河口湖の旅

2025年12月11日から13日までの二泊三日を利用して、私たち夫婦は念願の河口湖旅行を楽しんで来た。
今回の旅行は四か月前から予約して予定しておいたにも関わらず、何と言うことか前々日の夕方から、それまで快方に向かっていた左足親指の巻き爪の患部からいきなり出血があり、化膿も見られ、旅行の前日にかかりつけの皮膚科に駆け込んだ。
 
幹部が重症ではなかったものの、今回の旅の目的の一つである温泉へは (感染症の懸念がある為) 浸かってはいけないとの医師の診断があり、右半身のみ温泉に30秒浸かるだけとなった。
確か前回河口湖を訪れた時も同じような状態だったので、これはもうどう見ても「圧」だろうと思わずには居られなかった。
 

 
‥そんな私を気遣ってくれたのかと思いたくなる程、富士山は圧巻の傘雲を見せてくれた。
スマホしか撮影機材を持ち合わせていなかったことが悔やまれたが、何より心に刻むことの方が写真を撮影することよりも重要だ。
甘んじてスマホで撮影した写真が、上の写真。それでも良い風景を残すことが出来たと思う。
 
夜間の二回の神人共食に関することは、ここにはおいそれと書けない。それ程ハードで、そしてとても重要な宴となった‥ と言うことだけここに記録しておきたい。
 

 
何冊か読みたい本があったので持参して行ったが、一頁たりとも捲ることが出来なかった。
私たち夫婦には有り余るほどの会話があり、そして神人共食を終えた初日の晩から疲労は既にピークを越えていた。
私の爪の炎症の悪化に加え、夫も最近体調が安定しないので、室内から河口湖を眺めたり休んだりコーヒーを飲んだりしながら日中は兎に角体力気力を使わないよう心掛けて過ごした。
 
最近のクマ問題が常に脳裏を過っていたので、夕食の時にお料理を担当してくれた料理長に質問してみたところ、河口湖周辺にもクマは居るとは聞くが人里に (クマが) 降りて来る必要がない程自然には事欠かないし、夜間の外出さえ気を付ければ然程危険ではない‥ との話だった。
一時は (クマ問題の懸念を感じたので) 二拠点生活は諦めた方が良いのではないかと思っていたが、やはり圧巻の富士山を目の当たりにし、夢に向かってさらに前進して行こうと決めた。
 

 
上の写真は、帰りの車窓から見た富士山。間近に見る富士山の大きさに感動し、ひたすらスマホのシャッターを切りまくった中のこれは一枚。
前方の車の屋根と比較すると、富士山の豪快さが伝わりやすいのではないだろうか‥。
 
既に私は日常の生活サイクルに戻っては居るものの、先週末の「世界の音楽」の新譜チェックは若干ライトに、ブログ『ディディエ・メラの音楽倉庫』の更新は控え目にSpotifyのプレイリストだけを更新している。
そちらもよろしければ是非、お気に入り登録の上ご試聴頂ければありがたい。
 

 

ディディエ・メラの生誕祭と神人共食 at 2025.11.03

2025年11月3日、無事に61歳を迎えることが出来た。
とは言え今年は春先から病気やケガが続き、現在もめまいと足の爪の膿み (巻き爪) に悩まされているが、それ以外は比較的元気に過ごしている。
 
11月3日、夜、大好きなイタリア料理で夫と神々と共に、生誕祭をこじんまりと開催した。
神々氏名の列挙はここでは回避するが、錚々たる面々からの祝福が寄せられ、宴は翌々日の昼まで続いた。
大好きなイタリア料理店ではBGMにアンドレア・ボチェリエロス・ラマゾッティ等を中心とした音楽がランダムに流れ、束の間ではあったが過去世に生きたトスカーナの原風景を思い出しながら舌鼓を打った。
 

 
⇧ 上の画像は「鹿肉のソテー」
鹿肉の下に敷かれたイタリアのキノコが又、良い仕事をしてくれる。
 

私たち夫婦は、神人共食中はアルコールを一切口にしないので、当日の飲み物はペリエonlyで。これが味覚をさらに鋭敏にしてくれるので、料理の味を際立たせてくれる。
この日はシェフに献立をお任せしたイタリアン・フルコース。次から次へと、シェフの気迫溢れる料理が運ばれて来る他、上空に出揃った神々の取り計らいでお人払いと相成ったのか客は私たち夫婦を含め3組だけだったので、シェフの私たちの料理への集中力も過熱したように感じた。
 

