人の意識が作る森 (The Forest Created by Human Consciousness)

地球の自然神たちは今、人類をこんな風(ヘッダー写真参照)にすべきか否かについて最早迷うことすら無くなった。 何故なら既に地球上の多くの木々や大自然が、人間たちによって豊かな血肉を引き剥がされたからである。
『次はお前たちの番だ』と自然神たちは皆、そう思っている。
 

だが自然神の中にも人間と親和性の高い存在が在り、例えばその一人がギリシャ神話の神『ゼウス』だったりする。 ゼウスは人の形状で描かれることが多いが、現在は殆ど自然神に近い状態で実在している。
 


自然神「ゼウス」は自然神でありながら、霊体の思考は人類及び文化・文明の発展と同調しており、全くの自然神がこの地球を原始時代の段階までリセットしようと試みようとしているのとは逆に、ゼウスは地球の文明のリセットには猛反対の意思を示している。

双方共に「自然神」であるがゆえに、意識同士の長期的なせめぎ合いが続いているようだ。
 

過去世で人間の経験を持たない自然神と、人間を経験した自然神とは似て非なる存在。 思考形態も異なる。

ゼウスは自然神だが、例えば天照大神は過去世で人間の経験を持つ神である。同じ分類に武甕槌(タケミカヅチ)や木花咲耶(コノハナサクヤヒメ)等も含まれるが、木花咲耶に於いては微妙な立ち位置に在り、元人間の神に視える時と自然神に視える時とが在るように私は感じている。
 

 

特に2021年春以降、多くの人々が新型コロナワクチンの副反応又はシェディング等の理由により命を落としている。
2022年以降になると新型コロナワクチン接種時期から期間を経て、接種者の体内で増産され続けているスパイクタンパクが新型コロナウィルスとは一見関係性の無い別の病状を発症させることによる「突然死」が急増している。
 

当初私は「新型コロナワクチン」に於ける危険性を訴える内容の発信を幾つかのSNSで行っていたが、自然神等の助言によりその警鐘の発信を止めている。

自然神は度々、私たち人類に反省と再起の機会を与えてくれた。それを私は「自然神の執行猶予」と認識し、その旨に於いても2022年初春頃までは頻繁に著述し発信して来た。
 

思うに人類は好き放題やり過ぎたのだ。レジャーや娯楽にかこつけて飛行機には乗り放題、高速で地上を行く爆音型鉄道を減便するどころか、あれだけ強い縛りを掛けられた幾度かの自粛期間が過ぎれば又「元の消費生活」に誰もが戻りたがった。

結局新幹線も飛行機も往復し放題で、そうした文明社会の負の要因を一つも改めようとはしなかった。
そこに色々な要因が重なり合って発生した「新型コロナウィルス」に端を発するパンデミックや強制自粛、その後人類史上類を見ない程の危険なワクチン兵器が地球全体に包囲網を広げ蔓延し、人類は同種族間で互いをけん制し合いながら結果的には集団殺戮のような状況に陥ったまま現在に至る。
 

 

やはり人類は一度、植物や森、或いは樹木としての生命を経験すべきである。
人間として生きる数十年ではなく、人間の思考を持ったまま植物や木として生まれ変わり、『自発的に動けない体』を纏いながら数百年~数千年を生きるのだ。
その時初めて現在の私たち人間が大自然に対してやって来たことの惨さや非情さについて、それを全身で感じることになるのだろう。

自発的には動けない体のまま思考や皮膚感覚だけで生き続ける数百年から数千年が、人から生まれ変わった木々たちにとってどのような意味をもたらすことになるのか‥。
想像力や共感能力を著しく劣化させてしまった多くの現代人たちは、「ただ立ち尽くして生き続ける経験」を自然神側に課せられるようなことでも無ければ自然や環境を思い遣る機能すら持たないわけだから。
 

その意味で私は、危険極まりないmRNAワクチンから人類の身を守る発言を一切合切止めてしまう道を選択した。
多くの意識劣化民族たちをこのまま生存させておくよりも、彼等が自分の意思で「death」側の未来を選択してこの地上を後にして貰う方が、その先の人類と地球環境にとって余程穏やかな結果を導き出せる筈。

 
勿論私は「生き残る」側の道を最初から選択して生きているので、危険なワクチンも接種していないし虫も食べない。

十数年後~百年後の未来には、騒音爆音型の音楽の大半が地上から消滅しているだろう。

私は今生きて血気盛んに活動している人々には、最早話し掛けたいことすら無くなった。
このパンデミックの後、地上の人口削減が加速した後に生まれて来る新たな人々に、私の思いやミッションをバトンタッチする為に、これからは特に注意深く自分自身を労わりながら生き延びて行く方法を模索するのみである。
 

Silvia Pérez Cruz – Nombrar es imposible (Mov.5: Renacimiento)

シルビア・ペレス・クルスは、現代カタルーニャ音楽を代表する歌姫だ。職歴欄には「40才の歌手・女優」と書かれてある。

どういうわけか私は歌手が歌う歌よりも、女優が描く音楽の世界が昔から好きだった。

女優と言う生き物はどのような世界に居る場合に於いても、どこか一歩引いた俯瞰目線を持っているように思う。その「一歩引いた感覚」が歌手にありがちな強引でエゴイスティックな表現からうんと遠ざかり、「いつでもこの世界から私は逃げ出せるのよ‥」とでも言うような、ポジティブな意味合いでの「引き」の表現がきっと私にとっては心地好いのだろう。

そんな彼女 Silvia Pérez Cruz(シルビア・ペレス・クルス)が2023年3月3日に配信した動画 『Nombrar es imposible』 がとても美しい。
  

