“Airy” 飯島真理 – 彼女の声と音楽と‥

彼女の音楽を聴く人たちはおそらく、脳内で絶頂期の飯島真理の‥ つまりマクロスの声をベースに敷きながら彼女の歌を聴いているのかもしれない。
最近の飯島真理の声はかなしいほどに衰え、彼女が描いている本来の音 (韻) に声帯の振動が届くまでに複数の音と韻を経由する為、何を歌っているのか殆ど分からない。

飯島真理のブログやYouTubeからはほぼ社会運動家の様相を呈した内容の情報が伝わって来る。世を儚みながら愚痴を絶叫するような、精神状態 (メンタル) 面の悪化が見て取れる。
勿論クリエイトを職に持つ人たちは多かれ少なかれメンタルをヤラれやすい傾向にはあるとは言え、彼女は自身の最高の武器だった声を完全に喪失してしまったのだからそれも致し方ないのだろう。
 

 

思うに‥。自身の武器に不具合が生じたら、そこが引き際だろう。勿論私自身にもそれは置き換えられる話なので、私は必要以上のトレーニングもしないし人前での演奏も一切していないが、未だ引き際には遠い
一方飯島真理の場合はどうだろう。
 

ニューアルバム “Airy” 、和訳したら “風通しの良い‥” と言うような意味にもなるが、どう好意的に聴いても風通しの良さを全く感じない作品が軒を連ねる。
楽曲的には程々絶頂期の彼女を覗かせる作風も見られる (M-2: “Where Do You Go”) が、兎に角声があっちゃこっちゃふらふらしながら目的の音と歌詞 (韻) を捉えるから何を言ってるのか、本当に聴き手を混乱させる。
特にその状況が裏声に見られるのが、飯島真理としては致命的な損傷だ。

アレンジ面でもほぼスタジオ練習並みのピアノ・バッキングがメインで、その上に若干のシンセやサックス等のTop楽器で歌のない箇所にソロを取らせているだけの、かなり簡素でチープな編曲で完結させている点が苦しくて痛いところだ。
そう思うと初期の飯島真理の編曲家陣 (坂本龍一/ 吉田美奈子/ 清水信之 等) やビクターの制作陣がどれだけ腕を振るっていたのか、今頃になって気付かされる。

 

飯島真理の元々の (ややとち狂った) メロディーセンスを最も上手く活かしてアルバムにまとめていたのは、やはり故 坂本龍一氏だろう。
勿論他の編曲家たちも彼女の良さを活かしてはいたものの、編曲の中に “過剰な自分らしさ” とか編曲の個性やアクを乱用しているふしは否めなかった。編曲家のサガとでも言うべきか、ここは本当に作曲家との決戦とも言うべきだろう。絶対に負けては帰れないのが、編曲家のかなしさだ。

アルバムには全7曲が収録されており、マイルズ・ショウェルがマスタリングを手掛けていると彼女のブログには記載されてあるが、マイルズもかなり苦労したに違いない‥。
冒頭曲 “Sobaniiteyo” は楽曲としては悪くない。むしろ最高だった頃の飯島真理の感性が覗くが、問題は声とアレンジだ。特にアレンジ、‥どうにかならなかったのだろうか。
声に関してはもうどうにもならないところまで彼女自身、追い詰められているだろうからここでは言及を避けよう。

ピアノ+アルファ‥ まるで町の夜店のライブハウスの演奏を聴いているようだ。

良曲はM-1, M-2 のみ。その他は捨て曲と言っても良い出来栄えだ。それぐらい、彼女は曲も書けなくなっている。
同年代なだけに (‥と、以前彼女の “X” 旧 Twitter のポストにリプをしたら劇的にキレ散らかされた‥) 他人事ではないが、やりようはあった筈。要は彼女自身の人間性の問題なのだ。
反面教師として見つめていたい。

 

 

 

飯島真理と故 坂本龍一氏のコンビの作品の中で、最も優れていて鮮度を保っている作品 “ブルーベリージャム”
歌詞も良い。

 