 
⇧ 上記は、唐辛子を練り込んだ手作りパスタ。イタリアントマトとしらすが良い仕事をしている🌶️
 
一皿一皿の紹介があるので、今にして思えばそちらの方を録音しておけばよかったと後悔‥。
各料理の名前を、店舗を出た瞬間に忘れてしまうと言う失態。でも脳と霊体に味を刻み込んでおいたので、後から味を霊体に復活させることは可能だ。

丁度このパスタがテーブルに届いたタイミングで、以下の曲がかかっていた。にわかに曲名を思い出せなかったが、エロス・ラマゾッティの声だと言うことは直ぐに分かった。
 

 
コースの中盤に入っても、前半に届いた「モンサンミッシェル産のムール貝の白ワイン蒸し (正式な名前を訊き忘れた‥) の味が抜けて行かないのは、上空で神々がかなり長い時間をかけて料理を蒸し返しながら堪能していたからだと思われた。
 

 
神人共食の主催者は概ね天照大神と決まっており、当日は富士山の自然神もお出ましになった。私たち夫婦を富士山の麓に移住しないか‥ と誘致してくれている、頼もしい神である。
 
BGMはアンドレア・ボチェリの『Anema E Core』へ。

 
居ても立っても居られず、サビノ神父がナプキンで目頭を拭う姿が届く。
この曲は古いカンツォーネ。今でも多くの新旧カンツォーネ歌手が、こぞってカバーする名曲中の名曲だ。

アンドレア・ボチェリの声も表現も正統派なので、思わず私も少しだけ涙ぐみながら料理を口に運んで行く。
 
思い返す過去世の色々‥。
サビノ神父はイタリアから佐賀、そして東京へと移り住み、途中母 (故) の母校である聖心女子大学の専属の神父に就任し、その後は横浜は秦野にある教会の専任の神父に就任するが、1983年に信者宅へ向かう飛行機の中で逝去。
持病だった心臓病が悪化し、機上で発作が起きたことによる死亡とのことだった。
 
上空の神々は珍しく静まり返っており、無言で私たちの味覚を借りて料理を堪能しているご様子。
メインの「鹿肉のソテー」までを一気にお召し上がり頂いた。
 

 
61歳にもなって余り仰々しいパーティーもどきにはしたくなかったので、店舗には私たちが着席してからコソっと‥ その日が私の誕生日である旨を伝えたつもりが、届いたデザートがこんな感じに仕上がっていた。
デコレーションに少し時間を要したみたいで、かえって申し訳なかった。
 

 
BGMはこの曲 ⇧ になっていて、これが又いい感じで場を盛り上げてくれた。
 
良い料理も良い音楽も、時間を越えて行く力を持つ。そして長く記憶に留まり続ける。
そして多くの神々や自然神の面々に見守られながら、生誕祭は無事終焉。‥だが、そこからが長かった。
料理の余韻覚めやらぬ神々はなかなかお帰りにならずに上空に残られ、二日後の夕刻を合図に解散されたご様子だった。
 

今年は色々な病気や怪我に見舞われたが、夫や周囲のサポートを受けながら何とか乗り切って来られた。女性特有の色々な症状も体に現れては消える今日この頃ではあるが、ここからはひたすらスローライフを心掛けながらのんびりと生きて行きたい。
そして数年以内に新しいアルバムの構想にも着手し、70歳をメドに各アルバム楽曲の楽譜化も予定している。
 

当ブログを読んで下さる皆様と共に良い一年を歩んで行けたらと、願ってやまない。
Spero di trascorrere un anno fantastico insieme a tutti voi che leggete il mio blog.
 

アフタヌーンティー (in TABLE 9 TOKYO)

このところ音楽で多忙を極めていた私たち (with 夫) ですが、先日品川のTABLE 9 TOKYOへアフタヌーンティーに出掛けて来ました。
勿論私たちの外食と言えば、神人共食はつきものです。
当日は主に女性の神々を中心に、日本神界の外側からも女神が参加されました。
 

 
あいにく私も夫も体調が万全とは行かず、前日から内臓の疲れや腰痛等を各々が発症した上、寝不足気味の状態とも重なり、写真撮影に全く気が回らずにただの記録写真となってしまったことを先にお詫び申し上げます。
 
