社会現象の観点から考察する藤井風 そしてNewJeans

2025年9月11日、午後1時からソウル中央地裁で開催された公聴会にて、NewJeans 対 ADOR専属契約を巡る訴訟はメンバー不在の中20分で終了し、双方合意に至らず決裂した。
(同日、ミン・ヒジン関連の別の口頭期日も開催されていた。)
 

 
 
彼女たちも万策尽きた状況だが、その後に判決が下ると言う実感が未だ湧いてはいないようだ。現状NewJeansの5人は、兎に角ゴネ得で外界から目を逸らせばそれでやり過ごせるとでも思い込んでいるようだが、法律はそこまでアマくない。
 

音楽も音楽業界も、共に荒れている。

 
特に私が2025年9月11日未明に更新した記事藤井風と多重人格の可能性についての記事訪問者数がとんでもないことになっている他、それまでアンチ藤井風側に一見立ち位置を取っていたように見えていた私に豪雨のような、言葉にならない不満を含めた現実的な『圧』が押し寄せた。
一度藤井風を『サイババ二世がサイババの教義をコピペした詞で音楽をリリースし、信者を増やしているのだから、どれだけ叩いてもいいではないか!』と声を荒げて叩き屋と化した藤井アンチたちにとっては、上記の記事はその後のバッシング活動をやり辛くする内容を存分に孕んでいたのだろう。
 
問題は藤井風自身の闇の深さ、その闇の周囲に立ちはだかる藤井風の父親 (つまり毒親であると推測される‥) の存在。
父親が喜ぶことをしなければ藤井風が家庭の中、世の中に居場所を失うかもしれない‥ と言う藤井風自身の危機感及び強迫観念。‥彼の強迫観念の行く先がつまりはサイババへの帰依であったことや、重度のPTSD発症とそれにともなう多重人格障害の可能性について。
藤井風は今、本当の意味での拠り所を失った状態だ。
 
ざっと目に見えている状況を列挙するだけで、これだけの (藤井風の) 闇が露出している。
 

 
昨日外出中にふと気になることがあり、外出先でスマホから音楽年表を検索してみた。

「藤井風の音楽が良い」と言うファンが、今年になって急増したように私には見える。
藤井風が『死ぬのがいいわ』を紅白で歌ったのが2022年の年末だったが丁度その年は、KPopのガールズグループ、NewJeansのデビューの年と重なっている。

NewJeansのデビュー曲『Attention』は2022年8月1日にリリースされ、瞬く間に旋風を巻き起こした。
 

 
剛腕プロデューサー/ミン・ヒジンのセンスは当初から高く評価されていた。
NewJeansはその後『Ditto』『omg』等、それまでのKpopにはないヒール色の薄い、爽やかでポップかつメロディアスな楽曲を立て続けにリリースして行った。
勿論タレント性は元々備わった彼女たちだが、それより何よりもNewJeansの楽曲は世界中のポップスの中でも際立って光っていた。
 
世界の音楽の空洞化をNewJeansの5人が見事に埋めていた期間、多くのポップス愛好者たちはNewJeansの音楽性とその音楽性を深くユニークに掘り下げて演出 (& プロデュース) に集中したミン・ヒジンの魅力に取り憑かれて行った。
その流れに乗るようにして、特に2022年~2024年の2年間は世界中がKPop一色に染まった時期だったように思う。
 

一方藤井風は2021年4月22日にきらりをリリースしており、某バイクメーカーのCMに起用されたことで一躍脚光を浴びる存在となった。
但し検索して行くとOfficial MVの公開は2022年と表記されており、正確には2021年と2022年のどちらかがやや曖昧になっている。
 
丁度その頃目に付いたのが、Vaundyの台頭と多数のアニソンが売り上げランキングの上位を占めている状況だ。
試しに2022年のヒットソングランキングを捲ってみたが、これと言って目立つ楽曲は見当たらない。翌年2023年にはYoasobiのアイドルが爆発的なヒットを遂げるが、此方はアニソン縛りと言うこともありコアな音楽ファン層の評価は低い。
 