変わり果てた歌 [MIRACLE SHIP (LIVE 2023) – 吉田美奈子/ 井上鑑

恒例の「世界の新譜」チェックを粛々と進めているが、今週はやたらEPサイズの新譜が多いなぁ‥ 等と思いながらもうそろそろ休もうかと思っていたところにこれが飛び出して来た。
私は如何なる作品であっても差別感情や偏見を持たぬことに決めており、勿論先入観も全てかなぐり捨てて新譜に向き合うと決めている。だからこそ時に、衝撃を受けるような作品に遭遇することも多々起こり得る。

まさに今がその瞬間だったと言っても過言ではないだろう。
 

この人、吉田美奈子さん。
既に私が17歳の頃からの密かなファンだった。
勿論私にも活動の過渡期や転換期等も多々訪れ、美奈子さんがavexに所属していた頃の作品にはリアルタイムで触れることが出来なかった。

そして私がアーティストとしての別名を引っ提げて活動を始めた2008年頃からは歌の音楽から少し遠ざかり、器楽作品の方を主に聴くようになって行く。
吉田美奈子さんがジャズ歌手に転身したことをある日風の便りに聞いた時は、正直かなりショックだった‥。
 
話を戻してこの作品『MIRACLE SHIP (LIVE 2023)』の評論へ。
 


そもそも『MIRACLE SHIP』は美奈子さんが1996年にリリースしたアルバムKeyに収録された作品であり、私も大好きな曲だ。
それが2023年にどのような状況に進化したのかと半ばワクワクしながらSpotifyのボタンを押したが、そこに現れたのは最早老婆の声質に変わり果てた歌声のその曲だった。
 
彼女の持つうねり声は「唸り声」へと変わり、どこか能の発声にも通ずる迫力が足されているが、それは私が愛した吉田美奈子の声とは最早別物だ。
ある種の振り切れっぷりが王者の貫禄をも醸し出しているようにも聴こえなくもないが、これこそが「ジャパニーズ・ソウル」の末路だとしたらそれはそれで圧巻で、尚且つ悲しい。
 

このところ日本発信のアニメやコミックやそのテーマ曲等が世界の音楽シーンを大きくリードしており、吉田美奈子さんもその波に乗った‥ と言う考え方にシフトすることも不可能ではないが、やはり原曲をかなりの回数聴いた後に今回の『MIRACLE SHIP (LIVE 2023)』に触れると衝撃が大きすぎる。
 


丁度二ヶ月前頃に聴いた『細野晴臣ストレンジ・ソング・ブック Tribute to Haruomi Hosono 2(2CD+DVD) [CD]』に収録されている、「ガラスの林檎」の吉田美奈子さんの圧巻の仕上がりには感動もしたが、やはりその頃から彼女の質の劣化には薄々気が付いていた。
勿論美奈子さんのバックを完璧以上のクオリティーで支えているオルガン奏者 河合代介氏のPlayの迫力も、彼女の表現にこれでもかと言う程の華を添えていることは分かり切っているが、何より松田聖子の世界観を完全にぶち壊してしまった吉田美奈子さんの感性にはある種リスナーの私の方が完敗だった。
 
その感動の記憶が脳内に今も渦巻いている最中での、今回の『MIRACLE SHIP (LIVE 2023)』はネガティブな意味で私の美奈子氏への落胆の方を更新した形となってしまったようだ。
 

吉田美奈子さんの作品の多くは物理CD販売がメインで、YouTube等から個人が配信した音源等の大半が削除されている状況だ。
あえて若い頃の音源をwebから削除することで彼女は「現在の自身」へのフォーカスを促しているとも解釈出来るが、結果的に不特定多数の目に触れる場所から活動の痕跡を消してしまえば、そのアーティストがこの世界から別の世界へ旅立ってしまった後に残るものは何も無くなってしまうだろう。
 
既にマイケル・ジャクソンやプリンスでさえ影が薄くなり始めていることを考えると、今活動している多くの日本の歌手やミュージシャンの足跡が消えてしまうのはきっとあっと言う間のことだろう。
全ては泡沫(うたかた)‥。
 
