‘SPAGHETTI (feat. j-hope of BTS)’ by LE SSERAFIM (르세라핌)

ショパン国際ピアノコンクール関連の記事が未だ未完成ではあるが、毎週末の禊である「世界の音楽/ 新譜チェック」は絶対に欠かせないので、昨夜から聴いた数千曲の中でもひと際目を引いたLE SSERAFIMの新譜『SPAGHETTI』の表現評論その他を此方のブログに抜粋して書いておきたい。
それ以外の音楽紹介及び音楽評論記事は、サブブログディディエ・メラの音楽倉庫に格納しているので、是非そちらをどうぞ。
 

https://didiermerahbox.wordpress.com/

 
さて、最近やや勢いが止まりつつあるKPopから、LE SSERAFIMが一歩飛び出したような印象がある。新譜‘SPAGHETTI (feat. j-hope of BTS)’ のM/Vを見る限り、グループとしてまとまった感+宮脇咲良と末っ子ウンチェの描き方が突出して良くなった印象を受けた。
 
この曲 ‘SPAGHETTI’ はラップ部分が多く、これまで何かとヴォーカルの格差が目立っていたLE SSERAFIMの短所が綺麗にカバーされている。
又メンバーの数名が短く髪をカットし、特に宮脇咲良の表情に芯が出て来たのが印象的だ。
キム・チェヲンホ・ユンジンの二名が突出してヴォーカル力及び表現力を持っている為、両名になかなか追い付けずに居た他のメンバーがネット上でファンダムに叩かれる現象が後を絶たなかった。
そもそも人の能力にはデコボコがあるからこそそれが個性となって輝いて行く筈が、多くのファンがそれをネガティブ要因として捉えていたのはやはりHYBEの戦略ミスによるメディアのイジメ体質の誘発とも言えるだろう。
 
新曲 ‘SPAGHETTI’ 、楽曲も悪くない。
 

 
作詞/作曲にはj-hope宮脇咲良ホ・ユンジンの名前がクレジットされているようだ。

NewJeansのユニット名には「老若男女、誰からも愛される新しいジーンズのように」‥と言う名前の由来があったようだが、LE SSERAFIMの新曲 ‘SPAGHETTI’ を例えるならば「誰でも好きになるスパゲッティーのように‥」みたいな一曲と言えるだろう。
 

途中のj-hopeのラップや抜き出し方もジャンキーながらもなかなか切れが良くて、ジャンク嫌いの私でさえも楽しめる。
 

 
個人的には宮脇咲良のショートヘアが気になって、そればっかり視ていた気がする(笑)。
今回のM/Vでは咲良のショットも多く使用されており、隠れファンとしては非常に嬉しい。
 
最近色々不穏な噂がささやかれているHYBEだが、噂とは裏腹に意外に元気そうではないか。
HYBE Latinの新しいボーイズグループ「サントス・ブラボス」がデビューを間近に控えていると言う話もあるが、そちらは (これはあくまで直感ではあるが‥) 余り上手く行くような気がしない。
 


やはりKPopは韓国の産物であり、それを筋肉ムキムキの韓国 (日本含む) 以外の汗臭さ満載の外国籍のアーティストが歌ったり踊ったりしても、さほど面白くはない。
それはKATSEYEが全く面白くなかったのと同様で、今はNewJeansの活動休止の穴を複数のKポアイドルグループが埋めているような状況だと言えるだろう。
 
その中で、LE SSERAFIMは比較的頑張っている方だと思う。
 

 
この記事はこれで終わりだが、他の音楽評論記事のリンクも一部載せておきたい。⇩
 

 

 

 
毎週末に更新しているSpotifyのメインのプレイリストのリンクは此方から。


この記事で紹介したLE SSERAFIM の ‘SPAGHETTI (feat. j-hope of BTS)’ は、以下のプレイリスト Romantic Seoul 2025. 1. M-86に格納しています。


社会現象の観点から考察する藤井風 そしてNewJeans

2025年9月11日、午後1時からソウル中央地裁で開催された公聴会にて、NewJeans 対 ADOR専属契約を巡る訴訟はメンバー不在の中20分で終了し、双方合意に至らず決裂した。
(同日、ミン・ヒジン関連の別の口頭期日も開催されていた。)
 

 
 
彼女たちも万策尽きた状況だが、その後に判決が下ると言う実感が未だ湧いてはいないようだ。現状NewJeansの5人は、兎に角ゴネ得で外界から目を逸らせばそれでやり過ごせるとでも思い込んでいるようだが、法律はそこまでアマくない。
 

