長引く風邪

昨晩いきなり (再び) 熱が上がったので、寝しなにネッククーラーを巻いてキンキンに首を冷やして就寝したが、今起きてみるとやはり体内に熱がくすぶっている感じ。

一方、北川景子さんも風邪で、今日の生放送の予定を全てキャンセルしたとか。
ロング・コビットによく似た風邪を引きずっている知人も数名いる。
私もこの症状にやや似ているのかもしれないが、COVID-19に感染したことは無い。
 
一応念のため、フルボ酸を服用して様子をみている。
熱が34℃台から37℃台を一日の中で容赦なく上下する、この症状は一体何?

 

温かいモカジャワが飲みたい。

(スマホから投稿 📱)

誰も本当の私を知らない

そう言えば昔々、かれこれ45年近く前、京王線は仙川の裏路地にひっそり佇むカフェがあった。
そこはコーヒーが当時230円 (ほぼ学生価格) で、他にはカレーライスとチーズケーキしか置いていなかった。
店主の気まぐれで時々それ以外にもフードが用意されている日もあったが、少なくとも私が通う平日の午後はカレーすら残っていない事も度々‥。

店内は薄暗く、BGMはジャズか吉田美奈子と山下達郎と決まっており、定休日の前日になるとほぼ吉田美奈子しか店内に流れない。

母校の音楽科や演劇科の学生に多くの常連も居たが、店内の薄暗さとBGMが客を決めてしまうようなところがあり、ワイルド系の女性と演劇科の学生の溜まり場になっていた。

 

どういうわけか私がそこにある日吸い寄せられてしまい、店内が若干異世界に染まった。品行方正な身なりの音大生は絶対、そういう店を選ばないからねぇ(笑)

私は当時母 (母は今で言う毒親) に洋服を買い与えてさえ貰えず、年中殆ど同じ服を来ていた。ある種の制服化に成功してはいたが私は歴とした私服で通学していたつもりだった。

そんなある日、ジーンズにTシャツ、フラッパーヘアーの上級生に『貴女も私たちとおんなじね』と言われた。

 

 

‥その瞬間は彼女の言う意味が全く分からなかったが、その後上級生の彼女との付き合いは暫く続いた。
ロックシンガーのジョニー・ミッチェルと吉田美奈子とヨモギ餅を足して4で割ったような女性で、言われなければ音大生とは気付かない風貌だ。

卒業式の日、彼女はあいも変わらずジーンズとTシャツに革ジャンをまとって現れ、途中通学路で私をピックアップするとそのまま、さっきのカフェよりもさらにダークなカフェに私を連れ込んだ。そのまま彼女は卒業式には行かなかった。

私たちはそこから数時間話し込み、先の謎が解けて行く。

『貴女も私たちとおんなじね。‥』
つまり私も彼女も、どこに居てもどこにも馴染めないと言うのが彼女の答えだった。

どうにもそれが腑に落ちなくて私はその日を境に、自分をその場のテーマや雰囲気に合わせてカスタムしながら生きる術を習得しようと決めて、それは現在に至る。

 

その後私は経路の異なる複数の仕事に就き、その場所の世界に自分を合わせて演じて生きるようになった。

シャンソンの伴奏者としての私、アイドルグループの裏方としての私、ピアノ教師風ないでたちで小さな子供にピアノを教える私、音楽事務所の情報収集をする為に事務員と言う肩書きで業界に潜入する私、スピリチュアルの世界で霊能者の真似事みたいなことをして有名人になった私、音楽とは全く関係のない‥ かなり身に危険の迫る仕事の補佐をする私‥ 等々ここには出せないことも沢山やって来た。

その世界毎に自分を作り替えて行くうちに各々の世界にそれぞれの人間関係が生まれた。ある時その話をシャンソン系の同業者に話した時に私は彼に酷い嘘吐き呼ばわりをされ、心から傷つき、失望した。

その日を機に私は、誰にも自分の本性について語らなくなった。

 

