Return to the Forest

先日私の住む町で大きなお祭りが開催され、町中がお祭り一色で塗り潰されて行きました。
数年振りの祭り開催で人々が賑わい集う一方で、街路樹の木々たちは次第に寡黙になって行きました。普段ならばむしろ私の方が「いい加減にやめて欲しい」と感じる程に大らかに歌を歌う木々たちが、町中で繰り広げられるお囃子やそれに群がる人々の喧騒に対して不快感を露わにする様子を、私はつぶさに感じていました。

お囃子と電飾を担いだ多数の山車で大通りが賑わい始めると木々たちは益々不機嫌になり、祭りが終わる時刻が近づくにつれ私は、その影響で全く起き上がれなくなる程の筋肉痛や強烈な頭痛に見舞われました。

 

 
この数年間で地球全土に広がった新型コロナウィルス・パンデミックの背景に自然神や地球上の精霊たちの思惑が潜んでいることに、どれだけの人たちが気付いているでしょうか‥。
 

色々な噂が陰謀論と抱き合わせに広がっては否定され、なじられたり揶揄されて来ました。ですが一つだけどこからどう攻めても崩れ落ちない事実があるとすれば、発祥不詳な前代未聞のウィルスとの闘いが現在も地球全土で続いていると言う事です。
 

最初は「グレートリセット」や大幅な「人口削減計画」等と言う言葉と共に否定されがちだった色々な噂が、次第に現実味を帯びて行く今日この頃。
段々と新型コロナワクチンの副反応(副作用)による危険な実態がSNS上でも明らかになり始め、これまで二度~三度とワクチンを接種して来た人たちでさえも「四回目は打たない」と言う密かな決断を選択しています。
 

問題はこのパンデミックが元々は自然神や地球上に点在する精霊たちの思惑の側であり、彼ら‥ 精霊たちは既に「人間」と言う生物を危険認定したと言う点にあるでしょう。
人類は数年間、生活に必要な必要最低限の活動のみに行動を制限し、兎に角人類全体が大人しくしてくれればその間に地球上の大気の汚染も改善され、さらには新たなウィルスの移動や拡散も防げただろうに、人間と言う生き物は群れて集って騒ぐことに躍起になり、地球各所でロックダウンが施行されても数か月とその沈黙を維持することが出来ませんでした。
 

たった数年間、人類が各々の場所で静かに生活を営むだけで良かったにも関わらず、多くのロックダウンは数週間から数か月間で解除され、その途端に上空をこれでもかと言う数の飛行機が移動し、地球の各所で大勢の人々が集う祭りやイベントが再開されて行く始末。
 

 
ヨーロッパの大半はその昔、全体が大きな森でした。その偉大な森を人間が無制限に開拓し、今の都会的なヨーロッパへと変えてしまいました。
今、木々たちや精霊たち、自然神等は人類の開拓によって失われた森を取り返そうと考えています。
 

そして心の中で、こう囁いています。
『どうしても私たちの願いを聞き届けてくれないのならば、人間どもよ、あなたがたが森になりなさい。』‥
これが何を意味するかを考えると、今現在起きているウィルス・パンデミックの真の理由と意味が必然的に明確になる筈です。

夫・天野玄斎の予言によれば、近い将来、特にヨーロッパの多くの都市が機能しなくなるとのこと。
つまりヨーロッパの大半が元々そうであったように、森に返るのです。多くの人々が強制的に土に返され、魂の一つ一つが木々として生まれ変わり、地球再生に手を貸すことが必須となるでしょう。
 

人類は先ず、群れて集って騒ぎ立てる生き方を止めなければなりません。
兎に角静かに、兎に角厳かに、自分の傍に常に小さな乳飲み子が眠っている時のように細心の注意を払い、大声を出したり大きな音を立ててはいけません。
今賛否両論を巻き起こしている「黙食」は、さしずめその人類に課された「寡黙の使命」の一つと思って間違いないでしょう。
 

人類が森や地球上の生き物の生態系を分断し破壊したのと同じく、次は木々や地球上の精霊たちが自らの意思で人間に同じミッションを課しているだけのこと。
人類は彼らの要求を先ず、完全に呑まなければなりません。
 

 

2016年7月2日、Didier MerahはSacred Forestと言うピアノ・アルバムをリリースしています。
 

 
このアルバムの冒頭の作品がReturn to the Forest

当初私はこの曲の本当の意味に、未だ気付いていませんでした。
ですが新型コロナ・パンデミックに数年間振り回された後の今、振り返ればこの作品Return to the Forestの本当の意味に気が付かざるを得ない状況に、自身が置かれているのを感じます。
 

これは単純に「森に帰る」と言う意味ではなく、精霊たちが、多くの森を奪った人間たちを全て地中に埋めて森を取り返そうとする意志を、無意識のうちに私が音楽に置き換えていたと言う意味に捉えて下さい。

勿論、皆様も既にご存じの通り、Didier Merahの殆どの音楽は予言と預言で出来ています。
当然不穏な予言に於いては、その予言を回避する旨も音楽の中に封印して配信しています。
 

静寂と共に

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木曜日。
知人と約束の場所へ向かおうとするとLINEにメッセージが届き、そのお店が今日に限ってお休みだと言うので、急遽予定を変更して和洋折衷の餃子のお店でちんまりとランチを頂くことに。
餃子と言う料理は難しい。大衆的過ぎても大手の他の餃子ストアと差が付いてしまうし、お洒落過ぎても餃子の大衆的な好さが消されてしまう。今日は後者のパターンで、一体何を食べているのか殆ど分からないような状況で、口の中で餃子と他の料理が完全に喧嘩してしまっていた。

