“Hachikō” by 藤井 風 (魂の汚染)

この人物を取り上げることを極力回避しているその理由は、ズバリ彼の内なる宗教及び宗教観だ。だが話のネタとして綴るには面白い素材であり、だからと言って私が藤井風の活動全般を肯定している訳ではないと言う点について、先にお断りを入れておく。


SNSでかなり噂に上っていた藤井風のHachikōのオフィシャルビデオをようやく視聴したが、やはりこの男の表現が日に日に薄汚れていることは否めない。
楽曲は比較的爽快感のある、どこかデビュー当初の「きらり」にも通じるメロディーラインが顔を覗かせる。
爽やかなものをここまで汚せるのも藤井の為せる技とも言えるが、藤井の内面に在るサイババ信仰或いはサイババ教への深い傾倒や、ある種のドロップアウト感が楽曲の印象を汚染させている点にはおそらく、本人は気付いていないだろう。
 

この曲は、ロサンゼルスのプロデューサー『Sir Nolan (サー・ノーラン)』と、NewJeansDitto」「ETA」「Attention等を担当した韓国の『250 (イオゴン)』がプロデュースを務めている。
 


いいところを掠っているこの作品『Hachikō』だが、歌詞は実にくだらない(笑)。
以下に機械翻訳のスクショを出しておく🤖
 


J-PopやK-Pop付近しか聴いていないリスナーの感性にはこの程度の軽さ、チャラい内容の歌詞がきっと響くのであろうが、海外には命がけで音楽を生んで世に放っている強豪が当たり前のように存在するから、『Hachikō』の歌詞がいかに薄っぺらいことしか言ってないのかと言う辺りは歴然だ。
 
そして藤井独特の「神様」語りを絶対に外さない辺りに、彼独自の信仰心が露骨に表れている。と言うより、藤井は既にサイババ教義の布教要員であり、布教活動に絡めて音楽を利用している辺りを私は見逃さない。
最近青少年層にも藤井フリークの風が及んでいるようだが、出来れば彼の音楽とは距離を置くことをオススメしたい。音楽を通じてサイババの教義に、心身を汚染される危険性を存分に孕んでいるからだ。
 

思うに信仰が人々を分断するし、信仰は信仰によって潰される。

そんな人たちを私は沢山見て、触れて来たし、私自身はどちらかと言うとアニミズムに近い思想を持っているので、一神教に対してはどの宗教に対しても否定的だ。
音楽を志す人たちの中に宗教を持つ人が多い要因の一つとして、商業的要因が挙げられる。同じ宗教観を持つ者同士の癒着で商品を拡散し、売り上げて行くことのメリットを悪用している音楽家は多く存在する。
スティービー・ワンダー氷川きよし等もその例に当てはまる。うっかり音楽が良かったりすると、それを武器に活動するような悪しき実例も多数見られる。
 


あえて先に藤井の新譜『Hachikō』の内容の薄っぺらさについて触れておいたが、実際の歌詞の大半は英語で書かれているので、特に日本人のリスナーには意味を知る前に韻で楽曲がインプレッションするだろう。
その辺りは藤井サイドのあざとい計算が用意周到に為されているが、「どこに行こう ハチ公」‥がうるさいぐらいにラップ形式で散りばめられているのでご自身であらためて、歌詞の意味等を確認してみると良さそうだ。
 
英語による誤魔化しを巧みに利用した歌詞とはまさにこのことで、英語に苦手意識を強く持つ日本人にはこれがカッコよく聴こえてしまうから厄介だ(笑)。
 
私はこのブログとは別に、ディディエメラの音楽倉庫と言う世界の音楽データの基盤となるブログを持っている。そこには世界中の音楽を紹介し、同時に私が監修しているSpotifyのプレイリストの情報も出している。
藤井風の楽曲は世界の音楽をコレクションしているプレイリストには、到底挟むことは出来ない。どんなに藤井が英語で世界進出を狙ったとしても、彼の宗教以前に楽曲のチープさが彼の目標を大きく妨害するだろう。
とても皮肉なことだが、藤井風の目前に高く高く立ちはだかる壁を超えることは、彼には不可能だ。仮にサイババ二世としてサイババ教の教えをどれだけ歌詞に引用したとしても、むしろその行為とマインドが藤井風を小さな集団の箱の中に完全に閉じ込めて行くに違いない。
 

霊的な解釈を加えるとしたら、藤井風の見掛けは勿論、魂の汚染の激しさは音楽を通じて感じ取れる。そこそこ売り物の生産と拡散は最低限果たせるかもしれないが、それ以上に飛ぶことを創造神「クリエイション」が許さないだろう。
 