 
『Nombrar es imposible』 のMVは、ハバナ(キューバの首都)を舞台に繰り広げられる。
忙(せわ)しさとは一線を画したこの動画の中の時の流れが、兎に角心地好い。少しノスタルジックにカラグレされた動画の彼方には今ではない、どこか過去の思い出の中にしか存在しないような海や街の風景が広がって行く。

それらはもうどんなに頑張ってもあがいても手に入れることの叶わない、遠い時代の夢を見ているように美しく居心地が好いのだ。

シルビアはスペイン出身の歌手だが、よく聴いているとどこかフォルクローレとかアルゼンチン・タンゴ等のエッセンスを感じてならない。
この曲では分からないが彼女の過去作品を捲ってみると、特にフォルクローレ色の強さを感じる幾つかの作品に出会うことが出来る。
 

 
音楽は、極力先入観を捨てて聴くことが望ましい。

例えばこの歌手 シルビア・ペレス・クルス の生い立ち等を含む人物情報を先に頭に叩き込んでから彼女の作品に接すれば、どうしても先に文字で読んだことが脳裏をもたげるから彼女の作品はリスナーの中で頑固に「スペイン音楽」と言うフィルターの執念に、結局のところ振り回され続けるに違いない。

私は彼女の生い立ちについての情報を、この記事を書き始めるまでは一切読まずにいた。勿論シルビアの音楽に触れるのは今日が初めてだったので、それが出来たのかもしれない。

だとしてもどこどこの国の何と言うジャンルを演る人‥ 等と言う先入観が時として、音楽を正確に把握する上では仇となることが多いわけで、私は音楽評論家として知識よりも感覚を重視しながら評論する数少ない音楽評論家の一人で在りたいので、したり顔で知識人ぶらないことに決めた上で、今日に至る。
 

 
今私は上に掲載した彼女の過去アルバム『Farsa』を聴きながらこの記事を執筆しているが、M-12intemparieはどこか美しい表現に凄まじさが加わって激しい。
バックは何と、フレームドラムだけ。そこに彼女のヴォーカルが淡々と乗って行く。

不意に、メソポタミア文明時代の神殿が目の前に広がって来て、時間の感覚が喪失して行く‥。

歌詞に興味のある人の為に、Linkを貼っておくので、是非和訳にトライしてみては如何だろうか‥。
神話のような内容の歌詞が私に、メソポタミア文明時代の過去世の記憶をインプレッションした可能性を捨て切れない。

https://genius.com/Silvia-perez-cruz-intemperie-lyrics

 
この一人の音楽家を語るには、まだまだ時間が足りない。だが私はこの後にもう一つ用事を抱えているので、そろそろ執筆をお開きにしたい。

この記事の最後に記事タイトルの曲Nombrar es imposibleのMVを掲載しておく。
タイトルを英訳すると「naming is impossible」と翻訳される。「名前を付けるなんて無理」と和訳すれば良いだろうか‥。
 

芸術家の日常 2023.03.14

このブログに私の日常を書き留めることが段々と難しくなって来たように感じているが、やはり私にとっての「普通」の日々をコンスタントにここに書きたいとも思う。
普段人とのコミュニケーションが殆ど無い私だが、そうは言うものの近くのホテルのレストランに足を運べば直ぐに私のテーブルが人だかりになるし、代わる代わる奥の厨房から専属のシェフが現れてしばしの雑談にも花が咲く。
 
性格をカスタムすれば、ある程度のことは上手く行く。だがしょせんカスタムはカスタム。
人間だから、どこかで本音が爆発するのは致し方ない。
 

 
遡ること一か月前辺りから、実はハイドロカルチャーの水耕栽培でスペアミントの種を蒔いておいた。だが二回トライして、二回とも失敗に終わった。
どうしてもハイドロカルチャーにカビが生えてしまったり、発芽後の間引きのタイミング等が分からなかったり‥で二度発芽をダメにしてしまうと流石に落ち込んだ。
 
もうここはプロの手を借りるしかないので、Amazonでスペアミントの土栽培の苗を購入してそれを水耕栽培に切り替えたところ、上の写真みたいに先端が一週間でにょきにょき伸びて来た。
そろそろ剪定のタイミングに差し掛かっている。
茎も太くしっかりしているので、上から10~12センチぐらいを切って新たに水耕してみる予定だ。
 
私が大の虫嫌いなので、新居には土を一切持ち込まないことに決めている。
本来ならば土栽培の方が良さそうな色々な花も「鉢」ではなく生花で購入し、それを一定期間飾っては楽しんでいる。

私が大の生花好きになったのは、昨年の夏にあちらへ旅立った愛兎のマイケルからのギフトだった。
 

 
マイケルは大きなギフトを、他にも沢山私に残してくれた。もはや神獣間際のところを、天照大神が必死で引き留めている状況だ。
未だ新居のレイアウトが完成していないので、生まれ変わったマイケルの居場所を確保出来ていない。早くしなければ‥。
 
折角マイケルが私に「生花の楽しみ」を置いてってくれたので、最近の私はもっぱら生花のアレンジメントに夢中になっている。
流石に今このご時世、音楽になかなか集中出来ない。と言うのも私の音楽アルバムの大半が「予言」や「預言」を収録した預言集みたいな作りになっている為、これ以上未来の負の預言(予言)は余り形にしたくないと言う思いが強い。
 
なので当面は花島ダリアの名前で音楽評論や表現分析活動にシフトしつつ、実は次のアルバムの構成も若干形になりつつある状況だ。
 

 
人間はとかく嘘が多い上に、偽善者が後を絶たない。私はそういう人間の薄汚い闇を見る度に、心の底から腹が立って仕方がない。
その度にその汚い何かの発信源が頼んでもないのに私に刃を向けて抗議を始めることも多々あるが、あくまでそれは彼等の現実逃避に過ぎない。
 