とは言え、神々にはとても喜んで頂くことが出来たので、良しとします。
 


毎度のことながら「圧」との闘いだったと、当日を振り返るとそれがよく分かります。
とは言え「圧」にばかり気を取られていては本末転倒なので、その瞬間瞬間は余りネガティブな思考に囚われないよう、夫婦共々前向きに神人共食にいそしみました。
特に夫の体調不良が翌日にはすっきり解消されていた状況は不思議でした。
 
私はこのところめまいが頻発しているので、行動 (特に歩行) は慎重です。
若干糖分摂取の制限も設けている為、アフタヌーンティー当日は飲み物には一切糖分を加えることなく、ほぼノンシュガーで通しました (私は甘党なので、飲み物に糖分を足さないことは珍しいです)。
 

 
ご参加下さった神様方のお名前は伏せますが、意外な国から女性の神様が参加され、そして余り生前馴染みのないスイーツをとても喜んで頂けたことが私たちも嬉しかったです。
 

今年は先に足を運んだ旅先の老舗のホテルのレストランで、私のCDPasswordを店内BGMにして頂くことも出来て、とても感慨深い年になったように思います。
還暦の年に、思い出深いホテルで私の作品が物理的な音声として響いた瞬間、そのホテルで最後 (神父の晩年) に会うこととなったサビノ神父の目に光るものがふと、視えたような気がしました。
 
勿論サビノ神父は既に旅立たれていますが、霊体としての彼とは頻繁に対話が出来ているので、その様子は目で見るよりも鮮明に私の脳裏に焼き付いて離れません。
 

 
話をアフタヌーンティーに戻して、最近健康面の事情で甘いものを控えている私にとって、とても味わい深いひと時を過ごすことが出来たのも、ひとえに夫の多大な応援のお陰だと思っています。
彼あっての、今の私です。

日々、圧の原因となる悪しき霊体 (或いは呪詛) の解除で、彼も疲れ果てています。なので私に出来ることはとても少ないながら、なるべく夫の心身が休まるようなひと時の為に私ももっと頑張らなければいけないと思っています。
なかなか体力的にも上手く行かないことが多いですが、出来る限りこれからも夫婦共々長くこの世界に居られるよう、頑張って行きたいと思います。
 

最近本当に音楽のことで忙しくなっており、此方のブログの更新が若干滞っていますが、SNSのサブアカウントと別ブログディディエ・メラの音楽倉庫の執筆は継続していますので、是非そちらの購読もよろしくお願い致します。
 

https://didiermerahbox.wordpress.com/
 
 
⇩の写真はTABLE 9 TOKYO のアフタヌーンティーのオプション、『実り』の記録。
絶品でした🌰

 

現在Amazonにて販売しているディディエ・メラのCDPasswordが欠品の状態になっていますが、そのまま商品の購入ボタンを押して購入して下さい。
新たな購入がないと、私たちから新しい入庫が出来ない状況なので (多分Amazonが在庫を抱えないような仕様になっていると思われます‥)、是非欠品状態だからと言って商品の補充を待たないでご購入頂ければありがたいです。
 
よろしくお願い致します。
https://www.amazon.co.jp/Password-Didier-Merah/dp/B00HXWEL9O

圧と宝物と

ここ半年間近く、圧との闘いが続いている。
言ってみればこれは正当な祈りとその実現を拒む者等との、勝者も敗者も居ない戦いだ。標的を私に定めた呪詛は、方々から攻めて来る。一体私の何がそこまで恨めしいのかと、むしろ私の方が訊きたい心境だ。

関東地方は既に、お盆期間に入っている。通常のお盆は八月だと言われているが、関東地方のお盆は早いところでまさに今、そのシーズンに入っている。その影響もあり、普段は現れる筈のないものが、出やすい状況になっているようだ。
 

昨日、我が家は言葉にならない程の異臭に苛まれた。だがそれは私一人が感じたそれであり、最初夫は全く異臭には気付いていなかった。
その異臭に揉まれながら私は約2時間の睡眠を摂った筈だが、悪夢が続いた。
 

余りの異臭に気分が悪くなり、台所の換気扇を回して風呂場に行って用事を済ませている間に、夫が換気扇を止めて再び書斎に立て籠もってしまった。
書斎から寝室に戻って来た夫に「物凄い臭いだから換気扇を回しておいたんだけど‥。」と言った辺りから、夫もそれに気が付き始めた。
 