新譜『Hachikō』だが、私個人的には聴けるのは2回までだ。3回目以降になるとK-Popの立役者である『250 (イオゴン)』の、一見斬新に見えて実は使い回しの手業が視えて飽きてしまう。

250 (イオゴン)』マジックの賞味期限も、そろそろ切れて来た頃だろうか。色々な意味で使い果たしてしまった感も拭えない。つまり商業音楽の限界の壁に、既に遮られた結果だろう。
藤井風と『250 (イオゴン)』、『サー・ノーラン』の三者全員を揃えたとしても、それは魂の汚れに汚れを加えただけの結果に終わり、創造神『クリエイション』が果たして彼らに新たな境地への地図を手渡すとは到底思えない。
 

 

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[音楽評論] NewJeans (뉴진스) – ‘Attention’

韓国から又、とんでもない女性グループがデビューした。

彼女たちはNewJeans。韓国人4人、ベトナム人1人の多国籍女性アイドルグループで、事務所である『ADOR』の後ろ盾にあの巨大事務所『HYBE』が聳え立つ。

一見ただのアイドルとしてお披露目されているが彼女等のパフォーマンス能力はかなり高く、ともすると背後の事務所『HYBE』から今年初春にデビューした先輩格の『LE SSERAFIM』の実力を総合的に遥かに上回ると、私は見ている。
 

LE SSERAFIM

 
売りとしては『LE SSERAFIM』の方が「計算し尽くされたミドルエイジの女性たち』。化粧からファッション、そして表現~楽曲に至る全てがこなれており、全体を通じて「かどわかす」演出を主軸に置いている。
一方『NewJeans』はそのネーミングの通り、極力「素」であり無計算で素朴さを前面に押し出しており、ノーメイクに見えるすっぴん感覚+「太陽の似合うティーンエイジ」の演出を主軸に置いている。

‥とは私個人の見解で、ひょっとしたら事務所は違う計算をしているかもしれないが、傍から見ると恐らくそう見えるように全てが念入りに意図されたように見える。
 
皮肉にも『LE SSERAFIM』はどのパフォーマンスに置いても「脚」の露出が多いのに対し、若手の『NewJeans』はむしろ体の線を隠すように演出されていることに気付くだろう。
 

NewJeans

  
NewJeansのデビュー曲Attention、これがかなり凝ったコードプログレッションで書かれており、途中ディスコードの上をコードをあえて外したメロディーラインが這って行く辺りに、NewJeansをプロデュースしている運営の強い拘りと音楽に対する英知の結集を感じてならない。

歌詞は英語と韓国語の両方をラップ形式で織り交ぜる感じで出来ており、楽曲としては古き良きブラック・コンテンポラリーの、どことなくジャネット・ジャクソンが好んで歌いそうな印象の楽曲に仕上がっている。
 

因みに『Attention』のクレジットは、以下のようになっている。

作詞 : 서지음
作曲 : Justin Reinstein・이우민 ‘Collapsedone’・Anna Timgren

 

 

‥と、凄いのはここから先だ。
この難易度の高い楽曲『Attention』をNewJeansがLiveチャンネル『it’s Live』で、生バンド(ベースは原曲の打ち込み)に乗せて歌唱している。
原曲のディスコードになっている箇所を見事に、ディスコードのまま音程を外さずに歌い切っているところがおそらく、事務所も認める彼女たちの本領に違いない。

確かに全員が両耳にインカムのイヤホンを装着して歌唱に臨んでいるが、それだとしても普通はこのメロディーを正確に、しかもしっかりと表現をそえて歌唱することはかなり難しい。
だがNewJeansの5人にとってはこんなことは、きっと朝飯前なのだと言わんばかりに皆が笑顔を崩さない。

殆どすっぴんに見える5人が全員ロングヘアーをなびかせ、原曲とは異なるバンドアレンジでしかも振り付けを封印して「演奏」に集中している様は、ただただ圧巻だ。

その圧巻の『it’s Live』での彼女たちのパフォーマンスともう一つ、『HYBE』が満を持して世に送り出した先輩格の『LE SSERAFIM』のデビュー曲『FEARLESS』のLiveの様子を、この記事の最後に貼っておきたい。
 

※『LE SSERAFIM』は最初メンバー6人でデビューしたが、途中でキム・ガラムが脱退に至った(2022.07.20)。
 

追記として、両者のパフォーマンスよりも楽曲の出来栄えに注目して聴いて頂きたい。
事務所の力の入れ方としては『LE SSERAFIM』が胴体一個分リードしているように見えるが、楽曲はその逆かもしれない。
その辺りも含めて是非、両方共にお楽しみ頂ければ幸いである。