けられなかった理由の一つとして、ミン・ヒジン元ADOR代表の強い洗脳或いはNewJeansの5人のミン・ヒジン信仰のような状況も挙げられるかもしれない。
だが、何れにせよADORが公式のSNSを通じてNewJeansの5人へ何度も対話を持ち掛けていた状況がある限り、その要求を無視した状態に於いて発動された「是正要求」が果たして法的かつ論理的に通用するかどうかは、甚だ疑わしい。
 
私が個人的に最も許せないと思うことは、Team Bunniesやらtokkisを名乗るファンダムが彼らの気に入らない個人や企業の悪評を流布し、法の悪用をもってSNS等で通報誘導 (教唆) 等を行う悪質なマインドだ。
 

さらに付け加えるならば、「郷に入れば郷に従え」の精神は芸能活動に於いても適用されるものだと、個人的には考える。
K-Pop産業に身を置いたその瞬間からその人物 (歌手やクリエイター等の表現者全般を含む) たちは、良くも悪くもK-Popと言う「郷」に所属する身分である。その郷が仮に闇の要素をふんだんに孕んだ領域だとしても、アーティスト自身が契約書に署名した段階で既に「郷」の一員であることを忘れてはならない。
 

勿論法の闇、法の網等の盲点は日々更新され続けるべき問題であり、その点に於いては企画会社やHYBEやADOR等の大企業に於いても日々の企業のあり方を綿密に精査し、改善して行く努力を怠ってはいけないだろう。
‥だとしても、NewJeansの一連の事件は行き過ぎだ。
 
特にファンダム (或いはファンダムを名乗る火消し的な存在も含む) の質の低下、及び悪化は看過出来ない。
何よりファンダムと言う団体が特定のアーティストの応援・支援の枠を超えた (例えばそのアーティストに不利益になる他の個人や企業を名指しし、世論に悪評を働きかけたり、該当のユーザーが所有するSNSのアカウントに関する通報教唆を行う等) 悪質な活動に、手を染めてはならない。
 

私は今日、泥の様に眠っていた。‥と言うのも私が当てた光があちらこちらで化学反応を起こし始めたので、それが私の霊体に疲労としてフィードバックを開始したからである。先ず韓国の音楽団体が共同で声明を出す会見があったこと。次に #NJZ が『公式』を名乗り各SNSに独自チャンネルを開設したこと、その他色々。世論や法律を悪用したり抜け穴を利用して脱法的な行動を起こす、その様な人々を私は個人的に容認出来ない。特に #NewJeans に関しては本人たちやご両親等が『奴隷契約』を叫んでいる様だが、あなたたち一体幾ら貰ったんだよと言いたい。

Didier Merah (ディディエ・メラ) (@didiermerah.bsky.social) 2025-02-27T13:37:19.747Z


私のXのメインアカウントがある日突然機能不全 (つまり凍結) に陥った、ほぼ数日後に、それまで順調に運行していた [@AespannJeans] のアカウントが削除された。
NewJeans側の視点からの意見では、上記ユーザーはNewJeansの活動に不利益な情報を大量に発信していたと言う話だが、私が [@AespannJeans] のポストを読んでいる限りそのような状況ではなかった。
一連のポストは極めて法的・論理的な解釈に基づいてNewJeansの一連の事象に於ける見解を綴っており、明確でとても分かりやすい内容でまとめられていた。
 
だが後日、Team Bunniesの活動報告として、Xのアカウント [@AespannJeans] が削除 (凍結) された件に対して武勇伝のようにその現象を拡散していた点には、遺憾と違和感を感じずには居られなかった。
 

 
某YouTubeでも取り上げられていたが、NewJeansの楽曲をヒットチャートから除外する件の密談があったとかなかったとか‥。
 
これは私の個人的な主観だが、私の周辺のtokkisの複数から『Apple MusicやSpotify等を就寝中も稼働させ、NewJeansのアルバムを音量ゼロの状態で視聴の状態にして再生回数を稼いで応援している』と言う実話を、実際に聞いている。
私にもそうしろと言わんばかりにオススメされたが、そんな状況で維持されているヒットチャートのランクは消えてなくなるべきだと私も思う。
 