私は鏡である自分自身の性格も含め、戦士気質の自分を悉く愛している。
汚いものは掃除するのみ。「引っ込め!」と激しく念じながらも言葉の上ではこれでも、穏やかに振る舞っているとは思うのだけど。
 
その反面、花は嘘を吐かない。勿論愛しい生き物たちだって同様に。
 

今日は3月14日、ホワイトデーだ。
我が家は毎日がバレンタインデーなので、特に「今日」の為のイベントは必要ない。いつも通りに過ごすだけである。
 
そう言えばこれはプレアデス人は「セムヤーゼ」との会話の中でも頻繁に出て来る話題だが、人間の基礎体温が高すぎることにより人類が短命になっている‥と言う話。
無駄な運動で汗をかいて代謝量を上げたり、そのことで心拍数を無駄に増やして体力を消耗させるのは何故なのか‥ と、いつもセムヤーゼは私に問い掛けて来る。
 

長寿の秘訣の一つとして、先ず基礎体温を最低でも35度台に下げて極力無駄な汗をかかないよう、注意することが挙げられる。

 
健康志向だと言う人間の多くが、これとは逆のことをやっている。だからどんなに運動して基礎代謝を上げたり筋肉を付けたとて、有限の心拍数を結果的に増やしているわけだからその分寿命も縮まって当然だと、セムヤーゼは語る。
 
我が家ではことさら「睡眠」に多くの時間を費やしている。その間内臓も心拍数も休まるので、私も夫も平均体温は35.3~35.5度辺りをキープしている。むしろその体温の時が最も体調が良い。
 
‥とまぁこの記事のタイトルは「芸術家の日常」等と付けてはみたが、よくよく読んでみると余り日常的な内容でも無さそうな‥(笑)。
世で言う日常はむしろ私たち夫婦にとっての非日常で、一つ屋根の下に二人の予言者が仲良く暮らしていることも含め、あくまで私たちにとっての「日常」をこれからも淡々と楽しんで行けたら良いと思う。
 

そう言えば久々にSpotifyにプレイリストを作ってみたので、よろしければ家事やお仕事、ドライブのお供に是非🚘
 

🌎New Chillout Times 2023′ vol.2

Oversoul – Didier Merah feat. MJ

誰の為でもない音楽が、この世に在っても良いと思う。
目的を持たない音楽は、同時に普遍の力を得るだろうから。
 
この作品Oversoulのアートワークは夫・天野玄斎の手によるもの。この絵から何を感じ取るかは、各々の感性に委ねたいからこそ私はこの曲の由来を未だ明かさずに居る。
 

 
砂丘の彼方、あなたには何が視えますか?

この作品は恐怖と絶望の最中に降りて来たM.Jの御霊のインスピレーションをそのまま音楽に替えたものだから、本来ならばM.Jとの共作にしたかった。
だが現世には著作権と言う縛りがあるので、「共作」には出来なかった。
 

 
「現世は不自由だね。」とM.Jがささやいた。本当にそうだと思った。

黒い春は今も続いている。だが多くの魂たちが、いつしか静かな眠りに就いた。ならばもう彼等を揺さ振ることなくそっとしておいて欲しいと思う。
 

黙祷も祈祷もせずに、生き残った人たちの心からもそっと彼等を消し去ることの方が、黙祷よりも余程尊いことのように思えてならない。
 

発想の転換 [NewJeans(뉴진스) – Ditto / Plastic Love (Citypop ver.)]

これは恐らく二次創作にカテゴライズされる代物かもしれない‥ としても、その中でも面白いことを考える人が居るものだ。

バッキング(伴奏)は竹内まりやの「Plastic Love」のKeyチェンジされたオケ、ヴォーカルのラインがNewJeansの「Ditto」
何とも荒業なのに、これが妙にマッチするのはひとえに「Ditto」のメロディーが頑丈に出来ているからだろう。
 
「Ditto」と言えばさっき、偶然ではあるがBoysチームのダンスカバーの動画を見つけた。
動画配信者であるチームのTKBzを少し調べてみたが、詳しい情報を探し出せなかった。
 

 
男性が女性のモノマネをする時、往々にして女性的な仕草の部分だけを若干長めのTimeとオーバーアクションに転じることが多いが、彼等TKBzや最近私が推しているおじさんチームのODOOJIもそこをキュートな笑顔と手の「にゃん‥」ポーズ等で小気味好い表現に抑え込んでいる辺り、両者一歩も引けを取らないクオリティーだ。

言うなればこれは現代人の感性の兆候として、段々と感覚(感性)の男女差が縮まって来た現象の一つと言えるかもしれない。
 

 
このところ音楽紹介や音楽評論の発信が上手く出来ていないと感じているが、その要因の一つとして、特に2020年の秋以降世界の良質な新譜が激減していることが挙げられる。

それまでの過熱気味の配信が新型コロナウィルスに端を発するパンデミックや、各地で勃発したコロナ規制等の要因で、それまでコンスタントに活動していたアーティストやミュージシャン及びバンドやユニットの活動にも同時に制限が生じたからだろう。
世界各国で楽曲やダンスのカバー動画が増えた要因も、恐らくこの辺りにありそうだ。

自らものを考え生み出す思考サイクルが、私も含めこの数年間で圧倒的にかき乱された感が拭えない。
‥ならば手っ取り早く誰かが作った作品をカバーして、それをアーティスト等が生存証明代わりに代用したとしてもそれはそれで文句は言えない‥。