音楽も音楽業界も、共に荒れている。

 
特に私が2025年9月11日未明に更新した記事藤井風と多重人格の可能性についての記事訪問者数がとんでもないことになっている他、それまでアンチ藤井風側に一見立ち位置を取っていたように見えていた私に豪雨のような、言葉にならない不満を含めた現実的な『圧』が押し寄せた。
一度藤井風を『サイババ二世がサイババの教義をコピペした詞で音楽をリリースし、信者を増やしているのだから、どれだけ叩いてもいいではないか!』と声を荒げて叩き屋と化した藤井アンチたちにとっては、上記の記事はその後のバッシング活動をやり辛くする内容を存分に孕んでいたのだろう。
 
問題は藤井風自身の闇の深さ、その闇の周囲に立ちはだかる藤井風の父親 (つまり毒親であると推測される‥) の存在。
父親が喜ぶことをしなければ藤井風が家庭の中、世の中に居場所を失うかもしれない‥ と言う藤井風自身の危機感及び強迫観念。‥彼の強迫観念の行く先がつまりはサイババへの帰依であったことや、重度のPTSD発症とそれにともなう多重人格障害の可能性について。
藤井風は今、本当の意味での拠り所を失った状態だ。
 
ざっと目に見えている状況を列挙するだけで、これだけの (藤井風の) 闇が露出している。
 

 
昨日外出中にふと気になることがあり、外出先でスマホから音楽年表を検索してみた。

「藤井風の音楽が良い」と言うファンが、今年になって急増したように私には見える。
藤井風が『死ぬのがいいわ』を紅白で歌ったのが2022年の年末だったが丁度その年は、KPopのガールズグループ、NewJeansのデビューの年と重なっている。

NewJeansのデビュー曲『Attention』は2022年8月1日にリリースされ、瞬く間に旋風を巻き起こした。
 

 
剛腕プロデューサー/ミン・ヒジンのセンスは当初から高く評価されていた。
NewJeansはその後『Ditto』『omg』等、それまでのKpopにはないヒール色の薄い、爽やかでポップかつメロディアスな楽曲を立て続けにリリースして行った。
勿論タレント性は元々備わった彼女たちだが、それより何よりもNewJeansの楽曲は世界中のポップスの中でも際立って光っていた。
 
世界の音楽の空洞化をNewJeansの5人が見事に埋めていた期間、多くのポップス愛好者たちはNewJeansの音楽性とその音楽性を深くユニークに掘り下げて演出 (& プロデュース) に集中したミン・ヒジンの魅力に取り憑かれて行った。
その流れに乗るようにして、特に2022年~2024年の2年間は世界中がKPop一色に染まった時期だったように思う。
 

一方藤井風は2021年4月22日にきらりをリリースしており、某バイクメーカーのCMに起用されたことで一躍脚光を浴びる存在となった。
但し検索して行くとOfficial MVの公開は2022年と表記されており、正確には2021年と2022年のどちらかがやや曖昧になっている。
 
丁度その頃目に付いたのが、Vaundyの台頭と多数のアニソンが売り上げランキングの上位を占めている状況だ。
試しに2022年のヒットソングランキングを捲ってみたが、これと言って目立つ楽曲は見当たらない。翌年2023年にはYoasobiのアイドルが爆発的なヒットを遂げるが、此方はアニソン縛りと言うこともありコアな音楽ファン層の評価は低い。
 

2022年にデビューしたKPop/ガールズグループと言えばもう一組、LE SSERAFIMが記憶に新しい。(その頃から世界がKPopで溢れかえるような現象が加速して行くが) 既に韓国はHYBEでは『ミン・ヒジン率いるNewJeans 対 パン・シヒョク率いるLE SSERAFIM』の、後に言う「ヒジンの乱」の火ぶたが切られ、それが記事冒頭のニュースへと繋がっている。
丁度2022年~2025年の期間、藤井風はそれなりに音楽活動を続けて来てはいたが、2025年9月の騒動のような熱量は見られなかった。だがその間にも藤井風のPTSDと思われる症状は進行しており、それが先に私が記事に書いたような深刻な多重人格障害を発症させ、そちらも急激に病状が悪化したように見受けられる。
 
藤井風の背後には名前の上では「厳しい教育」を藤井に施す父親の強大な存在があり、いわゆる洗脳教育と藤井風のメンタル面に侵食して行ったであろう暴力のような行為が行われていた可能性を否定出来ない。
 

 
この間私はと言えば世界中の音楽を聴き漁り、それをSpotifyのプレイリストに粛々とスクラップし、それをSNS等に告知しながら音楽リスナーの底上げを試みていたが、色々な事情で露出をセーヴしている私の知名度の低さが災いし、私の活動が一部のファンに訴求した以外には大きな旋風を巻き起こすには至らなかった。
 
仕込みは万全だったが結果にコミット出来なかったこの期間、特に2024年明けの1月にはミン・ヒジン対 HYBEのトラブルが表面化し、同年11月末日のNewJeansの契約解除記者会見へと此方も又自体を一気に悪化させて行った。
 

