過去に別名で何度か吉田美奈子を取り上げ音楽評論記事を書いたことがあった。勿論美奈子氏のご機嫌を思いっきり損ねる内容の評論記事だった為、その後間も無く私のメインのTwitterのアカウントが彼女のオフィシャルアカウントにブロックされた‥ と言う逸話は、今でもどこかで日々囁かれているようだ(笑)。
先日美奈子氏と親しいと言う人物から、某SNSのメッセージスペースにDMが舞い込んだ。
「何故あなたは、あの素晴らしい美奈子氏を認めないのか?」と言う、或る意味素朴な質問だったが、逆に何故現在の彼女をどのようにしたら音楽家として、表現者として認識出来るのかについて私はその人物に問い返したい衝動に駆られた。
だが実際問題そのような質問は愚行として日陰のスペースで語り継がれる素材を与えかねないと判断し、質問返しはしないでおいた。
人には色々な老い方があるだろう。それは私自身も現在その途を辿っている最中なので、身に沁みて理解出来る。
特に50代以降の「老い」「スキルの劣化」の原因として挙げられるのが、「介護問題」ではないだろうか‥。私のよく知るシャンソン歌手の中にも、それは多数見られる。
多くの表現者たちがぶち当たるこの、介護問題を機とした実質的な休業問題は、各々表現者たちのその後の人生を大きく左右する。
吉田美奈子氏の場合がどうだったかについては分からないが、最近の美奈子氏のTwitterに彼女の母の逝去についてのツイートが多く見られたことからも、恐らく‥ と言う大方の察しはつく。
そんな吉田美奈子がジャズに飽き足らず、次はシャンソンに手を伸ばすようだ。勿論上のTwitterで告知されているイベントは未だ開催されていないので、そのLiveに必ずしもシャンソンの楽曲が登場するか否かは今は未だ決定事項ではない、としても‥。
Japanese R & Bの創造神と言っても過言ではなかった吉田美奈子氏が、最近は別の人が書き残した楽曲のなぞり返しを繰り返している。
多くの美奈子フリークの中には恐らく、若かりし頃の饒舌な彼女の音楽がしっかりと根付いている筈だ。それを老いた吉田美奈子がジャズやシャンソンで上書きしようともがいているようだが、所詮他人の作品を再演している以上原曲や原曲者を超えることは不可能だ。
スタンダード・ミュージックには解釈の相違だとか、そのような楽しみ方があるのは百も承知だが、美奈子氏の名曲とも言われる「Lovin’ You」や「TOWN」、「Rainy Day」を超える名作が今後彼女から紡ぎ出されることは無いのかもしれない。
私は実質上彼女のSNSのアカウントのみならず吉田美奈子自身からアク禁されているようだが、それでも私は絶頂期の彼女の音楽性や人としての彼女を今も愛している。
気分がどうの、機嫌がどうの、その時何があったからどうの‥とか、そういうものを余裕で超えさせてしまう力がもしも彼女の音楽に在るのだとしたら、その部分に於いては素直に私は受け入れるし、認めて行きたい。
だが皮肉にも彼女・吉田美奈子は私が愛した頃の彼女自身を、もう二度と取り戻すことは出来ないだろう。
その点を私が音楽評論でブッた斬ったことには、実は大きな理由が潜んでいる。
現在の彼女が過去の彼女を超える方法を、彼女が知らない(或いは気付いていない)ことが厄介なのだ。私は彼女が過去の彼女を超えて行く方法を、実は知っている。
Japanese R & Bの創造神だった彼女がもしもその方法に気付いていないとしたら、むしろ現在の彼女の劣化した表現力よりもそちらの方が闇が深い。
過去の彼女を現在の彼女が超えて行く方法については、あえてここでは明かさない。
吉田美奈子氏が真剣にそのことに悩み、気持ちを新たに私の前に首を垂れて来るような事態が実際に起きた時に、その時の彼女の様子を目で確認し、彼女の心の内側を私が実際に読み出した(いわゆるリーディング、もしくはチャネリング等)時に、その後の行動について考えるのがベターだろう。