そもそも餃子には中華スープか或いはお味噌汁、お吸い物が合うと思うが、付け合わせの汁物がミネストローネだったのには少々驚いた。一言で言うと、餃子に全く合わない(笑)。

付け添えがチーズのフライ、そしてレタスと枝豆のフレンチサラダ。嗚呼どうしよう… と言う混乱ぶりで、「こういうのは一度だけにしておいた方がいいわね。」と知人と顔を見合わせる。だけど会計は極めてスマートに、上品さを心掛け退店。

 

知人がその後のティータイムに同席したそうに私の目をパチパチと瞬きを増やしながら見つめていたが、私はどうにもこうにも今日は一人で音楽が聴きたくて仕方がなかったので、正直のその旨を伝えてそこで別れた。
なんて不愛想な芸術家なの…。この猛暑の中わざわざ私を誘ってくれたにも関わらず、私は一人になりたいと言う衝動を抑えることが出来なくなってしまった。

 

考えたいことが山のようにある。どんなに考えたところで思考がまとまるわけもなく、気付くと最寄り駅のビルに隣接している大型の書店の雑誌コーナーでぼんやり、予定外の雑誌を捲っていた。
傍から見たら、少し呆けた中年女性に視えたかもしれない。だが至って私は真面目に、本当に真面目に自分の音楽人生について考え込んでいた(「天然生活」を捲りながら)…。

 

 

 

家を出る時に満タンに入れておいたマイ水筒のミネラルウォーターは既に底尽きたので、タリーズコーヒーに入ってそこに抹茶ラテを注いで貰う。
丁度ショートサイズの割引チケットを持っていたので、差額でグランデサイズの抹茶ラテ。好く飲む女だ、私は。

そして目を閉じて、久し振りに自分自身の音の世界に浸る。

 

今年に入ってから私は、自身を「ピアニスト」ではなく「芸術家・作曲家」と頑固に名乗っている。
私の中でピアニストとは「与えられた誰の楽曲でも気持ち好く引き受け、それを演奏する職に在る人」だとカテゴライズしており、私はそれとは全く違う人だと言う自覚がざわざわと目覚め、次第に強烈になって行った。それにともない、自身をもう「ピアニスト」と名乗ることに強い違和感を感じるようになり、「ピアノが弾ける作曲家・芸術家」と位置付けることにした。

 

私の作曲は鍵盤の上で完成する。いわゆる既存の作曲家たちが「真っ白な五線紙の上に黒玉を書くことで楽曲を完成させて行く」のとは違うスタイルを取る作曲家であるだけで、私は紛れもない作曲家の一人であることには変わりない。

 

目を閉じて、大地・地球の心を描いた作品に耳を澄ますと、音楽の彼方で蝉が鳴き、トンボが風を切って飛んで行く。時折車やバイクが横行する通り沿いに面したカフェが、瞬く間に異国の夏の世界に変わって行く。
私は地球の心と同期し始め、まだ見ぬアマゾン河の光景や水と木々の匂いが私を包み込んで行く。こんなことなら抹茶ラテではなく、ケニア(コーヒーの種類)をオーダーすれば好かったかしら…。

 

 

MeandresdufleuveAmazoneautourdeManaus

 

日常と音楽の隙間に聳え立つアマゾンの深い森林は、私を強引に引き寄せようとする。微かに…、嗅いだことのない種類のコーヒーの初々しい香りを感じ、振り返ると私の中に共に棲んでいる御神木の精霊のオリジンが空に枝を大きく広げて泣いている。

物理的に今直ぐにアマゾンに飛ぶことが出来ないから、魂だけでも共に、旅を…。

 

丁度上に添付した写真のように、深い緑の水面に青い空が映り込み、これでもかと言う程の高い湿度で迫って来るけれど、なぜかその中に呑み込まれてしまいたいと言う不可思議な衝動が湧いて来る。
そう、これは私の感覚ではなく、精霊 オリジンの記憶に触れたから発生しているもう一つの記憶のように、私を知らない過去へと引きずり込んで行った。

だけど私は相変わらず普通の生活の中に在り、今まさにカフェの隣の席に初老のご夫婦が談笑しながら海外旅行の計画を練って居る。真横に居る私がアマゾンの森の香りと映像に包まれているとも知らずに隣からは、シンガポール七泊八日の旅のパンフレットを読み上げている女性の声が抹茶ラテの中へと溶け込んで行く。

 

日常と、非日常。私はその、視えない境界線を常に往復しながら、一見普通の人のように暮らしている。

 

さぁ。そろそろ夕食の買い物をして、帰らなきゃね。
そう言うとオリジンが緑色の大きな羽根を、少しだけ畳んだ。最近は私を上手に日常に送り届けてくれるようになり、私の精神状態を徹底的に穏やかにキープしてくれるようになった。

 

お盆。色々な元・人や、亡くなった知り合いが此方の世界に帰って来て居る。でも私は毎日がお盆のようなものなので、特別何かをする… と言うことはない。
過ぎ去る時、過ぎ去る毎日を大切に過ごすこと。それが此方の世界に生きる者の使命であると常に感じ、その感覚の中にシンプルに生きている。