 
一方現在の音楽シーンで目立つには、1980年代~1990年代に日本で爆発的にヒットした『シティ・ポップ』のカバーソングの台頭で、これは2025年現在も記録を更新している状況だ。
NewJeansのヘリンも2024年の6月26日/27日に東京ドームで開催された「NewJeans Fan Meeting \’Bunnies Camp 2024 Tokyo Dome\’」で、竹内まりやの『Plastic Love』を熱唱している。
 

 
近年良質な楽曲が激減している様子は私も、毎週末の「世界の音楽」の新譜をくまなくチェックしているので痛感している。
 
藤井風ファンが言う「藤井風の音楽が良い」と言う発言は方々に散見されるが、これはおそらく他に競争相手が居ない、現状は藤井ひとり圧勝の状況が招いた結果かもしれない。
確かに一見藤井風のメロディーは爽やかかつ独特のクセがあり、それがリスナーの中毒症状を引き起こす引き金にもなっている。だが多くの音楽リスナーは雑誌やメディアで持て囃されたミュージシャンの音楽しか聴いていないし、世界の音楽を探索して聴き倒すには彼らは余りにも仕事や社会に忙殺されているので、音楽を探す時間を確保出来ない状況にあるようだ。
 
世界の良質な音楽を常に耳にしていれば、藤井風如きのジャンキーな音楽を好きになる筈がないと私ならば思うのだが、手っ取り早く美味しい音楽が聴きたい層の音楽リスナーたちは「とりあえず」の感覚でメディアが紹介するところの、藤井風や椎名林檎や宇多田ヒカル辺りを聴いて周辺のリスナーとの同調を図ろうとする。
一人だけ無名のアーティストなんか応援していたらそれこそSNSや職場等で恥をかきかねないし、「とりあえず」誰もが知っているであろうアーティストの数名の新譜をごそごそと漁っているうちに、調味料で言うところの味の素をガンガン使って出来上がったカップラーメンのような藤井風のメロディーにハマり込んで行ったと見るのが妥当だ。
 

日本の教育状況や社会状況にも、大きな問題が山積している。
受験に必要な科目以外は授業内容が軽視されており、特に美術や音楽の授業は「どうでも良い科目」だと認識させるような風潮がある。
一部の合唱好きが毎週末集まるような部活がある以外、義務教育機関の中で本格的に音楽に接する機会はほぼ皆無だ。
 
そんな学生時代の日々の蓄積を経た若年層にとって、藤井風のメロディーは過剰なまでに甘美で心地好いだろう。
 

 
記事『藤井風と多重人格の可能性についてでも綴ったように、藤井風の言動や表情は誰が見ても変だ。
勿論彼がサイババ二世として活動を更新して行くことには賛同出来ないが、だからと言って心を病んでいる可能性が濃厚な藤井風を闇雲にバッシングし続けて良い理由にはならない。
むしろ今の彼を、これ以上追い詰めてはいけない。
 
問題を解決したいのか、それともアンチ活動を介して活動家たちが大勢の匿名集団を先導することで承認欲求を満たしたいのか‥。その境界線を各自が厳しく見極め、そういった一連の藤井風バッシングの波に便乗しない方が、社会的な意味での二次災害を防ぐ近道だと私は思っている。
 
寄ってたかって特定の人物を叩きのめしている輩の大半は、匿名で活動している。自分には火の粉が及ばないよう、完全防備の状態でSNSに網を張っている。
だがそこまで藤井風バッシング活動を継続したいのであれば、バッシングする側にも覚悟と責任を負う必要があるのではないか‥。
 
味の素を常習的に使用している料理人に味の素を否定するような言葉を吐いたら、当然のことその料理人は怒りキレて反撃に出るだけだ。‥ならばそこまで信仰が進んだ人々に関しては、「一人一人摘まみ上げて真実を伝える」と言うような偽善的にも見える言動は無駄に思える。
 
 
サイババ二世の藤井風が危険人物だと感じるならば、大勢で徒党を組んだりせずに各々の言葉で客観的にその旨を発信すれば良いと思う。
心ある人はその言葉に反応を示すだろうし、そうではない人たちは唾を吐くか離れるかの何れかの反応を示すだろう。それ以上を求めるべきではない。
藤井風を応援する側も応援しない人々も、反発したい人たちも、「足ることを知る」精神を胸に留め置く必要性を感じてならない。
 

 
思うに一連のトラブルは、良質な音楽家と音楽を輩出することで解決可能だ。
是非各々の意思で、良い音楽を探して吸収して欲しい。
 
世界はあなた方が思っているよりは広い。そこには未だ出会ったことのない良い音楽が静かな寝息を立てて、リスナーを待っている。
 

 

関連記事:

予言 – Kpopの破滅

 