今でも誰一人、私の全貌を知らない。

数百年後のソメイヨシノは

ソメイヨシノは接ぎ木によってここまで増えて、栄えて来た種。
このところ老木や倒木、病気にかかる木が増えて、数百年後の未来にはこの世から消えるかもしれないと言われている。
そう思うと何とも寂しくなる。

 

今年は体調不良でお花見が出来ず。
来年こそは是非とも、美しい桜を拝めますように‥🌸
 

私が私らしく居られる条件

一人で居たい日もあれば誰かと話したい日もあって、そうかと思えば馴染んだ相手にだけ心を開きたい日もある。
この世にもあの世にも、いつも同じ様に居られる存在は無いと言う事は、日々神々と接していればよく分かる⛩️

但しどんな時であっても、『相手は実在する』事だけは忘れてはならないと思う。相手はけっしてバーチャルでも架空の存在でもなく、リアルに実在すると言う事は忘れてはいけないと思う。
そのルールを逸脱したい時は、第三者が関わらずに済む空間で、表現に徹すれば良いと思う。
むしろ私は他者不介在の場所で、一人粛々と表現している方が向いている。

ブログとか、noteとか、そういう場所で他者の目や評価を一切意識しないで、浮き世から離れてものを書く、音楽に没頭するとか。

[Pit Stop] – 歴史を照らし、歴史を消す

かれこれ二週間近くにもなるだろうか、私と相方は酷い風邪を引いている。
相方がひとあし早く風邪の症状を発症したので、私は数日遅れで相方の不調を追い掛けた格好になった。それが物凄い状況で、こんなに長期間胃に物が入らなくなったのはわたし史上初めてではないかと言う感じだ。
 
丁度相方が症状を発症したのが東京に物凄い黄砂が舞った日だったので、あくまで憶測の域を出ないがこの風邪はともすると黄砂を介して上陸した未知のウィルスではなかろうか‥ と、あくまで私たちは睨んでいる。
ただでさえ隣国のガールズグループ NewJeans 関連のトドメの作業を神々等と担っている最中とあり、心身かなり酷使していた時にいきなり来たこの風邪は兎に角悪寒との闘いに明け暮れる日々が続き、先の見えない状況に心が折れた。
 

 
これまで私は世の中に平穏をもたらすもの、華を宿し時代を輝かせてくれる対象に限定して光を当てて来た。だが今回の活動は、それとは完全に逆の現象を引き起こすことを目的としている。
当初この話は表に出すつもりはなかったが、一個一個の現象が私や共に活動をしている神々の想定通りに事が運び始めたので、私たちが何をしているかについての情報の一部に関しては外側に出した方がよりわかりやすいだろう‥ と言う見解に至った。
その途端に私と相方がほぼ同時に、体調を崩した。

私も相方も共に、大きな代償を背負った。それは私の活動にも大きな影響を及ぼすには至ったが、よく考えてみれば色々な物事が大きな分岐点を迎えるとはこのような状況ともリンクしていることは当たり前と言えば当たり前なので、私も夫も途中で視点を切り替えることに決めた。
 

闇に光を当て、その物の持つ闇をさらに白日の下に晒す。闇は血しぶきを上げながら毒を陽の光の中に撒き散らし、それまで隠れていたこと、隠しておいたことを全て隠しきれなくなる。
今回私や相方、そして某法の神が標的としたのがNewJeans (+ミン・ヒジン) であり、今や私たち (少なくとも私と、法の精霊と) は手を組んでこの世から一つの大きな闇とその歴史を葬り去ることに於いて協力関係を結んでいる。
 
かなしいかな、誰が何を思おうが願おうが、彼女たちは一人残らず歴史の表舞台から消え去ることになるだろう。
ここに来て多額の違約金或いは損害金の支払い能力云々を理由に未成年者の両親間で遂に仲間割れが起きたとも報道されているが、何れにせよ彼らは一人残らず消え去る運命なのだ。
あとはその方法論が如何に‥ と言う点が最後に残される。
 