吉田美奈子さんの全盛期の歌声や作品は、出来れば長くこの世に残って欲しいと私は願ってやまないのだが、当の本人がそれを望んでいないのだから私がどれだけその旨を望んでも仕方がない。
 

この記事の最後に吉田美奈子 & 井上鑑のコラボ作品、『MIRACLE SHIP (LIVE 2023)』のYouTubeリンクを貼っておく。
井上鑑さんもかなり枯れて来たように見えるが、編曲も音もまだまだ衰えではなさそうだ。この作品の解釈は、私個人的にはツボだった。
 

実家との永別

とても個人的なことですが、昨日無事に実家マンションの売却の契約が成立し、又一つ物事が前進しました。
私にとっては約54年と強の時を送った実家(中32年間は両親の強い希望もあり、私は殆ど実家内には立ち入ることが出来ませんでした‥)ですが、それなりに思いはひとしおでした。
 
昨年の暮れ、2022年12月29日に最後の遺品整理で実家に入り、全ての作業を終えて実家を後にしました。
もう二度と見ることのない部屋の一つ一つを、スマホで写真に収めて行きました。形式的には私と実家や家族、親戚の人たちとの全ての関わりがこれで(一旦)終止符を打つことになります。
 

 
但し私を今日まで排除(迫害)し続けて来たすべての人たちに対し、私はシュールな方法で「それなりの報復」を試みることになります。
後は霊界裁判の場で、各々の魂に直接霊的存在の方々がアクセスし各自の魂と霊体から情報と記録を吸い上げることになる為、私が判決の場に立ち会うことは一切出来ません。
 
とても長い時間を要する裁判になると聞いていますが、私は自身のミッションを粛々と遂行すべく日々を送って参ります。
 
私の実家の諸々に関わり私を排除し続けて来た全ての人々には、しかるべき報いを受けて頂きたいと思っています。
私の苦しみに対する、それ以上のものを。
 
昨年12月29日の最後の遺品整理の時までに、私は自身の幼少期の写真のみならず弟や母、そして親戚秋山家・池田家・横尾家~弟の嫁・市〇家の家族全員を含むの写真や手紙の多くを回収し、保管しています。
勿論その中には弟・山田大輔(故)とその妻・山田りえ(仮名)の結婚式の際の集合写真や親族だけが収まった写真の他、同 山田りえ(仮名)のKO大学の卒業写真までが出揃いました。
私の知らない時間の中で起きた出来事のあれこれをあらためて丹念に見つめ直して、この先の霊界裁判に備えたいと思います。
 

昨日の色々なことで心身かなり疲労が激しいので、今日は時間をらんだむに使って音楽を聴いていたい気持ちです。
こういうタイミングでセレクトするのは持って来いの、昨日Amazonから届いたM.Yさんの中古のDVD+CD “within” の荘厳な調べを堪能しながら、この記事を書いています。
但し、このCDの主役であるM.Yさんからは私は「或る事情」によりアク禁にされているようです(笑)。
 
私が音楽評論家として下した彼女へのジャッジメントの影響なのでしょう。
でも私はあるべき発信に心掛け、愛ある厳しいジャッジメント精神を今後も失わないつもりです。
 

 
今後の音楽評論記事は、全て花島ダリア名義で進めて参ります。
ブログは花島ダリアの音楽評論になります。

時を超える音楽 – 吉田美奈子編

過去に別名で何度か吉田美奈子を取り上げ音楽評論記事を書いたことがあった。勿論美奈子氏のご機嫌を思いっきり損ねる内容の評論記事だった為、その後間も無く私のメインのTwitterのアカウントが彼女のオフィシャルアカウントにブロックされた‥ と言う逸話は、今でもどこかで日々囁かれているようだ(笑)。

先日美奈子氏と親しいと言う人物から、某SNSのメッセージスペースにDMが舞い込んだ。

「何故あなたは、あの素晴らしい美奈子氏を認めないのか?」と言う、或る意味素朴な質問だったが、逆に何故現在の彼女をどのようにしたら音楽家として、表現者として認識出来るのかについて私はその人物に問い返したい衝動に駆られた。
だが実際問題そのような質問は愚行として日陰のスペースで語り継がれる素材を与えかねないと判断し、質問返しはしないでおいた。
 