ひとつの文明が終焉を迎えようとしています。

栄枯盛衰。
その文明の樹立が偽造や搾取によって為されたものだとすれば、必ず終わりを迎えます。

やがてKPop全体が荒地となり、何も棲息出来ない広大なスペースが忽然と現れます。
文明の痕跡さえ残すことなく、そこは永遠の荒野となって存続し続けるでしょう。

[Pit Stop] – 歴史を照らし、歴史を消す

かれこれ二週間近くにもなるだろうか、私と相方は酷い風邪を引いている。
相方がひとあし早く風邪の症状を発症したので、私は数日遅れで相方の不調を追い掛けた格好になった。それが物凄い状況で、こんなに長期間胃に物が入らなくなったのはわたし史上初めてではないかと言う感じだ。
 
丁度相方が症状を発症したのが東京に物凄い黄砂が舞った日だったので、あくまで憶測の域を出ないがこの風邪はともすると黄砂を介して上陸した未知のウィルスではなかろうか‥ と、あくまで私たちは睨んでいる。
ただでさえ隣国のガールズグループ NewJeans 関連のトドメの作業を神々等と担っている最中とあり、心身かなり酷使していた時にいきなり来たこの風邪は兎に角悪寒との闘いに明け暮れる日々が続き、先の見えない状況に心が折れた。
 

 
これまで私は世の中に平穏をもたらすもの、華を宿し時代を輝かせてくれる対象に限定して光を当てて来た。だが今回の活動は、それとは完全に逆の現象を引き起こすことを目的としている。
当初この話は表に出すつもりはなかったが、一個一個の現象が私や共に活動をしている神々の想定通りに事が運び始めたので、私たちが何をしているかについての情報の一部に関しては外側に出した方がよりわかりやすいだろう‥ と言う見解に至った。
その途端に私と相方がほぼ同時に、体調を崩した。

私も相方も共に、大きな代償を背負った。それは私の活動にも大きな影響を及ぼすには至ったが、よく考えてみれば色々な物事が大きな分岐点を迎えるとはこのような状況ともリンクしていることは当たり前と言えば当たり前なので、私も夫も途中で視点を切り替えることに決めた。
 

闇に光を当て、その物の持つ闇をさらに白日の下に晒す。闇は血しぶきを上げながら毒を陽の光の中に撒き散らし、それまで隠れていたこと、隠しておいたことを全て隠しきれなくなる。
今回私や相方、そして某法の神が標的としたのがNewJeans (+ミン・ヒジン) であり、今や私たち (少なくとも私と、法の精霊と) は手を組んでこの世から一つの大きな闇とその歴史を葬り去ることに於いて協力関係を結んでいる。
 
かなしいかな、誰が何を思おうが願おうが、彼女たちは一人残らず歴史の表舞台から消え去ることになるだろう。
ここに来て多額の違約金或いは損害金の支払い能力云々を理由に未成年者の両親間で遂に仲間割れが起きたとも報道されているが、何れにせよ彼らは一人残らず消え去る運命なのだ。
あとはその方法論が如何に‥ と言う点が最後に残される。
 

 
思えば2021年12月に実母が他界し、弟 (故) の嫁 山田えり が私にそのことが絶対に発覚しないよう周囲と手を組んで実母を火葬した一件の後ぐらいから、私の中に「法律」と言う大きな命題は既にのしかかっていたように思う。
勿論私にはその時代を法の人として生きた記憶が全く抜け落ちているので、自分がその当時一体何者だったのかについては分からないが、私の中に法を犯す者への一方ならぬ強い怒りや憎悪が渦巻いていることには違いがなかった。
 
その後「霊界司法」と言う別次元の役職を持つ人たち数名が私の元に現れ、実際に私の母、父、弟 (叔母等も含む) 等のその後の霊体の処遇について伝え聞いた時には、背筋が凍り付いた。
だが、法を犯すとはそういうことであり、彼らは霊体を完全に粉砕されることをあえて免れ、この世に霊体を法的に分散されることにより生まれ変わりを未来永劫果たせないまま長い長い時を過ごして行くことが課せられるとのことだった。
 

私の周辺にはそういう類の悪事をはたらく人たちが本当に多いが、少なくとも私がそちらの悪の側に立つことのないよう気を付けたいと思うのみである。
 

どういう経緯だったのか、この風邪の熱にうなされていてよく覚えていないが、気が付くとコンプレックスコン香港で初演されたNewJeansの新曲 “Pit Stop” の比較的綺麗な音源が手元にあるではないか(笑)。
こうやってあらためて聴くと、この楽曲が如何に音楽になっていないかと言う点を含め、粗や欠点等はツッコミどころ満載過ぎて泣けて来る。
 
記念すべき音源なので、幾つかの方法を手元に保存しておこうと思う。
読み返すことのないK-Popの黒歴史の栄えある1ページをここに。
 

 

 

「ヒジンの乱」 – NewJeansとオウム真理教の共通項を説いた動画 (법원 따위 개무시하는 뉴진스, 막장 행보 예측)