─ 中略 ─

 
圧は亡くなった親族等の呪詛を含め、別の某所や宇宙の果てからも私に届く。ここまで存在そのものを疎まれる理由が私にはよく分からないが、よくよく考えてもみれば私が「リラ星最後の巫女」だと言うだけで彼らにとっては天敵なのだろう‥。
 


今年に入ってから、富士山の見える場所への移住計画を推し進めている。移住と言っても都内との二拠点生活は継続する見通しであり、完全な移住ではない。とは言え、おそらくこの計画が叶ったら月の半分以上を富士山付近で過ごすことになりそうだ。
 
この計画にも、圧が圧して来る。
最近資産状況もようやく安定して来たので、そのことに対しても亡くなった親族等は良く思っていないだろう。遂に圧の中に「叔母」までが登場し、昨日の異臭の発信源の一つが彼女であることも分かった。
 

私を不当に扱った罪や刑罰は、死後の彼らにも継続して及ぶだろう。
どんなに私を恨んで呪っても、真っすぐに、ただ真っすぐに生きている私をどうこうするだけの正当性が彼らには無いのだから、そろそろ大人しく定位置に収まって欲しいと願ってやまない。
 

移住計画が具体的になってから、それまで少しだけ浮かれていたマインドを戒めている。
天然石や化粧品の収集もスパっとやめて、必要最低限の買い物に極力留めるよう心掛けている。大きなお金を動かさなければならないので、その為の貯蓄をしたい。日々の資産状況は、今のところ安定している。

物欲まみれだった両親や弟と違い、私にとっての宝物は「夫と神々との神人共食」の時間。その時だけは、フランス料理やイタリア料理、和食懐石等の少し豪勢なご馳走に舌鼓を打つ。
私たちの味覚を神々に使って頂くことで、神々の味覚にも花が咲く。そうすることで私自身の味覚が宇宙に拡がり、私たち夫婦と神々とのWin Winの幸福な感覚の共有を堪能することが出来る。
それを私たちは「神人共食 (しんじんきょうしょく)」と呼んでいる。
 

別宅を持つことが出来たら、神人共食を別宅でも堪能したいと願っている。
 

 
以下のリンクは昨日更新した世界の音楽、プレイリストCafe Didier 2025′ 5.の最新版。
此方については別ブログディディエ・メラの音楽倉庫にて綴っているので、興味のある方は是非🚀
 


 

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ディディエ・メラへのお仕事依頼は、info@didier-merah.jp 迄お寄せ下さい。
仕事内容はラジオ番組等の「選曲」を始め、音楽評論、コラムやライナーノートの執筆等多岐に渡ります。
尚、飲食店舗用のプレイリストの作成にも応じます。作成価格に関しましては、メンテナンス等を含み月額制とさせて頂きます。
 
各ご相談は上記メールアドレス迄お寄せ下さい。
 
『X』のメインアカウントが凍結された為、現在稼働中のSNSは、以下になります 。(Facebookは連絡用に稼働しており、現在投稿は停止中。)
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予言と祈り

2025年7月5日問題は、どうやら大きな災害もなく回避された模様だ。
だが一つだけ引っ掛かった (ポジティブな意味で) 事があったとすればそれは、相方のバースデーパーティーの途中辺りから降り出した大雨かもしれない。

 

眉唾な記述をするつもりは毛頭無いのだが、地震や噴火等の自然災害を神々や精霊等が回避してくれる時、そこに大雨や台風などが発生する事は、私がリラ星に生きていた頃から言われて来た話である。


昨夜がそれだったとも、それではなかったとも言うつもりは無いが、感覚的には前者だったと感じていたりする。

集まった神々の面々を見ると、おそらくそうであろうと言うのが私のカン。
とりま2025年7月5日は護られたことにはなるが、地球の営みは壮大なものであり、いち人間の当てずっぽうな予言など悠然とはねのける。

 

夫は夫の力を、私は私の力を各々が駆使し、ここ数年間は特に祈りに集中している。祈りはやり方によっては悪にも善にも傾いて行く気質を持っているから、私たちは細心の注意を払いながら日々のミッションに取り組んでいる。
そしてその旨を他者には言えなくなった。なぜならば、我々が取り組んで来た多くの祈りが現実世界の中で形になって来たからだ。

 

夫は「不運、暴露、崩壊」の視点を持ち、皆々様が既に目撃されている通り世の中も政治も変化し始めている。
私は「虚像の破壊と封印」にフォーカスし、世の中の化けの皮を剥がす作業に取り組んでいる。

 