人には色々な老い方があるだろう。それは私自身も現在その途を辿っている最中なので、身に沁みて理解出来る。
特に50代以降の「老い」「スキルの劣化」の原因として挙げられるのが、「介護問題」ではないだろうか‥。私のよく知るシャンソン歌手の中にも、それは多数見られる。
 
多くの表現者たちがぶち当たるこの、介護問題を機とした実質的な休業問題は、各々表現者たちのその後の人生を大きく左右する。
吉田美奈子氏の場合がどうだったかについては分からないが、最近の美奈子氏のTwitterに彼女の母の逝去についてのツイートが多く見られたことからも、恐らく‥ と言う大方の察しはつく。
 
そんな吉田美奈子がジャズに飽き足らず、次はシャンソンに手を伸ばすようだ。勿論上のTwitterで告知されているイベントは未だ開催されていないので、そのLiveに必ずしもシャンソンの楽曲が登場するか否かは今は未だ決定事項ではない、としても‥。
 
Japanese R & Bの創造神と言っても過言ではなかった吉田美奈子氏が、最近は別の人が書き残した楽曲のなぞり返しを繰り返している。
多くの美奈子フリークの中には恐らく、若かりし頃の饒舌な彼女の音楽がしっかりと根付いている筈だ。それを老いた吉田美奈子がジャズやシャンソンで上書きしようともがいているようだが、所詮他人の作品を再演している以上原曲や原曲者を超えることは不可能だ。

スタンダード・ミュージックには解釈の相違だとか、そのような楽しみ方があるのは百も承知だが、美奈子氏の名曲とも言われる「Lovin’ You」「TOWN」「Rainy Day」を超える名作が今後彼女から紡ぎ出されることは無いのかもしれない。
 


私は実質上彼女のSNSのアカウントのみならず吉田美奈子自身からアク禁されているようだが、それでも私は絶頂期の彼女の音楽性や人としての彼女を今も愛している。
気分がどうの、機嫌がどうの、その時何があったからどうの‥とか、そういうものを余裕で超えさせてしまう力がもしも彼女の音楽に在るのだとしたら、その部分に於いては素直に私は受け入れるし、認めて行きたい。
 
だが皮肉にも彼女・吉田美奈子は私が愛した頃の彼女自身を、もう二度と取り戻すことは出来ないだろう。
その点を私が音楽評論でブッた斬ったことには、実は大きな理由が潜んでいる。

現在の彼女が過去の彼女を超える方法を、彼女が知らない(或いは気付いていない)ことが厄介なのだ。私は彼女が過去の彼女を超えて行く方法を、実は知っている。
Japanese R & Bの創造神だった彼女がもしもその方法に気付いていないとしたら、むしろ現在の彼女の劣化した表現力よりもそちらの方が闇が深い。

過去の彼女を現在の彼女が超えて行く方法については、あえてここでは明かさない。
吉田美奈子氏が真剣にそのことに悩み、気持ちを新たに私の前に首を垂れて来るような事態が実際に起きた時に、その時の彼女の様子を目で確認し、彼女の心の内側を私が実際に読み出した(いわゆるリーディング、もしくはチャネリング等)時に、その後の行動について考えるのがベターだろう。
 


現在の吉田美奈子氏にベタで付き添っているミュージシャンの一人がこの人、石井彰氏だ。美奈子氏はこのピアニストが好きなのか、伴奏形態が現在の彼女にとって居心地が好いのかの何れかの理由で彼をサポーターとして採用しているのだろう。

私も美奈子氏のマインドには興味も関心もあるので、石井彰氏について以前から若干リサーチしていた。‥なぜリサーチが「若干」のまま更新されないのかと言う理由については推して知るべしで、この演奏者の表現やジャンルそのものに全く魅力を感じない為、数分の動画を見終えることが出来ないからだ。

二番煎じの音楽、これはジャズもシャンソンもカントリーやその他の「スタンダード」と呼ばれる全ての音楽のジャンルが持つ負の特性だ。
なにせ私も20年近くこの「二番煎じの音楽」にどっぷり身を浸していたわけだから、酸いも甘いも知り尽くしていると言っても過言ではない(笑)。

