表現者は作品だけで勝負しなさい

昔から油絵が大好きで絵画の個展にもよく出掛けたものだったが、最近それをピタリとやめた。『在廊』している画家の質 (人間性) が酷く低下したからだ。
※他界した画家の名画は素晴らしいが、存命中の画家の精神性が緩すぎる。

そもそも画家の在廊を、私は求めていない。むしろ居なくていい。
画家は絵だけで勝負しなさい、と思う。同様に、音楽家は音楽だけで勝負しろ、とも言いたい。

作品と関係ないものをチラつかせて客やファンの同情を煽る行為。

(或る画家の例だが) SNS等で、個展を控えて精神的に酷く混乱している大芝居を打って行く。
だが‥、客に会場に来させた途端に、『ありがとう!』『涙が出ました』等と言って態度を激変させる偽物の表現者たちを見ていると、心から虫唾が走る。
仮にそれをメンヘラだとして、メンヘラを売りにしてはいけないですよ。それは病いなのだから。

 

‥とは言え世の大半の表現者等がこの体たらくだから、現在活躍していると言われる多くの音楽家、舞踏家やら画家の作品も五百年後には殆ど消えているだろう。

それを確かめる為に私も、五百年後のこの世に戻って来ようと思っているが‥。

(スマホから投稿 📱)

https://www.threads.net/@didiermerah/post/DIstyx1yVLZ?xmt=AQGz35a3CINa8HZD_VptMlc2EGV8nfyklDcNn7xbEzafXw

小さな日記

とある出来事から生活環境が変わり、生活環境の変化が食生活の変化を生み出した。
食生活の変化はものの考え方の基本を根底から揺るがし、昨年まではただただ倹約(節約)に忙殺されていた暮らし方の根底が見事に変わった。
 
つまりそれまで観続けていた貧乏飯の動画を観る必要がなくなった。
 

 
何かと味の素を乱用している某YouTuber(リュウジさん)の動画に逐一キレていた日々を脱し、今はオテル・ドゥ・ミクニさんの動画から多くを得ている。
良い食事と食生活は時間のゆとりを生み出し、それが家庭で作る料理の質そのものを向上させて行く。
 
因みに前回の転居の理由はDidier Merahのアンチから夫婦二人の身を守る為の一種の避難行動だったが、今回はそれとは違う。
これまでの人生に必要だった荷物や生活必需品の大半が、要らなくなった。
新居に持ち込める荷物は限られている。教員免許と卒業証書以外、荷物は何も要らなくなるかもしれない📦
 

 
生まれて初めて大粒のルビーのペンダントを買った。これ、なんと2カラット。
 
他の石も少しずつ揃えて、アクセサリーBoxが少しずつ華やいで行く。‥するとそれまで身に付けていた天然石のブレスレットが、あからさまに釣り合わなくなった。
良いものを知るとは、こういうこと。
 
両耳合わせて4つのピアスホールを空けているので、ついでにダイヤモンドのピアスも買った。半年前まで付けていた複数カラーのジルコンのピアスを、遂に手放す時が来た。
身のこなしがどこか堂々として、それが新たな優雅さを醸し出す。
対人関係にも大きな変化を余儀無くされている。

だがここは注意すべきポイントで、私がどう変化しようがしまいが変わらず関わって行くべき人たちのことを、私は忘れてはいけないと思う。

※勿論私がみすぼらしい身なりだった時から私の本質を見抜いて、そして分相応の接し方をして来て下さった人たちに限る。