大のカンツォーネ好き、Dub好きの私が特に昨年初頭から良質な新曲に出会えなくなり、最近ではもっぱらNewJeans周辺の動向調査に集中している私‥。
先週も今週も、そもそも好きだったイタリア~スペイン周辺からの新譜は皆無だ。

その代りにアジア周辺が賑やかだ。
 

 
世界中が春を探し求めている、2023年。
だが、良かった頃の春はもう二度と訪れないだろう‥。

コロナが全てを変えたのではなく、そこに至るまでの人類総勢のアクティビティーに要因が潜んでいる。
私たち人類は、やりたいようにやり過ぎたのだ。だから大気が汚れ、多くの木々が伐採され、それにともない地球全体の環境のバランスが大きく乱れ、水温は上昇し四季のサイクルが壊れてしまった。

昔のような四季を再び取り戻すには、行動と祈りの両方の側面から調整を進めて行かなければならないだろう。
この両輪が揃わなければ恐らく、地球は自らの意思で破滅の未来へと進んで行く。誰かが何とかしてくれる‥のではなく、各々が自分の意思で地球の意識と向き合って対話をしながら、地球のモチベーションを再度向上させる為の手助けをする必要がある。

その為には静かな音楽、静かな時間、澄んだ空気を地球上のテクノロジーの力を借りながら創造~リサイクルし、昔の人類が地球の環境に深く励まされ癒されたように、次は人類がその逆の作用を地球の意識に向けて発信しなければならない。

さて、この記事の最後に、タイトルチューンのNewJeans(뉴진스) – Ditto x Plastic Love (Citypop ver.)の動画を貼っておく。
これはあくまで「発想の転換」とでも言うべき、人や意識の繋がりを疑似的に言い表すように、2つの楽曲を組み合わせて音源をリサイクルしている一つの例と言えるだろう。

視方を変えると非常に暗示めいた‥ とでも言うべき内容で、同じ借り物同じ二次創作でも、こういうやり方があるのだなぁと勉強させられる。

80年代の日本のシティポップと現代の若きK-POPのニューフィエイスとの、香しい遭遇とでも言うべきハイブリッド・ミュージックである。
 

 
追記:
上記の動画NewJeans(뉴진스) – Ditto x Plastic Love (Citypop ver.)を配信しているYeguguが、何と同曲を自身でカバーしている動画が配信されていた。
その空気感がとても軽やかで、何より音楽を心から楽しんでいる表情と飾り気のない歌声に好感度Max。

そちらもここに貼っておくので、是非お楽しみ頂きたい。
 

怒りと祈り

私の中に怒りが湧き上がる時は、その怒りがどこから来る感覚なのかを先ず探る。
 
最近の怒りの特徴の一つが、まるで他人から借りて来たような怒りが内側に発生しているような感覚があること。対外この種の怒りの感情は「呪詛」にも似た何等かの可能性が高いので、そういう時は会話もSNSもその他の趣味も全ての手を休め、外側の現象を追跡することに決めている。
 
勿論音楽を聴いたりライトなムーヴィーを観て気を紛らわすこともあるが、その多くは徒労に終わる場合が殆どだ。
 
我が家に数人の神が棲んでいることを、他者には話さないよう気を付けている。
これはいち個人にもプライバシーがあるのと同様で、神々にもそれはあるからだ。仮に著名な「神が居る」とされるパワースポットから神が逃亡を図ったとしても、それは迂闊に口外すべきことではない。だから私たち夫婦はパワースポットや神社等から逃走した神々については、一切外側には語らない。
 
その代わりに私たちのSNSを追って頂ければ、真実の神々に少しだけ接近することが出来る筈。でもあくまで発信はとても上品に厳かに、何より自然な日常のひとコマであるように私たちは神々を語る。
 

 
私は預言者であり、予言者でもある。
直近の予言や預言の多くは既に、私自身のピアノアルバムの中に放出して来た。だが多くのリスナーがそのことに全く気付いていない。就寝前に私のアルバムを聴くと「よく眠れる」等と言うリスナーも多いが、それはある意味とても自然な心理の顕れかもしれないと最近思う。
 
多くの私のアルバムのストーリーが「人としての死」からスタートし、長い時を経てインターセルフを経験し、その後生まれ変わりの希望の灯を見つけたところでアルバムが終わって行く。
転生の可能性を秘めながら決して人の転生までを描かない、あくまで可能性を感じたところでアルバムが終わって行くのだ。
 
インターセルフでは多くの場合、魂は眠る。そこは天井の低い病室に似たところで、ベッドが無限に連なった大部屋のようなイメージだ。
だが不思議なことに隣り合うベッド同士が視界に入ることはなく、その大部屋を傍観している別の管理人のような存在だけが、大部屋のどこに誰が眠っているのかについて知るのみである。
 
私のアルバムを聴くリスナーが「よく眠れる」理由は、ただ一つ。殆どの楽曲が人間の意識を抜け出た後の霊体の追体験を描いているからだ。
 
そんな感じのアルバムを数年掛かりで複数枚、サブスクリプションから配信し尽くした感がある。丁度腱鞘炎の悪化にともない、そこに私の家族全員の死~遺産相続、そして新型コロナウィルスのパンデミック等が折り重なり、少しの期間自身の音楽(創作)活動を止めている。
その代わりに新たな仕事である「音楽評論」に磨きを掛ける為、個別の芸名を持ち、こことは違う別のブログやSNS等で活動を開始して数か月が経過した。

