ソメイヨシノは接ぎ木によってここまで増えて、栄えて来た種。
このところ老木や倒木、病気にかかる木が増えて、数百年後の未来にはこの世から消えるかもしれないと言われている。
そう思うと何とも寂しくなる。
今年は体調不良でお花見が出来ず。
来年こそは是非とも、美しい桜を拝めますように‥🌸
ソメイヨシノは接ぎ木によってここまで増えて、栄えて来た種。
このところ老木や倒木、病気にかかる木が増えて、数百年後の未来にはこの世から消えるかもしれないと言われている。
そう思うと何とも寂しくなる。
今年は体調不良でお花見が出来ず。
来年こそは是非とも、美しい桜を拝めますように‥🌸
暫く体調を壊して休養していました。
その間に世の中が粛々と変化して行く様を、寝室の中で感じながら悶々としていました。
通りをひっきりなしに疾走する救急車の数が日増しに増えるその度に、世界から一つまた一つと消えそうな命の叫びが聴こえるようで、胸が痛みます。
ずっと桜の季節が嫌いでした。それは毒親の影響が大きいのでしょう。
毎年お花見とは名ばかりのイベントが計画され、その時その前日になる度に私は母親の不当な暴力を受けました。
目や腕の皮膚を母親の握り拳が激しく殴打し続け、お花見当日の朝になる度に私は全身痣だらけになりました。当然そんな姿でお花見など行ける筈もなく、否応なく私は留守番をすることに‥。
それが私以外の三人の家族にとって、ベストな状態だったのです。
毎年そんな状況が続き、私は最初から家族の中に存在しなかったように私以外の家族三人が、何食わぬ顔でお花見を楽しんで帰って来ます。
千円程度のお金がテーブルの上に置かれ、それで何か食べてね‥ とにこやかな顔で母に言われ、マクドナルドでハンバーガーセットを買ったり松屋で牛めしを買って、家で一人で食べました。
私は家族の中で、最初から存在を許されない人でした。

そもそも大のカメラ好きだった父の趣味を奪うように、私が家を出る頃になると母は (本来ならばそんなお金など無い筈なのに) どこかからか資金を捻出して高額のカメラを買い始めたことを、今でも覚えています。
特に桜が好きと言うわけでもないのに、このシーズンになると母は井の頭公園に行っては桜を撮って楽しんでいました。そしてマウントするのです、私や父に対して。
母は人に「先生」とか「アーティスト」等と呼ばれたかったのではなかったかと、今になるとそう感じるのです。
私が大学を卒業し24歳で家を出る頃には、すっかり桜が嫌いになりました。桜と母の虐待が記憶の中でセットになり、私を苦しめるからでした。
そんな私が今では大の桜好きに変貌し、それもこれも最愛の夫のお陰だと感謝しています。
2022年に前の家から転居し、それまで一人で桜を撮っていた隠れスポットを離れてしまったので、去年は殆ど桜の写真を撮ることが出来ず今年。
掲載している写真の桜は各々とても細く花付きもそれほど豊かではないのですが、構図次第では大木の桜の樹のようにも見せることが出来るところがカメラの不思議なトリックです。
上達したのは私の腕ではなくて、スマートフォンのカメラの性能(笑)。文明の利器を利用しない手はありません。

昨年実家を売却する際に遺品の整理をし、その最中に母が撮った花の写真を大量に見つけましたが、どの写真も焦点のぼやけたものばかり。写真と呼ぶに相応しくないものでした。
結局全部処分しました。
忌わしい記憶や思い出と完全に決別しなければ一歩も前進出来ないと思い、母自身が写っている写真も殆ど処分しました。でも、だからと言って私の中に在る辛い記憶と決別出来るかと言われたらそうではなくて、私の中には未だ両親や弟からの虐待や嫌がらせの記憶が息づいているのが苦しいです。
四方八方が敵だらけだった私の半生。
夫に「私は間違っているのかな?」と訊ねてみたのですが、彼は頑として「一つも間違ってないよ。」と言います。それは恐らく彼の本心であり、真実だと私も確信しています。
私がこのブログで、亡くなった弟の奥方 (Eri Y.さん) を含め親族の過ちについて綴り始めると、すぐさま Eri Y.さんの知人を名乗る誰かしらからInstagramにメールが寄せられました。その人物は私に、自分は知っているけれど私が知らない多くのことがある‥ と告げて来ましたが、実家の真実の最も近くに居たのは私であると言う確信は物理的な証拠として手元に今も在ります。
家族も親族も、私に知られては困る何かを私に探られることを懸念したから、私を実家から早々に追い出し一歩たりとも実家に近づけさせぬようにして、徹底的に親族の輪から排除したのでしょう。

