私の半生と苦痛 – 序文

昨年2021年12月26日から今日までに起きたことを、今日は静かに振り返っていました。実家の遺品の整理をしながら、私を排除し続けた実家の家族や親戚、そして亡き弟の嫁についても出来る限りの手を尽くして調査をした結果、色々なことが分かって来ました。
 
特に未だ一度も会ったことのない弟(故)の嫁が私にした色々な仕打ちは到底許しがたいことであり、彼女の陰影(写真)を含め私はその全てをしっかりと心に焼き付けました。
 
とてつもない怒りが体じゅうから湧き上がり、そのことを複数の神々に相談したところ、「それ程までの貴女への仕打ちの側が悪。我慢の必要はない‥」 との見解を神々から得ることが出来ました。
なので私はこれを一つの区切りと切っ掛けとして認識し、今日まで私が親族や親戚、弟(故)の嫁を含む家族の関係者が私にして来た様々な仕打ちについて、このブログから発信して行くことに決めました。
 
私は顔の真ん中に傷「裂傷」を持って生まれました。世が世ならばそういう子供は抹消されたのでしょう。だからと言って、抹消せずとも苛め抜いて家族の輪から排除して良いと言う理由にはなりませんが、私の両親、生前の弟等は私をそういう風に扱い続けました。
そしてそれが現在は弟(故)の嫁と二人の私の従妹へと、脈々と受け継がれているのが現実です。
 
私は裂傷を持って生まれて来たものの、内面は過去世J.S.バッハ、そして妓生「ファン・ジニ」の気質を持っていますから、生き方やものの考え方は既に成熟しており、子供時代からどこか年老いたものの考え方をしていたことも又事実でした。
その為、父からは度々「可愛くない子だ」‥ 等と言われた事を、今も忘れることはありません。
 
但し現実はもっと複雑でした。
ただ、顔に裂傷を持って生まれて来ただけなのに、私が感情もあやふやで怒ることやものを考えることが出来ず、認識機能に障害を持つ人間だ‥ 等と言う尾鰭が付き、私は徹底的に家族や親戚たちから排除され、現在に至ります。
 
 
彼らが私を、精神障害を持つ人‥ 等と周辺に吹聴し続けて来た今日までのことや、弟(故)の嫁が私と言う存在を知っていたにも関わらず私を意図的に排除した状態で彼女が私に無断で母を火葬したこと、その火葬や葬儀に関わっていた二人の親戚のことも含め、可能な限り具体的な人物名を出してここに綴りたいと思います。
 

麻布教会

 


実母は年に一度だけ、クリスチャンに化ける人でした。

クリスマス・イヴから翌日のクリスマスの日以外は日常的に私に暴力をふるい、私を風呂にも入れず体じゅうが痣だらけになるまで爪でつねり、殴り、時には刃物で私の顔や体を切り付けたり、気分が激昂すると水風呂の中に私の顔を息が止まりそうになるまで突っ込んだまま溺れ(死に)させようとした‥等、それらの行為を『英才教育』と言う名の元に周囲の親戚や知人等を巻き込んで承知させ、虐待の手を一切緩めませんでした。
 

私の住んでいたマンションで、母は多重のキャラクターを使い分けながら人と接していた為、多くの人達は母がそのような凶暴な人格を持つ人だと言うことを知らなかったかもしれません。
なので私はある時期から母の虐待が始まった時にはそれだと周囲に分かるよう、意図的に大声で鳴き声を上げ助けを求めましたが、誰も私を助けてくれませんでした。
皆、我が家のことを知りつつ触れたくなかったのかもしれません。
 

昨年12月1日に母が永眠し、私はその事実を同じ年の12月26日まで知らずにいました。
その間に弟(故)の嫁が私の存在を全く知らなかった素振りを決め込んで、母を彼女の勝手な独断で火葬し、喪主を買って出て葬儀を済ませたことを昨年の12月26日に母の携帯に出て来た弟(故)の嫁から直接、まるでそのプロセスが当然の事のように聞かされ、驚きました。
 
さらにもっと驚いた事は、弟(故)の嫁と私の従妹にあたる女性一人 [えみさん(仮名)] が弟の知り合いの弁護士に、法定相続人である私には秘密裏に母の遺産を相続する件について相談していた事と、その経緯で私達夫婦の事も含め丹念に調査をしていた事でした。
彼女たちは法定相続人である私を「不在のもの」とした上で母の遺産を家探しの末調べ上げ、母の所持品や預金通帳等を漁って中身を見て金額を計算し、実家の墓じまいの件まで弁護士に相談していた旨の書類を目にし、そこから私の怒りはマグマのように吹き上げたまま現在に至ります。‥
 
 

糸島の海

 

弟(故)の嫁は自宅で倒れていた母の第一発見者となったようですが、そこに二人の従妹が同席していたと、彼女から私の実家の郵便受けに投函された差出人住所不記載の手紙には書かれていました。
考えてみれば妙な話しです。彼女の周りで、私の四人の家族の中の二人が亡くなったのですから。

