ショパン自身が語るショパン – 1. 演奏解釈と楽器について

2025年秋、既に火蓋を切ったショパン国際ピアノコンクール 2025′ がエキサイトしている。
今年は控え目ながら私もその様子を時々動画で視ているが、今年はショパンの霊体がかなり頻繁に動画試聴中に干渉して来る。
例年そういうことはなかったのでショパン (フレデリック・フランソワ・ショパン) の霊体に何かあったのか、何があったのか‥ について様子を探って行くと、彼は彼自身のことを交えながら現代の演奏家が奏でるショパン音楽への違和感を語り始めた。
 
当ブログの読者ならば既にご存じの通り、私はリラ星最後の巫女だった。当時の記憶の幾つかを今世に引き継ぎながら、当時持っていたテレパシーやコンタクトのスキルも同時に現世で復活させることに成功している。
そのスキルを用いて現代のこの時に、ショパンの霊体から直接伝え聞くショパン自身の音楽の話をシリーズ化しながらここに執筆して行きたい。
 

 
ショパンは生まれついての虚弱体質で、特に呼吸器に障害を持っていたようだ。呼吸が浅く、時々過呼吸等も発症していたと (本人が) 語る。
呼吸の浅い人の特徴として、常に息せき切ったような身体状況に陥る。その為それを音楽に置き換えると、センテンスの小さな楽曲を演奏することは出来ても大曲を演奏するには不向きだったと言う。
なのでショパンは自身の体力的なリスクを極力外側には見せなくて済むような、細かいパッセージで華麗な演奏効果を引き出せるような‥ 5分から8分程度の小品をあえて大量に生み出して行ったようだ。
 
だが、現代の会場は当時のそれよりも大人数を収容するよう設計されており、大会場・大音量必須が条件だ。‥となると、ショパンが存命だった当時よりも演奏に体力が必要になり、本来軽いパッセージで演奏する筈のスケールやアルペジオ等の一音一音の音量と打鍵のパンチを増さなければならず、それは本来自分が望んでいた音楽とも音楽性とも異なるし、音楽的な意味に於いてもちっとも美しく聴こえて来ないとショパンは語る。
当然のこと現在仮に彼自身が生きていて生演奏をしたとして、聴衆が望むような自身の音楽など演奏不可能だとショパンはさらに落胆の弁を述べて行く‥。
 
又時代柄、ピアノは小柄で鍵盤数も少なく、音はコロコロとしたどんぐりを転がすような音質だったそうだ。
又弦の張りも短く、現代の楽器のような頑丈な材質ではない為、ペダルの減衰がとても短かかった。その為、音の尾を長く響かせるペダルの効果が期待出来ず、頻繁に装飾音やアルペジオ等を多用しなければ音楽的に間が持たず、サロンでの再演がとても難しい状況だったとショパンは語る。
 
現在開催されているショパン国際ピアノコンクール 2025′ の各コンテスタントの演奏をつぶさに聴いていると、虚弱体質な彼が息せき切って再演していた当時のショパン自身の音楽からはかなり解釈がズレていると言う。
最もショパンの理想に近いピアノメーカーを挙げるならばベヒシュタインらしいが、気候やその楽器自体の性質によってそれは確定出来るものでもなさそうだ。
 

 
ピアノが正式名称『ピアノフォルテ』と言うことは誰もが知ることだが、実際にショパン自身が理想とし、当時演奏していた強弱の『フォルテ』は2025年の現在演奏されているフォルテよりももっと小さな音量であり、現代のピアノよりも打鍵が軽く設定されていたピアノであれば細かいパッセージを楽器の端から端まで弾き切ることはそう難しい問題でもなかったと言う。

さらに調律の技術も今よりは未発達であり、全ての音が綺麗に整音されていたわけではなかったようだ。そもそも音を綺麗に整えて演奏すると言う概念自体がなかったので、長いスパンのスケールやアルペジオの音の大小を整えて演奏する必然性もショパン自身は全く考えて居なかった。
 
その観点で言えば、『Ballade No.1 in G Minor, Op. 23』の中盤から最終章に入って行く辺りの重音の連なり部分も、殆ど力を入れずに演奏していたと言う。
G Minorのスケールの3度で重なりながら上に向かって突き上げて行く辺りに関しては、途中かなりはちゃめちゃになりながら3度でも4度でもない‥ 言ってみればジャズで言うところのアドリブの助走のように、かなり大胆にテキトーに弾いていたとショパンが語る。
 
音程が途中で狂って行く方が正しい解釈であり、丁寧に揃えて演奏される方が迷惑だと言うショパン自身の言葉には、私も同じ作曲家としてとても納得が行った。
 

 
本記事は先ずここで一旦〆。
引き続きショパンのメッセージを綴って行くので、関心のある方は是非読者登録の上更新をお待ち頂けるとありがたい。