上記の書類も、その証拠の一つと言えます。
今このタイミングでこのメモを読むと、母の話していた「家にはお金がないのよ。」と言う口癖が全くの嘘であることは明白です。
ですが母はどういう訳か清貧思想を深く心に持っていて、音楽高校に進学した私が経済的には豊かではない人を友人に持つように仕向けられました。それが私はたまらなく嫌で仕方がなかったので、その頃から私は親に内緒の収入を得る為にレコード会社にデモテープを持ち込むようになりました。
その夢さえも折に触れ母は妨害し、当時爆発的に売れた「爆風スランプ」のディレクターに無理矢理私を会わせましたが、感性の合わない人とは上手くやって行ける筈がありません。
[ 中略 ]
私は「暴きの星」を持っています。多くの虚偽が私を捉え、虚偽の側からそれを私にを暴いて欲しいと嘆く時、私の「暴きの星」が疼きます。
遠い過去世で私はジャンヌ・ダルクとして生きました。最終的にジャンヌは異端審問にかけられ、火あぶりの刑に処せられて最期を迎えています。その時周囲はほぼ敵だらけだったと記憶しています。
でもそんな中にも時折影の助っ人が現れ、彼等は自身が私の助っ人だとはバレないように私を何度も助けてくれました。
色々な記憶が渦巻き、それが自分の過去世だと分かるまでには数十年の月日を要しました。そして私自身を知る旅は困難を極めましたが、現在の夫が私を私自身に引き合わせてくれたのだと思っています。
今年はそう遠くない場所の桜のスポットでお花見を二人で楽しんで来ましたけど、いつかもう少し田舎に出向いて桜のシーズンを満喫したいと思っています。
桜と言えば、私の中では「木花咲耶」を連想します。何故かは分からないのですが、今日のお花見の最中も天界からずっと私たち夫婦を見守っていて下さいました。そして天照大神も‥。
自然神と大の仲良しの私は、日々の折々で彼等にとても救われているように感じます。
穏やかな日々がこれからも続きますように。そう祈らずには居られません。
歯の検診の前日は決まって眠れない。やることが分かっているのに、心の何処かで「何をされるか分からない」‥的な恐怖が渦巻く。
結局昨日の前日の月曜日の夜も殆ど眠れず、ヨロヨロになりながら歯医者に行くと案の定の検診結果だ(笑)🦷
気分を変えたかったので検診の帰り、車からは完全に降りて夫としばしお花見を楽しむことに。

時間差で咲き誇る桜の花の半分以上が散り始めていて、それはそれで圧巻だ。
新居の近くにこんなに素敵な桜スポットがあるとは驚きで、勿論旧宅の一本桜も魅力だが今年はもういいかな‥ と言う気になった。
さらにその帰りに新しい花を買った。
昨年旅立った愛兎 マイケルが私に遺してくれた、尊い趣味の置き土産。次にマイケルが此方に転生して来た時に「ママ、頑張ったよ」と言えるように、亜流でフラワーアレンジメントみたいなことを研究中である。
とは言えあくまで趣味、あくまで下手の横好き。極めようとすると眉間に皺が寄って楽しめなくなりそうなので、兎に角趣味以上にシフトしないように気を付けている。
体も心も「紫」を欲しているのには、何か理由があるのだろうか‥。
わちゃわちゃしているが、その時々の気分を先ずは優先。タイトルは「尊い瞬間」。

