謎のうさぎが語る思い on “Supernatural” by NewJeans (with Min Hee Jin)

私にシュールな意味合いでの新たなミッションが加わったことで、このところ時間やエネルギーの使い方がかなり変わったように思う。他者との関わりも徹底的に制限し、とにかく人目に触れないように過ごしている。
そんな中、NewJeansの新譜 “Supernatural” のPV第二弾が配信されていた。
 

特に印象的だったのは何度も映像に流れて来る “謎のうさぎ” の表情と、NewJeransの5人の少女たちが実は “謎の生命体だ” と言う場面設定とその映像描写だ。
 

NewJeansのプロデューサーであるミン・ヒジン (Min Hee Jin) は、もしかすると過去世で別の惑星に生きた経験があるのではないか‥と私は感じている。それが実は私が生きた過去世とも深く重なり合っていて、両者が保持している記憶がとても近いようにも思えて来る。
例えばこのまなざしの色と、光の描写。
 

 
私が知る (リラ星に実在した) “光るさかな” たちの皮膚と目を思い出す。(彼らは神の力を持つと信じられており、満月の夜にだけ海面に現れてはリラ星の巫女たちに星の未来の出来事について予言を授けてくれた。)
 
そしてさらに気になったのが、下の写真の日本語の部分‥。
 

 
最近度々思う。本当にシュールなエネルギーや人生スキル、技術を持つ人は、それを持たない人たちとはけっして交わることが出来ないと言うことを。
たとえエネルギーだけが突出していてもそれを技術で人々に伝える人生スキルを持たない以上、人々に対してそれが高度なエネルギーだとは気づかせることが出来ないと言うことを。
 

今も昔も度々私の目の前に現れる (あくまで自称の上で) “不思議な力を持つ人” 、もしくは “高尚なエネルギーを持つ人” たち。
彼らは往々にして自身が置かれた不遇な境遇について “自分はこれだけ高尚なエネルギーを持っているのに、他者がその事実を認めようとしない‥” と言いたがる。だが実際に彼らは真剣に自身のことを考えてはいないし、ともすればもっと要領よく民衆を洗脳すること (だけ) を生業に出来たら良い‥ 等と考えている。
 

本物の才能は、けっして隠すことが出来ない。嫌でも社会生活の中にそれらは露呈することを免れられない。
Genuine talent can never be hidden. Whether one likes it or not, it will inevitably be revealed in social life.

 

 
PV “Supernatural” とは、”突出していることが私たちにとって、超自然体なのよ‥” と言う意味だと私には思えてならない。
粛々と覚醒し続けた結果の現在があり、それは日々の些細な努力と周囲への配慮や気遣いと共に、そこに在る。「わざともう仲良くならないように‥」と言う会話のシーンは、今の私には特に重く身近に感じ取れる。
 

例えば私が、自身のことを “コンタクティーだ” と誰かに伝えたとしても、そのスキルを持たない者や持とうとすらしない人たちにその真意は伝わることはないだろう。”あの人、こじれてるね” などと茶化されて終わりだ。
だが私は日々真剣に複数の地球外生命体 (たち) とテレパシーで交信を続けているわけで、それを私は主に自身の作る音楽を介してひっそりと配信し続けているこれも又、事実だ。
 

 
“スターシード” と言う言葉をご存じだろうか?
この言葉は一説には、「地球の次元上昇(アセンション)のために、地球外の惑星から来た『魂』を持つ人たちのこと」とも言われている。だがそもそも「アセンション」とは宗教用語で「昇天 (死) 」を意味するので、その箇所に於いては私は否定的な考えを持っている。
但し他惑星に生息した経験を持っているならば、その惑星にはない何かしらをオーパーツとして自分が置かれた状況下で新たに出現させることが可能である。
その意味で私は個人的に、”スターシード” は私の他にも複数存在する可能性を否定していない。今のところそれは数名に限られるが、もしかするとミン・ヒジンもその一人ではないかと思っている。
 

ミン・ヒジンとNewJeansの5人の少女たちが表現する “Supernatural” の神髄には、一体何が潜んでいるのか‥。美しいオーパーツがここに又一つ、音楽と表現と映像と介して出現したことが、私にはただただ頼もしい限りだ。
 
What on earth lies within the essence of “Supernatural” as expressed by Min Hee Jin and the five girls of NewJeans?
I am simply confident and happiness that another beautiful Ooparts has appeared here through music, expression and video.
 

追記:
他者の音楽に関する記事は極力、音楽評論家として運営している別ブログ “遠矢美樹の音楽評論” に綴ることに決めています。ですが、今回の場合は私自身のシュールな経験や記憶とミン・ヒジンが織りなす美しい表現世界とが深く重なっていた為、メインのブログ “Didier Merah Blog” に記載することにしました。
 
PS:
When it comes to other people’s music, I usually write about it on my other blog, “Miki Toya’s Music Criticism” which I run as a music critic. However, in this case, my own surreal experiences and memories overlapped deeply with the beautiful world of expression woven by Min Heejin, so I decided to write about it on my main blog, “Didier Merah Blog.”
Thank you for reading to the end!🛸

 

 

関連記事:

エッジボイスを手放したNewJeans – 新曲 “How Sweet”

2024年5月24日、NewJeansの新譜 “How Sweet” が無事お披露目と相成った。
既にカムバック曲として先行公開されていた Bubble Gum とセットで、グッズ込みのCDもリリースされた。私は此方も予約購入しており、週末の外出日を避けた来週の月曜日に我が家に到着するようセットしてある。
 

