神と聴く音楽


先日作成したプレイリストCollect Pietro 1.を、少しずつテコ入れ中である。勿論私の好みではなく、これは「とある神」の意向を聴きながら作成しているプレイリストなので、選曲の主体は「神」である。
 


人が聴く為のプレイリストはこれまでにも複数作成して来たが、流石に神々が聴く為のプレイリストの作成は人生初だ。色々迷いながら (勿論私だけではなく神々も) 楽曲を抽出して行くうちに、段々と思わぬ楽曲のセレクトにも手が伸びて行く。
その過程がとても面白い。
 
とある女神が言うには、「人々がお願いを叶える為に神に祈りを捧げる以前に、本当に祈りを叶えて欲しいのは我々、神の側です。」との話。
これは言い得て妙であり、多くの霊能者や自称「神と交信する者」たちが気付いていない。

神々はアイディアの宝庫だと言うが、彼らが生きたのは太古の時代。そこからのアップデートが為されないまま現在に至るのだから、当然のこと現代人が神々の思いをくみ取り、彼らの思いや願いを形にしなければいけないのに逆の現象が続いている状況に、神々は嘆きを隠さない。
 

今回私が作成したプレイリストCollect Pietro 1.もその (神々の願いを実現させる為の) 一環であり、音楽に集中していると少しずつ神々の意向が視えて来る。それを何度も何度も感じ取り、その動作とルーティーンを繰り返して行くとその先に、神々の真の思いや願い、祈りの根幹が姿を現して行く。
 


神々はけっして、やたら無暗に荘厳な扱いを受けたがっているわけではない。今私たちが生きている時代の素の状況を、彼らはもっと堪能し、共有したいと願っているのだ。

このプレイリストの作成は一つの過程に過ぎず、既に私たち (私と神々との間) には新しい約束が存在する。その内容については今世で語るつもりはないが、その時が来たら必ず形になるに違いない。
その日の為のこれは、単なる準備に過ぎない。現在はその、盛大な準備を粛々と進めている真っ最中で、それは未だ始まったばかりだ。

A playlist for the loving My God (愛する神のためのプレイリスト)

毎週末の度にSpotifyから (主に) 更新される世界の音楽の新譜から、良曲だけを選び抜いてコレクションしているDidier Merahのプレイリスト『Cafe Didier』シリーズ。これについてはサブブログ『ディディエメラの音楽倉庫』に更新していますが‥。


何と今回初めて、愛する自然神のお一方の為にコレクションしたプレイリストを作成しました。先方のお名前は公表出来ませんが、意外な自然神がこういうノリの良い音楽を好まれるとは、私も驚きでした。
いつも夫とのドライブの際に神々同士でプレイリストの取り合いになり、正直困っていました。なので今回そうならないように‥ との配慮も込めて、自然神専用のプレイリストの作成を思い付きました。
 
実際に、リアルタイムで神と交信しながら都度都度音楽を取り出して、お伺いを立てながらのプレイリストの作成にはかなりのエネルギーを使いました。ですが先方はノリノリなので、最後には此方まで楽しくなって来て調子こいてしまいました(笑)。
 
これも私だから出来るプレイリストかもしれません。
先方から「一人でも多くの人々に聴いて頂きたい。それが自身のエネルギーに返って行くことになるので、人間のエナジーを吸わせて欲しい。」との要望があり、本来ならば私一人で楽しもうと思っていたのですがここに開放します。
 

このプレイリストは主に、キューバンサルサ (アフリカ、キューバ~プエルトリコ周辺)、イタリアンポップ (古いカンツォーネを含む)、スペインのポップス (フラメンコ含む)、Tango、そしてブラジルの音楽の5つのリズム体構成を中心に作成しています。
楽曲についてはあくまで自然神の要望を重視していますので、新旧織り交ぜてスクラップしています。
 