 
思えば2021年12月に実母が他界し、弟 (故) の嫁 山田えり が私にそのことが絶対に発覚しないよう周囲と手を組んで実母を火葬した一件の後ぐらいから、私の中に「法律」と言う大きな命題は既にのしかかっていたように思う。
勿論私にはその時代を法の人として生きた記憶が全く抜け落ちているので、自分がその当時一体何者だったのかについては分からないが、私の中に法を犯す者への一方ならぬ強い怒りや憎悪が渦巻いていることには違いがなかった。
 
その後「霊界司法」と言う別次元の役職を持つ人たち数名が私の元に現れ、実際に私の母、父、弟 (叔母等も含む) 等のその後の霊体の処遇について伝え聞いた時には、背筋が凍り付いた。
だが、法を犯すとはそういうことであり、彼らは霊体を完全に粉砕されることをあえて免れ、この世に霊体を法的に分散されることにより生まれ変わりを未来永劫果たせないまま長い長い時を過ごして行くことが課せられるとのことだった。
 

私の周辺にはそういう類の悪事をはたらく人たちが本当に多いが、少なくとも私がそちらの悪の側に立つことのないよう気を付けたいと思うのみである。
 

どういう経緯だったのか、この風邪の熱にうなされていてよく覚えていないが、気が付くとコンプレックスコン香港で初演されたNewJeansの新曲 “Pit Stop” の比較的綺麗な音源が手元にあるではないか(笑)。
こうやってあらためて聴くと、この楽曲が如何に音楽になっていないかと言う点を含め、粗や欠点等はツッコミどころ満載過ぎて泣けて来る。
 
記念すべき音源なので、幾つかの方法を手元に保存しておこうと思う。
読み返すことのないK-Popの黒歴史の栄えある1ページをここに。
 

 

 

“PIT STOP” (NewJeans) at ComplexCon 20250323

昨日は一日、重苦しい時間を過ごした。
私の視界を介して、そこで見た物事に於ける判断が別の世界へと渡り、その世界からの英断が振るわれる‥。
これまで私は光輝く可能性を察知した時だけ対象物にスポットを当てていたが、今回は逆の力を初めて発動したことになる。
 
闇にあえて光を当てることで、現世的には見えにくい現象を具現化すること。これは想像以上に過酷であり、連日気力体力共に膨大に消耗している。
しかも昨日は (どこの誰かは特定出来ないが‥) どうやら専業の呪術師の存在を感じたので、相方に撃退をお願いした。そのお陰で今、こうして、この記事を書けるところまで気力体力が復活させることが出来た。
 

2025年3月23日、NewJeansが本来ならば新たな活動の出発となるべくNJZとして新曲を発表する筈だったが、そうではなくNewJeansとしての一時活動休止の区切りとして新曲 “PIT STOP” を発表した。
この新曲がかなり悲惨な状況だったことは、音楽やダンス、舞踏等の文化的知識をわきまえた人であれば多かれ少なかれ感じただろう。
 


楽曲的にもかなり散々な出来栄えだ。
[C Maj ⇨ D♭Maj ] ⇦ 大まかにはこの循環コードでトラックが組まれており、その上にはメロディーのないラップだけが滑り落ちて行くような構成になっている。
勿論初演が “Complexcon Hong Kong” と言う大会場でのライブであれば、元のトラックを知らない殆どのリスナーには何を言っているのか等聴き取れる筈もない。
ボイストレーニングの不足は明らかに、大舞台の歌唱に影響を及ぼしている。声がお腹の底まで降りていない為、メンバー全員の発声が上 (うわ) ずっている。
 
メンバーが交互にモゴモゴ何かしらラップらしき言葉をつぶやき、その前後左右をブレイクダンスで埋めている。
ダンス構成も全くどうにもならない状態で、これまでNewJeansがリリースして来た、特にダンス系の楽曲の振付けを寄せ集めたような印象だったが、現実はどうなのだろうか‥。
 