たつき諒」なる人物がコミックネタとして描いた2025年7月5日の滅亡説を多くのスピリチュアル界隈の人物が取り上げ、何が起きる、起きないで論争もあったようだが、人類は小さなサイクルで生きているわけだからそのような茶番は一過性の寸劇に過ぎず、地球はもっと広大な意識と意志で回り続けている。ただそれだけのことだ。
私たちはそちら、つまり地球やそれ以上の意識と意志、しいては精霊としての存在の側にフォーカスしている。

 
 
人間の世界に暦 (こよみ) があれば、宇宙や精霊等の世界にもそれに似たようなものがあるが、それをいち人間が読み解くことはとても困難だ。
仮にそれが可能だとしても、もっと重要なことはその感覚を随時的確に受信し、尚且つ宇宙規模に拡張、覚醒させることの方。その為には人間の寿命の延長が絶対必須である。

私の場合はそれを霊体寿命で補っており、かれこれ10万年近くの経験の多くを霊体が経験則の記憶として保有しているので、他の人たちよりは少しだけ感覚が開いているのだろう。

 

 

昨夜はそんなこんなで、私たち夫婦にとってはとても大切な或る女性の御霊をお招きした神人共食 (しんじんきょうしょく) の儀が無事執り行われ、そして暖かな余韻に存分に浸った一夜を過ごすことが出来た。

何より相方が健康に、この日を迎えられて本当に嬉しかった🎂

来世の家族と‥

来世の家族を全員集めて執り行われた『神人共食』の儀。
ピリッとした緊張感の中にも豊かな時間が流れて、ひと足早い来世の家族の集いみたいでとてもシュールでした。

 

 

予定では全部で7人家族になるとの事で、プラス私と相方の双方の両親と祖父・祖母も加わって、総勢15人での会食。勿論肉眼で視えているのは私と夫の二人で、それ以外は神様や精霊の方々。

味覚にも胃袋にも、そして脳に突き抜ける季節の食べ物はただただ美味しくて、来世こそは幸せな両親や弟妹に恵まれ、さらには子孫もちゃんと増やして育てたいとあらためて心に誓いました。

来世の私は体力も付けて、丈夫な子を沢山産まなきゃ❣️

 

 

美味しかった。
今夜は本当にありがとう。

 

(スマホから投稿 📱)

燃える火、消えゆく灯、そして祈り

あけましておめでとうございます🎍

今年もよろしくお願い致します。

 
我が家はいたって普通通りの年末年始を迎え、明けて1月3日に今年最初の神人共食の儀を執り行いました。
神界の神々の多くは古い時代に人として生きており、その当時の食生活は今と比べてとても質素で、少ない食材の中で工夫を凝らしていたようです。なので私たちが日常的に食しているお料理の大半が神々にとってはとても珍しく、そして貴重だと話しています。

2025年1月3日の神人共食の献立は、イタリア料理でした。
我が家では殆ど毎日神人共食を執り行っており、時にはジャンクフードもあり、時にはファミレスのステーキもあり‥ とバラエティーに富んでいます。古い神様方は最初こそ難色を示されたものの、最近は私たち夫婦が味わう多くの料理に興味を示されますし、少しずつ味覚のアップデートが進んでいる様子が伝わって来ます。

ですがそのような状況を快く思わない原理主義的な価値観を持つ神々や宇宙自然神等も存在するらしく、昨夜の神人共食時には私たち人間のみならず神々にも圧がかかり、特に食事中盤で夫が強い倦怠感を示す等、過酷な状況下で儀式は進んで行きました。
 

 
私がことさらイタリア料理に拘るには理由があります。
勿論既にご存じの方々もおられると思いますが、私の直前の過去世はイタリア人でした。その時の私は交通事故で命を落としています。その交通事故で私は大型トラックに轢かれて死んだわけですが、そのトラックの助手席に乗車していたのがサビノ神父でした。
サビノ神父はその件が切っ掛けで後に聖職者の道を選んだと、彼の御霊から最近その事実を聞きました。

私が日本人の血を引く両親から生まれた時、彼はそれが私とは知らずに言い様のない感覚の痺れを感じたそうです。なぜそのような感覚に襲われるのかについては、最近まで、‥夫がサビノ神父の霊体の患部を治療するまでは気付くことが出来なかったようです。