問題は弟(故)の嫁が私に、頑ななまでにご自身の居場所や連絡先を伏せ続けている現実がある事。
私との実家の件(母の死亡の件も含む)の連絡手段として亡くなった母の携帯電話を私に指定し、2回の電話連絡の後私から彼女に連絡をしても一切電話に出なくなった理由には一体何があったのか、今でも不審を抱かずには居られません。
 
何より母を、私に無断で火葬し葬儀まで済ませ、周囲に私の不在を印象付けて行った真の理由も知りたいです。
もしかすると弟(故)の嫁は、私が認識能力のない精神の病んだ人だと勘違いしている(或いは周囲に意図的に勘違いを誘導している)可能性もあり、彼女を始め弟や母から私についてそのように吹き込まれたであろう多くの人達に、それが私の親族の吐いた虚偽である事を伝え、尚且つ事実修正する必要を強く感じています。
  

Olive


弟(故)の嫁の [りえさん(仮名)] は実家のかなり近くに住んでいるであろうにも関わらず、私達夫婦の挙動を息を潜めて監視しているような状況が続いていますが、私は弟(故)の嫁が今どういうマインドにあり、どういう状況に置かれているのか‥ について薄々知っています。
それは亡くなった弟本人が、彼に出来る方法を使って私に知らせてくれるからです。
 

一つ付け加えるならば、2015年の11月に他界した弟の実名をネーミングした「大輔塾」と言うセミナーを、2019年頃には開始当時とは全く異なるお茶会スタイルで運営している旨、全く本意ではないと弟が私に伝えて来ました。
本当に弟を思う心があるならば、そのような緩いお茶会形式へ弟の名前を使って「大輔塾」に人を集客するような行為は、今直ぐやめて頂きたいです。


さらに弟の実名の「大輔塾」と言う名称で運営されているFacebookの非公開グループの継続や、その中ででわちゃわちゃ投稿したりコメント等をする行為も、弟・大輔は全く望んではいません!
 

 
私は数名の実弟の知人に、これまでの経緯や今起きていることの断片(私が家族や弟の嫁から排除され続けて来たこと、弟の嫁が私に無断で母を火葬した事、等)を母の永眠の件に添えて手紙やメールで伝えましたが、今のところ全員が無視しています。
本来無視すべき内容ではないのに無視し続けると言う事は、そこに私への悪意や敵意が在ると言う確たる証拠です。
 
この件を私は心の中に仕舞っておくつもりで今日まで黙っていたのですが、それをする必要が無くなりました。
それよりも私は表現者として、静寂の音色の底に何を本当は封印して来たのか‥ についても、これまで私の身に起きたことをありのまま、ファンと共有する必要に迫られています。
 
但し、痛みや苦痛ばかりの文章の羅列は、読む方々をさらに苦しめる事にもなるかもしれません。
なのでこの「序文」以降は私の半生と苦痛と言う新しいカテゴリーを作り、そこにシリーズ化してこれまでの私の身に起きたことをありのままエッセイタッチで綴って行こうと思います。
  


このブログは今日まで主に音楽評論をベースに執筆を続けて来た経緯がありますが、それを止めずに新たなカテゴリーに私の半生と苦痛を加え、私自身に長年降り掛かっていた虐待や両親の私に対する過激な虐め・家族排除を含め、私の職歴や半生をそこに織り交ぜながらフィクションのように、ある意味他人事のように少しだけ俯瞰した視点で実話を綴ろうと思います。
 

思えば遠い過去、リラ星の巫女だった頃から魂は少しも休むことなく何度も何度も転生し続け、気が付いたらこのような私になっていました。
途中J.S.バッハや妓生「ファン・ジニ」、そしてジプシーとしてトランシルバニアに生まれ落ちたり或いは茶人「千利休」につかえる「くのいち」としての人生を経験したり‥、一つの魂が今日に至るまでには多々の過酷な変遷を経て来ました。
 
先程夕食の時間に、夫がこんな名言を言いました。

━ 強く深い怒りは悲しみをともなう。それは必ず祈りに昇華する。 ━

私は表現者として、今、心にある怒りを美しい表現に昇華させることを考えています。それを多くの人達とシェアする為には先ず、私が今心の中に燃え上がる怒りを書き記さなければなりません。
 
綺麗ごとではない、もっと生々しい私をここに書き記して行くことに決めました。
恐らくこれを、私を長年平然と排除し続けて来た親戚(二人の従妹)たちも見ていることでしょう。是非、私がこれまで経験して来た血の滲むような痛みとかなしみをご覧下さい。
それらを読んで、それでも私を家族から排除し暴力をふるい続けて来た両親の振舞いを肯定したり、私に心身への暴力の手を一切緩めようとしない両親を陰で滾々と支え続けた叔母を称賛する気持ちが変わらないならば、あなたがたは間違いなく悪魔の化身です。