2022年にデビューしたKPop/ガールズグループと言えばもう一組、LE SSERAFIMが記憶に新しい。(その頃から世界がKPopで溢れかえるような現象が加速して行くが) 既に韓国はHYBEでは『ミン・ヒジン率いるNewJeans 対 パン・シヒョク率いるLE SSERAFIM』の、後に言う「ヒジンの乱」の火ぶたが切られ、それが記事冒頭のニュースへと繋がっている。
丁度2022年~2025年の期間、藤井風はそれなりに音楽活動を続けて来てはいたが、2025年9月の騒動のような熱量は見られなかった。だがその間にも藤井風のPTSDと思われる症状は進行しており、それが先に私が記事に書いたような深刻な多重人格障害を発症させ、そちらも急激に病状が悪化したように見受けられる。
 
藤井風の背後には名前の上では「厳しい教育」を藤井に施す父親の強大な存在があり、いわゆる洗脳教育と藤井風のメンタル面に侵食して行ったであろう暴力のような行為が行われていた可能性を否定出来ない。
 

 
この間私はと言えば世界中の音楽を聴き漁り、それをSpotifyのプレイリストに粛々とスクラップし、それをSNS等に告知しながら音楽リスナーの底上げを試みていたが、色々な事情で露出をセーヴしている私の知名度の低さが災いし、私の活動が一部のファンに訴求した以外には大きな旋風を巻き起こすには至らなかった。
 
仕込みは万全だったが結果にコミット出来なかったこの期間、特に2024年明けの1月にはミン・ヒジン対 HYBEのトラブルが表面化し、同年11月末日のNewJeansの契約解除記者会見へと此方も又自体を一気に悪化させて行った。
 

 
一方現在の音楽シーンで目立つには、1980年代~1990年代に日本で爆発的にヒットした『シティ・ポップ』のカバーソングの台頭で、これは2025年現在も記録を更新している状況だ。
NewJeansのヘリンも2024年の6月26日/27日に東京ドームで開催された「NewJeans Fan Meeting \’Bunnies Camp 2024 Tokyo Dome\’」で、竹内まりやの『Plastic Love』を熱唱している。
 

 
近年良質な楽曲が激減している様子は私も、毎週末の「世界の音楽」の新譜をくまなくチェックしているので痛感している。
 
藤井風ファンが言う「藤井風の音楽が良い」と言う発言は方々に散見されるが、これはおそらく他に競争相手が居ない、現状は藤井ひとり圧勝の状況が招いた結果かもしれない。
確かに一見藤井風のメロディーは爽やかかつ独特のクセがあり、それがリスナーの中毒症状を引き起こす引き金にもなっている。だが多くの音楽リスナーは雑誌やメディアで持て囃されたミュージシャンの音楽しか聴いていないし、世界の音楽を探索して聴き倒すには彼らは余りにも仕事や社会に忙殺されているので、音楽を探す時間を確保出来ない状況にあるようだ。
 
世界の良質な音楽を常に耳にしていれば、藤井風如きのジャンキーな音楽を好きになる筈がないと私ならば思うのだが、手っ取り早く美味しい音楽が聴きたい層の音楽リスナーたちは「とりあえず」の感覚でメディアが紹介するところの、藤井風や椎名林檎や宇多田ヒカル辺りを聴いて周辺のリスナーとの同調を図ろうとする。
一人だけ無名のアーティストなんか応援していたらそれこそSNSや職場等で恥をかきかねないし、「とりあえず」誰もが知っているであろうアーティストの数名の新譜をごそごそと漁っているうちに、調味料で言うところの味の素をガンガン使って出来上がったカップラーメンのような藤井風のメロディーにハマり込んで行ったと見るのが妥当だ。
 

日本の教育状況や社会状況にも、大きな問題が山積している。
受験に必要な科目以外は授業内容が軽視されており、特に美術や音楽の授業は「どうでも良い科目」だと認識させるような風潮がある。
一部の合唱好きが毎週末集まるような部活がある以外、義務教育機関の中で本格的に音楽に接する機会はほぼ皆無だ。
 
