ショパンコンクール 2025′ が開幕している。
未だ一次予選中なので全ての演奏者の動画を視たわけではないが、一人だけ際立つ演奏者を見付けたのでメモ代わりに簡単にブログを更新しておきたい。
演奏者はアリサ 小野田 (小野田有紗) さん。
1996年1月16日生まれ。ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックおよびニューイングランド音楽院の卒業生である彼女は、現在ダン・タイ・ソンのもとでオーベルリン音楽院のアーティストディプロマとして学んでいる。
── https://www.chopincompetition.pl/en/competitors/751

冒頭の『Nocturne in C minor, Op. 48 No. 1』から、滾々とリスナーを惹き込んで行く。
音色は上質なコニャックをも思わせ、通常この曲を弾く人のストレッチ的 (体育会系) な演奏解釈とは一線を画す。
かなり大きく間を取った解釈も間延びすることなく、一つ一つに意味を持たせて行く。
特に右手の合間の左手の上声部にコントラストと持たせる解釈は、ピアノを完全にオーケストラとして捉え抜いている証しのようにも思える。
体力的にはさほど逞しいわけではなさそうなので、時々音の乱れとスタミナ不足が垣間見えるが、そもそもピアノ演奏はスポーツではないし、そう言った点に注目を寄せたがる人たちの一人には私はなりたくないと思いながら聴いて行く。

一次予選は各自、約30分間のプログラムを演奏する構成になっており、これまで拾い聴きした多くの演奏者を私は多くて5分試聴して切り上げている。
だが、彼女は違った。
ラスト曲『Ballada g-moll op. 23 / Ballade in G minor, Op. 23』は、シンプルな楽曲ながら難曲だ。
私は如何なるコンクールであっても運動性に依存した耳や感性で演奏者を判断すべきではないと思っているが、審査員の多くはミスタッチの有無や均一な運動性を重視するようだ。
その意味ではアリサさんは若干、不利かもしれない。おそらく元々彼女が持っている体力的な事情だと思うが、プログラムの中盤で既にバテ気味とも取れる箇所が複数見受けられる。‥だが彼女には、それをものともしない類稀な感性と柔軟性を秘めている。
それがラスト曲のバラードで炸裂する。
通常最高音を最高強度のタッチで打鍵するこの曲を、高音に音が流れて行くにしたがってむしろ音量をグっと抑え込んで行く辺りは、プロと言われる演奏家でもなかなかお目にかかれない上質な奏法 (解釈) だ。
それが彼女の場合、当たり前のように随所にその奏法が現れる。その度に一瞬身がすくむような緊張感が走るが、直ぐに解き放たれる。
この、緊張と解放の出し入れを当たり前にこなす演奏者は、そうそう現れないだろう。
小野田有紗さんのプロフィールに、師匠 ダン・タイ・ソン の名前が見られたので試しにサブスクで師匠の方のショパンを聴いてみたが、正直つまらなかった。
クラシックに限らずシャンソンやジャズでもよくある話だが、現役の傍ら育成業に手を染めた演奏家の表現は途端に面白くなくなって行く。
ひとえにこれは、普段から弟子の粗捜しの耳になって行くからではないかと私は思っており、その意味で育成業に完全に染まり切らなかった恩師 三善晃氏のピアノ演奏は、最後の最後まで天井の音楽で在り続けたのだから凄いとしか言いようがない。
アリサ 小野田 (小野田有紗) さんがこの先、ショパンコンクールでどこまで残って行くかは定かではないが、是非ともコンクールと言うイベントに囚われずに長く演奏活動を続けて行って欲しいと、願わずには居られない。

