ディストピアへの警鐘 – ‘Love wins all’ (IU with Taehyung)

諸々の事情で音楽活動を緩めていた韓国のディーヴァ IUが帰って来た。
2024年1月24日、新曲 “Love wins all” のPVも世に放たれた。

最初に綴っておくが私はこの種のレビューや音楽評論を書く際に、巷の解説や音楽ライターや映像評論家等のレビューを事前に読まないことに決めている。その為他の人たちとは若干異なる内容を書くこともあるかもしれないが、そもそも表現に回答等存在しない筈だからそれで好し。
それが私の考えなので、先に述べておく。

前述を踏まえた上で、ここからの私のレビュー(音楽評論及び表現評論)をお読み頂ければありがたい。
 


物語はディストピア世界に舞台を移し、そこで生き残った二人の男女にスポットを当てて進んで行く。
彼等の最期まで、そう長い時間は残されてはいないだろう。演じる女性はIU、男性はテヒョン(BTSの ‘V’)だ。女性は声を持たず、男は片眼が視えないと言う設定だ。その二人が廃墟と化した会場で空想上の人生最後の結婚式を挙げる。
 
黒いタイツに身を包んだ大勢の人々が途中登場し、結婚式上を盛り上げて行くが、韓国通のサイトではこれを「ネトウヨを表現したものだ」等と取り上げている。だが、私にはそういう風には視えない。
つい先日まで黒タイツの人々は生きていた、男女二人の友人や家族たちだったのだろう。
 
動画冒頭にも登場する四角い箱は、この世から自由とそれを謳歌しようとする生命と魂の全てを駆逐することをミッションとし、この世界の侵略を進めて行く存在。愛し合う男女二人も、死の箱の標的だ。
 
劇中のテヒョンの手に握られた小さなビデオデッキは、幸せしか写さない。ビデオデッキの中には色彩が生まれ、廃墟に色と光と愛し合う男女の笑顔と生気が灯る。
男女二人にとって、この世の最期を記録するやさしい相棒だ。
 


劇中テヒョン演じる男性は、視えている方の目でビデオを覗き込む。そこに彼女が写り込み、そこからPVは二人の人生最期の結婚式へと進んで行く。
 
こういう時の幸せの描写は一瞬だ。
四角い死の箱が間もなく標的の二人を捉え、箱のミッション通りに男女二人の生気を奪い取って行く。
そしてそれが二人の最期の証しのようにビデオには最期の瞬間までが写し撮られ、生気と肉体を消滅させられた後の二人の衣服だけが廃墟の衣服の残骸の山の中へと吸い込まれて物語は終わる。
 

 

“Love wins all”
singer: 아이유(IU) アイユー
作詞: 아이유(IU)
作曲 & 編曲: 서동환
映像監督: オム・テファ

 
映像及びストーリー性は一個の映画を観るような壮大さをここまで湛えているにも関わらず、一歩俯瞰して楽曲及び音楽作品単体に焦点を当てようとすると、どこか月並みで「可もなく不可もなく」しいてはわざわざIUに奏らせなくても良さそうなクオリティーであることに、誰もが気付くだろう。
 
勿論テヒョンに於いては声も出さずセリフもなく、ただ彼の表情だけが粛々と描写されるのみ。だがこの動画の中のテヒョンは繊細でか細くて情けなくて、兎に角最高だ。
勿論IUの歌唱力は申し分なく、高音の描写も際立って美しい。
にも関わらず、兎に角楽曲が良くない。それだけがただただ残念としか、もはや言いようがない‥。
 

今私はこの記事の背景にSpotifyで音を出して楽曲を何度もリプレイしているが、映像のインパクトが余りに凄いので楽曲がどうだ‥とか、もうそんなことはどうでも良くなっている。
つまりは楽曲が全く耳に入らないし、残らないのだ。
ある意味この作品はPVとしては大成功で、「その程度の楽曲」でも大きな成果を叩き出すことになるだろう。
 
でもこのブログの読者の方々ならば、そこで終わらないと私は信じたい。
このブログの読者ならばきっちりと、最後まで、一個の音楽に対する自身の熱量とジャッジメントを下し結論を出すところまで手を抜いて欲しくないと、私は願わずにはいられない。
 


さて。この動画を視た方々は恐らくお気付きだと思うが、これが単なる物語上の設定を超えて、現実世界で今現に起きていることを代弁した内容であることに震え上がったのではないだろうか。
 
勿論色々な考えがあるので私はあえて思想の統制を図る意図はないと前置きを述べた上でここに書かせて頂くと、これは現在の地球上に実際に起きている出来事ととても符合していると思っている。
 
某ワクチンの危険性を予め知らされることなく、一部の富裕層の中で方向付けられた「人類削減計画」が粛々と進められている。
地球人の大半はメディア洗脳が完成された状態なので、TVやCMで言われていることにまさか間違いなどないだろうと思い込んでおり、情報操作が個人の自由を奪い去った世界の中で出来得ることを先ず良心的に考えようとする。
その結果、これだけ多くの人々が、治験中の危険性きわまりないワクチンを「みんなで打てば怖くない」の精神で接種してしまった。
 