そんな学生時代の日々の蓄積を経た若年層にとって、藤井風のメロディーは過剰なまでに甘美で心地好いだろう。
 

 
記事『藤井風と多重人格の可能性についてでも綴ったように、藤井風の言動や表情は誰が見ても変だ。
勿論彼がサイババ二世として活動を更新して行くことには賛同出来ないが、だからと言って心を病んでいる可能性が濃厚な藤井風を闇雲にバッシングし続けて良い理由にはならない。
むしろ今の彼を、これ以上追い詰めてはいけない。
 
問題を解決したいのか、それともアンチ活動を介して活動家たちが大勢の匿名集団を先導することで承認欲求を満たしたいのか‥。その境界線を各自が厳しく見極め、そういった一連の藤井風バッシングの波に便乗しない方が、社会的な意味での二次災害を防ぐ近道だと私は思っている。
 
寄ってたかって特定の人物を叩きのめしている輩の大半は、匿名で活動している。自分には火の粉が及ばないよう、完全防備の状態でSNSに網を張っている。
だがそこまで藤井風バッシング活動を継続したいのであれば、バッシングする側にも覚悟と責任を負う必要があるのではないか‥。
 
味の素を常習的に使用している料理人に味の素を否定するような言葉を吐いたら、当然のことその料理人は怒りキレて反撃に出るだけだ。‥ならばそこまで信仰が進んだ人々に関しては、「一人一人摘まみ上げて真実を伝える」と言うような偽善的にも見える言動は無駄に思える。
 
 
サイババ二世の藤井風が危険人物だと感じるならば、大勢で徒党を組んだりせずに各々の言葉で客観的にその旨を発信すれば良いと思う。
心ある人はその言葉に反応を示すだろうし、そうではない人たちは唾を吐くか離れるかの何れかの反応を示すだろう。それ以上を求めるべきではない。
藤井風を応援する側も応援しない人々も、反発したい人たちも、「足ることを知る」精神を胸に留め置く必要性を感じてならない。
 

 
思うに一連のトラブルは、良質な音楽家と音楽を輩出することで解決可能だ。
是非各々の意思で、良い音楽を探して吸収して欲しい。
 
世界はあなた方が思っているよりは広い。そこには未だ出会ったことのない良い音楽が静かな寝息を立てて、リスナーを待っている。
 

 

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謎の韓流天才アーティスト Tae Yoon Kim!

人生の大きな転機を迎えた私。そんな私が今、自身の半生を自分の中で集大成する為の音楽の整理を続けている。
特に旧作 J-Pop に良作が多く、絶版間近のCD等の音源を一気に手中に収めるべく、古い中古CDを買い集めている最中だ。
 

今日は山下達郎の旧作を中心に、Amazonでポチ、ポチ‥ と5枚のCDを購入したところだった。
アルバム中に一曲だけ欲しい作品がある場合には、YouTubeやSoundCloudから音源を探してストックしている最中の出来事だった。
謎のアーティスト、Tae Yoon Kim の恐ろしく凄まじくお洒落な音源を見つけて歓喜している。

オリジナル作品はなく、多くがAOR系の楽曲のカバーだが、ビックリしたのがこれ、山下達郎の「Sparkle」のカバー動画だ。
 

 
冒頭から自身のギター演奏でブイブイ、兎に角何の迷いもないこのカンペキなカバーに驚いた。しかもスムーズであり奇跡性をほのめかすでもなく、ただただ無表情に奏でるのみ‥ と言う、この独特のクールさにロックオン!