この半年間のK-Pop事情を静観して来た私 (& 夫) が最も危惧している事が、先ほど或るYouTubeで詳しく解説されていました。
既に私のXの [Didier Merah] 名義のアカウントが (恐らく大量通報の呼びかけによる理由で) 或る日、いきなり凍結した為、現在稼働しているサブアカウントでは殆ど何もつぶやけなくなりました。
 
確証が無いのですが、私の名前を用いて多くのXユーザーに通報を呼びかける旨のポストを目撃した人物が二人、存在します (私は見ることが出来ませんでした) 。
[現在該当のポストは削除されていると言う話でしたが‥。]
その中の一人は、上記に触れた現象にとても似た理由でやはりXのアカウントを凍結に追い込まれました。その状況が某バニーズ関連の「活動報告」として、公開されていました。
 

何より私が最も危惧していることは、ミン・ヒジン ADOR元CEOを教祖とし、その弟子格にあたるNewJeansを頂点としたカルト集団が形成されつつあることです。
仮に上記の集団を「バニーズ・カルト (Bunnies Cult)」とします。
ミン元代表とNewJeansの5人及びその周辺で蠢くバニーズ・カルト団体は、近しいイエスマン以外の全てを「外敵」とみなし、外敵と戦う姿勢を崩していません。私から見れば法律 (司法) の側が正しい判断を下していると思いますが、NJZの少女たちからすれば「法が間違い」だと考えているようです。
 

このまま彼女たち5人のうさぎとミン・ヒジンの鎖を繋いだまま野放しにしておいたら、何れ大きな流血騒動に発展しかねません。
現在ではバニーズ・カルトの面々が気に入らないSNSのアカウントを通報し、凍結して回っているに留まっていますが、かつてのオウム真理教がそうであったように彼らがいつかどこかでオウムがそれを手にした時のように、危険物を手にするとも限りません。
なぜならば、現行で進んでいる裁判の結果が火を見るよりも明らかで、ミン・ヒジンとNewJeansには全く勝ち目がないからです。
 
正しい判断を「敵視」するマインドは、ミン・ヒジンの洗脳により培われたものでしょう。そうでなければ5人のうさぎたちの精神状態や判断力に、支障 (不具合) が出ているとみなす方が正常です。
 
上記の件について私は今日まで黙って口を閉ざしていましたが、韓国国内に近い考えを持つ人の発信した動画を観てあらためて、背筋が凍り付きました。
日本の私たちに見えているものと韓国国内が見ている『ヒジンの乱』とは、若干光景が異なるのではないかとも感じました。
 
但し該当の動画ではシャーマンそのものを危険視する内容が含まれていたので、その箇所だけは共感も賛同も出来かねますが、概ね見えている世界が近いと感じましたので、この記事に動画のリンクを貼っておきます。
 

正義と法 – NewJeansの件に対する所見メモ

私は今日、泥の様に眠っていた。‥と言うのも私が当てた光があちらこちらで化学反応を起こし始めたので、それが私の霊体に疲労としてフィードバックを開始したからである。

先ず韓国の音楽団体が共同で声明を出す会見があったこと。
次にNJZ (旧 NewJeans) が『公式アカウント』を名乗り各SNSに独自チャンネルを開設したこと、その他色々。

 
世論や法律を悪用したり抜け穴を利用して脱法的な行動を起こす、その様な人々を私は個人的に容認出来ない。 特にNewJeansに関しては本人たちやご両親等が『奴隷契約』を叫んでいる様だが、あなたたち一体幾ら貰ったんだよ!と言いたい。
 
仮に (NewJeans側) 奴隷契約に関して正当な理由で世に訴えたいならば、自身の活動でこれまで得た収入を全額返金してから物申すべきだ。
 

奴隷とは自身の労働や仕事に対価を得られない身分を指す言葉であり、かれこれNewJeansの場合は契約金だけでも5億円を下らないとも言われている韓流アイドルグループであり、おそらくきっちり給料も得ている筈。


本当の自由とは、意外に不自由である。だがその不自由さの中でも知名度や信頼度を得て、成功を収めた音楽家やタレントは実在する。
NewJeansがそうした自由度の高い活動を切望するのであれば先ず、必要最低限誰の資本にも頼らず自身の収入の中で活動費用を捻出し、その能力を世に問うべきだ。
 
勿論スタッフや作曲・作詞等・サウンドメーカー~振付師等を雇うことその他、全てに於いて自力で得た収入の中で行うことが原則である。
自由とはつまり、そういうことを指す。


タンパリングに関しては、私にとっては未知の領域なので法的な解釈は出来ない状況である。
だが通常の状態であれば、自身の存在を拡大拡張してくれた事務所や企業に対するリスペクトの精神は絶対必須であり、不満ならば正当な手順を踏んで契約解除ないしは独立すれば良いだけの話だ。
今回、NewJeans本人たちは「正当な手順を踏んでADORとの契約解除に至った」とは言うものの、聞くところによればADORとの一切の話し合いをNewJeansが拒んだとの声も伝わって来ており、その状況で一方的な会見を開催する形での契約解除は、誰が見ても「不当」と言わざるを得ない。
 