「私たちは何の制約も受けずに自由に活動したい。」と豪語していた結果がこの状況で、つまり彼女たちは表現者でもクリエイターでもない、ただのアイコン・タレントに過ぎないことが明確に露呈した形となったようだ。
ヘアメイクも付けていなかったのか、衣装にも統一感が見られないし、特に各自のヘアの乱れがかなり露骨に現れた形に見えた。ヘインはロングヘアーを無造作に後ろに束ねただけの状態で、セットも何もしていないように見えた。むしろ疲れ切った印象が色濃く漂っていたが、きっとそうだったと思う。
 


昨夜の “Complexcon Hong Kong” のNewJeansの部分だけの全体の動画も運よく観ることが出来たが、恐らくショー全体の衣装合わせやライティングのリハーサルが完成していなかったのか、照明構成の不備が随所に見られたし、兎に角全体的に暗い印象しか残らない。
 
ショーの最初に各メンバーのソロが続くが、それも前回の東京ドームの時とは別人のように未完成のままステージに上がって来た状態ではなかったか。
その中でも意外にヘリンのソロが良かったが‥ (曲目が分からないが、何かのカバーソングだと思われる‥) 。
 


だがそれ以外のメンバーのソロは散々だ。
やはり事務所の力は偉大だと思わざるを得ない。その意味で、ADORはNewJeansとの仕事の区切りの最終日の2025年1月4日まで、本当に優れたサポートをして来たと感じずには居られない。
 

そして2025日3月23日をもってNewJeansは当分の期間活動を停止るつことが、ライブの最後に各メンバーの口から伝えられた。当然のことだ。
裁判は未だ序の口だ。これが始まりであり、ここからさらなる過酷な法の罰が課せられることになるだろう。私が、民衆が‥ ではなく、法の神 (霊界司法を含む) の面々が彼女たちをけっして許さない。
私もそう在ることを切望している。
 
最初は私もバニーズ (Bunnies) 以上にNewJeansのみならずミン・ヒジンの活動を応援して来たが、そういう善意の応援者を敵に回すと後に何が待ち受けているのか‥。それを存分に彼女たちは味わうべきだと、心から願ってやまない。
 
そして私は今後の状況についても、その背後に在る存在や現象に於いてもくまなく見つけ出して光を当てて行くと決めている。
私が見たことは、必ず現実の世界で実を結ぶ。良いことも、悪いことも全て含め、私はそれらを記録して神界に伝達して行く。
リラ星最後の巫女の仕事を今世にまで引き継ぐことになるとは、当の私も思ってもみなかったが、それも私のミッション。出来る限り務め上げる所存だ。

 

 

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「ヒジンの乱」 – NewJeansとオウム真理教の共通項を説いた動画 (법원 따위 개무시하는 뉴진스, 막장 행보 예측)

この半年間のK-Pop事情を静観して来た私 (& 夫) が最も危惧している事が、先ほど或るYouTubeで詳しく解説されていました。
既に私のXの [Didier Merah] 名義のアカウントが (恐らく大量通報の呼びかけによる理由で) 或る日、いきなり凍結した為、現在稼働しているサブアカウントでは殆ど何もつぶやけなくなりました。
 
確証が無いのですが、私の名前を用いて多くのXユーザーに通報を呼びかける旨のポストを目撃した人物が二人、存在します (私は見ることが出来ませんでした) 。
[現在該当のポストは削除されていると言う話でしたが‥。]
その中の一人は、上記に触れた現象にとても似た理由でやはりXのアカウントを凍結に追い込まれました。その状況が某バニーズ関連の「活動報告」として、公開されていました。
 

何より私が最も危惧していることは、ミン・ヒジン ADOR元CEOを教祖とし、その弟子格にあたるNewJeansを頂点としたカルト集団が形成されつつあることです。
仮に上記の集団を「バニーズ・カルト (Bunnies Cult)」とします。
ミン元代表とNewJeansの5人及びその周辺で蠢くバニーズ・カルト団体は、近しいイエスマン以外の全てを「外敵」とみなし、外敵と戦う姿勢を崩していません。私から見れば法律 (司法) の側が正しい判断を下していると思いますが、NJZの少女たちからすれば「法が間違い」だと考えているようです。
 