Let’s enjoy!!!💃
 

ブラジルから風が吹く – “Boca Cheia De Frutas” by João Bosco

ブラジルから御年77歳の新譜が届く。João Boscoのニューアルバム “Boca Cheia De Frutas” を、私にしては珍しく全編聴いている。
 
楽曲も編曲も申し分ないが、気になるのはヴォーカルのリミックス。バックの楽器の音質 (加工処理やエフェクト等) が良いだけに、声のホワイトノイズとモノラル感が酷く気になって所々音楽に集中出来なくなるが、これは仕様なのだろうか‥。

特にM-4: “E Aí?” 辺りのヴォーカルが、異様にモノラルに聴こえて仕方がないのだが。

一方でM-8: “Sobretom” にはヴォーカルが無い分音質がまとまっているので、音楽に没入出来る。

M-10: “O Cio Da Terra” の前半の声の低音部分は、ちょっと面白い。だがやはり年齢の事情なのか、声質がしゃがれたカラスみたいなので鼓膜にシャリシャリ刺さって来て途中音量を下げないと (私の超聴力だと) 聴けないのが難点だ。

(※若干音程が悪く聴こえるが、これも仕様だろうか?)
 

 
言い方は悪いかもしれないが、ありきたりなブラジル音楽はあまり好きではない。このアルバムもうっかりすると “ありきたりなブラジル音楽” に聴こえるが、随所に散りばめられた甘口ショーロがぎりぎりのところで “ありきたり” を回避してくれる。
やはり作り手自らが表現するブラジル音楽の威力はハンパない。
 
日本に居るとどうしても借り物のブラジル音楽に接する事の方が多いので、段々とブラジル音楽を嫌いになって行く。だが、偽物や借り物を聴いて音楽の本質を見失っている場合ではない。そんなのは私らしくもないしね。
 

冒頭の “Dandara” はどこか、Dori Caymmi のヴォーカリーズや彼が生み出すメロディーラインにも通ずる底の見えない悲しみを彷彿とさせるし、さらにグっと来たのがM-7: “Buraco” の、優しく甘いメロディー & コードだ。
ご本人の音程の悪さは一旦棚上げした上で、心を無にしてアルバム全編をもう一度聴き直してみようと思う。
 

「マツケンサンバⅡ」はサンバか否か‥

「マツケンサンバⅡ」が厳密には「サンバ」ではなくマンボかルンバ‥ と言う音楽評論を目にしました。

マツケンサンバⅡ、正確には「マツケンマンボ」か「マツケンルンバ」?音楽学者が解説

 
音楽には色々な解釈がありますが、上記の説に於いては半分が正解であり、半分は不正解と言えます。

サンバ論或いはサンバの解釈をする際に、度々持ち出されるのが「リオのカーニバル」です。リオのカーニバルが「サンバ論」のベースとなるサンバ解釈は方々で展開されていますが、「リオのカーニバルこそがサンバである」‥ と言う視点も、あくまで規模の問題です。
 

基本的にリオのカーニバルの音楽(主にリズム体)の特徴として、大所帯の打楽器「バトゥカーダ」が主として16ビートの3、7、11、そして15の箇所にアクセントを感じるリズム体をキープしながら演奏されるのが特徴です。
バトゥカーダ」は本来ヴォーカルのない音楽演奏形態を指し、主にスルド、アゴゴ、カウベル、カイシャ、アビート(ホイッスル)等と言った多くの楽器で編成が組まれ、リオのカーニバルではダンサーの後ろに大きな台車が組まれチームを鼓舞しながら会場を練り歩きます。

 

 
確かに「マツケンサンバⅡ」の原曲にはバトゥカーダ が入っていません。
 

 

元記事【マツケンサンバⅡ、正確には「マツケンマンボ」か「マツケンルンバ」?音楽学者が解説】⇦ では《マツケンサンバⅡはマンボかルンバ、ないしはキューバの音楽「モントゥーノ」かもしれない》‥ と書かれていますが、どれも正解ではありません。