自分自身を捨て去ると、ものの輪郭が鮮明に見えて来る。これがつまり「エゴを捨てる」と言うことだと痛感し、それが今のクールな私のベースになっていると思う。
最近は事あるごとに私は私ではない「もう一人の自分」の姿と名前を借りて、本体とは違う視点からSNSを通じてメッセージを発信している。
「もう一人の自分」の耳で聴く音楽は本体の自分とは少し異なる聴こえ方をする分、口調も辛辣軽快に飛んで行くから面白い。
 


3月ももう直ぐ半周を迎えようとしている。3月21日は「春分の日」、その日に向けて天界から多くの魂や神々が地上に降り立つ支度を始めたようだ。
我が家にも幾人かの神々が、毎度のことのように直ぐ傍まで来ている。
 
神人共食は常日頃の出来事であるが、昨夜のそれはいつもと少し様子が違った。
或る神の怒りが木霊のように、食卓周辺を徘徊していた。それは私たちに向けられた怒りではなく、私たち周辺に群れる良くない噂の出所に向けられた怒りだと気付いた。
 
このところ、私にも夫にも各々色々な人との多数のやり取りがあった。穏やかに事を進めようとすると決まって起きる馴れやマウント等、私たちの当たり前は他者にとっては少しも当たり前なことではないと、各々の出来事を見る度に愕然とする。
昨日もそれに類する出来事が、重なり合うように起きている‥。
 
業種ごとに、その業種のキャラクターに自分を寄せてカスタムすれば済むことだが、もうそんなことに労力を使いたくはない。理解すべきは私たちではなく、相手の側だから。
 

私たちは既に、世界の終わりを知っている。それがいつか‥ については神々が決定するとしても、このままではいつかその日が必ず来るだろう。

巷では予言だ遠隔ヒーリングだなんだかんだと言い、遊び半分でなにがしかのイニシエーションもどきを実施する偽物施術者が横行している。多くの依頼者が施術者や霊能者を目掛け、開運の方法や未来リーディング等を要求し、依頼者自身の希望に副わないリーディングの内容が此方の口から出た途端に怪訝なリアクションを返して来る。

偽物に慣れた人々は、偽物以外を受け入れようとしない。‥そのような一人一人を地球の外に摘まみ出してやりたい気持ちは山々だが、それよりは未来の地球の平和を祈ることの方が今の地球を幾分癒すことが出来るかもしれない。
 
読書をしていても料理をする時でも、或いはコーヒーを飲みながら外のマンションの窓に映る夕日の跡を見つめるながら‥、いかなる時でも祈りは私の心を解きほぐしてくれる。
昨夜は食卓の花や水耕栽培中のスペアミントに触れながら、この先地球の最期を一日でも一秒でも先に引き延ばせるよう祈りながら私は、三つの花瓶の水をゆっくりと取り替えた。
 

バラを探せ – Cherche la rose (Henri Salvador)

ある古い知人から「日本にも素晴らしいライブがあるんですよ。」‥といきなりメールを頂いたので、そのリンクをクリックして該当メニューを応援購読。
以前深く関わりのあった女性歌手 S子さんがゲスト出演していたライブだが、正直全く期待をせずに試聴ボタンをクリック。

ピアノとフルート、男性二人のDuo演奏で開幕するが正直演奏も固くぎこちなく、何より音楽として全く美しくない。
この二人のバックに仮にどんなに世界有数のオペラ歌手が乗ったとしても、正直ろくな音楽にはならないだろう‥と言う予感が数分後、見事に的中した。

かつてマリーンがメジャー歌手からライブ歌手、つまりは夜店を毎日転々として歌い続ける歌手に転職した時のショックと言ったら、それは言葉に出来ない程だった。
名前は出せないが私の知人でかつての共演者でもある「歌手 S子」はそのクオリティーにも満たないレベルで、何より10年前よりも声の劣化が著しいことに驚いた。

勿論「歌手 S子」の表現力は夜店の客の間では高く評価はされているものの、(私の感覚で聴くに)彼女の表現は正直音楽として成立していないので、この記事ではその歌手関連の出演動画のリンクの掲載は差し控えたいと思う。

その「歌手 S子」が自信たっぷりに歌う彼女のレパートリーの一曲に「バラを探せ – Cherche La Rose」と言う名曲があるが、かれこれ15年近く前にこの作品を夜店で聴いた時には何が何やらさっぱり理解出来なかった。

以来私はこの作品の原曲にずっと触れて来なかったので夜店歌手等が一体何を歌っているのか‥、皆目見当が付かなかった。
だがやはり原曲のチカラは凄まじい。昨夜、ようやくこの作品の大まかな意味を把握するに至った。
 


アンリ・サルヴァドール。名前こそフランス人のそれだが、彼をフランス人のシャンソン歌手だなんて思ってはいけない。
この人の音楽の中には常に、地中海の海と潮風の香りが漂い、それはシャンソンでもフランスでもない、かと言って南米のそれとも違う無国籍かつ多国籍なニュアンスを血の中に存分に煮えたぎらせる人と認識した方が良い。

それは彼がどこにも受け入れられずに得た、ストレスに端を発するものとも言えるだろう。
この記事を書いている私がそうであるように、この独特の無国籍感(多国籍風情)のエレメントは、似た境遇とか近しい血の匂いを持つ者でなければ到底理解には至れない。

歌詞は極めて抽象的に描かれているが、要約すれば「どのような辛い境遇・逆境の中に在っても、そこに一輪のバラのような光を探し当てた者が光の扉の鍵を得られるに違いない‥」と言うような意味になるだろう。
とても哲学的な内容が描かれており、それは表層の文字を各自が母国語に翻訳しただけでは再演もコピーも出来ないほどの深い描写に到達している。