このまま彼女たち5人のうさぎとミン・ヒジンの鎖を繋いだまま野放しにしておいたら、何れ大きな流血騒動に発展しかねません。
現在ではバニーズ・カルトの面々が気に入らないSNSのアカウントを通報し、凍結して回っているに留まっていますが、かつてのオウム真理教がそうであったように彼らがいつかどこかでオウムがそれを手にした時のように、危険物を手にするとも限りません。
なぜならば、現行で進んでいる裁判の結果が火を見るよりも明らかで、ミン・ヒジンとNewJeansには全く勝ち目がないからです。
 
正しい判断を「敵視」するマインドは、ミン・ヒジンの洗脳により培われたものでしょう。そうでなければ5人のうさぎたちの精神状態や判断力に、支障 (不具合) が出ているとみなす方が正常です。
 
上記の件について私は今日まで黙って口を閉ざしていましたが、韓国国内に近い考えを持つ人の発信した動画を観てあらためて、背筋が凍り付きました。
日本の私たちに見えているものと韓国国内が見ている『ヒジンの乱』とは、若干光景が異なるのではないかとも感じました。
 
但し該当の動画ではシャーマンそのものを危険視する内容が含まれていたので、その箇所だけは共感も賛同も出来かねますが、概ね見えている世界が近いと感じましたので、この記事に動画のリンクを貼っておきます。
 

LE SSERAFIM “KAZUHA”の表現と美声

私、Didier Merahは3月12日から14日まで、思い出の地 箱根に小旅行に出掛けていた。SNS用のプロフィール写真を1枚でも撮影出来ればと思いきや、現地は物凄い花粉の渦‥。
度重なるくしゃみの影響で、遂に二泊目の夜にこともあろうにギックリ腰を発症し、今日に至る(笑)。
 
まぁ箱根の旅について書きたいことは一旦棚上げし、昨夜YouTubeで聴いたばかりのLE SSERAFIMのKAZUHAの上品な表現と歌声に、私は完全に痺れている。
ここ数年はNewJeansを色々な方法で応援していたが、一連の事件が日に日に表面化して来る毎に彼女たちの人間性にも活動形態にも強く失望し、付け加え私の予知ではKポップ産業全体が近い将来衰退するだろうと察知しており、そろそろKポの推し活も潮時だろうと思っている。
そんな私を、Kポ産業で活躍している日本人女性の歌声の火球が直撃した🌠
 

 
YouTubeでコンスタントに配信されている『リムジンサービス』は、キャスターのイ・ムジンが好きで時々視ているが、今回のKAZUHA特集には痺れた。
 

 
何より選曲が良い。
冒頭の『Impurities』をピアノ一本でキメて来る辺り、KAZUHAの音楽性と教養の高さをモロに見せ付けて来るではないか。楽曲の大半を裏声を使って表現して行く様は、歌曲アリアを歌う手法に寄せており、動画後半でイ・ムジンがその旨を突っ込んで解説している。
そもそもKAZUHAがバレリーナを志していた女性と言うこともあり、クラシック音楽に精通していたことは当初から感じて居たが、彼女の、特に「声」の表現が身体表現を楽に超えて来た辺りは同じ日本人として心から誇りに思う。
 
楽曲が進み、私を完全に痺れさせたのが『Angel』27:11~ だった。
これは韓国ドラマ『ボーイフレンド』の劇中歌として数年前に流行ったそうだが、丁度私は自身の音楽活動が過熱して来たタイミングと重なりこのドラマを未だ視ていないが、原曲も良曲だ。
 