新曲 “How Sweet” のMVにはADOR代表のミン・ヒジンの目映い仕掛けが随所に見られることは勿論だが、それ以上に目を見張るものがあるとすれば、本作でNewJeansの5人がK-Popの最大の武器とも言えるエッジボイスを殆ど使っていないことだろう。
声、歌に精通している人ならば直ぐに気が付くが、そうではない一般のリスナーはそれにすら気付かないかもしれない。
それぐらい全てがあまりにも自然でさり気なくて、まるで食前に提供されるミネラルウォーターを無意識に飲んだ時の清涼感だけが音楽を包み込んでおり、それがたまらない。
 


以前ミン・ヒジンのインタビューで、「人生を楽しむことが大切よ。」‥ と彼女が常に5人の少女たちに話しているとあったが、このPVではそれが見事に開花している。
しかも大自然の中で、照明等のセットや小細工等が為されてすらいない空間であっても、NewJeansのやわらかな素顔と個性はワンセットで健在だ。
 
楽曲的には (一部SNS等でこれをヒップホップだと言うコメント等も散見されたが) 王道のポップスだと私は認識しており、仮にこの音楽からビートを抜き取ったとしてもメロディーの芯はしっかり残る構造になっており、聴いていて不安定要素が極めて少ない。
コードプログレッションはいわゆる王道コードとは異なり、[E♭m ⇨ D♭M7 ⇨ D♭m7 ⇨ C♭M7] と言うサビのコードの移り変わりは近年のK-Popの楽曲には珍しい。
 


大自然ほど不確定要素が多いものはなく、その辺りが映像の背景と5人の少女性で見事に表現されており、聴いた後に果汁の入った微炭酸のような爽やかさだけがじんわりと喉元に留まり続けて、とにかく気持ち良い。
何よりエッジボイスを殆ど使わずにこのタイプの楽曲を歌われたら、これまでエッジボイスを必死に習得して来た他の歌手やガールズグループ等にもはや勝ち目はない。
 
最近色々トラブルに巻き込まれて来たニュジ & ADORやその代表のことがずっと気掛かりだったが、何事もなかったみたいに弾け飛んで行くニュジ (NewJeans) の圧勝だ。
 
何はともあれカムバック、おめでとう❣️
 

 

『How Sweet』by NewJeans
作詞: Gigi, Sarah Aarons, Elvira Anderfjard, Oscar Scheller, Stella Bennett, Tove Burman, DANIELLE
作曲: 250, Sarah Aarons, Elvira Anderfjard, Oscar Scheller, Stella Bennett, Tove Burman

 

NewJeans ‘How Sweet’ Standard ver. (6 SET)(韓国盤)
 

[ライブ評論] V ‘Love Me Again’ Band Session

BTSはテテこと “V” の “Love Me Again” のセッション動画が配信された。Twitterには既に簡易版音楽評論をポストしたが、何と私がパソコンの作業を開始する5分前に公開された動画だ。
とても期待しながら動画に耳を澄ましていたが正直な感想を言わせて貰うと、完全に期待を裏切られた。

原曲の繊細さが全く削れ、いわゆるニューヨークの街角のジャズを匂わせる演出が余り上手く行っていない。勿論バックバンドのクオリティーにもかなり問題はありそうだが、要はフロントに立っている “V” がこのセッションに対して消極的とも言えるマインドが表現の壁になってしまった感が否めない。
 


今自分は何をしに、何の為にこの音楽、この状況に遭遇しているのかと言う表現者としての軸を、この動画からは殆ど感じられない。
同時にサポートを務めるミュージシャン等もマネーで雇われた感がハンパなくて、アドリブにせよコードプログレッションにせよ彼等から愛情の微塵も感じ取れない。
 
兎に角目まぐるしく場所と環境を変えてリスナーの目新しさをそそってはみるが、Vの、この一種の無感情な表現がライブやセッションには全く不向きである点に果たして彼のプロデューサーは気付いているのか、否か‥。
 

“V” の別の曲 “Slow Dancing” を何と、NewJeansHYEIN(ヘイン)がカバーしているが、むしろそちらの方が原曲とは異なる別の世界観を創造しているように私は感じた。
移調したKeyが原曲の “E♭” に対して “G♭” に移行したことが吉と出たのか、若干15歳のヘインのカバーの方が原曲のもの悲しさを上手く表現しているような気がする。
 


二人に共通している欠点が一つある。それは楽曲後半の時間の使い方だ。
双方共に楽曲後半の楽器アドリブが入った途端に無言になり、楽曲終盤までインストの終わりをただじっと待っている‥ と言う動作に入って行くが、本当はそこが歌手の見せ所。
 
カバーならば尚更後半に、原曲には無いスキャットなどを入れることを再演する際に考えた方が、リスナーをもっと楽しませられると私ならば考える。
無駄なことをしないのも一つの策ではあるが、それならば原曲(レコーディングされた記録)を超えることは不可能だ。だったら再演自体、一切やらない方が良いだろう。
 

但し一個の楽曲を様々な切り口で魅せると言う意味では、一つの実験音楽/ 実験演出と言っても良さそうな企画かもしれない。 (如何せん個人的には、この解釈はあんまりだなーと思う。 )

 
テテはいつも通りに作業をし、周囲はテテのヴォーカルが抜けた隙間で悪戯を仕掛ける感じ。 作業とアドリブのバッドなせめぎ合いがリスナーの心を、むしろ締め付けて来る。
歌手本人がクールにキメている分、音楽的には虚しさが後を引く。
 
ズッコケ覚悟で「生きた人間」として再演に臨まないのであれば、この曲は再演すればする程鮮度を失って行く。
音楽が演りたいのか、それとも音楽を道具として扱う歌手のヴィジュアルを見せたいだけなのか、その辺りについて総括プロデューサーはもう少し真剣に考えた方が良いのではないか。
 
まだまだ問題山積の状態だ‥。
ヴィジュアルで音楽は成立しないと言う、この動画は非常に分かりやすい例だ。