上記のようなジャンルに一度潜り込んでしまうと、新しい光の中に飛び込むことを体も脳も拒むようになって行く。
「誰か」が作った、既にブランディングが完了している楽曲のパワーに依存するところに再演の意義を感じるようになり、新しく生まれて来る作品や作者のスタンスを「軽んじる」感覚がいつしか身に付いて行く。
 


話が脱線し過ぎるといけないので吉田美奈子周辺の話題に戻るが、少なくとも現在の彼女がこのグッチャグチャな「ジャズ」とか「シャンソン」等のジャンル、或いは石井彰氏を本気で高く評価しているとは、何故か私に思えない。
どう見ても演奏者として価値が高いのは、過去の彼女と深く関わり尽くしていた倉田信雄の方だ。
 


そして上の動画『TOWN』の立役者として、ギターの土方隆行、ドラムの村上 “ポンタ” 秀一は生涯外せないだろう。
そのことに吉田美奈子氏が気付いていない筈は無いだろうから、その上で現行の二人の夜店系のジャズ・ミュージシャンをあえて彼女が自身のLIVEに起用しているのだとしたら、その段階で彼女は自身の劣化と向き合わなくてはならない。
 


時を超える音楽の定義について私は10代の頃からずっと考え続け、その理論や手法を練り上げて今日に至る。それは私のメインの活動の中に多数記録してあるので、是非そちらを見て頂ければ幸いだ。
呼吸法、心拍数、脈拍の捉え方、打鍵の速度(ピアノの場合)~音と音との間隔の取り方や紡ぎ方から残響の尾っぽまでのタイム‥等、これは挙げればキリがない。
 
この手法を現在用いて音楽活動を行っているのは私がメインで配信している音楽だけで、仲間を探してはいるものの活動15年目にして未だナカマが見つかっていないのが現状だ。

だが私が行っている技術や手法や音楽理論等をもしも吉田美奈子氏が自身の音楽に投入すれば、現在の「どうでもいい音楽」を演り続けている彼女を彼女自身の力量で卒業することも夢ではないだろう。

ものの「ジャンル」は自身で作り出すことがベターであり、ベストなのだ。その為には数年間活動の遠回りをすることも辞さないが、その分の将来的なリターンは大きなものになるに違いない。
むしろ私が望んでいるのは、大きなリターンを手中に収めた時の吉田美奈子氏自身であるが、彼女が余計なプライドを振りかざして最大の助言者(預言者)を永遠に敵に回し続けるようであれば、先に彼女の寿命の方が彼女をリセットして行くことになるだろう。

それが目に見えているから私は何とか吉田美奈子氏本人に果敢にアクセスして行った時期もあったが、それが夢に終わろうが終わるまいが彼女自身の音楽人生は美奈子氏自身が決めることだから、私はこうして遠くから嫌われ者として吉田美奈子氏を静かに鼓舞し、応援し続けることしか今は方法が無さそうだ。
 

この記事の最後に私の中の吉田美奈子の「神Live」の動画から、「LOVING YOU」を掲載しておきたい。
この神々しい彼女の声とマインド、ミュージシャンの手堅い音と空間のサポートの数珠繋ぎの光景こそ、Liveに留めておくべきではない。
 
まさにこれぞ、「神」である。
 

MinakoとPonta、そして”Town” (2002)

今日は楽曲ではなく一個のLive映像にフォーカスして、記事を書き進めて行きたい。

昭和生まれの私の青春は、この人‥ 吉田美奈子と共にあったと言っても過言ではない。その吉田美奈子と同世代に大貫妙子やユーミン、坂本龍一等が居て、この年代はミュージシャンラッシュだと言っても良いだろう。

だが私はユーミンでも大貫妙子でも尾崎亜美でもなく、やはり吉田美奈子の声を力強さを常に追い求め続けたが、遂に今日まで彼女のLiveに行くことが出来なかった。
忙しかったとかお金がなかったとか、色んな言い訳を並べ立ててももう時は戻らず、あの黄金時代の吉田美奈子に会うことは叶わなくなってしまった。
 