ざっくりとこの音楽はシンプルに、「ラテン音楽」である‥ と言う認識の方が正しいと言えます。
 

少し視点を変えて、さらに説明を加えましょう。
「マツケンサンバⅡ」には複数のトラックが存在し、それぞれ個性的なアレンジが施されています。
その中で同曲が見事にサンバ・チルアウトに編曲されているのが、以下のトラックです。⇩

 

 
上記のトラックでは若干ですがリズムセクションが増幅されており、リオのカーニバルのバトゥカーダ 程ではないですが、ブラジルのサンバにかなり近づいている箇所が数カ所あります。
 
リズムの刻みが16ビートから、さらにかなり細かく刻む別の打楽器が背後にミックスされていて、若干付点がかった「Swing(オンダ)」を入れて打楽器がミックスされている為、リズムに空気感と躍動感が感じられます。

time 2:36 辺りから段々とSwing(オンダ)がきつくなっており、そこに「オーレ!」がリピートされている為、かなり強いサンバ感を感じることが出来ます。
よ~く聴くと、バスドラが増幅されてミックスされているので、低音部に重厚感も感じられますね。

これは「マツケンサンバⅡ」のシングルバージョンには無いアレンジになっているので、エレクトリック・サンバとして聴いたり踊ったりすることが可能です。
まぁどんなに背後に強力なリズムが来ても、上様にとっては最早どうでもいいことのようにも見えます。楽しけりゃーいいんですから、上様は!(笑)

  

 
 
音楽、特に『舞曲』やダンス・ミュージック、リズム・ミュージックを解釈する時に必要なことは、知識よりも感性です。
ドラムの何々が何ビートを刻んでいるから「これはサンバである」と言う数学のドリルの回答を導き出すような杓子定規な解釈は、私から見ればとても短絡的に見えます。

特に民族音楽はリズムだけではなく、そこに発祥地の「モード」や言語の特徴等が折り重なって一個の世界観を形成して行きます。なので、正しいか否か‥ を超えた音楽分析力が求められます。
 

元記事マツケンサンバⅡ、正確には「マツケンマンボ」か「マツケンルンバ」?音楽学者が解説⇦ ではどこか、マツケンブームに乗って何かしらアンチテーゼのような一家言を叩き出すことで筆者が音楽評論界に二次的な旋風を巻き起こそうとしているようにも見えます。
ですがどこか筆者の音楽解釈のツメの甘さが目立ち、多くの音楽を複合的に解釈しようとすることを拒絶しているような意図が見え隠れしている点に、個人的には問題を感じてなりません。

音楽解釈の自由性を許さない、或いは音楽を感じるマインドに余計なバイアスを掛けて行くような音楽評論は、リスナーの自由性を大きく阻害することになりますので、そのような文献にうっかり遭遇した時は出来れば余り真剣に読まずに通過することをオススメします(笑)。

 
さて、この記事で折角「バトゥカーダ」に触れたので、今私が個人的にイチオシのAAINJAAのバトゥカーダの動画を最後に置いて、記事を終わりにします。

 

「マツケンサンバⅡ」はサンバか否か‥

「マツケンサンバⅡ」が厳密には「サンバ」ではなくマンボかルンバ‥ と言う音楽評論を目にしました。⇩
(残念ながら該当記事は2025年6月11日現在、別記事として再アップされていました。🔗画像をタップして下さい。)
 

 
音楽には色々な解釈がありますが、上記の説に於いては半分が正解であり、半分は不正解と言えます。

サンバ論或いはサンバの解釈をする際に、度々持ち出されるのが「リオのカーニバル」です。リオのカーニバルが「サンバ論」のベースとなるサンバ解釈は方々で展開されていますが、「リオのカーニバルこそがサンバである」‥ と言う視点も、あくまで規模の問題です。