ADORとNewJeans間で話し合いのテーブルが設けられなかった理由の一つとして、ミン・ヒジン元ADOR代表の強い洗脳或いはNewJeansの5人のミン・ヒジン信仰のような状況も挙げられるかもしれない。
だが、何れにせよADORが公式のSNSを通じてNewJeansの5人へ何度も対話を持ち掛けていた状況がある限り、その要求を無視した状態に於いて発動された「是正要求」が果たして法的かつ論理的に通用するかどうかは、甚だ疑わしい。
 
私が個人的に最も許せないと思うことは、Team Bunniesやらtokkisを名乗るファンダムが彼らの気に入らない個人や企業の悪評を流布し、法の悪用をもってSNS等で通報誘導 (教唆) 等を行う悪質なマインドだ。
 

さらに付け加えるならば、「郷に入れば郷に従え」の精神は芸能活動に於いても適用されるものだと、個人的には考える。
K-Pop産業に身を置いたその瞬間からその人物 (歌手やクリエイター等の表現者全般を含む) たちは、良くも悪くもK-Popと言う「郷」に所属する身分である。その郷が仮に闇の要素をふんだんに孕んだ領域だとしても、アーティスト自身が契約書に署名した段階で既に「郷」の一員であることを忘れてはならない。
 

勿論法の闇、法の網等の盲点は日々更新され続けるべき問題であり、その点に於いては企画会社やHYBEやADOR等の大企業に於いても日々の企業のあり方を綿密に精査し、改善して行く努力を怠ってはいけないだろう。
‥だとしても、NewJeansの一連の事件は行き過ぎだ。
 
特にファンダム (或いはファンダムを名乗る火消し的な存在も含む) の質の低下、及び悪化は看過出来ない。
何よりファンダムと言う団体が特定のアーティストの応援・支援の枠を超えた (例えばそのアーティストに不利益になる他の個人や企業を名指しし、世論に悪評を働きかけたり、該当のユーザーが所有するSNSのアカウントに関する通報教唆を行う等) 悪質な活動に、手を染めてはならない。
 

私は今日、泥の様に眠っていた。‥と言うのも私が当てた光があちらこちらで化学反応を起こし始めたので、それが私の霊体に疲労としてフィードバックを開始したからである。先ず韓国の音楽団体が共同で声明を出す会見があったこと。次に #NJZ が『公式』を名乗り各SNSに独自チャンネルを開設したこと、その他色々。世論や法律を悪用したり抜け穴を利用して脱法的な行動を起こす、その様な人々を私は個人的に容認出来ない。特に #NewJeans に関しては本人たちやご両親等が『奴隷契約』を叫んでいる様だが、あなたたち一体幾ら貰ったんだよと言いたい。

Didier Merah (ディディエ・メラ) (@didiermerah.bsky.social) 2025-02-27T13:37:19.747Z


私のXのメインアカウントがある日突然機能不全 (つまり凍結) に陥った、ほぼ数日後に、それまで順調に運行していた [@AespannJeans] のアカウントが削除された。
NewJeans側の視点からの意見では、上記ユーザーはNewJeansの活動に不利益な情報を大量に発信していたと言う話だが、私が [@AespannJeans] のポストを読んでいる限りそのような状況ではなかった。
一連のポストは極めて法的・論理的な解釈に基づいてNewJeansの一連の事象に於ける見解を綴っており、明確でとても分かりやすい内容でまとめられていた。
 
だが後日、Team Bunniesの活動報告として、Xのアカウント [@AespannJeans] が削除 (凍結) された件に対して武勇伝のようにその現象を拡散していた点には、遺憾と違和感を感じずには居られなかった。
 

 
某YouTubeでも取り上げられていたが、NewJeansの楽曲をヒットチャートから除外する件の密談があったとかなかったとか‥。
 
これは私の個人的な主観だが、私の周辺のtokkisの複数から『Apple MusicやSpotify等を就寝中も稼働させ、NewJeansのアルバムを音量ゼロの状態で視聴の状態にして再生回数を稼いで応援している』と言う実話を、実際に聞いている。
私にもそうしろと言わんばかりにオススメされたが、そんな状況で維持されているヒットチャートのランクは消えてなくなるべきだと私も思う。
 
確かにADORやHYBEにも問題は山積みかもしれないが、少なくともHYBEの巨額な投資があってこそのNewJeansの成果である点は絶対に無視してはいけないだろう。
勿論ミン・ヒジンの才能も私は個人的に高く買ってはいるものの、人間性に問題があり過ぎる。K-Popに於ける全てのオーパーツを自分の手によるものだと言う豪語を止められないのはひとえに、彼女の病的な承認欲求が原因だ。
 