サビノ神父の霊体の患部を夫 天野玄斎 が治療して取り除いた時、彼の意識がようやく明確になり、それまで起きた色々な出来事を思い出して整理する状況に至ったそうです。
私に、私とサビノ神父が最後に会った場所を彼の霊体から直接聞くことが出来たのも、夫のヒーリングのお陰です。
 

 
話を戻して‥。

上の写真ですが、母が写り込んでいなければまるで、父と娘の写真のように私とサビノ神父の雰囲気がとても似ているように見えます。そして時々ご質問頂くのですが、後ろに写っている人形の中には、リラ星時代の私の (当時の第二巫女候補だった) 妹の魂が完全に入り込んでいます。

当時から私は両親に「顔の傷のせいで人前に出せない子」だと言われていたのですが、この写真を見る限りそのようには見えません。勿論若干の傷跡のようなものが顔にはあるのかもしれませんが、この写真の少女のどこが「人前に出せない子」なのでしょうか‥。
でもそんな両親の言葉を真に受けて私を遠ざけた人が他にも複数いたのは、完全に毒親であった父母の洗脳がネガティブな意味で周囲に行き届いたからと言わざるを得ません。

私がサビノ神父に最後に会ったのが、私が18歳の誕生日でした。なのでこの写真を母の遺品から発掘するまでには、42年もの月日が経過したことになります。

でも、祈りは必ず通じます。勿論サビノ神父はこの世を既に去ってしまいましたけど、彼の霊体は実在し、私たちは再会を果たすことが叶いました。そして2024年の2月末日に、サビノ神父は次の生を得てこの世に転生しています。
今度は私が、現世のサビノ神父との再会を待つ番だと思っています。

 
思えば色んな事が起きた2024年。深めたい親睦が上手く深まらず、黒を絶対に白にひっくり返さない私の性格が全てを叩き割ったような一年が経過しました。
せっかく今世で再会を目前に控えていたリラ星時代の妹を見つけたにも関わらず、彼女は心に大きな混乱を来たし、実際の再会は叶わず現在に至ります。

黒を白にひっくり返さない私の性格が災いしたのか、多くの人たちが私や夫の傍から離れて行きました。妥協と虚偽にまみれた人間関係を築くことは私の哲学に反するので、それも致し方ないのでしょう。
 

 
文字通り、私は音楽家・芸術家でありながらもやはり、巫女のような人生をこれからも歩んで行くことになるでしょう。それが人々から理解されない生き方・生きざまだとしても、それをする為に私はここに戻って来た自負があります。

今年は自身の新しいアルバムの企画に着手し、早ければ今年末~来年頃には制作に入るつもりで居ます。
並行して音楽評論と音楽研究にも集中し、特にイタリア音楽 (カンツォーネやイタリアンポップス) をさらに極めたいと思っています。私の魂には今でも強いイタリアが流れており、その強烈な引力に今は流されていたいと願ってやみません。

又音楽やクリエイトと言う観点で、企業戦略的なアドバイス業も担って行けたら‥ と、予定はびっしり詰まっています。法律や社会学、社会心理学等も勉強し、豊かな精神性を培って行かなければなりません。

この記事の最後に、未だ作りかけではありますが、『Collection “SABINO” Ⅴ (2025′)』と題したプレイリスト (on Spotify) のリンクを貼っておきます。
私の中に流れるイタリアを、共にシェア出来たら嬉しいです。
 

鬼が潜む場所 – Where Demons Hide

2月3日は「節分の日」ですが、私たちはこの数年間ほぼ毎日「邪悪な存在」と戦う日々を送っています。
特に私の肩書に「預言者」を足してからと言うもの、攻防は激化していると言っても過言ではありません。
 
多くの預言者を名乗る人たちがこの世界に暗躍していますが、私(& 夫)の預言は運命圧との闘いを回避出来なくなるところに到達している為、日々「圧」が強まっています。
最近では先方の側が此方の攻めどころを見失っている為なのか、体調不良にそれは露骨に顕れます。

そんな中の折角の「節分の日」なのでこんな日こそ、穏やかにディナーを堪能することぐらいは私たちに許されても良いと思います。
 

 
このご時世、右にも左にも鬼が潜んでいます。特に新型コロナワクチンを接種した人が発する独特の異臭と特殊な物質は、未接種者の体をも蝕んで行きます。
これを鬼と言わずして、何を鬼と呼ぶべきか‥。
 
こんなことを書くから人が離れて行くのでしょうけど、私の預言の精度は人の意見に惑わされない分向上し続けています。
既に私の音楽アルバムにその一部を封印して配信しているので、是非一度でも良いので聴いてみて下さい。