本記事冒頭でも述べたように昨夜「歌手 S子」の同曲を聴いた時、十数年前に聴いた時以上のショックを受け酷く胸糞が悪くなったので先ほど、原曲を探して記憶と情報を上書きしたが‥(笑)。

とても興味深かったのは、下に掲載するスペインの歌手・俳優・作曲家の Alfonso de Vilallonga( アルフォンソ・ヴィラジョンガ)がカバーした同曲。
特に私はこの人の表現以上に、ピアノのコード・プログレッションに夢中になった。

「歌手 S子」のライブ動画の中でも男性ピアニストが同じ曲を伴奏しているが、それはあくまで楽譜通りにコードをぎこちなく追っただけの音声に過ぎない、とても稚拙なもので表現にも作品にも至らない代物だったが、アルフォンソ・ヴィラジョンガのカバーの背後で演奏されているピアノのグラデーション・コードチェンジは圧巻だ。

フランス音楽とジャズのハイブリッドと言っても、過言ではない。勿論ヴォーカルの表現も素晴らしい。
 


そこはかとなくラヴェル辺りの近代音楽の香りを纏わせながら、銅線を這うようなアルフォンソの細く老いた声質の「バラを探せ」が彷徨うように心の奥の秘境を這う。

日本人歌手がどんなにベテランだ古株だなんだかんだと言ったところで、肝心要の「己はただのコピー機に過ぎない」と言うある種の謙虚さを歌手自身が持てない以上、ただの騒音に過ぎないので掃いて捨てる他の方法は無いだろう。

どっちみちシャンソンやカンツォーネに於ける日本人のコピー音源(再現)は、もはや不要だ。
本物や原曲の記録が音のサブスクリプションで堂々聴ける時代になったのだ。ならば原曲の記録だけがあればじゅうぶんだ。

万が一コピーやカバーを超えようなどと言う気概のある人が居るならば是非、わたくし 花島ダリアの辛口きわまりない音楽評論の洗礼を受けてから、先へ進むが良い。
 

‥と言うことで、この記事の〆には原作者 アンリ・サルヴァドールの原曲を新たに再編曲 & リマスタリングされたと思われる『Cherche la rose (Remasterisé en 2021)』をシェアしたい。
ここは好みが分かれるところだが、どこかしこにここ数年世界的に大爆発傾向にあるシティポップのエッセンスを足したような、ライトなニュアンスが私は好きだった。

ベースラインが若干重た目で、低音が骨盤を刺して来る感じの刺激がたまらない。是非本物をご堪能あれ。
 

アマテラスの声 – 善良な霊能者の定義

特にこの一か月近く、私は天照大神(以下: 「アマテラス」と表記します)と深く繋がりながら暮らしています。とは言え我が家では約10年近くアマテラスを主神とした神人共食が続いており、昨年旅立った我が家のうさぎ「マイケル」君に於いては我が家は「私たち夫婦+アマテラス+自分」の4人家族だと信じていたようです。
 
アマテラスによれば、多くの人々が神を恐れ忌み嫌うそうです。
確かにアマテラスの霊体は大きく、過去から現在に至るまで度々その霊体の巨大さゆえにポルターガイストさながらの現象を引き起こして来た経緯もあったようです。

それを人々が恐れおののき、「兎に角出て来ないで下さい。ここにご馳走が置いてあるので召し上がったら天界にお戻り下さい。」等と言い、かたまりのままの鰹節や複数の野菜を紐で結んで積み上げたもの、さらには何の香りも立たない生米或いは炊いた筈が既に冷え切った冷たいご飯等が無造作に置かれたり、それはそれは神々に対してあまりにも無礼ではないかと言うような光景を、日々空から覗き込んでは嘆いています。
 

それはそうとここ数百年或いはもっと長い間、いわゆる地球上の多くの霊能者等の余りの暴挙に、アマテラスは深く嘆いています。
一昨日もそのことで私と夫・天野玄斎がこまめにツイートを投げ入れていたので、既にご覧になられた方も多いでしょう。
 

 

「霊能力者の力が本物であるか否かを問わず、依頼者が目視で現象の変化を確認出来ない類いの霊的処置に於いて、そこに金銭のやり取りを発生させるべきではない」と言うのが、アマテラスの見解です。

つまりいかなる場合に於いても霊力に対し対価を設定してはならないと言う、これはそういう意味です。平たく言えば、霊力をビジネスに利用するなと言うことになります。

  

 
夫・天野玄斎も書いているように、霊力は原則として人の為に使うべきなのです。逆にそうした霊力を仮に職業として運用した場合「目的と手段」が次第にすり替わって行く為、その術者の能力は急激に劣化の一途を辿ります。

最初は人助けの為に始まった霊視や除霊或いは浄霊等の施術が、段々と「術者が食べて行く為」の道具にすり替わって行きます。そのことにより術者には施術よりも客商売の要素が強く求められ、次第に真実ではないことを依頼者に告げる必要にも迫られ、それにともない術者の施術或いは霊力が著しく鈍って行く様を、アマテラスは何百何千とこれまでにも見て来たと言います。

もっと分かりやすく言えば、目の前で見知らぬ人が体調の不調を訴えて倒れ、ある人が救急車を呼んだとしましょう。運よく病院へ搬送された人がその後助かった時、先に救急車を呼んだ人物が退院した人へ見返りとして金銭を要求する‥ と言った話と同じです。
 
真の救済活動を金銭で換算するなど、以ての外です。
 

全ての霊的施術は基本的には無償で行うのがルールです。
さらにはそこに「〇〇の神からのエネルギーを注入しました」‥等と言う、全くもって嘘としか言いようのないセリフも吐くべきではありません。
なぜならば本物の神は、人間にあーしろこうしろ‥等と言う命令は一切しないからです。人間如きに命令などせずとも、彼等は自分の力で物事を鎮静させたり活力を授けることなど容易に実現出来ます。