さらには真実に気付きながらもそこからあえて目を伏せて、生前の両親や弟の虚言を肯定し続けている、私の親族・親戚以外の方々に於いても同様、同罪とみなします。

 
序文なのに長くなりましたが、以後はもっとライトなタッチで赤裸々に現実を書いて行きます。
私の音楽を愛して下さる方には、出来れば末永くお付き合い頂ければ幸いです。
 

蘇る摩利支天

【序文】
ここで言う摩利支天とは、実在した妖術士のこと。過去世の私は実際に摩利士天の撹乱の妖術に遭い、二度命を落としている。

ここに書くのは私と同じ時代に蘇り、短い命を閉じた摩利支天の生まれ変わりのことであり、伝説で言われているその人とは若干人物像がかけ離れているかもしれないが、これは本当に私の身に起きたことを織り交ぜて書いているのでそのつもりで読んで頂けたら幸いである。

 

 
タイトル通り、現代に蘇った摩利支天とはつまりは私の実弟のことである。

魂の比率としては過去世から持ち込んだものが2割、残りが今世の母体で構成されたものであると推測している。
善悪が逆転している人格であり、彼の中ではこの世の善が悪であり、彼の悪が善である。つまり彼自体は彼が「善」だと思うところにふんだんに妖術を使って今世を生き抜いたことになる。

家族の中で唯一、私は「存在してはいけない人」だった。なので本来は遠い国の皇族の末裔として登記される筈の私の名前の登録も、実母と実弟の手によって阻害され続けて今日に至るが、聞くところによると弟も皇族の末裔としての登録が為されていないと最近知った。

勿論弟の中では私に対する疎外行為の大半が「善」であり、何故その歪んだ善に彼が疑問を抱かなかったのかと問われたら、彼の魂の根っこが摩利支天その人だったからとしか説明のしようがない。

私が長きに渡りPTSDAC(アダルト・チルドレン)を柱とした精神や思考の障害に悩まされ続けて来た原因の一つも、おそらく弟の本体となっている摩利支天の妖術が大きく影響していたように思われる。


2012年、父の遺産整理の件で私が二度実家に帰った時、私はマンションの一室で想像もしなかった‥ 心と思考回路が狭く委縮する感覚を持った。この人たちの中では私は奴隷のような立ち位置にあり、人間としての意見や主張が一切まかり通らない。
それが彼等が私に強要した権利であり、それは現在実家に母一人となった今でも脈々と続いている。
 

 
私の記憶が正しければ‥ と言う前置きをあえて付けておく。

記憶では私は二度、しのびと言う女忍者としての生を生きている。いずれも摩利支天の妖術の被害に遭い、そのいのちはとても短いものだった。

二度目の生の後半で、私は茶人 千利休のボディーガード 兼 情報収集係のような役目を仰せつかった。利休は善悪の分け隔てをあえて持たず、味方から得る情報の分敵方からも多くの情報収集をしており、実際に茶室が合戦の縮図のような状況になる事も多々あった。

茶室では刀を所持することが出来ない。もしも出来るとしたら女性の懐刀のような短刀に限られるが、それもボディーガードによって茶室の中では一時的に没収扱いとなる。


私と利休の最期のシーンを今も忘れることが出来ない。
敵は味方の中に在った。と言うより、味方が摩利支天の妖術で思考回路を撹乱され、衝動的に利休を斬り、その場から立ち去った私を複数名で追跡し山道で私は首を刎ねられた。

その時私は味方であった弟弟子の顔を見た。その顔が摩利支天と同化して映り込み、瞬時にそれが摩利支天の妖術による撹乱だと察知した。


あの世で私は何度も摩利支天の追跡を試みたが、彼の転生の速度が余りに早かった為、結局私が今世で弟と再会する迄、摩利支天との再会は持ち越されることとなった。

摩利支天の術で有名なのは「陽炎の術」。
その術に遭うと今自分がどこに生きているのかが分からなくなり、摩利支天が設定した情景の一員となって動くことしか出来なくなる。
敵・味方の区別を自分でつけることが不可能になり、摩利支天の意のままに操られるように行動することしか出来なくなる。

まさに弟が作為的かそうではないのか分からないけれど、人を自分の意のままに操る能力に長けていた。
私もその術にハマりかけていたが、24歳で実家を出ると次第に彼の妖術から心が開放されて行った。その後私は渡米し、表向きはPTSDやACによる脅迫障害及びパニック障害だと病状を診断され、その後現在のようにほぼ完治に至るまで数十年を要した。

そして2015年、現代の摩利支天として生きた私の弟の寿命が尽きた。彼の身体が摩利支天の弟に与えたミッションにおそらく、耐えきれなかったのだろう。
最終的に弟は、動脈瘤の破裂でその生をいきなり閉じた。

おそらく摩利支天は既に、次の転生場所を確保しているだろう。潰すべき者は確実に潰し抹殺するのが摩利支天の性格であり、そうすることが彼のミッションである以上、ここに転生した私を摩利支天が見逃す筈はないだろう。
だが私にもミッションがある限り、この戦いはきっと終わりを見ない。

摩利支天については私の気持ちが向いた時に、時々こうして語ることが今後もあるかもしれない。
ここで見聞きしたことは、なるべく他言しないようお願いしたい。
摩利支天に入り込まれた人にも人権があり、人間としての生をもってこの世に生きていることには変わりないのだから。
 

 

本記事は2019年10月1日に『note』に掲載した記事より移動しました。