 

“World of Nature” – Didier Merah

 
特にこの「Eternal Pain」は人間の目線から聴く時と、大自然の精霊の視点で聴く時とでは音楽の意味が全く変わります。
変わらないものがあるとすれば、それは双方にとっての「永遠の痛み」が描かれている点でしょうか。
 
特に私(Didier Merah)の音楽を聴く時、タイムの表の縦の音や音粒のアタックを聴くのではなく、もっと後方の残像に意識を向けて聴くことを是非お勧めします。
そこには人智を超えた存在や、彼等の祈りが大きく横たわっています。そして彼等の思いにもう少し早く気付いて欲しかったと言う自然神の嘆きが渦となり、音楽の表層へと溢れ落ちて行きます。 

 

アマテラスの声 2. – 神人共食

午前中の澄んだ空が嘘のように、夕方から小雨に見舞われた東京都下。

今年の夏、実家に仕掛けておいたオゾン脱臭装置を一旦オフにする為に昨日は二つの駅を往復しただけなのに、ぐったり疲れて帰宅してから殆ど何もせず、かと言って眠ることすら出来ない悶々とした夜を超えて、日曜日、朝。
 

かねてから予定していた実家の墓じまいが色んな理由で少し遅延しているので、日曜日の朝には大まかな流れを把握したり業者手配をしたり‥ と色々格闘していたら、案の定の「圧」。
この「圧」が一体どこかで来ているのかなんて考えても無駄で、私がこの世に生まれてから今日まで続いた私の人生の妨害壁の最も大きな要因になっている実家のお墓を早々に片づけてしまいたいと言う気持ちは日増しに強まって行く。
 
今日まで私がどんなにか世界に向かって叫び続けたSOSを素直に受信し、私を圧から救出してくれたのは結局、今の夫と先日あの世に逝った愛兎のマイケルだけだった。
マイケルのあの、遺骨に残った綺麗な奥歯は最後に毒親だった私の母の魂を綺麗に噛み砕いてくれた。うさぎなのに、私と毒親たちとの忌まわしい数十年間の経緯など何も教えていなかった筈なのに、私たち夫婦の留守中にマイケルは母の魂を完全に嚙み砕き、その直後に旅立ったマイケルの最期を天照大御神が優しく看取って下さった。
 

 
そして翌々日にマイケルを火葬した直後から私は妙に花を好むようになり、最近三日に一度は近所の花屋に行って何かしらの花を買って花瓶一杯に挿すようになった。
最初は下っ手くそな活け方をしていたので夫が直してくれたりするうちに、このままではいけないと思いGoogleで生け花の「コツ」を検索して行くうちに何となく分かって来た‥。
 

品切れ続きだった大好きなダリアの花がようやく入荷していたので、数少ない本数の中から栄えある一本を夫に選んで貰い、他の花と合わせてゴッソリと買い込んだ。
 

胸元にマイケルの指の遺骨を詰めたメモリアル・ペンダントが揺れる度に、その箇所がじんわりと温まる。時々突発的に鬱に沈みそうになる私を魂のマイケルが鼓舞してくれる度に、嗚呼しっかりしなきゃ‥ と我に返る。
胸元のマイケルが「花瓶のお花が枯れそうだから、早く次のを探して来てね。」と、うさぎらしからぬ寂しげな目で私を見上げる。
 
夕方から小雨が降り始め、本来ならばこんな日に私は外出なんてしないのに、今日はそそくさと「花」をめがけて町に繰り出した。
 

 
夕食は‥ と言うより今日の一食目が既に夕食だったので、思い切ってコンチネンタルホテルで中華料理をアラカルトメニューから何品か選んでオーダーして行った。

実家の人たちは(実際には会ったことの無い親戚までもが)私を差別し排除して来たが、ホテルの人たちも最近会った人たちの誰もが私には本当に好くしてくれる。
たとえ私の顔に大きな傷痕があろうが、ストレスと「圧」で時折顔面に痙攣が走ろうが、そんなことはどうでもいいんだよ‥ とは言葉にせずにとてもとても親切に接してくれる。
 

今夜の神人共食の主役は、天照大御神だった。
天照大御神の真の気質を知る人は、この世界に何人くらい居るだろうか‥?
勿論彼女は厳かで厳格で気高くて、人を寄せ付けないような性格であることには違いない。だが本当の天照大御神はとことん優しくてたおやかで、そして時折とても茶目っ気たっぷりに微笑んで見せてくれる。
 