 
勿論原曲『Angel』も最高だが、KAZUHAのカバーが原曲を超えて来たところが圧巻だ。
彼女がもしも日本からデビューしていたら、彼女本来の能力はここまで発揮 (評価) されなかっただろう。そう思うと、日本の音楽文化水準の低さに腹立たしさを感じずには居られないが、やはり神はKAZUHAを放ってはおかなかった。
 
ただ、残念なことに今回のLE SSERAFIMのカムバック曲Come Over他‥ が何ともチープで情けなくて、音声を切った状態で映像だけを観ているとどこかストリップ性の高い下品な内容に見えて来る。そこに今回の『リムジンサービス』が体当たりでバッティングして来たことで、聴衆がどちら側の現象を真実として吸収して行くか、或いはKAZUHAの真の才能はどちら側の側面に潜んでいるのか‥、その辺りの評価の分断に対しては幾ばくかの危機感も感じてはいるが‥。
 

音楽的なことを付け加えるならば、『Angel』はどこかEnnio Morricone (エンニオ・モリコーネ) の名曲『シネマ・パラダイス』にも通ずるテイストを持つ楽曲だ。
名曲へのリスペクトがさらなる名曲を生み出したと言っても、過言ではないだろう。
 

 
何れもクラシック音楽のエッセンスを存分に含んだ楽曲を、バレリーナを志していた女性 KAZUHAがヴォーカルでカバーして行く流れは、偶然を超えた必然だ。
複数の奇跡が同時進行で動いて行くこの瞬間瞬間の出来事を、多くの人たちがありふれた出来事として見過ごして行くのが、音楽家である私にはただただ悔やまれる‥。
 

この記事の最後に、LE SSERAFIMのレパートリーの中で最も私が好きな曲『Impurities』のMVを貼っておきたい。
動画は原曲のバージョンにアクティブな映像がくっついているが、むしろ本記事の冒頭に貼ったKAZUHAのセルフカバーの方が音楽的に優れている。
 

 

ここからはほんの余談である。
私の法律に携わる家系に生まれているが最近、YouTubeチャンネル進撃のコ弁を運営する、コ・サンロク弁護士の活動に強く触発されている。
両者は方向性も手法も勿論全く異なるが、意図するところがとても近い。そして何より法解釈の緻密さに於いては、右に出る者は居ないだろう。
 
私は法の専門家ではないので適切な表記からは外れるかもしれないが、コ・サンロク弁護士の法解釈は既存の解釈は判例を法の解釈によって覆して行く可能性を感じており、それが私の音楽活動に大きな (ポジティブな意味で) 打撃を与えてくれる。
辛うじて両者が同じ星に同時に存在している事も、ただの偶然とは思えない。

“真っ白” – 藤井 風

色んな噂で透明性を失いつつある藤井風が、タイトルだけは透明な『真っ白』をリリースした。
この曲はミネラルウォーター (実は普通の水) の、『い・ろ・は・す』のCMでも流れている。
 

 
私は先ず、歌詞を見る。この人の楽曲の歌詞には、とある新興宗教の教義からの抜粋がふんだんに引用されていると聞くので。
実際に歌詞を読む限りそれらしき箇所は見当たらないが、それよりも何とも言えない投げ遣り感の方が強く響く。売れている‥ と言う自負の割れ目から、いよいよこの人の本性が露わになったのか。
 
本作品では恋愛が盛り上がった頃合いを見計らってゲームオーバーを言い渡す女性像が描かれており、そう言えば昔そんなゲームの連鎖を単純に楽しんでいた多くの女子大生がいたっけか。
かれこれ昭和の話だが、それは今の若者にも引き継がれているのだろうか。‥だとしたら、何と言う命の無駄遣いをしているのだろう。
 

真っ白な心に惹かれ
真実をさまよえば
真っ黒なところはぶち抜かれ
真新しい風にまた抱かれた
 
好きだよ 好きだけど
離れなくちゃ 置いてかなきゃ
 
好きだよ 知らんけど
私たちもう そんな頃よ
 
先にさよならするわ
悪いのはそうよいつも私でいいの
先に進まなければゴールできぬゲームなのよ 

 
作品のアートワークはモノクロームだが、純真とか純粋だとか‥ 若い世代とか音楽家が持つある種のがむしゃらさは失われ、タイトルの『真っ白』とは真逆の汚しが骨の髄まで染み込んだように、私には見えて仕方がない。
 