確かにADORやHYBEにも問題は山積みかもしれないが、少なくともHYBEの巨額な投資があってこそのNewJeansの成果である点は絶対に無視してはいけないだろう。
勿論ミン・ヒジンの才能も私は個人的に高く買ってはいるものの、人間性に問題があり過ぎる。K-Popに於ける全てのオーパーツを自分の手によるものだと言う豪語を止められないのはひとえに、彼女の病的な承認欲求が原因だ。
 
作品は発信者の手を離れた段階で、受信者の内面的な資産となるものだと私は常々感じている。
その観点をミン・ヒジンは完全に放棄しており、それがこの一連のNewJeansの乱‥ 『ニュジの乱』及び『ヒジンの乱』の発端だ。
 
元々K-Popが闇の産物、闇の産業である件は、今に始まった話ではないだろう。それをNewJeans 対 ADOR (HYBE) の件だけが特別ブラックな出来事のように取り沙汰すNewJeans及びその関係者の弁は、ただの詭弁に過ぎない。
 

良質な作品を初期のNewJeansやミン・ヒジンが輩出していただけに個人的にはとても残念な一件だが、「社会性やルール、モラルを無視しても有名人ならば許される」等と言う前例が生み出されてはならない。
 

※あくまでもこれは個人的な主観であり、一個の人間や企業の誹謗中傷や人格否定を一切含まない。

 

Hearts2Hearts ‘The Chase’ – 新たなる挑戦状

SMエンターテイメントから5年ぶりに輩出された韓国のガールズグループ “Hearts2Hearts” が、デビューEP “The Chase” をお披露目した。
ざっと楽曲を聴いたところこれまでのKPopにありがちな音でもなければ、NewJeansの劣化版と言う感じでもない、若干風通しの良いサウンドが展開された印象を持った。
 
それもその筈。作曲者欄には二人のイギリスのソングライター等の名前が表記されている。
 

Lauren Faith: 作曲/ 編曲/ プロデュース 🇬🇧
Hannah Yadi: 作曲 🇬🇧


EPには2曲が収録されており、先にタイトルチューンの “The Chase” がMVでYouTubeから配信されている。だが私はタイトル曲 “The Chase” よりももう一曲の “Butterflies” の方が個人的には好みだ。
 


印象としてはやはり華の薄い8人と言う感じだろうか。皆そこそこ美人で顔立ちは整っており、声質もヴィジュアライズも上手く整えて切り揃えられているが、兎に角誰一人突出したものを持ち合わせていないのがかなり大きなデメリットとも言える。

楽曲面で印象的に感じたことは、冒頭からずっと継続する同じベースライン (オルゲルプンクト) の上にグラデーションで移り変わるコードプログレッション‥。
さらに本曲ではコーラスパートがかなり細かく組み立てられており、どこかしこにマイケル・ジャクソンが多用したコーラスワークを感じ取ることが出来て、聴く人が聴けばそこに懐かしさを感じる作りになっている。
だが、それだけなのだ、良くも悪くも。
 


SMエンターテインメントが満を持して粛々と準備を整えて、NewJeansに逆風が吹き始めたタイミングで世に放った8人‥ と言う意気込みは感じられるものの、特に突出した「売り」や方向性が感じられないのはやはり、素材の華の無さゆえなのだろう。
 
先行シングル曲 “The Chase” の背後には先に書いたようにマイケル・ジャクソンの吐息の他に、ケイト・ブッシュや Robbie Nevil のエッジを想起させる音列が見え隠れする。恐らく “The Chase” を作曲した作曲家両者が強く影響を受けたのが、その時代のサウンドではないかと推測出来る。
 


特に “The Chase” のコーラス部分を聴いてふと思い立ったのが、マイケル・ジャクソンの “Blood on the Dance Floor” だったが、皆さんはどう思われただろうか?
 