なかなか新居のレイアウトが完成せず、未だ楽器も入れてないのでトレーニング不足は否めないが、どっちみちこんなに不穏なご時世の中のんびり練習も出来まい。
先ずは執筆と音楽評論のスキルを極めたい。
一日の大半をTwitterやらブログやら、音楽鑑賞等に費やしている。段々と心惹かれる音楽が減っている‥。
先日epoの古いCDを再購入したので、今日はそれを聴いて過ごそうか‥。
音楽の中にロンドンの風景を感じる。ブックレットを読むと、最後のページに「U.K」の文字が浮き上がる。やはりそうだよね‥ と、自分自身のカンの良さを再認識する瞬間。
この頃(1980年代の後半から1993年の辺り)のepoが、一番好きだ。その後の彼女は中途半端にスピリチュアルを齧りセミナーの開催をする為に必要な資格等を取得して行ったが、それと同時に彼女の音楽性が崩壊したから‥。
最近やたらと予言とか預言を公言出来なくなった。的中率が上がっており、私が口にすると現実がその通りに動くからだ。
やはり私はリラ星最期の巫女なんだと、他のヒーラーやスピリチュアリストと同じように行動してはいけないのだと、あらためて己の中で悟りを極める。
音楽家の大半のメンタルから「ガチ感」が消えている今日この頃。先日とある歌手のLive(彼女は最早Live活動しかしなくなったので)を拝聴したが、声の衰えと感性に付いた「汚れ」が歌手の全体像を完全に覆い尽くしてしまった感は否めない。
かなしいけどこれが現実。
もっと早い段階で「歌手」が私のアドバイスを素直に受け入れていれば、結果は変わっていたのかもしれない。
だが今現在の「歌手」を見る限り、私が光を当てたとしても芸術の方向に舵を切ったかどうかは定かではない。だからこそ私は梯子を外したのだろう。
自身の持つ「光」を、自分自身に当てることはなぜか出来ない。だから私は夫の放つ未知の光に、全てを託して信頼している。
私が本物を捨てない限り、自身の持つ光と夫の持つ未知の光が必ず合わさる瞬間が訪れる。だから私は絶対に、ぶれてはいけないのだ。
久々にスピリチュアル系の記事を書いています。‥と言うのも、ここ数日間の桜の花々が余りにも美しく、ずっと見上げているとこれまでの全ての苦悩や悲しみが一斉に洗い流されて行くような感覚になったからです。
40代前半、現在の夫と結婚するまでの私は、とある理由により、大の「桜嫌い」でした。
かれこれ20代前半に私は実家を出ていますが、それまでは毎年春になると家族で「お花見」と言う名の過酷な修行が控えていました。
私にとって、家族の行事は常に虐待と隣り合わせでした。
ここ最近のブログ記事にも綴っているように、私は生まれ付き顔に刻まれた大きな傷跡(呼吸器障害と連結していますが‥)が理由で、両親に「みっともない女児」として扱われ、家族や親族の行事からは常に排除され続けて来ました。
冠婚葬祭は愚か、夏の旅行や春のお花見その他の全ての行事の直前になると、私は決まって母の謂れのない暴力を受けていました。理由は何でも良かったのです、母にとっては。
私が良からぬ行動を起こし、「こんな状態では旅行になど行けないわね。」と言う理由を母は毎年無理矢理作り出し、人前に出られない程の青い痣が顔じゅうに広がるまで彼女は私を殴り続けました。
当然そんな状況ではお花見どころではなくなり、家族がお花見に行っている間私は否応なく自宅で留守番をせざるを得ない状況になり、毎年春のこの時期になると、(24歳で実家を出た後でも)私はそのトラウマと格闘しなければなりませんでした。
その影響で、春の鬱は私が現在の夫と結婚するまで付き纏いました。

ですがそれは、ある事を機に改善されて行きます。
記憶にある限りで書くと、2010年3月に「Kono Hana Sakuya」を録音した時が最初でした。
そして二度目が、2018年にリリースしたアルバム『Wa Jazz』の中で、天照大神(あまてらすおおみかみ)を描いた時でした。
これはこのブログのこの記事で初めて書くことですが、アルバム『Wa Jazz』のアートワークの「和」を久々の書道で描いた直後に私は、天照大神と或る約束を交わしました。
それは、「より強く天照大神と私とのパイプを深める意味も含め、毎年神様の頬を撫でるような優しい思いを心に、桜の花々を愛でること」です。
この約束はどこか私自身のマインドのブロックを開放させてくれるような意味合いを持っており、それから私は毎年、何れかのSNSやInstagram、時にはFacebookの個人アカウント(現在は執筆停止しています)等に、その年の桜を沢山撮影し、収めて来ました。
勿論デジカメを未だ持っていないので、これまで掲載して来た桜の写真は全てスマートフォンで撮影したものになります。