ところで皆さんは『い・ろ・は・す』を飲まれたことはあるだろうか?
私は過去職の関係でスタッフがよくこの水を買って来るので、嫌々飲まされたものだった。あれをスタッフは「ミネラルウォーターだ」と言って私に手渡したものだったが、どう味覚を研ぎ澄ませたところで苦みのある水道水の味しかしない。
 
水の味が分からなくなったら人間、おしまいだ。
いかなる飲み物も料理も、基本は水。その微細な味を感じ取れなくなったら、それはご自身の健康状態に不具合が発生した証拠だと思った方が良いだろう。
その意味では藤井風の『真っ白』が全く美味しくも何ともない『い・ろ・は・す』に起用されたことは、あながち間違いではないだろう(笑)。
 
皆さんも是非、味覚と霊体、感覚を研ぎ澄ませて良い水 (ミネラルウォーター) を飲まれることをお薦めしたい。
 
一度汚しが入ったものは二度と元には戻らない。
それは水も、人間も、食も音楽も文化も、全てに共通する。
 

 

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“Anni Luce” – Joe Barbieri (孤独と光)

私が何故‥ こんなにもイタリアの音楽に惹かれるのか、この作品を聴けば多分多くの人たちにその意図が通じるかもしれない。
イタリアのシンガーソングライター、Joe Barbieri (ジョー・バルビエリ) が放つ新譜はまるで、この世界にたった一人だけ取り残された最後の人類の叫びのように聴こえてならない。
 

その私の想像をあっさりと肯定してくれるように、歌詞を和訳してみたところやはり‥ と言うような内容だ。
 

[意訳を含めた和訳]
私の居場所はあなたのそばにあるから
でも私はあなたのそばにいない、
 
絶望すべきだと言った
あなたに別れを告げるとき
彼がどうやってそれをするのかさえ知らない
半分の騒音
私たちが何だったのか
 
私たちは最後の住人だった
私たち二人のために作られた惑星
そして今、遠く離れた二つの衛星
自分自身に赦しを与える方法を知らないが、
外は暗い宇宙で
永遠から何光年も離れた
私たちが一緒にいたこと
 
確かめたい また
その痛みを
呼吸を消滅させる
しかし、それが生きている実感を与えてくれる
 
何も聞いてないよ
とても重要な
ただあなたの一部になるために
 
しかし、実際のところ、最後の言葉は
それはあなたのものではないが、私のものでもない。
私たちは密かに叫び続けるだろう
嘘の中にある真実
それがどうなのか聞くためだけに
半分ではないという罰
一つのことだけ
 
もう一度試させてください
あの味をもう一度
境界線を示す
地獄と崇高の間
 
何も聞いてないよ
とても重要な
ただ留まるため



何も聞いてないよ
とても重要な
ただあなたの一部になるために
 
私の居場所はあなたのそばにあるから
でも私はあなたのそばにいない

 
丁度昨夜私は夫と二人、イタリア料理で神人共食の儀を開催していたところだった。
本当に信じられないくらいの体調不良に夫婦共に見舞われる中、それでも中止等考えられない儀だったので二人とも頑張った。
一夜明けて、どういうわけか私の胃袋が復活した。いつもそうだ。約束のある前日辺りから不調に見舞われる。
きっと圧なのだろう。
 
神人共食の最中、愛するサビノ神父 (故) の話題に自然と触れて行く。
過去世の私は、当時のサビノ神父が乗車したトラックで (運転していたのは別の人物だった) 轢かれて命を落としている。そのことが大きな心の傷となり、サビノ神父は霊体の心臓部分に大きな傷を負ったまま、最後は信者さんに会いに行く途中の飛行機の中で心臓発作で亡くなった。
 