むしろここまで想像や憶測を膨らませた後にあらためて “Hearts2Hearts” のデビュー曲 “The Chase” を聴くのは、かなり危険だ‥(笑)。
私は既に脳内でマッチングシステムが発動してしまったので、比較・検証の衝動を止められなくなっているが、そのマインドで“The Chase” を聴くとただただ緩くて緩慢で、食い足りなさ以外の何も感じることが出来ない状況だ。
 
まぁ”Hearts2Hearts”の方はマイケル・ジャクソンのダンサブルなテイストからごっそりエッジを抜き取った「お花畑ダンス・ミュージック」なわけだし、なにせKPopと言うジャンルの中に一先ず収まった状態で世に放たれたわけだから、ストイックに出来栄えを世界の最高峰に底上げすること自体無謀な話であるが‥。
 
“The Chase” を聴く限り、SMエンタ側は恐らく “Hearts2Hearts” をKPopの籠の外に羽ばたかせようとしているように、私には感じてならない。グローバルKPopとも言うべき企画なのか‥、もしもそうだとしたらそれは余り上手く行かないだろう。
とは言えSMエンタの技術をもってすれば、作りに作り込めばそれも可能ではないとは言えないが、かなり無謀な挑戦だ。
 

 
付け加えるならば、“The Chase” のMVの冒頭に突如映し出されたアルパカの画像、NewJeansのファンダム「Bunnies」に対する挑戦状のように見えて来る。
“Hearts2Hearts”のファンダムがまさか「Alpacas」‥ とか言うネーミングにならないとも限らず、可愛い動物たちがこうしてKPopのライバル争いに巻き込まれて行くことは本意ではないのだが、どうも私の予感はこれまでもかなり高確率で的中して来た経緯があるので、不安が尽きない。
 

本記事の最後に、“Hearts2Hearts”“The Chase” のパフォーマンス動画と、その下にSpotifyのEPのリンクを貼っておく。

(※この記事を綴っている最中にマイケル・ジャクソンのBlood on the Dance Floorをリピートで聴いてしまったことを今、痛く後悔している。)

 

 


関連記事:

“Bubble Gum” – NewJeans (思い出作りの始まり)

2024年5月に正式にリリースされたNewJeansの “Bubble Gum” は、日本では同年3月に某シャンプーのCM曲として世界で最初にお披露目された。
私の記憶が正しければ、日本で最初にこの楽曲が紹介された時の歌詞は大半が日本語で構成されていた。だがその後 (ヘインの怪我により) 4人でパフォーマンスされた時には、その部分がごっそり英語と韓国語に変わっていた。
 

 
この曲も冒頭はハニ (Hanni) のヴォーカルでスタートするので、楽曲が華やかに聴こえる。
そもそもこの曲に関してはさほど派手な曲ではなく、NewJeansの持ち曲としては地味な部類かもしれない。ミディアムテンポでメロディー構成は緩め。

とは言えPVのインプレッションは強く、きらきらと光る波に相反してNewJeansのメンバーが古びたフィルムに映り込んだ思い出のシーンのように表現されているので、むしろもの悲しさを感じてたまらない気持ちになる。
この独特なもの悲しさを見事に映し取ったミン・ヒジンの才能を、あらためてまざまざと感じた作品だった。
 

既にこの頃からADOR 対 ミン・ヒジン、ADOR (HYBE) 対 NewJeansの戦いは始まっていたが、むしろ私が気になったことと言えば、丁度この頃からミン・ヒジンもNewJeansの5人も大きなステージを意識した活動に固執し始めたことの方だった。
大舞台でスポットライトを浴びて、そこに大勢のファン (バニーズ) 等の声援が飛ぶ独特な環境は、その後の彼女たちの精神を急速に蝕んで行ったように思う。
 

 
ミン・ヒジンの海を切り取った映像は、抜群に美しい。

彼女は時を超えてここに来た存在だ。それは彼女自身すら気付いていない真実かもしれない。
だが別の映像を見た時に、私は彼女の転生に気が付いた。その事を勿論本人は知る由もないが、今のミン・ヒジンを見ているとかえって自身の魂のルーツを知らないでいる方が良さそうな気もする。
 