作品は発信者の手を離れた段階で、受信者の内面的な資産となるものだと私は常々感じている。
その観点をミン・ヒジンは完全に放棄しており、それがこの一連のNewJeansの乱‥ 『ニュジの乱』及び『ヒジンの乱』の発端だ。
 
元々K-Popが闇の産物、闇の産業である件は、今に始まった話ではないだろう。それをNewJeans 対 ADOR (HYBE) の件だけが特別ブラックな出来事のように取り沙汰すNewJeans及びその関係者の弁は、ただの詭弁に過ぎない。
 

良質な作品を初期のNewJeansやミン・ヒジンが輩出していただけに個人的にはとても残念な一件だが、「社会性やルール、モラルを無視しても有名人ならば許される」等と言う前例が生み出されてはならない。
 

※あくまでもこれは個人的な主観であり、一個の人間や企業の誹謗中傷や人格否定を一切含まない。

 

NewJeans (뉴진스) ‘Ditto’ [sideB] MV評論

韓流若手ガールズグループ NewJeans (뉴진스) が、YouTubeに新譜「Ditto」のMVを公開した。このMVは私が知る限り2種類存在するが、両方共にとてもダークで内容が重い。
勿論見方や各々の心情解釈にもよるが、どう見ても明るい表現がされたものとは言い難い。
映像全般がMVと言うより、むしろホラー映画を彷彿とさせる構成(或いは映像の質感)になっている。
 


左腕に太い包帯を巻いた少女がホームビデオを片手に、クラスメイトがダンスを楽しむ様子を撮影して行く。その合間合間に一人の男性がクローズアップされ、その男性も少女の存在を意識している。
 


軽快で無機質なパーカッションが楽曲全体を先導し、極めて明るいメロディーとコードプログレッションで楽曲が進行して行く。

MVはと言えばNewJeansの5人が高校生に扮し、制服姿で学生生活をエンジョイする姿が包帯少女のホームビデオに収められて行く進行になっているが、高校生に扮するNewJeansの5人は殆ど少女とは目が合わない。
 


場面場面が日常生活にはあり得ないようなアングルを絶妙に捉え、ともするとそれは生きることへの絶望をも意味しているのではないか‥ と言う明確な表現へと突き進んで行く。
 


楽曲はとても明るくリズミカルだが、映像の空気はどこかこの世のものではないような匂いが立ち込めている。
ヒントがあるとすれば、楽曲冒頭から断片的に表れる女性の裏声のハミングではないだろうか‥。黄泉の世界から届くシグナルのようにその声はとても濡れて切なく、木霊を放つ亡霊のようでもの悲しい。
 


生命のよろこびとは真逆の世界を、NewJeansと言うハイティーンの女の子たちが無頓着に歌う様は、どこかお気に入りのマニキュアを乾かしている時の危険な風の匂いに思えて、途中からめまいがして心が重くなる。
気を失いそうになりながら、何度も何度も画面に触れながら動画を見進めて行く‥。

むしろこれまでに感じたことのないシュールな感覚‥ 例えばいきなり霊感が開花するような恐怖を沸き立たせ、中盤以降のMVの意味が各々の中で全く別のものにすり替わって行くように思えてならない。
 


そしてこの、壊れたホームビデオ機器の映像は一体何を言い表しているのだろうか‥。絶対に声にしてはいけない何かが、この映像の最も強烈なインパクトとなって動画全体を埋め尽くして行く。
 
少女にとって将来を絶たれた瞬間か、失恋のショックを表す心情なのか、或いは絶望か、それとも包帯の少女がこの世には既に存在しないことを表すこれは、ひじょうにネガティブなメッセージのように思えて、それがやがて確信を帯びて心を押し潰そうとするのだ‥。
 

 
アングルは益々ダークな内容へと加速し、草の陰から5人の内緒話を見つめるようなこの瞬間にまで到達すれば、恐らく誰もが良からぬメッセージを心に受け取り息を呑むに違いない。
 


最後の最後に登場するこの鹿だけが、真っすぐに少女と目が合っている。
日本では鹿は「神の使い」として象徴されるが、恐らくその辺りをこのMVでも間接的に表現したかったのではないだろうか‥。

このご時世。物騒な記述にはなるが今、ここに来て多くの人々の心身に異変が起きている。明日が全く見えなくなって来た。
若い世代の人たちが未来の見えない世界を生き抜くことは、これ以上の苦痛がないほどのあまりに悲しいサバイバルだ。
 
もういいよ、一緒においで‥。そう言っているように一匹の鹿と一匹の猫が現れ、少女の心を少しだけ解きほぐすのだが‥。
 

 
動画3:12辺りから、楽曲のないシネマ仕立ての後編が始まる。
少女の左手には包帯はなく、誰もいない部屋で少女は一人思い出のビデオを見始める。
その時のこの目が何とも言えず、重苦しい時間を飲み込んでそのまま凍り付いたように動画を見ている。