だがそれよりもサビノ神父はそもそもナポリ出身の生粋のイタリア人なのに、今世の私に会う為としか言いようのない理由で来日し、日本で聖職者となり、あらゆる手を尽くして私を探し出した。でもその時のサビノ神父はきっとそんなことは何も考えず、ただ夢中で私を探したに違いない。
色々な変遷を経て神父はようやく私の母を探し出したが、皮肉なことに母が一方的に神父に熱を上げたのだろう。
 

母の死後、遺品整理中に数十枚と言うサビノ神父の写真を発掘した。
人生で一度でも恋愛経験のある女性ならば、集められた写真を見ればその人の心情を理解することが出来ると思うが、母は間違いなくサビノ神父を異性として好きだったに違いない。
だが残念ながらサビノ神父は、母と繋がりたいわけではなかった‥。
 
そして母は私を身籠り、私が生まれた。
神父は毎年、私の誕生日になると家を訪れた。必ず何かしらの手土産を持参して実家を訪れたが、贈り物の大半は母の手中に吸い込まれるように私の前から消えて行った。
でも私たち (私とサビノ神父) にとって大切なことは、物ではない、もっと別の何か‥。そのことに真っ先に気付いた母が、私が5年生になった頃からサビノ神父を私から遠ざけるようになった。
 


サビノ神父はどこか、私にとって「知り合いのおじさん」、或いはとても親しかった思い出の中の年上の男性のようだった。

この写真を見れば確かに私と神父の雰囲気が似ていると、写真を見た人誰もが口を揃えて言う。私たちはもしかすると、カメラの方角のその彼方の過去のトスカーナを見つめていたのかもしれない。
(私はようやく20代を迎え人生はこれから‥ と言う時の、私がトスカーナで大きなトラックに轢かれたのはそんな、或る春の日の出来事だった‥。)
 


Joe Barbieriの新譜 “Anni Luce” は、「光年」と言う意味。丁度昨夜、私たち夫婦が訪問したイタリア料理店にも “Luce” と言う名前が付いており、色んなことが頭の中で複雑に絡まり合いながら今、この曲を何度も聴いている。
 
勿論私は回顧主義者でも何でもないし、今この瞬間が人生で最も光輝いていると思って生きているが、サビノ神父との間に起きた色んな出来事は時にそれをあっさり超えて行く。
何よりあんなに時間もチャンスもあったのに、やりたかったことの殆どが未達成のまま神父がこの世を去ってしまったことがとても悔やまれる。だが今は女児としてこの世に新たな生を授かったサビノ神父。彼 (彼女) と次会えるのは、いつになるだろう。
それまで私は絶対に生きてなければならないから、昨日のような胃の硬直感に見舞われるととても怖くなる‥。
 

昨夜の神人共食には、サビノ神父も列席された。そういう時に限って、そういう大切な瞬間だかこそ誰かが妨害を企てようとする。‥
 
“Anni Luce” を聴いていると、リラ星が燃え尽きた後にぽつんと私が宇宙の闇に放り出された時を思い出す。
苦悩も苦痛も何もなく、かすかなノイズが流れる暗闇に私は一人で存在していた。肉体がないから動くことも出来ないし、地面も何もない空間の中を私の意識だけが彷徨い続けていた。
 

Googleで和訳した歌詞を読んでいたら、思わず涙が溢れ出した。私は滅多なことでは泣いたりしないのに、無意識層の私が叫びを上げる。
孤独と光。それは私にとって、苦しみと懐かしさの両方の意味を持つ。どちらも崇高なのに、手にすることをとても躊躇するものだ。
“Anni Luce” は私の、二つの悲しい思い出に光をあてて行く。そして私はその光の彼方にあるものを凝視しながら、同時に目をそらす。両方の感情と感覚が私を包み込むと、そこに混乱と目まいが発生するが、その両方共にとても愛おしい。
 

 
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