傲慢な言動、闇に堕ちたと言っても過言ではないミン・ヒジンの最近の言動は、歪んだ自信に基づくものかもしれない。その過信を脱ぎ捨ててしまえばそこに才能の輪郭だけが浮き彫りになる筈だが、もう時すでに遅し‥。
思い出ノートは全て書き終えた。
丁度この作品 “Bubble Gum” がリリースされた頃からNewJeanz (ミン・ヒジン含む) の思い出作りが加速し、東京ドームのコンサートで彼女たちはその頂点を迎えたようだ。
 

日本の5人と韓国の5人、‥それぞれの形で彼ら自身も終焉を間近に控え、各々の音楽業界やメディア等全てを巻き込みながら、世界が急激に変わろうとしている。
この曲の “Bubble” ~風船のように、それは高く高く上がって行くがいつかどこかで割れて壊れてしまう。その残骸はあとかたもなく波間のやわかな泡となり、押し流されて、いつかひっそりと海の底で眠りにつくのだろう。
 

“Ditto” – NewJeans 🇰🇷 (PVに隠された暗示)


2022年12月19日にYG PLUSを通じてADORから配信された、NewJeansの大ヒット曲。
最初ヘインのスキャットを経て、Aメロの冒頭をハニ (Hanni) が担当する辺りはどこか、今の世情とは異なり明るく希望に満ちていて健康的だ。

それまでのKPopのガールズ・グループの陰鬱かつヒール (悪役) のイメージを、この一曲が完璧なまでに塗り替えた。
この曲の出現でKPop界隈は、二度と『NewJeans以前』には戻れなくなったと言っても過言ではない。

一方このPVの演出はどこか不穏が隠れており、特に ‘Ditto’ Official MV (side B) には死の影を思わせる演出が随所に施されている。
(※監督: シン・ウソク)
 
NewJeansの各楽曲のサウンドメイクの特徴は、重たいドラムを使わない点だ。
一説には当時のNewJeansの楽曲選びの際、ミン・ヒジン氏からは様々なリファレンスの楽曲が提示され、その大半が日本のシティーポップだったと言うから、NewJeans以降の新しいKPopの原点はJPopだと言っても過言ではないだろう。
 

ダイエットをしない。
緩いダンスで誰にでも踊れそうな振付が付いている。
高音を地声で張り上げない、声帯に負担のない発声でメンバーが交互に歌って行く。
楽曲とは一見無関係な可愛い衣装が多いが、何を着てもNewJeansカラーに仕上げて行く。

何よりコロナ禍の最中に一曲につきかなり多くのPVがリリースされ、引き籠り族を存分に楽しませる企画が活きていた。

 

その後、NewJeansはこれまでには類を見ない攻め方をして来た新世代のガールズグループとして一世を風靡する直前で、残念ながら既存の「ファンの目線とステージライトを浴びてパフォーマンスを行う」だけの、至って平凡なKPopガールズグループに転落して行った。
 

現在のNewJeansは「ADORと契約解除をした」と言い張り、独自の活動を行うニュータイプのアーティストの体 (てい) を取ろうと必死になっているが、最近では (ADORの旧CEO) ミン・ヒジンのタンパリング疑惑が表沙汰になり、闇深いミン・ヒジンの洗脳でがっつりマインドを拘束された彼女たちはもはや自力で暴走を止められなくなった。

曲が作れるわけでもなく、振付を生み出せるわけでもなければ各々がタレント活動以外の音楽の基礎を持たないのであれば、彼女たちはそう遠くない日に大衆から忘れ去られて行くだろう。

私は元バニーズだったが、今は違う。社会のルールを守らずに身勝手な状況解釈によって暴走し続けるうさぎは、いつか必ず高い崖の上に追い詰められて行くことになる。

まるで ‘Ditto’ Official MV (side B) に描かれている「学校の屋上から落ちてこっぱみじんになったビデオカメラ」がそれを暗示するようで、仮に彼女たちがいずれ莫大な損害金を背負うことになったとしても、シン・ウソクが描いたこの曲のPVが現実にならないようにと祈るばかりだ。

 

 

 

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