4:03から後は、恐らく亡霊が思い出を見つめる設定で撮影されたのではないだろうか‥。
思い出はいつもキラキラと輝いて、この世界に希望を感じられない者の心を締め付け、さらに人を絶望へと追い詰めて行く。
 

 
もしかするとこのMVは近日中に、問題作として広くメディアに取り上げられることになるかもしれない。

‥必ずしも楽しくワクワクする表現だけが作品とは言えず、言葉を持たない者の心を代弁するような、まさにこの動画のような作品があってもいいと私は思うのだが‥。
 

この記事の最後には、NewJeansの新作 ‘Ditto’ のMV – sideBの方を貼っておきたい。
映像監修はシン・ウソク (Wooseok Shin) 氏。
 

[音楽評論] NewJeans (뉴진스) – ‘Attention’

韓国から又、とんでもない女性グループがデビューした。

彼女たちはNewJeans。韓国人4人、ベトナム人1人の多国籍女性アイドルグループで、事務所である『ADOR』の後ろ盾にあの巨大事務所『HYBE』が聳え立つ。

一見ただのアイドルとしてお披露目されているが彼女等のパフォーマンス能力はかなり高く、ともすると背後の事務所『HYBE』から今年初春にデビューした先輩格の『LE SSERAFIM』の実力を総合的に遥かに上回ると、私は見ている。
 

LE SSERAFIM

 
売りとしては『LE SSERAFIM』の方が「計算し尽くされたミドルエイジの女性たち』。化粧からファッション、そして表現~楽曲に至る全てがこなれており、全体を通じて「かどわかす」演出を主軸に置いている。
一方『NewJeans』はそのネーミングの通り、極力「素」であり無計算で素朴さを前面に押し出しており、ノーメイクに見えるすっぴん感覚+「太陽の似合うティーンエイジ」の演出を主軸に置いている。

‥とは私個人の見解で、ひょっとしたら事務所は違う計算をしているかもしれないが、傍から見ると恐らくそう見えるように全てが念入りに意図されたように見える。
 
皮肉にも『LE SSERAFIM』はどのパフォーマンスに置いても「脚」の露出が多いのに対し、若手の『NewJeans』はむしろ体の線を隠すように演出されていることに気付くだろう。
 

NewJeans

  
NewJeansのデビュー曲Attention、これがかなり凝ったコードプログレッションで書かれており、途中ディスコードの上をコードをあえて外したメロディーラインが這って行く辺りに、NewJeansをプロデュースしている運営の強い拘りと音楽に対する英知の結集を感じてならない。

歌詞は英語と韓国語の両方をラップ形式で織り交ぜる感じで出来ており、楽曲としては古き良きブラック・コンテンポラリーの、どことなくジャネット・ジャクソンが好んで歌いそうな印象の楽曲に仕上がっている。
 

因みに『Attention』のクレジットは、以下のようになっている。

作詞 : 서지음
作曲 : Justin Reinstein・이우민 ‘Collapsedone’・Anna Timgren

 

 

‥と、凄いのはここから先だ。
この難易度の高い楽曲『Attention』をNewJeansがLiveチャンネル『it’s Live』で、生バンド(ベースは原曲の打ち込み)に乗せて歌唱している。
原曲のディスコードになっている箇所を見事に、ディスコードのまま音程を外さずに歌い切っているところがおそらく、事務所も認める彼女たちの本領に違いない。

確かに全員が両耳にインカムのイヤホンを装着して歌唱に臨んでいるが、それだとしても普通はこのメロディーを正確に、しかもしっかりと表現をそえて歌唱することはかなり難しい。
だがNewJeansの5人にとってはこんなことは、きっと朝飯前なのだと言わんばかりに皆が笑顔を崩さない。

殆どすっぴんに見える5人が全員ロングヘアーをなびかせ、原曲とは異なるバンドアレンジでしかも振り付けを封印して「演奏」に集中している様は、ただただ圧巻だ。

その圧巻の『it’s Live』での彼女たちのパフォーマンスともう一つ、『HYBE』が満を持して世に送り出した先輩格の『LE SSERAFIM』のデビュー曲『FEARLESS』のLiveの様子を、この記事の最後に貼っておきたい。
 

※『LE SSERAFIM』は最初メンバー6人でデビューしたが、途中でキム・ガラムが脱退に至った(2022.07.20)。
 

追記として、両者のパフォーマンスよりも楽曲の出来栄えに注目して聴いて頂きたい。
事務所の力の入れ方としては『LE SSERAFIM』が胴体一個分リードしているように見えるが、楽曲はその逆かもしれない。
その辺りも含めて是非、両方共にお楽しみ頂ければ幸いである。