 

名曲『Town』は1981年11月21日にリリースされた吉田美奈子のアルバム、『MONSTERS IN TOWN』のオープニングを飾ってお目見えした作品だ。その後「ここぞ!」と言う時に吉田美奈子は必ずこの曲をリストアップし、多くのライブハウスをブイブイ賑わせて来た。

問題の「名演奏」は、吉田美奈子のLive DVDにも収録されているが、今回はYouTubeに個人がアップした映像のリンクを貼っておきたい。
  

 
これは2002年12月25日、クリスマスに行われたLive映像だが、もう兎に角凄まじいとしか言いようがない。
丁度この頃の私は前職・シャンソンの伴奏とその合間にアイドルグループのマネージメントのアシスタントに追われている最中で、吉田美奈子のLiveのスケジュールを追い掛ける暇もエネルギーもない状態で忙殺されていた。
 

オープニングのファンキーなギターはまさしくギターの神・土方隆行のソロでスタートし、その後から村上 “ポンタ” 秀一がバスドラでギターをグイグイと追い詰めながら、長いイントロの途中辺りから吉田美奈子が歌舞伎ソウルのように長いカーリーヘアを振り乱し、彼女のトレードマークの肘鉄ダンスで客席とステージの両方を湧かせて行く。
 

 
このLive映像の凄いところは吉田美奈子、そして各メンバーの競演は勿論のこと、全員が一体となって音楽を形成している点にある。
 
日本のPopsにこれが見られるのはきわめて稀なことであり、現在のJ-Popの多くがヴォーカリスト主導・その他のメンバーはエキストラの扱いを受けるのが主流であり、各パートが完全に孤立した状態で音楽として成り立っていないものが大半だ。

動画3:12辺りからいきなり始まるキーボーディスト・倉田信雄のロング・ソロは見事で、所々アドリブの粗さは見えるものの兎に角42kmマラソンを堂々完走して行くように楽曲の最後までアドリブの手を緩めない。そして休みなく、隙のないパッセージを繰り広げて行く。
その後から「オレの出番だぞ!」と言わんばかりに、土方隆行の長いギターソロが後を追う。

それは音のネヴァー・エンディング・ストーリーを生で視るような規模で、一糸乱れぬ正確かつクールで獰猛さをにじませたファンクギターで土方式 “Town” がステージを疾走して行く。

そして絡み付くような倉田信雄のアドリブと野太い村上 “ポンタ” 秀一のドラミングが、その野太さを控え目に控え目に抑えつつも楽曲の軸をしっかりと支えて行く。
 

 

残念ながら村上 “ポンタ” 秀一は、2021年3月9日に脳出血で逝去した。なのでもうこの偉大なメンバーで音の饗宴を聴くことは一生出来ない。

他のアーティストとの共演では特に感じることがなかったのだが、特に吉田美奈子と村上 “ポンタ” 秀一とのステージ上の掛け合いは見事である。
 
見た目のオーラのバランスは勿論、互いに見えない何かで深く繋がっているのを私はずっと感じていた。吉田美奈子にとって彼以外のドラマーは居ないだろう‥ と言う私の予感通り、最近の彼女はまるで生気が抜けたイワシのように声を振り絞って歌う姿が悲しげで、色々な意味でこのパワフルな音楽がこの先永遠に現れないことは残念としか言いようがない。
 

 

だが、全ての生は栄枯盛衰。どんなに華やいで見えても、いつかは乾いて枯れてこの世を去って行く。きっと私にもいつかその日は訪れる。
 
最近の吉田美奈子はジャズ系のピアノ・デュオとのコラボ・セッションをメインとし、日本の北から南を移動しながら細々と音楽活動を続けているようだ。勿論以前のようなパワフルな声は立ち消えてしまい、いわゆる老後の生涯教育のような歌を歌って生きているように見える。

動画Town (Live)が2002年の収録、と言うことは、吉田美奈子が49歳の時のライブ映像と言うことになる。女性特有の色々な物事が発生しつつも、桜で言うところの満開を過ぎて散り始めた頃に相当するだろう。

