何やら「Lamp」と言う日本のグループが、アルバム「一夜のペーソス」を世界に放ったのだとか。
知人界隈でもSNS上でもかなり噂に上っていたので聴いてみたのだけど、本音を言うと‥ 何が良いのか分からない。
各曲毎にふわふわと夕方の都心を彷徨い歩く遊び人の如く登場する女性ヴォーカルの、「平たい顔族」的な平面的な発声も表現もBadだし、何より音楽が上っ面でしょ。
彼等が売れてるとか人気があるとか、そういう「空気」に騙される人たちがこういう音楽を持て囃す以外は、真の音楽を知る人ならばこの種の安直系ポップスは要らないと思う(断言する!)。
正直なところ、暇人が聴く音楽。それ以外の形容詞すら見つからないようなアルバムだ。楽曲も構成も編曲も全てがガッチャガチャで、メロディーとしての形態そのものを保持出来ていない。
世の中にはもっと切羽詰まった事情で音楽を世に放つ人たちが他に居る筈で、私は音楽評論家としてそういう「切羽詰まった」事情を胸に抱え込んで生きている音楽家たちに、確実にスポットを当てて行きたいと思う。
勿論社会派ソングや宗教めいた音楽自体を私は好きではないが、もっと深刻な事情があるとすれば美しく甘美なメロディーに作家自身の壮絶な人生や、或いは超能力を使える人だけが知る大切な情報を神話のようにそこに埋めて発信せざるを得ない、そんな人たちの音楽は崇高であり貴重な音源だ。

価値のあるものと無いもの、それは専門家として明記して行く必要を痛感している今日この頃。
勿論私は売れる音楽とそうでもない音楽との「商業ベース」としての見分けも付けられるが、そんなことは音楽評論の最低ライン。音楽史と言う観点と「商業音楽」の視点とは全く別物であり、その境界線を混ぜこぜにした上に著者自身の好みだけで文字を叩き出す、最近の「音楽ライター」と言う存在は音楽シーンの害虫的存在でしかない。
現在の音楽シーンの底辺に暗躍し、カネにものを言わせて音楽の聴き方を混乱させている彼等のような存在そのものも、私はジャッジメントしなければならないと思っている。
色々な意味を含め、このアルバム「一夜のペーソス」のどこにペーソスが表現されているのかと言う疑問すら掻き消えてしまう程、このアルバムはかなりお粗末だと言っても過言ではない。全てが余りに安っぽい。
表現したいものを持たない人たち、又は音楽のアカデミックな基礎教育を受けたことのないような人たちは元来、音楽家だとかミュージシャンを名乗るべきではない。
司法試験を通過出来なかった人がその職には就けないのと同様に、音楽家も同じ様に扱われるべきではなかろうか。
茨の道を短絡的に、かつふわふわと病的にステップしているようなミュージシャンを見ると、ただただ虫唾が走る。
まぁこのブログのオーナー自身が音楽のエリート教育をきっちり受けた作曲家(兼 表現者)でもあるわけだから、このブログに書かれる記事の大半がその視点で描かれることは最早必然。
ものの善悪。誰かがそれを公言しなければ、ただただコマーシャリズムの為すがまま。言ったもん勝ち。
そんなことではいけないんです、音楽も音楽シーンも。