さらにはこれがただの完璧なカバー動画であるにとどまらず、後半に向けてグイグイと自身の感性でアレンジを加えながら完全疾走して行く、このエネルギーは圧巻だ。
 

 
一体この人は何者ぞ!と思い色々調べてみたが、似たような面立ちの別の俳優のプロフィールが見つかるだけで、この人 Tae Yoon Kim 本人のプロフィールになかなか遭遇出来ずに居る。
似た人とこの人とが同じ人物にはどうしても見えなかったので、ここは調査未遂と言うことで掲載は控えたい(‥が、もしかすると俳優 Tae Yoon Kim と音楽を奏っている Tae Yoon Kim が同一人物である可能性も捨て切れない‥)。
 

性別は男性、出身は恐らく韓国であろう、それ以外は全く伏せられた謎のアーティストのYouTubeチャンネルには、なぜか日本のAOR系のポップスのカバーが多く、動画説明にも流暢な日本語が韓国語と一緒に書かれてある。

多くの日本の歌手やミュージシャン等のパフォーマンスはどこかニヤけており、最初は良いが段々とそれが鼻に付いて来るが、この人 Tae Yoon Kim は良くも悪くも徹底的にクールで不愛想でめちゃめちゃ上手いので、それが大きな吸引力となって楽曲(動画)の後半に急激に勢いが加速するような印象をリスナーに与えるのかもしれない。

特にこの山下達郎(Tatsuro Yamashita) – Sparkle(スパークル) Cover by T.Y.Kimは、本当にヤバいのだ。
よくよく聴くと、ヴォーカルは完全に自分の表現で歌い切っており、コーラスだけがご本家 山下達郎の裏声を完コピしているように聴こえる。

確かご本家の録音のコーラスの一部を吉田美奈子さんが担当していた筈で、彼女の持つうねり(唸り)の周波数が Tae Yoon Kim のコーラスワークでは省かれてはいるものの、耳コピが余りにも上手く行き過ぎているのでぼんやり聴いているとその事すら気付かないまま一曲を歌い切られてしまう。

そのご本家 山下達郎の『Sparkle』も、下に貼っておく。
 

 
格付けクイズで黙ってこの作品を出題したら、恐らくGACKT以外誰もが Tae Yoon Kim のコピーの方が本物か、ご本家 山下達郎の原曲の方がコピーなのか分からなくなって、大いに混乱するに違いない。
 

 
‥さて、話題を Tae Yoon Kim に戻して。
アップテンポの『Sparkle』だけでは検証としてはツメがアマいので、他の作品も漁ってみたところ、これまたバラードも泣かせてくれるではないか!
あたしの涙腺を壊さないで下さいな、Tae Yoon Kim さん‥(号泣)。

その、問題のバラードの動画が此方。
 

 
ついついヴォーカルの表現力だけに意識を奪われそうになるが、よ~く編曲を聴いて頂きたい。
細かいピアノのリフ、コードプログレッションの緻密さにコーラスの厚み、音の取り方に至るまで兎に角隙が無いのだ。

下がオリジナル 山下達郎の『TOUCH ME LIGHTLY』だ。⇩
 

 
Tae Yoon Kim と比べると声質が断然ご本家の方が柔らかいが、ある意味物真似に寄せることなく堂々と自身の声で勝負を賭けて来た Tae Yoon Kim のある種の自信と度胸が凄まじいばかりに、ずっと聴いているとどちらがご本家か一瞬分からなくなる。
まさに Tae Yoon Kim のカバーは、もはやカバーを越えたカバー、原曲を超えるカバーであると言っても良いだろう。
 

さて、この記事の〆の曲には、良い意味でかなり迷った。最終的にこの楽曲『PAPER DOLL』に軍配が上がった。
ご本家 山下達郎のナンバーの中では比較的マイナーではあるが、Tae Yoon Kim の解釈 & 表現がこの曲に関しては完全に原作を超えたとすら思わせる、兎に角この恐るべき表現(解釈・アレンジその他を含む)スキルをとくとご覧あれ!

※動画(上)が Tae Yoon Kim のカバー、(下)にご本家 山下達郎の原作を掲載して、この記事を〆たい。
 

 

 
※山下達郎さんの動画は著作権の事情で、時々いきなり削除されます。その時は別の動画を探して可能な限りリンクを貼るようにします。
 

本記事はnoteより此方へ移動しました。(https://note.com/didiermerah/n/n010555b326af)