油が充満した後に揮発し始めた時のように、女性で言い替えると最もキツい香りを放ちまくる世代がこの、40代後半から50代後半と言える。私が今丁度その時期に差し掛かっているが、私の場合はどうなるのだろうか‥ と言う思いを抱きながらこの動画Town (Live)を、今日は何度も観て良い時間をじっくりと楽しんだ。
 

 

さて、この記事の最後に、多分上の動画と同じ頃に収録されたと思われる吉田美奈子の、この動画を貼ってお別れしよう。
この猛々しく、かつ神々しい吉田美奈子とその仲間たちの素晴らしいセッションを、とくとご覧あれ!
 

 

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吉田美奈子と闇の中の私

特にこの二週間近く私は、大好きだった(なぜ過去形になっているのかと言う理由は記事後半で)吉田美奈子さんの旧作を、多くの時間を費やして聴いている。
私が長い間歌の伴奏をやって来た日々の中、ほぼ同時期で最も輝いていた美奈子さんを私は、こともあろうに全て見失ってしまっていたことに気が付いた。そのことの気付いた時には既に、美奈子さんは刻々と輝きを失い始めていた。

 

1998年頃からの10年近く、私は人生で最も深い闇の中を歩んでいただろう。
勿論表面的には最も輝いていた時期とそれとが重なっており、時折当時の友人の誰かに私が置かれていた状況を話しても、誰一人取り合ってはくれなかった。だが私の闇は人が想像するよりも深く険しく、PTSDから全快出来ていなかった私のメンタルは一時期の回復を裏切るように刻々と悪化して行った。

最近メンタリストDaiGo氏のYouTubeの発言が問題になっているが、私も他人事ではなかった。
どっちに他人事ではないのかと言うと、上に書いた当時の私がまさにホームレス生活の真っ最中だったと言う意味での「他人事ではない」と言う意味である。

 

切っ掛けは単純なこと。ある日諸々の重圧に、張り詰めていた心の糸がぷつんと切れてしまった。
もう何もかもがどうでも良くなり、生きる気力も活力も仕事への熱意も何もかもが突然色褪せて、生きていることや生きようとする気力が遠い昔のことのように思えた。

一度そういう状況になってしまうとあとは加速度を付けて転がり落ちて行くだけで、気付くと私は都内のある場所に遭難から生き延びた人のように崩れ落ちていた。正直そこからのことは、今も殆ど思い出せない。
その後持病の発作が起きて当時の恩人に命を救われて、ある冬の朝病院のベッドの上で目が覚めるまでの多くの出来事を、私は今でも明確には思い出すことが出来ずに居る。

 


2008年2月14日にSNS「mixi」で現夫が私のホームに足跡を残してくれた瞬間、止まっていた私の運命の輪が回り始めた。
色んなことに疲れ果てていた私は丁度、亡霊の館からの転居を命からがら果たしたばかりだった時。愛兎の先代「桃樹」と共に人生の再起をはかっていたある夜、夫が人生の呼び鈴を高々と鳴らしてくれた。

一言二言のmixiメッセージの直後に私達は直ぐに電話で会話を開始し、それが一週間とか十日とか続いた辺りからもう、これは会って目を見て話しをしないと携帯電話代で彼が破産してしまいやしないだろうかと心配になり、その夢は丁度一ヶ月後の2008年3月14日に実現する運びとなる‥。
 

吉田美奈子さんの話題に話しを戻そう(笑)。

丁度私が闇の時代の奥底に在った頃の彼女が、今振り返ると一番輝いていたように思えてならない。そしてその当時の美奈子さんの年齢に、少しずつ私が接近している。

YouTube吉田美奈子LIVE STUDIO721 2004/9/25を視る前に私は、本音を言うと別の最近の美奈子さんの動画に強いショックを受けた。
それは私が思う彼女とは全くの別人のように変わり果てた、老いた彼女の姿に対するものだ。