これはこの記事に書こうかどうか迷ったのですが、お姫様(天照大神を私は普段、こう呼んでいます)に「書きなさい」と言われたので、そのままここに書きますが‥。
最近よく言われる「低級霊」と言う言葉について。
この言葉に表されている「低級霊」は現実的には、存在しないとのことです。お姫様(天照大神)の直々の言葉なので、これは間違いないでしょう。
※よく「低級霊」を動物霊のようなものとくっつけて考えているヒーラー未満の人達の話しを聞きますが、土台動物や人間以外の生き物の言葉や思い等を理解出来ない人間に、動物霊を語る資格はありません。なので、以後動物霊や低級霊等を引き合いに特定の個人の霊格を貶めるような文言を見掛けたら、それは全て、その言葉を発した人から特定の人物への個人攻撃或いは嫉妬心の代弁だと思った方がベターです。※
理屈は至ってシンプルです。
ものの「霊」とは、生前の所業によって決定されます。つまりその生命が生き物として生きていた時分にどのような功績を残したのか‥ が、死後の霊格の基盤になると言うのが一つの仮説。
もう一つの仮説は、その「生」がそれまで歩んで来た命と振舞いの変遷(例えば陰徳をどれだけ積んでいるか‥等)が、死後の霊格の基盤になると言うものです。
私の場合はリラ星に巫女として生きた時代からの長い月日とその間の陰徳を霊体が積んでいる為、上記の両方を跨いでいると言うのが神々の共通認識としてあるようです。
但し私の霊体の基盤が人間離れしている為、私がその現世現世各々でどれだけ普通に振る舞っても、そこには既に「高い霊格」が付いて回ります。
つまり私が人間としてだけではなく、仮にその他の生き物に生まれ付いたとしても、降臨した段階で既に高い霊格を持っている為、なかなか普通の世界に馴染みにくいと言うデメリットを併せ持っているとも言えるかもしれません。
逆にそのデメリットの裏返しとして、私がどんなジャンルで何を行ったとしても「普通」の枠をあっさり超えてしまう為、余り庶民的な人との関わりを持たない方が物事が上手く行くと言う、何とも言えない特徴もあるようです。
人と馴染めないことには色々な理由がありますが、「私の場合はそもそも庶民的な現世世界が私の馴染むべき世界ではない為、無理に馴染む必要がない」と言うのが、これまで密かに関わって来た神々の共通の回答として弾き出されています。
この「馴染めない」を強引に「価値のないもの」とか「低級霊に取り憑かれている」‥等と言う現象と結び付けようとする人が一部居るようですが、そもそも「低級霊」と言う実在しないものを引き合いに持って来る段階で、ナンセンスとしか言いようがありません(笑)。

私は常に孤独であり、孤高です。
過去と現在と未来を同時に見据え、その世界に何をもたらせば最も良い世の中になるのか‥ と言う事を常に考えて生きています。
それは個人的に関わっている誰かに特別なクーポンをもたらすようなものとは全く異なる為、至って表面的には地味に見えます。現世的には「何もしていない人」のように見られることも多々あるようですが、私は別に構いません。
今日、実は生まれて初めてモンブランの高額な万年筆を購入し、今その感触を堪能したところです。
本物に触れると、それまで触れて来た本物未満との大きな差に気が付きます。勿論本物未満にはそれはそれの良さがありますが、本物に触れた後にはもう、それ以前には戻れなくなります。
本物以外を必要としなくなるのです。
スピリチュアルもそれと同じです。
他者の、私に対する評価も同様です。実際に私と深く関わった人の中に、私を悪く言う人は居ません。(勿論、マウント目当てで最初っから私に対し、いつかマウントを取ってやろう‥ と目論んで近づいて来た人については、これには当てはまりません。)
確かに私はとても難解な人間であることは重々承知ですが、芸術家なのだから当然の事です。むしろ、いっつもペコペコ人に頭を下げて身の丈よりも小さくまとまっている方が、余程不自然です。

この記事の最後に、2018年にリリースしたアルバム『Wa Jazz』から、天照大神(あまてらすおおみかみ)の威厳と慈愛を余すところなく表現した『Miyabi』(YouTubeのDidier Merahのトピックからの引用)を掲載します。
【予告】
近日中に、亡くなった私の弟・大輔との思い出話と近況を綴ります。