神々と神人共食(しんじんきょうしょく)を執り行うようになってから、私と夫の味覚は急激に敏感(超敏感)になって行った。
元々私は一時期料理人を営っていたこともあったし過去世では実際に料理人の道を歩んだ時期もあったからか、最近では多くの料理のレシピを空で認識出来るまでに味覚の感度が上がっている。
 
思うに霊力やテレパシー能力を高める基本が、「味覚を研ぎ澄ませ料理を味わう」ことにあると言っても過言ではないだろう。
ただ一心に料理を見つめ、食材や味に集中し、その料理を作った人の熱意と感性に寄り添い、頭上の神々に向かって「一緒に味わいましょう。」と言い自身の味覚を神々に貸し出す。
すると神々は自身が歓迎されていることを思い、静かに私に降りて来て下さる。
 
ただそれだけのことに集中し、黙々と料理を味わい尽くす。
 

 
帰宅して古く傷み始めた花だけを花瓶から抜き取り新しい花を生けると、途端に部屋が明るく騒がしくなった。
未だ神になって日の浅い新人の神々が、わちゃわちゃと食卓で会話を始めたようだ。
 
そして私はその様子をつぶさに見ながら、こうしてブログにそれを書き記して行く。
私の描く「芸術家の日常」はとてもスピリチュアルであり、なおかつ全てがノンフィクションだ。
巷に言われる「視えない世界が視える」‥ と言う概念は私には全く当てはまらないし、気を付けないと私は全てを視てしまう。類い稀な映像記憶を持つ私にとって時折辛い映像もあるが、最近の私は全てを霊体にしっかり刻印して行くことに決めた。
 

私の実家のあれやこれやですっかり忙殺に巻き込んでしまった夫が、ようやく重い腰を上げてぽつりぽつりと発信を始めたようだ。
彼は未だこの世界に無い概念を、当たり前のようにつぶやいて行く。余りに当たり前につぶやいているので、時折その内容を見過ごしそうになるが、よくよく読むとそれはさっき芽吹いたばかりの新しい花のように、この世界を未知の輝きで照らしてくれる。
 

 

  

アフタヌーンティー

生まれて初のアフタヌーンティーを、都内(都下)某所のホテルで堪能しました。
 
昨年暮れに始まった実家の遺産相続手続き中の私たち夫婦は毎日美食を堪能しているように見えるかもしれませんが、この57年強もの期間実家の支援を殆ど受けられず、身の丈に似つかわしくない極貧生活に近い暮らしに耐えて来たことを思えば、このくらいのプチ贅沢くらいは良いのではないでしょうか。

エリザベス女王崩御後、私たちは欠かさず女王との神人共食を続けています。
恐らく庶民の大半が知らなかったエリザベス女王の知られざる苦労談話を今、このタイミングで聞いているのは私たち「テレパシスト」の二人だけでしょう。
 

 
各々の苦しみは、その血筋を引く者同士でなければ分かり合えないのかもしれません。
思えば実母もその一人であった筈ですが、彼女はどこかの時点から人間的に転落して行ったように思います。
その切っ掛けがあたかも顔に障害を持って生まれて来た私のせいであるように、母は親戚じゅう、そして彼女に近しい知人たちに話して歩いていたようです。

その間私は何ら抵抗や反発の機会も与えられず、昨年2021年の12月26日までの間、家族や親戚全員の私に対する蔑視や差別、排除行為等に及ぶ数々の苦境を耐え抜きました。

勿論合法的な手続きを経て譲り受けた資産の使い道の最優先順位として、私自身の音楽活動及び夫・天野玄斎の活動資金が上位に挙げられますが、その他に私たち夫婦はしかるべき団体への寄付も視野に入れながら、今それらの運用について日々話し合っているところです。
そんなさなかの食の楽しみさえも、私はすべて創作活動の糧になれば‥ と考えながら生活しています。
 

豊かな食は豊かな時と素晴らしい人間関係を生み出し、そのすべてが一つも漏れずに私の未来の音楽作品の礎になると信じています。
 

フカフレの姿煮

 
明日は待ちに待った中華料理の秋のフルコースを堪能する予定を立てています。
料理長や店舗マネージャーとも和やかに歓談が弾み、今日の夜は前祝いのような厳かな中華料理も堪能して帰宅しました。