吉田美奈子と低音楽団】ライブの裏側に密着!【ゴールデンウィーク特別編

 
人間生きていれば、いつかはそういう時が訪れる、とは分かっているものの、やはりその状況を目にすると冷静ではいられない。
だが、揺れ動く私の中に目を引く作品があった。YouTube吉田美奈子と低音楽団】ライブの裏側に密着!【ゴールデンウィーク特別編】の中で美奈子さんが歌う「夜の海」(11:37辺りから)だ。

 

 
基本的に私は生演奏否定派であり、作品を生み出す瞬間の大きなエネルギーこそが真の音楽だと言う持論は今も変わっていない。だがそんな私の持論を、老い始めた美奈子さんが一瞬だけ変えて行こうとする。

発声もよろついて声のアタックのポイントもずれて、出したいタイミングで本来出すべき声が出ていない。エネルギーと若々しさが枯れ始めた美奈子さんではあるが、振り絞るような声には不思議と何かしら説得力を感じさせるものがある。

それでも音楽評論家としてこのライブを冷静に論評するならば、やはり音楽以前の何かがごっそり抜け落ちた「唸り」が在るだけで、音楽としては聴けない‥ と言うのが本音である。

 

だが時に音楽は、そうした絶妙の悪条件が出揃った時だからこそ初めて、人々に音楽以上の何か目に視えない感覚を互いに引き出して行く場合があるのかもしれないと、私はこの人 吉田美奈子さんのライブだけは別ものと考えようと意識を改めかけている(未だ完全に改めたわけではないけれど)‥。

 

そうこうしながら彼女の旧作を最初はサブスクリプションで探していたものの、配信されているアルバムは余り多くはなかった。
丁度私が完全に闇落ちしていた頃の彼女のアルバムは、まるで示し合わせたかのようにサブスクリプションには登録されておらず、それどころか各CD自体も絶版に近い状況になっており、やっと見つけたかと思うとプレミアが付いて酷く値上がりしていた。

そんな折、私がそっとAmazon 欲しいものリストにラインナップしていた美奈子さんのCDを、数名の誰かが私の自宅に贈り届けてくれた。今、それを聴いている‥。

 


音楽は心で奏でるものではない。技術とスキルの蓄積と、さらに付け足すならばテレパシックな感覚を以て生み出すことが望ましい。

自らの稚拙な経験だとか恋愛の過去話だとか、そんなものを題材にしているからここ最近の日本のポップスは質が著しく低下したのだと私は思っている。
だからと言って「大人のポップス」等と言う、さらに体たらくな音楽を聴く等もっての外である(笑)。

その意味で言えば、吉田美奈子さんの多くの楽曲、アルバムに於いては感覚が硬質でとてもメタリックな構成になっている。けっして陳腐な恋愛模様等描いてはおらず、どこか哲学的で形而上学的な世界を描いているように思える。
それがけっして嫌味にならないのは、おそらく美奈子さんの高貴な気質や生い立ち等が要因かもしれない。

 

Didier Merahのプロデューサー 天野玄斎氏は数々の名言を飛ばすが、私にある日こう言った。

芸術家とは職業ではなく、生き様を指す言葉である。


私は彼のこの一言によって眠っていた全ての感覚を叩き起こされ、目覚め、気付かされ、現在に至る。それは私にとっての大きな礎であり、未来の光だ。

 
私は吉田美奈子さんと干支が同じで、一周違いで私も今の彼女に追い付く。だがその頃には美奈子さんはさらに一周先の彼女を生きている。
ロングヘアーもカーリーヘアーでもなくなった彼女が一周先の未来にどんな音楽を奏でているのか、ある意味怖くもあり、楽しみでもある。
そこに私 Didier Merah の将来が折り重なる時、音楽界にどんな変化が起きているのかと考えるだけで、とてつもなくわくわくして来る。
 
 
追記:
ピアニストとして一つ気になったことがあるとすれば、 YouTube吉田美奈子LIVE STUDIO721 2004/9/25 の中で鍵盤担当の 倉田信雄さん が本当に素敵な演奏をしていた事。
段々と日本から良い音楽家や音楽評論家が消えて行く今、私は両方の肩書を抱えてこれからも切磋琢磨して行こうとあらためて心に誓った。