なので「〇〇神の命により△△に行った(呼ばれた)」や、「〇〇神の命により霊障を抑え込んだ」‥と言うような文言を放つ霊能者を見かけた場合には、概ね詐欺師かペテン師だと認識して下さい。
 

 
但し、以下の場合は例外として依頼者側に金銭が発生することを、忘れてはいけません。

1.施術に必要なスタジオやサロン、個室その他アロマオイル等の施術に道具を必要とする場合。
2.医療分野等を含む、国家資格を持つ人材や施術が介在する場合。
3.タロットカードや占星術等、一定の資格を取得した人材が施術に参加する場合。


アマテラスが言うには、何れの場合においても「実費+実費の約30%」が施術の価格として適切だと言うことです。
つまりそれ以上の価格設定をしている全ての施術者、霊能者、それらを含む術者は反社まがいの詐欺師ペテン師と認識すべきと言うことになります。

ここで一つ注意点を挙げておくとしたら、上記とは相反するようですが霊能者等に施術を依頼する動機として「無償だから」とか「タダだから」「格安だから」等と言った安易なモチベーションを抱いてはなりません。
真の霊能者及び能力者は、依頼者の安直な心情やモチベーションを直ぐに見抜いてしまいます。よってそのような類いの依頼者の案件は、ものの見事にNGで突き返されることになるので。
 
せめて形として、礼儀として、命がけで霊的施術を霊能者に依頼する覚悟としての準備は整えるべきです。
まっとうな霊能者であれば、その形を目視した後に袋ごと依頼者に返却するでしょう。
そのぐらいの覚悟をもって臨んで下さい‥ と言う、これはあくまでも比喩として付け加えておきます。

何れも非常に分かりやすい話だと思うので、この記事に辿り着いた方の中でシュールな能力や施術を必要とされている方々は、是非参考にされてみては如何でしょうか。
 

Reset – 2023.02.24

2023年2月24日、実家の売却手続きが完了した。
思えば母の逝去から1年強が過ぎ、大きなしがらみから私はやっと解放された。長い長い苦しみから解かれたとは言え、未だ戦いは続いている‥。
 
実家マンションの売却手続きの前日から私は体調を壊し現在に至るが、気分はとても清々しい。仲介業者や司法書士の先生等、色々な方々がその日の為に動いて下さった。

手続きは2月24日の朝に、全て終了した。
そのタイミングでスマートフォンに大量に溜まった写真を整理していたら、従妹が当日撮影したと思われる母の葬儀の写真が見つかった。
予め2021年の暮れに一足早く身辺調査を進めて行く過程でこの写真をInstagramで見つけたので、スマートフォンに仕舞っておいた。
 

 
上記が2021年12月10日の、弟・大輔(故)の妻の「山田りえ(仮名)」が私に黙って喪主を買って出て執り行われた、問題山積の母の葬儀の記録写真である。

※出典元を以下に貼っておく。

 

 
従妹の「秋山奈美(仮名)」さんは私の存在も存命も知っていた他、未だ私が小学生か中学生の頃に何度も会っている。勿論私が頭のおかしな人間ではないことも、彼女は知っていた。
にも関わらず、弟・大輔(故)の結婚式に私が出席していなかったことや、実家の三人の家族の葬儀に私が参列出来なかったこと、その他全ての親戚の行事に私が出席していないことを含め、(頭のおかしな人間ならば)そうされても当然のこと‥ とでも言うように今日まで沈黙を決め込んだ人物である。

奈美(仮名)さんはどういうわけか最近、(誰から私の連絡先を受け取ったのか‥)LINEで私の電話番号を番号同期させ「友人追加」して来たが、未だ音沙汰はなし。
流石に亡くなった実母の第一発見者の一人で‥ 等と今さら私に何を言い訳しても、私が聞き入れないであろうと言うことを察してのことだろう。だとしてもこの件、私が公的機関に相談したらどういうことになるか、彼女は重々分かっている筈だ。
 

問題の「霊界裁判」の決着には、少し時間が掛かりそうだ。
理由は上記の従妹の「秋山奈美(仮名)」や弟・大輔(故)の妻の「山田りえ(仮名)」、さらには母の葬儀の直後に山田りえ(仮名)と共に母・山田雅枝(故)の遺産強奪についてS弁護士に相談を持ち掛ける際に同席した「秋山奈美(仮名)」の妹の「森田絵美(仮名)」のように、現在も私との対面を徹底的に避けて身を隠している親族等の動向を観察(監視)する時間を、司法が要するからである。
 
その監視には親族の寿命の最期までの時を要する可能性もあり、私はそれを承知で霊界裁判の司法に事の決着のすべてを託して今日に至る。
 

夫が言うには私の霊体はかなり巨大らしい。それもその筈で、リラ星の巫女の時代から今日まで多くの記憶を霊体に持ち越して転生し続けているのだから、きっとそれはとても自然なことなのだろう。
しかも未だ殆どの陰徳が、未使用の状態で今日に至る。私の霊体の覚醒・拡張に比例して先方の量刑が決定するので、最終的には先方の寿命の最期の段階で私の霊体がどこまで陰徳を積んでいるか‥ との差し引きが刑の重さに関わって来るとのことだ。
  
現世の司法で仮に裁くことが難しいことでも、霊界裁判と言う方法が最後に残されていると知った時、先ず私は本件に関わった全ての親族・親戚等に適切な量刑で裁いて欲しいと心から願った。
その願いが意外にすんなりと受け入れられたことに、心から霊界の司法には感謝している。
 