基本的にリオのカーニバルの音楽(主にリズム体)の特徴として、大所帯の打楽器「バトゥカーダ」が主として16ビートの3、7、11、そして15の箇所にアクセントを感じるリズム体をキープしながら演奏されるのが特徴です。
バトゥカーダ」は本来ヴォーカルのない音楽演奏形態を指し、主にスルド、アゴゴ、カウベル、カイシャ、アビート(ホイッスル)等と言った多くの楽器で編成が組まれ、リオのカーニバルではダンサーの後ろに大きな台車が組まれチームを鼓舞しながら会場を練り歩きます。
 


確かに「マツケンサンバⅡ」の原曲にはバトゥカーダ が入っていません。
 


元記事【マツケンサンバⅡ、正確には「マツケンマンボ」か「マツケンルンバ」?音楽学者が解説】⇦ では《マツケンサンバⅡはマンボかルンバ、ないしはキューバの音楽「モントゥーノ」かもしれない》‥ と書かれていますが、どれも正解ではありません。

ざっくりとこの音楽はシンプルに、「ラテン音楽」である‥ と言う認識の方が正しいと言えます。

少し視点を変えて、さらに説明を加えましょう。
「マツケンサンバⅡ」には複数のトラックが存在し、それぞれ個性的なアレンジが施されています。
その中で同曲が見事にサンバ・チルアウトに編曲されているのが、以下のトラックです。⇩
 


上記のトラックでは若干ですがリズムセクションが増幅されており、リオのカーニバルのバトゥカーダ 程ではないですが、ブラジルのサンバにかなり近づいている箇所が数カ所あります。
リズムの刻みが16ビートから、さらにかなり細かく刻む別の打楽器が背後にミックスされていて、若干付点がかった「Swing(オンダ)」を入れて打楽器がミックスされている為、リズムに空気感と躍動感が感じられます。

time 2:36 辺りから段々とSwing(オンダ)がきつくなっており、そこに「オーレ!」がリピートされている為、かなり強いサンバ感を感じることが出来ます。
よ~く聴くと、バスドラが増幅されてミックスされているので、低音部に重厚感も感じられますね。

これは「マツケンサンバⅡ」のシングルバージョンには無いアレンジになっているので、エレクトリック・サンバとして聴いたり踊ったりすることが可能です。
まぁどんなに背後に強力なリズムが来ても、上様にとっては最早どうでもいいことのようにも見えます。楽しけりゃーいいんですから、上様は!(笑)
 


音楽、特に『舞曲』やダンス・ミュージック、リズム・ミュージックを解釈する時に必要なことは、知識よりも感性です。
ドラムの何々が何ビートを刻んでいるから「これはサンバである」と言う数学のドリルの回答を導き出すような杓子定規な解釈は、私から見ればとても短絡的に見えます。

特に民族音楽はリズムだけではなく、そこに発祥地の「モード」や言語の特徴等が折り重なって一個の世界観を形成して行きます。なので、正しいか否か‥ を超えた音楽分析力が求められます。

元記事マツケンサンバⅡ、正確には「マツケンマンボ」か「マツケンルンバ」?音楽学者が解説⇦ ではどこか、マツケンブームに乗って何かしらアンチテーゼのような一家言を叩き出すことで筆者が音楽評論界に二次的な旋風を巻き起こそうとしているようにも見えます。
ですがどこか筆者の音楽解釈のツメの甘さが目立ち、多くの音楽を複合的に解釈しようとすることを拒絶しているような意図が見え隠れしている点に、個人的には問題を感じてなりません。

音楽解釈の自由性を許さない、或いは音楽を感じるマインドに余計なバイアスを掛けて行くような音楽評論は、リスナーの自由性を大きく阻害することになりますので、そのような文献にうっかり遭遇した時は出来れば余り真剣に読まずに通過することをオススメします(笑)。


さて、この記事で折角「バトゥカーダ」に触れたので、今私が個人的にイチオシのAAINJAAのバトゥカーダの動画を最後に置いて、記事を終わりにします。
 

 

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本記事は『note』より移動しました。