その結果、多くの犠牲者が出ており、2024年の現在の超過死亡数が大変なことになっている。
 

話を戻すとこの動画の最後に真っ赤に燃え上がるような「四角い死の箱」は、人類の「血」を意味する描写ではないかと私には思えてならない。
 


全てのヒントは、意外にも日常生活の近くにそっと置かれている。
エンターテイメントの中にもそれはあり、常々頭を捻りながら、日常の些細な現象に敏感かつ疑り深く生きることが身についていれば、小さな現象の変化或いは未来からのシグナルも、きっと見逃すことはないだろう。
 
勿論文学や映像、音楽の中にもシュールなヒントが沢山隠されている。

音楽家が仮に神秘主義者だったとして、それを露骨に世に放てばその表現者は世の反感を買うことにもなりかねない。場合によっては獄中に放り込まれる、そんなことにもなるだろう。いわゆる魔女狩りだ。
だから音楽家や映像作家、詩人や作詞家、画家等に及ぶ表現者やクリエイターたちは、こうした危機感をそっと作品の中へ偶然を装って投影し、その作品に触れる人たちの感性に揺さぶりを掛けて行こうと必死なのだ。
 
‘Love wins all’ も例外ではない。
なのでこの作品 ‘Love wins all‘ が楽曲として未完成だとしても、私はそれをただジャッジメントするだけに留めたくはないと思い、この記事を綴っている。
 
最後に動画本編を掲載したい。
各々の思いを心に留めながら、観て頂ければ幸いだ。
 

[ライブ評論] V ‘Love Me Again’ Band Session

BTSはテテこと “V” の “Love Me Again” のセッション動画が配信された。Twitterには既に簡易版音楽評論をポストしたが、何と私がパソコンの作業を開始する5分前に公開された動画だ。
とても期待しながら動画に耳を澄ましていたが正直な感想を言わせて貰うと、完全に期待を裏切られた。

原曲の繊細さが全く削れ、いわゆるニューヨークの街角のジャズを匂わせる演出が余り上手く行っていない。勿論バックバンドのクオリティーにもかなり問題はありそうだが、要はフロントに立っている “V” がこのセッションに対して消極的とも言えるマインドが表現の壁になってしまった感が否めない。
 


今自分は何をしに、何の為にこの音楽、この状況に遭遇しているのかと言う表現者としての軸を、この動画からは殆ど感じられない。
同時にサポートを務めるミュージシャン等もマネーで雇われた感がハンパなくて、アドリブにせよコードプログレッションにせよ彼等から愛情の微塵も感じ取れない。
 
兎に角目まぐるしく場所と環境を変えてリスナーの目新しさをそそってはみるが、Vの、この一種の無感情な表現がライブやセッションには全く不向きである点に果たして彼のプロデューサーは気付いているのか、否か‥。
 

“V” の別の曲 “Slow Dancing” を何と、NewJeansHYEIN(ヘイン)がカバーしているが、むしろそちらの方が原曲とは異なる別の世界観を創造しているように私は感じた。
移調したKeyが原曲の “E♭” に対して “G♭” に移行したことが吉と出たのか、若干15歳のヘインのカバーの方が原曲のもの悲しさを上手く表現しているような気がする。
 


二人に共通している欠点が一つある。それは楽曲後半の時間の使い方だ。
双方共に楽曲後半の楽器アドリブが入った途端に無言になり、楽曲終盤までインストの終わりをただじっと待っている‥ と言う動作に入って行くが、本当はそこが歌手の見せ所。
 
カバーならば尚更後半に、原曲には無いスキャットなどを入れることを再演する際に考えた方が、リスナーをもっと楽しませられると私ならば考える。
無駄なことをしないのも一つの策ではあるが、それならば原曲(レコーディングされた記録)を超えることは不可能だ。だったら再演自体、一切やらない方が良いだろう。
 

但し一個の楽曲を様々な切り口で魅せると言う意味では、一つの実験音楽/ 実験演出と言っても良さそうな企画かもしれない。 (如何せん個人的には、この解釈はあんまりだなーと思う。 )

 
テテはいつも通りに作業をし、周囲はテテのヴォーカルが抜けた隙間で悪戯を仕掛ける感じ。 作業とアドリブのバッドなせめぎ合いがリスナーの心を、むしろ締め付けて来る。
歌手本人がクールにキメている分、音楽的には虚しさが後を引く。
 
ズッコケ覚悟で「生きた人間」として再演に臨まないのであれば、この曲は再演すればする程鮮度を失って行く。
音楽が演りたいのか、それとも音楽を道具として扱う歌手のヴィジュアルを見せたいだけなのか、その辺りについて総括プロデューサーはもう少し真剣に考えた方が良いのではないか。
 
まだまだ問題山積の状態だ‥。
ヴィジュアルで音楽は成立しないと言う、この動画は非常に分かりやすい例だ。