現在の吉田美奈子氏にベタで付き添っているミュージシャンの一人がこの人、石井彰氏だ。美奈子氏はこのピアニストが好きなのか、伴奏形態が現在の彼女にとって居心地が好いのかの何れかの理由で彼をサポーターとして採用しているのだろう。
私も美奈子氏のマインドには興味も関心もあるので、石井彰氏について以前から若干リサーチしていた。‥なぜリサーチが「若干」のまま更新されないのかと言う理由については推して知るべしで、この演奏者の表現やジャンルそのものに全く魅力を感じない為、数分の動画を見終えることが出来ないからだ。
二番煎じの音楽、これはジャズもシャンソンもカントリーやその他の「スタンダード」と呼ばれる全ての音楽のジャンルが持つ負の特性だ。
なにせ私も20年近くこの「二番煎じの音楽」にどっぷり身を浸していたわけだから、酸いも甘いも知り尽くしていると言っても過言ではない(笑)。
上記のようなジャンルに一度潜り込んでしまうと、新しい光の中に飛び込むことを体も脳も拒むようになって行く。
「誰か」が作った、既にブランディングが完了している楽曲のパワーに依存するところに再演の意義を感じるようになり、新しく生まれて来る作品や作者のスタンスを「軽んじる」感覚がいつしか身に付いて行く。
話が脱線し過ぎるといけないので吉田美奈子周辺の話題に戻るが、少なくとも現在の彼女がこのグッチャグチャな「ジャズ」とか「シャンソン」等のジャンル、或いは石井彰氏を本気で高く評価しているとは、何故か私に思えない。
どう見ても演奏者として価値が高いのは、過去の彼女と深く関わり尽くしていた倉田信雄の方だ。

そして上の動画『TOWN』の立役者として、ギターの土方隆行、ドラムの村上 “ポンタ” 秀一は生涯外せないだろう。
そのことに吉田美奈子氏が気付いていない筈は無いだろうから、その上で現行の二人の夜店系のジャズ・ミュージシャンをあえて彼女が自身のLIVEに起用しているのだとしたら、その段階で彼女は自身の劣化と向き合わなくてはならない。

時を超える音楽の定義について私は10代の頃からずっと考え続け、その理論や手法を練り上げて今日に至る。それは私のメインの活動の中に多数記録してあるので、是非そちらを見て頂ければ幸いだ。
呼吸法、心拍数、脈拍の捉え方、打鍵の速度(ピアノの場合)~音と音との間隔の取り方や紡ぎ方から残響の尾っぽまでのタイム‥等、これは挙げればキリがない。
この手法を現在用いて音楽活動を行っているのは私がメインで配信している音楽だけで、仲間を探してはいるものの活動15年目にして未だナカマが見つかっていないのが現状だ。
だが私が行っている技術や手法や音楽理論等をもしも吉田美奈子氏が自身の音楽に投入すれば、現在の「どうでもいい音楽」を演り続けている彼女を彼女自身の力量で卒業することも夢ではないだろう。
ものの「ジャンル」は自身で作り出すことがベターであり、ベストなのだ。その為には数年間活動の遠回りをすることも辞さないが、その分の将来的なリターンは大きなものになるに違いない。
むしろ私が望んでいるのは、大きなリターンを手中に収めた時の吉田美奈子氏自身であるが、彼女が余計なプライドを振りかざして最大の助言者(預言者)を永遠に敵に回し続けるようであれば、先に彼女の寿命の方が彼女をリセットして行くことになるだろう。
それが目に見えているから私は何とか吉田美奈子氏本人に果敢にアクセスして行った時期もあったが、それが夢に終わろうが終わるまいが彼女自身の音楽人生は美奈子氏自身が決めることだから、私はこうして遠くから嫌われ者として吉田美奈子氏を静かに鼓舞し、応援し続けることしか今は方法が無さそうだ。
この記事の最後に私の中の吉田美奈子の「神Live」の動画から、「LOVING YOU」を掲載しておきたい。
この神々しい彼女の声とマインド、ミュージシャンの手堅い音と空間のサポートの数珠繋ぎの光景こそ、Liveに留めておくべきではない。
まさにこれぞ、「神」である。