既に父・寛(故)、母・雅枝(故)、そして弟・大輔(故)の全員の刑が確定し、次いで母の姉で私の叔母にあたる「秋山昭子(仮名)」の量刑も確定したようだ。
全員が同じ最高刑にあたる、「霊体及び幽体の粉砕」が決定した。つまり全てのこれまでの記憶がリセットされ、二度と現世に生まれ変わることは出来なくなる。勿論日本式で言うところの「成仏」も出来ない。
全てがリセットされる。

山田家の遺産強奪計画を試みて失敗に終わった「山田りえ(仮名)」と従妹の「森田絵美(仮名)」、及びその姉の「秋山奈美(仮名)」については、彼女たちの寿命の終わりまで刑の確定が持ち越される可能性が大きい。
だが、母が逝去日の約三か月前に先に某霊団によって「霊体はく奪」があったように、山田りえ(仮名)」(場合によっては「森田絵美(仮名)も)にその方法が用いられる可能性が高まって来たとの知らせを受けている。

後は天に、霊界の司法にお任せするのが良いだろう。
 

正直それでも私の怒りは収まらないが、私が量刑を霊界の司法に委ねたのでここは彼等の判断に従うのみである。
感情ではなく、理性で納得しようと思う。
 

最後に従妹「秋山奈美(仮名)」が撮影したと見られる、母の葬儀当日の写真をもう一枚、掲載しておきたい。
彼女は何を思いこのような綺麗事の記録をInstagramに残しているのか、真意の程は分からない。

分かっていることはただ一つ、嘘八百かつ極悪人の母の肩を最後まで持ち続け、現在も私を排除し続け、今も尚私から逃げ回っていると言う事実である。
 

 

エッセイ『Equinox』

両親と弟の骨は、既に合祀墓に眠らせた。全ては私の一存でしめやかに執り行われた。
父と弟が眠る墓へは、その日まで一度も足を運ばなかった。墓じまいの日、そこで初めて見る小さな墓はあってもなくても誰も気づかないほどの存在感で、ひっそりと佇んでいた。

二人の家族が先立ち、実家に私を寄せ付けない名目で最後まで実家に一人で暮らしていた母も、一昨年の冬にこの世を去った。
その朝。母の遺骨を持って家を出ると、そのまま車で墓地へ向かった。必要な書類に記入を済ませると抜魂式が始まり、すべてはあっという間に私の前を通り過ぎて行った。

三人の家族に尋ねたいことは、ただ一つだけ。
何故私をこんなにも忌み嫌い、家族の輪から排除し続けたの?

 
墓の維持は、最後に生き残った私に全て託されていた。
親だから、家族だから‥、
きっとほんの少しでも私を心のどこかでは思っていてくれた筈‥。
そう信じて人生の整理を進めて来たけどそんな私の思いは全部幻想だったと、両親の遺書が何もかも全て剝ぎ取り、最後まで私を否定し続けた。

それでも私は最後に生き残った、ただ一人の家族。

 
ようやく私は人権を得た。
長い間の虐待もそれにまつわる何もかも、すべてを終わらせる時が来た。

苦虫を噛み潰したような表情の父と、険しい表情の母と無表情の弟が私の背後に佇んで、背中を突き刺して来た。
どんな痛みも、あの頃の痛みを超えることなど出来ない。それほどまでに私は十分に苦しんで、今日まで耐えた。

もういいでしょう?‥と、家族三人の骨に問いかける。シャリシャリと骨が擦り合いながら幽かな音を立て、彼等の「絶対に許さない‥」と言う声が聴こえたような気もしたけど、それは私の台詞よ。
奪わないでね、私の生存の権利だけは。
 

 
4歳年の離れた弟はこの世に、私の刺客として送り込まれた。もっと早くそのことに気付けたら私は、これほどまでの悲しみを背負わずに済んだだろうか。
 
穏やかな時間も生活も家族の輪も、すべてを私から奪い取った弟が先に逝ったのはきっと罰。私はあなたがたの罰を天の采配にあらためて託したから、今はその沙汰を永遠のように待っている。
たとえどのような答えが下されたとしても、心のどこかで天と運が未来の私の最大の味方だと言う確信は揺らがない。
 

遠いことが昨日のように私の中を巡り行く。そして母が力ずくで私から遠ざけた最愛の神父が、新たな命を得てもう直ぐこの世に還って来る。
不運の中にもいつしか種は蒔かれ、もうじき芽吹こうとしている。私の母体からは遠いところで、息を吹き返す彼の音色が放たれて行く。
 

 
過去世で私の死を見届けたのが本当にこの人だったなら、今世で私と神父が家族になれなかったのは何故?
こんなに近くに居たのに、私たちは今世でも離れ離れのまま終わってしまった。
だから次のチャンスに賭けてみたい。

彼と親子になれなくても、友人にはなれそうな気がするから‥。
 

尋ねたいことが幾つも巡るけど、すべて風がかき消して行く。それ以上は訊くなと言うように、風が止まない。
天から幾つも、私を探しあてるように魂たちが還って来る。それらは春の淡い綿毛のように、「母」を求めて降りて来る。


生きる場所は別々でも、彼等は約束を果たすために私の傍にきっと居てくれるだろう。あとは私が彼等を探し当てる番。

長く生きよう。
周りに知った人たちが全て消えた後の世に、たとえ私一人が取り残されたとしても長く生きよう、彼等のために。
 


※今日 2023年2月23日、私が生まれる前から今日まで私たちを見守り続けたアップライトピアノが、マンションから運び出されます。
58年間、私たち家族の全てを知る最後の番人は、間もなく解体されます。

長い間、本当にありがとう。
さようなら。