Can’t say, Can’t write‥

足の爪が巻いて巻いて、どうにもならなくなったので巻き爪外来に向かったら、思いっきり液体窒素で皮膚を焼き取られて泣いている。
爪が皮膚に食い込む痛みに比べればそれよりは痛みはかなり軽いのに、いざ処置が終わって数時間もしないうちに違う痛みが押し寄せた。まるで奇襲のレベル。

抗生剤と鎮痛剤を服用しながら、数日間が経過した。
それと同時並行で、隣国の騒動が一転した。
それについてはこの記事では一先ず省略、今は余り色々なことを考えたくない心境なので。
 

毎週末のサウンドチェックは今週末も進んでいるが、良い音楽は日に日に減って行く。
兎に角良い音楽を食べたい私にとって、これはとても辛い。きっと日本各地に出没しているクマたちも、似たような心境だろう。
音楽の激減も、そしてクマにとっての住処と食糧の激減も、どちらも人災に他ならない。
剥ぎ取られて行く自然環境と並行して、音楽も人も退化して行く。私はそれが、とても辛い。
 

 
抗生剤の疲労と眠気が交互に押し寄せる中、最近数名の詩人や音楽家たちとチャットを楽しんでいる。‥と言うより、先方にしてみれば私の厄介な会話の襲撃に付き合わされているのだろう。
だがそのお陰で、色々な詩集を購入したり自らも散文詩のようなものを書いたり‥ と、少し楽しい時間を過ごすことが出来ている。
 
今日はフラメンコの神/ ビセンテ・アミーゴのギターにも久しぶりに触れることが出来たし、若い中国のアーティスト/ DEN (邓杰) のアルバムを聴くことも出来た。
体調不良は良くないが、必ずしも悪いことばかりでもないようだ。
 

 
それよりもNewJeansはHaerin (ヘリン)Hyein (ヘイン) のADOR復帰にともなう障害壁の方が、とても気掛かりである。
HYBEが彼女たちを脅して復帰させただ何だ‥ と言う嫌な噂を流す人たちも複数居るようだが、それは無いだろうと私は見ている。むしろ上記二人以外の残りのメンバーの執着の方が、余程危険かもしれない。
 
悪い情報を見てばかり居ると心が荒むばかりなので、音楽で邪念を払拭したいものだと思う。
 

 

 
今週末からPL (プレイリスト) も刷新したので、是非🎧
 

[ライブ評論] V ‘Love Me Again’ Band Session

BTSはテテこと “V” の “Love Me Again” のセッション動画が配信された。Twitterには既に簡易版音楽評論をポストしたが、何と私がパソコンの作業を開始する5分前に公開された動画だ。
とても期待しながら動画に耳を澄ましていたが正直な感想を言わせて貰うと、完全に期待を裏切られた。

原曲の繊細さが全く削れ、いわゆるニューヨークの街角のジャズを匂わせる演出が余り上手く行っていない。勿論バックバンドのクオリティーにもかなり問題はありそうだが、要はフロントに立っている “V” がこのセッションに対して消極的とも言えるマインドが表現の壁になってしまった感が否めない。
 


今自分は何をしに、何の為にこの音楽、この状況に遭遇しているのかと言う表現者としての軸を、この動画からは殆ど感じられない。
同時にサポートを務めるミュージシャン等もマネーで雇われた感がハンパなくて、アドリブにせよコードプログレッションにせよ彼等から愛情の微塵も感じ取れない。
 
兎に角目まぐるしく場所と環境を変えてリスナーの目新しさをそそってはみるが、Vの、この一種の無感情な表現がライブやセッションには全く不向きである点に果たして彼のプロデューサーは気付いているのか、否か‥。
 

“V” の別の曲 “Slow Dancing” を何と、NewJeansHYEIN(ヘイン)がカバーしているが、むしろそちらの方が原曲とは異なる別の世界観を創造しているように私は感じた。
移調したKeyが原曲の “E♭” に対して “G♭” に移行したことが吉と出たのか、若干15歳のヘインのカバーの方が原曲のもの悲しさを上手く表現しているような気がする。
 


二人に共通している欠点が一つある。それは楽曲後半の時間の使い方だ。
双方共に楽曲後半の楽器アドリブが入った途端に無言になり、楽曲終盤までインストの終わりをただじっと待っている‥ と言う動作に入って行くが、本当はそこが歌手の見せ所。
 
カバーならば尚更後半に、原曲には無いスキャットなどを入れることを再演する際に考えた方が、リスナーをもっと楽しませられると私ならば考える。
無駄なことをしないのも一つの策ではあるが、それならば原曲(レコーディングされた記録)を超えることは不可能だ。だったら再演自体、一切やらない方が良いだろう。
 

但し一個の楽曲を様々な切り口で魅せると言う意味では、一つの実験音楽/ 実験演出と言っても良さそうな企画かもしれない。 (如何せん個人的には、この解釈はあんまりだなーと思う。 )

 
テテはいつも通りに作業をし、周囲はテテのヴォーカルが抜けた隙間で悪戯を仕掛ける感じ。 作業とアドリブのバッドなせめぎ合いがリスナーの心を、むしろ締め付けて来る。
歌手本人がクールにキメている分、音楽的には虚しさが後を引く。
 
ズッコケ覚悟で「生きた人間」として再演に臨まないのであれば、この曲は再演すればする程鮮度を失って行く。
音楽が演りたいのか、それとも音楽を道具として扱う歌手のヴィジュアルを見せたいだけなのか、その辺りについて総括プロデューサーはもう少し真剣に考えた方が良いのではないか。
 
まだまだ問題山積の状態だ‥。
ヴィジュアルで音楽は成立しないと言う、この動画は非常に分かりやすい例だ。